橙子#7
「血のつながり」

 
 
 殴った。
 殴った。
 殴った。
 殴った。
 殴った。
 手が痛くても。
 拳から血が噴きででも。
 引っかかれても。
 首を絞められても。
 噛みつかれても。
 殴った。
 ただひたすらに。
 殴り続けた。
 
 
 
「…………」
「…………」
 
 そして二人は力つきて倒れ込んだ。
 すでに夕闇もきえ、昏い夜の帳がおりていた。
 遠くから車のクラックションが寂しく鳴り響いた。
 
「……姉さん」
「……あおあおのクセに」
 
 ふたりは、ゆらり、とまるで死霊のように立ち上がる。
 顔をはらし、服は乱れていた。肌には痣ができ、体中ひっかき傷と打撲のあとが痛々しい。下着さえ見えるぐらい、ひどい有様だった。
 なのにふたりは対峙した。
 姉妹――蒼崎橙子と蒼崎青子――は目におぞましいほどの憎悪を滾らせながら、互いを見つめ合った。
 
「このショタ」
 
 最初に口火をきったのは姉だった。
 
「それのドコが悪いのよ。このスレたふりした純情ぶりっ子」
「ああ、なにをいう。この小さい男の子なら誰でもいいんだろう」
「姉さんにはわからないのよ、あの雨にスブ濡れになって、縋るようにこちらを見つめてくる子犬のような震えいるあの目の良さが」
「わかりたくないね。そんな体の生育しきっていないような餓鬼なんかに欲情するような変態が家系から出るだなんてね」
「だから、姉さんはまだ処女なのよ」
「それがどうした。半ズボンがよく似合う可愛い男の子ならなんでもいいだなんていう淫売にいわれたくないな」
「時計塔のお局様になりたくなくて逃げ出したような姉さんにこそ、いわれたくないわね」
 
 バチバチと飛び散る火花。空気が焦げ臭い。
 
「うるさいわね、あおあおのくせにっ!」
 
 橙子は目をむいて、あたかもヤクザのように恫喝する。
 
「だいたい、あンたはわたしのところから魔眼殺しの眼鏡を盗んでいったでしょうが、この泥棒。人様のものに手を出すなんて、しょせん腐った人間ね。泣いて土下座し、『お姉さまお許し下さい』ってわたしの靴に口づけでもすれば許してあげないこともないわ」
 
 そういって橙子はすらりと足を差し出し、足先にひっかかっているパンプスをこれみよがしに揺らす。
 ぎろりんと、青子の目が輝く。しかしそれは一瞬のうちに消え去って――。
 
「ゴメンね」
 
 あっさり、さっぱり、すっぱりと。
 
「わたしが悪かったらから許して♪」
 
 これ以上なく明るく、これ以上ありようがないほど陽気に、そして朗らかに。
 なのに、空気が凍りついた。橙子の顔がひくつき、青子の目が細く、冷たく輝く。残忍までに冷たい愉悦を湛えた瞳で怒りに震える姉を見つめていた。
 冷徹な魔女2人が、口元に残酷な笑みを浮かべる。楽しくて仕方がないような、おぞましい笑み。
 
「どうしたの、お、ね、え、さ、ま
「……それがあやまっている態度のつもり? それが尊敬すべき姉に接する妹の態度?」
 
 ああーんと顔を残忍な笑みを浮かべる青子。
 
「はぁ? 尊敬すべき? ――なにそれ? おいしいの? まったく昔のことをぐちぐちとしつこいわね。ちゃんと謝ったでしょう。悪かったって。ネチネチとうるさいわね? 粘着気質?」
「あれをきちんと謝ったというのか、おまえは」
「じゃあもう一度言うわ。よく聞きなさい」
 
 一呼吸おいて、ゆっくりと大声で一言一言はっきりと言った。
 
わるかったです♪ ゴメンね。ゆるして♪
 
 橙子の顔がさらにひくつく。
 こめかみに血管が浮かび上がり、唇がわなわなと震えていた。
 
「――それがお前が出した答えなのか……」
 
 あまりの憤怒に橙子は眩暈さえ覚え、語尾が震えてしまっていた。そんなこと気にもせずに妹はにっこりと微笑んで答えた。
 
「そうよ。だって当主がいうんだから、これでいいのよ――ねぇ」
「そんなの、このわたしが許すわけないだろう」
「あーら爺さんから『どうぞわたしに』って遺産を譲ってくれたんだから、わたしが蒼崎の当主に決まっているでしょうに、やーね、更年期障害かしら? ひがみっぽい。それとも被害妄想気味?」
「あおあおはもう若年性痴呆症のようだな。それに遺産はあンたが爺さんを唆して奪ったんじゃないのか」
「はぁ、なぁに、だ、い、だ、い、こ、さ、ん?」
 
 ピキっ
 
 空気にヒビが入る。
 
「……その名で呼んだな、あおあおの分際で」
「あンたもその名でわたしを呼んだでしょ、おあいこよ」
あおあおって初恋の人に呼ばれて泣いたことを覚えているわよ」
「あーら、好きな人にだいだいこさんって呼ばれたのをわたしは見たわよ」
「そういえばあおあおはあのころから年下趣味だったな。幼児園児にヴァレンタインのチョコだなんてな」
「ああ、そういえばだいだいこさんはそのころから年上のおじさま趣味よね。小学生なのに30歳の先生に告白だなんて、わたしにはとてもとても」
「…………」
「…………」
 
 にらみ合う姉妹。
 
「……あーあ、こんなこと疲れちゃうわ」
 
 次に口火を切ったのは妹だった。
 疲れたかのように首を横に曲げ、盛大に鳴らす。
 そして姉にむかって憐れむような、ああお可愛そうにといった目つきで見つめながら、腕を組む。
 腕によってこれみよがしに強調されるのは――――胸。
 持ち上げられた胸はたわわにみのり、大きく揺れ動いていた。
 
「ほーらー、わたし、姉さんと違って……ねぇ」

 
 なにか言いたげな妹の視線に、姉は眼鏡――魔術回路のスイッチの制御――を外す。
 
「……なにが言いたいか、聞いてやろう。なに『可愛い妹』の冥土の土産だ。『慈悲深い姉』として聞いておいてやろう」
「いやだって……ねぇ」
 
 甘い間な意味ありげな言葉と視線を姉の薄い胸に向けながら、
 
「だから姉さんが――
 
 妹が浮かべるのは勝ち誇った笑み。至高の持ち得る者のみがまとうことが許される勝ち誇った憐憫のそれに姉の目は強く輝く。
 そんなのなんでもないと。
 肉体的形状によって優劣なんて決まらないと、そうその目は語っていた。
 しかし、妹はふたたびあの笑みを浮かべる。
 
「――どうして変態に走ったのかと再認識しただけよ。
「年下好みは今の流行りだし、そもそも正常の範疇だけど、麗しのお姉さまにはねー」
 
 ちらりと妹は姉を意味ありげに見る。
 
「あーあ、ヤダヤダ。女子校育ちって。わが偉大なる蒼崎の家系からそんな変態がでるだなんて思ってもいなかったわ」
「あぁ?」
 
 目を剥く橙子。血走った瞳がとてもでんじゃらす。
 
「わたしがどこで誰を相手にしようともかまわないだろうが」
「あら、わたし当主だし。下々の者の生活態度はきちんと指導しないとね」
「誰が貴様なんぞに指導されなければならんというのだ。だいたいそういう人としての倫理などの拘っているようでは魔術師としては不適切だな。
 ――――はン。落ちぶれたな、あおあお」
 
 それに対して、妹は見せつけるかのようにその大きな胸を反り返らして、さわやかに一言。

「――そうよ。だってわたし魔法使いだもん。あなたのような魔術師とは、ち、が、う、わ」
 
 風が吹き草むらがざわめくと同時に漏れる笑み。それは渇いた、でも邪悪な血に渇望しきった魔女の笑み。
 風がむせびなき、横殴りの雨がふたりを叩きつけ、雷鳴が轟く。
 
「「……ふ、ふふふ……ふふふふふふふふふふ」」
 
「「――――殺す」」
 
 ふたりはまた殴り合った。この嵐にあたりに聞こえるほど、力強く。
 そして夜が明けるまで姉妹は執拗なまでに殴り合い、ひっかきあい、噛みつき合ったそうな。
 それはとてもよく似た姉妹のお話。血のつながりはとても怖いというお話。
 

 
没の理由
 
 いやこれ以上書けなくてギブアップ。オチがみつからずあえなくボツに。
 ちなみにこれは40%の60Lさんからのリクエスト。蒼崎姉妹のキャッツファイト……だったのにどこがどうしたのやら(笑)
 どうしたらここまでひねくれるのかわたしにはわかりません。……とほほ。
 しにをさんから「いのちのふるさと」さんのマンガとネタかぶっているというご指摘にかなりしょぼーん。その部分は変更してアップ。
 ……前の方がおもしろかったというのは、いわないでね(苦笑)