橙子#6
「セクハラ」
 
 
「――そういえば橙子さん」
 
 黒桐は首をこきっと鳴らすと、尋ねた。なんとなくふと思った疑問。
 
「――ん、なにかしら」
 
 その蒼い髪を掻き上げながら、従業員の方を振り返った。
 
「どうして人形を作ろうとしたのですか?」
「――それはね、幹也くん」
 
 橙子はその朱色の唇に煙草をくわえ、そして火をつける。そして旨そうに紫煙を吐いた。その視線は消えていく紫煙のその先を見つめていた。
 
「それは魔術師だから『 』に至るために決まっているじゃない」
「……はぁ」
「質問はそれでおしまい?」
 
 幹也の目が少し泳ぐ。なんていうか腑に落ちてないというか、きちんとした解答を得られていないという表情に気づき、橙子は話を続けた。
 
「あぁ最近作ってないように見えるからかしら?」
 
 目元は柔らかく、口元にはやや皮肉めいた笑み。いじめっ子のような顔つきだった。
 
「…………えぇ、まぁ」
 
 幹也が少し口ごもると、ほらやっぱり、というような悪戯っ子めいた笑みを浮かべた。人によっては邪悪な笑みというのかもしれない笑みを浮かべながら、訥々と語り始めた。
 
「まぁ人形作りはある意味過程だからあんまり重要視してないのよね」
「……?」
「ほら、わたし魔術師だから」
「――――ああ、なるほど」
 
 幹也は納得した。
 魔術師は『 』に至るために魔術を極め、魔法にしようとしている。橙子の場合、その魔術とは人形だ。でも目的は人形を作ることではなく、人形を作ることで『 』に至るのが本当の目的。人形作りはただの方法でしかない。
 
 そのことに納得して、幹也は頷いた。
 
「――――しかしだな、黒桐」
 
 橙子さんは眼鏡を外した。普段は見せない冷たい笑みが似合う魔女の貌があった。凍えるほど冷たい蒼色の瞳。胸元に踊る橙色のペンダントがきらめいて、いやに目に付いた。
 
「しかしそれだけでもそう簡単にはいかないんだ」
 
 何もないとこに橙子さんは立った。壁のところにあるなぜかぽっかりと開いたスペースでこの乱雑な事務所にしては物が置かれていない唯一の場所だった。
 その場所の前に橙子さんは立つと、銜えていた煙草を指につまむ。そしてまるでオーケストラの指揮者がタクトをふるうかのように、煙草をふった。
 たなびく紫煙に赤い火。まるでされが残像のように跡を引いた。
 右。
 左。
 上。
 斜め。
 まるで文字や絵を描くかのように、滑らかに、よどみなく、動かす。
 残るはずのない残像に目が奪われてしまう。
 美しい曲線。
 艶やかな赤。
 火が空間を染めて――――いく。
 見とれてしまう。
 見惚けてしまう。
 音もなく、声もなく、ただ静かに描き出される曲線はまるで橙子さんが設計する図面のように美しかった。
 
 そしてそれも終わる。ぴたりと止まると、そこにロッカーがあった。
 
「……橙子さん……それ……」
「あぁ見えなかっただろう」
 
 にやりと笑った。
 
「いや見えないというより視界に入っていても脳が認識しなかったというべきかな」
「……はぁ」
「まぁ魔女のロッカーだ。気にすることはない」
 
そういって橙子さんはロッカーを開いた。
 
「…………っ!」
 
 そこに入っていたものを見た途端、幹也は止まった。
 そこにいたのは全裸の橙子が眠っていた。どこも隠されていない。胸の膨らみも下の茂みも、なにもかも晒されていた。
 
 幹也が固まったのにも気づかず、橙子はよいしょとそれを取り出す。そしてそっと丁寧に机の上に横たえた。
 
 いけない、と幹也は思った。とにかくいけないと思った。
 胸がドキドキしている。突然のことに苦しいぐらい。
 女性の裸ぐらいで、と思うけど、質善知り合いの妙齢の女性の裸というのは、とても生々しくて、思わずくらりとしてしまうほど。
 見てはいけないと思う。でも視線はその眩しいほどの裸身に釘つけのまま。
 顔が熱くなっているのがわかる。
 視線をそらそうとする。
 でもその胸の膨らみが、その艶めかしい曲線が、その茂りが、その柔らかそうな肢体が、幹也の視線を、心を掴んで離さない。
 
「ああ、黒桐。見ておけ」
 
 そんな幹也にもかまわず、橙子は自分自身の上半身を起こすと、口に指をいれる。
 
「まず歯だが、残念なことにわたしは虫歯になって治療した。ということはこの人形にも虫歯があり、かつ治療し完治した跡がなければならないことになる」
 
 まるで医師の卵に向かって教授が説明するかのよう。
 
「それよりも問題なのは体格の維持だ」
 
 胸の膨らみを無造作に掴む。
 
「ほら――掴んで見ろ」
「い、いえ、結構です」
「いいから、ほらっ!」
 
 橙子は幹也の手を掴むと乳房を握らせる。
 まず最初に思ったのは、冷たい、だった。まるで死人のそれに触っているかのように冷たく、なぜか背筋がゾっとした。
 
「動いていないから体温がないとはいえ、胸がまだ張りがある。ほら――もっともんで確認しろ」
「……って……あ、あ……あのぅ……」
 
 しどろもどろになってなんとか言い返そうとするけど、言葉にならない。それをまたずに橙子の蘊蓄と解説は続く。
 
「わたしの年齢ともなるとソレ相応に垂れる。わかるか、垂れるわけだ。もちろんそうならないように大胸筋を鍛えるのが美容の基本なのだが、この躰はわたしよりも『若い』」
 
 そういって胸を弄くる。その鼓動も感じない冷たい肌をなで上げ確認する。
まるで今すぐに目を上げて動き出しそうなほど、完璧な『橙子』。
 
「そのため、今のわたしとの差が生まれているわけだ。無論わたしはそのあときちんと大胸筋を鍛えたから垂れてはいなしいし、逆にトップとアンダーの差がついたからカップも1つあがったぞ」
 
 幹也は橙子の説明なんて聞いていなかった。
 ゆっくりと頭ってきた肌は滑らかで綺麗で、そしてなんともいえない柔らかさで、頭の中がそれだけになっていく。
 その柔らかさに。
 その滑らかさに。
 その心地よさに。
 
「となるとそれにあわせて、こちらも大胸筋を少しきたえ、カップをあげる必要がある」
 
 橙子の説明は続くが、幹也の頭の中は乳房でいっぱいになっていく。
 おっぱいだけに。
 おっぱいに。
 おっぱいおっぱいに。
 
「――――あ」
 
 幹也はその乳首がぷくりと膨らんだことに気づき、狼狽えた。
 
「ああ。たしかに眠っていて冷たくはなっているが基本的に“生きている”からな。それだけ熱心に揉めば反応もする」
「ね、ね、熱心って……」
「……違うのか?」
「…………いえ」
 
 幹也はなんとか橙子の裸体から視線を逸らすと、横に向いたまましゃべった。
 
「こ、ここまで……作る必要が……あるんですか?」
「あるに決まっているだろう」
 
 あっさり首肯する。
 
「限りなく“人間”に近づかなければ意味がない。『 』に至るのだから当然だろう」
「……当然だろうって……」
「それよりも、ほら今度はここだ」
 
 橙子は幹也の顔を掴んで無理矢理見せつける。
 そこは橙子の秘所。茂みの奥にあるオンナ。
 
「…………と、と、橙子さんっ!」
 
 悲鳴にも似た声をあげる。
 
「どうした? どこかヘンなところでもあるか?」
 
 橙子は指先で粘膜を開く。
 それを見ないようにきつく目を閉じて、両手をぶんぶんとふって否定する。
 
「そ、そんなところ」
「……重要なところだ、きちんと見ろ」
「み、み、み、見ろって……」
「ちなみに『わたし』だから、きちんと本物そのままだぞ」
 
 鼻で笑うように云う。
 とたん一瞬だけ見えた花びらが幹也の頭に浮かぶ。茂みの奥にある肉のすじ。そこからはみ出した肉襞。
 グロテスクなのに、生々しいのに、なのに――――なんてやらしい。なんて卑猥な器官。そんな格好だというのに、その肉襞がとてもやらしくて、幹也の頭から離れることもなく、また消えることもなかった。
 
「……ここもきちんと作る必要があるのはどうしてだかわかるか?」
 
 幹也は視線をズラしたまま。
 それに気づいているのかいないのか、橙子の説明は続く。
 
「もしなんらかの理由で死亡した場合。たとえば事故でいい。その場合でも司法解剖というものがありうる。死因の特定が必要だからな。場合によっては妊娠していたのかどうかも解剖して確認するわけだ」
 
 橙子は肉襞を掻き分け、粘膜をちょっと擦ってみる。その白い指はまるでモノのように粘膜を抉り、擦る。肉襞をつまみ、奥にまで指をいれて確認した。
 
「とうことで、ここもきちんとする必要があるわけだ。ほら、見ておけ」
「い、いいですよ」
「そうか。まぁ式ので毎日見慣れているか」
「見慣れていませんよ」
「――ほう。幹也も式もオーラル・セックスは嫌いか」
「――――っ! と、橙子さんっ!」
 
 幹也は真っ赤になって怒鳴った。顔は視線を向けないように下に向けたまま。
 
「ちなみにわたしは好きだぞ。どちらかというと大好きな部類だな」
「と、橙子さんっ!」
「ああ――――話がズレたか」
「ズ、ズレたじゃないでしょう」
 
 真っ赤になって抗議するが、橙子は煙草をうまそうに燻らせていた。
 
「は、早く――しまってください」
「なんだ――――潔癖性だな」
「…………」
 
 くすり、と橙子は笑う。
 
「わかったわかった」
 
そういって橙子は自分をロッカーにしまった。
 
「そんなに女に免疫がないとは――――式とは大変だろう」
「…………」
「まぁ睨むな」
 
 そういった煙草を灰皿に捨てる。
 
「――というわけでわかったな」
「――――はい?」
「ちゃんと人形も作っていると云うことだ」
「あ…………はい」
「では仕事に戻ろう」
 
 これでおしまいとばかりにいうと、橙子は眼鏡をかけ、デスクに座った。まだ顔が赤いまま、幹也もデスクに向かう。
 
 しばしペンが紙の上をすべる音が続く。
 
「――ねぇ幹也くん」
「なんです、橙子さん」
「興奮した?」
「……っ」
 
 ガタンと立ち上がり、橙子を見る。橙子はちらりと幹也の方を見る。その口元には悪戯っ子の、してやったりの笑み。その笑みに疲れたかのように幹也は深い溜め息をつくと、
 
「……セクハラですよ」
 
 なんとかそれだけを告げた。
 
「ふぅん、これセクハラなの」
「なにか不穏当なこと考えていませんか?」
「――――やぁねぇ、幹也くんったら」
「今の間はなんですか」
「ふふふ」
「笑って誤魔化さないでください」
「わかっているわよ」
「いいえ。橙子さんは……」
「…………」
「………」
「……」
「…」
 
 女性の楽しそうなからかう声と、男性の焦燥し疲弊しきった声。
 雇い主と押し掛け従業員の会話はずっと弾み続けた。
 
 
Q:これでおしまい?   A:そうです。なにか不満でも?
 

 
ボツの理由。

 いや、話中途半端だし(笑) これはのちさんのリクエスト。人形作りとしての橙子さんを、というのがなぜか幹也くんをからかう話に……なぜ?