Purgatory【Gaia's Fall】 一日目夜02まとめ(M:オリ、セイバー、蒼崎橙子etc... 傾シリアス90年後クロスオーバー


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1: 心無鳥 (2004/04/06 00:43:04)[shina_lain at hotmail.com]http://www113.sakura.ne.jp/~the_470in/

 


 02/06

 目の前の老人たちを、幼女は眺めている。
 見た目は若いが、その内部は長き年月を経ており、既に一世紀に達しようとしていた。
 特にそれに対して何を思うでもなく、ただ観察していた。
 何故ならば彼女の身は無。
 生まれてきたことを一度リセットされた幼女には、流す涙も泣く産声もない。
 この世に生まれ落ちる更に前、己が何であるかも決定していない。
 だから、観測者であり拝聴者、それが今の彼女の全て。
 自発的な行動など、何一つ取りはしない。
 興味が沸くことすら皆無。
 希望が湧くことなど、絶無。
『――遠坂の家はコレを捨てた。いや、この場合は棄てたというべきか』
『うむ、コレを人というには、語弊があろうからな』
『そのような言い方もないだろう。何せ、貴重なサンプルが手に入ったのだから』
 仏頂面で、魔術師たちが語り合う。
 幼女は己の名字が遠坂であり、棄てられた事実を認識した。
 名は既に決まっていた。
 レン――そう、あの肉塊は呼んでいたか。
 解らなくとも母親なのだから、名付けるのもソレだろう。
『貴様だけのもののように言わないでもらいたい。コレは私たち、時計塔の魔術師全ての共有財産だということで、意見の一致を見たはずだが』
『ああ、確かにその通りだとも。相変わらず気が短いな』
 言葉は土に染み込む水のように幼女の中へ入りこんでいく。
 だがそれは、温もりのある水ではなく、氷点下の冷水だ。
『まぁ、あの災厄を生き残っただけでも良かったと思ってもらわねばな。サンプルとしてても、生きているだけで幸いだ』
『そんなことをお前が決めるか。それにこれでは、サンプルではなくモルモットだろうに』
 空間に苦笑が響く。
 その最中にあってさえ、幼女の表情は蝋人形のように揺るがない。
『さて。何をするにせよ、しばらくは知識を吸収してもらわねばなるまい。なぁに、コレなら四年もすれば魔術師としては大成するだろうさ』
『その後は、幾度も実験を繰り返すだけか。実に簡単だが、それでよいのか?』
 疑問が提示されるが、ささやかな笑い声と共に応える声が響く。
『本質的なところはいつだって単純だとも。我らが目指す根源と同じようにな』
『では……ああ、名はなんとしようか』
 そう言った男が、幼女のやや暗い、赤の混じった髪を見た。
『ふむ、 無 色 の 銅 《アクロマティック・カッパー》瓠それではどうかな、ご同輩』
 幼女にではなく、周りに向けて提案する。
 魔術師たちは、さもどうでもよさげに頷いた。
『無 色《アクローマ》故に染めるも汚すも我らの自由、というわけか』
 くぐもった笑い声が室内にこだまする。
 それにさして不快を覚えるでもなく、幼女は静かにその名――いや、彼らの言によれば彼女は人間としては扱われていないのだから、猝鱈瓩箸いΔ戮か――を刻んだ。
『では、無色。これより図書館の外へ出ることを禁ずる。椅子が汝の寝床、長机が枕、食物は並ぶ書物を知識と為して食うがよかろう。さすればそれを実践し、四年の年月を経て大成して見せよ』
 それはきっと、レンという幼女が産まれた記憶。
 揺り篭はない。許されたのは、ただ知識を積み込み研磨する作業だけ。
 だが、それ以外にやることなどないから。
 だから――無 色 の 銅《アクロマティック・カッパー》は、図書館のドアの向こうに消えた。 


 02/07

 粉々になった木々と、穴が空いた大地の上で、白金の騎士と黒塗りの暗殺者、紫の吸血鬼が退治する。
 三者は共に動かない。
 そのまま数秒が経過した後、メイルが感慨深げに呟いた。
「――なるほど、今のはマスターの記憶か」
 シオンが腕を組み、見下した目でそれに反応する。
「どうしました。虐殺の、愉悦の記憶でも流れ込みましたか?」
「否、そのような記憶があのマスターにあるわけがあるまい。彼女は貴様と違い、慈愛に溢れている。まぁ、多少恥ずかしがりで頑ななところもあるが、それもまた可愛らしい」
 怒った風もなく言って、メイルはガチャリと鎧を揺らした。その左手が、エクスカリバーをもう一度握り直す。
 黄金の剣は形だけは整っているものの、セイバーの手元にあった時のような光は発していない。
「ただ、斬り殺したくなるような記憶ではあった。私がサーヴァントになる前にあの場にいたならば、彼奴等の首は一秒と体に付いていなかっただろう。もっとも、今となっては抱きしめる程度のことしかできぬが」
 悔し気な言葉とは違い、その声色は平静。顔も真顔のまま、エクスカリバーを握る左手だけが力強かった。
「可愛らしい? あの魔術師がそんなモノであるわけがないでしょう。アレは一族から見放され、時計塔の玩具となった災厄の無 色《アクローマ》。螺子の抜けた人形です」
 蔑みに満ちた声で、シオンが告げる。
 メイルは迷いも悩みもせずに、間髪入れず答えた。
「たとえ人形であろうとも、我がマスターであることに変わりなし。私はこの身の全てをかけて彼女を守る。それ以上でも、それ以下でもない」
 メイルの言葉を受けて、シオンは感心したように眉を上げた。
「マスターが侮辱されたというのに、怒らないのですね。やはりその忠義は、見せかけですか」
「二度も言わせるな吸血鬼。侮辱するのは汝の自由だ。私が止める権利も、いわれも無い。だが、それに対する報いを払わせることくらいは、私にもできる」
 シオンが身構え、アサシンがゆらりとその体を傾けた。その腕には再び呪帯と金属バンドが巻かれている。いや、正確には修復されたというべきか。
 メイルは動じず、ただ悠然と屹立していた。
 身にまとった白金の鎧に月光が反射し、一際眩い光を放つ。
 目を細めたシオンに、メイルはエクスカリバーを向けた。
「貴様の方こそ毎度毎度、勝機を逸しているとしか思えんが?」
「別に焦る必要もありません。セイバーが倒れた今、私のアサシンに勝てるサーヴァントなどいませんから」
 鼻で笑うシオンに、メイルが頷く。
 しかしその口から放たれたのは、肯定の言葉ではなかった。
「ああ、先ほどの私の言葉は間違ってもいないが、当たってもいなかったか。逸していたのは、勝機であり正気だったな」
「……何を言っているのですか。今代のセイバー」
 呆れたように呟くシオンにも、メイルの余裕は崩れない。
「正気をも逸していると言ったのだ吸血鬼。更に訂正させてもらえば、私の呼び出されたクラスはセイバーだが、それはマスターによって変更された。今の私はメイル、彼女を守る鎧にすぎん」
「そんなことはどうでもいいっ!」
 吼えるシオン。何故か彼女は激しい苛立ちに襲われているようだった。
 それは己の言葉を否定された故か、それとも他の何かか。
「どうして私の発言が正気でないと言える。まさかあなたが、セイバーより強いわけでもないでしょう! あの英霊はアーサー、そしてマスターが衛宮煉であるならば、間違いなく全力を出せていたはず」
「吐き違えるのはやめてもらおうか、吸血鬼」
 ビキッ、と音を立てて、シオンの顔に亀裂が入る。
 それに対して反応することなく、メイルは続けた。
「勝てるサーヴァントがいないという言葉、慢心の極みだ。この世に敗北せぬ者などなく、また敗北を知らぬ者は安穏とした愚者に他ならない。たとえどれほど苛烈に戦い傷つこうとも、敗北なくばその者の力は見せかけだ。真に力ある者は敗北を知り、己が弱くあることを知り、他者とて弱きことを知り、それでも誰かを信じるに足ると知りて剣をあずける。よいか、吸血鬼――」
 地に王の聖剣を突き立て、微塵の疑いもない声でメイルは告げた。
「――勝利者とは、何度敗北しても諦めず立ち上がる者なのだ。たとえ体が滅びようとも、その願いが尽きぬなら、死にすら負けることはない」
 シオンの歯軋りが、静寂に包まれた空気を揺らす。その身より放たれる殺気は、もはや目に見える紅の瘴気。
 片やアサシンは主とは正反対に、何の空気も発さずに立っている。
「マスターに勝利を諦めろと言ったのは、偽りですか」
「否、私が言ったのはこの聖杯戦争での、物理的な勝利のことだ。先のような、観念的且つ精神的なものではない。それに加え、諦めはあくまで勧めであって強制ではない。誰がマスターに、そんな命令などできるものか。私にできるのは、ただそうしたらどうかという進言と、我が譲れぬものを頼むのみ」
 メイルはエクスカリバーを抜き、肩にあずける。
 シオンの顔に走ったヒビはもはや体中に広がり、わずかながら血がにじみ始めていた。
「どうした吸血鬼。そもそも先刻、我らは長い間言葉を交わしていただろう。その間、一度たりとも襲ってこないとは。まさか先ほどの攻防で傷を負ったわけもあるまい。貴様のような化物がそんなやわにできているはずもない。何より、アサシンはそこに健在だ」
 シオン・エルトナム・アトラシアは答えない。ただ真紅に燃える眼をメイルに向け、射殺さんばかりに睨んでいる。
 白金の騎士は黄金の剣を軽やかに回し、再びシオンに向けた。
「答えぬならば推測しよう。いかに傷ついているとはいえ、セイバーがいては万一も有り得る。アーサーは確かに最高に近い力を持つサーヴァント、軽率に動くことはできはしまい。アサシンを私かセイバーが引き受け、もう片方が貴様を狙った場合において、危険度は更に高まる」
 メイルはふてぶてしい笑みを、狂った魔術師へと贈る。
「ならばそのまま待ち、逃げるところを追撃し、一人一人葬っていくのがもっとも効率が良い。殿が残ったにせよ、二対一ならば確実に討ち取れよう。だが、貴様がそうも猛っているのにはいささか疑問が残るな、吸血鬼」
 言って、メイルは斜に構えた。右の剣を引いた腰元に、左のエクスカリバーを体の最先端に。腰は引くく、今にも駆け出さんばかり。
 前方から来る相手へ突撃、あるいは迎撃する姿勢。
 シオンが口元から血を垂らしながら、きちがいじみた声で何かを呟く。
「イ…ナ……」
 ふむ、とメイルは微笑して頷き、
「おそらくは、私が貴様の種名を連呼しているせいか。吸血鬼」
「ソノナヲ、ヨブナァァァァァァァッッッッッ!」
 一気にシオンが加速する。一瞬でメイルの目の前に辿り着いた彼女の背後では、それに勝る速度で動くアサシンの姿があった。
 衝撃破だけを残して、暗殺者の姿がかき消える。
 突進するシオンが、メイルの胸へ光の如き速度で貫手を放つ。彼の腰元から迸った血刃が、その一撃を逸らした。
 耐えようともしなかったメイルが吹き飛ばされ、カカトの跡を地面に刻みながら数メートル後ずさる。だが、その行為が終わりきる前に、上空からの一撃が彼を襲う。
 今の状態で受ければ、骨が折れるだけでは済まない。頭の上から足元まで折りたたまれ、それこそ生ゴミに成り果てるだろう。
 しかし寸前でメイルは反応、回避行動に移る。セイバーほどの力を持たない故か、その刹那の時間は飛ぶには短すぎた。
 かろうじて横に歩を進め、エクスカリバーを盾に直撃を避ける。掠った鎧が砕け、衝撃に体が揺らいだ。
 模造された聖剣では役不足だったのか、黄金の刃の中ほどが欠ける。
 メイルは吹き飛ばされながらも回転し、追いついたシオンの背後からの爪を、血剣の柄頭で打ち据えた。
 ひしゃげる手の平と飛び出す骨。折れる音は風にかき消され、響かなかった。
 シオンの顔は怒りに染まった歪。しかし体は冷静に、負傷した部分を復元呪詛によって巻き戻していく。
 メイルはシオンを追撃することなく、アサシンの死角からの攻撃を逸らす。やはり飛ぶのが間に合わず、木の葉のように吹き飛ばされた。エクスカリバーが更に削られ、磨耗していく。
 体勢を整える間もなく、シオンの胴回し回転蹴り。血剣で受け止め、地面へと力のベクトルを変える。
 間髪入れず、再びアサシン。背中を折らんと振るわれた横殴りの一撃を、メイルは振り返りもせずに受け止めた。
 しかし反撃はしない。彼の言の通り勝つ気など微塵も見せず、打ち払うことはない。ただ受け止め、逸らし続けるのみ。
「……何故」
 シオンが呟く。暴音の中にあってなお、彼女の声はその場に響いた。
 アサシンの速度はメイルをはるかに上回っているが、曲線的な切り替えができぬ故か、一つ一つの攻撃にはやや――とは言っても、微々たるものだが――間がある。シオンはメイルよりやや遅いが、力だけで見れば彼女の方が上だった。
 幾度も交錯する剣と腕と爪。
 その中で数度、シオンとアサシンの攻撃が同期することがあった。
 今もまた、その攻防が行われようとしている。
 メイルが倒れかけた姿勢での、シオンの切り上げとアサシンの袈裟打ち。アサシンの腕をエクスカリバーで受け逸らし、刃に接した血剣を反動で打ち放ってシオンの爪を弾いた。
 体勢を崩され、尻餅をつきそうになるシオン。格好の好機にも関わらず、メイルは追撃しない。代わりに一歩横に動き、アサシンの突きを呼び込むように体を逸らし、黄金の刃を盾としてかわす。
「……何故倒れない……!」
 苛立ちに満ちた声。それに応えるように、アサシンの攻撃を受け逸らしたメイルが口を開いた。
「ならば答えようか吸血鬼」
 今や鎧はその大部分が打ち砕かれ、黒服も所々が破れている。だというのにまったく疲れのない、余裕に満ち溢れた声で騎士は言った。
「絶対と言い切ったのは愚かだが、貴様の言葉はほぼ正しい。このアサシンに勝てるサーヴァントなど、そうはいまい。私とてアーサーに及ばぬ身なれば、勝てぬのは必然」
「くっ……!」
 血濡れの刃が煌き、足を取ろうとしたエーテライトを切り裂いた。もう片方の手で握ったエクスカリバーに衝撃が走り、刃が欠ける。アサシンの、背中を打ち砕こうとした腕を逸らした余波だ。
 そのまま吹き飛ばされながらも、メイルの言葉は止まらない。
「ああ、確かに勝てはしない。だが、負けぬ英霊ならいくつもいる」
 語る彼の左手の中で、エクスカリバーが回る。逆手に持ったそれで、アサシンの追撃をかろうじて逸らした。
 今度は横殴りに飛ばされる。もはや黄金の剣は見る影もないほど欠け細り、あと幾十合打ち合えば折れてしまうかに見えた。
「セイバーのように勝とうとすれば、アサシンと貴様は大敵となるだろう」
 シオンの足払いを血剣の峰で受け止め、減速した間に足を引く。左手のエクスカリバーに巻きつこうとしていたエーテライトを、返す刃で払いのけた。
 やや前のめりになったメイルに、真正面からアサシンの鉄槌が降ってくる。空中に飛び、逆さになった状態での一撃。
 エクスカリバーの刃に右手を寄せ、体を伏せる。金色の破片が空中に煌き、掠めた銀髪が焼け焦げた。
「打ち払い、攻撃に移ろうとすれば隙が生じるが定め。だが、元より勝つ気などないこの身にそれはない」
 血剣を黄金の刃から離し、一歩後ずさる。屈んだ状態から放たれたシオンの蹴りが、かろうじて残った鎧を砕く。
 だが、いくら身にまとう鎧を砕こうとも、たった一人の鎧《メイル》が砕けない――!
「馬鹿ですか……!? いくら隙がなくとも、このままならばあなたの敗北は必然ですッ!」
 確率に基づく事実をシオンが叫ぶ。
 メイルは変わらず、焦らぬ顔で、
「敗北が必然であろうが、今言ったことは変わりはしない。いかに性能が高かろうと、貴様もアサシンもヒトカタに過ぎない。守勢に回るならば、凡百の兵隊二人と何も違わん」
 断言するメイル。
 シオンに否定はできない。彼女の目の前で展開されている現実が、彼の弁を証明していた。
「知れ、吸血鬼。質よりも数が勝る時があることを。主より賜いしこの鎧を砕きたいのなら、一万の軍勢も無くば役不足だ――!」
 戦闘が始まってから初めて、メイルは声を大にした。誇りがにじみ出すような言葉にシオンは吼える。
「それがどうしたというのですか! 一瞬で砕けなくとも、常に攻め続ければ砕ける。それは、あなたも認めたこと、倏塰未鷲然瓩函」
 アサシンとシオンの攻撃が重なる。それを逸らしたメイルの肩が削れ、血が吹き出る。
 バランスを失いよろけるシオンと、通り過ぎるアサシン。
 騎士は頬に付着する血を気にも留めず、欠けたエクスカリバーと、禍々しき血剣を握り直した。
「そこまで解っているのなら悟れ。敗北するのが必然ならば、その必然を変えるのみだと」
 戒めの一言と共に、メイルの左手から一筋の光条が迸る。
 投擲されしは細った黄金の剣。それは狙い違わず、シオンが大地を踏みしめる一瞬を貫いた。
「がっ……!」
 腹部を貫通する音速の一撃に、シオンが苦悶の声を上げる。いかに吸血鬼の肉体と言えど、サーヴァントの全力投擲には耐え切れない。
 だが、それによってメイルに致命的な隙が生じる。彼の言っていた通り、攻めればそこに付け入られるのだ。
 振り下ろされるアサシンの腕。避けるそぶりも見せず、メイルは血剣と左腕を重ね合わせて突き出した。
 血剣は折れない。しかしその下の腕は違う。肉が裂け、折れた骨が外に突き出す。肩が外れ、だらしなく垂れ下がる右腕と剣。
 アサシンはこれを逃さずその場に留まり、頭を打ち砕くべく腕を引いた。
 後退ろうと到達する、致命の一撃。
 痛みを感じながら、シオンは勝利を確信した笑みを浮かべる。
 その耳に、苦しみも痛みもなく、ただ涼やかな声が響いた。
「言い忘れたが、負けぬ理由がもう一つある――」
 腹部から剣を生やしたシオンの体が止まる。
 疑問に思う間もなく、遠ざかっていたメイルの姿が急速に近づいていく。
 否、引き寄せられているのは、シオンの体だ。
「なっ!」
 シオンが慌てて体をよじるが、エクスカリバーは抜けない。
 メイルが攻撃を受けていた部分は刃の中腹、細まったそれは傷つかぬ先端と合わさり、一つの巨大な銛を形成していた。
 最初からこれを想定して、エクスカリバーでのみアサシンの打突を受け続けたのか――!
 心中で叫ぶ暇もあればこそ、彼女の体は宙を舞い、騎士の元へと引き寄せられる。
 黄金銛の柄にはいつの間に結わえつけたのか、シオンが持っているはずのエーテライト。
 おそらく、攻防の中で切断し続けたものを集め、一本にしたものであろう。
 そのエーテライトが、メイルの右手に握られている。
 最後の仕上げと言わんばかりに、騎士が血剣を振るった。
 エーテライトが今一度張りつめ、シオンの体は更に加速。
 そんなことを知るよしもないアサシンが突きを放ち、メイルが一歩後ろへ下がった。
 一メートルもないその隙間に、引き寄せられたシオンの体が滑り込む。
「アサシン、止まりな……!」
 言葉は最後まで紡がれることはなかった。
 騎士を砕くはずだった鉄槌が、主の頭部を粉砕する。
 鉄槌が減速した間に一歩後退り、メイルは安全圏に達した。
 脳漿と血の噴水を眺め、やはり変わらぬ声で、言う。

「――私は、セイバーよりほんの少しだけえげつない」


 02/08

 森の中を私は駆ける。
 左に抱く体は軽く、右に抱く痛みは重い。
 アサシンによってもがれた腕は、未だ血を流し続けていた。
 復元するわけにはいかない。これは、己の傲慢への戒めだ。
「シロウ」
 名を呟き、割れそうなほどに歯を噛み締める。
 なんて愚か。自分だけで十分と、先走った挙句がこの末路か。
 彼より返還されしアヴァロンは消滅し、エクスカリバーも腕ごと握り壊された。
 利き腕を潰され、出血は止まらず、走る足は精彩を欠く。
 今の私は敗走兵、その名がもっとも相応しいだろう。
 自虐的だと笑わば笑え。その通り、自虐するくらいしか、私ができることはない。
 確かにあの状況では、戦う選択が正しかった。また、エクスカリバーも最強の剣には違いなかった。
 弱かったのは私の心。
 傲慢ではない、決して、過信などしていなかった。
 だが、過ぎていなくとも信じていたことが、そもそもの間違いだったのだ。
「っは――!」
 知れず、笑みがこぼれた。
 煉が気を失っていたことを感謝する。
 こんな歪な笑顔を彼女に見せたら、また余計な心配をかけてしまう。
 ……最初から、間違っていた。王としての道を誤ったこの体と心を、信じてはいけなかったのだ。
 私は強い。それは確かな事実だ。だが、それを信じてしまっては勝つことなどできない。
 何故ならその強さは過った道から生じたものであり、ひいては国を滅ぼした強さなのだ。
 まるで滑稽なピエロのように、道化となったのも知らずに、真面目に踊り続けていた。
 地に落ちたビー玉を追って、風のような速さで進んでいく。
 だがどれほど進もうとも、心に落ちた影は拭えない。
「……煉、申し訳ありません」
 届いているかはわからない、それでも謝らずにはいられなかった。
 痛みや悲しみを無かったことにするという願いは、非現実的だと煉は言った。
 だがその行為が間違っていたところで何が変わるというのか。既に穢れたこの道、更に一つの過ちが加わったところで、大きな変化はない。
「私が、全て背負います」
 そう、決めた。
 私が犯した過ちも、滅びた国の悲哀と痛みも、全てこの身に背負って持っていこう。現に残るのは、幸せな民と平和な国だけでよい。
 何故ならそれが、アルトリアという少女が王になった理由なのだから。
 もはやこの聖杯戦争で勝利することはできないだろう。あのセイバー……メイルは自信あり気だったが、それでも私たちを逃がすまで時間稼ぎするのが精一杯のはずだ。
 私たちは既に安全なところまで到達しているが、おそらく彼は助かるまい。
 そしてメイルがいなくなれば、負傷した我が身と煉が残るだけ。
 勝てる可能性など限りなく低い。ならば私は私の目的のため、彼女を連れてここを出よう。
 そのあと別れを告げ、また聖杯を巡る輪廻の輪に戻ればいい。
 ……気づいてみれば、私は震えが走るほど冷静に、マスターを捨てることを考えていた。
 嫌気がする。シロウが今の私の考えを聞いていたら、真っ先に否定するだろう。
 だがそれすらも、朽ち堕ちていく我が身には相応しいか。
 すまない。シロウ、アーチャー、私にあなたたちの問いに答える資格はない。
『――だったら――』
 いつか聞いた冷たい声が、耳朶を打った。
 引き上げられるようにして思い出す。私とマスターが出会ったその時を。

 明かりの灯った地下書物庫。どこまで続いているのかもわからないそこに、一人の幼女がいた。
 無表情に黙りこんだまま、高い脚立の上でただ延々と本のページをめくり続ける。
 私はその時、懐かしさに見惚れていたのだと思う。
 幼女の顔はそれほどまでに、凛に似ていた。これが、覚醒遺伝というものだろうか。
 違いと言えば、ツインがポニーになったくらいのものだ。それとシロウの血が混じっているせいか、髪がやや赤がかっている。
 猗狃を頼むよ。私ができるのは、この程度だ瓩修Α年若い遠坂の当主は言った。
 幼女を追放することは遠坂家全体の総意だった。
 一年前、勝手に聖杯戦争に参加した末に、大災厄に巻き込まれ死亡した分家の女。そんな愚か者の娘である上に、空っぽになったガラクタ同然の心。世話するだけ、無駄というものだ。
 結果、遠坂家はソレを魔術協会に寄付する形で処理した。魔術師としてここで生き抜いていくためには、余計なものを背負ってはいられない。協会としては災厄の唯一の生き残りという点が興味深かったらしく、研究動物として諸手を上げて引き取った。
 ――正直、吐き気がした。
 いかな素性の者とはいえ、まだ年端もいかない娘を物のように扱うとは。
 だが、当主は違っていた。
 彼は遠坂よりもエミヤシロウの性格が濃くでていたらしく、魔術師としては意外なくらいに優しかった。故に彼は彼女のことを心配し、数日前に己から令呪を移し変えたのだ。
 そのことは私でさえも知らなかった。朝、突然その旨を告げられたのだ。
 けれど怒りはない、むしろ安堵した。これならば、遠坂の家は非情だけに傾倒しまいと。
 十余年の間マスターだった彼の最後の頼み。ならばこれからはこの幼女が、私のマスターだ。
 読み終えたのか、幼女は本をしまって脚立から飛び下りた。
 受け止めようと手を伸ばすが、彼女は猫のように体を縮ませ、衝撃を殺した。
 薄い色彩の瞳が私を見つめる。
『あなた、誰?』
 感情のカケラもない、無関心で冷たい声。
 私は手を差し伸べて、それに答えた。
『本家より使わされたサーヴァント――セイバーです』
『そう』
 納得したのか、そっけない素振りで頷いたあと、幼女はまた次の書架へと向かっていく。
 その後を、抜かないように追いかける。
『……何も聞いていないのですか?』
 手に刻まれているのは確かに私の令呪。しかしそれにしても、彼女の反応は薄すぎた。
『約八十年前の聖杯戦争に参加したサーヴァント。遠坂凛が維持継承し、そして今も遠坂家に仕えるモノ』
 まるで他人事のように言い、彼女は脚立を上っていく。体には簡素なワンピースしかまとっておらず、下着すらつけていない。
『はい、その通りです。そして私のマスターは……』
 言いよどんだ私に、本をめくりながら彼女が言った。
『無色《アクローマ》でいいわ。本当は無 色 の 銅《アクロマティック・カッパー》だけど、私を示す銅《カッパー》なんてどうでもいいから、皆そう呼んでるし呼ばれてる』
『日本語の名前は、ないのですか?』
『遠坂でない私には必要ない』
 最初から変わらない、抑揚のない声で答える。
 ……なるほど、心神喪失とはこういうことか。
 今の彼女は機械に過ぎない。問われれば答え、疑問に思えば質問し、行動はあくまで効率的に。
 単純な知識採集の繰り返し、これが時計塔の魔術師たちが命令したことか。
 だが、私のマスターであることに変わりはない。彼女がずっとここにいると言うのなら、私もここで彼女と暮らそう。
『ならば無色《アクローマ》――これより私は、あなたの剣となる』
『別にいいけど、やけに悩みごとがあるような顔してるのね』
『……っ、それは』
 心臓が高鳴る。この幼女はいきなり、私の核心に触れた。
 それは単なる感想なのか、それとも確信をもった詰問なのか。
 私の狼狽を知ってか知らずか、本を閉じて収めながら、切れ長の目が私を見据える。
『別に言わなくてもいいわ。そんなに息がつまるということは、よっぽど大事なことなんでしょ』
 再び脚立から飛び下り、彼女はこちらを向く。そして手を伸ばし、脈打つ私の心臓をノックした。
『ただ、思うの。あなたはずっとずっと、苦しんでいるんでしょう。そして抜け道を探し続けている。だけど見つからないなんて、本当に――』
 それは出会ってから始めて告げる、彼女自身の意思がこもった言葉だった。
『――本当に、見苦しい。だったらさっさと死になさいよ』

 ……ああ、あの時の煉の言葉は正しかった。こんなことを言ったら彼女は怒るだろうけれど、私はあまりにも見苦しい。
 安穏としていた。現世での生活を楽しみ、遠坂の人々と笑いあっていた。
 そんなことが、許されるはずがないというのに。
 唇を噛み締めているうちに、目の前にはベースキャンプの目印である、小さな泉が迫っていた。
 樹齢何年になるか予測もつかないほど巨大な木の跡、空洞になった根を通じて地下からくみ上げられた水が溢れる、天然の井戸だ。
 木のうろの中に食料を隠し、根の影で眠る。テントは張れないし、緊急時に身動きが取りにくくなるため、寝袋も使えない。
 だが、綺麗な水があるだけで十分だ。
 この樹海には所々にこういった泉があるが、腐った葉が溜まって汚染されているものが多い。偶然ここを発見できたのは、正しく幸運と言えた。
 根に布を敷き、枕代わりにして煉を横たえる。呼吸は規則正しく、乱れがない。どうやら思っていたほど、重傷ではなさそうだ。
 いくら彼女の前から立ち去ると決めたとはいえ、むざむざ見殺しにするような真似はできない。目覚め次第、樹海の外まで連れて行こう。
 そしてその後は、自ら命を絶つのみだ。
 握り締めた左手に汗がにじむ。それに反応するように、背後の草が音を立てた。
「……何者」
 敵と思い問いかける。しかし返ってきたのは、高慢で尊大な、聞いた覚えのある声だった。
「失礼だなセイバー。しっかりと役を務めて帰って来たのだ。出迎えの笑みくらいは浮かべてくれてもいいだろう」
 振り向く。そこには最初と変わらぬ姿で立つ、白金の騎士がいた。
 いや、違う。その身に秘める魔力の量が、半分以下に減少していた。
 煉に心配をかけないように、わざわざ独力のみで復元してきたのか。
「どうした。鳩につままれたような顔をしているぞ。まさか、私が帰ってこないとでも思っていたのではあるまいな? だとするならば心外だ。これでもう何度目かになるがあえて言おう――私は言を、違えない」
「ええ、確かにあなたは、約束を守る人です」
 まるで私とは正反対だ。メイルは己が進む道を言い、そして迷わず、必ずそれを成し遂げる。
 彼のように踏み切れていたなら、私も迷わなかっただろうか。
 だが、安心した。彼ならば、きっと煉を守ってくれる。
「メイル。よく帰ってきてくれました――」
 これで私はゆくことができる。
 だが、続く言葉を止めるようにメイルが私の左手を引き、顔をつき合わせる。
「なっ……何を!」
「悩んでいるようだな、セイバー。それも刺さった銛が如き、深く抜けないものだ」
 言葉が出ない。
 どうしてこうも簡単に、煉もメイルも私の心を見透かすのか。
「お前は剣だ。灼熱の炎に当てられても赤く光り、叩けば更に強くなる。だが、今のお前はただの少女に過ぎん。さすれば炎は身を焦がし、奈落の底へと誘うのみ」
 灼けるように赤い眼が私を見据える。けれどその光りは暖かで、哀れみではない優しさに満ちていた。
 何も言えぬ私に、メイルは常の声で言う。
「お前はこの九十年、冷たい氷の中に閉じ込められていたのだろう。そしてそれはずっと割れなかった。剣であった娘よ、内から砕けないのなら、外から溶かしてもよいのではないか。何より、まだうら若き少女が苦しんでいるのは本当に――」
 奇しくもそれは、我らがマスターの言葉に似ていた。

「――本当に、見るに堪えん。鎧に甘えて、話してしまえ」


 02/09

 夜更け、何も映さぬ暗闇の中で、白金の騎士と王たる騎士は見詰め合う。
 メイルの瞳に偽りの光はない。片やセイバーは数瞬動きを止めた後、苦しげに視線をそらした。
 そうして、掴んだ手を振りほどき、白金の肩に叩きつける。
 うなだれ、地を見つめたまま何度も何度も何度も、骨が折れんばかりに殴りながらも、その体を上げることはない。
 どれだけをそれを繰り返しただろうか。やがてセイバーはその手を止め、うなだれたまま、力なくその場に膝をついた。
 肩からすべり落ちていく手を、メイルが受け止める。
「……どうして」
 胡乱な声で、セイバーが呟く。
 その顔に雫はない。英雄は、どのような苦境においても涙は流さない。
 だが、その声は、
「……どうして、語れよう……!」
 どうしようもないほどの、悲しみに満ちていた。
 姿形は変わらない。ずっと変わらぬ、王のまま。
 しかしその中身は今もぬけの空の、少女だった。
「あなたに、何がわかる!」
 顔を上げ、メイルを見上げる。
 紅の瞳はただ涼やかに、けれども優しげに、その言葉を受け止めた。
「ああ、何もわかりはしない。だから話してくれと言っているのだ」
「語ったところで何も変わらない。この傷と痛みは、わからないでしょう」
 自信に満ち溢れたあなたには、とセイバーは思う。
 その内なる声に応え、メイルは言った。
「当たり前だ。他人に理解できるような感情など、たかが知れている」
 セイバーの言葉を肯定し、彼は右手を伸ばす。
「ならばあなたには何もできない。私は私のまま、この道を行くだけだ!」
 叫ぶセイバーの声には、しかし力がない。
 その絹のような頬についた傷をなぞり、メイルは微笑んだ。
「何もできんが、その道を曲げることはできる」
 頬に伝わる暖かな感触に目を細めながら、セイバーは問うた。
「道を、曲げる?」
「人の気持ちとは常に一定のものではない。口惜しいが、汝が内の苦しみは理解してやれぬだろう。しかし、言葉によりてその意にさざなみを立て、揺らがせることは可能だ。よいか、セイバー」
 自信に満ちた笑みで、幼子に悟らせる賢者のように彼は告げる。
「――力なき者、理解できぬ者の声でも、それは確かに届くのだ。一つ一つの言の葉が世界や人の心を揺らし、それらが大きな波となって未来を形作る。意味のない言葉などなく、何も変わらぬものなどない。私に苦しみを打ち明けることを無意味と思うのなら、それは恐らく無意味なのだろう」
 メイルは懐かしむように、ゆっくりと息を吐く。
 そしてセイバーの頬から手を離し、握った左手に力を込めた。
「だが、知っておけ。お前が意味在ると思えば、そこに意味は生ずると。他人の進言を受け止めず慢心するのは、ただの愚か者だ」
「ええ、愚か者です。私は最初から最後まで、ずっと間違っていた」
 他人の言葉にその心は揺らぐことなく、最後の時まで頑なな、曲がることのない王の道を進んでいた。
 セイバーが再びうつむく、それを見下ろし、今一度メイルは言った。
「過ちは正すために存在する。しかしそれを正そうとすれば、新たな過ちが生ずるのが世の常。正すというのは既に起こってしまったことを変えるのではない。これから己が進む道で、過ちを繰り返さぬよう正すのだ」
「その道が信じられないとしたら? 後にも先にも、過ちしかないとわかっていても、過去を正すことは許されないのか」
 手を引き、セイバーに顔を上げさせながら、メイルは彼女を抱きとめる。
 それは道で倒れる者を助ける行為にも似て、ただ柔らかく、優しい。
「許すのは私ではなく、お前でもない。また赦すのも同様だ。己を信じられぬ者が、どうして過去を正そうとする己の思いを信じられよう。全てが虚偽でできているのなら、その行いすらも過ち。何もできず、ただ沈んでいくことしかできん」
「……それすらも間違いならば、私は」
 セイバーは目を伏せる。
 メイルは彼女の金色の髪を撫でながら、静かに次の言葉を待った。
「――私は、どうすればいい!」
 涙声での叫びに、メイルは変わらぬ声で答えた。
「……ああ、それでいいのだセイバー。時には誰かにぶつけることが必要だ。剣なき少女よ、お前のそのような存在になれたことを、私は誇らしく思おう」
 だが、と彼は続ける。
「その問いには答えられん。お前が悩んでいたように、それは自身の内から導かなければならないものだ。加えてそのような感情の発露だけでは、助言のしようもない」
 今までの過程を見ても、あまりにもそっけないその言葉。
 セイバーの顔色が沈む。しかしそれを拭うように、メイルは言った。
「だから今はこれだけでいいだろう。お前が話したくないのなら、話すまで私は待とう。話してしまえ、というのは命令ではない。あれは、お前の背中を押すためのこと。もし重荷となったのならば、謝罪しよう」
 少女は静かに首を振る。
 ――この聖杯戦争で立ち去るという思いは変わらない。けれどそれは、この騎士に全てを語る決心がつき、そして語ったその後だ。
 誇り高き英霊の善意。迷いのないその言葉に、どうして暗い過ちの決心で応えられよう。
「そうか、それは良かった」
 そんなセイバーの思いを知ってか知らずか、メイルは一際喜びに笑みを浮かべ、
「……願わくば全てを知った後、私の助言が君を救わんことを」
 祈るように、言った。
「ええ、メイル。私もそれを――」
 ――私を導く鳥が現れ、迷いなく進めることを願う。
 だが、メイルは彼女にみなまで言わせなかった。
 おもむろに手を離すと、少女の体を突き飛ばす。
 泉の中に小さな体が飛び込み、音を立てて水しぶきが上がった。
 膝上までしかない水深のため、ちょうど尻餅をつく格好になる。
 すわ敵か、と泉の中でセイバーは立ち上がった。
 その目に映ったのは、悠然と佇む騎士だけだった。
 メイルは悠然と歩を進める。
「その肩の傷、出血くらいは止まると思ったが、一筋縄ではいかぬようだ。ならばせめてその体、綺麗にしておかなくばなるまい。マスターの前に、そんな姿を晒させるわけにはいかん」
 セイバーの右に回り、傷口に触れる。
「……ッ!」
 激痛に顔を歪めるセイバー。その肩口からは血の雫が滴り、泉を赤く染めている。
「復元はおろか、止血もできんか。いかに魔力が限界近くまで失われているとはいえ、これは異常が過ぎる」
 セイバーは答えない。痛みもあるが、まだ明るく振る舞うことはできなかった。
 強がりを言う気力すら、その身にはない。先ほどのメイルとの会話で、全てを使い果たしてしまったように。
 己の服を千切りながら、メイルは傷口に容赦なくその指を食い込ませた。
「あ……か、は……!」
 口を開けたまま、セイバーがうめく。それを意に介さず、メイルはそのまま傷口周辺の肉をこそぎ取った。
 手に付着した肉片を振り払い、観察者の冷酷な瞳でセイバーの様子を眺める。
「触れた肉を取っても無理、か」
「メイル、あなたは、ひどい」
「そう非難がましい目で見ないでもよかろう。この程度の痛みで音を上げるお前でもあるまい」
 当然のように言って、メイルは服から千切った布を更に裂いて一本の布にし始める。
「サーヴァントの能力で復元ができないとなると、これはもはや単なる傷ではなく呪いだろう。幸運が高いお前の体を侵し、且つ復活を許さないほど強力なもの。お前が神に祝福されし騎士ならば、これは悪魔にも忌み嫌われる呪詛か。なんにせよ、現時点では治す術はない」
「……ええ」
 わかっている、とセイバーは頷く。
 アサシンによってつけられた傷は、彼女の心だけでなく体にも癒せぬ傷痕を残していた。いや、治らないそれは裂傷というべきか。
 布をより合わせ一本の細い縄と成し、メイルは彼女の傷口を縛った。
「つ……ぅ」
 鮮血が一際激しく飛び散り、水面に波紋を立てる。
 傷口に別の布を当てながら、メイルは真顔で、
「復元も自然治癒も叶わぬのなら、物理的に止めるしかあるまい。当然の処置だ、我慢してくれるとありがたい」
「……楽しんでいませんか?」
 不満気に口を尖らせるセイバーに、メイルは笑う。
「失礼な。楽しんでいるのではない、ただ剣のように頑なな顔を崩さぬより、痛みに歪ませる方が似合うと思っただけだ。微笑ましいと呼べばいいか?」
「嗜虐嗜好だったとは、知りませんでした」
 皮肉気に言って、セイバーは肩をすくめた。その顔は未だ沈んだままだが、声からは幾分力が抜けている。
 メイルはうろたえもせずに、否、と首を振る。
「笑えばもっと良いのは言うまでもないだろう。前にも言ったが、汝はマスターに負けず劣らず可愛い」
「っな!」
 その前の、抱き合っていたことを思い出しでもしたのか、セイバーの顔が赤く染まる。
「嘘を吐かぬのはお前も承知のこと。剣でいるよりは、今のほうが可愛い。そう私は感想を持った。ただそれだけのことだと受け止めろ」
 おろおろと視線を彷徨わせるセイバー。その身にまとう鎧の残骸に、メイルが手をかけた。
「――では、脱げ」
 厳かに告げられた言葉。永遠とも思える静寂に場が包まれ、
「は、はいッ!?」
 セイバーの、裏返った声で破られた。
「何を驚く。体を綺麗にするのだろう? 他にあのアサシンの腕に傷つけられた部位があれば、そこも処置しなければならん。大丈夫だ、先ほどのように肉を抉るようなことはない。あれは無意味だと証明された。故に、その体は丁重に優しく扱おう。わかり難いならこう言おうか、狡砲ないから安心しろ瓩函
 語りつつも、メイルの手はセイバーの鎧、衣服を脱がしていく。
「そういう問題ではなくて、ですね……」
 緊張のあまり体を動かせないセイバーが、たどたどしく訴える。
 いかに最初は無知だったとはいえ、九十年も現世で暮らしてきたのだ。それ相応の羞恥心も、備わるというもの。
 胸から落ちようとする服を、左手で押さえる。今やその顔は真っ赤に染まり、うつむいていた。
 メイルが嘆かわしげにそれを覗き込む。
「どうした。理由をしっかりと説明したというのに拒否するいわれはあるまい。汚れたままの格好では、マスターに失礼だ」
「失礼とかそんなワケではっひゃっ」
 セイバーの声が甲高く森に響く。左手に水に濡らした布を持ち、右手で彼女の肌を触りながら、メイルが体を拭き始めたのだ。
「声は抑えた方がいいだろう。先ほどは場合が場合なだけに致し方なかったが、敵に悟られるような行為はできるだけ避けたい」
 口調は真面目に、しかし手は柔らかに、肩口から背をなぞっていった。
 暖かい手と冷たい布、その何とも言えない緩急に、セイバーは身悶えする。
「う……ん……」
 左手が緩み、服が足元まで一気に落ちた。
 思わず拾おうと腰を屈めるが、マイペースなメイルの手が胸にあてがわれ、それを許さない。
「くぅ……ん、メイル、あなたどこを触って」
「胸だが? 痛かったのなら詫びよう。しかし多少は我慢してもらいたいものだ」
 いささかの変化を見せない、冷静且つ高慢な声が返ってくる。同様に手の動きも変わらない。ゆるやかなふくらみを撫で、布で拭いていく。
 それが動く度に、セイバーも反応してしまう。
 滑らかな腹部と背中をなぞりながら、手は少しづつ下に下がっていく。
「ちょ、そこは……だめっで……」
 秘所に達しようとする手を、左手で握って止める。だがそれだけ、もう片方の布を持った方の手がそこを撫でた。
 もはや何も言えず歯を噛み締めたセイバー。その顔を見ようともせず、メイルは続いて足へとその行為を移していく。
 太股の内を滑るように触れられ、ついに少女はその場にへたりこんだ。
「っは、もう……」
 息を上げるセイバーを見、手を腰に当てて考えること数秒。メイルは尊大な調子で言った。
「ああ、なるほど。男に触れられるのに慣れていなかったか、すまないことをした」
 セイバーは答えない。ただ頬を赤くしたまま、水面を見つめている。
 メイルはしゃがみこんで彼女と視線を合わせ、微笑んだ。
「――だが、まだ終わっていない。これも勉強だと思って、諦めろ」
 言って、水中にある彼女の足を取る。

 その頭に、背後からのカカト落としが直撃した。

2: 心無鳥 (2004/04/06 00:43:21)[shina_lain at hotmail.com]http://www113.sakura.ne.jp/~the_470in/


 02/10

 男は、広い場所に立っていた。
 見渡す限りの人、人、人、人――しかし、そのどれもが人ではない。
 彼は死体で埋まった場所に立っていた。
 景色は遠く、鼻をつく死臭はまるで地獄のよう。
『負けた、か』
 言葉に応えるように風が吹き、ボロボロになった体を傾がせる。
 血に染まった剣を大地に突きたて、倒れまいと力を込める。
 輝かしかった白刃は見る影もなく。主を見放したのか、あの福音が如き鮮烈な音も聞こえない。
 そして男は、戦場を彷徨い始めた。
 倒れる死体、その一つ一つの顔を確かめながら。
『違う』
 一つの顔を見る度にそう呟く。
 鎧は切り裂かれ、四肢の所々に骨が覗いている。
 腹からは腸が今にも飛び出さんと張り詰め、槍に貫かれた胸からは血が流れ続けていた。
 息は荒く、足取りは重い。
 もうすぐに倒れそうだというのに、彼は延々と歩き続ける。
 紅に染まった剣だけを足に、よろよろと移ろうその姿は、まるで老人の亡霊のようだった。
 どれほどの時間が経っただろう。一瞬かもしれないし、永劫だったかもしれない。
 男はうつむき、高慢な笑みを浮かべた。
 だがそれは、自分を見下すもの。
『ああ、いないのではない』
 顔を上げ、見回す。
 数多の死体に詫びるように、告げる。
『……わからないのか』
 諦めにも似たその言葉。
 ――そう、全てを忘却していた。
 戦が激しかったからか、それとも敗北を認めたくなかった故か。
 地に横たわる友の顔を見ても、その名が思い出せない。
 それどころか己の名前さえ、頭の中からは消えていた。
 記憶だけは確か。そこに、名前と顔だけが欠けている。
『何故だ。何故忘れた……!』
 叫ぶ声すらも、血に染まった戦場に溶けていく。
 忘れてはいけないものだったはずなのだ。大切なものだったはずなのだ。
 この敗北は――自分の責任だったはずなのだ。
 己は傲慢だった。
 友の言うことを聞かず我を張り、その結果がこの様だ。
 何という愚か者。何と言う、無様。
 記憶を辿れば、虚偽と虚栄だけが浮かんでくる。
 いくら騎士道を守っていようと、人の礼は堕ちていた。
 全てを失ってなお、いや、全てを失ったからこそ、自分が忘れたことが許せない。
 歩んで来た道を思う度に、怒りと悲しみが心を灼いた。
 後悔はない。
 どれほど過ちを犯していても、ここで記憶をなくしていようと、それをしたのは自分なのだ。
 迷うことなく突き進んできたその道、自分ですらも笑えない。
 ただ、腹立たしい。
『或いはこれが、私の罪か』
 全てを忘れたからこそ間違いが悟れたというのに、謝るべき友の名も、顔も思い出せない。
 驕れる過去だけが脳を横切り、ノイズの走る名前と顔だけが抜け落ちて、それを何度も繰り返す。
 一種の煉獄。生きている時から死ぬまで続き、繋がれている間に見続ける。
 相応しい、そう確信する。
 甘んじて受け止めよう。何度でも何度でも、この鼓動が止まるまで。
 歯を噛み締める。いくつかにヒビが入り、血が迸った。
 口元から流れるものはそれだけではない。内から上ってくる塊を、思う様地面に吐き出す。
 真紅に染まった己の靴を拭いもせず、また彼は笑う。
 ――ああ、どれほど人としての道に外れていようと、己が咎を偽りもしない彼は、確かに騎士だった。
 偽ったのは吐きし言葉。
 失ったのは全ての想い出。
 どれほど記憶があろうとも、出てくる者が顔無しでは意味などない。
 驕ったのはこの身の罪。
 騙ったのは弱き事実。
 どれほど勇猛であろうとも、負けを認めぬ心は弱い。
 笑いあえる友がいた。待っていてくれる人がいた。仕えるべき主君がいた。
 元凶は我が身の過失。この優柔不断にして愚昧なる底根。
 裏切られた、姦計に嵌められた。それは確かにそうだろう。
 だがそれは、最初から己が行っていれば済んだこと。
 何故、他人を立てる前に率先して我が身を捧げなかったのか。
『――赦さん』
 男はあらん限りの憎悪を込めて、自分に向かって言い放つ。
 私は私を絶対に赦しはしない、と。
 体は力を失いつつあり、腹からは臓腑が垂れ下がる。
 時間がない、思い出したい。しかし、どうすれば殺した罪を償える?
 ただそれだけが、どうしようもなく悔しくて。
 ――だから思ってしまった。殺して失ったものなら、生かせばいつか返ってくるはずと。
 そうすればきっと思い出せる。彼らの名も、その誇りも、自分の名も。
 死すべき時は近く、償いは遠い。
 瀕死の体を引きずって、男は進む。
 朱に染まった銀の髪が、傷ましく輝いていた。

 ――狄佑了爐能つくなら、それは人の生で癒されるということだから瓠宗


 02/11

 いつもとは違う。
 そう感じたのは、やけにすっきりしていたからか。
 体は重くない。熱さは取れ、魔術刻印の猛りも収まっている。だというのに、まるでずっと起きていたかのように意識は鮮明。
 おそらくその元凶はあの夢、寝ているというのに起きている感覚のせいだ。
 自分があの夢の男そのものであり、そして同時に観測者でもある。第三者と当事者の、奇妙な視点。
 ……ああ、あいつも大変だったんだ。
 気分は悪くない。ただ単純にそう思う。
 疑っていたつもりはなかったが、心の中ではきっとくすぶっていた。
 あの英霊は記憶を失っていないのではないか、という思い。
 正体を知られたくないから隠している、それならそれでいいことだ。英霊だなんだっていったって所詮は人間、弱い部分が無いほうがおかしい。
 ただ全てが事実だと知った今となっては、その疑念が恥ずかしい。
 体を起こし、伸びをする。森は変わらず闇に閉ざされ、虫の音一つしなかった。
 そう長い時間は経っていない。体内時計の感覚がそう告げる。
「――あれ」
 セイバーはどこにいったんだろう。それにあの騎士、メイルは。
 焦らず、自分がいる場所を確認。
 木の根に布が敷かれており、それを枕代わりにして私は寝ていた。
 付着したセイバーの血を触ると、まだ乾ききっていない。
 ……ならなんで、姿が見えないんだろう。

 ――イヤダ

 頭を押さえる。いけない、思い出すな。
 逃げたいわけじゃない。だけど今は痛みに身悶えるよりも、するべきことがあるはずだ。
 立ち上がり、振り返る。
 夜の闇はとても暗かった。いつの間に曇り始めたのか、月すら隠れた今、目が慣れるまでは迂闊に動けない。
 気がはやり、手に汗がにじむ。

 ――ソウダネ

 心の中で誰かが嗤う。二重人格なんかじゃない、これはただの幻聴。
 気を強く持て、そんなものが聞こえないほどに。
 彼女が私を見捨てていくなんて、ありえないんだから。
 目を凝らしていると、段々目が慣れてきた。
 水の流れる音がする。そういえば、ここは泉から少し離れたところだったっけ。

 ――アノトキオイテイカレタノハ

 っ!?
 息が詰まる。喉を鳴らして、唾を飲み、深呼吸。
 幻聴の次は幻視。本当に、毎回よく侵される。
 気のせいだ。あんな巨大な化物なんて、出てくるはずもない。
 そもそも月が出ていないのに影が落ちるだなんて、馬鹿馬鹿しい。
 ぞくり、と寒気が走った。
 待て、思い違いはするな。
 夜の闇にすら影を落とすのが、ソレではなかったか?

 ――ミンナジャナクテワタシナンダ

 力が抜けていく。
 この夜は、一人で歩くには怖すぎる。
 なら意識を失ってしまえばいい。
 そうやって朝に目覚めれば、また光が訪れる。
 ……ふざけるな。
 頬を叩く。宝具を破壊されたセイバーは、酷く傷ついていた。
 体ではない。それよりも深刻なのは心。
 彼女の大切なものがへし折られ、毒牙にかかっている。それを少しでも助けなくちゃいけない。
 何もできないとしても、傍にいることはできるから。
「あ……」
 見つけた。
 セイバーではないが、もう見慣れた白金の騎士の背中が見える。
 良かった、ちゃんと約束を守ってくれたんだ。
 息を吐き、胸を撫で下ろす。さっきまでの不安は、彼の姿を見た途端どこかへ飛んでいってしまった。
 そう、あの絶望を味わった騎士。誰も憎めない。ただ解るのは己とその罪のみ。
 彼が内に秘める世界には、自戒と憎悪しかない。
 私にはセイバーという救いがあったけど、死体の中で覚めた彼にはそれすらなかった。
 だから私にとってのセイバーのように、メイルを照らしたい。
 私のような者がそう思うのは、間違いだろうか?
 狃ける資格がないと思う前に、助けなきゃいけない
 夢の中と同じように、士郎さんの最後の言葉が蘇る。
 うん、迷うことじゃない。
 あの時私は、爐覆襪戮瓩修Δ靴茲Δ鳩茲瓩燭鵑澄爐任るかぎりの全てで畤佑鮟けると。
 英霊であっても、それは何も変わらない。
 ありがとう、士郎さん。
 心中の言葉に背中を押されるようにして、私は白い背中に向かって踏み出す。
 歩き出してしまえば、足取りは軽かった。
 一歩一歩、足元に葉の音を立てながら近づく。
 メイルは何故か、ゆっくりと手を動かしている。まるで何かを撫で回しているように。
 嫌な予感がする。何かこう、ドス黒いものではなく、低劣なコメディになりそうな予感。
 動くメイルの腕の間から、白い上気した肌が見えた。
 次に、輝く金髪。
 それが、艶やかな声を上げて泉に落ちた。
 ……ちょっとマテ。コイツ、ナニヲシテルンダ?
 駆け出す。元々距離は短い。
 思いきり加速をつけ、飛ぶ。
 メイルはこちらを振り返りもしない。
 その無防備な頭に、ブーツに覆われたカカトを叩きつける。
「何してんのあなたは――ッ!」
 鈍い音と共に、頭が少しだけ変な方向へ曲がる。けどそれだけ。英霊の肉体がこんな一撃で傷つくわけもない。逆に弾き返された体は、泉へと落ちていく。
 思わず目をつぶった私は、力強い腕に受け止められた。
「いきなり何をする、マスター」
「あんたこそ何してるの? この変態」
 目蓋を開くと同時に言い放つ。
 銀髪美形の変態は、さも心外と言いたげに目を細めた。
「殿を務めて帰ってきた者に、君もセイバーも労わろうという気持ちがカケラも見えないのだが」
「帰ってきて早々女の子に手ェ出すサーヴァントなんかに、どんな労わりしろっていうのよ!」
「今の発言は軽率だ。誓って私は、そのような行いはしていない」
 真摯な眼差しから視線を逸らし、周囲の状況を確認する。
 右腕の根元に布を巻きつけたセイバー。それ以外は何一つ着けておらず、上気した肌はほのかに赤い。
 息は上がっており、どことなく艶やか。且つうつむいたまま、顔を上げようともしなかった。
 紅玉の瞳を睨む。
 何か、とメイルは首を傾げた。
「……説得力皆無なんだけど」
「やはりまだ、信頼を得るには至っていないということか」
 やる気の無い声を上げるメイル。
 その姿に溜息をつきながら、聞かなくてはならないことを思い出した。
「あなた、どうやって帰ってきたの?」
「これはまたおかしなことを聞く。奴らを倒して来たに決まっているだろう」
「奴らって、シオンとアサシン?」
「だから言っているだろう、私の言に違いは無い。倒したと言ったら倒したのだ」
 端整な顔立ちを見つめる。
 信じられない。セイバーですら敗れたアサシンを一人で、それに吸血鬼のオマケつきで撃退するなんて。
 だが、事実だ。
 彼はあの時から――全てを忘れた時から、何も取り繕いはしないと決めた。
 それだけは信じていい。
「聞かせて、どうやって倒したの?」
「マスターの問いなら答えなくばなるまい。この状況への憤怒も静めておこう」
 泉から上がり、メイルは根に腰かけた。
 私が枕にしていた大きな布を手に取ると、セイバーへと放る。
「お前も上がるといい。ずっとそうしていると、風邪を引くぞ。英霊だから、気分風邪といったところか」
 反射的にそれを手に取ったセイバーは、腰を上げて体を拭きながら歩いていく。
「セイバー、大丈夫?」
 問いかけながら、肩を貸そうと近づく。それを拒絶するようにセイバーは布ごと左腕を折りたたんだ。
 一瞬、思考が止まる。
 ……これが本当に、あのいつも優しかったセイバーなんだろうか。
 さっきのが無意識だったのか、それとも今気づいたのか。
 こちらに顔を向けて、セイバーが笑う。
「煉、起きたのですね。元気そうで、何よりです」
 そう言うセイバーの目は暗い。笑顔はまるで、ひび割れた硝子のように歪。
 メイルに何か言われたのだろうか。
 問いかけようとした私を置いて、彼女は泉から上がっていく。
「早く行きましょう。彼が待っている」
「あ……」
 伸ばした手は空を切り、虚空を彷徨うだけ。それを握り締めて、私はセイバーの後を追った。
「そう硬くならないでくれ。もう、アサシンたちが追ってくることはない。少なくとも、今夜一晩はもつだろう」
「――殺さなかったの?」
 疑問を素直に口に出すと、メイルは首を振って否定した。
「マスター、可愛い顔にそんな言葉は似合わない。どうせ言うならもっと滑らかに倏喀した瓩噺世辰討曚靴ぁそれに、そんなところに座っていては体を冷やす。私の懐にでも来ては如何か?」
「クサいこと言ってないで、さっさと説明して」
 ぴしゃん、と言い捨て、セイバーの隣に座る。左を見ると、布が巻かれた腕の切断面が見えた。
 メイルが処置してくれたせいか、もう血は流れていない。
 触ると、沈んだ表情のセイバーがわずかに顔をしかめた。
「ごめん、痛かった?」
「いえ。この程度の痛み、どうということもありません」
 再び、笑う。
 ……やっぱり、変だ。
 いつもはもっと心の底から笑っているのに、今は何かを堪えているようなそれ。
 深く傷ついているのはわかる。でも、それを私に話してもくれないなんて――
「話し始めてもいいか? 君がセイバーを心配するのはわかるが、こちらも夜明けまでに済ませたい」
 メイルの言葉に彼の方を向き、頷く。
 何様のつもりだ私は。
 セイバーがいくら家族だからって、何でもかんでも話してくれるとは限らない。だったら話してくれるのを待とう。
 彼女ならいつか必ず、自分から打ち明けてくれるはずだ。
 メイルは雲間から出た月を見上げ、語り始めた。
「君らが立ち去った後、私は彼奴らと話してから戦闘に入った。無論、まともにではない、多少挑発した上でのことだ」
「挑発って、どんな言葉を言ったの?」
「別に、単なる事実だ。ただそれは、あの吸血鬼には重大なことだったらしく、ずいぶんと頭に血を上らせていた。ともあれそれはくだらないことだ。君の耳に入れるまでもない」
 メイルは高慢に告げる。とりあえず、スルーしておこう。彼の口上にいちいち反応していてはキリがない。
「続けて」
「言われなくとも。どうやったか、と君は聞いたが、実に簡単なことだ。アサシンに己の主人の頭を割ってもらった。アサシンは倒せず、主人を狙うにもアサシンが邪魔をする。ならば、そのアサシンに潰させるように主人を動かせばよい。倒せぬ敵は、同士討ちさせるのが一番早い」
 唖然とする。メイルの言っていることは理解できる。だが、あの二人を相手にそれを実行するのは難度が高すぎる。怒り狂った吸血鬼の速度と力は、アサシンには及ばないまでも強大だ。それはまるで、刃が高速で行き交う回廊を駆け抜けるのに等しい。
 呆として見つめる私を気にした風もなく、彼は続ける。
「だが、先ほども言ったように、死んでいるのはせいぜい一晩だろう。夜の吸血鬼を殺すには、私ではやや役不足だ。グールなどなら話は別だが、あれほど狎った瓩發里任呂匹Δ砲發任ん。宗教儀礼、せめて司祭や神父がいれば完全に駆逐できたかもしれないが……これは言っても始まるまい。ともかく、復元にはまだ時間がかかる。距離も離れた今、早々見つかることはないだろう」
 なるほど、つまり倒せはしたが殺せはしなかったということか。
 納得した私に向かって、メイルは握り拳を突き出した。
「手を出してくれないか、マスター」
 素直に出すと、開かれたメイルの手から大量のビー玉が転がり落ちてくる。私が落としていた目印だ。
「辿るのが楽で助かったが、いつまでも落としていては敵に見つかる。それには微量の魔力が込められているようだし、何かの役には立つのだろう」
「わっわっ!」
 手からこぼれ落ちたビー玉を拾い集める。セイバーも黙ってそれを拾うと、私に手渡してくる。
 無言のままのその行為が、どこか痛々しかった。
 それを追求するわけにもいかない。私はメイルに再び向き直り、問いかけた。
「アサシンは、どうしたの?」
「奴のマスターが潰される直前に犹澆泙讚瓩噺世辰燭擦い、それっきり動かなくなった。思うにあれには、自立意思というものがほとんどないのだろう。真名が解れば話は別だろうが、あの吸血鬼も知らないようだった。知っていれば、逆上した時に宝具を使わせている。宝具とは即ち、その者の真名に直結するのだから」
 それには私も同意だ。メイルの言うこともそうだが、あの姿では見、聞き、喋ることができない。エーテライトで交流を図るにしても、ああなってしまったシオンと彼の間で意思疎通ができるかどうか。いや、狂っているからこそ成立するかもしれないが、ひとまず今はそうではない。
「宝具って言えば、あなたの宝具はないの?」
 忘れているのはわかっているが、聞く。アレは過去の記憶で、宝具くらいはもう思い出しているかもしれない。
 メイルは腰から剣を抜くと、紅い瘴気を放つそれをクルクルと回した。
「残念だが、宝具の名前も思いだせん。今となってはこの錆びついた刃を振るうのみだ。盾になるくらいの堅さはあるのが幸いか」
 剣を鞘に収め、私を見つめながら彼は言った。
「残念ながら私に武器はない。だが、そうではない宝具はある」
 謎かけのようなその言葉に興味を惹かれ、少しだけ身を乗り出す。
「なにそれ。盾か何か?」
「いや、狠蘋甅瓩澄私は決して君を裏切らない。この宝具は、お気に召さないか?」
 その言葉に、ドキリとした。
 なんでまた恥ずかしいことを言うのか。ああ嫌だ。いい加減に慣れろ私。
 コイツを冷やかしても同じか数倍にして返されるって、わかってるのに。
「……キザったらしい。そもそも勝つ気がない時点で、もうあなたは私を裏切ってるじゃない」
「それは大きな誤解だマスター。勝つことができたとしても、何かを得て何かを失う。我が忠節は、主君に何も失わせない。ただその為にある宝具だ」
「それはただの自己満足よ」
 メイルの言っているのが崇高なことだとわかっている。それでも、反論せずにはいられない。
 相性がいいのか悪いのか、とのかく彼の言葉は、いつも私をイラつかせる。
 メイルはこちらを見つめながら、己の胸に手を当てた。
「だとしても構わない。理解されないのは、いつものことだ」
 溜息もつかず、肩もすくめない。それはきっと諦めではなく、確かな意思。
 それに、と彼は続ける。
「忠節が私の技能であるというのは本当のことだ。マスター、目を閉じて見よ」
 言われるままに閉じると、頭の中に何か、ステータスみたいなものが浮かんできた。
「ん……これが、あなたの能力表?」
「そうだ。数多くの聖杯戦争をこなしてきたが、どの場合でもこれだけは決まっていた。おそらく、大系のように定まったことだろう。此度のサーヴァントではないセイバーの能力は解るまいが……まぁ、全能力A以上は間違いない。むしろほとんどがAより上だろう」
「それに引き換え、あなたは微妙」
 メイルの苦笑を聞きながら、私は能力値を見る。全体的に高いが、幸運がE。
 確かにあんな最後を迎えたのでは、不幸もいいところだ。
 次に、彼の言った技能――忠節へと目を移す。
「何これ。マスターに任された、もしくは信頼に基づく行動の場合、全てのステータスに+付加!?」
 なんて詐欺臭い能力。つまりメイルは私を裏切らず且つ要望に沿った行動において、1ランク上のサーヴァントと化す。
 けどその逆を行った時、全ての値に-が付加される。要するに、諸刃の剣だ。
「その通り。私がマスターを裏切ることはない。故に、この身は主君の信頼により強くなる。君が私の敗北と、自身の死を望むなら話は別だが」
「私がそんなこと、すると思う?」
「怖い顔をしないでほしい。ただ可能性を言っただけだ。君は優しい子だから、そんなことはしまい。しかし、この先何が起こるかなど誰にもわからない。故に有り得ることを語っておくのが寛容だろう」
 笑いながら頭を撫でるメイルの手を、払いのける。
「ええ、間違ってはいないけど、不快」
「失礼した。どうも調子に乗りすぎるのが、私の性分のようだ」
 ――だからこそ、あんな敗北を喫したのだが。
 メイルのそんな声が、聞こえた気がした。
「これから気をつければいいでしょ」
 顔を背けながら、呟く。
「……私だって、あなたの忠節は信じるんだから」
 こんな恥ずかしいことを言うと、また顔が熱くなる。
 そんな私の思いを知ってか知らずか、珍しく何もせず、メイルは笑った。
「話を戻そう。それから私はここまで来て、セイバーの傷の治療をしていた。ああ、治療というよりは処置と表現したほうが正確か。ともあれ、その後右腕がなくては不自由だろうと思い、体を洗っていた。そこで君が勘違いして蹴ってきたというわけだ」
 胸を張って、己が正当性を主張するメイル。
 この男、ひょっとして素面のまま人を殺すタイプか。
「ねぇメイル。あなた、どういう風に洗ったの?」
「普通に、服を脱がせて全身くまなく陶磁器を扱うように拭いただけだ。セイバーにも言ったが、痛くしたつもりはない。それこそまんべんなく、撫で回すが如き滑らかな動きでこなした。もしそこに否があるとすれば、慣れていなかった彼女にだろう」
 ポケットに手を入れ、先ほど受け取ったばかりのビー玉を投げる。
 不埒者の騎士は、手を上げてそれをガードした。
「直情径行だと、認識を改めたほうがいいのか?」
「そういう問題じゃないでしょ! この色ボケ! キス魔! 痴漢! あんたのしたことはねぇ、処女をいきなり強姦して、被害者側に訴えるよーなキチガイと一緒よ! まったく、時を越えるレイパーってトコ!? ほら謝って、はーやーく!」
「れ、煉。そこまで言わなくてもいいのではありませんか?」
 ずっと無言だったセイバーが口を挟んでくる。
 相変わらずその表情は暗いままだが、ほのかに朱がさしていた。
「……まさかセイバー。あなた、こいつに気があるの?」
「っな!」
 今度こそ顔を真っ赤に染めて、セイバーは立ち上がった。布が落ち、一糸まとわぬ裸体が晒される。
「はひっ!?」
 裏返った声を上げてしゃがみこみ、布を引き寄せるセイバー。これは、ますますもって怪しい。
「サーヴァント同士の恋愛なんて、マスターとして許可しません! そもそもセイバーは、私のなんだから!」
「ちょ、煉! 何を言っているのですか!」
「セイバーは黙ってなさい!」
 言い放つと、セイバーは口をもごもごさせたまま黙りこんだ。これでいい、今はこの馬鹿に言いつけることが最優先だ。
 だがどう曲解したのか、メイルはいきなりワケのわからない発言をした。
「男には触られ慣れていないが、女には慣れている、か」
「「は?」」
 私とセイバー、二人の声が重なる。
 その目前で私、セイバーと見比べ、メイルが頷く。
「そう緊張しなくとも構わない。たとえ同性愛者だとしても、私の仕えるべきマスターに違いはない」
 ええっと、こいつは何を誤解してヤガルノカ?
「そうならそうと先に言え、セイバー。私は愛し合う二人の行為を邪魔するほど愚かではない。こうも高らかに宣言されているのだ、応えるのがサーヴァントとしての務めだろう」
 さぁ、とセイバーに促すメイル。
「メイル! それは誤解だ! 決して私はそんな――」
「そうよ! セイバーは私のものだし愛してるけど、肉体関係なんてないんだから!」
「に、肉体関係などと言わないでください!」
「いいのよ。こういう手合いには、はっきり言わないと効果なんて望み薄だわ!」 
 激しく照れながら食ってかかるセイバーに反論する。
 すると、当の本人であるメイルが神妙な顔で口を開いた。

「つまり、プラトニックラブか。どちらにせよ、大差はあるまい」

「「おおいに違うッッッ!」」

 再び二人の声が重なる。
 メイルは、納得いかんと言いたげに首をひねった。
「先ほどからずいぶんと興奮しているようだが、少し落ち着いたらどうだ。体に悪いが、精神的にはもっと悪い」
 ……何だか私が馬鹿みたいだ。
 急転直下、急激に気力が萎えた。
 根に腰を落とし、メイルを睨む。
「はい、落ち着いた。もうどうにでも誤解しやがれってのよ」
「――煉、それは拙い」
 真剣な声でセイバーが囁く。そちらに視線を移し、
「何、セイバーは私が嫌い?」
「そ、そんなことはありません! ただ好きだけど愛して、いえ、愛してはいますが決してそんな不埒な関係ではないというかその」
 思考の無限連鎖に突入したのか、頭から湯気が出そうなほどオロオロした後、セイバーはうつむいた。
「で、どーするの」
「問われても答えようがない。そもそも、質問の意図が不明瞭だ」
 ああ、そういえばメイルに謝らせようとしてたんだっけ。でももう、そんな最初の目的はどこかに飛んでいってしまった。
 無言で見つめる私に、彼は困ったように笑う。
 そしてふむ、と頷いて、
「つまり、セイバーは君の家族だということか。それならば、他人に裸を見触れられて怒るのも無理はない」
 どんぴしゃりと、核心を言い当てた。
 頭が痛い。さっきまで騒いでいたのは、一体なんだったのか。
「最初から自発的にそういうオチを出してくれると、マスターは嬉しいんだけどねー」
「……同感です」
 セイバーが隣で意と同じくする。
 メイルはまた、朗らかに笑った。
「いや、君とセイバーの言葉の嵐がなければこのような結論は出なかった。塵も積もれば山となる、最初から全てを知ることなど、誰にもできはしない」
「言ってることが正しいのはわかるけど……まぁ、もう疲れた」
 立ち上がり、荷物の中から毛布を取り出す。それにかけて、根を枕にして転がった。
「あとよろしくね、セイバー」
「煉、私だとて、メイルの相手は疲れるのですが」
 困ったような彼女の声に体を回し、少女を見上げる。
「なら寝ましょう。メイルも、それでいいでしょ?」
「いや、私はできん。見張りとして起きていよう。セイバー、起きていようとしているなら止めておけ」
 立ちかけたセイバーがメイルの言葉に止められ、座った。
「今のお前は少女に過ぎん、と言ったはずだ。眠り、少しでも傷を癒せ」
 唇を噛むセイバー。その手を引いて、胸元に当てる。
「セイバー、今は一緒に寝よう? 魔力が足りないなら、どんどん吸っていいから」
「ですが――」
「大丈夫。もう収まったから、いきなり大きく使わない限りは平気だよ」
 セイバーは渋々頷くと、私が使っている毛布に寝、一緒になって包まった。
「メイル、後はよろしくね」
「ああ、必ず君を守る。安心して寝るといい」
「キザったらしい、本当に困ったサーヴァント」
 口を曲げて、言ってやる。
「だけど、うん。ありがとう」
 メイルはこちらに背を向けて、そのまま動かなくなった。
 ただ声だけが、耳に響く。
「それだけで、十分だ」
 高慢なその声に安堵を覚え、目をつむる。
 セイバーの鼓動と温もりが伝わってくる。それだけで、幸せな気分になれた。
「……煉」
 思った矢先、彼女の呟きが聞こえた。
 顔を上げて、鼻を鼻を突き合わせる。
「何? セイバー」
「さっきは、家族と言ってくれてありがとうございます。とても――嬉しかった」
 むずがゆいことを言って、セイバーは笑う。
 ああ、良かった。いつもの笑顔だ。
 私は首を縦に引き、肯定の意を示す。
 けれどセイバーが次に言ったのは、堅い決意の言葉だった。
「ですが、私はいつかあなたの前からいなくなる。それを、覚えておいてください」
「えっ……」
「話はそれだけです」
 そっけなく背中を向けて、セイバーは黙ってしまった。
 卑怯だ。言うだけ言って、こっちに何も反論させないなんて。
 静寂に包まれた空間の中ですっきりしない気持ちを抱えたまま、私たちの聖杯戦争は、一晩目を終える。
 不思議なことに、森の中は虫の声すらしなかった。

 ただその中で飛び嗤う、何かの声が聞こえた気がした。




 一日目、夜sideRenmum








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