移り香 オフライン版
「――どうしたんだ?」
と式がいぶかしげに言った。その言葉にドキリとしてしまう。
「なんでもないよ」
「ふーん」
納得していない様子。そのことは構わずに僕はお土産を渡すと、いそいそといつもの場所に座った。
式はじぃっとこちらを見つめている。まるで大型の猫のようだ。いや式のことを考えたら豹かもしれない。女豹なんて思った途端、ドキンとまた心臓が跳ねてしまう。
あの漆黒でまぁるい瞳が僕のことを見続けている。なにかおかしいところがないか。何か変わったところがないかって。
僕は居たたまれなくなり、またなにかするものを探して、つい首をポキリと鳴らした。
「――こっているんだな」
式の瞳がようやく柔らかくなった。突っ慳貪しているけど、でもやさしいいつもの瞳。
「ああ、橙子さんがいつものとおりでね」
「ばーか、橙子なんかの下で働いているからだよ」
「でも橙子さんのあの人形は凄かったからね……」
「ふーん。じゃあ自業自得だ」
いつもの会話。笑いながら式は近寄ってくる。そしてそっと肩にふれた。
「揉んでやるよ」
「あ、でも……」
僕は式をふりほどこうとするけど、式は器用に素早く後ろに回り込む。その時に浮かべた顔は心配そうな顔というよりイタズラ小僧のものだったように見えた。
「遠慮するなよ」
そういってその柔らかい指先がつぼを探してつつっと動き、そして押す。
ぐっと息が詰まるような感覚。痛いのか気持ちいいのかわからない。親指がぐりぐりとツボを押す。
「……っ」
「ほら、こんなに凝ってる」
式はほれみろといわれんばかりの表情で揉み始める。
強く弱く、そしてまた強く。ぐっと押し込むと数秒とめてゆっくりと離してくれる。
痛気持ちいい。
静かな時間。
時計が時を刻む音。
風がカタカタと窓を鳴らす音。
そして式の微かな吐息。
ぐっぐっと押す指先。
そこからながれる甘美な快感。
頭が真っ白になっていく。
思わず深く、深く息を吐く。体中が弛緩していく。
気持ちよくて、そのまま寝てしまいそう。
頭を掴まれるとそっと横に倒される。今度は逆。またボキっと豪快に鳴った。
式の含み笑いが吐息とともに襟元をくすぐった。
どうみても、式はマツサージしているというよりも、僕で遊んでいるかのようだった。
「――――――?」
いつの間にか式の動きが止まったのに、気づかなかった。マッサージが気持ちよくて意識が少し飛んでいたのだと思う。
式は寄りかかるように背中に顔を押しつけてきた。
式のぬくもりが布地越しに伝わってくる。
暖かいものがじんわりと広がっていく。
式の柔らかくしなやかな肢体を思いだしてしまって、ドキリとしてしまう。
いつもはあんなにきつい表情で乱暴な言葉遣い。でも抱かれると、あっという間に涙ぐんで頼り気のないものに変わってしまう。
その変化が、またたまらない。
やさしい吐息。
からみつく息。
肌の上を撫でるような、誘うような指使い。
式の温もり。
式の鼓動。
ああ――――僕は――――。
「…………幹也」
「――なんだい?」
「…………この香り、どこでつけてきた?」
ドキン
心臓がバクバクとなり始める。今まであった柔らかくそして期待に満ちた暖かいものはすべて消え去り、なにか冷たいものが背筋をなで上げた。
手にはいつの間にか脂汗でねとねとしはじめている。
「…………香りって……?」
なんとか惚けてみようとする。
ぐいっと式の手が頭を掴んでマッサージ以上に首を横に曲げさせる。痛みが走るがそれ以上に怖い式の顔。いつもならゾクゾクするほどの綺麗な瞳だと見入ってしまうんだけど、今は恐怖しかなかった。
「……この移り香だよ」
剣呑な光を湛えたまま、その綺麗な瞳はにらみ付けていて、微動だしない。
どうやって誤魔化そうか、どうすれば納得してもらえるのか、そればかり考えてしまう。
「…………あ、ああ。こ、これは橙子さんのだよ」
「橙子は煙草の匂いがきついからもっと強い香水をつけているんだ。毒々しいぐらいキツいヤツだよ」
背筋に冷たい汗が流れていく。
「じゃ……じゃあ……鮮花のだよ……うん」
「鮮花はもっと軽い花の香りが好みなんだよ」
ギロリとにらまれる。ヤバい。本当に怒っている。まずい。ヘタな言い訳なんかしたから怒られるんだけど、だからといって式には言いたくないし……。
「どこの女のだ」
冷たい言葉。小さい声なのにドスのきいた声で、膀胱がぎゅっと縮こまってしまう。
「…………あ……あ、あのぅ……」
式は冷ややかな、それこそこれ以上ヘタな言い訳をしたらどうなるかわかっているな、という視線で見ている。
――――――――――――――――――――――――ダメだ。神様、ゆるして。
「…………伽藍の堂のお得意さんの接待で」
「……接待で?」
「……まぁ……そういうところに……」
「…………ふぅーん」
無表情な、能面のような笑み。なまじ綺麗な顔だから、とても怖い。
「…………仕事というんだ。そうか、そうなんだ」
「あ……いや……でも……うん、でも……仕事といえば仕事だったし……」
これもみんな橙子さんと僕しかいない弊害。
得意先はやっぱりなんだかんだいって男性が多い。だからそういう接待をしなければならないのだが、いくら橙子さんでもそういうところにつれていってほしいと頼むのは相手方も気が引けるのだろう。でも橙子さんに直接いったら、楽しそうだな、といって自分から行きそうだと思った。でも、得意先よりも女の子にもてちゃったりして接待にならないんだろうな、とも思う。
だからお鉢が僕にまわってくるのだ。
つまり――そういう接待役として。
式は僕の襟首を掴むと、ひっぱる。
「痛い、痛い痛いよ、式」
しかし式はその細腕では考えられないほどの強い力で僕をベットまでひきずると、上にかぶさってきた。
式の躰の重みがのしかかってきて、でもやわらかくて、暖かくて――。
キラキラとして真剣な瞳。あまりにも綺麗な瞳。漆黒のはずなのに、なぜかほのかに蒼く輝いているように見えた。
「――――そんな香り……消してやる」
式の顔が近づいてくる。
ふわっと変わる、甘い香り。式の香り。式の匂い。式の――――。
式の指がなにかをまさぐるかのようにそっと動く。それが僕の中の“男”をそろりとくすぐっていく。
「……寝かさないからな、幹也」
その瞳の色が、嫉妬だと気づいたのはあとからのことだった。
そして気づいたとき、式もやっぱり女の子なんだなぁとも思った。
了
没の理由。
西奏亭のbbsでオン書きしたものを新たに構成しなおして、別の作品にしたもの。
ただすでに西奏亭にて同ネタを使ったため、もういいや、と没。