しとしとぴっちゃん

                        西紀 貫之  

 ……うう、漏れちゃいそう。
 放課後。しかも帰宅途中にもよおした尿意は止まる所を知らず、踏み切り待
ちで危険な状態まで追い詰められていた。
 なんということでしょう。寮生活も長く、自宅には勿論のことトイレはある
し……ううっ、思えばトイレのアテがない時間なんて今まで無かったわね。
 目の前に見える商店街でおトイレを借りることも…………ううん、それはだ
め。それは最後の手段。
 遠野家の当主が尿意に負けてトイレを借りるなんて、ばれたら威信と言うも
のが瓦解するわ。ましてや学校の皆にばれたりしたら。

「それだけは避けなきゃ」

 ……にしても長い踏切ね。なにやってんのよ行政は。
 ああ、駅のトイレを借りるって手もあるわね。切符買って入れば自然よね。
う、うん、そうしましょうか……。

「あ、遠野さん」

 えっ?

「あ、ああ、三島さん」

 同じクラスの三島さん。く、笑顔笑顔。

「三島さんも今帰り?」
「うん。遠野さんも?」

 見てわかんないの? あたりまえでしょうに。

「へー、遠野さんも電車で帰るの?」

 え? 電車?

「あ、その、三島さんは電車通学で?」

「うん、そうだよ?」

 この下っ腹ブス、駅使ってんじゃないわよ!  こっちは尋常な尿じゃない
のよ!?
 ちょっとお友達になった人とのお茶会で紅茶を摂り過ぎてしまったから、そ
の利尿作用で溜まった尿はもう膀胱いっぱいなのよ!

「あら、そうなの?」

 く、こうなったらトイレに行くため、一緒に改札まで行くしか……。

「ああ、そういえば遠野さん、丘の上の屋敷に住んでるんですってね! おっ
きいお屋敷、いいなぁ」

 なんで知ってるのよこの不細工女!
 くっ、地元の名士も厄介な!
 あ、踏み切りあがった。
 しずしずと股間を刺激しないように、重心を一定に、左右に揺らさずに歩き
始める。
 大丈夫大丈夫、もつわ!

「遠野さんて、お嬢様っぽい歩き方なのね。さすが〜」
「そんなことないわよ」
「へー。あ、じゃぁあたし電車だから! また明日学校でねー!」

 ぱんっ。
 くはー。
 あんにゃろ、肩叩いて行きやがった! くあああん。ちょっとでも漏れたら
一気にイっちゃいそうっ。

「え、ええ。ごきげんよう三島さん」

 改札の奥に消えたら、切符を買ってトイレに駆け込みましょう。ええ、そう
しましょう。

 ぺェーぺーぽーぺーぺぽぽー♪

 え? なに? 呼び出し音?

「はいー。あ、ミッチー? あたしあたし!」
「…………」

 三島のヤツ、改札ンとこでおもむろに携帯電話で話し始めやがった。
 ちょっと! それじゃぁトイレに……。
 ああっ、三島のヤツこっちに手ぇ振って「またねー」とか口パクで言ってや
がる。

「また明日」

 く、くやしいけどここは離れるしかないようね。
 引きつった微笑みになってなかったかしら。
 大丈夫よね、きっと。


 もはや膀胱も、一触即発。うう、なんか文字通りなのが凄く悔しい。
 商店街も半ば、コンビニエンスストアに差し掛かる。
 コンビニエンスストアでトイレを借りるというのも……。

 「いらっしゃいませー。え? はい? ……ああ、便所ですか! はい、奥
のジュースコーナーの脇のドアの中ですよ!」

 元気のいい店員。
 集まる視線。
 ダメダメダメダメダメダメダメー!

 それらを頭の中でシュミレートし、コンビニトイレ案は却下。
 もぉ〜、イギリスではコンビニエンスというと公衆トイレのことなのに!
 ……公衆トイレ?
 そ、そうよ! この先に公園があったはずよ!
 頑張るのよ! 栄光の待つその先までっ!





 ………………。
 …………………………。
 神様、これがトイレなのでしょうか。
 限界ぎりぎりで訪れた児童公園の公衆トイレ。
 男女兼用なのにも抵抗があったけれど……この汚さは何!?
 ものすごい臭気! 汚れたタイル! 扉! 何よりもトイレットペーパーが
無いし、白いはずだった便器には言葉にするのもおこがましい物体が付着っー
うううううっ! 駄目! もー駄目ぇええ!
 こ、こうなったら、遠野秋葉の全てを賭けて、坂を登って屋敷まで……。


「はぁはぁはぁはぁ」
 もう顔は真っ青ね、見なくても分かるわ。
 脂汗も垂れてるでしょうし。
 これはこれで体調が悪いとでも言い訳が出来るし。
 誰よ、こんなとこに坂道作ったの!
 誰よ、丘の上に屋敷を立てたのは!
 うう……早くおトイレに行きたいよぅ。
 足を上げるのがこんなにきついなんて。
 踏み出した足を入れ替えるのがこんなにもつらいなんて。
 大丈夫よ秋葉。
 貴方はここまで頑張ったんだもの。きっと屋敷のトイレまで頑張れるわ!
 ええそうよ! さっき尿道口に指突っ込んででも我慢しようとしてた貴方の
根性は賞賛されるべきなのよ秋葉!
 さすが遠野家の当主! 見目麗しい遠野秋葉に失禁と言うか粗相というかお
もらしなんてスキャンダラスな事件は起こってはいけないのよ!



 と、そのとき後ろから誰かに肩を叩かれた。











「よ、秋葉。お前も今帰りか?」










 兄であり、想い人。
 愛している男性である遠野志貴。
 彼に肩を叩かれ、その顔を見たとき……。
「ふ……ふぇええ」
「あ、秋葉ー!?」
 …………私の全てが終わったのでした。

















「秋葉、おもらしのことは誰にも言わないから! 言わないからこの鎖をはず
してくださいません?」
「だめです」
「よ、洋服だけでも着せてくれー」
「だめです」
「うう、じゃぁせめてトイレに行かせてくれー!」
「……それはもっとだめです」
 うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ。





<浣>