世はすべて事もなし

「ねぇね、マスター」

カソックに着替えようと思い、立ち上がったシエルにセブンが話しかけてきる。
 このぼぉっとしたどこかネジが一本外れた様な金髪の精霊はにこにこと笑みを浮かべて、自分の主人であるシエルを見ていた。
 
「なんですか、セブン」

シエルは呼び止めを気にすることなく、そのまま普段着を脱ぎ始める。
今はもう午後9時半前。夜は更け、もうすぐ巡回の時間で、そして夜の住人が蠢き出す時間。だから急がなくてはならない。
 シエルはこの巡回をきちんきちんとこなす。もちろんこれが使命であるということもあるのだが、そういうのをほおっていけない性分なのである。
 もし1日巡回を忘れ、隠れていた死徒がその隙をついたらと思うだけでゾっとする。だからシエルは気が抜くことができないし、当然ながら抜く気もさらさらない。
 常に今できることで最善の道を――それが埋葬機関第7位の司祭のやり方だからである。
 ――――と、いうのは建前で。
 本当のところは、これからデートなのである。
 司祭といえども、埋葬機関の第7位といえども、まだまだ年頃の女の子。
 職務も大切だけど、恋愛の方も充分に大切で。
 だからデート。
 職務を果たしつつ、恋愛の方もきちんとこなす。
 だてに影の生徒会長とよばれたわけではありません。
 これは職権ならぬ職務を乱用した密会、というわけで。
 それはそれはとてもとても楽しそうに着替え始めていた。
 鼻歌をひとつ歌い出しそうなぐらい。
 でも今からデートといっても、それはそれは乙女心からすればとても素っ気ないもので。
 2時間ほどただ町をくまなく巡回。まぁデートとすれば散歩。
 その間、ただのんびりと空を見たり咲いている花をみたり、他愛もない会話をしたりといった、そんな感じのほのぼのとしてまったりとしたデート。
 もちろん職務も忘れない。
 今から着替えるカソックによって死徒は隠れることができず、襲いかかってくる。そしてそれをうち倒すという仕事。
 恋にも仕事にも頑張るまるでキャリアウーマンの如く。

 ――まぁ恋人どうしのしっとりとした逢瀬もいいですけど。

 なんてふと思ってしまうぐらい、シエルはこの巡回兼デートがとても大好きなのである。
 こんな何気ないただの散策、まるで中学生……いえいえ最近はもっとすすんでいるから、まるで小学生のようなデートなのに、それがとてもたまらなく嬉しい。
 エレイシアが失った『日常』、シエルが手に入れることがない『日常』――それがまた手にはいるのだと、手に入れていいのだとわかって。
 だから、こんなデートがとても愛おしい。
 だから、るんるん気分で着替えていた。
 ブラウスを脱ぐとフックを外してスカートを脱ぐ。
 よくあの人外生物に「でかしりー」なんて言われるので、つい気にしてしまうけど。
 でも鏡の中の自分はまんざらではない姿で。
 出ているところはでていて、ひっこんでいるところはきちんとへっこんでいて。
 それなりの曲線を描いていると自負している。

 なのに、ふとあの昼間も出歩く常識はずれで常識知らずの吸血生物の曲線を思い浮かべてしまう。

 ばーん、きゅ、ぷりん

 …………(汗)

 一瞬――シエルからすれば酷く永い瞬間だけど――自信をなくしそうになる。
 恋人である遠野くんもまんざらでない――めじりは垂れ下がり鼻の下がのびる――その様子に、こめかみがピクリと動く。
 でも。
 かるく頭をふってそんな妄想をうち払う。
 夜、こんな夜中でもわたしにつきあってくれる。闇はたしかにあのあーぱーの時間だけど、それでも自分の職務につき合ってくれる、というのが恋人の愛の証である。
 そして別れ際の口づけ。
 時には軽く、時には激しく貪るように。
 そのまま、ごにょびにょになるのは、まぁ若さゆえ。

――遠野くんったら、激しいですからね。

 自分の頬を両手で押さえながら、ああんなことやこおんなことをついつい思い出してしまう。
 てのひらには熱い感触。火照っているのがよくわかる。
 その激しい逢瀬につい口元さえゆるんでしまう。

 「ねぇね、マスター」

この間の抜けた声がシエルの 妄想 思考を中断させる。

「なんですか、セブン?」

どうでもいい事柄だというのはわかっているのに、つい答えてしまう自分がシエルには可笑しかった。
 まぁそれだけデート、いえいえ巡回に急いているのでしょう。

しかしセブンはじぃっとシエルを見ているだけ。
それも頭の上から爪先まで丹念に。

「……マスター」
「だからなんですか?」
「……お盛んですね」
















 凍りつく時。
 暖かかったはずの空気が底冷えのするものになる。
 そしてただひたすらに重い。
 息するのも辛いほどに重い。
















「今いったのはこの口ですか!」

ぎりぎりぎり

シエルは怖い笑みを浮かべながら、セブンの口をひねり上げていく。

「あああああ、ボーリョクハンターイ」

涙目で手をふって、降参を示すセブン。あまりにも痛々しい姿にようやく手を離すシエル。
 その手なのか前足なのかわからない蹄を振り回す。

「もぅーマスターったら、すぐに手が出るんですから」
「まったく当たり前ですよ」

シエルはふたたびクローゼットの前に立ち、カソックを取り出す。
漆黒のそれはただの衣服だというのに、澱んでいた。
 そして洗濯したというのに、これを手にとると、かすかに漂う血の匂い。
 そしてそれが自分の職務であり、聖なる勤めであることを暗示していて。
 だからこそ、カソックをとると日常から非日常の埋葬機関の第七位の貌になる。
 その瞳は冷たく、その唇はただ真一文字に結ばれ、頬からは血の気が失せ、ただの死徒殲滅のための要員となる。弓と呼ばれる殲滅者に――。
 はずなのに。

「えーだってですよ、マスター」

しつこくセブンは話しかけてくる。

「胸、少し大きくなってませんか?」
「……本当ですか」

 埋葬機関を示すカソックを投げ捨てると、シエルは素早くセブンの前にくる。
 そんなシエルの行動に少し引きつった笑みを浮かべながらも、セブンは話を続ける。

「そうですよ、やはりお盛んだからですね」

とたんシエルの顔が火照る。顔ばかりか全身も赤くなっていく。
 体もしなをつくる。

「もぅセブン。そういうのは……」

しかしセブンはさらにとんでもないことを言った。



  「死ねるっていいですね」
















 シエルの頭が真っ白になる。
 セブンの言葉をよく吟味する。

 えっとですね、まず「しねる」と言いました。えぇわたしの耳はたしかにそう聞こえました。間違いないです。
 この「しねる」って死ねるですよね。これは日本語で死亡する、とかお亡くなりになるとかいう意味で……英語ではdyingですか、それともdieですかね。
 いえ、そうではなくて……

混乱気味のシエルに向かって、にこにこした表情でセブンは続けて言う。

「だって……今までマスターって死ねなかったじゃないですか」
「……」
「わたしもそりゃマスターには死んで欲しいですよ……あわあわあわ、ええっと、死んで欲しくないですよ。
 でも前もその前もわたしがお仕えしたマスターとは死別、なんですよ。ほら埋葬機関のお仕事って激務じゃないですか」

シエルはなんともいえない瞳で目の前でたとたどしく語る精霊を見た。

「だから、マスターが死なないっていいな、と思ってたんですよ、へへへ」

 にっこりと満開の笑み。

「でもですよ。マスターが志貴さんと知り合って、蛇さんを退治して……それからですよ。マスターってこんな風に笑えるんだなぁって……」

 無邪気ゆえに、無垢ゆえに、間の抜けたお莫迦さんの笑み。

しばしの沈黙。
とても心地よい沈黙。

「だから、死ねるようになってよかったなって。本当はマスターって闇の側の人じゃないですか。
 陰険で極悪で影から人を操って、倫理なんかあっちにやっちゃってて、勝てば官軍で、偏食で、実はえっちでどすけべで…………いたたたたたたたたたたた」

シエルは笑いながら、セブンのこめかみを握り拳で揉む。
そのこめかみには青筋。
口元には引きつった笑み。
「殺すぞ、おんどりゃ」というすごみのある眼光。
それはもうぐぅりぐぅりと、これでもかこれでもかと揉む。

「あーうーあーうー、痛いですぅ」

セブンは涙目でいうが、シエルのその手は休むことがない。
そしてようやく拳をはなすと、シエルはそっとセブンを抱きしめた。
 とても柔らかく、包み込むように。

「や、ですよ」

セブンは体をもじもじさせる。
でもその顔は本当に嫌がっているようではなく、まるでくすぐったくて仕方がないような感じで――。

「そりゃわたしは死なないマスターっていうのは理想ですよ。だって置いてけぼりにされませんから。わたしずっとずっと独りだったんですよ。わたし精霊ですから。
 前の、その前のマスターの時も、死別してもなにも感じなかったんですよ。『あ、次の人がくるなって』、そう思うだけで。
 でも……」
「……でも?」

 にっこりとセブンは笑う。
 あの間の抜けた、惚けたような笑みで、それはそれはにっこりと。

「でも、やっぱりマスターが笑った方がずっといいじゃないですか」

その笑みに、その言葉に、シエルはそっと目を細める。
まぶしいものを見ているかのように、愛しいものを見ているかのように。

「……セブン」

 すっと抱きしめる。

 むに

 ――今、なにかヘンな擬音がしませんでしたか?

ふと我に返るシエル。

 むにむに。

 やはり聞こえる。そして感じる。
その方を見てみると、
















そこには
















ウエストを
















むにむにとつまむ
















青い蹄
















「ほら、マスター。志貴さんとお盛んだからって、もぅ太っちゃって。幸せ太りってやつですね」
















シエルは何かがキレる音を感じた。
今までこの精霊に対し感じていた何かはすべて闇に消え失せ、残ったのは――。
















「だ、だれが、太ったですって!」
「あーうー痛いイタい痛いイタい痛いイタいですぅぅぅぅぅ」
「……いったのは、この口ですね。そうですね、ふふふふふ」
「あぁなんですかそのハンマーは、ハンダは!」
「……その口ですね」
「いやー、改造はヤですぅぅぅ」

 セブンはどたばたと逃げまどう。

 そんないつものやりとり。
































でもですね、マスター。
本当ですよ。
 マスターとわたしと志貴さんとが一緒に、ずうっと一緒にやっていけたら、とってもとっても楽しいだろうなぁって。
 そうすればマスターが笑っていられるんだなぁって。
本当に、そう思ったんですよ。
































 遠野くんとわたしとセブンがずっとやっていけたら、苦労しそうですけど……とても普通で平穏、そしてバタバタなんでしょうね……きっと。
 でもそれがわたしの『日常』なのでしょうね。
































 二人の思うことは一緒。願いさえも一緒。
 よき相棒。よきパートナー。
 なのに――。

「待ちなさい、セブン!」
「ぼーりょくはんたーい!」

に、なってしまうんでしょうね(嘆息)。

 世はすべて事もなし。

あとがき
 おひさしぶりです。瑞香です。
 今の今まで同人の原稿に追われていまして(笑)SSは書けませんでしたが、ようやく復帰、です。
 これはTAMAKIさん40,000キリ番ゲットリクエストの「シエル&ななこ」です。
 さてこれからバリバリ書くぞー、なんて思ったのですが。
 ただ問題がありまして――。
 AOL規約にひっかかっていてこのCLOCKWORKがと・て・も、かーなーりー、ヤバヤバなんですよ。
 今別のプロバイダを探しています。
 18禁OKで、銀行引き落としが可能なとこ探しています。
 どこか、いいとこありませんかねぇ(嘆息)

今回書き方が違うのは、まぁちょっと今まで書いていた同人のクセがそのまま出ているからですね(笑)
 まぁあまり気にしないでくださいね。

では、また別のSSで

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26th. June. 2002 #35