橙子#9
「溜め息」
「ねぇ、幹也君」
いつもの猫なで声。退屈な時、はたまた仕事が詰まった時、あるいは仕事がつまらない時に出す、ボクをからかう時につかう独特な声だった。でも僕は無視した。忙しいのだ。
「――ねぇ」
僕は無視して帳面をいじる。クライアントに提出する契約書を明日までに完成させないといけないのだ。契約書だからきちんと法規的な書面として確認する。いつもの作業といってもいいけど、ミスがあったらややこしい事にくなるのはわかっているから何度も見返してしまう。
「――ねぇ」
無視しても諦めず声をかけてくる。懲りない性格は魔女のためか、はたまた生まれつきなのかどうか。
気にしない。きにしてなんかいられない。無視。シカト。アウト・オブ・眼中。とにかく今はこの書類に……と思った途端、書面の上に手がのった。マニキュアの塗られた磨かれた爪がとても綺麗だった。がそんなことはどうでもいい。
僕は諦めて溜め息をついてその手の主――橙子さんを見た。
「仕事中ですよ」
「書面一枚でそんなに時間をかけない」
きっぱりと云われてしまった。
「――正論ですね」
たしかに少し偏執狂気味だったかもしれない。しかしそれは仕方がない。給料が時々滞る職場に勤めているのだから、こういうきちんとお給金が出そうな仕事をきちんとこなしたいと思うのは、仕方がないと思う。
でも諸悪の根元である橙子さんは煙草を吹かしながら余裕綽々の笑みを浮かべていた。
「――でね。とうとう見つけたのよ」
「何がですか？」
にんまりと笑う橙子さん。イヤに予感がする。
「『 』に至る道をよ」
「オメデトウゴザイマス」
「――ちょっと信じていないでしょう」
「イイエ、ソレハトテモヨカッタデスネ」
「……なによ、その棒読みみたいな口調は」
一般人にそんなことを云われてもこまるし、どう反応していいのかも困ってしまう。かといって鮮花にいって大喜びしていたら、兄として妹の行く末を案じてしまう。大輔兄さんは橙子さんが魔女だと知らないし、式は聞く耳をもたないだろうし――となるとやっぱり僕が聞くしかないのか。
また溜め息をついた。
「……なによ、その反応は」
「……ごくこぐ一般的な一般人からの反応だと思います」
橙子さんは眼鏡を外した。冷たく輝く、冷酷な魔女の瞳に居すくまれそうになる。
「まぁいい、黒桐。不問にしておく」
そういった煙草を旨そうに吸った。しばし紫煙の中にたゆんでいた。
「で、だ。なにを見つけだしたと思う」
「それを云ってしまってもいいんですか？」
「ああ。神秘の隠匿についてなら問題はない。確かに『 』に至る道について述べたらそれはすでに魔法ではなく魔術になる。力を分けることになるからな。だからといって魔法の入り口である魔術の、しかも誰もが知っている可能性があることについて述べても力は減ることはない」
「――――話したいんですね」
「すなわちだな、黒桐」
誤魔化したな、と思ったが、ここでごねても仕方がない。気づかれないように溜め息をついて、拝聴することにした。
「『 』というのはすべての源である。すべてのもの。混沌でありながら秩序であり、矛盾も含みながらどこにも破綻がない、すべて。それが『 』だ。そこに辿り着くために必要なものがわかったんだ」
「――なんですか」
「聞いて驚け」
ぐいっと近寄る。
耳元に唇を寄せる。かすかにふれる吐息にちょっとドキリとしてしまう。 誰にも聞かれないように、魔女である橙子さんは囁いてた。
「それはだな､黒桐。ゲッター線だ」
…………。
…………。
…………。
…………ハイ、ナンテ イマ オッシャリマシタ カ？
橙子さんは自信満々で語り続ける。
「ゲッター線はすべての生命なのだ。光線のくせにエナジーで粒子で、そして意志なんだよ」
…………。
…………。
…………。
…………エエット、ナンテ イエバ イイノカ……。
「爬虫人類を滅ぼし、人類を覚醒された未知なるエナジー。それがゲッター線なんだ。それは神秘、奇蹟といっても過言ではないだろう。ということはゲッター線は『 』と繋がっている道であるといえるわけだ」
…………。
…………。
…………。
…………トウコサンッテ……（Web上不適切な表現があったため削除されました）……ダシ。
僕の顔がよほどおもしろかったのだろう。橙子さんはきょとんとした顔で僕を見つめた。
「――どうした、黒桐？」
僕は溜め息をついて、橙子さんのロッカーまでいくと開けた。
「こ、こら。人のロッカーを開けるのはプライバシーの侵害だぞ。まして異性のロッカーなんていったら……」
そこにあるゲッターロボ。ゲッターロボ號、真ゲッターロボ、ゲッターロボアークといった漫画をぜんぶ掴むと窓から力いっぱい放り投げた。
充分重みのある漫画たちは綺麗な放物線を描いて、となりの駐車場の空きスペースへと落ちていった。そして少し軽い渇いた音が静寂に広がった。
「あ、なにをする。人の大事な資料を」
「漫画なんか読んでないで仕事してください」
僕は眼鏡をかけてない橙子さんをにらみ付けた。まるで息が詰まったかのように言葉を失う橙子さん。
「……な、なぁ黒桐。わたしは魔女であって生計のために工房をひらいているのであってだなぁ……」
「……仕事をしてください」
「……だ、だから、『 』に至れればその夕方には死んでも良いと孔子もいっているぐらいだし……」
「仕事してください」
「…………あーー、黒桐」
「し、ご、と、し、て、く、だ、さ、い」
「…………………………………………………………わかった」
すごすごと引き返す橙子さんの背中を見ながら、僕はもしかしたらずっとこんな調子なのかな、とイヤな未来を思い描いてしまって、溜め息をまたひとつ。
「溜め息つくたびに幸せがひとつ逃げていくっていうわよ」
橙子さん、あなたにだけは、云われたくありません。
ボツにした理由
みてのとおり、着陸地点が見つかってないから（笑）
ただゲッター線の話しをかきたかっただけともいいます（笑）