押入は見ていた
                       阿羅本 景


「そういえば、この部屋」

 茶道部室で志貴は改めて見回す。西向きの窓からは茜色の夕陽が銀杏並木を
越して差し、長い陰を畳の上に残していおり、その中でシエルと志貴は佇んで
いた。六畳の部屋であり、床の間迄を入れても志貴とシエルが居るとどことな
く手狭に感じる。

 きちんと正座をして背筋を伸ばすシエル。

「どうかしました?遠野くん」
「いや、本当にどこかの部室の部室だったのかなって……それに、文化部の部
室は学生会館の方にあるから、いつもなんか不思議に思っていたのだけど」

 志貴はそういって腕を組み、このシエルの言うところの「茶道部室」が元々
何であったのかを思い出そうとする。だが、学校の中に関して至って興味が薄
い志貴はこの部屋が元々何であったのかを思い出すことが出来ない。
 シエルはそんな志貴の顔を覗き込みながら、軽く肩をすくめて答える。

「……遠野くんにしては鋭いですね」
「む、その言い方だとまるで先輩は、俺が学校にぼんやりするために来ている
ような感じに……」
「私も最近はぼんやりするために来ているんですけどね、昼間は仕事がないか
ら家でゴロゴロしているのも癪ですし」

 そういってシエルは僅かに俯いて微笑むと、志貴の顔を眺める。
 すぅ、と熱い視線がシエルから走り、志貴は心臓がどきん、と脈を打つのを
感じた。西日は紅く、まるで頬を紅潮させるかのように見せている。

「……それに、遠野くんと一緒にいたいですから」
「そ、それは光栄だな……で先輩、この部屋の来歴は」

 つと顔を逸らすと、志貴は話を続ける。このままいい感じになってしまうと
自分自信のが押さえきれず、シエルを押し倒してしまうかも……と感じ取った
が故か、わざと素っ気ない態度をとって見せていた。
 シエルも、そんな志貴に機嫌を害することなく答える。

「もともとは夜の宿直室だったみたいです。でも、教員の仮眠室が別にあるの
で使われていなかったみたいなので、今のところ拝借しています」
「……なるほど、そういう事情で本校舎の中に謎の茶道部室があるのか……」
「謎の、という言い方はひどいですね……そうそう、一つ良いことを教えましょ
う、遠野くん」

 シエルはぴんと指を一本立てると、えへんと胸を張って見せる。
 志貴はシエルに向き直ると、胡座を掻いていた足を正してシエルに対して話
を伺う姿勢を作ってみせた。

「何?先輩」
「……実は、学生会館に正規の茶道部と茶道部室があります」

 ……その言葉を聞き、志貴は思わず首を傾げる。
 そして考えたのは……じゃぁ、この茶道部室とやらはなに?という疑問であった。
 その顔色を察して、シエルはすぐに補足をする。

「えーっと、あれですね、まぁこの部屋は茶道部室と言うより私のアジトでし
て、遠野くんにとっては茶道部室であるけども、教員にとっては臨時倉庫であ
り、生徒会や文化部連では教員の休憩室だと『思われて』いるんですよ」
「あ、そうか……」

 志貴はそういわれてぽんと膝を打つ。元々シエルが不法占拠している以上、
この学校の関係者にはそれぞれ寄りつかない理由をこしらえて「信じ込ませて
いる」のであった。確かに茶道部室だと全校に思われれば、文化部に関係があ
る志貴以外の誰かがやってくるかも知れないのだから。

「なるほどねぇ……場所もそうだったけど、部活動の部室にしたら襖と押入が
あるから妙だと思ったんだ」

 志貴はそういい様立ち上がり、すたすたと襖の方に近づく。

「あっ!」

 志貴が立ち上がった瞬間、シエルの表情が一変した。腰を浮かせて志貴を止
めるべく声を上げようとするが、僅かに間が遅く制止することは適わなかった。

 志貴が二歩で襖に踏み寄り、スルリと襖を開く。
 その間にもシエルの腰が浮いて一歩を踏み出そうとするが―――

 パタン

 志貴は暗い押入の中に入ってたモノを見て、まず取りえた行動はというと――

「…………」

 パタン

 金具に引っかけた指をそのまま戻し、襖を閉じることであった。
 志貴の顔色は青ざめて引きつり、まるで幽霊に逢ったかのような有様であっ
た。死徒ネロに直面したときにもそんな顔をしていたであろう、という混乱と
驚愕の表情

「遠野くんっ……見てませんよね!」

 志貴が襖を素早く閉めると共に、立ち上がったシエルが志貴の元に駆け寄る。
 志貴はぐるりと首を動かすと、焦りの色を浮かべているシエルを見つめる。
 驚きのあまりに言葉を失った風情の志貴ではあったが、ようやくのことで震
える言葉を捻り出す。

「先輩……その……」
「なんですか?遠野くん……もしかして押入の中に……」
「……お、俺が見たのは縄に縛られたアルクェイドとなんか、青い変な生き物
が居たような気がしたんだけど……気のせいかな?」

 志貴が襖を開けた瞬間に見たのは、押入の床に縛って転がされているアルクェ
イドと、金髪で蹄が生えた青い格好で妙な雰囲気の生物であった。それを見た瞬
間、志貴の理性はそれが何であるかを理解するよりも早く、腕を繰って襖を閉め
る方を選んでいた。

 シエルは志貴の話を聞き、一瞬表情を強ばらせる。
 だが、シエルはすぐにやたらに明るく嘘っぽい笑顔を浮かべて、志貴と襖の間
に割り込んでいた。

「あははははははー、遠野くん、そんな女の髪を結って精液で浸して呪言を施し
た縄でアルクェイドを縛って放り込んでいるとか、言うことを聞かずに家出をす
るセブンのバカ馬をしばき倒して放り込んででいるとか、そんなことあるわけ無
いじゃないですかー」

 やたらに具体的な反論。
 志貴にも劣らず狼狽しているシエルであったは、その口走った話の内容を耳に
して顔が青ざめる思いであった。ここまで具体的な内容を口走る以上、自分が見
た物は幻覚ではないと薄々気がついていた。

「先輩……女の髪を結って精液を浸した縄って、なに?」
「え?そうやって作った縄は天地人の宜しきと男女和合の理によって決して切れ
ない縄になる……いやですねー遠野くんっ、そんなモノ私が持っているわけない
じゃないんですよ、はい」

 それはすなわち持っている、と言うことかと志貴は心の中で頷く。
 先輩はどうも武器火器の類だけじゃなくて、そんなモノまで保有しているのか……
と思うと、嘘寒いような思いすらする。きっと言うことを聞かないと次にはその
縄とやらで縛られるな、という予感と共に。

 シエルはあはあははと忙しなく笑いながら、見るからにシエルに対して引いて
いる志貴に弁明する。

「そ、それにそんなものがここに入っている訳無いじゃないですか」
「……先輩、その理屈は分かるんだけど、俺が実際に見たのは……」
「見た、と言うんですか遠野くん……仕方有りません。
 じゃ、1、2、3、はいっ!」

 シエルは大仰にカウントをすると、魔術師ばりの身振りで襖を開き、中を志
貴に示す。

「ほら遠野くん。中には何も居ませんよー」

 確かに志貴の目の前には、上段に布団が入った棚と下段にはなにも入ってい
ない押入の中が広がっていた。そこに居たはずのアルクェイドと奇妙な生物は、
見事に手品のように消え去っていた。

 ああ、何も居なかったんだ……自分の気のせいか。
 などと、志貴は思わなかった。自分で開いたときに同じ光景が広がっている
のならともかく、襖を開いたのは魔術の類に秀でたシエルである。何もしてい
ないとは到底考えれない。

 志貴は目を凝らしてじっと見つめたが、一見おかしそうな所は見あたらない。
 自分の差す影も夕陽に照らされる色もちゃんとしている。

「遠野くんの思い違い、サッカクですよ錯覚ですよ、うん」

 一人納得した様子を見せているシエルであったが、志貴はそれに取り合わず
に疑わしげな目つきのままで――両手でひょいと眼鏡を外した。

「あああーーーーっ!」

 眼鏡を外し、青い瞳を凝らす志貴にシエルは再び素っ頓狂な声を上げる。
 シエルにはこの志貴の行動はまるっきりの誤算であった。幻術によって中を
空に見せる――咄嗟に取った技にしては視覚的な破綻もなく上出来であった。

 だが、志貴の直視の魔眼で凝視するというのはまったく考えていない。
 万物の死を見つめる魔眼は、シエルの技をまるで無かったかのようにその向
こうを見通していた。

 志貴の目の中に飛び込んできたのは、線がやたらに走った茶道部の畳と壁と
襖、そして押入の中にいる、ぼんやりとした線が瞬くアルクェイドと、それと
同じくらいに死の線の無い青い珍生物――であった。

 ……ウソだろ?

 それを改めて見た瞬間――志貴は知らず一歩後ずさりをしていた。
 死の線がない生き物が二人もいる……アルクェイドはともかく、青い生物ま
でそんな強烈な存在である、という一事は、志貴の中の危険を感じる七夜の本
能を刺激せずにはいられなかった。

「……せ、先輩……」

ズサッ

 志貴がまた一歩後ずさるよりも早く、
 シエルが飛んで、志貴の腰にタックルをしていた。

「うわぁぁぁっ!」

 思わぬシエルの攻撃であったが、志貴は瞬時にして受け身を取ろうと腕を畳
に叩き付けた……つもりだった。

 だが、バシーンという気味のいい畳の音ではなく、ばふっと籠もった音がす
る。まるで布団を叩いたかのような。
 続いて志貴の腰と背中に感じたのは、柔らかい布団の感触であった。

 ――いつの間に布団が敷かれていたのだろう?

 布団の上に仰向けに倒れ込みながら、志貴は呆れるようにそう思う。倒れた
拍子に眼鏡が指から零れて布団の上に転がる。
 志貴がタックルをする前に、シエルは片手で素早く布団を投げていたのであっ
た。鉄甲作用の要領で投げられた敷布団は、目にも留まらぬ速度で志貴の頭の
上を通り過ぎ、茶道部室の床に見事に展開していたのである。

 だが、そこまでを気がつく志貴ではない。
 タックルを打ってきたシエルが、そのまま志貴の身体の上に馬乗りになる。
スカートから覗く足が志貴の胴体を締め付け、身体を志貴の上に立てている。

 シエルはひょいと上体を屈んで指先で志貴の眼鏡を拾い上げると、志貴の顔
に掛ける。シエルは志貴の身体をを見下ろしながら、息を荒立てることもなく
じっと困ったような瞳で見つめていた。

「先輩……」
「……まさか直視の魔眼で見られると言うのは……誤算でした」

 志貴の胴体をぐいぐい締め付け、重心を押さえて抵抗を封じるシエル。
 志貴は身体の上に乗られ、息が詰まる様な感覚に襲われていた。腕は自由で
あったが下からのポジションでは、百戦錬磨のシエルの上からうち下ろす打撃
には無防備も同然であった。

 シエルはニヤリと不適に笑うと、せせら笑う様に口ずさむ。

「押入の中は……見てはいけない物だったのに……遠野くんは見てしまうから」
「そういうことは先に言ってくれ、先輩!
 で、先輩……もしかして……」
「こんなコトをするのは不本意ですが遠野くん、忘れて貰います」

 シエルはくい、と人差し指を伸ばすと、口元に当てて何かを小さく呟く。
 そしてその指を、ゆっくりゆっくりと志貴の額に近づけていく。

 この指先が眉間に触れれば、今見たものは全部忘れるのだろう、と志貴は感
じていた。

 このまま抵抗せずに見たものを忘れる。
 確かにアルクェイドだの青い怪生物だのが押入に入っている、などという光
景は綺麗さっぱり忘れるのに越したことはない。

 それで本当にいいのだろうか?

 ……わからない

「先輩……その……」
「……なんですか遠野くん?最期の言葉ぐらい聞いて上げますよ?」
「じゃぁ……」

 志貴は息を精一杯吸い込むと、一言口にする。

「先輩――重い」

                                      《つづく》