これは書いているうちに失敗だと気づき描くのをやめた作品で、未完成です。
 平行線であるライダーとカレンがいかにして交わっていくのかを描こうとして、ながながと書いた結果焦点がボヤけてしまいました。
 ライダーは堕天であり、カレンの被霊媒体質に反応してしまうだろうと考え、またライダーからすればこのカレンの小さな躰は上姉様、下姉様を思い出させるのでは? と思いついたのが書くきっかけでした。
 エロシーンは頭にあるのですが、そこまでたどり着けなかったです。
 こまかい断片なので、もしかしたらサルベージしてどこか一部分を流用するかもしれません。



「私は貴女のことが嫌いです」


 ライダーの部屋は今や衛宮邸における図書室と化していた。
 種別分類問わず様々な本が所狭しと並びまた積み上げられている。その中で床に着くほど長く艶めかしい髪を持った美しい女性が、ただ静かに読書に没頭していた。食事やバイトといった事がなければただひたすらに部屋で本を読む毎日。
 側にあるのは時折買い込むお酒。読書に夢中な彼女はアルコールならばなんでもよかった。けど、どうせ呑むのならやはり美味しいものの方がよい。やや値の張る日本酒やブランデー、ワインなどが常に彼女の傍らにあった。
 そして迎える静かな一時。
 ページをめくるぺらりという音とコップを置くカツンという硬い音。そして時折漏れるかすかな吐息。ただそれだけの世界。
 その紫色の瞳は文字を見つめ、その艶やかな唇でそっとコップを口づけてアルコールを呑む。時折甘い吐息を吐くが、それは酒に酔ってか、それとも文学に酔いしれてか――ただ文字に浸り、酒精に溺れる。
 日々様々な人が訪れいつも騒がしい衛宮邸においても、特に静かな場所。それがこのライダーの部屋だった。
 ただ文学と酒精に浮遊するたゆんだ時間。
 陽が昇りそして沈み、星が瞬き月が輝きそして沈み、そしてまた陽がの掘っても、彼女はただそたすらに本を読むばかり。
 仕事などの用がある時のみ、主はこの部屋から離れる。その時でも手にした本を愛おしそうに撫でながら栞を挟みこみ、そっと本を置く。そうしてから部屋の主は名残惜しげに部屋を出ていくのだ。
 この部屋の本の所有権は確かにライダーにあったけれども、彼女はそういうことに無頓着だった。家の住人が訪れ、読みたいというのならば本どころか場所も貸し、ただ読書に没頭する毎日。
 そんな暖かみをもった静寂に包まれてる日々に、ライダーは満足だった。
 仕事をして得た報酬で本とお酒を購入し、残りは士郎へ生活費として手渡す。それで何も困ることはない。
 本を読み、酒を呑み、大好きな桜と他愛もないおしゃべりをし、士郎や凛と会話し、おいしい食事を食べ、時折お風呂に浸かり、そしてまた読書。
 活字に溺れ、酒精に酔いしれる日々。冬にはコタツをいれ、そこでずっと一歩も出ることなくアルコールと活字に酔いしれる。正月三が日は一歩もでることもなかった。英霊だからできるそんな至福をしみじみと味わいながら、またページをめくる。
 今ライダーが読んでいるのは巷で話題になった本。そんなに厚くはない。映画化されるため本屋に山積みされていたのを目にして購入してきたものだった。内容は難しくなく、ほどよいサスペンスとミステリーが悪くなかった。
 優しい眼差しで文字をひとつひとつ拾い上げ、読みふけっていく。
 と扉がノックされる。
 どうぞ、と目を本に落としたままライダーは応えた。そっと落ちた髪をすくい上げ、また読みふける。きたのはどうせ士郎か桜であろう。士郎ならば何か読みたい本でもあるに違いない。だから勝手に読んで貰えばいいし、桜ならばやさしく挨拶してくるはず。
 なのに扉が開いて閉まっても何の言葉もない。
 疑問に思って本から顔を上げると、そこには新たなる居候の一人である、カレン・オルテンシアが佇み、その金色の瞳でライダーを見つめていた。


 ライダーが気に触って仕方がない者が同居人の中に一人いた。
 そういうところには無頓着な面もあるライダーであるが、このことに関してはどうしても気になって仕方がなかった。
 自室に閉じこもって本を読んでいる時はよい。
 バイトを勤しんでいる時もよい。
 けれど食事や団欒の一時に感じる不快感。
 ライダーからすれば食事など一切必要ない。英霊なのだから、そういうものは必要としない。ただ嗜好品にすぎない。けれどマスターである間桐桜と居候先の衛宮士郎の勧めによってライダーも一緒に食卓につくようになっていた。
 当初、過去ギリシアで食べていたものとは違う味わいにはいささか面を喰らったが、慣れれば悪くはないと思っている。いや悪くはないどころか美味しいといってもいいかもしれない。士郎や桜、時には遠坂凛の作る料理を食べるということにほんの少しだけ慣れて、その分だけ食べることが好きになり、和みかけていた矢先。
 新たに加わった居候がライダーの勘に障ったのだ。
 封印指定狩りのバゼットはよい。キビキビしていてしかも常に動いている彼女はライダーにせわしい印象を与えたが、後は特に気になることもない。怠惰な性のライダーからすればああ忙しくしていて疲れないだろうか? と疑問にさえ思ってしまう。でもその程度の関心しか持っていない。
 気になるのは、もう一人の方。カレン・オルテンシアという名の白いシスター。彼女がライターの勘に障って仕方がなかった。


 それは最初の時。
 カレンは微笑んでいるのかぼおっとしているのかわからない曖昧な表情で居間に座っていた。
 ライダーが不審に思って尋ねれば、教会の修繕の間だけ泊めて欲しいということ。家主の士郎が許可したのならばいいでしょう、とライダーは納得した。
 共同生活を送っているといっても何かが降りかかってこない限りは我関せず。それがライダーの基本方針。だから今更武闘派の魔術師やシスターが増えたところでまったく関係ない。
 それでも一応の礼儀作法は心得ているので、これからよろしく、とライダーが挨拶する。シスターは曖昧な笑みを浮かべたまま、こちらこそよろしくお願いします、と挨拶すると距離を置くように少しだけ離れたのが印象的だった。そのことが最初に感じた違和感。しかしそんなことはすぐに忘れてしまった。
 そのくらいこの衛宮邸は賑やかで穏やかだった。和気藹々とした寄り合い所で居心地がよい。新たに居候が増えたことで大河が、また女の人が、しかも二人も増えてるぅっ! と喚いていたが、それももう過去のこと。すぐに大河もこの状況に慣れてしまった。
 士郎、凛、桜、セイバー、ライダー、大河、時折イリヤとお側付き2名の来客。それに新たに2名加わって総勢11名。いつにも増して賑々しくも和やかな居心地の良い空間を醸し出していた。はずだった。


 気が付くとこの白子のシスターはライダーの視界の隅にいた。
 和気藹々と食事をしている間は視界内に座っていたはずなのに、ふと気が付くとすぐに消えてしまう。シスターはライダーの視界の中央にいることはなく、視界の隅にいることさえ希で、いつもは姿を見せることはない。
 人見知りする性質なのか、と思っていたが桜や士郎の言葉を聞くとそうでもないらしい。無関心なようでするりと入り込み、なにか言っていくらしい。何を言っていくのか尋ねると困ったような顔をしていて言葉を濁らせていた。どうやら何かキツいことを言うらしい。その顔で蜥蜴喰うか不如帰、といったところだろうか?
 それがライダーは勘に障った。ほんのちょっとだけ。自分はそういう事を言われていない、ということに気づいたから。けれどそれもすぐにライダーは忘れてしまった。


 次は食事中の出来事。
 お醤油貸してくれない? という凛にライダーが自分の醤油さしを渡そうとした時、凛の側にいたカレンが後ろに下がったのだ。
 醤油さしを差し出したライダーの手も受け取るために伸ばされた凛の手も避ける必要はない。逆にその前に横切って邪魔だったのは間に座るセイバーのはず。けれどセイバーは食事することに余念がなく、こくこくと頷き、味わっている最中で避けようともしない。それよりもずっと離れたカレンが避けるのは不自然だった。
 ライダーはちらりとカレンを見た。少しおっとりとしたような様子で食事をしている。
 最近は大人数になってきたため、中華式の大皿でみんなで取り分けるものが多い。これだけの人数になってしまうとお皿を並べきれないのだ。しかしカレンだけは別に用意されたものを食べていた。というのも彼女は味がとても偏った――例えば、とにかくただひたすらに甘いとかただひたすらに辛いとか――そういった味付けでないとダメらしい。
 最初、焼き魚が醤油漬けになるまでかけていたカレンを見て、塩分の摂りすぎで体に悪いからと士郎は止めた。構いませんからというカレンを無視して別の料理を作りはじめたのを驚いた顔で見ていたのをよく覚えている。
「せっかく食べるんだからおいしいのを食べないとな」
「そんなのはいいです」
「いやよくない」
「みんなのと同じものでよいです」
「味は?」
「……味?」
「そう味」
「何の味もしませんでしたけど」
「むー、そうか……よし出来た」
 ライダーはテレビをなんとなく眺めながら、カレンと士郎のやりとりを注意して聞いてことだけは覚えていた。
 そして士郎が出来たての料理を食卓に並べる。
 湯気の立った食事と士郎の顔を何度も交互に見るカレンに、士郎はさぁと勧め、カレンは一口だけ食べてみる。
「――美味しい……」
 思わず感嘆の言葉を漏らすカレンに士郎はにこやかに笑ってた。
 それからはカレンには専用の食事が用意されるようになった。
 せっかく同じ食卓についているのだからと見た目は同じもの。ただし味付けは強烈らしい。凛も桜も、よくあんなの食べられるわね、とレシピを見ながらボヤいたのを聞いたことがある。カロリーや塩分などは士郎がきちんと計算しているらしい。
 そんな専用の食事をシスターはゆっくりと口にしていた。
 噛みしめるように、静かにゆっくりと。上品な食べ方といってもよい。凛も桜も綺麗な食べ方をしているが、意外と健啖家である。けれどこのシスターはほんの少しだけ口にしておしまい。
 ご飯もお茶碗の半分も食べない。お総菜も一口二口、多くても三口だけ。セイバーや大河の10分の1も食べてはいないだろう。それで満足したかのように、お茶を飲んでいる。
 なぜ避けたのか、ライダーは何かを捜すようにシスターを見つめる。湯飲みを両手で持ち、息を吹きかけながら飲むシスターに何か変わったところなどない。
 視線が合う。何かを訴えかけるように視線が絡みつく。
 何か言った方がいいのか、それともそのまま視線を逸らした方がよいのか、ライダーは悩む。しかしそれも刹那のことで、訴えかけるような縋るような視線はすぐにほどける。シスターが逸らしたのだ。逸らしたというのは穿ちすぎかもしれない。ただ流した視線が合っただけかもしれない。
 けれどライダーは逸らされたという思いがあった。それがなぜか胸をかき乱す。
 そんなライダーを無視して、カレンは、ご馳走様でした、と言うと両手を組み、頭を垂れる。食事を始める前とその後に行う宗教的儀礼。カレンは静かに目を閉じ、主に感謝を捧げる。その幼い顔つきが少しだけ眩しく思えた。
 義務でもなくまた自発的でもない、主への祈り。ただ日々の生活への感謝の祈りを捧げるシスターの姿に、ライダーはしばし魅入ってしまう。
 そうして彼女は祈り終えると出ていった。
 襖が閉じられてもライダーはカレンが手で行った後を見つめ続けた。
「カレンちゃんって礼儀正しいよねー」
 うんうんと横で頷く大河の声をどこか遠いもののようにライダーは聞いていた。


 その次は掃除をしている時のこと。
 ライダーは力持ちである。荷物で詰まっているタンスでも一人で軽々と持ち上げられる。そのため模様替えや大掃除の時にかり出されることが多い。
 埃で人は死なないとライダーは思っていたが、昔は上姉様と下姉様、今は士郎と桜によって掃除を余儀なくされていた。
 もちろんライダーだって汚いところよりも綺麗なところの方が好きだ。自分の部屋だって、本が山積みになっていてもきちんと掃除している。
 けれど身の回りがきちんとしていればよいとも考えていた。納戸や物置は埃が多少積もっていても問題ない。年末の大掃除にきちんとすればいい。そう考えている。しかし家主は違うらしい。
 月に一度は大掃除の日が定められ、ライダーはそれにつき合わされる。イヤイヤというわけではない。前にも述べたとおりライダーは汚いところよりも綺麗な方が好きだ。上姉様と下姉様に叱られ続けたからではない。けっしてそんな理由ではない。
 ――ともかく。
 今回の大掃除は納戸のものを並べ虫干しするというもの。
 よくわからない奇々怪々な品々が庭に所狭しと並べられ、ある意味壮観である。大河が持ってきたもの、士郎が投影で創り出したもの、よくわからない工具、ジャンクパーツなどの品々が並べられるとはたきがけを行う。それを行うのは主に桜とセイバーの役目で、力がある士郎とライダーは品出しである。
 そこへカレンが、私も手伝いましょう、と言って参加してきたのである。
「教会ではすべてが主への奉仕でしたからこういうことには慣れています」
「でも客人に――」
「あら衛宮士郎は私とライダーやセイバーを区別するというのかしら?」
 にこりと笑うと目を細めて語り出す。
「私も教会の修繕が終わるまでは同じ居候ですから、構わないでしょう」
と言って強引に加わったのである。
 はたきをかけながら桜とセイバーとカレンは談笑している。教会では日々の修繕や雑用はみんなで行い、それだけで生活できるようにしていたという話を桜は興味深そうに聞いていた。
 それを横目に見ながら、ライダーはよくわからない大きな鉄の器械を持ち上げると、士郎に尋ねた。
「これはどちらへ?」
「あ、それは外へ。あとで油をさして動くかどうか確認するから」
「わかりました」
 ライダーは頷くとその大きな器械を外へと運び出す。
「サクラ、これはどこに置きます?」
「あ、それはね――」
 はたきがけをしていた桜はライダーに対して新聞紙かひかれた木陰を指し示す。
「それはあっちにお願いね」
「はい、わかりました。サクラ」
 そうして軽々とその大きくて重い器械を運んでいく。
 爽やかな風が通り抜け、暑さが少しだけ和らぐ。もう暦の上では秋とはいえ、まだまだ残暑は厳しい。それでもふとした時に、もう秋なんだと感じる。
 ライダーがカレンの前を通り過ぎる。
 カレンははたきがけを丁寧なような、ぞんざいのような、よくわからない感じで仕事をしていた。
 カレンは帽子をかぶっているが、それは大きすぎてずり落ちそうなほど。それを手で押さえながら、どこか辛そうにしていた。どこか具合が悪いのかもしれない。
「――どうしましたか、カレン」
 気が付くとライダーは話しかけていた。何気ない一言。なのにライダーは言い終わってから、つい言ってしまったと後悔にも似た何かを感じた。
 きょとんとした表情のまま、カレンの金色の瞳が真っ直ぐライダーを見据えた。しかし焦点は合っていない。どこか遠くを、そしてどこか近くを、目に見えない何か別の物を見ているような、どこか変わった眼差し。
 美しい金色の瞳が陽光を浴びてキラキラと輝いていた。それが一瞬だけ焦点が合う。
 しかしそれも一瞬だけ。すぐに焦点はズれ、どこか遠くを見つめてしまう。
「いえ、大丈夫です、ライダーさん」
 シスターはにっこりと笑う。子供っぽさを残した可愛らしい笑みで答えると、視線を下に落として、並べられた品々に再びはたきをかけ始めた。
 その時、その金色の瞳に宿ったものがライダーの心に残った。
 それは何と言っていいのだろうか?
 何か昏くてどろどろとした感情が入り交じった何か。
 そうとしか表現できないものを含んだ眼差しに。
 なぜかライダーの胸は掻きむしられたように感じられた。


 それからライダーはカレンのことを注意深く見るようになった。
 しかし居候のシスターはいつものとおり。
 触れることもなく、交わることもなく、ただ過ごす日々。
 時折感じられる、意味ありげな視線。
 それがちょっとだけライダーの癇に障った。
 そして――それが気に障るのか、それとも気になるのか、それもライダーにはわからず、なぜかイライラした。


 それは何もない長閑な午後のこと。
 ライダーが読書している時にどこからかメロディが流れてくることがある。
 オルガンの音。旋律はしっかりしていてピッチもいい。しかしオルガンが悪いためか時折気の抜けたような音になる。
 それでも重々しい韻律を含んだ礼拝めいた演奏は、どこかやさしげで、どことなく繊細で、静かに厳かに衛宮邸に響き渡る。ただ静かに、ただ厳かに、低く、高く、なお重く、なお突き抜けるように。
 その音に誘われるように、本をもったまま部屋の外に出た。
 土蔵からだった。
 一歩近づくたびに音はより繊細に、より大胆に奏でられていることがわかる。
 そして土蔵の中を覗き込んでみると、士郎とカレンがいた。カレンがオルガンをただ静かにひき、その横で士郎が聞いている。
「――士郎、これは?」
 演奏の邪魔をしないように声を落として尋ねる。
「ああ、ライダー。実はカレンがどうしてもこれだけが欲しいといったのがあったので」
「オルガンですか?」
「いやピアノとかでもよかったんだけど、うちにあるのはこれだけなんで」
「オルガンなんてあったのですか?」
「ああ」
 士郎の視線がカレンへと移る。それに誘われてライダーも見てしまう。
 カレンの指が激しく複雑に動く。足がペダルを踏み、そして離す。それは踊り。鍵盤の上を踊る激しくも優雅なダンス。そのたびに美しい不協和音の旋律が土蔵に満ちていく。
 奏者のシスターに相応しく、天にいます我らが父よ、の力強いメロディが厳かに響き渡る。強く、低く、また強く、さらに低く、轟く音がこの空間を埋め尽くしていく。広がっていく。満ち満ちていく。
 オルガンが悪いのか、時々しまりの悪い音がでることがあったとしても、充分に優れた演奏だった。
「カレンが運指法のために鍵盤が欲しいといったんで貸すことにしたんだ。こういうのって一日でも怠ると三日は後退するっていうからさ」
「そう――ですか」
 ライダーは士郎の言葉をあまり聞いていなかった。
 見ているのはカレンの華奢な姿だけ。
 聞いているのはカレンの重々しい演奏だけ。
 カレンだけを感じていた。
「カレンが昼間演奏して煩いかもしれないけど、ゆるしてやってくれよ」
「ええ――構いません」
 ただ踊るように、祈るように、ひそやかなのにに、力強い演奏を続けるカレンをしばし見つめると、ライダーは土蔵から離れた。
 それからは厳かに流れる賛美歌に包まれながら読書に浸ることがしばしば。
 文字とアルコールと演奏に溺れ、酔いしれ、浸る日々をライダーは過ごすことになった。

 時折、演奏が聞こえない午後もあるが、それはカレンが藤村邸へ行った時だとライダーは後で知った。
 大河がうまれた時にお淑やかな女性になるように藤村家ではピアノを購入したのだが、使われ事はなくしまわれて肥やしになったままだとか。もしよければ自由に弾いても良いと雷画に言われ、言葉に甘えてカレンは時々に弾きに行くらしい。
 そんな時は何かが欠けたよう。文字とアルコールに溺れながら、ライダーはふとしたことでカレンの演奏を思い出し、そしてそれを振り払うようにまた文学とアルコールに浸るのであった。


 それはお風呂の時。
 ライダーはお風呂は深夜に入ることが多い。髪を洗うのに時間がかかるから。なので前に一度、士郎からせっかく綺麗な髪なのにボディシャンプーで洗うだなんて――といわれてからはきちんと髪用のシャンプーで洗うようにしている。それでもリンスは使ってない。
 とにかく今まで呼んでいた本も読み終わり、意外などんでん返しとハッピーエンドの結末に心地よい読後感と達成感を覚えながら、脱衣所に入る。
 と風呂場に明かりがついていた。
「誰か入っているのですか?」
 声をかける。
「……あ、はい」
 その声にドキリとする。囀りのようなカレンの声だった。
 脱衣篭を見るといつものカソックが入っていた。
「失礼しました、また――」
 後で、と言おうとすると曇硝子の格子が音を立てて開き、バスタオルで体を包んだカレンが脱衣所へ出てきた。
「今ちょうど出るところです。わたしの残り湯でよければどうぞ」
「いえ――それはいいのですが」
 カレンはその華奢な躯に心が鷲掴みにされたよう。
 幼い体つき。その体のあちこちは傷つき、醜い疵痕が残っていた。そして微かに薫る匂いに――くらりとライダーは眩暈を覚えた。
 ライダーはカレンから一歩下がると、いけない、と頭をふった。
「――どうしましたか?」
「いえなんでもありません」
 怪訝な表情で尋ねてくるカレンに手を振って、なんでもないことを強調する。
 そうですか、とカレンはライダーの奇異な行動を気にもせずに、体を拭き始める。その姿にいまだ魅入ってしまう。
 あばらの浮いた華奢な体。
 またいとけない体に浮かぶ疵痕。
 火照って薄桃色に染まった肌に張りつく濡れた白髪。
 いまだ幼く華奢な躰は匂い立つような曲線を描きだそうとしている。
 幼いゆえに醸し出される色艶に一目見ただけなのに、ライダーはしばし見惚けてしまう。
 ライダーは美綴綾子の躰とついつい見比べてしまう。
 綾子のような大人へとなりかけている青い果実ではない。陰毛さえいまだ生えそろってはいない、ほんとうに幼い子供の躰。
 なのにその艶めかしい躰はライダーの心を捕らえて放さない。
 思わずライダーは手を伸ばしていた。
 触れたくて。
 ほんの少しでいいから、さわりたくて。
 それだけでいい。
 それだけできればいい。
 もう少しで触れられるという時に――カレンは後ずさった。
「――あ」
 ふっくらとした唇から声が漏れる。
 カレンはバスタオルの陰から見つめていた。
「なにか?」
 冷たいカレンの声。少し辛そうな、なんだか苦しそうな、そんな声にライダーは我に返る。
「い、いえ」
 ライダーは伸ばしていた手を引っ込めると、後ろを向いた。なぜだか判らないけれど、見ていてはいけないと直感していた。
 背後から感じるカレンの視線に、なぜか浮ついてしまう。それさえもどうしてだかわからない。冷ややかな視線を背後に浴びながら、ライダーはただ立ち尽くした。
 聞こえるのは衣擦れの音に、なぜかドキマギしてしまう。
 居心地が悪い。ならば脱衣所から出ていけばいいのに、ライダーは留まってしまう。いや留まっていたい。もう少しだけ。ほんの少しだけ。
 ライダーはなぜか頬が熱くなるのを感じた。まるで火が出ているかのように熱い。おかしい。そんなことはないのに。アヤコの時にはこんなことはなかったのに。サクラの時も、士郎の時も、こんなことはなかったのに――なのにどうして?
 ライダーの頭の中はぐちゃぐちゃになっていく。胡乱に、曖昧になっていく。なって――しまう。どうすればいいのか、どうしたいのか、そもそも何がしたいのか。それさえも判らない。
 苦しくて辛い。辛いのに居たい。居たいのは――なぜ?
 ライダーはそ豊満な胸に手を当てる。胸がドキドキしていた。ありえないこと。英霊なのだから、たとえ使い魔となって現界していたとしても、こんなことになるわけはない。ここにいるのは英霊の座にいる本物のコピーなのだから。
 わからない。ワカらない。ワカラナイ。
 ただ思い浮かぶのはあの冷たい金色の瞳。冷酷な光を湛えた瞳はまるで鏡のよう。ライダーの胡乱な心を映しだしてしまうとさえ錯覚してしまうほど。
 何もかも見透かしたような、何もかも見下したかのような、その金色の――。
「お待たせしました」
「――っ!」
 突然声をかけられて、ライダーは驚き、振り返る。そこにはいつものカソックを着込んだカレンが立っていた。
 きょとんとした表情でライダーを見ると、カレンは微笑みけてきた。
「私は済みましたら、とうぞ。ごゆっくり」
 そう言って会釈すると白いシスターは出ていった。
 残り香がふわりと薫る。湯上がりの爽やかな石鹸の香り。それに混じってかすかに漂うあの匂いがライダーの鼻腔をくすぐった。
 ライダーは風呂に入ることもなく、また服を脱ぐこともなく、ただカレンが出ていったドアをしばし見つめ続けた。


 それは団欒の時のこと。


 でもう少し色々とあってからの続きは以下のもの。


「貴女のことは嫌いです」

 目の前の白いシスターはきっぱりとライダーに告げた。
 その言葉にライダーはなぜか胸に渦巻く熱くて昏いものを覚えた。ちりちりと焦がすように熱く、なお昏いそれ。それがライダーの胸の中で渦巻くと同時に、カレンは一歩退いた。
 その白い肌はますます白く、額には汗が滲んでいた。その薄い唇は何かをしゃべろうかとするかのようにかすかに開くが、かすかに荒い吐息を漏らすだけ。

「――そう」

 ライダーは苛立ちを覚えた。あの仮のマスターである慎二にさえ覚えたことのない焦燥感にも似た奇妙な感情。
 言葉を発するやいなやライダーは長い髪をたなびかせて一気にカレンに近寄る。
 カレンの顔が歪む。それは苦痛? それとも――。
 嫌がるように体を縮ませるカレンの両手を掴むと壁に乱暴に押し当てた。

「――いや。乱暴にしないで」
「すみません、カレン=オルテンシア。わたしは背が大きいうえに馬鹿力なのもので」

 顔を近づけて、耳元で囁いてやる。
 それだけでカレンは、ああ、と呻き、何かから逃れるようにその幼い体を捩らせた。
 その姿は肉食獣に捕まった哀れな草食動物のよう。力無く首をふり逃れようともがくが、それはただ加虐心を掻き立てるだけ。まるでライダーを誘ってる媚態に思えた。
 ライダーの吐息が触れるたびに、視線が撫でるたびに、この幼いシスターは喘いだ。
 苦痛に? それとも――?
 そんなカレンの姿を見ているだけで、ライダーの中のなにかが膨れている。暗くて焦げるように熱くてなお昏いそれが、ゆっくりとゆっくりと膨れていく。

「……乱暴にしないで……お願い……」

 途切れ途切れのか細い声がその昏いものを駆り立てていく。この哀れな態度は淫らに誘っているかのよう。ライダーはその体に視線を動かす。
 華奢な体つき。怯えたような、けれどどこか嘲るようなそんなわからない金色の瞳。薄い唇は半開きで何かを求めているかのよう。カソックの襟から覗ける首筋はこんなにも細い。そのくせ握りしめている腕にはやや細すぎるが、柔らかに肉がついていた。
 ところどころ見え隠れする包帯と消毒薬の匂い。そしてそれに隠れるようにひそかに香る幼い少女特有の匂い。
 そして薫る豊潤な――。

「乱暴にしないで?」

 ライダーは繰り返すようにしゃべって、はじめて乱暴に取り扱っていることに気づいた。両手を握り動けないようにして、その華奢な躯を壁に押しつけている。確かに乱暴だった。けれどライダーはやめる気がなかった。
 その金色の瞳に浮かぶ怯えと嘲り。被虐と加虐が入り交じった不思議な瞳を覗き込むと、ライダーはそこに自分の姿を認めた。
 飢えていた。
 渇いていた。
 欲情していた。
 あさましく、いやらしく、そして賤しい自分がそこにいた。

「……痛い……ヤメて……」
「……本当にイヤですか?」

 躯を捩らせ逃れようとする彼女にそっと尋ねる。彼女は泣き出しそうなまでに潤んだ瞳がかすかに揺れた。
 その瞳に浮かぶのは苦痛? それとも――悦楽?
 そして薫るのは……。

「本当にこうされるのは嫌いですか?」

 もう一度だけ静かに尋ねる。自分でも驚くほど静かな声だった。その声にシスターは躯をびくりと震わせると、静かに目を閉じた。
 静かな顔だった。居間まであった臆病めいた草食動物のでも、皮肉めいた女の子のでもなく、それは――

「――貴女が望むなら」

 すべてを受け入れる聖女の顔だった。
 そして豊潤なまでに薫る、甘い、甘い血の匂い。


とここからエロの予定でした