没原稿より

肩書き


 僕は事務所の扉をあけると同時に、メリークリスマスと言った。
 いささか元気いっぱいな腕白盛りの子供じみた行動だったかもしれない。
 でもこうしてこの仕事場に入るのは意外と新鮮で、これなら来年やってもいいかな、と思った。

 すでに橙子さんがいて、メリークリスマス、と手をあげ返事してくる。
 まぁ橙子さんには自宅でもあるのだから僕より早くいるのは何にも不思議ではない。
 いつもの事務所。
 見覚えのある構図に間取り。
 なんの問題もない。
 ただひとつ。
 橙子さんがサンタガールの格好をしてなければ。

「ニアッテイマスネ」

   我ながら、なんともいえない声だった。とにかく頭の片隅から言葉をひろってつなぎ合わせた結果がこの言葉。まだ頭が動いているのが不思議なぐらい不思議な風景。
 目の前の真っ赤なコートで全身を隠している橙子さんは白いボンボンのついた赤い帽子を被り、全身赤づくめだった。
 化粧がもう少しケバいものだったら、キャバクラ嬢か風俗関係だと言い切れたかも知れない。もしもいったら、僕の余命はなくなってしまうだろうけど。

「――――お世辞はいいのよ」

 煙草をくわえながら笑われると、まさに水商売をしている女性そのまんまに見えてしまい、橙子さんに見せつけるように、ワザととても深く溜め息をついた。

「――――で、その格好は何の余興です」
「いえ、そのまんまよ」
「……サンタ、ですか」
「そうよ。今日クリスマスだし」
「…………」
「…………」

 脱力してそこにヘナヘナと崩れ落ちそうだった。
 しかしここで崩れ落ちてはいけない。歯を食いしばって力が抜けていく脚を踏ん張って立ち上がる。

「……サンタに関する蘊蓄は結構ですよ」
「…………ちっ」

 なんだったんだろう、今の舌打ちは。
 精神衛生上なるべく考えないようにした。

「で、今日のユニフォームはそれね」

 磨かれた爪が綺麗に輝く形の良い指が僕の机を指さした。
 そこには赤と白のサンタの衣装。丁寧に付け髭までおいてある。
 僕は視線を少しだけ見知らぬ虚空を彷徨わせてから、橙子さんを見た。

「質問があるのですが……」
「いいわよ」

 笑いながら橙子さんは煙草に火を点けた。

「――なぜ?」
「なぜって、営業にいくのよ」
「サンタの格好で?」
「もちろん」

 断定された。されてしまった。
 しばし気まずいような沈黙が場を支配する。僕が感じている空気の重さを雇い主はこれっぽっちも感じていないようだった。

「――――なぜ?」

 ようやく理性が戻ってきて、疑問を提示する。
 なぜこんな格好なのか? なぜこの時期に営業なのか? なぜ、なぜ、なぜ? ――頭の中が疑問で溢れかえってしまい、それが口から零れ出ていた。

「去年の実績よ」
「……実績、ですか」

 我ながらすっとんきょうな声だった。
 ひび割れているクセに妙に間延びしていて、脱力感がそのまま言葉になったかのような声が虚ろに響いていった。

 橙子さんはすっと立ち上がる。コートがその全身を隠し、足首さえ見えない。血のように赤い色に全身がそまっているかのよう。こちらを誘うように、妖しいオンナの貌で見つめる。
 眼鏡の奥の瞳は蠱惑的に揺らぎ、濡れているように見えた。

「……こういう格好をするとね」

コートの合わせ目に手をかける。ちらりと見える細い手が、やけに白く見えた。
 唇だけが嗤う。そこだけがはっきりと化粧されたオンナの箇所。こってりと赤いルージュがひかれた唇がゆっくりと蠢く。それは魔性の笑み。オンナの笑み。人を堕落させて嗤う魔女の――――笑み。

 喉がごくりといやに大きく鳴った。
 その体を見せつけるようにくねらせて、そうして撫で回すかのように動かす。
 いやらしい手つき。やらしい腰の動き。いやしい僕の心。
 それを見透かすかのように、悩ましげに、みせつけるかのように、媚びるかのように蠢かしていく。
 白い手が誘うように動くと同時に、赤いコートが音をたてて落ちる。
 そこにはぴしっと空色のスーツを着込んだ、いつものマニッシュな姿があった。

 …………。
 …………。
 …………。

 くすくすと橙子さんは笑う。

「あら、何を期待したのかしら?」
「…………イイエ、ナンニモ」
「声が固いわよ」

 橙子さんはやんちゃそうな笑みを浮かべ、僕の心の奥の欲望を見透かすようにクスクスと笑い続けていた。

「まぁ真面目な話ね。クリスマスに手土産を持っていくと受注率があがるのよ」
「――――はぁ」

 気の抜けた返事しかできなかった。

「――でこのサンタの格好は?」
「演出」
「その赤いマントは?」
「遺品」
「へぇ……って」

 つい遺品といわれた品をしみじみと見てしまう。紅い天鵞絨のような滑らかな、そしてまるで濡れた血のような朱い光沢を帯び、艶めかしかった。
 そういうものを使っていいのかわからないけど、橙子さんは心底嬉しそうににやにやしていた。
「じゃあ頑張ってね」
「えっと橙子さんと二人で……」
「何言ってるのよ」

 きょとんと驚いたような橙子さんの顔。

「そういうのはね、幹也君。あなたがやるのよ」
「…………ええっと、ということは……」

 ちょっと渇いた声がしらないうちに僕の喉から漏れた。僕の一生であまり聞いたことのない声。あまり聞いてはいけない声。
 橙子さんはこくりと頷くと、自分を指さすとこう言った。

「わたしは図面を描く人」

 その言葉に頷く。

「そしてあなたは雑用。そういうことをする人」

 …………。
 …………その言葉に頷かざるえない僕。

「というわけで、営業部長として頑張ってきてね」
「いつそんな役職になったんですか」
「……あら入った時からよ。知らなかったの」

 ハジメテ キキマシタヨ、トウコサン

 うまそうにスパスパと煙草を吹かす所長はきっぱりと言い切った。

「だって部長以上は役職だから、経営側になるのでいくら残業しても残業にならないのよ」

 …………そういえば、たしかそんな労働基準法があったような気が……。

「だからわたしは所長でオーナー。幹也君は実は社長で営業部長で経理部長と渉外部長でもあるの」

 ……ハジメテ シリマシタヨ、ボク シャチョウ サン ダッタンデスカ

「――というわけで部長。お願いね」

 所長にしてオーナーである橙子さんは艶やかな笑みを浮かべて、部長して社長である僕を事務所から追い出した。

 ……ソウカ……ダカラ、ボク ノ キュウリョウ ガ デナクテモ『ホウテキ』ニハ ナンノ モンダイ モ ナイノカ……。


 あまりにも哀しくて泣き出しそうだった。
 あまりにも寒かったので、僕は誰かの遺品であるという赤いマントをただぎゅっと抱きしめるしかなかった。

 とーとつに終わり。

 没の理由

 まずこれはクリスマスネタでしたけど、没に。
 読めばわかるけど、焦点がボけてしまい、よくわからなくなったから。
 ちなみに役員は経営陣となり「雇われる側」ではなく「雇う側」になるので労働基準法は適応されないものが多いです。あれはあくまで「雇われる側の権利」のための法律なので。
 だからたぶん幹也くんの状況を考えてみるに、いろんな役職扱いなんだろうなぁ、と。
 これなら橙子さんが給料を時々支払わなくても『法的』には何の問題もありません(笑) 彼が最初おこなった弁護士さんとの書面のやりとりは実は社長就任のための公式文書作成のだめでなかったとか邪推(笑)しています。
 クリスマス用として1年へて公開(爆)
 そして恥ずかしいからこそーりと公開して、リンクには登録しません。