わたしは――――。 ――――兄さんなんて嫌い、と呟く。 それは、呪文、だった。 密恋 なんていうことはない。 ただ、嫌いになろう、そう決めたのだ。 わたしのただ一人の兄さんとして求めていた。 10年もの間、慕い続けた兄、遠野志貴。 でも、わたしはけっして「しき」と名前を呼ぶことはなかった。 ただ、兄さん、と呼ぶだけ。 本当の兄、四季ではなく、わたしを絶対に護ってくれると約束してくれた人。 だから兄さんと呼ぶことにした。 でも違った。 わたしは兄さんのことを、遠野志貴のことを愛している。 いえ――恋しているというべきか。 わたしは他の人を好きになったことも、憧れたことも、愛したこともない。 琥珀や翡翠には家族愛に似たものを覚えていると思う。 でもこの気持ちが本当に恋なのか、本当に愛なのか、というとまったくわからない。 わたしの恋愛はあの10年前の事件でとまったまま。 幼い、恋とも愛ともいえない、ただの憧れ。 ついため息が漏れてしまう。 こんなの――――わたしらしくないと思う。 側に蒼香でも羽居でもいれば、やれああだのどうだのといってわたしをからかったり、かまってきたりするのだけど、この屋敷では、わたしは一人。 琥珀が何か言いたげな視線を向けてくるだけで、あとはない。 翡翠は差し出がましいことは嫌いだから言ってくることはないでしょうし、兄さんは――唐変木だから。 だからわたしは一人ぼっち。 わたしは兄さんのことが嫌いになる。 嫌いになる。 嫌いになる。 嫌いになる。 はやく――嫌いになってしまえばいいのに。 兄さんはアルクェイドさんという人を選んだ。 兄さんがわたしのことを一人の女性として見てくれることはわかっている。 血のつながりもないわたしたちは、本当は赤の他人。 この、赤の他人、と思うと、胸が締めつけられる。 でもこの痛みはただの迷いだから。 わたしは兄さんのことが嫌いなのだから。 でも兄さんはアルクェイドさんというとても綺麗な女性を選んだ。 アルクェイドさんを見た時、こんなに綺麗な人がいるのかと思った。 見とれてしまった。 そして会話してみて、また驚いた。 こんなに天真爛漫な人がいたのか、と――。 頭の悪そうな、何も考えてなさそうなことをいう、この金髪の麗人は明るく、とても素直そうに屈託のない笑みを浮かべる。 わたしは素直ではない。 兄さんにつっかかってばかり。 素直になりたかった。 でもわたしは当主だし、ずっと離れていた兄さんにどう接すればいいのか、わからなかった。 兄さんは、あんなに素直で無邪気な人を選んだ。 くやしいけど――お似合いだと思う。 まぁ遠野家の長男がつき合う女性だから、気品とかつつましげさが欲しかったけれども。 あの無邪気な笑顔には、何もいう気がなかった。 ――朝からドタバタを起こしたりするのは勘弁してほしいけれども。 兄さんは1番を選ばない人。 それがわかった。 みんな同じ位置において、等距離で扱い、触れてくる。 なんて優しく――酷い人。 だから、わたしは一番でなくてもいいと思った。 でも、そのアルクェイドさんはすんなり一番の座を得てしまった。 それを見せつけられたとき、わたしは兄さんをバラバラにしてしまえばいいのか、と思った。 そうすれば、ずっとわたしのものでいられると――本当に思ったから。 兄さんは悩んでいた。 隠していても、あの唐変木で愚鈍で真っ直ぐな兄さんからは簡単に読みとれた。 そしてわたしを避けていた。 理由はよくわかっている。 遠野の血。 七夜の血。 それが兄さんとわたしとの距離を開けるもの。 兄さんは夜な夜な出かけ、傷つき戻ってきた。 何があったかわからない。 あえて聞かない。 兄さんが何も言わないのならば、わたしも聞かない。 ただそれから吸血鬼殺人事件が終わり、地下の座敷牢にいた四季が2年前、亡くなった。 世話していた琥珀からはあえて聞かない。 こんな澱んだ血が遠野家というものだから。 でも四季がいなくなって、兄さんは少しからだがよくなった。 頻繁に起こしていた貧血も少なくなり、そしてわたしの衝動も収まった。 たぶん――四季が死んだことで、兄さんのもとに命が戻り、式神として兄さんに命を供給しなくてもよくなったから。 それが遠野という血。 なんて忌まわしい血。 おかけでわたしは琥珀の血を貰う必要もなくなり、反転せずにこうしている。 でも兄さんはそうでなかった。 兄さんは怯えていた。 自分の血に悩み、怯えていた。 七夜という血。 退魔の血。 魔性をみるとたぎってくる血。 わたしの血は遠野という血。 鬼種の血。 魔性の血。 そのことを顧みれば、けっして兄さんとわたしは結ばれることはないということがわかるというのに。 でもそんな甘い夢を見ていた。 ――――見ていたかった。 アルクェイドさんがいなくなったことを琥珀から伝えられた。 兄さんは焦燥していて、見てもいられないらしい。 じっと机をみたり、考え込んだりとしている。 せっかく大学に受かったというのに、行ってもいないことはわかっている。 行ったふりをして、アルクェイドさんを探しているのだ。 あの一番の座に納まった人を。 でもそれは仕方がない。 兄さんは酷い人だから。 だから一番になった人しか見ない。 そんな兄さんだと知っているのに、好きになったわたしが悪いだけ。 翡翠なんか、ずっとそんな兄さんを見ているだけ。 わたしはただ待ち、琥珀は何事もないように振る舞っている。 でも屋敷の中はバラバラ。 散ってしまった破片のよう。 もうけっして戻ることは――――ない。 たぶん、兄さんはこの屋敷から出ていってしまう。 アルクェイドさんを探しに行くために。 そしてわたしを殺されないために。 わたしを護るために。 わたしにさよならを告げる日がもうすぐ来る。 さよならが最後のやさしさだなんて。 兄さんはもっと抜けた人でいいというのに。 こういうところだけ――ヘンに鋭い。 なんて――酷い人。 だからわたしに兄さんを嫌いになろうと思った。 兄さんなんて嫌いと心で思うたびに、兄さんに対する恋だか愛だかわからない10年越しの、この形にならない想いの上に土をかぶせていく。埋葬していく。 そしてそれが葬られて、もう胸が痛まなくなるまで。 わたしは心の中でつぶやく。 兄さんなんて嫌い、と――。 いつかこの胸の痛みが、甘く懐かしいものになるまで。 了 あとがき
これは「つごもり」前の秋葉視点のお話です。 BBSで色々書かれましたので、こうしその話を少し。 わたしは長編が書けません。だから場面場面ごとに切り取って、バラバラにして紹介していくと思います。 みつこいは「蜜恋」「密恋」そしてあとひとつ「満恋」を書く予定です。タイトルと秋葉と志貴のお話というだけが一緒なだけで、まったく別な話です。同じストーリー内では語ることができない、別の方向性の話を思いついたためです。もどかしいのですけどね。 では、また別のSSおあいしましょうね。
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