空の風景
権兵衛党
幼い頃から病院以外の場所を知らなかった。 身体の弱かったわたしはものごころつく前から入退院を繰り返していたらしい。 そして、今では病院から出る事はできなくなった。 こうして一人ベットの上でぼんやりとしていると外の世界で過ごした記憶も薄れ、まるで産まれたときからずっとここに居たような気さえしてくる。 それも無理はないのかも知れない。 外の世界の記憶と言っても、それは『ここではないベットの上』の記憶でしかないのだから。 自分の家の中ですら、自室のベットの上から見える所しか覚えていないのだ。それはすでに帰りたいところなどではあり得ず、かつて何度か行った事のある場所、という認識以上のものは持てなかった。今は人手に渡ってしまったそうなのだが、特に感慨がわかない。 なにか幸せな記憶でもあればまた違ったのかもしれないな、とは考えたものの実際にはこことあの場所で何が違う訳でもなく、特別な思い出もない。故に記憶の薄れていくに任せている。 こうして、わたしの世界は外界から切り離され、狭まっていく。 まして、時々申し訳程度であれ見舞いに来てくれていた両親が事故で死んでからというもの、わたしを訪ねる人はふっつりと絶えて無くなった。 外界とわたしとをつないでいたごくごく細い糸も切れてしまった形なのだ。外側の世界の事など知り得よう筈も無い。 そして、この狭い世界ですらいずれは失われるのだろう。 わたしの眼は徐々に視力を失って行きつつあるのだし、わたし自身も薄く引き延ばして来たような生をつなぎ止められなくなりつつある。 そして、わたしは世界からその存在を消す。 その確実に来るべき死に、わたしは夜毎朝を迎える事ができないのではないかとおびえながら眠りにつく。 明日の朝、わたしが生きていますように。 そう願う事がわたしの就寝前の日課となっている。 この生きているのか死んでいるのかもよく分からないような毎日の中でなお死に怯えているのは滑稽ではあるけれど、圧倒的なリアルさで追いかけてくる死だけがわたしがまだ生きていることを教えてくれるのだ。 そう、まだ。いずれ追いつかれるのは分かりきっているとしても。 けれど今のところはまだ見えないわけでもないし、命果ててもいない。 だからココがわたしの存在する世界。 病院のベッドの上から見える所。 たった一人の部屋の中と病院、窓から見える前庭と玄関。そして、空。 わたし、つまり巫条霧絵にとって、それが世界の全てだった。 そんな死を待つだけの世捨て人同然であったわたしが、何故そうするようになったのかは良く覚えていない。 ただ、気がつけばわたしはその人を目で追っていた。 その人はこの病院に、いつも黒い服を着てやって来た。 あまりに頻繁にやって来て、しかも黒いものだから最初は葬儀屋さんだろうかと思った事は覚えている。 時折『わたしの世界』を横切るだけの人だったはずなのに、理由も判らずわたしは彼を目で追い続けた。彼だけを。 ああ、ひょっとしたらわたしは彼を、わたしを連れに来た死神とでも思ったのかもしれない。だって常に黒い服を着ているのに、彼はどうしても葬儀屋さんには見えなかった。死神にだって見えなかったけれど、なぜかそう思った。 晴れた日に彼が窓の外を歩くのを見た。 雨の日に彼が傘をさしてやって来るのを見た。 虹の下でゆっくりと足元の水溜りを巡っているのを眺めた。 空を眩しそうに見上げるのをみつめた。 そして、柔らかく微笑むその顔を見ると、少しだけ心が軽く感じた。 窓の外のわたしには手の届かない世界は、こことは違うところへ行きたいと願いつつもわたしにとっては未知なるがゆえに幾ばくかの恐怖を向け、そこへ出ることは決してありえないことを知るがゆえに絶望と憎悪を向ける世界であったというのに、いつしか窓から彼の姿を探し続けている自分に気がついた。もっと間近で彼の微笑むのを見てみたいと思うようになっていた。 こういうのも憧れというものなのだろうか。よく分からないけれど、多分そうなのだろう。 だって、あの人の微笑む様を見ていたいというこの気持ちは、この狭く荒涼としたわたしの世界をたった一つ暖かくしてくれるのだ。 さっきは葬儀屋さんだとか死神だとか言ったけれど、彼の微笑みを見てからはそんな空想は的外れだと思うようになった。どうせ空想するなら牧師さんの方がまだ気が利いていると思う。 彼の前に座り、懺悔を行う。そして彼が微笑んで「あなたは救われるよ」と言うのだ。少なくとも、少しは救われたような気になれるのではないかと思った。救いって何なのかは分からないのだけれど。つまるところ、わたしは彼がそう言ってくれるのならそれでいいのではないかと思う。 あるいは死して後の天国への道順でも教えてくれるのかもしれない。彼ならば知っていそうな気もする。 葬儀屋さん、死神、そして牧師さん。 不思議にわたしは彼から『死』にまつわる事ばかり連想する。あんなに柔らかに、眩しく微笑む人なのに。 それは、いつも黒い服を着ているからとかではないと思うのだ。もっと違った、根源的な何か。 おそらく、死というものに過敏になっているわたしは彼からその気配を感じ取っていたのだと思う。 といっても彼自身が死に取り付かれているというような感じではない。どちらかといえば、誰かからの移り香とでも言うべき物のように思える。 そうであるとするならば、彼が頻繁に訪れるその相手は死病にでも侵されているのだろうか? でも、わたしを毎日診察するお医者さんでさえあんな気配は漂わせてはいないのに。彼はその人とよっぽど結びつきが深いのだろうか?そしてその相手は…何者だろう。死者のはずは無いのにそれは死人としか思えない。例え死病に侵されているにしても、と首を捻りはしたが結局それ以外は考えつかなかった。 気がつけば、あの人の事を考えている事が多くなっていた。 といっても、わたしは彼の名前すら知らない。 お話したいと願っても、叶えられることはない。 わたしが知っているのは、彼の外見と微笑みの柔らかさと、そして彼の存在がわたしをほんの少し支えてくれている事だけ。でも、惹かれるにはそれで充分だった。 また彼の事を思っている。 時折、彼が見舞っているのは誰なのだろうと考える事がある。 死にとてつもなく近い人、という気配はあるが彼との関係となると皆目見当がつかない。 想像してみる。 かつて、わたしを見舞ってくれたのは両親だった。めったに来なかったが、弟も見舞いに来ていた。 彼がお見舞いにやって来る相手も両親や、兄弟か姉妹といった肉親なのだろうか?親戚だろうか? わたしには友人と呼べる人はいなかったが、彼の友人でも入院しているのだろうか?古い、親しい友人?男だろうか、女だろうか? それとも。 ――恋人だろうか。 そう考えると、胸の奥がズキリと痛んだ。 そして、気づかされる。ああ、わたしはあの人に恋しているのだ、と。人は一度も話した事も無い人に恋をする事ができるのかと不思議に思った。 クスリと笑う。 理由の一つは恋という言葉がひどく新鮮に感じられたから。わたしの考える事はいつだって直面している『死』に関わりのある事ばかりで、こんな事は考えた事がなかったから。 もう一つの理由は、それですら痛みでしか理解できないのが実にわたしらしいと思ったからなのだけれど。 最後には、想像は空想へと変わる。 あの人が病室の扉を開けてわたしを見舞いに来るという空想だ。 わたしは彼の恋人でいっぱいお話して、という現実ではないけれどでも他愛のない幸せなわたしの空想。 そのはずだった。 だったのだ。 ――だったの、だけれど。 会話はすぐに終わってしまう。 だって、わたしの日々には話せる事なんて何も無い。 そして、彼がどんなお話をしてくれるのかなんて、知らない。 人と話す機会のないわたしには想像すら、できない。 わたしはあの人と恋人同士の様に話す事に憧れながら、空想の中ですらそうする事ができない。 それはなんと愚かで、そして滑稽なことだろうと笑う。 例えば彼とどこかへ出かけるという空想をする。 それは楽しい空想だ。 でも、わたしには出かけるべき場所のひとつも思いつかない。 わたしの知っている所はわたしの世界の中だけ。 この部屋と、病院と、空だけ。 だからわたしはその情景を夢に見る事すらできやしない。 それはなんと愚かで、そして滑稽なことだろうと笑う。 確かに、笑っている、はずなのだけれど。 それでも。 気がつけばあの人のことを考え、空想している。 彼がお見舞いに来てくれる。彼とわたしは恋人どうし。 あたかも、凍え死にそうな人が小さな蝋燭のほのかな炎に手をかざすように、溺れ死にそうな人がただ一本の藁を掴もうとするが如くに。まるで馬鹿みたいだと思いながら、そんな空想にしがみついている。 ベッド脇の椅子に座る彼が柔らかく微笑むのを、見つめている。 あいさつを終えてしまえば、話すことは無くなる。 いつも、そう。それで終り。 今日もそうだった。 でも、今日は素敵な方法を思いついた。 この空想に相応しいものを。 口を封じてしまえば、話せなくとも不自然ではなくなる。 ――そう、私たちは恋人なのだから… ベッドから身体を起こし、やや身を乗り出す。 彼はそっとわたしに手を伸ばし、頬に手をあてる。 わたしはそれに応えてほんの少しだけ顎を前に出し、ゆっくりと目を瞑る。彼の顔が近づいて… 「ん…」 それは軽くチョンと押し当てられてすぐ離れ、そしてもう一度、今度はしっかりと重ねあわされる。 わたしの唇を彼の唇がふさぐ。 その想像はわたしを熱く高揚させた。 …キスってどんな気持ちがするんだろう。 あの人の唇の感触はどんなだろうか。 やっぱり柔らかいんだろうな、と思う。 彼は男だけれど、あまり硬そうな身体ではなかった。 甘いのだろうか?さすがにそんなことは無いと思うけれど。 彼はどう感じるだろうか。またしたいと思ってくれる? みずからの唇にそっと触れてみた。 痩せて、肉のうすい唇。 これではあまり感触は良くないかもしれない。 少し悲しくなった。 次は、どうするのだろう。 あの人とのキスの空想はわたしをどきどきさせ、熱を帯びさせている。でも、いつまでも唇を合わせたままなのも不自然な気がする。何より、この陶酔感がわたしに『その先』を求めさせている。 熱を帯びた頭で考える。 この先にすることは? 「…え…と」 自らの手をみつめる。 細く、病的に白い手と指。 それは見慣れたものだったけれど、目をつぶって考える。 これは、あの人の手なのだと。 男の子にしては可愛い顔立ちのあの人の手と指。 その『彼の手』を服の上から自らの胸に触れさせてみる。 それはただの接触だったけれど、その触れている物が彼の手だと考えると不思議と感じた事の無い感触に思えた。 だから、その手を寝巻きの胸元から中へと進入させる。 そしてわたしの胸のふくらみにそっと這わせた。 「…ハア…」 息が、漏れる。 その手が蠢くたびに、くすぐったさに似て異なる感覚が走る。 彼がわたしの胸を、という想像は予想以上にわたしを敏感にしている。 敏感になった身体が徐々に熱を帯び始めているのが分かった。 その熱を煽るようにそのふくらみの先端の部分へと指を伸ばす。 「あ…」 その刺激に小さく声が漏れた。 それはその周囲への刺激とは違い、表皮のすぐ下に神経が密集しているかのように思える敏感さだ。 今度はあらかじめ覚悟を決めてもう一度指を伸ばす。 彼の指がわたしの敏感なところを弄り回す。 その度に声が漏れそうになるのを懸命に抑える。 でも身体の変化は抑えられない。しだいに乳房の先端が固くなるのが分かった。 一人部屋ではあるけれど、検診の時間でもないし見舞いの客など来ないけれど、わたしの羞恥心は漏れる声を抑えようとする。そしてそれがますますわたしを昂らせていく。 彼の手はわたしの身体をどう感じるだろうか。 このふくらみは、痩せぎすで肉の薄いわたしの身体では一番女性を感じさせるところだと思うのだけれど。柔らかい、と思ってくれるだろうか。 自分の柔らかさを確かめる様に。少しでも多く彼の手に触れられていたくて。懸命にその動作を繰り返す。 頭の中では、冷静な部分がそれは結局のところ自分の手でしかないと告げている。 そんな事は知っている。でも、聞きたくない。 その声を黙らせる為に、そんな事を告げられ無くする為に、自分がそれを知っている事すら分からなくする為に。 わたしはもう一方の手をそろそろと伸ばした。 「……あ…」 下着の上から触ったその部分は、すでに湿りを帯びていた。 思わず開けてしまった目をもう一度閉じる。 そして彼の手が、指先が下着の上からわたしのソコに触れるのを思う。 あの人がわたしの身体に触れる。躊躇うわたしに「大丈夫、綺麗だよ」と告げて胸を優しく愛撫し、更に「もっと霧絵を感じさせて欲しいんだ」と言う。わたしはそれに逆らえず、おずおずと固くぴったりと閉じていた両足を緩める。彼はわたしの寝巻きの裾を捲くりあげ、ソコを視界に入れる。そして言うのだ。「可愛い下着だけど…もう、濡れているね」と。「いや…」思わず赤面して顔を覆うわたしに微笑んで、そして、やや意地悪そうな顔で彼はその手を伸ばす…。 「ぁあ…」 もう一度触れたそこは先ほどよりも潤んでいて、下着をグッショリと濡らしていた。 あの人を思って、空想してわたしはココを濡らしてしまう。それをはしたなく思いつつも、わたしはその空想に没頭する。 彼の指先が、わたしのそこを下着の上から前後に擦る。 「…んっ」 両足にギュッと力を入れて耐える。挟み込まれた手をグッと握り締める。枕に顔を埋めて声を抑えた。 「…はあ…はあ」 肺が酸素を求めて喘ぐ。 なんと敏感になっている事だろう。その感覚は彼を求めている事の現われなのだろうか。 わたしは彼を求めている。その、精神的に以外にも、オトコとしての彼を。 そう思うと、顔がますます赤くなる。それをはしたなく思う羞恥心が、ココロとは逆に身体をますます火照らせている事に気づく。 気づいたところで、どのみち熱い身体がこのまま終りにはさせてくれない。もう、止まれない。 わたしは枕の端に顔を押し当てて眼を瞑り、もう一度指先を…彼の指先をそこに這わせた。 濡れた布の感触とその内側の熱さを伝える指先と、その指先の動きに官能を呼び覚まされて妖しく蠢き悶える身体。 彼がわたしを悶えさせている。その指先が操るままにわたしが悶える様を、じっと眺めている。 それはとても甘美で官能的で、そして淫靡な光景に思えた。 「ん…くふっ…んん」 口を枕に押し当て、その布を噛んで漏れそうになる声を抑える。 その快感にとろけて行く頭で何故だか、声を立ててはいけないと思ったのだ。 指先の動きが少しづつ速く、そして複雑になっていく。これほどの甘美な快楽を得ているというのに、身体は更なる快感を得ようと指先の動きを変えていく。 ソレを彼がしているのだと思えば、わたしの身体はますます貪欲に彼とその与えてくれる甘美さを求めだす。指先はぬるりと液体を絡みつかせてますます動きを激しくしていき、身体は熱く何かを求めてよじり蠢く。思考は、魂ごととろけてしまったようで彼と与えられる快楽にしか向けることができず、全ての抵抗がどんどんと破られていく。 そして、とうとうわたしは少しだけ足を開き、手をショーツの内側へと招き入れた。 あの人の指先が、わたしの淡い翳りに触れる。 見られているわけではないけれど、一瞬躊躇う。 指先が撫でるように迷うように翳りをくしけずり、そしてゴクリと唾を飲み込んで指先をそろそろと先に進めた。 そして辿り着いたところ。 そこは驚くほど熱く、そしてしとどに濡れていた。 ゆっくりと指を動かすとクチュリと水音がして、わたしの羞恥心を煽る。 だがそれ以上に与えられた快感に酔いしれた。 熱を帯び、蜜に濡れた肉の花弁の上を指先―― あの人の指先 ―― が蠢くたびに腰の内側からゾクゾクするような感覚が沸き起こる。わたしが与えられた快美感に身をよじる以外に、まるで別の生き物のように蠕動するかのように肉の蠢くのを感じた。 「…ふむっ…む…んんっ」 シーツの端を唇に噛み締めて声が漏れるのを必死で抑え続ける。 けれどその代わりであるかのような衣擦れの音とクチュリクチュリといういやらしい、そして淫靡ではしたない音が静まり返った病室に響いている。 この病室はわたし一人ではあるのだけれど、今はあの人がいる。そう、いるのだ彼が。 このわたしの立てる淫らな水音は彼の耳にも届いている。はずかしさがますますわたしを加速させた。 そう、彼は… 「はしたない音がするね…ほら、こんなに濡らして」と彼はわたしの耳元で囁く。思わず顔を背けるわたしの眼の前に彼の手が差し出される。それはわたしの溢れさせてしまった淫らな液体にベトベトに濡らされていて、室内灯の光を白く反射している。彼が指先を擦り合わせると、クチュリと水音がする。そして指先を離すと粘ついた液体が指と指を繋ぐ銀糸となって残っている。それを恥ずかしさに顔を赤らめ、泣きそうな目で見つめるわたしに彼はもう一方の手でわたしに寸断なく快楽を送り込み、わたしのソコにクチュクチュと淫靡な音を立てさせながら「ハイ」とその濡れた手をわたしの目の前に持ってくる。わたしが許しを乞う哀願の瞳を向けると彼はニヤリと笑って動かしていた指先をピタリと止める。「あ…」と思わず呟くわたしに彼は楽しそうに「やらないと…もう終りだよ?」と囁く。わたしは与えられない切なさに、自らの身体のはしたなさを呪いながら眼を瞑り、そっと舌を伸ばして彼の指を… 「んむっ…んん」 女の…牝の匂いを纏いつかせた指先に舌を這わせた。 その、自分の溢れさせた液体の味はなんとも淫靡で、今のわたしがどれほど淫らな事をしているかを思い起こさせる。 けれど、わたしにとってはその咥えている指先が彼のものであるという事のほうが大事だった。…男の物にしては酷く細いけれど、彼の指は柔らかくて細くても違和感はないだろう。 「んん…んむ…ん、ん」 懸命に、まるで子犬がミルクをなめる様に彼の指先を丹念に舐める。 わたしがはしたなくも汚してしまった彼の指先を、指の又を、手の甲を丁寧に舐めしゃぶる。 その姿に満足したのか、彼は再びわたしの秘密の部分をまるで玩具のように玩び始めた。 わたしもそれに応えて、熱心に舌を這いまわさせる。 彼の指を、咥える。 口の中に含んで、その指先に舌を絡ませる。わたしの溢れさせた恥ずかしい液体を綺麗に舐め取り、代わりにわたしの唾液を塗りつけていく。 人差し指、中指と順番に、それが彼にも心地よいと信じて。 わたしが彼の指を舐める水音と彼がわたしの秘所でわざと立てる水音。 そのピチャピチャという二つの音を聞きながら、わたしは次第に昇りつめていった。 彼の指先がわたしの熱くなった秘すべき花園を玩んでいる。その陰唇の形に沿ってなぞる様に指先を動かす。その動きにつれてわたしの身体はビクビクと妖しくのたうった。それを誤魔化すように、漏れる声を抑えて彼の指先を強く吸う。 やがてなぞることに飽きたのか彼の指先は動きを変え、わたしの敏感な肉の芽をチョンチョンと突付き出した。 「ふぐっ…くう…」 その感覚に思わず身体が跳ね、もう少しで彼の指に噛み付く所だった。 指先はかまわずその敏感な豆を刺激し続ける。その度にわたしの身体から淫靡な液体が溢れ出るような気がして、それはわたしをひどく酔わせた。 もどかしくて、手の動きを制限するショーツを脱ごうと、もはやぐしょぐしょになって色も変わったショーツに手をかける。 いや、彼が手をかけて… 「邪魔だから取っちゃうね」と彼は言って、わたしのショーツに手を掛ける。もはや脳髄まで蕩け切ったわたしはそれに抵抗するどころか、腰を浮かして協力する。わたしの腰から濡れた布切れが腿、膝、踝と移動していく。片方の足からショーツを抜くと、彼はもう一方の足にソレを引っ掛けたまま、グイとわたしの両足を割り開いた。「きゃっ」とさすがに驚き、そしてかすかに「…見ないで」と恥じらいの声を上げるわたしを無視して彼はじっとソコを見つめる。わたしは身をよじって逃れようとするが、彼は逃れさせてくれない。そして、彼は言うのだ「綺麗だよ、でも…」「…すごく、いやらしいね、霧絵のここは」と。わたしは顔を枕に埋めてしまう。すると彼は「ああ、こんなに涎を垂らして…真珠がヒクヒクとしているね」と再びわたしのそこに手を伸ばす… 「ううっ…くうっ……ふぁっ」 わたしはもう、無我夢中といってよかった。 声だけはシーツを噛んでかみ殺しながら、クチュリクチュリと水音が立つのも構わずに蠢く指先に意識を集中させる。 指先が蠢くたびにわたしの身体はよじれ、のたうち、反り返る。 腰を少し持ち上げるように、その手に押し付けるようにしてわたしは行為を続ける。彼を感じる為に。 わたしの身体の下で、シーツに恥ずかしい染みが広がっていくのが分かった。 不意に指先がそっと差し込まれ、わたしはわずかな痛みを感じながらもそれを受け入れてしまう。それは浅い部分ではあったけれど、わたしの身体の中を内側から狂わせていった。 「ひゃうっ!?」 その内側の一点を指先が掠めた時、脳天まで突き抜けるような快感が突き抜けた。 それは一瞬だったけれど、その余韻の中でわたしは自分が昇りつめようとしていることを知った。もう少し、もう少しだけだ。 だから早くそこに達したくて。 早く、達したくて。 わたしはもう一度内側で動かす指をそこへと触れさせ、同時に敏感な肉の芽を思いっきり摘み上げた。 「あ、あああっむぐっ…」 とっさに顔を枕に埋めて声を殺す。 内部に差し入れた指がギュッと締め付けられた。 身体がビクンと反り返り、くぐもった声が室内に響いた。 頭が真っ白になったわたしはぐったりと余韻に浸りながらうつ伏せにベッドに沈み込んだ。 だって、顔を上げたところであの人はいない。 だから、こんなあられもない格好だって問題ない。 最後は早く終わらせたかった。 どうしたところで彼と一緒に悦びを向かえることは出来ないから。 だって、彼はここにいないんだもの。 …いっそ、壊れてしまえたら良いのに。 あの人が一緒にいる。あの人と触れ合っていられる。そんな空想の中で壊れてしまえたら、ずっと一緒に居ると思えるのだろうか。 ほんの少しだけ顔を上げてみる。 部屋の中にはわたしだけで。やっぱり、わたしひとりだけで。 「…馬鹿みたい」 呟いてもう一度ベッドに突っ伏した。 不思議と、涙は出なかったけれど。 その日は、良く晴れた日だった。 窓を開けて空気を入れ替える。幸いに今日の風は優しくて、咳き込む事にはならずにすみそうだった。 わたしは肺を病んでいるというのに、窓を開ける事は好きだった。 窓を開けると、ほんの少しだけ空に近づいたような気がする。 それに部屋の中には、わたしの鬱屈やあきらめや、それに自嘲が溜まっているような気がして。 …他にも理由はあるのだけれど。 窓際に置かれたベッドの上から外を眺める。 見えるのは空と病院の玄関と庭と… 「…あ」 あの人が、いた。 思わず身を乗り出す。 視力が落ちつつあるわたしは食い入るように彼をみつめた。 彼はもう帰るところのようで、こちらに黒い服の背中を向けている。その背中に『死』の移り香が漂っているのを見れば、また見舞いの後なのだろう。 彼はこちらに気づくはずもなく、ただ遠ざかっていく。 見えなくなるまで見送って、それから溜め息を吐く。 わたしは、彼を心の支えにしてかろうじて生きている。 生きているのだ、と思えている。 でも、彼はわたしの事など知りはしない。 名前も、その存在すらも。 それは当たり前のことなのだけれど。 なんだか悲しくて、このまま知られることもなく死んでいかねばならないのが悲しくて、無性に彼を追いかけたくなった。 後から思えば、何故そのときに限ってそれを実行に移したのかは分からない。ただ、心がソレに憑かれたとでも言うしかない。 無論わたしがもう見えなくなった彼を病院の外まで追いかけていく事は不可能なはずなのだけれど、わたしはベッドを降りて、スリッパを履いた。 まだなんとか動く足を動かして、懸命に歩く。 彼の後を追う。 追いかけて、どうするのだろう。追いつけないのに。 それに、追いついてどうすると言うのだろうか。…連れて行って、とでも言うつもりだろうか。 …どこへ? 冷静な部分はそう言っていたけれども、わたしは歩いた。 ただ、病室で死を待つだけなのに耐えられなくなっただけなのかもしれないけれど。それでも歩いた。 でも、それも階段を下りたところで終り。 わたしはそれ以上歩けなくなった。 「はあ、はあ…」 息が、苦しい。 思えば何年も寝たきりで、まともに歩けるはずも無いのが至極当然だっだ。 それでも彼に一歩でも近づきたくて、前に進みたくて、壁に寄りかかりながら廊下をゆっくりと歩いた。 そして、ふと前方の曲がり角の向こうから話し声が近づいて来るのに気がついた。 いけない、見つかれば連れ戻される。 そう思って、手近なドアの取っ手を回してみる。 幸いに取っ手は廻ったので、扉を開けて中に潜り込んだ。 後ろ手に扉を閉めて、ズルズルとその場にへたり込む。 しばらく休憩しなければ元の部屋にだって戻れそうになかった。 肩で息をして呼吸を整えようとするが、容易に収まりそうも無い。 ようやく収まった時には陽は西に傾いていた。 いつも共にある、あきらめがわたしの身を包む。 …もう、追いかけても無駄だろう。 「…ここは?」 そして部屋の中を見回す。 そこは病室には違いなかった。でもそこは。 「…わたしの、部屋?いえ…」 その部屋はわたしの病室にひどく似ていた。 思い返すに、ここはわたしの病室の丁度真下なので間取りは同じだ。 そしてベッドが一つだけで殺風景だ。 でも、一番似ているのはこの部屋には『死』の気配が溜まっている事だろう。 おそらく、この部屋の住人も治る事など期待されていないのだ。わたしと同じように。ただ、死が訪れるまでの待機場所。 でも、問題はそこじゃない。 わたしはこの気配を知っている、ということだ。 彼に、漂う『死』の気配として。 つまり、この部屋の住人が、彼が見舞いに訪れる相手。 その相手は、ベッドの上にひっそりと横たわっていた。 わたしが入ってきても、それは少しも変わらない。 カーテンによって西からの直射日光を遮られたその人は、ドアの近くからでは良く見えなかった。 わたしは、自分が何をしたいのかもよく分からないまま、フラッと立ち上がった。 吸い寄せられるように、一歩一歩その人の横たわるベッドへと近づいていく。 すぐ横まで行って、覗き込んで、そしてわたしは理解した。 その中性的な顔立ちだけれども、可愛らしい女の子は死んでいた。 眠っている、とは思わなかった。 だって、こんなに濃密な死の気配は感じた事も無い。彼女はわたしより更に『死』に近いところにいる。生きているモノには不可能な距離にまで。 そう直感した。 あるいは、わたしにすら気配としか感じられない『死』も直視できるのではないかという、馬鹿げた空想をするほどに。 でも、こうして病室に寝かされているという事は医学的には生きているのだろう。 しばし、彼女の顔を眺める。 あなたはいつからこうしているのかしら? 彼とはどういう関係なの? 恋人?きっと、そうなのでしょうね。 彼は優しい人?穏やかな人? その音の無い病室の中で、声の無い問いかけをする。 無論答えは無かったのだけれど。 でも、知りたかったから。 だから続けた。 なんとなく、彼女とわたしは近いような気がした。 彼とキスしたの? そう問いかけて、思い出す。 ―― キスってどんな気持ちがするんだろう。 そう思った事を。 彼女の唇をみつめる。女の子らしい、形の整った唇。 ここに彼の唇が触れたのかもしれない。 ふと、悪戯心が騒いだ。 彼女は眠り続ける『眠り姫』、抗うことはできない。 眼がそこから離せなくなる。まるで吸い寄せられるかのように。 もし彼の唇がそこに触れたのなら、わたしは彼と同じ感覚を味わえる。そして、間接的にであれ、彼と初めて接触できる。 もしそうでないなら、彼女の初めてのキスをわたしが奪ってしまったら。…それを知ったら二人とも悔しがるだろうか? 想像して、クスリと笑いが漏れた。 わたしはゆっくりと彼女の唇に顔を近づける。 ちょっとドキドキする。自分にこんな面があったなんてちっとも知らなかった。それがとても楽しくて、クスクスと笑いが漏れる。 それは抵抗出来ない少女から奪う悦楽なのか、恋敵を犯す愉悦なのか。 待っててね、今わたしが奪ってあげる。 彼女の目前で眼を閉じる。 そして、唇を重ね合わせた。 その少女らしい柔らかさをたっぷりと貪ってから唇を離す。 そして、今度は彼女の耳元に唇を近づけて囁く。 婉然と笑みを浮かべて、わたしに近いと思った少女へと。 「ねえ、あなたが死んだら、わたしが彼をもらっても…いい?」 それからしばらくして、わたしは視力を決定的に失った。 彼を自分の眼で見たのは結局あの時が最後で、その後は一度も見かけなかった。あの娘が死んでしまったのか、奇跡的に回復したのか、それともわたしが見かけなかっただけで今も見舞いに来ているのかはわたしには分からない。 あのとき追いかけようとしたのはあるいは虫の知らせという物だったのだろうかと思った事もあるけれど、最早どうでもいいことだ。 わたしは残っていた、狭い自分の世界と心の支えすら失ってただ死を待つだけの存在となった。そう、思った。 けれど、違った。 身体はあいかわらずベッドに寝ていたけれど、どういう訳かわたしの眼は空に浮いていた。 空から病院を見下ろしていた。 見えるものは病院と、空。なにも変わらない。 そうなって、ふと思った。 わたしは元から病院とそこから見える空しか知らなかった。 ならば病院から出るとすれば、行ける所は空しかなかったのではないだろうか? そう、かつて彼と出かける場所を想像したとき、わたしは素直に彼と空へ行く事を考えればよかったのだ。『どこへ』ではなくて空を飛んで『どこまでも』。空に果てはないのだから、わたしが恐怖と絶望と憎悪を向けなくてもいい世界までどこまででも。 もし、浮いているだけでなくて、本当にわたしが飛べたなら。 そんな世界はみつかるだろうか? 病室の扉が開く。 久方振りの客が訪れた。 わたしの夢を叶える為に。 そして。 ―― 悪夢を届ける為に。 「はあ…はあ…」 息が切れる。息が整うのを待って、再び歩く。 目的地まであと少し。 かつて、わたしはあの人に『死』の気配を感じていた。 かつて、わたしはあの娘を『眠り姫』と思った。 結論から言えば、わたしの感じた死の気配はわたしの『死』の気配の影でもあり、目を覚ました『眠り姫』は死神だった。 死を感じる事でしか生を実感できないが故に死に焦がれる。それが、わたし。 わたしは自分の死を幻視して彼に惹かれた。 そして、焦がれるが故に『眠り姫』に接吻した。 わたしは王子様ではなかったけれど、『眠り姫』はキスで起きるものだからそうした。起きたのはその所為ではないとは思うけれど。 そして『わたし』は王子様を攫い、目覚めた『お姫様』の死神に殺された。 そういう事だったのだろう。 ――いえ、それは違う。 そうではない、と思う。 少なくとも、それだけは、違う。 確かにわたしは彼に魅かれたけれど、それは死の為なんかじゃない。 わたしは彼の、時折みかける微笑が好きだった。 彼の魂を捕らえた時に知った彼の優しさが、決して表に現れない優しい強さが好きだった。 それは弱いわたしには無いものだったから、眩しいものを見るようにその有り方に憧れた。 本当に、心の底から、彼と共に行けたなら、一緒に生きられたならどんなに素敵だろうと思った。 でも、弱いわたしは捕まえた彼を手放す事が出来なかった。 ひとたび掌中にした彼を彼女に返してしまうのを躊躇った。 魅かれ、憧れて夢見たが故に。 彼が死んでしまうと分かっていたのに、彼の優しさにすがりついてしまった。 だから、彼女が来た。 わたしから、『死』から彼を取り返すために。 彼を死の縁まで追い込んだのは結局、弱いわたしだったのだから。 この結果はわたしの心が弱かったからであって、決して意図したものではない。 ――わたしは本当に彼に恋していた。これだけはゆずれない真実。 だから。 かつては分からなかったけれど、今は分かる。 彼が今も生きていて憧れたとおりの、わたしが恋したとおりの人で居てくれている事。 それがわたしにとっての救いだった。 なんだか可笑しくてクスクスと笑う。 だってそうでしょう? それはわたしが失恋した事に他ならない。 わたしは、自分が失恋したことをただ一つの救いだと思っているのだから。 「…本当に、馬鹿みたい」 言葉とは裏腹に、すごく優しい声が出た。 たぶん私の胸のうちにある、わたしが大事に思っている思いがそんな声を出させたのだと思う。 みずからの胸をギュッと、でも優しく抱きしめる。 わたしにはこれだけでいい。この思いだけで、いい。 この大切な思いを抱いて、行ける。 それだけでも、わたしにしては大したものだと思った。 空を眺める。 今日も空は青く澄んで、そして果てが無かった。 わたしは穏やかな気持ちでそれを眺め、そして空に身を躍らせた。 < 了 > 後書き
お読みくださり、ありがとうございます。いかがでしたでしょうか? 書き手としてはほのぼのしないのはおろかギャグが入れられない、基本的に会話がない、と私にとって書きやすい場所が無く、更に十八禁なのに相手がいない、凸禁止、触手禁止、餡婆,影清厳禁と来たもので「絶対書ききれねえっ」と何度思ったか(汗 でも霧絵さんでSS を書ける機会なので自らの力量も省みずに突貫しました。思い入れだけは詰まってます。 一介の霧絵さん好きとして「幻視風景」「病深」を書かれたhitoroさん、秋月さんに感謝いたします。 そして、霧絵さん書きとしてはこれを読まれた全ての方に感謝を(礼)。 それでは。 |