夜のとばりが町を包む。
 暗く深く、なお昏く――
 人々を安らぎに満ちた眠りへと誘う時刻。
 夜。
 星は瞬き、月は蒼茫たる貌をみせて、儚く淡い光を地上に投げかけている。
 地上に散らばる、星と見まごうような灯火たち。
 車のサーチライトが闇を切り裂き、そして消えていく。
 その中、両儀家も例外ではなかった。
 夜という帳につつまれ、人が寝静まってる。
 死に絶えたように。
 なのに。
 道場には灯りが点いていた。
 ぐもった声。
 渇いた音。
 熱い吐息。
 それはとても淫らに――酷く淫らにそそる音だった。






侍りつき従う、という関係






大崎瑞香



 剣客としての訓練も積んでいるといってよい両儀式の訓練か、と思えるが、どうやらそうではない。
 道場の中では式が秋隆を叱りつけていた。
 ただ叱るではない。
 秋隆は正座して座り、その前に式が仁王立ちしているのだ。
 正座している秋隆の上半身は裸で、その横にワイシャツとネクタイが無造作におかれていた。
 そのやや筋肉質な体をうっとりとした表情で式は見つめていた。
 どこか恍惚とした表情。



――秋隆」



 その声は式のものではなかった。
 式ならばもう少し柔らかいやや娘めいた声色のはず。
 しかし今の声は少し低く、女の声帯で無理して男のそれで。



「そんな目はゆるさないといったろ」



 式の体にすむもうひとりのシキ。
 男の瞳。
 男の態度。
 男の口調。
 そこにいるのは式ではなく、織だった。



「なのになぜそんな目をする」



 やや苛立った声。
 刺々しい分いい気のまま、詰問する。
 しかし秋隆は伏し目がちで答えることはない。



「じゃあ仕方がない、罰を与えなきゃ」



 その声はどこか艶めかしく。



 そういってベルトを手にした。
 黒革の高級そうなベルトで、それを二つ折りにする。
 そして織はチラリと秋隆をみる。欲情に輝いた瞳。



「仕方ないよね。秋隆が望んだのだから」



 秋隆は何も言わず、ただ顔を伏している。
 その何にも変わらない態度に、織の顔が苛立ちに歪む。とたん、サディスティックなものに変わる。
 加虐的な、ネズミをいたぶる猫のような、貌。



 織は腕を振り上げ、振り下ろす。
 パチンという音。
 一度、二度、三度――――――
 見る間に秋隆のやや引き締まった体に赤いみみず腫れに似た線が走る。
 その激しい折檻を、秋隆は薄い唇を噛みしめて、耐えている。
 鞭がわりにベルトを用いると音は大きいが、そんなに痛くない。
 ただその肌をうち渇いた音が、とても織を昂ぶらせる。
 秋隆の陽に焼けた顔が白くなり、そしてそのあと朱を差し始めるのは、ゾクゾクするような震えさえ感じさせる。
 織は眩暈さえ覚えた。



「このっ! このっ! このっ!」



 織はくらくらしながらも降り続ける。息は上がり、頬を紅潮させ、目を爛々と輝かせて。
 その肌に赤い線ができるたびに。
 ベルトが渇いた音をたてるたびに。
 秋隆の唇が噛みしめられるたびに。
 昏い愉悦に眩暈していた。
 織は秋隆が憎かった。
 憎い。憎い。そして羨望している。
 男の低い声が。
 男の太い指が。
 男の厚い胸が。
 羨ましい。
 織は振り続ける。振り下ろして、叩き、幾度となく渇いた音を響かせる。
 秋隆を泣かせたかった。啼かせたかった。
 男でも弱々しいモノだと、そう言わせたかった。
 それが見たかった。
 この肉体の主権は式にあった。
 女の、娘の体とはとても柔らかくて、傷つきやすくて、おっかなびっくりに扱わなければならない。
 どんなに野山をかけずり回りたくても、ヤブの中にはいりたくても、アスファルトの上でかけっこをしたくても――――許されなかった。
 この体が女だから。
 女であるから。
 学校でみた男の運動。
 激しく、パワフルに、もみくちゃになって、やんちゃそのままで。
 膝小僧は擦り傷だらけ。瘡蓋の上をまた傷つけて。
 その足も、その手も、その体も傷だらけ。
 それが――――うらやましい。
 でもこの体は女のもの。式のもの。けっして織のものではない。
 柔らかくて、ふわふわしていて、傷つきやすい、女の躰。
 式のことは大好きだ。世界にたった一人しか存在しない、もう一人の自分。
 世界はふたりだけで構成されていた。
 光と闇。男と女。上と下。右と左。前と後ろ。すべては太極から発生し、両儀となったもの。
 式と織。ふたりなのにひとつで、ひとつなのにふたりだった存在。
 それだけの世界。それしかない世界。だから完璧であり、究極であり、行き止まりだった。
 どこにも移動できず逃れることも出来ない窒息に似た感覚。じわりじわりと骨にまで染みこんでくる苦しい感覚。
 なのに、それはどこか甘美で。
 そしてとても切なくて、綺麗で。
 至福だった。ふたりしかいない。ふたりがつながっているという、融けあっているのだという、極上の感覚に、ただ溺れて――
 なのに、式は見てしまった。知ってしまった。外にも別の世界があることを。
 知らなければ良かったのに。でも、もう駄目。
 たったふたりで構成された硝子のような煌めいた世界。
 それは壊れてしまった。
 なんて脆く、なんて儚い。
 完璧とはなんて壊れやすく、究極とはなんて脆いのだろう。
 二人で構成されていたそれは、二人以外の者が入った途端に変わってしまった。
 今はただ――無惨な夢の跡を晒している。
 式は外でもうひとりの異性を見つけだした。
 黒桐幹也。おっとりとしたお人好しで、織は彼が大好きだった。
 式が黒桐につき合うのは、いいことだと思う。でも、なんとなく悔しい。なんといえばいいのだろう、この感情は? 身近な姉、もしくは慕っていた妹がいつの間にか疎遠になってしまったことに気づいた感覚。今まで自分が一番だったのに、二番になってしまったということに対するショックと、仕方がないという諦観と、そして自分以外を選択できたということを褒めてあげたいような、まじりあった複雑な情。
 式はそれでいい。





 ――でも置いて行かれてしまった、な。





 淋しいというのが一番近いのかも知れない。
 身近なものが側からなくなるというのは、なんて物悲しいのだろう。
 ずっと、ずっと、産まれてから15年もふたりで歩いてきたのに。
 式はひとりで行ってしまった。
 残されたのは、自分だけ。
 この女の躰に囚われて生き続けなければならない自分だけ、だった。
 気がつくとまた窒息感があった。
 今度はふたりだけで息も出来ないほどつながっていた至福感によるものなどではなく。
 ただ物悲しく辛い感覚によって、真綿で首をじわじわと締め付けられていくような、苦しいだけの感覚。
 でもどうしようもなかった。
 両儀である、ということが鎖となって縛り付けられる。
 どうやっても式の体から抜け出すことはできない。
 もし抜け出したとしてもどこへいけばいいというのか?
 式の体に、この娘の躰に囚われ続けるしかなかった。
 だから――こうも高ぶる。昂ぶって仕方がない。
 狂おしいほとの衝動。殺人衝動とともにわき起こる、肉体と精神の不一致による、狂おしくて胸を掻きむしりたくなるような、この突き上げてくるもの。
 たとえ衝動を抑えるために、眠っていても、織は男であって、式の躰は女なのだから。
 それに気づくたびに、狂おしくなる。
 脳髄ひとつひとつを針でチクチクさされているような、このムズ痒い感触。
 そして生理。
 この躰では当たり前だというのに、それを精神がゆるせない。
 一生つきあわなければならないこの下半身の鈍く重い感覚が苛立たせる。苛立ってたまらない。死にたくなるぐらいの、頭を掻きむしり絶叫をあげたくなるほどの――苛立ち。
 俺は男なのだと、男なんだと叫びたい。
 でも躰は女であるという絶対的な事実に、打ちのめされてしまう。
 だから、ムダだというのに。
 こんなことは、無意味だと知っているのに。
 やりおえた後、後悔と自責の念に苛むことになるというのに。
 秋隆をいたぶる。
 いたぶってしまう。
 心にある苛立ちをぶつけてしまうのだ。
 秋隆はただ受け止めてくれる。
 この苦しみを、この痛みを、この胸の内を受け入れてくる。
 だから――こうも依存してしまう。





 ――もし俺が女だったら、秋隆に惚れるのに、な。





 侍従関係。
 侍りつき従うという関係。
 秋隆はまさにそうだった。
 ただ受け止め、従う。
 こんなのただの狂人のわがままだとわかっている。
 両儀であることは、正常な世界では『狂っている』ということ。
 なのに受け入れてくれる秋隆に、まるで溺れているようだ、とも思った。



 ひとしきりベルトを打ち付け終えると、一歩さがって秋隆をみる。
 その日に焼けたやや引き締まった躰は赤くそまり、その苦痛に耐えて唇を噛みしめている姿は酷くそそった。
 秋隆ははじめて織を見る。
 強く澄んだ瞳。動じていない瞳に、逆に織の方が揺さぶられた。
 中の圧力が高まっていくのが感じられる。
 強くて、身をのけ反らせるような圧力が、熱く躰の中をはいずり回っている。
 熱くて、たまらなくて、だから――それを秋隆にぶつけるしか、織にはなかった。



「そんな目は駄目だといったばかりだろう」



 織の瞳は欲情に濡れていた。
 飢えていて、いやしく、そしていやらしい光を湛えていて。
 視線は秋隆の股間に注がれる。
 それを見つけたとき、織は気づかずに舌なめずりしてした。
 欲情の印。勃起し、ズボンをおしあげているソレ。
 男のそれ。
 織がほしいもの。男である象徴。



「すべて脱ぐんだ」



 声は震えていた。
 織にもいやらしい声だと思ったが、とめようがなかった。
 昏い愉悦が、織の精神を縛り上げている。
 秋隆は黙って立ち上げると、スボンをおろし、トランクスをおろした。
 それに思わず織は息を呑む。
 熱く逞しくそりかえったソレ。
 ビクビクと脈打ち、まるで凶暴な獣のようだった。



「秋隆はこんな時に処理をしているんだろ」



 これからの展開を思って躰が震えてしまう。
 口の中はカラカラで、声も熱く粘ついていて、期待に小刻みに震えていた。



「それを見せて」



 秋隆は目を閉じて、左手で逸物をにぎるとゆっくりとしごき始めた。
 あんな風にするのだ、と織は見入っていた。
 女の躰に詳しくても男の体など知らない。かといって男どうしが話している猥談に式が首を突っ込むこともなく、織も式も男について知識が欠如していた。



「気持ちいいかい?」



 思わず尋ねていた。
 秋隆は返事せず、ただ吐息のみ。
 その吐息にこめられた愉悦で、どれだけ秋隆が高ぶっているのかわかった。
 ゾクゾクした。
 昏い愉悦が蛇のような鎌首をもたげ、チロチロと苛む。
 秋隆の視線を感じて、わらう。
 織は気づかなかったが、それは妖艶な笑みだった。
 秋隆を苛むように、わざと着物の襟元をはだけされる。



――――――見たいかい?」



 情で濡れぼそったやらしい女の声。
 ブラジャーなどつけていないから、すぐさま胸の谷間が見える。しかしそれ以上みせない。
 両手で襟元をひろげ、染み一つない白い肌をみせつける。しかしそのピンク色の乳首もみせず、ただ嗤うだけ。



「でも、駄目だよ。だってこれは式の躰だからね」



 そのまま双房を鷲掴みにする。指の間から和服の生地と柔肉がはみ出る。
 その白い肌は赤く染まり、ぬめりはじめていた。
 酷く疼くような声で、織は秋隆を嬲る。



「見せてあげられないんだ。見たいんだろう。この女の躰を。誰も触れたことのない処女の肌にさ」



 見せつけるように腰を揺する。くねくねと躰をこね回す。
 しかし織の視線は秋隆の股間に注がれ続けていた。
   赤黒くいきり立ったそれ。
 膨らんで、ピクピクしていて、手であんなに強くしごかれていて。
 自分でも興奮していることが、織にはわかる。
 煽られて、欲情しているのに。
 股間に熱く血潮がなだれ込み、見ているそれと同じモノがいきり立っているはずなのに。
 伸ばす手は空を切るばかりで、空しさが募ってくる。



 ――あれがあるはずなのに……



 あんなに膨らませて。
 自分にもあるはずの器官。
 こんなに強く勃起しているのが感じるのに。
 ない。
 あるべきところにない。
 神経はそこがふくらみ勃っていると告げているのに。
 目の前の秋隆のもののようにグロテスクなまでに腫れ上がっていると告げているというのに。
 男根。陽根。逸物。陰茎。ペニス。おちんちん。
 男性のもっとも男性たる肉体の器官が、ないのだ。
 違和感。
 無くてはならないはずなのになくて、なのになくてもいい胸なんかがある。
 このズレていく感覚。
 自分の感じている世界と現実との大きなギャップ。
 苦しい。
 だから織は秋隆のそれを見続けた。
 あの赤黒く膨らんで、先からさいやしい先走りの腺液をこぼしているそれ。
 秋隆のそれが脳裏に焼きついて、脳を灼き焦がすかのよう。
 それを瞬きひとつせずに、見つめるしかなかった。
 それに恋い焦がれてしまうほど。
 すると内股を何かがしたたる感触に、にんまりと嗤う。



「なぁ秋隆」



 酷く高ぶった声で囁く。
 荒く、息も絶え絶えでうわずった声だというのに、淫靡な響きをもったそれがねっとりとした空間に広がる。



「この式の躰は女だから、こうなんだよ」



 口元に浮かぶのは、淫楽にみちた笑み。織の目元は朱を散らしたかのようで、赤く、ぬめっている。
 そうして見せつけるように、着物の裾をわって太股を見せる。
 一度も光に浴びたことがないような透けるような白い太股が、着物の裾から顕わになる。
 その太股に流れる一筋のどす黒い血。
 ゆるゆると、太股を汚すかのようにねっとりとしたたり落ちていく。



「この躰は女だから、こうなるんだ」



 酩酊したような声。それが妙に胡乱に響く。
 生理のどす黒い血がゆるゆると流れていく。
 それをほっそりとした指で掬う。
 どろりとしていて濃かった。
 それを指で弄んだ後、秋隆の目の前にもっていく。
 秋隆は言いつけのとおり、自分のものをこすりあげている。
 ぐちゃぐちゃと音をたてて、激しく、強く、幾度も。
 表情を変えない秋隆の顔が時折、快感に歪む。
 秋隆の唇に、その穢れた血をついた指をあてる。
 まるで口紅をつけるかのように、この血でひいてやる。
 紅くなるように。
 織の目には少し狂気に満ちた輝きがあった。
 いたぶるような、輝き。
 秋隆はその指をそっと含む。
 とたん、秋隆の顔をパチンとはたく。



「誰がこの式の躰に触れていいと言ったっ!」



 顔が見る間に紅くなっていく。
 目がつり上がり、ヒステリックに叫ぶ。
 幾度も叩く。
 手が痛くなっても叩き続けた。
 なのに、その男の肌が、男の顔が織を苛立たせる。
 この男を屈服させたいという誘惑にかられる。
 この男の澄まし顔が歪むのが見てみたかった。
 織自身、なんて歪んだ危ない気持ちなのだろうと思う。
 こんなの自分なんかじゃないと思っても。
 出てくる言葉はとても酷く、秋隆を貶める言葉で。
 とめられなかった。
 生理のせいだ、と織は思う。
 月経さえこなければこんなに気持ちが狼狽えることはない。
 違うんだ、と弁明したかった。
 でも。
 わき起こるのはふつふつと滾った昏い欲望。
 躰をよじるような圧力でじわりじわりと織の理性を蝕んでいく。
 毒だった。
 蝕まれ、犯され、ぼろぼろになっていく。
 なのに、こんなにも――甘い。
 うっとりするほど、とろけそうなほどに、甘い。
 その愉悦が。
 その悦楽が。
 躰の中で荒れ狂って、織を突き動かしてしまう。
 加虐の昏い悦びにひたらせてしまう。
 理性もなにもなく、はぎとられて、残るのは――相手を屈服させたいという獣欲だけ。
 服従させ、従わせ、意のままに思う存分蹂躙したいという、荒れ狂う獣のような劣情だけだった。





 秋隆はただ黙って織を見つめた。
 着物ははだけ、乱れ、その若く清らかな生娘の裸体をみせつけ、髪を振り乱し、目をつりあげていても。
 両儀式の肉体は、両儀織の魂は輝いていた。
 どんなにはしたなく、どんなに怖い形相をしていても。
 輝ける宝石のような美しさがある、と見つめていた。
 気の狂った先々代の両儀。ひとつの肉体に複数の精神によって、完璧なものを創り出そうとしてきた両儀家。その長年の血と努力の結晶がここにいた。
 たとえ気が触れても、たとえ暴れても、それは肉体というひとつの檻に精神が複数宿ったために起きること。
 この奇蹟というべき稀少な存在は、何よりも代え難く。
 瑠璃玻璃のように煌めく、きらびやかな宝石そのもの。
 この世でたった一つしかない存在。
 それを守るために、秋隆は存在しているのだから。
 このような仕打ちなど苦でもなかった。
 この程度などなんの苦労にもならない。
 この女性の肉体に囚われた織の心のためにならば、死んでも構わなかった。
 もしかしたら侍従する者としては逸脱しているのかも知れない、とも思う。
 でも、それでもよかった。
 秋隆になった時から、そんなことは承知だったから。
 死ぬまで離れないと思ったし、死んだとしても離れるつもりはなかった。





 織の肌は上気し、ほつれ毛が汗で肌にまとわりついていて、色っぽかった。
 疲れたのか織は秋隆から離れると、見据えた。


「この変態野郎っ!」


 織の口から放たれるのは罵声のみ。
 秋隆を罵倒し陥れ蔑む言葉だけが続いた。
 突き上げてくるのは怒り。
 こみ上げてくるのはねじくれた苦しみ。
 劣情がこみ上げてくる。
 この秋隆にたいするわけのわからない感情。
 信頼と憎悪と期待と嫉妬とが入り交じった昏い情。
 またベルトをとり、持ち上げてたたきつける。
 渇いた音が響く。
 ぬるりと式の清い躰を汚すかのように、月経がゆるゆると流れていく。
 足もとには飛び散った濁った黒い血。
 興奮し肌を上気させ、汗にまみれながら秋隆を打ち据える。
 なぜ耐えられるのか。
 なぜ我慢できるのか。
 織にはわからなかった。
 小刻みに震えるような快感。
 それを認めたくなかった。
 秋隆を打ち付けるだけで、この奥にある衝動が昇華していくのを。
 化け物。怪物。妖(あやかし)。魔物。妖魔。
 それが自分だった。両儀であるということ。
 この狂おしい衝動。
 血に飢えた悪鬼。
 肉を切り裂き、心臓を貫き温かい血を浴びるという愉悦。
 ただ無造作に殺す、という快感。
 狩り、という肉食獣のもつ本能の悦び。
 狂おしい。
 この血が、この肉体が、この心が――この両儀という存在が。
 追い詰められていく。
 真っ暗な狭い檻へと。
 手足をどんなに曲げてもはいらないはずのそこに押し込められていく窒息感。
 髪の毛一本でさえ自分の意のままにならない逼迫感。
 その恐怖が、その叫びが、ただ秋隆へと注がれる。
 逃れるために。
 逃れたいために。
 あまりにも打ちつけすぎて、式の手は痺れていた。
 一呼吸をつけると、織はそこでただ耐えている秋隆を見据える。
 うめき声ひとつ漏らさず、ただそこに正座し、折檻に耐えている男を。
 肌には幾筋ものみみず腫れがはしり、真っ赤にそまり、ところどころ内出血の跡が伺えた。
 そんな秋隆を見据えながら、織は右足を持ち上げると、秋隆の前にもっていく。
 そこには飛び散った黒いものが点々とついていた。
 月経の濃い穢れた血。


「舐め取れ」


 織自身、自分でもぞっとするような声だった。
 なんの感情もこもらない凍えた声で、そう命じる。
 秋隆は一瞬織を見ると、そっと足に口づけた。
 織の躰にゾクゾクとした愉悦が走る。
 秋隆の舌はまるで生き物のようにはいずり回る。
 生暖かいそれは、てらてらと舐め取った跡をつけながら、昇ってくる。
 その吐息が、そのヒルのような舌が、渇いた唇が、式の美脚を舐めあげてくる。
 織の息にかすかに粘ついたものが混じり始める。
 織の精神はたしかに男のものであったが、肉体は式の女のもので。
 この愛撫にも似たゆるるかな舌の動きに、甘い疼きを覚えていた。



――感じてなんてない)



 織は唇を噛みしめながら、こみ上げてくる甘美な疼きを懸命に堪えた。しかし堪えれば堪えるほど、甘く、強く、響いてくる。



――俺は男だ。男なんだ)



 しかし秋隆の舌が触れたところから熱い波のようなものがじんわりと広がっていく。それはいつしか、甘く不思議な感覚になって織の呼吸を荒げさせる。
 ただ目の前の従僕を困らせようとしただけだというに。
 その秋隆の瞳がこちらを見ているだけで。
 その切ない情感が伝わってきて。
 なまめかしく匂い立つような色に、わけのわからないまま、この式の女の躰は反応しゾクゾクと産毛をたててしまう。
 織の瞳も反応してしっとり潤みはじめ、身体も蕩けるような甘美なものに包まれて、いつしかたまらない喘ぎさえ漏らしている。
 織は自分が感じて喘いでいるとわかると、かあっと全身が火照る。
 ジンジンとした疼きがオンナの奥から発生して、たまらない。
 秋隆の唇が触れているところが火傷しそうなほど熱くなり、心臓の鼓動が一気に高まる。
 心臓の鼓動で全身が暴れそうなほどだった。
 式の白い肌はぬめりをおび、淫らに輝き始めた。
 しっとりした肌に髪がはりつき、恥じらいと情欲がせめぎ合った艶やかさに包まれた。
 はだけた和服から覗ける双房の先は勃ち、そこからビリビリと電流が走っていた。


……――はぁ……


 思わず媚声を漏らしてしまう。
 内股をこすり合わせたくなるような、ムズ痒さ。
 ゆつくりとゆっくりと這い上がってくる秋隆の舌。
 織の視線にはこれ以上にないまでにふくれあがった赤黒い陰茎。
 牡の獣臭が鼻腔の奥でツーンと感じられる。
 そして自分から放たれるぬめりをおびたやらしい牝獣の臭い。
 オンナのいやらしい花弁がゆっくりと花開いていくのがわかる。
 ひきつき身震いしながら、赤く充血しきったそこがわなないているのだ。
 触れているのは秋隆の舌が変化する。
 血の跡を舐めたあと、そこを吸った。
 ほんの刹那。
 なのに、そこから何かが吸い出されたかのよう。
 そして甘美などろりとしたものが注ぎ込まれたかのよう。
 粘つくそれは毒だった。
 淫らな毒。
 そこから血管に注ぎ込まれ、全身にまわっていく。
 ジンジンと疼き、濡れた織の瞳から光が失われ、陶酔めいたそれに変わる。
 それでも秋隆はただ、ただ丹念に血の跡を舐めているだけ。
 だというのに。
 そこから迸る官能の愉悦は、織の心に流れ込んでいく。


――気持ちいい)


 認めてしまうと、一気に快感は増幅する。
 いままで押さえ込んでいた分がそのまま灼熱の泥土となって、全身にまとわりつく。
 溶けてしまいそうなほどなのに、ふわふわと浮いているようで。
 酔っている状態に近い。なのに感覚だけはさらに鋭敏となっていって。
 全身が熱く迸ってしまいそうだった。
 花弁がきゅと痙攣しているのがわかる。
 ただ秋隆に口づけされているだけだというのに。
 式の身体は清いままでと思っているのに、甘い疼きが駆け抜けていく。
 熱い媚肉が痛いほどだった。
 下半身から広がる波は花芯を淫らに湿らせていた。
 内部から沁みだした淫蜜で、織は自分でもわかるほど濡らしていた。
 くすぶるような甘い情感の火は、チロチロと肌を焦がし、理性を灼き、炎となって身体の中をかけずり回った。
 執拗ともいえる秋隆の唇と舌に下半身が溶けてしまったかのよう。
 膝はがくがくして立つこともおぼつかない。


 とたん、秋隆の唇が離れる。
 あ、と思わず引き留めるような吐息を吐いてしまった。
 しかし秋隆は足をおろすと逆の足をうやうやしく持ち上げ、また清め始めた。
 秋隆のそれはビクンビクンと動き、強く牡の肉の臭いを放っていた。
 それを織は気づかないうちにうっとりとした目で見つめていた。
 欲しいと思った。
 その赤黒くいきり立った肉茎が、この濡れぼそりすすりなくオンナに欲しいと。
 しかし織は奥歯でかみ締め、その甘い肉の悦びをふりはらおうとする。


――この躰は式のだ)


 たったひとつの思い。それだけがこの牝躰の疼きの楔となって耐えられていた。
 なのに、躰ははしたなくそれを求め、いやらしく濡れてしまって。
 もしそれで貫かれたらとおもうだけで、肉襞がひくついてしまう。
 それを振り払うかのようにイヤイヤする。
 なのにその顔には愉悦に歪んだ、蕩けた女の貌があって。


――秋隆ぁ……秋隆ぁ――


 やっとのことで、途切れ途切れに言葉を吐き出しながら、悶え泣く。
 それ以上すすんではいけないとわかっていながら、口から漏れるのは秋隆の名前。
 この侍りつき従う存在の名前だけが、嬌声ととも漏れる。
 そして秋隆の醒めているはずの視線と織のが絡み合う。
 その秋隆の、情熱的な視線に、躰がいっそう火照ってしまう。
 熱く淫らにくねらせてしまう。
 着物はただ帯で腰の処に結わえ付けられているだけで、すでに衣服として用を足してなく、その若い肢体を晒していた。
 乳首はいやらしく勃ち、淡い茂みはべっとりと愛液で濡れ、その奥に鮮やかな色で息づく花がおののき震えていた。
 貌は惚け、快感に蕩け、目尻には涙を浮かべ、その桜色の唇は半開きでねっとりした熱い吐息を吐き出している。
 全身はなお赤く染まり、薄桃色となってなまめかしく、そこから男を誘う淫らな色臭を放っていた。
 秋隆はその熱い視線のまま、ただ織の瞳をみつめながら、舐め続けた。
 舌をはわせ、口づけし、時折歯を当てるだけ。
 それ以上ふれることはなくて。
 このやらしく性悦にのたうち躰はより深く、より大きい快感をもとめているというのに。
 秋隆はけっしてそれ以上しなかった。
 織は堪えようと目を閉じる。
 まぶたの裏が白く光る。雷撃が駆け抜けていく。
 続けざまに襲ってくる愉悦に、身がとろけていくような深い女の淫悦に、織はただ喘ぐしかできなかった。


 躰が狂おしい。
 切羽詰まった声で、抱いて、と目の前の従僕に対して命じてしまいそうになる。
 この疼きわななくオンナを、秋隆のその太くてひくつき赤黒い肉茎で貫いて欲しい、犯して欲しい、汚して欲しい、と思う。
 しかしそれは許されない。この躰は式のもの。けっして――自分のものではないから。
 秋隆の頭を殴る。
 手が届くギリギリの距離だがなんとか当たる。
 カツンと骨と骨があたる感触。
 手が痛む。


 犯して


そう言いたい。
 この疼く躰が切羽詰まったふるえとともに、淫らに男を招き入れたいと喚いているのに。
 神経のひとつひとつが熱くなり、こみ上げてくる、このたまらない淫蕩な衝動で蠢いているのに。
 言うことはけっして――ゆるされない。
 だから、殴る。
 何度も何度も秋隆を打ち据える。
 手が痛い。
 熱くてジンジンする。
 痛みと熱で手が膨れてしまったかのよう。
 それでも殴り続ける。
 そして秋隆も舐め、吸い続ける。
 織は涙していた。
 その顔は紅潮し、目は潤み、あまりの官能の渦に飲み込まれ涙している。
 唇は時折ひくつき、ただ淫らな嬌声をもらし、ただ男を、雄を、牡を受け入れたいと、女として、雌として、牝として打ち震えていた。
 織は秋隆を打ち据えているのに、まるで哀願しているようだった。
 涙しながら、乞うているようだった。
 秋隆はただその熱い視線で見据えるだけで、それ以上ふれてこない。
 織はこのもどかしい官能の中で気が狂いそうだった。
 チリチリと灼かれる神経。
 ただ高ぶっただけで、果てることのない苦しい、痛いほどの悦びに、織は啼いた。
 織はその痴態で、犯して、抱いて、と泣き叫んでいるのに。
 従者に対して主人が命じているというのに。
 秋隆は気づいているというのに、放置し、ただ唇で足先を清めるだけ。
 そのような愛撫ではこの成熟した女の火照りをとめることなどできないというのに。
 なのに秋隆は放置し、ただ清めるだけ。
 凶暴なほどの圧力が織の中で荒れ狂う。
 解放したいのにできず、ただそれはたまっていって。
 苦しくて、狂おしくて、身をよじるような甘い痛みに。
 蹂躙されていく。
 陵辱されていく。
 全身をバラバラにするほどの圧力がうねって、肌がチクチクと痛いほど。
 だから打ち付ける。
 殴るたびに、痛みとともに熱いとろみがうまれ、ドロドロになっていく。
 殴っているのか殴られているのか、それとも本当は組み敷かれて貫かれているのか、それさえもわからない。
 ただ秋隆の唇と舌が生み出す熱い波が、ただ振り下ろす手が生み出す暴力が入り交じっていって――
 それらはぐすぐすとした情念の炎となって織を灼く。
 そのあまりにも圧倒的な性悦は暴れ狂い続ける。
 女主人が着崩れた和服を裸身に絡ませたまま、喘ぎ、自分自身で躰を抱きしめ、でも狂ったように目の前で伏して脚を口づけし舐める従僕を打ち据えるという、凄艶な眺めだった。
 渇いた音が鳴り響き、ぐもった息と粘ついた嬌声、湿った音だけが道場にしずかに木霊する。
 肢体をのたうちまわせ、悦びにひたり、涙し快感に打ち震えながら、暴力をふるい続ける。
 その痛みが。
 その凶暴さが。
 その苦しみが。
 その愉悦が。
 その悦びが。
 何重層にもおり重なり合い、空気さえも染めあげていく。

 酔っていた。
 この肉の衝動と、殺戮の衝動が入り交じったえもゆえぬ朱い情炎に。
 燃えさかりゆらめく炎のように身をよじらせ、喘ぎ、そして打ち据える。
 肉酔していた。
 肉の喜悦に酔いしれていた。
 でないとこのおぞましくも淫らで吸い寄せられるような甘美なものに破滅しそうだった。
 もっと快楽を、愉悦を、淫楽を味わないと、体の中がそれでいっぱいになって魂さえも汚辱されてしまいそうで。
 もっと深く、もっと爛れて、もっと淫らに、もっと力強く、もっと破壊的に。
 手の熱さはいつしか身を焦がす牝肉の火照りとなり、手の痛みは官能の刃となって、織を胡乱にされた。
 秋隆を殴っているのか。
 秋隆に組み敷かれて貫かれているのか。
 それとも、秋隆を犯しているのか。
 手も、足も、指先も、髪の毛の先でさえもこの淫虐の魔宴に酔いしれ、どろどろに混じり合って融けていく。
 粘膜のはいずり回るこの感触。
 粘膜のこすれるこの感触。
 この暗い淫靡な情感に、織の魂は呑まれていく。
 その暗くぽっかりとあいた穴にひきずりこまれそうで、織は狼狽する。
 その穴に入り込むのはとても気持ちよさそうな、予感めいた妖しい感覚に身悶えした。
 織の躰は大きくひきつる。
 蟻地獄のように、穴へと吸い寄せられていく、この感覚。
 じわりじわりと躰からあふれかえりそうなほどの随喜の波に、押しつぶされそうなほど。
 その波にさらわれて、そのまま穴へと一気に引きずり込まれそうで。
 織は気づかないうちにイヤイヤしていた。
 首をふるたびに火照った躰に浮かんだ脂汗が飛び散り、キラキラと輝く。
 獣めいた臭いがいよいよ強くなる。
 それが秋隆に気づかれると思うと、羞恥に悶えてしまう。
 この躰は女のもので、俺は男だというのに。
 こんなにもはしたなく、こんなにいやらしく、悶えてしまっている。
 しかし、羞恥にまみれながらも、さらにそれが悦びとなって躰を熱くさせてしまう。
 加虐に愉悦と被虐の悦びと羞恥でさらに情欲を燃え盛らせていく。
 躰をもっと熱く火照らせていく。
   秋隆を打ち据えるという加虐。
   秋隆に放置されるという被虐。
   秋隆に気づかれるという羞恥。
 それがまじりあって、脊髄を一気に駆け上る。
 鋭い甘美感となって脊髄を灼き、脳髄に突き刺さる。
 とたん、全身に淫楽の閃光が走り抜ける。
 幾度も突き刺さり、それは織の魂さえもどろどろに溶かしていく。
 ぬちゃぬちゃにして、とけかせて、なにもかも淫らなものにしてしまう。
 粘つく熱い泥土となって、消え失せてしまって。
 とたん、電撃が走った。
 電撃が貫き、織の脳裏に閃光でいっぱいになる。
 白くなって意識が途切れる。
 またくる。
 幾度も官能の波に溺れてしまって。
 躰がのけ反り、口は大きくひらき、声を発しようとする。
 なのに、声はでない。唇はわなわなと震え、口から漏れるのは、ただの粘ついた喘ぎだけ。
 秋隆のしゃぶっていた足の指さえもそりかえり、織の瞳から光が失われる。
 恍惚の表情。
 淫らに蕩けきったオンナの貌。
 太股には赤く染まった愛液が穢れた血とともにつるつると流れ落ちていって、秋隆の顔を血の色に染めあげる。
 そして力が抜け、ふっと織は倒れ込む。
 それを秋隆は受け止める。
 快楽の甘い余韻に浸りながら、織は胡乱な瞳のまま、秋隆を見据える。
 その表情は蕩けきった至福のもので、肉の悦びにひたりきっていた。


――秋隆」
「はい、なんでしょう」


 低いその声に安堵感さえ覚えてしまう。
 目の前の秋隆はふるわれた暴力によって顔を赤く腫らしているというのに、その瞳は穏やかで、まるで波一つない湖面を眺めているようだと思った。
 侍りつき従う、この秋隆という存在がなければ、とっくに爺さんのように気が狂ってしまっただろうと思った。
 そしてそれは憧れかもしれないとも思った。
 けっして自分が手に入れることが出来ない男性というもの。
 蕩ける甘美感の中、そうだと確信した。


「俺は化け物だ。こんなにお前をぶって……見捨てていいから、な……


 そしゆっくりと官能のたなびく余韻の中に織の意識は融けていった。
 そんな織をやさしい目で見つめながら、秋隆は告げた。
 式に聞こえることなく、また織に告げることなく。
 ただやさしく、まるで睦言をいうかのように、蕩けるように。


「あなたは化け物ではなく、両儀です。私の唯一の主人であられるあなた様に侍り、付き従い、仕えることに、わたしは――


 秋隆の口元には誇りに満ちた笑みが浮かび上がる。
 自信があるもののみが浮かべることができる、静かで人をほっとさせる笑み。


――深い喜びと満足を覚えているのですから」



 そうしてようやく両儀家も夜の帳につつまれ、全員が安らぎにみちた至福の眠りについたのであった。





あとがき

 瑞香の第一弾は霧刀紅夢さんと春日鈴音さんのリクエストである織×秋隆です(もしかしなくても秋隆×織?)。しかも紅夢さんはSM的なことを日々の日記にかいてあったのを思い出して、SMチックにしてみました(笑)
 SMでなく、SMチックなところがミソです。
 でもSMって難しいです。
 ただ折檻するだけではダメですからね。愛がないと、愛が(笑)
 虐められたいという欲望と虐めたいという欲望がかみ合ってこそSMですからね。
 でもわたしは虐めたいとも虐められたいともおもったことはないので、難しかったです。
(でもでも、式さんを軽く虐める(嬲る?)幹也くんというのもかなりいいかも(爆))

 そして前からいっているとおり、式さんの躰は幹也くんのものなので、秋隆さんがいたさずにプレイするというのは、とてもとても、とーてーもー大変でした(笑)

 さて。

   それではまた別のSSでお会いしましょうね。


22rd. April. 2003. #104

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