扉を叩く音
作:しにを
=ACT.1=
天井をぼーっと眺めながら、志貴は溜息をついた。
「早く帰ってこないかなあ、琥珀」
もうかれこれ何度口にしたか分からない言葉。
これまで、誰であれ他人に執着する心が薄かった事を思うと、考えられない事だ。
普段はともかく、こうやって何もしない時間を持っていると、久しく顔すら
見ていない琥珀の事ばかり脳裏に浮かんで来る。
不安を抱えて遠野の家の門をくぐった時の再会(その時は初めて会ったと思っ
ていたが…)や、シキとの事件でのあれやこれ、死ぬような目にあったこと、
琥珀に惹かれ結ばれた時のこと、日常の本当に何気ない会話や琥珀のしぐさ、
表情。
特別な事よりも何より、朝に顔を合わせて言葉を交わして、学校から戻った
らまた暖かく迎えてくれて、そんな当たり前だった事が今は無くなっているの
が寂しい。
その代わり、週末に琥珀が戻ってきた時、なんとか自分が会いに出掛けた時、
互いを再認識する行為が激しくなりはするのだが……。
あんな事をしたり、こんな事をされたり……。
ふと、そちら方面の回想に入って、己の下半身がしっかりと反応しているの
に気が付き、ちょっと思考が止まる。
……しばらく御無沙汰してるからなあ。
定期的に遠野の家に帰っていた琥珀であるが、志貴の過去をつなぐのに成功
して、今度は別のやらねばならぬ事が出来たという理由でさらに遠方に行って
しまっている。
詳しくは話さないが、自分の為らしいので、頑張ってねとしか言えない。
概ねやるべき事は出来ましたと連絡があり、戻ってきて秋葉としばらく話し
込んだ後、今は翡翠も琥珀さんの許へ旅立っている。
かれこれ琥珀と最後に会ってから半月以上になるなあ。
また、溜息。
正直、会えないのは寂しいし、何もせずにベッドに寝転んでゴロゴロしてい
る時など、いけないと思いつつも、ここにいた琥珀の柔らかく良い匂いのする
肢体、そこから生まれる蕩けるような快感を思い出して悶々としてしまう。
と、回想とも妄想ともつかぬ琥珀で頭をいっぱいにして、気が付いたらベッ
ドにごろごろとしながら、ズボンを膝の辺りまで下ろしていた。やや窮屈にな
っていたパンツもまた引き降ろされている。
そして無防備になった下半身を何とかしようとしてか、右手が猛っているそ
れを掴んでいた。
健康な男子高校生としては別段、恥ずべき行為ではない。
終わった後、何とも言えない空しさとも罪悪感ともつかない残滓は残るけれ
ども。
たまに有彦に押し付けられる夜のおかずみたいなものは必要なく、心と体が
覚えている琥珀の感覚の再現をしつつ、一人想念の世界に没頭する。
琥珀……。
忘我の集中、琥珀がリアルに現れる。
周りの音も景色も消え、ただただ琥珀で満たされて行く。
頭の中でのプレイが佳境に入り、精神が肉体を制御して、極限まで高まって
きたその時……。
「兄さん、失礼しますよ」
やや、怒ったような声。
秋葉が扉を開け、部屋に入って来た。
「起きているのなら、返事ぐらいして下さい。何回ノックしたと………」
いくら呼んでも反応が無い兄に業を煮やしたらしい秋葉が、はや怒気を漂わ
せながら近づいてくる。
志貴はと言うと、一瞬で、妄想世界から現実世界への帰還を果たしたものの、
精神に肉体がついていっていなかった。
いや、理性とか判断力などというものも、今の志貴からは消え去っていた。
アア、アキハガメノマエニイルヨ。
何も出来ないまま、その下半身まるだしの姿のまま、右手はまだ勃ったまま
の肉根を握り締めたまま、秋葉と目を合わせる。
互いに凍りついたように動きが止まる。
時間にすればほんの数秒であっただろうが、志貴には時が止まっているよう
に感じられた。
ちょっと怒り顔で、入るなり文句をを言いかけて口を開いている、秋葉。
まだ兄の姿が目に入っていない秋葉。
何かが目に入り、言葉がとまった秋葉。
とまどったように表情が消える秋葉。
理解できないといった顔が、何かを認識した顔に変わる秋葉。
驚愕の表情になる秋葉
真赤になり、どうしていいか分からないという表情に変わる秋葉。
それぞれがゆっくりとしたコマ送りのVTRでも見ているかのように、志貴
にははっきりと認識出来た。嫌なくらいはっきりと。
その代わり、自分の体は、まったく身動き一つできない。
その永劫の数瞬、ゆっくりとした時の流れが終わり、次の時間は逆に早回し
のように跳んだ。
気が付くと秋葉は部屋から消え、バタンという物凄い扉の閉まる音が響いていた。
志貴は布団をかぶると頭を抱えて、絶望のうめきをあげた。
(To Be Continued....)
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