pugilism 傾:シリアス


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1: 葉山かなで (2004/04/18 00:50:44)[sapha at mbk.nifty.com]

※本作は聖杯戦争より以前の話です。



「葛木せんせーい」
 呼び声に足を止めると、制服姿の少女が駆け寄ってくる。
「どうかしたのかね」
「あ、はい! あの陸上部の予算申請の期限なんですが――」
「それならば、来週の金曜昼休みまでに生徒会に提出だ。忘れぬように」
「あ、はい!」
 ペコリ、と勢いよく頭を下げて「失礼します」と言って踵を返す。
 小動物のような笑顔を浮かべ、廊下の向こうにいる友人であろう少女たちに「まだだったー」なんて言いながら駆け寄っていく生徒の背を眺め、私も再び踵を返す。
 この温室のような暖かな場所。
 その場所にいる違和感。
 だというのに、彼女たちはまるで当たり前のように私に話しかけてくる。
「……難儀なものだ」
 本当に。
 自分自身がこの場所に最もそぐわぬと知りながら、身に染み付いた潜伏のための技術がそれを成し得るのだ。
 廊下を歩いていると、不意にドアがガラリと開いた。そこから出てきた人影が私に驚いたように立ち止まり、はっとしたように口を開いた。
「宗――と、葛木先生」
 いつもの呼び名を押さえ、学校用の顔に戻るのは世話になっている柳洞寺の息子だった。生徒会長という役職につき、自身もまたそれを是とする男。
 まっすぐな視線は時として己の中の闇を照らし出してしまう。だが、それでも。
 彼のひたむきな視線は心地よかった。
「また生徒会の雑用か、柳洞」
「はい。これから視聴覚室のビデオの修理を」
 そう言って背後にちらりと視線を向ける。
 赤い髪の少年。風紀の教師ならば一目で顔を顰めるだろう頭髪だが、彼のそれが地毛である事は早々に一人の教師の証言ではっきりしていた。
「そうか、ご苦労。だが、あまり遅くなる前に帰れよ」
「はい。それでは」
 一礼して歩いていく一成。その後ろをついていくのは――。
「衛宮」
「はい?」
 自分が呼び止められたのが不思議だったのか、衛宮士郎は怪訝な顔をして立ち止まる。
「柳洞が世話をかけるな」
「は? あ、いえ」
 一転、驚きの顔になった衛宮は、そのまま一礼して立ち去る。
 自分はといえば、なぜそんなことを口にしたのかと、少々の動揺を抱いていた。



                 ◇  ◇  ◇



 薄暗い夜道を歩く。
 雑務――特に藤村という教諭の手伝いをしていると、時間が経つのが早い。
 月の出ている夜は、古い記憶を呼び起こす。
 ――それが自身にとって、なんの変化も生み出さぬと知ってはいても、思い出すことを止めることすらできない。
 コツと靴音が一つ、高く鳴った。

 暗い路地がある。昼ですら薄暗いそこは、夜ともなれば完全に闇に閉ざされる。だというのに、そこで蹲る何かが目の端に止まった。

 気まぐれだ。
 間違いなく、これはただの気まぐれだったろう。
 だがそれでも、足は止まることなく路地に踏み込んでいた。

 それが人影だと理解するのに時間は必要なかった。確かに薄暗く、視界は悪い。だがそれでも、夜目の利く己には人の形をしているのだと、理解できる。
「どうした」
 気の利いた事を口にする事もできず、ただ思った通りのことを口にしていた。
 蹲る人影はギョッとしたように、こちらを振り返る。

 その口元が赤く染まっているのは、一体なんなのか。

 その向こう側に見える布地が、つい先刻まで自分がいた場所で見慣れた代物なのは、なぜなのか。

「――どうした」

 だというのに、己の口から出る言葉が髪の毛一つ乱れない問いなのは、何故なのか。

 爛々と輝く瞳。喉を鳴らすように唸る獣。
 だが、その姿は人の物。背広を着た、己とさして歳も変わらぬ男の姿だ。

 コツ、と音を立てて、さらに一歩前に出る。

「どうした、と聞いている」

 応えぬ相手を見下ろす。
 ぎろりと見上げる爛光。赤く染まった光はまるで薄汚れた炎のように、ちろりと睨めつける。――そして、理解する。
 ああ、これはもうヒトではないのだ、と。
 向けられるのは悪意とも呼べぬ害意。意思なき欲求のみが突出していた。獲物を狩る獣の目をしたそれは、もうヒトとは呼べない。

「――ならば」

 その奥にあるのは、見慣れた衣装。

「そこを退け――」

 躊躇う事なく、踏み込んだ。



                 ◇  ◇  ◇



 拳は紫電。まさに一閃。
 変則的な軌道を描き――否、人間の認識の外より放つ拳は軌道すら察知させずに、眼前のヒトの姿をしたモノへと飛びかかる。
 狙いは側頭部。コメカミへと、貫手が入る。
 鍛錬により鋼と化した拳は暴風となって襲い、振りぬいた。
 感触で分かる。あれが人間であるならば、生を失うだろう一撃だった。
 音を立てて路地に倒れる姿を見ずに、奥に転がる衣装へと駆け寄る。
「……」
 赤く染まり、ボロキレと化した装束。その中に入っていたであろう少女は、もはやただの物体へと堕している。
 服の襟元が力任せに引き裂かれ、真っ赤に染まっていた。

 紅く染まるモノを見て脳裏に浮かぶのは、昔日の記憶。
 眼前の物体への畏敬など浮かぶハズもない。己はそのような健全な世界の住人ではないのだから。
 足元に落ちていた鞄を手に取り、中身を改める。――生徒手帳が入っているのを見て、ただ、ため息が漏れる。写真に写る見知らぬ顔を眺め、再び鞄の中に戻す。

 不意に砂を踏む音が背中に当たった。躊躇いは無い。反射行動と言っても良い速度で、鍛え上げた体は反応する。
 軸足を中心に、体が円軌道を描く。伸ばした蹴り足が背後に迫った影を吹き飛ばした。
 ごきり、と鈍い音。骨を砕いたか。内臓とて無事には済むまい。だが――。

「む……?」

 男は、三度、立ち上がった。
 ゆらり、ゆらり、と。まるで糸をつけた傀儡のように、不確かな動きで。カクン、と首が横に倒れる。それを見て知る。首の骨が折れているのだ。ヒトであるならば死んでいる筈の状態であるにも関わらず、ソレは今もなお己の前に立っている。
 ならばあの男は最早ヒトではないのか。

 再び構える。
 ヒトを殺す事に費やされたこの身が、ヒト以外の物を相手にするとは想像だにしなかった。いや、そもそもこのようなモノが居るなどとは、思いもしなかったのだ。

 眼前の傀儡が、ニタリ、と笑ったように思えた。

「――!」
 飛び退る。追うように、ソレは影となって傍へとにじり寄る。ただその速度が常人のそれを遥かに上回っていた。喉へと伸びてくる手。血泥に塗れ薄汚れた爪がコマ送りのように視界に飛び込んでくる。
「っぬ!」
 拳を横合いの壁へと叩きつけ、体の軌道を変えた。地面にできた血だまりに足がつく。跳ねた紅い液体が裾を汚す。

 こちらの軌道変更に追いつけないのか、男は今も同じ姿勢で宙を飛んでいる。
 ならば、と踏み出す。宙を飛ぶ相手の頭部を打ち据えた拳が、軌道を変えて前後左右より襲う。
 変幻の拳を前に立った人間は居ない。
 ならば――。


 腕が、止まった。



                 ◇  ◇  ◇



「――ぬ」
 腕を止めたのは、男の手だった。細く節くれだった手だ。その気になれば振り払う事など、造作もない。無いはずだというのに―――。

 ギシリ、と骨が軋んだ。こちらの腕の。

 まるで万力で締め付けられるような力が篭もっていた。だが考えられない。
 目の前で己の腕を掴む男は、決して鍛え上げられた肉体を持つ存在には見えない。外気に晒される腕や手とて、鍛え上げられた者が持つ拳とはまるで違う。
 だというのに、己の腕は男の手を振り払う事すらできずにいる。

「貴様――何者だ」

 答えは無い。呼吸の音すら、しない。
 ああ、ここにきてようやく理解できた。

 目の前の男は――死者だ。生きてはいない。生きていない以上、生者を殺すための技で殺す事ができる筈が無い。
 死者は、それ以上死ぬことは無いのだから。

 爛光を閃かせ、男はこちらを睨めつける。ギチギチと音を立てて、唇が開く。
 鋭く尖った乱杭歯が月光を受けて、ぬらり、と輝いた。

 ゆっくりと。そのくせ、こちらの腕が折れてしまう程の力を込めて、男は近づいてくる。
 腐臭じみた匂いを嗅ぎながら、足を上げる。
 握り締められた腕を、下方から蹴り上げた。たとえ死者でも、脊椎反射がなくなる事は無いのか。肘を蹴り上げた途端、万力のように締め付けていた手が開く。
 すり抜け、後ろへと飛び退る。

「――死者が」

 間合いを取り直し、構える。

「死者へと牙を剥くか――」

 朽ちた殺人鬼。最早生きているかも定かではない、ただ惰性で存在を続けている己に。死の国より使者が訪れたとでも言うのか。
 前へ。幻惑の踏み込み。変幻たるこの技を見切ることなど――たとえ死人といえど、不可能。

「ならば、何度でも殺してくれよう。もう二度と、迷うことのないように――!」


 鋼の槍と化した突きと蹴りを繰り出す。乱撃するそれは、人体の最も壊れやすい箇所――間接部を打撃する。膝を砕く。男は片足が崩れ落ち、地面へと転げようとする。そこを打突で戻し、さらなる打撃へ―――。

 それは最早、一方的な『暴力』だった。常人であるならば、骨折と内出血、臓器の損傷で生存は不可能の域にまで到達しているだろう。だが。
「まだ、笑うか」
 ソレは、まだ笑っていた。唇は醜く歪み、乱杭歯が剥き出しになっている。表情を失った己とは対照的な男に、心底からの憤りにも似た苛立ちが生まれた。
 さらに、追撃。人体の急所と呼ばれる箇所を、的確に打ち貫いて行く。ゴン、と音を立てて男の体がアスファルトの上に転がった。


 それ以上の追撃を止めたのは、理由があった。
 転がった男の体に二本の棒が突き立っていたのだ。

 いや、それは棒などではない。装飾の排された――ただただ実用性のみを追求した剣。
 それが二本、まるで昆虫採集の標本のように、男の体を地面に縫い付けていた。


 停滞した体が動く。意識するより早く、体は後方へと飛んでいた。

 ――だが。

「驚きました。ただの人間が、死者を行動不能に陥らせる事ができるだなんて」

 目の前にいつの間にか、影が立っていた。その存在が何時から其処に居たのか。まったく感知する事ができなかった事に、驚く。
 その影はこちらを見て、嫣然と微笑みながら歩いてくる。

「こんな真似ができるのは、遠野君だけだと思っていましたけれど」

 修道服を着た女性のようだった。肩口に届かぬほど短く切られた髪。碧眼がこの国の人間ではないことを示している。年齢不詳の雰囲気を漂わせた彼女が、唇を微笑ませているにも関わらず、この身に根ざした本能は逃走を命じている。

「ですが、単純な打撃では死者を滅ぼすことは出来ません。色々と苦労していただいたようですが――」

 ニコリと笑うその顔は、優しげな聖職者の顔を――。

「忘れて下さい。後は、私がやりますから」

 手をかざす女性。その唇が何事かを呟いたと見た刹那。
 ブツン、とテレビを消すように意識が途切れた―――――。







                 ◇  ◇  ◇








 コツと靴音が一つ、高く鳴った。
 ハッと意識が浮上する。足を止めた場所で、周囲を見回した。
 そこには暗い路地がある。昼ですら薄暗いそこは、夜ともなれば完全に闇に閉ざされる。
「――いかんな」
 なぜか自分がそこでぼんやりしていたような気がして、軽く頭を振った。
 そのまま足早に柳洞寺への道を歩く。


 夜空に浮かぶ月が浩々と照っていた。







                 ◇  ◇  ◇








「――フム。では掃討は既に完了したのかね?」
 ステンドグラス越しに差し込む陽射しが、教会の床に複雑な色彩を描き出していた。その中に二人の人影がある。
 一人は神父の装束に身を包んだ男。一人はトレンチコートに身を包んだ女。
「ええ。後の処置に関しては、貴方に一任しますので。よろしくお願いしますね、言峰」
「……了解した。事後処理および、浄化については任されよう」
 手にした紙の束を振りながら、男が頷く。
 それを見て女も軽く頷き返すと、床に置いた鞄を手に取った。
「もう帰るのかね?」
「ええ。元々、こんな仕事は貴方がやるべきだったんですよ? 言峰」
「――確かにな。だが、死徒と渡り合うのは埋葬機関の仕事だ。我ら代行者の相手は、形無き者だよ」
「何が形無き者ですか」
 鼻を鳴らし、女性が不満げに呟く。それから軽く頭を振って――。
「ではこれで。後はよろしくお願いします」
「――了解した。安心して帰りたまえ」
 じっと神父の顔を見つめた後、女性は軽くため息をついて、踵を返す。
「ええ。そうさせてもらいます」
 ドアを開けようとして、手を止めた。

 神父が怪訝そうな顔をした刹那。ドアの向こう側から勢い良く扉が開かれる。

「ちょっと、綺礼! 今回の件、わたしに手を出すなって、どういう事よ―――!」

 少女が一人、気色ばんだ様子で飛び込んできた。彼女は視界の中心に教会の主を捕らえると、ズカズカと音を立てて踏み込んでくる。

「あんな電話一本で納得できないわよ! きちんと説明しなさい!!」

 言峰と呼ばれた神父は苦い笑いを口元に浮かべ、ドアの傍に立つ女性に視線を向ける。
「まあ、待て。凛。気持ちは分かるが、既に決着してしまっているのだ。如何に君が優れた魔術師といえど、相手が既に死者の国にいては手を出せまい?」
 皮肉げに唇を歪めた言峰を見て、扉の傍らの女性が軽くため息をつく。
 それを聞いて、初めて凛と呼ばれた乱入者の少女が、振り返った。
「げ」
 そして、見知らぬ女性の姿を見止めて、声をあげる。
「仲のよろしいことで。娘さんですか?」
 女性の言葉に、凛が顔を真っ赤にして怒鳴る。
「な、なにを言ってるのよ! わたしがこの腐れ神父の子供!? 冗談じゃない!!」
「冗談ではないな。いくらなんでも、それは納得がいかんぞ、私は」
 ギン!と睨み付ける凛を隣に、言峰は涼やかな顔でそう応える。
「おや、そうですか? 随分と仲がよろしいように見えたもので」
 クスと笑うと、女性は扉に手をかけた。

「では、言峰。よろしくお願いしますよ?」

「ああ。了解したとも、『弓』」

 女性は凛に向けて会釈すると、そのまま扉の向こうに消えていく。
 その後ろ姿を眺め、凛が恐る恐る言峰に視線を向けた。
「……あの、綺礼?」
「ああ。彼女は教会から派遣された代理人だ。彼女が解決してしまったのでな。君の出番が無くなったのだよ」
 綺礼はそう言うと、踵を返す。
「あ、ちょ、ちょっと!?」
「事後処理が残っているのでな。凛。君も用が無いのならば、帰りたまえ」
 バタン、と音を立てて扉の奥に消える言峰綺礼。そして残された少女は――。

「なんだってのよ、もう――――!!」

 当たる先の無い怒りを、声に出すことで発散していたのだった。





End


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