首筋を撫でた手が胸の方に動いている。
 母さまの白い手。

 反対側からは別のもっと柔らかい感触。
 母さまの頬が触れている。
 そして、微かに息が喉を撫でる。

 何が起きているのかわからない。
 どうしてこんな事をしているのかわからない。
 母さまは今、どんな顔をしているのだろう。

 喉が舐められた。
 声が洩れそうになる。
 でも、僕はぎゅっと目を瞑ったまま。
 でも、僕は歯を食いしばって口を閉じたまま。 

 僕は眠っているから。
 だから、母さまが何をしても気づかない。
 少しだけ。
 少しだけこうしていれば、きっと終わるから。

 頭からつま先まで触れる母さまの手を。
 ぎゅっと僕を抱き締める母さまの手を。
 パジャマをはだけさせる母さまの手を。

 くすぐったくて、そして何だかむずむずとしてくるのを我慢すれば。
 そうしたら、母さまは離れて、朝になるから。
 そうしたら、これは全部夢に変わるから。
 なにもかも、無かったことになるから。
 きっと……。

 でも、母さまは僕に構わない。
 慌てずにゆっくりと僕に触れて、僕を弄んでいる。
 パジャマだけではなくて下着も全て脱がされてしまった。
 いつもの母さまより強く抱き締められている。
 いつもなら触れられないところを手で撫でられている。
 いつもの軽いキスとまるで違う、いろんなところを唇が触れている。

 目を瞑ったままでいるのに耐えられない。
 声を出さず黙ったままでいるのを我慢できない。
 体が勝手に跳ねるように動いてしまうのを抑えきれない。

 やめて、母さま。

 声を出したら、秋葉に気づかれるよ。

 母さま、秋葉母さ…ま……。







『children #1.志貴』

作:しにを







 遠野秋葉……、僕の妹。
 遠野秋葉……、僕の母さま。
 とおのあきは
 同じ名前。
 妹と母さまは同じ名前。

 妹の秋葉と、秋葉母さま、そしてもう一人の琥珀母さま。
 僕の家族。
 僕の、遠野志貴の大切な人達。

 憶えている一番の昔から時から、僕の周りにはこの三人がいた。
 小さい頃から僕の傍には、この三人しかいなかった。

 大きなお屋敷、広い広いお庭。
 ここで暮らしているのは、僕たち四人だけ。
 外に連れて行ってもらう事はあっても、僕と秋葉にとっては長いこと、この遠野家だけが全てだった。
 秋葉母さまと琥珀母さまが見守る世界だけが、僕たちの全てだった。

「学校へ通われるようになったら、もっとお友達も出来ますよ」

 琥珀母さまは時々そう言っていた。
 僕たち以外の同い年の子供、少し恐いけど、わくわくしたのを憶えている。

 それからしばらく経って、琥珀母さまが言うとおりになった。
 僕と秋葉は少し大きくなって、学校へ行くようになった。
 学校は不思議で、今までと何もかも違っていた。
 いろんな子や先生達。
 僕も秋葉も凄くびっくりした。
 嫌なこともわからない事もあったけど、それ以上に楽しい事が多かった。
 それでも、僕と秋葉にとっては、この家の中にいる事が当たり前だった。

 朝、目を覚まして琥珀母さまに世話され、母さまに「行ってきます」と言うのは少しだけ寂しかったし、勉強が終わって「ただいま帰りました」と言う時は逆に声が弾んだ。
 母さまは、「しっかり先生の言う事を聞いて、頑張りなさい」と言って笑顔で見送り、僕たちが戻ると本当に嬉しそうに迎えてくれた。
 それから、今日学校で起こった事を、秋葉と二人で競うように話すのを、琥珀母さまと一緒に楽しそうに聞いてくれる。
 ふたりの母さまが喜んでくれると、僕たちもとても嬉しい。
 それから夕食の時間まで、僕と秋葉は庭に飛び出したり、屋敷のあちこちに向かったりする。宿題をしたり、秋葉とふたりでちゃんと勉強だってする。

 母さまは僕と秋葉が仲良くしているのを、時々遠くから眺めている。
 微笑みながら、じっと僕らを見つめている。
 何で声を掛けないのだろうと思うけど、その優しい眼差しでいる時の母さまはとても幸せそう。
 僕らが気がついて母さまを見ると、いいから遊んでいなさいと言うように頷いて見せる。

 琥珀母さまも、僕たちが家の周りや森や菜園の方で遊んでいる時に、いつの間にか魔法のように現れて、にこにことこちらを眺めている事がある。
 そんな時は、おやつが用意してありますよと言って一緒にお部屋に戻ったり、その場でミルクやジュースを何処からかぱっと出してくれたりもする。

 僕も秋葉も、二人の母さまがとても大好きだ。
 二人とも大人で、僕たちに優しい。
 ときどき煩いくらいの事もあるけど、逆らってもかなわない。
 特に秋葉母さまはめったに声を荒げて怒ったりはしないけれど、何か言いつけに背いた時にじっと見つめられると、それだけですぐに謝ってしまう。
 秋葉はまだぐにょぐにょと口答えする事もあるけど、僕はダメだ。
 琥珀母さまも、秋葉母さまの言う事は何でも頷いて聞いている。
 何かあってやんわりと意見をする事はあったけれども、絶対に喧嘩みたいな事はしなかった。

 でも、二人の母さまが言い争っているのを一度だけ見たことがある。
 僕と秋葉が学校に行くようになる少し前だった。
 夜に目を覚まして下へ降りて行くと、二人がまだ起きていて話をしていた。
 声を掛けようとして、僕は何だか変だなと黙って様子を覗った。
 琥珀母さまが何か言うのを、母さまは反対していた。
 いつも秋葉母さまには逆らわない琥珀母さまがこの時だけは、少し恐い顔をしていた。

「教育なんて……    ここで……」
「秋葉さまに志貴様とお嬢様の未来を奪われる……    外の……」

 喧嘩をしているのではないかと思うくらい、二人は激しく言い争っていた。
 話している言葉も、難しくて、所々わからない。
 でも、僕と秋葉の何かを話しているのだとはわかったから、僕は見つからないようにして、二人のやり取りを聞いていた。

「志貴さんなら、そんな事はなさいません」

 怖い顔をした母さまに、琥珀母さまは軽く首を左右に動かして口を開いた。
 静かな声だった。
 僕に向かって言ったのかと、体がびくんとした。
 母さまも急に黙ってしまった。
 秋葉が怒られた時のような顔に変わっていた。

「兄さん?」
「志貴さんなら、お二人に普通の教育を受けさせてあたりまえの生活を送らせる事を望まれたと思います。
 わたしは学校と言うものがよくわかりませんが、秋葉さまが時折、外の学校での事を懐かしそうにお話になられるのは良く存じています」
「……」

 二人とも黙ってしまった。
 僕も音を立てないように身動きしないで固まっていた。

「そうね……、琥珀の言う通りね」
「差し出がましい口を……」
「ううん、琥珀も二人の母親なのだから」

 母さまは泣きそうな顔をしていた。
 琥珀母さまが優しく寄り添い、優しく話し掛けている。
 僕は、その隙にそーっと部屋に戻った。

 そのやり取りはよくわからなかった。
 ただ、一つ大きな疑問が起こった。
 二人の話に出てきた「志貴さん」は誰だろうって。
 僕の事ではない、不思議とそう思えた。

 次の日は二人共全然変わらなかった。
 思い切って、志貴という名前の事を訊こうとしたけれど、どうしても出来なかった。

 学校に通うようになってからだった。
 僕の名前が、母さまの兄さまの名前から取られたのだと知ったのは。
 秋葉が母さまの名前をそのまま付けられたように。

 何故、今まで教えてくれなかったのだろう。
 そうちらりと思ったけれど、秋葉の兄なら志貴しかないわと言う母さまの言葉にそうなのかと納得した。

 秋葉と僕を優しく見つめて、「遠野志貴は秋葉を守ってあげるのよ、兄さんなんだから」と母さまは言った。

 それから何度も。
 いろんな時に。
 僕はその度に強く頷いた。

 それからもう少し大きくなった頃から、時折母さまは僕の事をしげしげと眺めて、兄さんに似てきたわね、と言葉を洩らす事があった
 嬉しそうな哀しそうな顔をして。
 少し僕は落ち着かなくなるけど、母さまは覗き込むように僕の顔に自分の顔を近づけていた。

 そしてそ時々それとは違う目が僕を見つめる事があった。
 どこがどう違うのかはわからないけれど。

 優しい母さま。
 綺麗な母さま。
 気品のある母さま。
 それは少しも変わっていないのに。
 でも……。
 僕の愛している母さまを、少し怖く感じた。

 庭で遊んでいる時。
 ご飯を食べている時。
 そして寝ている様子を見に来た時。

 なかでも、夜にベッドの傍で僕を見つめる母さま。
 僕はその間、緊張して、ぎゅっと目を瞑っていて……。
 じっと寝たふりをしていると、頬にキスをして戻ってしまうけれど。

 その夜もそうだと思っていた。
 だけどそれだけではなくて母さまは、僕に手を伸ばして。
 そして……。








 大きな声が出そうになる。
 母さまの手で触れられて体が変で、びくんとして。
 このままどうなるのか怖くなって。
 でも、声に出してしまったら……。
 もしも秋葉に、妹の秋葉に聞かれたらと思うと恐くなる。
 歯を食いしばって、耐えた。

 母さまでは無いみたい。
 小さく笑って、頬ずりして、いつもとは違うキスをする。
 唇が触れるだけでなくて、強く押し付けられ、ちゅっと吸われている。
 舌でちろりと舐めているのがわかる。

 なんで、なんでこんな事をするのかわからない。

 おへそから上がって来るのがわかった。
 肩を、首を舐められて、思わず目が開いてしまった。
 ちょうど顔を上げた母さまと目が合った。

 光る瞳。
 笑っている筈なのに、なんだか見た事もないような顔。
 怖くて、でも眼が離せない。

 僕が目を覚ましている事が知られてしまった。
 そう思うと、凄く怖くなった。
 でも母さまは僕が目を覚ました事に気がつかないように、まったく動きを変えない。

 思えば僕がどれだけ必死でも、寝た振りをしていた事など最初から母さまにはわかっていたのだろうけど、僕はそんな事考えも及ばなかった。
 だから「気付かれたらどうしよう」という不安は目を開いて消えた。
 その代り、終わる事無くこのまま続くのだとの恐怖に体が震えた。

 母さまは、僕の体中を手で触れて唇をつける。
 それはくすぐったくて、そして気持ちいいのだけど。
 首筋、胸、手や足。
 そこはまだいい。
 だけどもそれだけでは止まらない。
 体中どこもかしこも、くまなくゆっくりと母さまの手が弄り、唇が這い回る。
 足の指、おちんちん、それにお尻にまで。
 全然他と変わらずに、お母様の舌が触れて動く。
 たまらずに、声を出す。
 ダメだよ、汚いよと言っても、母さまは笑うだけ。

 よくわからない。
 木の枝から転げ落ちた時みたいに。
 前に連れて行ってもらった遊園地で、泣き出す寸前までなったジェットコースターに乗った時みたいに。
 屋根の上から下を覗いた時みたいに。
 泣いていいのか笑っていいのかわからない、頭が変になりそうな感じ。
 怖くて目をつぶりたいのに、体はもっともっとと言っている感じ。

 おしっこをする時とは違う、でも僕のおちんちんが変になった感じで。
 おちんちんが大きくなっている。
 時々、こんな風になってしまう。
 こんな変なの知られたくなくて恥ずかしくて、秋葉にも誰にも気づかれないようにするけど。
 じっとしていて時間が経てば元に戻るけど、母さまに見られていると思うと涙が出そうになる。

 母さまはじっと見つめている。
 何も言わない。
 変だと思っているのかな。
 気持ち悪いと思って、声も出ないのかな。

 僕が何も言えずにいると、母さまは手を伸ばした。
 僕の大きくなったおちんちんに母さまの白い指が触れる。
 そっと絡みつき、優しく握る。
 あたたかい。
 柔らかい。
 母さまの手に触れられてぴくんとする

 ちっちゃな子供みたいにおしっこを洩らしたのかと思ったけど、何か違う。
 母さまがおちんちんに触れると、変な感じ。
 こんなの知らない。
 どうしていいのかわからない。

 軽く握っていただけの母さまの手が動いた。
 指が、いろんなところを這い回る。
 指先が少し強く僕に触れて、砂に字を書くみたいに動き回る。
 撫でるように掌がおちんちんの先や、袋を動く。
 指を広げて包むように動いて、握ったり放したりする。

 その母さまの動きのたびに、いろんな変な事が体に起こる。
 痒いような、
 痛いような、
 冷たいような、
 暖かいような、
 なんだか気持ち悪いような、
 むずむず気持ち良いような、
 これまで感じたことの無いような変な感じ。

 息が荒くなる。
 駆けっこをしたみたいに。
 声が出てしまう。
 泣きそうな時みたいに。
 体がびくびくと動いてしまう。
 体中を擽られたみたいに。

 そして、何かが体の中から染み出した。
 何だかわからない。
 すーっと力が抜けて、でも体がぴんと伸びて。
 母さまの手に、自分からおちんちんを擦りつけてしまった。

 ぐったりとした。
 立っていたら、倒れてしまったかもしれない。
 動けないでいる僕に、母さまが何かしている。
 元に戻った僕のおちんちんを掌に乗せて軽く握っている。 
 さっきのいちばん変だった時の、あのおかしなものが染み出ているみたいな感じで、それだけでもむずむずする。
 母さまが強くしたらおかしくなりそうだけど、母さまはそっと優しくあやすようにしているだけ。

「まだ、さすがに無理みたいね……」

 母さまは自分の掌を見つめて、呟いた。

「もっと大きくなったら」

 母さまがぽつりと言う。
 いつもと違う母様。
 なんだかもっと小さな子供みたい。
 泣いたりはしないけど、喧嘩をした時の秋葉みたい。
 どんなに秋葉に腹を立てていても、そんな泣きそうな顔をされるとすぐに怒りは消えてしまう。

 お兄さんだから。
 秋葉を守ってあげてね。
 そんな母さまの声が頭に浮かぶ。

 今も、そう。
 母さまを前にしているのに、母さまの声が聞こえた。

 寂しそうな秋葉。
 秋葉母さま。
 母さま……?

 でも、僕が口を開く前に母さまの表情が変わった。
 言わなきゃ、何か言わなきゃと焦る僕の顔を、少し柔らかい表情で見つめている。
 何かを懐かしむような顔。

「ごめんなさいね、志貴」

 そう言って髪の毛を優しく触ったのは、いつもの母様だった。
 服を着せてくれて、毛布をかけてくれて。
 それから、さっきとは違う、おやすみのキスをしてくれた。
 うん、いつもの母さまだ。

 急に瞼が重くなった。
 いつもなら眠っている時間だし、なんだか疲れたからかな。
 ふっと母さまの姿が暗く消える。

 ぼんやりとしながら、さっきの母さまの言葉を思い浮かべた。 

 もっと大きくなったら、何なんだろう。
 もしも僕が大きかったら、母さまはどうしていたんだろう?
 わからない。

 でも、泣いた時の秋葉みたいな顔をした母さまを見て僕は思った。

 僕が守ってあげるんだ。
 母さまを。

 ずっと小さい頃から言われていた言葉。
 母さまから何度も言われた言葉。
 琥珀母さまから何度も言われた言葉。
 僕の胸にいつもある言葉。

 遠野志貴は、遠野秋葉守ってあげなくちゃいけない。
 そう。

 今はまだ小さくて力も弱いけれど。

 遠野志貴は、大きくなったら守ってあげるんだ。

 秋葉を。
 妹の秋葉を。
 母さまの秋葉を。

 大丈夫、あなたには兄さんの血が流れているのだから。
 前に、母さまが髪を撫でながら囁いた言葉。

 それを思い出す。

 そうだ。
 大きくなって家族みんなを僕が守るんだ。

 そう思ったらなんだかもやもやした怖さみたいなのが消えていった。
 それでいいんだと安心できた。
 目を瞑った。
 すぐに、眠気が襲ってきた。

 甘い香りが残っている毛布に包まって、僕はそのまま眠りについた。


《了》



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