「ごめんさない!」

 秋葉は思わず、慌てて、扉を閉めた。
バタンと荒々しい音がたつ。
思いっきり閉めたためである。
遠野家でも、浅上女学院でも立派な淑女、お嬢様として振る舞っている秋葉にしては、とても珍しいことだった。
 それを最初見たとき、秋葉にはなんだかわからなかった。
でもそのことがゆっくりとわかると、とても恥ずかしくなってしまった。
恥ずかしいというより――気恥ずかしい。
よくよく考えれば当然な、ごくごく当たり前の生理現象で。
それを兄さんと呼びながらも、愛してやまない遠野志貴であっても当然だというのに、なぜか秋葉の頭からそのことがすっぽりと抜け落ちていた。
それは、志貴は口の回りを泡だらけにして、髭をそっていたのである。


蜜恋



 楽しい一時になる予定だった……はず。
なのに秋葉は自室に引きこもっていた。
何もする気が起きず、ベットの上でごろりと横になっていた。
美しい黒髪は白いシーツの上で乱れ、美しいコンストラクトを描いていた。
 外では蝉が狂おしいほどに鳴いていた。
窓から入ってくる日差しはキツく、チラリとのその端には白い入道雲が見える。
エアコンというものがない遠野家では、窓をあけて涼をとる。
ちりん、と風鈴の音。
同時にすぅとするような風が部屋を駆け抜けていく。
軽く汗ばんだ肌に心地よい風。

 もう夏。
 去年は兄さんと過ごした夏。
 初めての夏祭り。
 にぎやかな屋台。
 騒がしい人々。
 そして――花火。
 兄さんとふたりっきり。

 遠野家当主ということで我が儘を押し通して、この夏祭りのスポンサーになった。
まぁ九我峰あたりでは、町の人々への貢献という形での遠野グループのアピールというのも計算に入っているだろうけど。
 そのことを報告したくて、今日は祝日で、秋葉としても予定がなく、つい慕う志貴とともに一分一秒でも過ごしたいと思ったから。
楽しく過ごせると思ったから。
つい気軽に、秋葉? ここにいるよ、という声に反応して開けてしまった。
 ただの事故。
よくよく考えてみれば事故でさえない。
髭をそっている姿を見られて、どうだというのだろうか?
入浴していて裸だったとか、トイレに入っている姿というわけではない。
 なのに、その姿に、秋葉は気恥ずかしさを覚えていた。
 その髭をそるという行為に、妙に生々しい『男』を感じてしまっていた。

 そこまで考えてごろりと寝返りをうつ。
額にじんわりと汗をかき、少し苦しそうに息を吐く。

 でもよく考えてみれば、これは兄さんと二人で行ったはじめてのこと。
ちゃんと秋葉と兄さんで行った、そして今後も行う記念の行事。
だから、つい兄さんに話そうとはしゃいだのがいけなかった。
いつもどおり、琥珀なり、翡翠なりにいって兄さんを連れてきて貰ってから話せばこんなことにはならなかったのに。

 ふと、志貴の髭を剃る姿を脳裏に浮かべてしまう。

 かぁっと、顔が真っ赤になっていく。汗もさらにかいていく。
誰もいないというのに、つい枕で自分の顔を隠してしまう。
枕を抱きしめながら、つい志貴の姿を脳裏に浮かべてしまう。

 やせているというわけではなく、引き締まった筋肉のついた体。
 幅広い肩。その盛り上がった肩から流れる背中から腰までの筋肉のライン。
 あつい胸板から腹筋へと続いている。
 跳ね返りのためか、肌が少し濡れていて、野性味を引き出していて。
 服を着ているときはあんなにほっそりとしているように見えるのに。

 そのしなやかな肉体は秋葉の心を魅了していた。
その肉体が、髭をそっている姿がいやらしいというわけではない。
破廉恥というわけでもない。
ただ――。
ただ――『男』と生物の躰の美しさいうものをつきつけられたかのようで。
 その男の体のラインが艶めかしくて。
 でも綺麗で。
 見とれてしまったのだ。
 そして――見とれてしまった自分を志貴に知られるのが嫌で、気恥ずかしくて、逃げ出してしまっただけ。

「……兄さんの……バカ……」

秋葉はつい呟く。

「なんで……髭なんて剃っている……のよ」

つい枕を叩く。八つ当たりである。
ポスンと柔らかく力が抜けるような音がする。でもまた殴る。枕は気の抜けた抗議の声を上げているが、秋葉は容赦せずに殴り続けた。
 その気の抜けるようなヘナヘナの音が十回目を発した時、扉がノックされた。
コツン、コツンと短く2回。
これだけで秋葉には志貴だというのがわかった。
琥珀ならばもっとゆっくりと聞こえるように。
翡翠ならば正確にキチンと。
だいたい扉を叩く力が違う。志貴は男性だから少し音が強い。
 その男性、という考えに、秋葉はまたドキリとしてしまう。
返事をしようかどうか迷ったが、

「……はい」

と答えていた。

「俺だけど……入っていいかい」
「ダメです」

つい反射的にそう答えていた。
寝転がっていたが、すぐに跳ね起き、乱れた髪を直す。
パタパタと気せわしく鏡の前まで小走りして、櫛を手に取る。

「……秋葉」

ズブ濡れになった子犬のような声だと、思った。
櫛で梳かしながら、目元口元に乱れはないか確認する。服装や襟もきちんとなっているかどうか、確認する。

「何の用です、兄さん」
「何の用って……探したのは秋葉の方だろ?」

リップを軽く塗り直し、整える。

「その件は……」

 そこで言いどもる。
別の機会にすべきかどうか悩む。

 きちんと会える機会を取り逃がすと、朝のあわただしい一時だけ。
 そんなときではきちんと伝えられないし、兄さんに正確に伝わるかどうか――。

「……どうぞ」

秋葉はそうしゃべっていた。

 扉が開き、志貴がおどおどした態度で入ってくる。
 その様子に秋葉は逆にくすりと笑ってしまう。

「突然……秋葉が謝って出ていったから……」
「そんなにわたしが謝るのが珍しいですか、兄さん」

 ついとんがってしまう。こんなところで角をつき合わせても仕方がないのに。

秋葉は苛立ちを覚えるが、志貴の方はオタオタしていた。

「ほら……いつも俺って秋葉に怒られてばかりだから……至らない兄さんで……」
「そんなことはありません!」

秋葉は素早く否定した。志貴がそんな風に自分を卑下する姿を見ていたくなかった。

「じゃあ秋葉は……なぜ、逃げ出したんだい?」
「それは……」

 その質問にそれ以上秋葉は答えず、志貴を見据える。
頭り先から爪先までじっくりと観察し、そして一歩、歩み寄る。
そして手を伸ばすと、そっと志貴の顎にふれた。

「……!」

絶句している志貴を無視して、その顎を撫でて、その髭の感触を確認する。
少しザラつく感じを指先で感じて、つい微笑んでしまう。

「あ……秋葉……さん」

志貴の言葉に、はっとした秋葉は手をひっこめると、下を向いて、なにかごにゃごにゃと何かを言い訳し始める。しかしその言葉は、あまりにも小さすぎて志貴には届かない。
聞こえてきても、兄さんが……とか、あのぅ……とか、そのぅ……とか意味のなさないものばかり。
 その真っ赤になって、俯いて小さくなっている秋葉がとても可愛らしくて、つい志貴は微笑む。

「前から思っていたんだけど、秋葉の指って固いよな」

突然の志貴の反撃に、今度は秋葉が絶句してしまう。
そしてその理由に思い至り、秋葉も笑う。

「えぇ――ヴァイオリンを弾いていますから」

すると照れたように志貴はぷいって横を向くて、ほほをぽりぽりと掻きはじめる。

「そうか、そうだよな」
「えぇ、そうです」
「……俺って秋葉のこと、まだ何にも知らないな」
「……わたしも兄さんのこと、全然知りません」

 そしてお互いに笑いあう。
声を出して笑いあう二人。

「兄さんに報告があって」

秋葉とても柔らかく笑いながら、言う。

「ほら今年の夏祭りの花火の事なんですけど……」
「……本当にスポンサーになったの?」
「当然です、わたしが嘘をいうと思っているのですか、兄さんは!」
「…………」
「………」
「……」
「…」
 ふたりの楽しそうにじゃれ合う声。
 チリンと風鈴がなる。
 遠くに蝉の声。
 木がさわさわとざわめく。
 青い空に入道雲。
 熱い太陽。
 まだ夏は始まったばかり。
 そして――。
 そして―――――――――――――――蜜恋もまだ始まったばかり。

あとがき

 夏です。まったりと爽やかに、と思いましたがいかかでしょうか?
 TAMAKIさんのあのまったりとして秘めやかで柔らかな雰囲気を、と思って書いた物です。
 うまくいっているといいな。
 もしかしたらいつもどおりに秋葉に一人称で書いた方が良かったのかも、と思いながらも、あえて三人称。三人称の練習もかねてですけど、一部一人称的になっていますが、まぁドンマイ(死後)というのことで(苦笑)。

 一部、秋葉の思考が腐女子のようになっている気がしまけど、このあたりはもぅ一般的な感覚でいいですよね、ね、ね(笑)

 では、また別のSSでお会いしましょうね

index

26th. July. 2002 #50