美綴綾子と衛宮士郎のあれこれ  ( セイバーend後 傾:シリアス…か?


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1: 真琴 (2004/04/11 16:54:02)[paradise-lost at 25cent.net]

インターハイも終わった、蝉時雨も盛んなある夏の日。今はもう後輩にその座を譲った弓道部元主将、美綴綾子は独り道場で矢を射っていた。
片時も忘れた事の無い、待ち人である衛宮士郎の弓を射る時の眼差しと背中を思い出しながら。
この執着が何に起因し、何処に行き着くかを、意識に上らせないようにしながら。





高校入学当初、美綴綾子は入る部活を特には決めていなかった。勉学もそつ無くこなす彼女だったが、その本分は体を動かす事だと信じていた故に、漠然と運動系の部にしようとは考えていた。
知り合ったばかりのクラスメイトと共に幾つかの運動部を回った後、彼女は学校見学の時から気になっていた分不相応に立派な弓道場を覗いてみようと思い立った。
そこを回るのはこの学校には武道と名のつくものが弓道部しか無かった為、彼女の信念であるところの”美人は武道をしていなければならない”を貫く為には当然の選択ではあった。


いや、弓道部しか無いとはいったが少し前までは剣道部も確かに存在した。しかし部員がいなくなった為に廃部になった、という話を彼女は噂に聞いていた。
詳しい内容については触れていなかったが、余りに顧問が厳しくし過ぎたせいらしい。虎がどうの、と上級生は言っていたが、それは彼女には与り知らぬ事だった。
更に言うと。
柔道部も現在進行形で活動していた。実績もあり近隣では敵無しの強豪だったが、如何せん女子部が無かった。彼女にはむさい男達の中に飛び込む程の蛮勇を持ち合わせてなかったし、新たに女子部を組織する程の思い入れも無かった。
本音を追求すれば。彼らの暑苦しい姿が彼女の中の少女趣味という側面に拒絶反応を起こさせたのだが。


それはさておき。
弓道部を見学をさせて貰いたい、という申し出は、彼女の整った容姿も少なからず影響し、快く部員に受け入れられた。
暫く茫と眺めていた彼女だったが、悪いとは思ったが特にこれといって気を惹く部員も居なかったため今日はもう帰ろうと思い、一応挨拶をしてから、と老年の顧問に去を告げに向かおうとした。
向かおうとしたのだが、何故か彼女の足は一瞬躊躇した。
なんでだ、と片手を顎にやり首を僅か傾け、視線を心もち上げる何時もの考え込む時の姿勢をとろうとしたところで――ー―そこで彼女は自分の目が一人の少年を無意識に追っている事に気づいた。
彼女が改めて注意を向けると、先ほどから縞柄を纏った歳若い教諭と主将に弓の射かたを指導されていた新入生らしきその赤毛の生徒が、射場に押しやられるところだった。
どうも弓道場には半ば無理矢理に引き摺りこまれたらしく、押されながらも文句をたれているのが聞こえたが、あの若い教師には暖簾に腕押し状態だった。
だがそんな愉快な見世物を傍から見ていて緩んだ彼女の口元も、彼が射場に立ち的を見遣った瞬間に固まった。

それをなんと表現すればよかったか。

一変した少年の雰囲気。先程までの彼は傍から見ていても無愛想ながら感情が分かり易過ぎる程に分かり易かった。
にもかかわらず。
今そこに在るのは、何ら感情を載せない瞳。抑えきったとか、その様な次元ではなく。完全に自己を殺し否定しきった、的をすら映していない瞳。
そして。周囲の全てを拒絶し、同時に全てを受け入れているような、未だ少年の域にある、背中。
そしてそれが初めてとはとても信じられない様な、彼女の素人目に見ても見事な八節を見せ、矢は端ではあったものの的に収まっていた。
初心者であろう彼が一矢目から的中させた事に皆が唖然とするなか、彼は周りの反応に気付いているのかいないのか。全く頓着せず、気負うことも無く、まるでそれが当然のように振る舞い再び矢を番え、放った。
そして、誤差はもう修正したとばかりに機械のような正確性で三射目以降は全て的の中心部を射抜いていた。



それ以来―――とある馬鹿が因縁をつけたせいで彼はあっさり弓道部をやめたものの―――彼の射を目標とし、並び、勝るために努力を続けた結果、美綴綾子は部内でもっとも実力を持つに到り、主将にも任命された。
もっとも、問題児を纏めていけるだけの器量の持ち主が彼女以外に居なかったという説もあったが。

それはともかく。
彼女は大会を勝ち上がり、インターハイにも出場し全国三位という好成績も残した。
しかし。自身も既に引退し、彼が部を辞めてから二年の月日が経ったが、未だに彼女はそのことに納得していなかったし、自らの実力が記憶の中の彼に及ばないことにも納得がいっていなかった。
燻り続けた想いは何度も彼に復帰を促せた。しかし彼は何時だって同じ事を言った。
彼の、思い出は最強だからだ、という彼の中では真理の発言も、今じゃ美綴の方が上だろう、という彼女の中ではとても簡単に容認出来ない発言も、火に油を注ぐだけで彼女の中の固定観念を揺るがすには随分と貧弱で役不足で、逆効果だった。





近づいてくる気配を感じ、彼女は瞼を上げた。
待ち人は来た。彼は準備が終わった事を告げてくる。



今彼女は彼の射を再び目にしていた。以前と劣らぬ絶対性と、以前の認め難い危うさが更に増した射を。
勝てると思ったからでも、勝とうとしたからでもない。勝てない事は最初から分かっていた。
彼女は己が参加した大会で、最後まで彼に勝る射手を男女合わせて見つけることが出来なかったし、現代には居ないのだろうと半ば本気で確信していた。
だからこれは、言ってみれば茶番。勝敗は最初から決していたし、覆る事が無い事を彼女は誰に言われるまでも無く理解していた。
彼の矢は一矢も中心から外れる事もなく、勝負は付いたが。彼女にとって本番はこれからだった。



弓道は自己を射抜くためのもの、的と一体となる事を目指す。なのに衛宮は最初から成っていた。なんで、あそこまで自分を殺しきって的と一体になれる?
半端な言い逃れを許さぬ、何時に無く強い彼女の詰問に。ここ半年で見違える程に精悍になってきた、少年と青年の中間にいる彼は迷った末曖昧にながらも応える。
具体的な内容については語らなかったが、自分は八年間毎晩死と隣り合わせの、自分を無にする訓練をしてきた、と。


ふと一つの単語が彼女の脳裏を掠める。自分の武術の師が語った四方山話の一つを思い出す。ソレはひとつのミスが命に関わると言う。そして弓道の目指す境地とも似通っているとも。
確証はないが、彼がソウだという証拠は幾つかあった。
半年前、冬木ではとある争いが起こった。門外漢である彼女は多少聞きかじった程度だったが、彼がそれに参加したことは、今思い返せば何故気付かなかったのだと思うほど、容易に推察できた。


しかし彼女はそれだけでは納得がいかず更に尋ねた。
わからないな。それだけじゃ説明がつかない。他に何か要因があるんじゃない?
すると彼は暫く考えた後、おれは空っぽだからかな、と苦笑しつつ返答する。およそまともな回答ではなかったが、彼の過去を知る身であれば、分からない事も無かった。
だから藤村先生のタレコミで知った、彼が正義の味方になりたいというのも、恐らく彼を救った義父のように成りたかったのだろうと彼女は考えた。
そう思い水を向けてみれば。死に際に約束したんだ、と。だから俺はその約束を守らなきゃいけないんだ、と。予想通りといえる答えが返ってきた。

それを聞き彼女は思う。ああ、危ういな、と。

彼は真直ぐでありながら酷く歪だ。
普段は優等生を演じる、彼女の親友が最近彼を気に掛けているのはどういう訳かそれに気付いたからかもしれない。あの争いには彼女も関わっていた筈だから、その繋がりだろうかと彼女は推測する。
つい最近公表された事であるが、彼女の妹であるところの桜の影響もあるのだろうが。


彼女は親友兼悪友のことから、ある一つの期限切れにより引き分けに終わった勝負を思い出す。
忌々しい、そんな感情が面に出たのだろうか。彼は少し不思議そうな顔で彼女を見たが、彼女は気付かない。
今更そんな事を思い出す、そう、そんなことは本当に彼女にとっては今更だった。
有りがちではあるが。
親友という居心地の良い彼との間柄が崩れることを恐れ踏み出せなかった彼女、美綴綾子にとっては本当に今更な思い出だった。


押し黙った彼女に彼は訝しげな視線を送るが、彼女は自らの思考に囚われてか、やはり気付かない。
彼女の黙考は続く。


過去を辿っていた思索。それも終りに近づく。

ふと思い浮かぶ。誰も彼の一番には成れないのだろうな、と。
特に根拠もなく、強いて言えば女の勘で、彼女は漠然と考える。一度だけ新都で見かけた、彼がセイバーと呼んでいた少女。理由はそれだけ。それだけだったが、彼女には充分だった。
彼女の感覚にチリチリと訴えてきた、隠しているにも拘らず圧倒的な魔力と。重い、人外を思わす存在感。なのに不快な事は無く、纏う雰囲気は凛として好ましかったし、ライオンのぬいぐるみを眺める視線は柔らかかった。だからと言う訳でもないが、彼女は少女が一目で気に入った。
同時に危険とも判断し、故に彼女は警戒と緊張が表に出ないように細心の注意を払って観察し、それを気取られる事もなかったが、彼が少女を連れて去った後は思わず安堵の為、溜息を吐いていた。
少女は国に帰ったとか、そんな話を彼女は小耳に挟んではいた。
真相はどうでもいい。今彼女はそんなことに興味はない。
他の人がどう見ていたのかは知らない。ただ、彼女の直感は二人の間に侵しがたい何か強烈な繋がりが在るように感じたのだ。
在るべき所に在るべきものが在る、と。
そう、理由はそれだけのこと。


だが、そんなことは別にかまわない。関係無い。ただ単に彼女は彼が心配なのだ。
母性本能だとか目を逸らしてきた恋愛感情などを考慮せずとも、危なっかしい彼が折れないように支えたいと思ったのは確かなのだ。ならば、と。彼女は彼に提案した。

あたしはこれから衛宮の夢の実現に力を貸そう、と。

その決意の中は、これならば彼の傍に居られる、と思う気持ちで大半を占められていた。この先たとえ彼が誰かと寄り添い合ったとしても、彼女は直視できるだけの強さを持っていると自分を信じたから。
しかし困ったような顔で彼は言う。いや、美綴に悪い、と。知らなければそれも当然。彼女は告げる。

衛宮、立ち会え。衛宮がどんな戦い方をするかは知らないが、あたしの力はすぐに分かる

彼は訝しげにも気乗らげにも見える表情で、しかし油断無く構えた。仮にも喧嘩を売るな、とされている相手なのである。彼は攻撃する気もなかったが受ける気も無かった。
彼女はその技の一端を見せる。彼女のほか数人のみに師より伝えられた、とある滅ぼされた一族の歩方を用いた攻撃を。

一交差で終わった。
歩み寄る彼女を見ながらまだ間合の外だと思っていた彼は、眼前に何時の間にか現れた彼女に何ら対応できず、気付けば足を払われざまに肘で鳩尾に一撃もらっていた。
驚愕に目を開く彼に言う。魔術師じゃ、接近戦弱くてもしかたないよな。彼女は軽く鎌を掛けてみる。動揺する。彼は分かりやすい。
彼女は知らない。彼、衛宮士郎が魔術師見習以下で、接近戦しか出来ない事を。
衛宮は隠し事なんて出来ないんだよな、将来がちょっと心配だ、などと彼女が要らぬことを考えていると、彼も多少落ち着いたのか、なんで美綴が知っている?まさか美綴もなのか?と問いを発した。
応えはすぐに返ってきた。自分は魔術師ではなく、退魔師の弟子である、と。
正直彼女は今の今まで師の後を継ぎ退魔師になるなど一考だにしてこなかったし、これからも後を継ぐ気は更々無い。
しかし役に立つのならば、何でも使う。今まで痴漢撃退ぐらいにしか役に立つとも思えなかった、自身の才能も。


それでもなお彼は言う。いや、美綴に悪い、と。彼が再びそう言うだろうなということは彼女は予期していた。しかし。後に続く、女の子に戦いなんてさせられない、などという言葉はさすがに彼女には予想できていなかった。
一撃で倒され尻餅をついている自分の姿を彼は認識しているのだろうか? 彼女は怒りを足早に駆けっていって呆れになった感情を逃し吐き出す為に、重く溜息を吐き。それから説得の困難さを想像し、また重い溜息を吐き彼を見やった。
彼女は知らない。これも彼の義父が刻み込んだ悪癖だとは。女の子を泣かせないこと、という言葉を拡大解釈し、他人が傷つくぐらいなら自らが傷を負おうとする彼を後押ししている事を。
そして彼は忘れ去っていた。義父のその言葉の続きが、後で損するからね、だったということを。


軍や治安維持機関で働く女性の例を出し、さらに決め手として―――この地に居る魔術師なら知っている筈だと思い―――冬木を管理する遠坂凛嬢の話を持ち出し。
戦う意志と術が有るならば、男も女も、年齢も何も関係ないという論説を展開し。
一人より二人の方が効率がいいだろう?という彼女の言葉は正しく。そして最も言いたい事を言う。

そもそも衛宮は自分一人が傷つけばいいとか思ってるみたいだが、お前が勝手に一人で傷ついて、身近にいる誰かが心を痛めないと思っているのか?そいつの笑顔を曇らせたのは誰だ?お前を傷つけた奴か?違うだろう?

彼には反論できない。特に最後に言われた事に関して、彼は自分に向けられる好意や気遣いを無意識の内に意識する事を避ける故に、今まで考慮した事が無かったが、自分を心配する人など居ないとは彼に言える筈が無かった。
彼にはその事が認め難い。認めてしまえば、今までの道が僅かとはいえ間違えていたと認めることだから。
だがしかし。彼の葛藤を見透かして彼女は止めを刺す。
それは衛宮が十一年前の大火災から一人助けられた事に対する負い目なのかもしれないけど、それで今いる誰かが幸せになれるのか?
そう言われてしまえば、もう彼には認めるしかない。事実そういう負い目が無かったわけではないし、皆に笑っていてもらいたいという理想を貫く為には、彼は自らの考えを改める必要があった。
今までの己の行動について思い返し、彼は眉根を寄せ奥歯を砕かんばかりに噛み締めた。
それに、衛宮には知っておいて欲しいんだけど。彼を救い上げる様なタイミングで意識を向けさせ彼女は告げる。

私は別に正義の味方になろうってんじゃない。衛宮の味方になろうって思っただけだ、と。

彼女は若干視線を逸らし顔を赤らめながらも、しっかりと言い切った。
軽く赤面していたという事実は、夕日に紛れて彼に届かなかったし、届いたとして彼がその意味に気付いたかどうかは甚だ疑問であった。
それでもその言葉は、彼の中で、彼が不思議に思う程、確かな力を持って響いた。




それからどんなやり取りがあったのか。
彼と彼女は休みの日は大抵共にいた。彼女が、理想を目指すに余りに力不足な彼に自らの師を紹介した結果である。
正義の味方になりたいという夢を聞いた時彼は大笑いしはしたが、しかし真剣な表情で覚悟を決めろ、理想を唱えるのには相応の力が要る、と告げた。
そして師は唐突に新たな弟子を吹き飛ばした。
どうやら気に入られたな、と彼女は安堵と哀れみが半々の溜息を零した。彼に気に入られるということはつまり肉体と精神の限界まで追い込まれ、尚且つ休憩中でも不意をついて襲ってくるという事であったから。
不撓不屈を具現化したような彼は例え立ち上がれなくなっても、その目が死ぬ事は無かった。それがまた師に気に入られる事になり。かくして無限ループは続いた。



最近彼は真面目に英語を勉強しているらしい。彼女は少なからず不安に思う。悪友が卒業後は倫敦に行くと言っていたからだ。弟子の一人ぐらい特待生なら問題なく連れて行けるだろうし、魔術を志すものにとって時計塔にいける機会を逃すなどまず有りえない。
邪推してしまう。あの二人がそういう関係では無いと分かってはいる。そして彼が有りえない例外であり、時計塔への誘いを断っているのも知っているのだが。
恋する乙女はすぐ不安になる、か。彼女は自嘲するように、はたまた楽しむかのように幽かな笑みと共に言葉を落した。
だが、それならばまだいい。精神的には全然よくないのだがそれは捨て置く。最低限居場所は特定できるのだから。
彼女はより確立の高い方に思いを馳せる。あの鈍感男は、心配を掛けまいとしてきっとその方法をとる。それが最も心配をかける行為だと、あれほど言ったにも拘わらず愚かにも気付かずに。
問題ない。あたしがまた正してやろう。
ふふん、と不敵に虚空を見やり唇の端を上げるその表情は、先程漏らした儚い微苦笑を微塵も忍ばせない、力強いものだった。




門から出て今一度、濃紺の背景、桜の花弁の下に佇む己が家の姿を瞼に焼き付けようと振り返った彼は。
そこで思いもよらぬ人物と目が合い、我知らず叫んでいた。何故、今ここに彼女がいるのかと。
対する彼女は親友たる少女と同質の笑みを浮かべ答える。衛宮の行動パターンなど読めている、と。
更に彼女は続ける。私は衛宮の味方になるって言ったろう、と照れを隠すためか視線を逸らし若干小さな声で。


無論、彼が近く家を出て行くことは暗黙の了解として皆気付いてはいた。しかし何故日にちまで分かったか。
彼女が師に頼んだのである。それとなく聞き出すようにと。
嬉々としてこの茶番に乗った不惑を超えた筈の彼は巧みに出発日を聞き出し、餞別などを贈り上手く誤魔化した後に娘のように可愛がる弟子に戦果を報告したわけである。自慢げに笑いながら。

彼女の強い意志の篭った瞳をみて説得を諦め、受け入れた彼が、駅に向かう途中に再度何故今日だと分かったのかを問い、タネを明かされ、秘密だってあんなに言ったのに……と暫く軽い人間不信に陥ったのはまた別のお話。


あるいは彼も内心何処かで予期していたのかもしれない。彼女がそこで待ち構えていることを。だから驚きはしたものの、すぐに受け入れることができた。
彼にも若干の後ろめたさはある。自分を今まで見守っていてくれた姉代わりの人、真っ直ぐに慕ってくれた可愛い後輩、隠すことなく愛情を表してくれた血の繋がらない妹、そしてかつての憧れであり本性を知った今でも、いや尚更魅力的だと思える魔術の師匠。自分が家を出て行くだろうことは皆気付いていたのだろうが、それでもせめて伝えるべきではなかったか。だが、彼はそれができない。必ず引き止めるだろう彼女らに応える術を持たない故に。せっかく固めた決意も、彼女らを見れば揺らいでしまいそうだったから。そこは余りにも居心地が良すぎて、目指した理想を、約束を、忘れかけてしまう。
どうせ出て行くのなら、と。告げた時の悲しみを省くため、彼は独り黙って出て行くことにしたのだ。彼は根本的な部分が壊れていた。だからそのようなことを当たり前のように隣を歩く彼女に告げた。


やっぱりか、と呟き呆れたように溜息を吐いた彼女は、どこぞの虎よりもよほど姉らしい態度と口調で彼の間違いを指摘した。
曰く、それが最も心配をかける行為であること。そもそも挨拶の一つもなしで旅に出るなど普段の礼儀正しさはどこへ行ったのだ、云々。
その姿はまさに彼女が嫌う呼び名であるところの姐御であったが、彼女自身はそのことに気付いていなかったし、彼もそれを指摘しないだけの分別をこの一年で身につけていた。
納得したらしたで今度は、やっぱり今からでも挨拶した方がいいかな、などと悩み出す彼に彼女は更に爆弾を投じた。

遠坂も間桐も藤村先生もイリヤも実は知っていたよ、と。

彼は呆然と彼女の顔を見つめる。黙って出て行くことがどれだけ罪深いことか、今なお肝臓に影響を与える鉄拳制裁付きで諭された今なら分かる。彼女達はいつも通り振舞っていたが、そこにどれだけの辛さを抱えていたのか。
彼は以前彼女に指摘された自分の勘違いに、我侭に、如何しようもない怒りを感じていた。
そこで彼の中にふと疑問が浮かんだ。では何故彼女達は自分の勘違いに付き合ったのだろうかと。
思考が言葉になり知らず零れていたのか、それとも訝しげな表情から察したのか、相変わらず颯爽と歩む彼女は唇の端を吊り上げ、知りたい?と企みが成功した子供のような悪戯げな口調で尋ねてきた。


結論から言えば、それは彼女が四人に提示した、黙って出て行こうとした彼への罰だった。
まずは出て行く彼を捕まえ、諭し、自分の行動への反省を促す。そして頃合いをみて残された彼女達が知っていた事を告げる。すると彼の性格を考えれば強烈な自己嫌悪に襲われる筈だ。よってこれを罰とする。
さて、そうするといくら鈍い彼でも二度とそのような真似はしないだろう。自分たちの気も晴れる。
問題解決、一件落着。
更に彼女は語る。
説教の途中手が出たのは体にも憶えさすためで、決して感情の赴くままに体が勝手に動いたわけではない。これも愛のある教育的指導だ、と。その言葉を、今彼女の浮かべるどこかの優等生を髣髴とさせる綺麗な笑みを、ひとまず彼は自分のために信じることにした。
常日頃から言われている事だが。現実を直視しないのは彼の悪い癖だった。



それにしても、と彼は内心ため息をついた。今明らかに彼の気分は高揚していた。紛れも無く、隣を颯爽と隙無く歩く彼女のせいで。
これからの道程を思えば、不謹慎ともとれる感情。しかし、楽しい。何故かは分からないが、妙に楽しい。そんな自分がまた、可笑しくて楽しい。
セイバーが消えてから―――いや、それ以前からだ―――今まで自分は本当に楽しいと思ったことがあったのだろうかと彼は自問する。内から出て来る、この高揚を感じたことがあったかと。
いや、まぁ、何故楽しいか分からないなどと言ったが、原因が分かっていて理由が不明というのも変ではある。本当は彼にも分かっている。同じではないが、一年前、確かに似たような感情を彼は抱いていた。そう、同じではない。彼と周りにとってはその違いが何より重要だった。
あの時、彼は、セイバーが笑っていることのみが喜びであり楽しみであった。そしてセイバーも、彼が笑っていることのみが喜びであり楽しみであった。
それは、彼(彼女)が笑っていると自分も嬉しい、などという単純にして穏やかなものではなかった。
イビツに歪んだ、虚ろな願望。エゴのない、とても恋愛感情などと呼べないもの。自分からは笑う事も無く、永遠に二人で見詰め合うだけの、変化も意味もない、関係。
当時の彼がそれを言われても、彼は決して認めはしなかっただろう。だが、しかし。今彼は空っぽだと思っていた己の内から緩やかに流れ出てくる高揚を確かに受け止めていた。


借り物の理想のみを与えられたがらんどうの内に、何時の間にか芽吹いたモノがあった。他人より彼に投げかけられた様々なものを栄養として現れたソレが、元からそこに在ったのか、それとも外から与えられたのか、その経緯自体は彼には如何でもよい事だった。
重要な事は、ソレが誰のものでもなく彼のものであり、唯一であること。ソレが彼に高揚を齎した事。ソレが無限の可能性を持っている事。
いつか未来において、理想を目指す道がソレに阻まれるような事があっても。
その時は、その時。道など又探せばいい。可能性は、数限りなくある。
今彼にとっては、唯、一つだけ。
隣で軽快に歩を進める彼女と、共に前に進みたい。他の誰でもなく、自分の、ために。
唯それだけを今は願って―――――




 朝焼けの中、未だ夜の藍を残す空を背に。

 春の朝の少し冷たい爽やかな空気に包まれて、二人は歩く。







自らの幸福の追求という、生物としての当たり前の機能が自ら掛けた呪いと生来の強い意志により失われている彼は、生涯その歪さが是正されきることはないにしても。
確かに今、彼、衛宮士郎は自身の幸福について考えれるようになった。あとは彼を囲む人たちと共に、その芽を育てるだけだ。
それでも彼は正義の味方であろうとするだろうが、隣を歩く彼女がいれば彼の剣は折れる事もなく、その理想が曇ることもないだろう。
それはもしかしたらある意味では不幸なことなのかもしれないが、理想と自らの望みを共に抱く彼にはやはり幸運なことで。



彼は終世理解されることはなかったが、しかし独り孤独に剣の丘で勝利に酔うこともなかった。
その傍らには、常に佇む彼女の姿があったから―――――



   終


2: 真琴 (2004/04/11 16:55:14)[paradise-lost at 25cent.net]


    後書き

こんな読みにくいのをここまで読んでいただいて感謝感激雨霰。
あの文体は仕様です。ビル・ゲ○ツもそう言ってます。

美綴さんの設定については目を瞑って下さい。
作者の”強い美綴綾子”に対する幻想は根深く、武器とか戦闘技能とかイロイロ妄想はありましたし、入れられないことも無かったのですが、蛇足過ぎなので諦めました。

何時か書きたい戦闘シーン。難しそうですが、夢は膨らんでく一方です。
この話では士郎が弱すぎて美綴さんとは戦闘になりませんでした。南無。

感想がとてつもなく欲しいです。気になってます。
読みにくいとか、この書き方はそもそもSSとして間違ってるとか、いやもうそれ以前、話の筋がどうかしてるでもなんでもいいです。
小心者の作者を震え上がらせるようなものでもいいので、何か投げてやって下さい。
肯定的なものならそれこそ飛び上がって喜びます。

それでは。


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