エジプト問答

阿羅本 景



「くぅ!」

 空中で腹を蹴り込まれたシオンの身体がくの字に折れる。
 シオンの顔が苦悶に歪み、その腹部を押さえて落ちてゆく。そしてシオンを蹴って反作用を得たかに見えた黒い影は、月を背にふわりと優雅にすら思えるほどの――

 背中から落ちていくシオン。
 空中でくるりとトンボを切ると、足をそろえて綺麗に着地する修道服の、女性。
 月は二人を照らし出して、そしてそのおぼろな影と身体が触れる。

 ズシャ!

 それは地面の小石と土を逆立てる音であった。シオンは受け身を取るがいまだに地面に横たわったまま。一方その傍らにすっくりと降り立ったシエルは涼しい顔の着地を決める。
 二人のその姿は勝者と敗者をあまりにも鮮やかに描き出している――

 と、言えるわけではなかった。シオンもシエルもお互いの服は銃火と刃で切り裂かれ、その下には血ににじむ肌が覗く。シオンは仰向けに転がり、しばし呼吸の出来ない苦しみに喘いでいたが、ようやく四つんばいに転がって立とうとする。

 シエルの手には、いつもながらの三本の黒鍵が手挟まれている。
 鉄の凍れる刃には月光が、闇に濡れる肌を切り裂くが如くに写っていた。シエルがその剣を掲げると、月光もつぅ、と刃の上を走る。

「……チェックメイトです。シオン・エルトナム」
「が……かはっ……はぁ……」

 地面にその気高く折ることを知らない膝は地面に尽き、白い手もまた大地の土を掴む。
 シオンは項垂れ、その長い髪が垂れて土に汚れる。シオンは目を見開いてしばし暗い大地を見つめている。
 口の中に鉄の味がする。血の味だと知識は告げるが、本能は血はもっと甘いものだと訴える。おかしなもの、死徒の性は官能すら犯して変えようとするだなどと――
 シオンはその長い戦いを全て記憶していた。それは的確な予測と意外の事態のモザイクであり、最後は空中での一撃に抗しきれなかった。

「いや、計測と理論の錬金術師である貴女なら、私のような拙い差し手が告げるまでもなく分かるはずです……この勝負、私の勝ちです。貴女は何手前に己の敗北を悟りました?」
「……………言ってくれるものですね、代行者」

 シオンはそう、微かに悔しげに言うのが精一杯であった。
 そんなシオンを見下ろすシエルは、黒鍵を構えて冷たく微笑んだ。目つきは鷹のように鋭く、少しでも怪しげな動きを示せばたちまちのうちにシオンを黒鍵の贄にせんとする。

 シオンはかろうじて上体を起こすと、月を背負うシエルを見上げる。
 口の端からは切れて血が流れていた。それを手の甲で拭うと、右手の黄金のブレスレッドにすと手を伸ばそうとするが――
 その時、シエルの手が動いたとも思えなかった。だが、シャァァァ!と鋭い風切り音が響き渡りシオンはそれを避けるまもなく

「うっ……」

 目の前の地面に黒鍵が突き刺さる。
 飛び散った土塊がシオンを打ち、そして燃え上がる黒鍵の炎から顔を庇う。

「言ったはずですよ? 私の勝ちだと……敗者は敗者の運命を甘受すべきです、愚かで哀れな真似をすれば己をよりいっそう惨めな物にする。敗北を毅然として受け入れられる者だけが名誉を汚さずに居られるのです。おわかりでしょう?シオン・エルトナム?」

 シエルは顔色を変えずにそう告げる。
 シオンの顔は黒鍵の炎に照らし出され、硬くこわばっていた。今の黒鍵はわざと外された――舐めた真似をしてくれる、そんな増長が勝負を危うくするのに。シオンはそう思うが、目の前の代行者の任務からすればこれは不合理な行動ではないとも分かる。

 シオンの鋭利な頭脳は、何がこれから起こるのかを予測する。分割思考をするまでもない、片手間でもこの代行者の望みは察することが出来るのだから。
 そのようなことよりも、なぜ自分が負けたのか?戦闘予測への補正を効かせ切れなかった自分に不甲斐なさを感じるよりもむしろ――

「負けたのが不思議、と言う顔をしていますよ?シオン」
「……私の予測は最善手を常に選び続けた。だが、代行者――貴女の戦闘行動を追い切れなかった。なぜ……」

 シオンはそう、尋ねる気もなさそうに口にする。
 だがシエルはそんな疑問につと口を挟む。顔は冷たく笑いもせずに……

「簡単ですよ。私は常に戦闘の最善手を選ばないで戦いを組み立て続けたからです。」
「馬鹿な――」
「ええ、危ない綱渡りでしたけどね、アトラスの錬金術師相手、とくに最優秀のアトラシアであれば虚によって実を打つ戦術は有効です。しかしこういう戦い方を得意な人を貴女も知っているでしょう?」

 そういうシエルの口元が微笑んだ――ような気がした。
 だがそれは錯覚だったのかもしれないし、夜の中の見間違いだったのかもしれない。
 シオンもシエルも、その名を思い浮かべると笑いもあながち嘘ではないと……

「……志貴のことですか?」
「ええ、私も昔は貴女と同じ苛立ちを遠野君には感じましたけどね。すっかり遠野君には慣れましたからこういう芸当も出来るようになったんですよ。さて――」

 シエルがわずかに肩をすくめたようにも見えたシオンだったが、それも見違えだったのか?
 地面の上に膝を突き、ようやく呼吸が収まってきたシオンはそんなシエルの渡井を転じる息を聞くと、せめてもと……キっと眼差しも鋭く顔をを見上げて。

「私をどうする気――です?代行者?」
「それが分からない貴女でもないでしょう……いい目をしていますよ?シオン」

 はぐらかすような言辞を口にするシエルを、シオンは睨んでいた。

「教会の指令とアトラス学院の捕獲指令に基づき、貴女を拘禁します。シオン・エルトナム・アトラシア。貴女の身柄は一度教会が預かり、審問の上でアトラス学院に引き渡します」
「……窖に返す前に私は五体満足ではいられませんね、シエル」

 バチカンの教皇庁、それも騎士団ではなく悪名高き特殊機関である埋葬機関に捕縛され、審問されるというのは――シオンも予想はしたがその内容までは予測したくはなかった。
 ただ、皮肉を言わずにいられないシオンをシエルは蔑むような冷たい瞳に据える。

「――シオン?貴女は死徒にその身を犯されている事を私が知らないとでも?」
「――――――――――――――――――――――」
「そも神権神罰の代行者である埋葬機関には、死徒に対する全権が負託されているのです。貴女が滅ぼされようが片輪になろうがそのことを咎める者はありません。つまりは貴女の生殺与奪は私が手にしている……そのことをお忘れいただきませんように、シオン・アトラシア」

 そう、冷たい声でシオンは告げる。
 シオンは地面に跪いたまま、燃える黒鍵の炎に姿を浮かび上がらせている。その目はシエルを感情が籠もらない、硝子玉のような瞳で見つめて――

 黒鍵が燃え尽き、そのまま炭のように崩れて消える。

 シオンの眼差しを前にしてもシエルも動じはしない。歩み寄りながらも軽く指を打ち鳴らす様に動かすと、指の間にもう一本の黒鍵が浮かび上がる。そしてそれをシオンの前に突きつけた。
 鋼の蒼黒い肌はシオンの喉元に擬せられる。少しでも動けばその怒りの刃がシオンの肌を切り裂くほどに間近に。刃物を向けられてもシオンは、ただじっと跪いたままでいた。

「観念しましたか?それとも――引き延ばせば秋葉さんか遠野君が助けに来るとでも?」
「……その可能性はありません。可能性があれば、こんな戦いはしていませんから――代行者、貴女は貴女の勝利者である権利を行使すべきでしょう。今の私は貴女と交渉すべき担保を持たないのですから」

 シオンは、ごく落ち着いて答える。刃物を喉に突きつけられ、殺意すら持つ相手を前にしては堂々と落ち着いた素振りであった。シエルはそんなシオンの自若たる態度に軽く眉を動かして驚きを示した。

「……教会も騎士団の壊滅とあの一夜の事をまだ精算し切れていないのですね。定めし無謬の教会は私にあの事件の責任を負わせたがるのでしょう。愚かな……勇敢だったあのリーズバイフェの死をあなた達は何の糧にも出来ないのですか……」

 リーズバイフェ。その名を口にするシオンは苦さを隠しきれない。
 アトラスの錬金術師であった頃に、心を許した数少ない人間。そしてその命はタタリの中で散華し、我が身は呪われて夜の中でさまよい続けるのだから――

 シエルはそんなシオンが喉の奥でしたたらせるような呻きを聞いても、軽く咳払いをしただけであった。そしてその声に仕方ない、というあきらめを微かに漂わせながら。

「騎士団は騎士団、我ら埋葬機関の代行者とは違います。枢機卿や団長は貴女に問いたがることは山ほどあるでしょう……ですが」

 シエルはそこまで言うと、すっと目つきを鋭くする。
 喉元にある刃が微かに震えた――様にシオンは感じた。怒りか、動揺か、なにがシエルをかくも突き動かすのか?シオンにはそれは不思議に思えた。
 いかなる可能性があるのか?シオンは推測しようとおもったがそれをシエルの話が遮る。

「私は貴女に一つ、尋ねたいことがあります」
「――――――――――――――――――――――」

 シオンは思考する。埋葬機関の代行者、シエルが自分に何を聞こうとしているのかを。
 だが、その予測は代行者ではなくシエルという一人の女性に起因するものの可能性がもっとも高いとわずかな間に割り出した。分割思考を使うまでもない。
 シオンは一度瞬きすると、くっと身体をかがめて笑う。

「何が可笑しいのですか?シオン・アトラシア?」
「……貴女の尋ねたいことは……代行者としてアトラスの娘に尋ねることではないですね。シエルという女性がシオンという女性に尋ねること――その内容は、遠野志貴に関すること。違いますか、シエル?」

 シオンの声は嘲るように響く。
 顔を起こしてシオンは挑むような瞳でシエルを見上げる。目の前にある黒鍵の鈍い鋼の輝きも怖れるものではなかった。喩えそれが己の身体を傷つけるものであったとしても、今のシオンの心を折るには足りないのだから。

 どうです――? と言いたげなシオンの顔。
 だがそれを見下ろすシエルの顔には、動揺は見えない。

「……浅ましいものですね、代行者。貴女は恋敵の秋葉や真祖を出し抜くために私の口から志貴の秘密を聞こうと? それとも私に身の安全の代わりに志貴を手に入れるのに協力しろと――そんな事を私に言うために戦ったのですか?シエル――」

 その瞬間。

「――っ!」

 シエルの切っ先が走り、シオンの頬を浅く切り裂いた。
 一条の紅い筋が走り、頬に血が垂れる。引っ掻くような痛みを感じてシオンは頬に手の甲を当てると、それは血に濡れている。

 シエルは、シオンの言葉を取り合う気も無いように冷たく無言で――

「――――――」
「錬金術師の貴女にしては、考えることが下衆の勘繰りとおなじですね、シオン・アトラシア。そのように私を見くびって貰っては困ります。その綺麗な顔にキズを増やしたくなかったらおとなしく答えることです――もっとも死徒に血肉を犯された貴女なら、そんな傷は傷のうちに入りませんが」

 シエルは怒った様子もなく、むしろ淡々と静かに語る。
 頬に手を当てたまま、シオンは身動き一つ取れなかった。走る切っ先をシオンは予測し、回避することが出来なかった……それは、自分がむざむざこの黒鍵に喉頸を切り裂かれかねないことも同時に意味している。

 式典の込められた武器での重傷は、今の自分の身体でも抗しきれない。
 であれば、状況が好転するきっかけが得られるまではこの代行者の言いなりになるしかない。ただ、そのきっかけは彼女が予期するより遥かに私の方が早く糸口を捉えられる――

 シオンのそんな思考の沈黙を、了承と取ったシエルは問うた。
 それは火刑法廷での審問官の如く、重く、厳しい声で……
 月を背にしたシエルの法衣の姿が高くそびえ立つような錯覚をシオンは覚えて……

「シオン・エルトナム・アトラシア。隠し立ては私のためにも貴女の為にもなりません。また虚偽も私の目と耳を潜ることは出来ないでしょう」
「――――――――――――――――――――――」
「疾く答えよ!」

 その声に、ビリビリと夜の空気が震えた。


































「本場エジプトカレーのレシピを!」


































「………………………………………何?」

 身を固くして備えたシオンは、その審問を――理解できなかった。
 いや、理解できるはずがなかった。彼女の高速思考はシオンと我が身にまつわる全ての可能性を洗い出し、それに対する矛盾のない回答を紡ぎ出していた。同業の魔術師、それもアトラスの娘より優秀な時計塔の精鋭でもない限り、一年問いつめてもその尻尾を捕まえることが出来ないほどの……

 だが、シエルの問いは、その斜め上を飛んでいた。
 斜め上、というより斜め上の次元に飛んでいた、というのが実際の所だった。むしろあまりにも予想も計算も超越した世界の質問であったために、予想は540度ぐらい外されたシエルはまず何を問われたのかを理解することが出来なかった。

 よしんば理解できたとしても、シオンの頭の上には世界の全てよりも重い疑問がのしかかるであろう。なんで、錬金術師でありアトラスの娘でありエルトナムの裔である自分にカレーのレシピを説明する義務を負わねばならないのか、と。

 さらにはもっと深刻な問題もある――

「何、鳩が豆鉄砲食らったような顔しているんですか? シオン・アトラシア?」
「……………すみません、代行者。もう一度言ってくれませんか? 私の聞き違いかもしれない……」
「ですから、本場エジプトのカレーのレシピです、作り方ですよ? 知らないとは言わせませんよ?」

 呆然として色を失ったシオンに対して、ふふふんと鼻で笑いながらシエルは胸を反らす。なんでこんなに代行者は私に自信満々で訳の分からない事を聞くのだろうか? これはもしやバチカンと埋葬機関の編み出した新たな尋問なのか? こうして隙を生んで底に付け込んで激しく質問をするのか? とも

 だが、シオンが見る限りではシエルの質問は――本気だった。
 いや、本気だからこそシオンにとってはあまりにも質が悪いのであるが。

「知らないとは言わせないというのは……」
「すでに証言は上がっているんですよ? 遠野君から聞きました……貴女が遠野君に手料理でカレーを食べさせてあげたということをね」

 ふふふ、と怪しく笑うシエル。そんなシエルの何を考えているのか分からないのに、嬉しくて堪らなさそうな笑み崩れた顔で自分をまるで美味しそうな料理であるかのように上から下まで眺められるのは、正直ぞっとしない――それがシオンの偽らざる感想であった。

 だがそんな生理的な嫌悪の伴う感想は脇に退けておいて、シオンはその言葉の内容を検討する。だがそれはすぐに記憶の中に……

「ああ、琥珀が時南医院に泊まりがけで出掛けていた時ですね。仕方ないから居候の私が秋葉と志貴の分の食事をつくったのですが……それがなにか?」
「遠野君は美味しいと言っていましたよ……だがしかし!」

 ちゃきっ!と月明かりに黒鍵をかざしてシエルは叫ぶ。

「このカレーの女王と言われたシエル様に秘密で、マイラヴァーである遠野くんに美味しいカレーを食べさせるとは許せません! 本来であればその罪は万死に値しますが、神は慈悲深くカレーもまた神の愛を象徴しているので特別にそのエジプトカレーのレシピを教えれば、死一等は減じましょう!」

 ――かくも堂々と胸を張って、いったい代行者はどういう論理を主張しているのだろう?

 シオンにはこの、カレーと神の恩寵を絡めて裁判官というよりも、オペラ歌手のように朗々と歌い上げるシエルの姿を見て、己の存在を蝕まれるかような不安を覚える――つまり、理解不能であると。

 理解不能。それは暗い光の差さない井戸の中をのぞき込み、小石を落としていつ聞こえるともしれない水音を待ち続け、もしかしてこの穴蔵が限りなく深く己を飲み込もうとしていると感じるかのように。

「――――――――」

 シオンは無言だった。
 高速思考と分割思考は用いなかった。用いたところでもこれほど断絶した思考を現実の我が身と結びつける狂気のロジックを弄びたくはなかったのだから。

 いや、それよりも。一番重要な問題がある。

「ふふふふ……本場エジプトのカレーの秘密は余程重大だと見えますね? だけどもおとなしく吐かないと教会仕込みの拷問四十九手を味合わせても吐かせますよ……このシエルの前にカレーの隠し事は、神の前で懺悔せざるがごとき虚偽の罪にあたるのです!」
「――――その、代行者。まことに申し訳ないのですが――」

 こほん、と軽く咳払いをして。
 シオンはゆっくりと立ち上がると、服の埃を払ってからおもむろに腕を組んで――

 最も重要な、問題の核心に触れる重要な事実を

「エジプトにカレーはありません」


 ………
 ………………
 ………………………
 ……………………………………

 ……………………………………
 ………………………
 ………………
 ………


「いや、ですからエジプトにカレーはないのです、代行者」
「嘘です! 遠野君がシオン、貴女のカレーを食べたって言いましたよ! それもナン付きで」
「私が作ったのはショルバ・ト・ホダールとエイシです。つまり野菜のシチューとパンで、香辛料とトマトは入りますが到底あれではカレーとは言えません。カレーらしいターメリックも入ってませんし」
「うう、ううう、で、でもナイルカレーとかクフカレーとかあるじゃないですか」

 途端に落ち着きを失い、だだっ子のように足を踏むシエルを眺めシオンは眉間に指を当てると、はぁ、とため息を吐いて首を振ると――

「それはこの国の勝手な商標です。ではなぜナイルカレーに「ムルギカレー」なるインドの名称が付いているのかを教えて欲しいものです。そもそもそういうことを言い始めたら、シエル貴女はバルチックカレーはバルト海固有のカレーだとでもいうのですか? 冷静に考えたらそれくらい分かるはずです、カレーとラーメンはもはやこの国独自の料理となっているのですから」

 びしびしと冷静に反撃するシオンの言葉に、動揺したシエルは、肩を振るわせてくるりと

「う、う、うわぁぁぁぁぁぁぁん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
「あ、待ちなさい代行者、いったい何を本当は――」

 シエルは泣きながら、脱兎の如く逃げ出していく。その背中にシオンは呼び止めようとしたが、果たせずみるみるうちにその姿は小さくなっていって――
 気が付くと、真夜中の公園に一人シオンだけが取り残されていた。

「――――――――――――――――――――――」

 シオンは頬を撫でる。すでに傷は埋まっていて、血のかさかさとした汚れだけが指にこびりつていた。指をこすり合わせて粉となった汚れを払うと、シオンは法衣の黒い影が小さく消え去っていって方角を眺めながら、小さく呟く。

「……代行者は、いったい何のために……」

 もしかして、教会と学院の命令を口実に、シエルはカレーの事を聞こうとしていたのではないのかと。理性はそんな理解不明な行動を否定するが、今までの行動を見るとそれも否定しがたい。だが、肝心のシエルはもう逃げ去っていない以上はそれを考えてもどうしようもない。

 シオンは肩を落として頭を軽く振る。

「……帰りましょう、明日、志貴がシエルに何を言ったかを確かめないと――」

 シエルはとぼとぼと夜道を歩いて帰路につく。
 だが、シオンは知らなかった。シオンがのんびり歩いて帰っているこの時間にも……

「遠野くん! 私に嘘を付きましたね!」
「うわぁぁぁ! 先輩いったい何を、こんな真夜中に!」
「許しません遠野くん! とくにカレーでの嘘は許しません! お仕置きです!」
「って、いったい何がなんだか分からないのにー、あー、やめてー、縛らないでー!」
「今晩はもう寝かせませんからね? 遠野くんの身体にいかにこの私にカレーで嘘を付くことが罪であるのかを教え込んであげます!」
「ああっ、先輩やめてっ、脱がさないでっ、そ、それになんでそんな浣腸器一杯にカレー詰めてるんですかそんなもん入れられたらぁぁ!!」
「問答無用です! さぁ遠野くん? カレーの国でたっぷり思い知って下さい!」
「あ、ああ、ああああああああーん、うひぃぃぃぃぃ!」



《おしまい》


index