ご利用は計画的に
阿羅本 景 「志貴、ねぇ、聞きたいことがあるんだけど」 ある昼下がり。俺とアルクェイドは公園の芝生の上で寝ころんでいた。 行楽用のレジャーシートを敷いて、二人並んでぼんやりとしている。琥珀さんの手製になるお弁当を食べ終わり、お互いに水筒の焙じ茶を啜りあった後の気怠い昼下がり。 春だというのに、日差しは夏を思わせるほどに高く強い。青葉に差す日光は色の濃い影を草の上に落としていた。風が吹けば気持ちいいが、生憎空気は澱むように陽気の熱を溜め込んでいる。襟元を開け放ちたいほどのむっとする暖かさ。 微かに汗をかき始めた額を拭って、俺はアルクェイドに向き直る。 「あー、なに？アルクェイド」 「ん……ちょっとまっててね」 アルクェイドはスカートのポケットをごそごそと探っている。あれ？あれ？とか言いながら手を動かしているアルクェイドの額には、汗一つ浮いていない。真紅の瞳の宿るその美貌は、メイクもされていなければ汗の滴すら浮いていない。 なんとなく……こいつの肌に触れば今なら冷たそうな気がする。氷柱を抱くほどでないにしても、冷えた布団に潜り込むほどに…… 「あれ……持ってきたはずだったんだけどなぁ？」 そんな密かで碌でもない欲望を無視して、捜し物に没頭するこいつ。 アルクェイドはポケットの中からモノをとりだし、ビニールシートの上に広げ始める。キーケース、ハンカチ、財布……やたらに現金を持ち歩くアルクェイドらしく分厚いそれ。女性らしいモノが少しは入っているかと思うと、テレクラのティッシュがぞろぞろ出て来たり、フィットネスチラシのチラシが出てくるのが如何にもこいつらしいというか。 いちいち道で渡されるモノを全部貰ってしまう、アルクェイドの癖。 一通り持ち物を並べてみて、うーんとアルクェイドが頭を捻る。 「……何か無くしたのか？おまえ」 「無くしたというか、持ってこなかったというか……あ、もしかして」 俺がそう尋ねると、アルクェイドはぱちんと指を鳴らしてサイフを取り上げる。ホックのぱつん、と言う音共に目の毒のようなサイフの中の札束が…… ああう、さもしいぞ、俺！俺が金を持ってないのは秋葉のせいであり、故に引け目を感じることはないと言うのに――でも、こいつが会計して貰わないといけないこともあるわけであり、そうなると男の矜持が…… 俺は頭を掻いて、そんな不純な思いを振り払う。 アルクェイドはサイフの中を覗き、あー、と嬉しそうに声を上げる。 「あったよー、志貴」 「おう、それはよかったよかった、で？」 「そうそう、これってナニ？」 そういってアルクェイドは、指で摘んでそれを俺に見せてくる。 俺が見たのはセロファンというかビニールの包みだった。生姜とか山葵をかを包んでいるかのような、ああいうビニールパック。最初はあめ玉かな？と思った 「……………」 でも、あめ玉なんかではなかった。 にこにこ笑いながらアルクェイドが持っているのは、指を丸めたぐらいの輪のようなモノが入った袋。包装の商標はオカモト。 そして、斜めに走る文字。 《明るい家族計画》 「…………うわぁぁぁぁぁぁ！」 「ど、どうしたの志貴！」 俺が大声で絶叫すると、アルクェイドもびくっと体を竦ませる。 というか、その、アルクェイドの奴はなんだってこんな、真っ昼間に俺にスキンを見せつけて来るんだ？それも公園の大衆の視線の中で。 俺が叫びながらアルクェイドの手を押し下げ、慌てて左右を見回す。 「どーしたの、志貴……？」 「あ、アルクェイド、お、おまえおまえおまえおまえ」 動転してしまって、まるで針の飛んだレコードと化す俺のノーミソ。 それはそうだ、周りはどうも俺、というかアルクェイドの方をじろじろ睨んで切るような気がする。それはそうだ、美女が白昼堂々スキンを持っていれば人目を引くどころか…… 俺はアルクェイドの手に持ったモノを隠そうとする、が、ひょいとこいつは身体を反らせてまたしても俺の目の前にスキンを突き付ける。 俺の視界の中で踊る、明るい家族計画の文字。 くら、と頭の中から血が抜けていくような感じすらする。 「これ、そんなに大変なモノなの？ねー？」 「そ、それはもちろん、だからはやくそれ仕舞ってくれ、アルクェイド！」 「……えー、どうして？」 興味津々で尋ねてくるアルクェイド。指の間に挟んでスキンをくるくる回す。 う、う、う、笑いながらなんて事を尋ねて来るんだこいつ……俺はそのままずるずるとシートの上に崩れ落ちていく。 「ねー、志貴、そんなゲシュタルト崩壊ごっこしてないでー」 「なんだ、それは、シュレーディンガー音頭の親戚か……」 「そんな物理学科の名物のことはおいといて、ああもう、志貴ったらどうしちゃったのよー」 シートの上に突っ伏す俺と、背中を揺すってくるアルクェイド。 俺はしばらくゆさゆさ揺られるままにされていたが、ごろりと転がって仰向けにアルクェイドを見た。 お日様を背負って、眉をハの字にして困っているアルクェイドの顔。 俺も困り果ててしまって、まずナニから尋ねるか迷う。とりあえずは…… 「……それ、どこで入手したんだ、お前」 「えーっと、町中で《エイズ予防キャンペーン》とかいう人たちが居て、これ配ってたよ」 そう答えながらぴらぴらとスキンを振るアルクェイド。こいつは俺の顔を見下ろすと思い出したようににぱっと笑う。 「そうそう、でね？」 「……もしかして、その場でコレの事を尋ねたんじゃないだろうな？」 「いや、してないけども……なんか面白そうだから、道を曲がってもう一回貰っちゃった」 ……一難去ってまた一難というか。俺ははぁぁ、と天に向かって長い溜息を吐くのが精一杯だった。一体こいつは俺が居ないときに何をやってるんだか…… 俺の呆れた顔に、アルクェイドは気が付いているのかどうか。まだまだ笑顔で俺への質問を続けてくる。 「エイズって、後天性免疫不全症候群のことよね？志貴」 「……あー、その筈」 「で、これと一体どういう関係があるのかなーって……家族計画ってエイズ防止の計画のこと？」 一体どこから話を修正していって良い物か、迷うほどのアルクェイドの知識の不均一さ。というか、人間社会のことなら大体「知って」いるんだったらスキンの使い方ぐらい……まぁ、でもおおっぴらに言う知識じゃないし…… 取りあえず、溜息を吐き続けると肺腑を空にするほど吐いても吐き足りないので、俺は諦めて頭を振りながら体を起こす。そんな俺にでねでね、とアルクェイドは話をしてくる。 「一個開けてみたけど、入ってたのはゴムの風船だし」 「……はぁ、そりゃぁ確かに風船と言えば風船で」 「だから、ナニがなんだかよく分からなかったから、こう言うことなら志貴はよく知ってるかなぁと思って……ね？」 そういって、はにかみながら俺を見つめてくるアルクェイド。 あーもう、そんな風に純真無垢な笑いで俺を見つめるなって……それも片手にスキン摘みながら。そんなアンバランスな様を見せられると俺は堪らなくなって―― ドクドクと勝手に打ち出す俺の心臓。 ふぅ、と深く深呼吸をして動揺を鎮める。鹿爪らしい顔をしてアルクェイドに向かわないと、青天白日の下でこいつを押し倒してしまいたくなって…… はー、と一息長く吐くと、俺は対アルクェイドの先生モードに頭を切り換えた。 「アルクェイド……これ、なんて言うか知ってる？」 「え？それくらいは調べたけど……コンドームとかスキンとか」 そういってアルクェイドはむ、と腕を組んで思案顔になる。 「スキンって、皮の事よね……コンドームって、確かそういう名前の英国貴族がいた記憶があるんだけど……１８００年代の記憶だから、どんな人間だったかまでは憶えてないわね」 流石真祖、そんなことまで知っているとは。というか、コンドームって英国貴族の名前だったのか？よもや極東でその名前が避妊具の代名詞になっていると聞けば、草葉の陰で悶絶するだろう。 俺よりも雑学っぷりを発揮するアルクェイドに、俺はうんうん、と頷いて見せた。 「じゃぁ……これ、避妊具だってことを知ってるよな」 「……ヒニン……えーっと、その……避妊？」 アルクェイドはその言葉を口の中で繰り返し、指先で摘んだスキンを眺めながら唱していたが、ヒニンという発音と避妊という意味が結びついたらしく、いきなり素っ頓狂な声をあげる。 指先から外れたスキンが、春の陽気の中をひらりと落ちて―― 「あの風船を、どうやって避妊に使うの？志貴」 「あー、だからアルクェイド……その、ここに着けるんだ、セックスの時に」 俺は、指先で控えめに股間を指さす。 ぽとん、とスキンがシートの上に落ちる。そして、それに続いてかぁぁ、とアルクェイドの顔が赤くなっていく。白皙の頬に血の気が昇って、見る見る桃色に美しく色づく。 アルクェイドはやおら、シートの上で正座して俯いてしまう。 こんなに恥ずかしがるアルクェイドというのもまた、格別に可愛らしくて…… 「そ、そ、そんなコトしなくちゃいけないの？だってピルがあるじゃない」 「日本では避妊の薬はあんまりメジャーじゃなくて……って、なんでピルを知っててスキンを知らないんだよ、お前！」 今更ながらそのことに気が付いて、俺はぱしってとアルクェイドの腕につっこみを入れる。 でも、アルクェイドは赤い顔のままで唇を尖らせて、恥ずかしげに言い返してくる。 「だって、向こうじゃ避妊と言ったらピルだし……」 「あ、そーなの……とにかく、そういう目的のものだから……人前で見せびらかせたりするもんじゃないんだ、アルクェイド」 わかったか？と付け加えると、こくんと頷くアルクェイド。 やおらこんなにしおらしくなっちゃって……くそぅ、さっきはアンバランスでエロチックだったけども、このしおらしいのもまた嗜虐心を…… 俺は、ぎゅっと手を硬く握りしめて欲望を堪える。ああもう、目の毒というか…… 「じゃ、じゃぁ志貴……な、なんで町中で配ってたの？」 「一緒にパンフか何か無かったか……ああ、その、エイズは性交渉の感染があるからスキンを着ければ感染の可能性は減るし」 「そ、そうだったの……で、でもね、志貴？」 アルクェイドは首を上げると、まぶしいぐらいに俺に笑い掛けてくる。 まるで芍薬や牡丹の花のような―― 「私だったらエイズとかビョーキの心配しなくてもいいからね？」 「……馬鹿。一体何を言い出すのかと思えば……」 俺は苦笑いを漏らすように見せかけて、内心ドキドキと倍以上の鼓動をうち続ける心臓を押さえるのが精一杯だった。胸元に拳を当てて、何気なく押し込む。 頬を染めて笑うこいつの媚態と、話している内容のまったりとしたエロチックさと、微かに漂うアルクェイドの薫りが――一つ何かが間違うと、俺の中が熱く狂いかねない。 はははは、と笑う俺の笑いもどうも硬い。 アルクェイドはそんな俺に気が付いたのかどうか……アルクェイドの唇が動いて。 「……志貴、もしかして、使ったことある？」 「……無いとは言わないけども、その」 思いも寄らぬアルクェイドの質問に、ついぽろりと漏らしてしまう間抜けな俺。 思わず額を叩いて愚かさに呻きそうになる俺と、む、とにわかに機嫌を損ねた顔で俺に向かってくるあいつ。 「あー、ひどいー。私には使ってくれなかったのに、そんなことどこかのだれかさんとスキン使ってしたんだー」 「昔の話だって……お前とまだ会う前に、その、俺の初体験で……」 拗ねるアルクェイドを宥めようとして、碌でもない恥ずかしい過去の暴露をしてしまう俺。こっちも赤面する思いで喋っていると、アルクェイドは不満そうに話の腰を折って―― 「なんでスキンするのよー」 「ば……そりゃ、あの時俺は中学生で、朱鷺恵さんは大学生だったんだ。妊娠しちゃう訳にはいかないだろうさ」 ……うぁ、とうとう朱鷺恵さんの名前まで口にしてしまった。 今付き合っている女性の前で初体験の女性の事を口にすると言うという、この致命的な事態にまた俺はへなへなとレジャーシートの上に崩れ落ちそうになる。 俺が崩れ落ちる寸前でアルクェイドを見つめる。あいつは眼を金にして怒って―― は、いなかった。 予想を違えて、アルクェイドは損ねた機嫌をころりと直していた。 俺が上体を空中で留めていると、アルクェイドはそっと俺の身体に腕を伸ばしてくる。 俺からではなく、アルクェイドから俺の身体は抱きしめられる。 「アルクェイド……」 「へっへー……ねー、志貴？」 ふわりと柔らかいアルクェイドの金の髪が、鼻先をくすぐる。 たおやかな腕が俺の胴に巻き付き、豊かな胸が俺の身体に押し当てられる。 そして、どんな香料よりも涼やかで、それでいて扇情的なあいつの薫りが…… 俺の鼓動が、アルクェイドの腕の中に盗み取られるような。 なにをしたらいいのか……わからないほどの。 「志貴、スキン着けないで私とえっちしてくれたんだね」 「それは……」 「じゃぁ、私の赤ちゃんを欲しいって思ってくれていたのかな？」 え？ それは……アルクェイドは吸血鬼の真祖で、俺は人間。そんな、子供が出来るだなんて今まで考えたこともなかったし、俺とアルクェイドの子供がどうこうだなんて話しは全然―― わからなかった。 でも、俺は否定も肯定も出来ずに、アルクェイドの腕に抱きしめられていた。 「うれしーよ……志貴……私も欲しいなぁ、志貴の子供」 「アルクェイド……」 「スキンなんか要らないね、私と志貴の間じゃ……今日は変なこときいちゃって、ごめんなさい。志貴」 俺の胸に顔を埋めて、甘いささやきを漏らすアルクェイド。 思いだしたかのように、俺はようやくアルクェイドの背中に腕を回す。 そして――そのままアルクェイドの身体を、シートの上に押し倒した。 俺の耳から、全ての音が消え去った。 腕の下で、柔和で満ち足りた顔をしているアルクェイド。 天頂から射してくる太陽と、地面から沸き立つ陽気の中で、俺は外の気温か内側の体温か、どちらか分からない程の熱を感じながら、身体をアルクェイドに寄せる。 唇が――ひんやりとしたアルクェイドの唇に触れた。 二人とも軽く唇を交わしながら、公園の芝生の上で寝ころんで…… 「……ねぇ志貴？今日はものの試しに、私でスキン着けてみる？」 「ダメ。生でお前を感じたいから……アルクェイド」 俺はアルクェイドの首筋に唇を着けながら、囁いた。 一瞬、ここがどこかを俺は忘れかけていた。そのままベッドの上で振る舞うようにアルクェイドの身体を触り始めようかと思った矢先。 ――不意に、音が蘇った。 公園と町の立てる音が耳の中を走り、正気に返ってしまう。 ふぅ、と息を吐いて俺は名残惜しそうに身体を持ち上げる。 でも、アルクェイドは俺の首筋に手を回して、いやいやと首を振る。 「あ、やめちゃやだよ、志貴……」 「アルクェイド、ここは公園だから……続き、お前のマンションでしないか？」 アルクェイドは、ちゅ、と俺の首筋にキスマークを付けてくる。 そして、腕を緩めて俺を見つめると 「うん……して。しようよ、志貴？」 「わかった……お前との子供が出来る、かぁ。ちょっと想像つかないけどね」 「私もまだ分からないけど、きっと出来るよ」 俺から名残惜しそうに手を離して、アルクェイドは囁いた。 手を伸ばしてアルクェイドのほわほわの金髪の髪を撫でると、俺は立ち上がる。 「さて、そうと決まれば……行こうか、アルクェイド」 俺は手を、レジャーシートの上に座るアルクェイドに延ばす。 アルクェイドは俺の手を見つめると、そっとその柔らかい手を差し伸べる。 きゅっとたおやかな手を取ると、俺は引き起こす。 「……うん、行こうよ、志貴」 《おしまい》 |