Purgatory【Gaia's Fall】 一日目夜01まとめ(M:オリ、セイバー、蒼崎橙子etc... 傾シリアス90年後クロスオーバー


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1: 心無鳥 (2004/04/06 00:40:49)[shina_lain at hotmail.com]http://www113.sakura.ne.jp/~the_470in/





 02/01

 鳥も寝静まった真夜中。都会の光が届かない闇の中を、私とセイバーは進んでいく。
 時刻は既に十一時半を指している。今回の聖杯戦争が始まるのは午前零時。
 ――正直、自分たちが今どこにいるかなんてわからない。だけど、夕刻シオンたちと別れてから決めたベースキャンプから、どれくらい離れているかくらいはわかる。
「ところで、サーヴァントをどうやって呼び出すか知ってる?」
 先を行くセイバーに声をかけると、彼女は足を止め、肩越しに振り向いた。
「前回は全て、そのサーヴァントにゆかりの品を持っていることが条件でしたね。凛は丁寧に魔法陣を敷いていたようですが、シロウの場合、本人は何もしていません」
「つまり、適当でも構わないの?」
 困り顔で首をひねり、セイバーは黙した。
 彼女も、情報量が少なすぎてわからないということだろう。
「まぁ、ここでの聖杯戦争は初めてなんだから、わからないのも無理ないよ」
「はい。残念ながら煉の言うとおりですね」
 前に向き直り、セイバーは再び前へと歩を進める。足元に気をつけながら、私もその後をついていった。
 サーヴァントを呼び出す方法がわからない以上、その来訪は唐突だと考えるべきだ。ならばベースキャンプからは離れていなければならない。セイバーの話によると、サーヴァントの召喚には光と衝撃、その他もろもろ目立つ要素が満載だそうだから。
 私も深く問いはしなかった。
 いつだって、イベントの幕開けは派手と決まっている。
 祭りの開幕、競技会の開幕、そして殺し合いの開幕。種は違えど、始まり華やか終わりしんみりは変わらない。
 それに何故と問うことは、まったく無粋と言えるだろう。
「それにしても……厄介な樹海。印でもつけておかなきゃ、戻れなくなってるところね」
「確かに、この大気中のマナ密度は異常です」
 セイバーの言葉に頷く。昼はまだマシだったが、今ではここのマナ濃度は人造異界のそれだった。
 生暖かい空気が五感全てを通じて感じ取れる。あと少し手を加えてやれば簡単に物質化できるほど濃密。
「うぷっ……」
 吐き気がする。呼吸が辛い。息を吸い込むだけで、体中の魔術回路が悲鳴を上げる。通常の神経が、この空気を吸い込むことを拒否している。
 強いて言うなら瘴気。密度の上がりすぎた酸素が人を害すのと同じように、マナが人を侵食する。
「大丈夫ですか?」
 セイバーが心配そうに身を寄せてこようとする。それを手を突きつけて止め、立ち上がる。
「うん、平気。この程度の密度、あれに比べたら大したことない」
 大きく息を吸い、吐き出す。ビクン、と体が反応し、左手の令呪と右腕の魔術刻印がうずく。取り込みすぎたマナ全てを変換し、物にこめた。
 幾分楽になり、力を抜く。そう、この程度の密度なら人はまだ生きていける。
「さぁ行こ。刻限が、迫ってる」
「わかりました。ですが、また体調が悪くなったら言って下さい。背中をさするくらいは、私でもできます」
 険しい表情で言って、セイバーは歩き始めた。置いていかれないよう、駆け足気味に後を追う。樹木が絡み合っている地面はでこぼこで、とても歩き難かった。
 セイバーの背中と足元に視線を行き来させながら、樹海をたたひたすらに歩いていく。五メートルごとに足元にビー玉を転がしておくのも忘れない。これがなければ、きっと後戻りはできないだろう。
「――煉、一つ質問があります」
 目の前を塞ぐ樹を退けながら、不意にセイバーが問いかけてきた。
「ん、何?」
「もしも聖杯が万能であるのなら、あなたは何を望みますか?」
 真摯な声。それは虚偽を許さぬ、詰問に近い。
「それは強制?」
「いえ、何も答えなくとも構いません。ですが、できる限り答えてほしい。それは私にとっても、重要なことなのです」
「ならばあなたのマスターとして答えましょう、セイバー。私はね、願い事なんて何一つないの」
 即答する。セイバーは一瞬呼吸を止めた後、何事もなかったかのように作業を続けた。
「本当に、何もないのですか?」
「うん、今のところは何にもない。だって、私にできるのは衛宮煉としてできることだけだもん。自分にできないことを他のものに頼るなんて、ただの怠惰でしょ。私が昔をなかったものにしたいって願うと予想していたなら、それは大きな間違い。現実はいつだって残酷で過酷で、だからこそ現実たりえるもの。なら、その痛みと悲しみをなかったものにするという願い自体が、非現実的だよ」
 後半は半ば、自分に当てたものだったが、それに何か感じることでもあったのか、セイバーは静かに肩を震わせた。
「……あなたは、強いですね」
「強くならければいけないのよ。そうしないと、今まで殺した人たちに申し訳が立たないでしょう?」
「煉、あまり背負いすぎないでください。あれは、あなたのせいではない」
「私のせいではない、ね。笑わせないでセイバー。たとえ責任がこの身にないとしても、この心が犯した罪過は私にあるわ」
 口調が真剣なものになっているのが自分でもわかった。言葉が熱を帯び、悪くもないセイバーに刃を向けている。
 いけない。落ち着け私。たとえ家族であったとしても、これだけは言ってはならない。
 熱い息を吐き出し、頭を冷やす。
「背負うことは、贖罪でしょうか?」
 セイバーが再び問いを発した。その声からは、未だ憂いの色が感じられた。
 否定の意で首を振り、己に誠実な答を紡ぎ出す。
「それは贖罪じゃなくて、ただの自己満足でしょ? 誰も幸せになれない、ただ自分が不幸になるだけ。苦痛で苦痛が赦されるなら、この世界からとっくに犯罪なんて消えてるよ」
「確かに、そうですね」
 苦笑しながら、セイバーが完全に樹木を除去した。どうやらこの会話はこれで終わりらしい。
 けど、まださっきの言葉では伝えきれていないことがあった。
「待って」
 セイバーが足を止め、振り返る。もう彼女の心は戦闘に入っているのだろう。いつになく引き締まった表情が美しかった。
 今更ながらに思い知る。それがこの少女の、本来の顔なのだと。
 だから私も精一杯のカタチで、それに応えよう。
「さっき私は自分にできるのはできることだけだと言った。だけど、誤解しないでほしい」
「煉……? 一体、何を誤解するというのですか?」
「できないことなら諦める、という意味に取らないで欲しいってこと。できないことは、あくまで爐任ない瓠I垈椎修世ら、諦めるという選択もできない。だけど、できることなら選ぶこともできる」
 息を吸い込み、誓言する。そう、これは誓いだ。セイバーに対してだけではなく、自分が大切だと思うもの全てに対する枷。だがそれは望んだこと、ならば後悔など微塵もなく。迷うことは無に等しい。
「私はできることならば、必ずそれを成し遂げる。諦念を持たず、ただひたすらに私とあなた、そして加わるサーヴァントの道を歩んで行く」
 セイバーが息を呑む。しかしそれも刹那のこと。静かに首を縦に振ったその姿は、気高き英霊のものだった。

「――ならば問おう、貴方が私のマスターか?」

 口元には不敵な微笑み。それはこの戦争の始まりのように、木々のざわめきすら切り裂く言葉。
 私は言葉を続け、それに応えた。

「――たとえそれが命を賭すものであっても。セイバー、私は貴方のマスターとなろう」

 不意に、空気に満ちていたマナが消えた。
 それも束の間、急激に木々が発光、大地が鳴動し始める――!
 零時、聖杯戦争始まりの刻。
 だがこれはどういうことか。樹海全てが輝き、大地の揺れは止まることがない。
「セイバー、これは!」
「……信じがたいことですが、間違いないでしょう」
 空気中の大量のマナ、そして大地から吸い上げた同じく膨大なマナ。それら全てが今、一種の魔力に変換されようとしている。
 木々の発光はその余波。今や周囲は昼間のように明るく、目を灼くほどに輝いていた。
 それが示すのはただ一つ。この富士青木ヶ原樹海こそが、サーヴァントを呼ぶための呼び水だということ。
 だとするのなら、この樹海は元からそれを前提にして育まれたものだ。超巨大な、樹木の内に創りあげた生命の異物、即ち魔術回路。
 だが、こんなものを構築できる魔術師がどこにいるというのか。木々は成長と腐敗を繰り返す。今、人造の魔術回路を施したところで、次代に受け継がれるとは限らない。
 それをもなお乗り越えるというのなら、それは個々の調律ではない。大規模な魔術というのもおごましい、禁断の呪いだ。
 呪海の群れがざわめき、理解のできぬ声を上げる。雑多なざわめきではない。それは規則正しく謳われる、神代の呪文。
 馬鹿げている。これはただの木の軋み、自然現象だ。しかしそれすらも味方にし、儀式は続く。
 足元の木々が、囲む木々が走る。ただ一点を目指して動き、向かっていく。
 転ばぬように臨機応変、足場を確保しつつ呆気に取られて、ただ見送った。
 止まっているセイバーに追いつくと、微動だにしない彼女を支えとして、私は前を見る。
 気持ち悪いとはまったく逆の意味で、私の呼吸は止まった。
 美しいという言葉だけでは足りないほどの光のダンス。地に描かれる魔法陣はツルやツタ、中には太い木まで混じっている。
 放出される過剰な魔力が純粋な力へと変換され、天へと続く光の柱を打ち立てる。風が吹き荒れ、私とセイバーの服を揺らす。
 だが、呪海は揺るがない。ただ大地の鳴動のみを友として、紡ぐ呪文を子として、終末に向けて加速し続ける。
 私もセイバーも何も言えない。誰がこの中で、人の言葉など語れるものか。
 これこそ神代、まだ定まりが定まりたりえない頃の、神秘が日常であった時代の再現。そう思わせるには十分だった。
 やがて一層高まった詠唱は周囲の光を招き寄せ、一つと成す。
 私たちの足元を光の尾が通りすぎ、魔法陣の中心へと吸い込まれていった。
 そうして、光が爆ぜた。
 閃光がまぶたを灼き、思わず目を閉ざす。その刹那に、私は白金の風を見た。
 魔法陣の形から急激に元に戻ろうとする木々が足をすくい、転びかける。が、寸前のところでセイバーに腰を抱かれ、胸を撫で下ろす。
 そのさなかに耳を揺らすは、さきほどとはまったく異なる無作為な音。
 大地を駆ける樹木。雷にも似たそのいななきをかき消さんばかりに、火山の噴火と聴きまごうばかりの重音が轟いた。
 その音を最後に、呪海は樹海へと帰し、静寂だけが場を支配した。
 うすく開いたまぶたの向こうに、最初に映ったのは銀よりもなお明るき白金の鎧。髪もそれと同じくして輝き、端整な顔立ちがその下に座していた。
 重というより軽い装甲。俊敏さを重視しているであろうその姿。鎧の下には黒の服、胸元には朱を沿え、単純に終わらぬ優美さをかもし出す。
 ――その美しさに、私は時を忘れた。
 目を開き、彼が口元に笑みを浮かべる。
 瞳は紅玉、笑みは相応しき傲慢と雄々しさを合わせ持つ。
 ゆっくりと彼がこちらに歩を進める。軋む鎧の音すら、今やこの耳には気高き音楽の音色として聴こえた。
 動くこともできず、ただ白金の騎士を待ち続ける。
 私の元に辿り着くまで後数歩というところで、私は視線を下に向ける。真正面から見つめるには、彼の姿は眩しすぎた。
 だがそれが良かったのか悪かったのか、私は正気を取り戻す。
 原因となったのは、騎士が腰元に帯びている一振りの剣。ロングソードと思しきその剣の鞘は美しい。しかし、それに収まっている剣があまりにも汚すぎた。
 いや、汚いというのは訂正しよう。血生臭すぎたのだ。
 血でさび付いた柄、その上からは更に血、血、血。
 いったいどれだけの血液を浴びればこうなるのか想像もつかない。それほどまでにその剣は、穢れていた。
 一気に熱が冷め、視線を上げる。それと同じくして、眼前に迫った騎士がひざまずいた。
 今度は戸惑いに思考が塗りつぶされる。それに構うことなく彼は私の左手を取り、セイバーの令呪と交差するもう一つの令呪を見、顔を上げた。
 目が合う。間近で見ると更にその姿は美しく、勇猛な騎士のものとなっていた。
 彼は再び笑みを浮かべると、私の左手に口づけた。
「初めまして我がマスター。私が君のセイバーだ」
 冷ややかな感触に背筋が震える。
 自信は深く信義は厚く、しかしどことなく気だるげに、白金の騎士は続けた。

「――そして私は最弱の英霊。勝利は、諦めてもらおう」


 02/02

 時間はやや遡る。
 セイバーと煉が語り合っている頃、蒼崎橙子はまんじりともしない夜を過ごしていた。
 いつもゆったりと構えているはずの彼女だったが、この夜はどこかせわしなさそうに部屋の中を歩き回っていた。
 その度に、むき出しのコンクリに音が響き、夜の闇にこだまする。
 最高位の人形使いともあろう者が、周囲の異変に気づいていないとは考え難い。だが、そんなことなどおそらく彼女には関係ないのだろう。兎に角、橙子はいらついていた。
 黒桐幹也が生きていたならば、逃げるように自分の家に帰るか、黙々と仕事をこなしていただろう。
 そんな橙子の不機嫌の原因はといえば、この大気中に満ちすぎたマナともう一つ――
「……伏見はまだ来ないのか」
 などと呟きながら、空の煙草の箱が入った胸ポケットをまさぐっている姿を見れば、一目瞭然であった。
 控えめに言ったとしても、橙子はスモーカーである。禁煙を勧められたこともあったが、彼女はそれをことごとく断っていた。そもそも、肺癌になっても取り替えればいい話なのだから、こと体調に関することなら橙子にはまったく意味がない。
 効果があるとすれば心象的なものだが、それも他者にとっては望み薄なことだった。この魔術師は魔術師のセオリーにとてもよく合っている。即ち、賢いということ。もちろんそれはずる賢いと同義であるのだが。
 橙子は机に腰をあずけると、いつも吸っているものとは別の煙草を引き出しから取り出した。そのカートンの口は開いているが、だいぶ古ぼけていた。加えて、一箱しか使用した痕跡が見られない。
 カートンとにらみ合うこと数分、彼女にしては珍しく諦めに満ちた溜め息を吐き出して、橙子はそれを引き出しの奥へと叩き込んだ。
 机と引き出しのぶつかり合う音が響くが、それっきり。あとにはやはり、舌打ちをする橙子の姿。
「やはり来るのを待つか。あの煙草は、荒耶との一件以来吸っていない。否、吸いたくもない味だったからな」
 一人ぶつぶつと呟きながら、まるで夜鬼のように部屋を歩き回る。
 つ、と足を止め、橙子は窓の外を見る。
 次の瞬間、大地が鳴動し、外を光が覆い尽くした。この廃墟のような建物を固定しているツタや木が輝きながら動き、ある一点に向かって走り始める。
 彼女はそれに驚いた風もなく、やはり胸ポケットをまさぐりながら言った。
「誰だか知らんが、ずいぶん綺麗な祭りだ」
 言葉だけを聞けば、それは至極当然の感想だっただろう。だが、目を見ればそれが反意だとわかったはずだ。
 もし今、誰かが彼女に危害を加えようものなら、喫煙家の怒りを身をもって知ることになっただろう。
 木々の脈動は止まらない。支えを失ったビルが、一際大きく傾いた。その時でさえ、魔術師は顔色を変えない。
 その代わりに、彼女はペン立てのペンを一本取り、指先でクルクルと回し始めた。
 まだ揺れは止まらない。それに従って、建物もどんどん揺れる。しかし橙子の指先のペンは、バランスを保ったまま回り続けていた。
 ますます光が激しさを増し、カメラのストロボと見紛うばかりになった。それに比例するように大きくなった呪文が、建物を揺らして埃を舞わす。
 耳を塞ぐことすらせず、橙子はペンを飛ばして口に加えた。
 それを煙草をつまむように掴み、また同じように唇から離し、くわえる。むぅ、とうなって首をひねり、スパスパとふかす真似をした。
 最後に轟音。それとは別に、階下何かが砕け散る大きな音がした。同時に建物が大きく縦に突き上げられる。
 そして静寂を取り戻した夜。暗い室内に魔術師は一人立つ。
 橙子は表情にさしたる変化も見せず、机から腰を上げる。その口元にペンはなく、ただその破片だけが歯型を残して床に転がっていた。
 鉄筋むき出しの階段を、コンクリ床とはまた違う音を立てて下っていく。
 二階の踊り場で止まると、彼女はごちゃごちゃと物が詰め込まれた倉庫に目を走らせた。
「……チッ、ないな。買った覚えもないが」
 どうやら、煙草がないか確認していたらしい。ますます不機嫌極まった溜め息を吐き出して、橙子は更に階段を下る。
 そして一階に到着。しかし、そこは既に牾瓩噺討屬里發ごましい状況に成り果てていた。
 まず、地面にはコンクリートがない。代わりに木やツタと、所々に地面が覗いている。元々そこにあったと思しきコンクリ塊は、あるものは壁に叩きつけられ、またあるものは天井へと飛ばされて食い込んでいた。
 ここを樹木が走り回り魔法陣を形成し、また衝撃や風を撒き散らしたのだと考えれば、ごくごく自然なことだろう。
 だが、橙子はそんなことを事前に言われていたわけでも、知っていたわけでもない。
 ただ何となく、爐△◆何かが始まるのか。せいぜい頑張ってやってくれ瓩函完全に傍観者を決め込んでいたに違いない。
 その証拠に、今の彼女の顔は酷く――そう、嵐の前の静けさのように平静だった。
 橙子が三歩前に進み、瓦礫の手前で立ち止まった。その目が見据えるのは、さっぱりとした地面の上に立っている一人の男。
 どう思う? と問えば十中十の者が格好いいと答えるだろう。何故ならその男は長身痩躯、確かに美形ではあったが、あふれ出る雰囲気が人間というより獰猛な肉食獣のものだったからだ。それもがなり立てて追うのではなく、冷静に獲物を追いつめるタイプの。
 全身を蒼の服に包み込み、重要な部分は金物で補強が為されている。それだけで、彼が速さを得手としているのが見てとれた。
 首をコキコキと鳴らし、伸びをして、蒼の獣が橙子を見た。
 どことなく人懐こい笑みを浮かべ、ふてぶてしく言い放つ。
「よぉ、あんたが俺の――」
「黙れ」
 男の言葉を切り捨てて、橙子が考えるようにポケットから手を出し、胸の前で組んだ。その右の甲には、光輝く一筋の令呪。
 不満そうに目を丸くしていた男は令呪を見て納得したのか、やれやれと肩をすくめた。
「ふん、今回の主人はずいぶんと気が短そうだ。なぁあんた、何を怒ってんだ」
「黙れ、と言っている。何者か知らんが、もう喋ってくれるなよ? 今私は物事を整理し、気持ちを落ち着けている最中だ。これ以上無駄口を叩くようなら、即座に貴様を殺しかねん。それでもいいなら、いくらでも鳴くがいい。一秒後に、そんな真似ができるという保障はしかねるがね」
 男が笑いを止め、橙子へと注ぐ視線をにらむようなものへと変えた。双方の間に剣呑な空気が流れるも、橙子はそんなものどこ吹く風と言わんばかりに床を見、コツコツとカカトを鳴らしながら考えている。
「もうそろそろいいか? こっちも、色々と言いたいことが出てきたところなんだがな」
 数分の後、男が言う。
 橙子は腕を解き、再び胸ポケットに手を伸ばす。が、何も発見できずに、力なく下ろした。
「……ああ、大体状況は把握できた。で、なんだ英霊? 今回の聖杯戦争に狩り出されて、何か不満でもあるのか?」
 男は目を見張り、次に素の顔に戻って、安堵したように息を吐いた。
「高慢だが、どうやら馬鹿じゃねぇみたいだな」
「高慢? お前こそ馬鹿を言うな。これはね、高慢ではなく余裕というものだよ。その程度の差異もわからずに、よく英霊になれたものだ」
「ああ、確かにな。馬鹿でも強けりゃ英雄になるさ」
 そう言って、男は自嘲気味に笑った。橙子はふむ、と頷き、
「聖杯戦争。彼の聖遺物を模した願望略奪か。九十年ほど前にサーヴァントを用いたものが一つあったとは聞いていたが、まさかこの目で見ることができるとはね。長生きも、してみるものだ」
「待て、九十年だと?」
 驚いたように、男は橙子へと歩みだす。
「一時期、吸血鬼をしていたものでね。若作りなのはそのせいだ。まぁ、気にすることはない。今は人間だし、たとえ吸血鬼だったとしても、お前には何の問題もあるまい」
「そりゃそうだが……なんだ、もう全部わかってる上にババァかよ」
 呆れ顔の男に向かって、橙子はパチンと指を鳴らした。すると、地面から影が立ち上がった。どこから出たかも知れぬ人形たち、その数実に五つ。
「サーヴァントは、マスターに向かってぞんざいな口の利き方をするものだったか? これでも少しは繊細な心が残っているんでね、それなりに腹も立つというものだ」
「そっちこそ、思い上がるんじゃねぇ。この程度の人形で、俺を止められると思ってんのか?」
「どうやら、お前は少し記憶力が悪いようだ。さっきの台詞を思い出してみろ。私は何と言った?」
 男がそれを考えるためにわずかに歩を緩めた瞬間に、人形たちが一斉に駆け出した。足音も立てず、静かにでこぼこの瓦礫の上を疾走する。
 だが、その向かう先は男へではない。悠然と立つ、蒼崎橙子その人だ。
「なっ……!」
 絶句したのも束の間、瞬時に判断した男が動く。その速さは影より早く、風に等しい。
 いつの間に取り出したのか、その手には禍々しき朱の長槍が握られていた。
「何しやがるっ!」
 橙子の眼前に立ち、声と共に一薙ぎ。
 影の人形たちは胴を絶ち割られ、全員出てきた場所へと戻っていった。
「もう一度言ってやろう――これは高慢ではなく、余裕というものだ。確かに私はお前を倒せないが、私を倒すことはできる。そしてお前は私がいなくてはこの地に留まれん。どうだ、何か間違いがあるか? あるなら今のうちに言っておけ。後から文句など言われても、素直に受けつける自信はないぞ」
 男は数度悔しげに歯を鳴らしたが、突如一転して天を仰ぎ、晴れやかに笑い始めた。
「っはははははははははは、こりゃあいい。放っておいても消える俺を殺すために自分を殺すだと? いいぜ、あんた。思いっきりのいい奴は、嫌いじゃない」
「気に入ってもらえたなら幸いだが、さてお前の処遇はどうしてやろうか」
「処遇、だと?」
 眼前で怪訝そうな顔をする男を鼻で笑い。橙子は瓦礫に腰を下ろした。
「当たり前だろう。人の家をこれだけ壊しておいて、ただで済むとは言わさんぞ。それ相応の代価は支払ってもらおう」
「……なぁ、あんた。さっきからやけに不機嫌だが、何か気に入らないことでもあったのか?」
 うんざりだと言わんばかりに問いかける男に、橙子は答えた。
「気に入らないことなら最初からだ。気にかける必要はない。……だが、そうだな、その服をオレンジ色に染めたらどうだ? そうすれば、少しはお前のことも気に入ってやれるかもしれん。なにぶん、私は青が嫌いでね」
「無茶言うな。これが俺の正装なんだ、少しは我慢しろ。代わりにあんたの我侭も少しは聞いてやるからよ。なんだ、ここブチ壊した代価? その支払いも込みでだ。これで文句ねぇだろうな?」
 頭をかきながら言い捨てる男に満足そうにあごを引き、橙子は立ち上がって歩き出す。
「さて、では行こうかクー・フーリン。いや、ランサーと呼んだほうがいいか。どこで聴かれているか、わかったものではないからな」
 今度こそ本当に驚いたのか、男――ランサーは微動だにせず、驚嘆しながら橙子を見た。
 彼女はオレンジ色のピアスを翻らせながら振り向き、ニヤリと笑って問うた。
「どうした? 耳がないのか、ランサー」
「何故俺が、ソレだとわかる」
 橙子が面倒臭そうに髪をかきあげ、ピアスを煌かせながら言葉を紡いだ。
「お前がただの戦闘馬鹿なのかはこの際どうでもいいが、使うものの質問に答えるのは雇用者としての義務だろうな。
 そもそもランサー、お前は自分の真名を私に教える気がなかっただろう。最初は直感、今となっては話してみた限りの予測だが、散々もったいぶった挙句にはぐらかしてしまうに違いない。ふむ、これは言いすぎかもしれんが、大体五分五分のところだったと私は見ている。
 ならばまずクラスを知るしかない。一番手っ取り早いのが武器を見ることだったからな、私の心象的実益も兼ねて、確かめさせてもらった。その結果が槍。つまりこの時点でお前がランサーとしての資格を持つ英霊だということが判明する。
 となれば、あとは簡単だ。少なくとも、根源に続く穴を開き、世界的に有名なものとなった件の聖杯戦争では、サーヴァントを選別する条件として、そのサーヴァントゆかりのものを持っている、ということが定められていた。だが、私は英霊に繋がるような物品は何も持っていない。二階に転がしてあるのも、ただの趣味の産物だ。ならば選別できないのか?
 答えはノーだ。私が持っているものの中で、お前たちに関係のあるものはただ一つ、ルーン魔術だよ。そしてルーンを使えるランサーの英霊と言えば、お前しかあるまいクー・フーリン。
 以上、証明終了だ」
「ふぅん。なるほど、やっぱりあんた、馬鹿じゃねぇな」
 何度目かになる同じ言葉を呟き、ランサーは橙子の横に並ぶ。
 瓦礫の山を避け、外に向かって進んでいく途中、彼女は同情の意がにじみ出るような声で言った。
「馬鹿じゃない馬鹿じゃないと言うが、お前は今までマスターに恵まれなかったのか。どちらかと言えば、お前は優秀なサーヴァントだと思うがね。すこぶる扱い易いし、嘘をつくほど器用にも見えん。愚昧なマスターに利用されてばかりの、苦労人に見えるぞ」
「そりゃまた、哀れまれてるのか褒められてるのか、どっちだ?」
 橙子はそのどちらともつかない笑みを浮かべ、
「さぁ、ご推察にお任せしよう。お前も、馬鹿ではないようだから」
「こりゃまた、ありがたいこった」
 首の後ろでまとめられた髪をなびかせ、青の槍兵が薄く微笑む。彼は少し進むと、また疑問を口にした。
「そういやまだ聞いてなかったが、あんたの名前は? それに、なんでそんなに戦う気満々なんだよ。台詞聞いてる限りじゃ、今回のことは知らなかったんだろ?」
 橙子はさっきより機嫌がなおったらしく、小さな破片を蹴飛ばして、軽い調子で答えた。
「私の名は蒼崎橙子。わかっていると思うが、魔術師だ。戦う理由はと言えば、これがまた実に単純でね」
 語り部独特の間を置いて、彼女は言う。
「邪魔者を叩き出したい、それだけのことさ。私が暮らすには、戦争の中は五月蝿すぎる。念のため言っておくが、聖杯などという願望機に興味はないぞ? 何も積まずに高みへ辿り着くなどというのは、私がもっとも嫌いなことだ」
 真顔で肩をすくめる橙子に、ランサーが鼻で笑う。
「了解、橙子。それじゃあ仲良く、全員ブチ殺すとするか」
 ランサーの言葉に、橙子がわずかに顔をしかめる。何か、とランサーがそれを覗き込んだ。
「どうした? 何か今の言葉に不満でもあったか?」
「いや、なんだ、そのな、どうも名前を呼び捨てにされるのには慣れていない。というよりは久しぶりだからか。おかげで年甲斐もなく、照れてしまったようだ」
 今度こそ、可笑しげにランサーは笑った。口元を押さえるが、笑いがすぐにこぼれていく。
「む、笑うなランサー」
「いやいやいや、だってあんた……いや、橙子はさっき自分が若いようなこと言ってたが、年甲斐もないと自分で言ってどうするんだよ」
 その意見にやはり橙子は顔をしかめ――彼女曰く照れ顔で――言った。
「ふん、単純なことだ。若くもないがババァでもない。そういう微妙な年頃ということだろうよ」
「なるほど、そういうことにしとこうか」
 二人が話しているうちに、外の景色が近づいてくる。明かりのない樹海の闇を見ながら、ランサーが問いかけた。
「さて橙子、まずはどうする?」
「そうだな。とりあえず、煙草を取りに行こうか。ランサー、お前も吸い方を覚えるといい」
 胸ポケットに手を入れて、槍兵のマスターは言った。
「ああ、別に構わねぇが、どうして学ぶ必要がある」
 サーヴァントの疑問に対し、彼女は夜に良く映える、酷薄な笑みを浮かべた。

「――相棒が煙草も吸えないのでは、格好つくまい?」


 02/03

 最も弱いサーヴァント――そう名乗った騎士を、煉はただ呆として見つめていた。
 無理もない。私も未だに信じられないが、彼は確かにそう言った。
 サーヴァント、英霊たちは常に勝利するために存在している。彼らは元々霊長の抑止力であり、ヒトの存在を危機に晒すものが現れた場合、それを打倒するための者だ。
 例外的に存在しているのは、英霊になることを条件に聖杯戦争に特化した英霊となった私のような者か、或いは他に何か理由がある者。いずれにせよ、まっとうな英霊ではあるまい。
 こともあろうに勝つ気すらないと、目の前の騎士は言ったのだ。
「諦めろ、って。今、そう言ったの?」
 煉も、信じられないといった目で騎士を見つめる。既に彼女の体は私から離れ、己が両足で大地を踏みしめている。
 彼女の前にひざまずいたまま、白金の騎士は頷いた。
「聞き返す必要はないだろう。私は言を違えない。従って、そのような行為は無意味だ。聞くのならば、君が内で昇華されし、発展的な問いを願おう」
 流れるように彼は告げる。しかしその中身は、決して看過できるものではない。
 煉は憤慨するでもなく、ただ冷静に腕組みをして考えていたが、やがて何かに気づいたように騎士の鎧に触れた。
「……あえて言いましょうか。あなた、自分が英霊っていう自覚あるの? とりあえず立って、それから話し合いましょう。私、人を見下すのが嫌いだから、覚えておいてね」
 訂正しよう。冷静、と思ったのは私の間違いだったようだ。言い回しが必要以上に丁寧になるのは、煉が怒っている証拠に他ならない。
 騎士は立ち上がると、目を細めてマスターの足元から頭までを眺め渡した。煉は憮然とした顔で、ただ見られている。
「これはまた歯に衣着せぬマスターだが――私もあえて言おう。話し合う余地などない。やるべきことは決まっているし、それを変えるつもりもない」
 そう言い切る彼の身長は、私よりも頭二つ分は高い。だというのに全身は引き締まっており、そこから放たれる気配も威厳も、決して弱いものではなかった。
 強い。少なくとも私の目にはそう映った。その証拠に、こちらに目を向けていないにも関わらず私は彼にミられている。
 視線の見るではなく、感覚のミる。気を配るという行為の更に発展したものと言えばいいか。
 おそらく、この周囲にある木々の一揺れさえ彼には感じ取れる。
「正直なのはいいことだけど、少しは口を慎むことを覚えたらどうかしら?」
「慎んでいるとも。だが、伝えるべきことを伝え、語るべきことを語らなければなるまい。それは朝に鶏が鳴くように、ごくごく自然で当たり前のことだ」
「じゃああなたは雄鶏ね。卵も産めない鶏なら、せめて飼い主の言うことくらい聞いてちょうだい」
「誰しも譲れないものはあるものだ。それを無理に変えようとするのは、越権というものではないか? 君には令呪がある。それを使えば言うことを聞かせることはできるだろう。しかし此度の命令権はただ一つだ。それを使えば、私は消える」
 言われ、煉が左手の令呪を確認する。
 私のものと重なるようにして線が走っていた。しかし、その令呪は一画しかない。
 どうやら今回の聖杯戦争は、限りなく制限されたものらしい。
 顔をしかめる煉。本来ならサーヴァントのことは彼女に任せておくべきだが、この騎士のような例外が出てきてしまった以上、私が助ける必要がある。
「待って下さい。セイバー、あなたは勝利を諦めろと言った。では、あなたは聖杯に何を望むのですか?」
「お前、何者だ」
 煉の時とはまるで違う声色で騎士が問いかけてくる。それは九十年前のギルガメッシュのものに多少似てはいたが、しかし違っていた。
 見下げるでもなく見上げるでもなく、対等の者として相手を評価している者の声だ。
「――私はセイバー。あなたと同じく、九十年前に召喚されたサーヴァントです」
 告げると、騎士はふむ、と首をひねった。
「そのような昔に召喚され、何故今も現世に留まっている。私とお前、同じセイバーでも呼び出された戦いは違うはずだ。どこの英霊かは知らぬが、分をわきまえろ。お前が九十年前に来たはその聖杯戦争のため、此処に私がいるのはこの聖杯戦争のため。ならば場を譲り、厳かに立ち去るのが終わりし者の定めではないのか? まだその聖杯戦争が終わっていないのなら話は別だが、その場合二重の戦争という厄介なことになってしまうな」
 生真面目だが、高慢な口調で騎士は言う。
 ……彼の言っていることは正しい。きっと、煉について来たことが間違い。
 否、おそらくあの聖杯戦争が終わってから、或いは私が英霊になる以前から、間違っている。
 だが、それでも引けない理由が、私にはある。
「九十年前の聖杯戦争は公儀的には終わりました。しかしそれは、私の中ではまだ終わっていない。確かめなくてはならないことが、決めねばならないことがあるのです。それまで、私はここを離れるわけにはいかない」
 端整な顔に宿る真紅の瞳を見据えながら、告げる。
 その理由を言ってみろ、と問い返されることはわかっている。そしてそれに答えられないことも。
 だが、引き下がるわけにはいかない。あの日のシロウとアーチャー、二人に与えられた疑問に答えるまで――
「なるほど、それはしょうがない」
「え?」
 思わず間抜けな声を出してしまう。
 尊大な態度でため息をつくと、騎士は微笑みながら私の目をしっかりと見つめ返した。
「融通の利かない堅物だとでも思ったか? ならば安心するがいい。私は決して、愚昧なる者ではない。言っただろう、私は言を違えない、と。譲れないものは誰にでも在る。だがそれをないがしろにする権利は、誰にも無い。お前は己の為すべきことを為すがいい。私はそれを尊重しよう。汝が、この聖杯戦争のセイバーだ」
 一瞬、言葉に詰まる。
 この騎士は、私がここにいることを認めたのだ。自分と同じセイバーという存在であるにも関わらず、その座を譲った。
 自尊心があるようでいて、その実この男にはそんなものはない。ただ彼の言葉通り、自分のすべきことをする。ただそれだけに特化している。そんな風に、私は感じた。
「ちょっと、そんな簡単に代えられるわけないでしょう?」
 戸惑ったような煉の声に視線を下げると、彼女は腰に手を当てて、騎士を見上げていた。
「マスターである私を差し置いて、何を二人で勝手に決めているの? この聖杯戦争のセイバーはあなた。私の家族であるセイバーはあなた。どっちもどっち、その立場を投げ出すことは許さないわ」
 私と彼を交互に指差しながら、不機嫌丸出しの声で煉が言った。
「ですが煉。このサーヴァントは勝つ気がない。あまつさえ、あなたに勝利を諦めろと言った。ならば、勝利するために私がセイバーとなるのは仕方ないことではありませんか?」
「セイバー、それは違うわ」
 煉は指を振って、私の言葉を否定した。
 その彼女が、やけに楽しげに見えた。
「言ったでしょう? 私は諦めずに、あなたとこの騎士の道を歩んでいくと。なら、彼の道は曲げるべきじゃない。多分あなた、今までもずっとそうしてきたんでしょう?」
 突きつけられた指を握り、騎士が煉に顔を近づけた。
「その通りだマスター。これまで幾星霜、世界中の幾千幾万聖杯戦争を渡り歩き、勝利したことは一度も無い」
 何故か誇らしげに騎士は言う。煉が私を見、ほらね、と肩をすくめた。
「ならそれが彼の道。それを曲げることは、今までそうしてきた彼に失礼じゃない。ねぇ、セイバー。彼はあなたの道を認めた。だからあなたも、彼の道を認めてあげればいいと思うけれど、どうかしら?」
 それはまったくの正論。彼に譲歩させてばかりでは失礼だ。対等の、召喚されしサーヴァントとしての礼に反するだろう。
 頷く代わりに、溜息混じりに煉に言う。
「どうして、自分に不利な部分で聡明なんでしょうね。あなたも、凛も」
「なぁに、自分の身勝手を戒められることは大切だ。マスター、君に感謝を」
「ひゃっ」
 騎士は煉の頬に軽く口付けると、再び元のように屹立した。
「もぅ、そうやってすぐにキザったらしい真似するのは止めて。恥ずかしいでしょ」
「私も煉と同じ意見です。今はもう戦いの最中なのですから、そのような行為は自重して下さい」
 頬を赤く染める煉につい微笑みながら、私も言う。彼女の口調は、普段のものに戻っていた。
 この騎士は誠実だが、どこか軽いところがある。生きている時よほどの色男だったのか、もしくは自分に酔っているのか。
 どちらかといえば後者だろう。しかし酔っているというよりは、それがこの男の素という感じだ。
「別に構わんだろう、して減るものでもなし。それともセイバー、まさかマスターに嫉妬しているのではあるまいな? もしそうなら私の落ち度だ。君の美貌も決して、マスターに劣るものではない。慎んで口づけを交わさせてもらうが」
「結構です。そんな色恋嫉妬などするほど、私は堕落していません」
 即座に言い返す。まったく、なんてことを言うのかこの男は。おかげで少し、顔が熱くなってしまった。
 その言葉全てが本気だから、尚の事始末が悪い。
「はいはい、二人とも交友を深めるのは良いことだけど、ちゃんとこれからのことも考えてよ?」
 煉が手を叩き、私と騎士の目を向けさせる。
 すっきりとした表情で、我らのマスターは語り始めた。
「さて、これからどうするかだけど、セイバー――ええと、新しい方。コレが戦わないとなると、やっぱりあなたを頼るしかない。どう? セイバー、戦えそう?」
「コレとはまた失礼だな。これから共に戦っていく同胞なのだ。ちゃんと名前で呼んでもらいたい」
 呆れ顔で言う騎士の鎧を、煉が叩く。
「だったら最初から真名を名乗って。どうせ勝つ気がないんだから、教えてても問題ないでしょ?」
 ふ、と息を吐き出し、白金のサーヴァントがその名を口にする。
「わからん。完膚なきまでに、この身の名前は思い出せん。だが、何も問題はないだろう? 君の言った通り、私に勝つ気はない。ならば名前など、あろうとなかろうと変わるまいよ」
「……ねぇ、殴っていいかな?」
「突然の暴力宣言とは物騒だな、マスター。私はただ嘘偽りなく答えただけだ。そこに罰をうける理由などない」
「落ち着いてください、煉」
 先手を打って煉を止める。文句を言おうと口を開きかけた少女は、私の姿を見てそれをやめた。
「セイバー、その姿は」
「ええ、あなたには初めて見せますね。これが私の、戦装束です」
 私の全身をくまなくなめる視線、その全てを悠然と受け止める。二人が話している間に、私の姿は変わっていた。
 久しぶりに味わう。体の一部としての鎧。硬いガントレットの感触が懐かしく、そして心地良かった。
「流れている魔力は十分? セイバー」
「ええ、多すぎるくらいです。これなら、私の宝具も存分に使うことができる」
 その言に嘘はない。煉から供給される魔力はこの身を満たし、溢れ出さんばかりに迸っている。いかに聖杯の助けがあるとはいえ、ここまでできる魔術師はそうはいまい。だが、濫用はできない。そんなことをすれば、煉の蛇口が破裂してしまう恐れがある。
 せいぜい一つの戦いで使えるエクスカリバーは一回。連続で使用した場合、彼女の体がもつ保障はない。しかし不安はそれだけ。極大まで魔力を使用することが連続ではできないというだけで、通常戦闘時に消費できる魔力は凛のおよそ――そう、三倍から四倍に達している。
「やったぁ! それならこの戦い、もらったも同然ね」
「ええ、まだわかりませんが、おそらくは大丈夫でしょう」
「……待て、マスター」
 怪訝そうな顔で、騎士が尋ねる。
「何?」
「君はさっきから、自分から彼女に流れる魔力がわからないような言い方をしていないか?」
「うん、そうだけど?」
 目を細め、騎士が不安に満ちた声で問う。
「本当に大丈夫なのか? 流れ出ている魔力を自覚できないのは、火が熱を奪われているのに気づかないのと同じだ。そのうちに全て奪われ、枯渇してしまうぞ」
「セイバー、それは――」
 騎士に説明しようとした言葉が、途中で止まる。
 思考よりも早く反応した体が、煉を抱えて飛び退いていた。その直後、一つの激震が立っていた場所を襲った。
 戦車の爆撃にも似たそれが木の根を抉り、その下の土にまで達する。土が湿っているためか、煙は立たない。
 十メートルほど離れたところに着地し、煉を下ろす。その横に、白金の騎士も降り立った。
「……サーヴァント」
 煉が呟く。穿たれた穴の上に立っていたのは、一つの異形。
 姿形こそ人間だが、その在り様は私たちの知っているヒトのものとは著しく異なっていた。
 両手両足には指すら出ぬように呪の記された布が巻かれており、それを固定するために金属製のバンドがいくつも、指先から根元まで巻かれている。頭には仮面と呼ぶのもおごましい拘束具。兜のようにも見えるが、それは外を見られるようにはできておらず、喋れるようにもできていない。
 体にも同様の、行動を極端に制限するようなものばかりが巻きつけられ、或いは刺さっている。見ているだけでも傷ましいその姿は、英雄のものとは信じがたかった。
「この距離まで悟らせないとは、貴様、アサシンのサーヴァントか」
 アサシンは答えない、おそらく、こちらの声が届いていないのだろう。ただのっそりと立ち上がると、こちらを見た。
 殺気は欠片も無い。だというのに、これから私たちを殺す気だというのが感じ取れた。殺す気のない殺気、それはいわば、事務的な処分に近い。
 なるほど、確かにこの男はアサシンだ。どこの英霊かはわからないが、職業的殺人者に違いはない。
「煉、ここから動かないで下さい。奴の相手は、この私が」
「わかった。だけど油断しないで、絶対に帰ってきてね」
 頷き、騎士にも声をかけようとする。が、彼は私のことなど見ておらず、ただアサシンだけを犂兒´瓩靴討い拭
 やれやれ、自分勝手なサーヴァントだ。これでは私が、馬鹿みたい。だが――
 前方をにらみ、駆け出す。剣をこの手に、思いは熱く、敵の喉元目がけて突き進む。
 アサシンが体をこちらに向けた。それを、逆袈裟に切り上げた。

「――その馬鹿も、悪くはない!」
 



2: 心無鳥 (2004/04/06 00:41:14)[shina_lain at hotmail.com]http://www113.sakura.ne.jp/~the_470in/

 02/04

 風を巻いて迫る不可視の剣――それをアサシンは、こともなげに受け止めた。
 真正面から、微動だにすることなく。セイバーの岩をも立つ一撃にも、肘の先すら揺るがない。
 セイバーは腕に、まるで硬い金属を叩いたような感触を覚えた。火花散る剣の刃と、アサシンの左腕。
 剣を受け止めているのは金属のバンド部分。だがそれも、一ミリとない薄さ。しかも一体成形ではなく、乱雑に、初陣の衛生兵が巻いたようなちぐはぐさだ。一体この低雑さのどこに、そんな強度が秘められているというのか。
「く……っ!」
 失速し、下がるしかないセイバーに向けてアサシンの右腕が振るわれる。
 それが、決戦の幕開けだった。
 先ほどまでの遅さが嘘のように、セイバーの視界を縦横無尽に、超硬にして超重の打撃が荒れ狂う。転がるように避けたセイバーはすぐに起き上がった。目の前に迫るは目の見えぬ兜と、拘束された体。それが、剣の射程内に入っている。
 当然のように斬撃を放つセイバー。だが、アサシンはそこから更に加速した。
 音は聴こえない。それより先に、衝撃が彼女の真芯を捉える――!
「ぐゥゥゥゥッッッ!」
 剣の軌道を無理矢理変え、左のガントレットをアサシンの拳の前に据える。無理な動きをした手首に痛みが走り、骨の割れる音が体に響いた。
 その音を認識する暇はない。それより先に、鉄槌よりも尚重き衝撃がセイバーの手甲を砕き、華奢な体を吹き飛ばした。
 続いて衝撃波が遅れて訪れ、その運動を更に加速する。
 セイバーは歯を食いしばり、下腹に力を込め、空中で剣を振るう。その反動で体が四分の一回転した時、足の裏が木の幹に触れた。
 前を見据えるセイバーだったが、既にアサシンの姿はない。
 反射的に木を蹴り、横に飛ぶ。次の瞬間、上空から飛来したアサシンが、セイバーの足場となった木もろとも、文字通り大地を割った。
 地響きが沸き起こり、亀裂が走る。その様を目の当たりにし、セイバーは覚悟を決めた。
 このサーヴァントは、間違いなく強い、と。
 油断していたわけではない。慢心もしていない。純粋に、戦場の駆け引きでセイバーは負けた。だが、そんなことで意気消沈する彼女ではない。
 一度負けたなら次で勝てばいい。この身が朽ち果てるまで、勝負は終わらない。
 木から木へと飛び移り、交差する度に斬打を交わす。交錯する影と舞い散る火花。それは見ようによっては、サーカスの曲芸にも見えただろう。
 だとするのならば、ピエロはセイバー。追い立てる獣はアサシンだ。
 ぶつかりあう度に弾き返されているのはセイバーのみ。アサシンは一度も、その軌道を変えていない。
 それどころか、これぞ暗殺と言わんばかりに背後から頭上から足元から、ありとあらゆる死角を突いて襲い来る。
 音速をはるかに越えた一撃は加速し続け、ガントレット、アンクレット、金色の髪、蒼い服を焼け焦がす。
 音は聴こえない。それが届く頃には、両者は共に次の足場へと移っている。
 樹海の奥で、あり得ぬはずの剣戟の音と地響き、轟風の音がこだまする。
 一撃、一撃、一撃、一撃、一撃、一撃、一撃――疲れの見えぬアサシンに比べ、セイバーの傷は確実に深くなっていく。
 罪人の鉄槌は鎧のみならず、彼女の臓腑までにも染み渡り、少しづつその体を侵していた。
 馬鹿な、とセイバーは舌打ちする。暗殺者であるアサシンは、最初に見つかった時点でそのアドバンテージを失っている。真正面からぶつかったところで、セイバーには敵うはずもない。
 その筈なのだ――だが、目の前の男はその常識を非常識な戦闘能力と運動能力で覆していた。
 斬撃が音速を越えることなど、サーヴァントの間ではよくあることだ。しかしアサシンは己の体ごと加速している。しかもその加速は目標を外すと同時に直ちに減速し、行き過ぎることがない。
 出鱈目な、悪夢のような打撃。
 繰り出す一撃は常に意識外、反撃に移ろうにも衝撃破によってバランスを崩す。木の幹を蹴って飛んだ後の空中では、踏みしめて堪えるべき大地もない。
 着地してまともに迎え撃てば潰され、飛びすされば頂点に達した時点で、地面から跳ねるように放たれた打突に捉えられる。超高速の打撃を避けるには二動作では遅すぎた。
 飛んで、落ちるのではない。この場において落ちることは墜ちるに等しい。
 飛んで飛んで飛んで飛んで飛び続ける。さもなくばこの体は貫かれ、鮮やかな臓物を撒き散らす結末を迎えることになるだろう。
 思えば、最初に飛んだ時から不利は決定していたか。
 セイバーは歯軋りをして再び飛ぶ。下方から迫るアサシン。そこに全力で剣をぶつけることはせず、いなすように狷佑飛ばされる瓠
 その刹那に、金属バンドの隙間をぬって腕を斬ろうと試みた。しかし手に伝わるのは、まったく変わらない硬い感触。
 おそらく、それは全身同じだろう。いつかのバーサーカーのように、ある程度のランク以上の武器でなくば、この英霊に傷を負わすことはできない。
 ならば、ランクA以上の宝具。最強の聖剣を以て迎え撃つのみ。
 しかし、どうやって放つというのか。死角から来る相手には、基本的に剣は及ばぬ。剣の間合いに入るのは、敵の位置がわかっている時のみだ。
 更に数十合を打ち合い、周りの樹木があらかた破砕された頃、セイバーが徐々に上方へと飛び始めた。少しづつ少しづつ、一桁度の単位で角度を変えながら、月の輝く天を目指す。
 このサーヴァントは倒さなければならない。幾度の戦場を越えてきた経験則から、セイバーはそう判断していた。
 アサシンは今、宝具が使えない。使おうと思っても、その名を呼べぬ。ならば誰が呼ぶのか?
 それはマスターだ。アサシンの、その主人の正体も知らないが、断じて二人を揃えてはならない。
 今この時この場所で殺らなければ、こちらが殺られる――!
 全力のセイバーをもってしても心胆寒からしめる英霊は、ただ愚直に同じ動作を、しかし不規則に繰り返す。
 やがてセイバーが、あまねく木々で最も大きな大木、その頂点へと足をかけた。
 背後から迫る気配に、ヒビの入った鎧を撒き散らしながらセイバーが飛ぶ。背後には満天の月、振りかぶるは長大にして不可視な王の剣。
 確かに、空中の更に空中。足場が何一つなく、遮蔽物すらない場所まで達すれば、おのずと相手が来るところも見えるというものだ。
 アサシンが別の木で加速し、超音速で迫り来る。それを向かえ打ち、セイバーも剣を振り払った。動きに呼応するように風王結界が勢いを増し、開放される。今や黄金の剣がその姿を現し、何人も動くことを許さぬ轟風が吹きすさぶ。それすらも、アサシンは意に介さない。スピードを緩めることすらせず、真っ直ぐに突き進む。
 切り打ち結ぶ両者は、しかし接触の前、瞬きすら間に合わぬ速度でその軌道を変えた。
 下から体ごと打ち上げるように腕を繰り出していたアサシンの動きが急減速。真下へと打ち下ろすものへその攻撃を変化させる。
 セイバーもそれを読んでいたのか、腰から肩、肩から腕、腕から手、手から剣へと動きを伝達し、捻るように下から切り上げる。
 向かってくる方向を限定する目的は確かにあった。しかしそれだけでは不足だ。敵は拘束具によって動きを限定され、柔軟な動きができない。停止、動作、停止、動作の繰り返し。
 ならばこちらは動き、曲がり、加速し、続いて動こう。
 一対二で負けているのなら、その力を二対二にまで引き上げればよい――!
「フッ!」
 呼気は軽やか、しかし剣の巻く風は重い。セイバーの剣がアサシンの腕を打ち据え、体をわずかに弾き返した。
 その隙を見逃さず、敵の腕に足をつき、地に向けて己が体を蹴り飛ばす。
 風圧が全身を打つが、開放された風王結界がその全てを緩和する。
 今の攻防さえも一つの布石。これでアサシンの到着はコンマ数秒といえど遅れる。その少しの差が、この勝負の分かれ目だ。
 迫る地面を前に体を回転させ、猫のようにしなやかに着地。衝撃は足に響くことなく、丹田を回って脇腹へ回り、再び肩から噴き出す推進力へと変わる。
 射殺さんばかりの眼光で、セイバーが月を背に迫るアサシンを見る。清らかな瞳が、敵の影を映した。
 折りたたんでいた足で地面を蹴りつけ、先ほどの空中の攻防から得られたものにプラス、更なる加速を得る。
 光を放つ刃が月光を跳ね返し、地表に輝く太陽と化す。
 それを目にしてもアサシンは無言。ただ隕石の如く標的を目指す。その体が、縦に回った。回転の反動をも加えた一撃。だがそれを差し引いても、今のセイバーには及ばない。
 宙へと飛び出したその時に、彼女は己が剣の名を叫んだ。

「約束された《エクス》――

 アサシンが応ずるように、ねじれた体からセイバーを突き通さんと腕を振るう。
 その罪の黒。痛みの拘束をかき消すように、光の奔流が溢れ出た。

   ――勝利の剣《カリバー》!」

 王の勝利を祝福するかのような輝かしい華が咲く。
 かくしてアサシンの腕は切り裂かれ、その向こうの体を断ち切り、兜諸共頭部を割る。

 その、はずだった。

 確かに腕は切れた。正確に言えば、腕を覆う金属バンドと呪帯。
 だがそこまでだ。壁に阻まれたように光はその力を失い。刃が止まる。
「なっ……ッ!」
 切れ目から、雪崩を打つように右腕の拘束具が弾け飛んでいく。その下にあるのは、何の変哲も無い普通の手。
 しかしその表面を覆い尽くしているのは、今までの拘束とは比較にならないほど禍々しい、腐敗した白即ち黒。
 半透明のそれは、半ば実体を持った霊体。いや、実体を持つことが許されないが故に半実体の魔性。
 黒光りする鱗に守られた腕の先には三本の鉤爪。それは、猛禽類が獲物を掴む手に似ていた。
 そのまま力押しに地面へと吹き飛ばされ、セイバーは己の推察が間違っていたことを知った。
 このサーヴァントの拘束具、つまり宝具を解放するのはマスターでも、アサシン本人でもない。それは相手、打倒しようと試みる敵そのものだ。開けてはならないパンドラの箱。開けてしまえば待っているのは数多の暗黒。
 だがそれにも諦めず、セイバーは地に手をついて飛び起きる。その時にはアサシンが目前、やはり剣の射程に入っている。
 やられる。あの腕が振るわれたなら、剣で防ぐことはできない。
 それは根源的な直感だった。
 もはや、打つ手はただ一つ。
 セイバーの頭の中に、走馬灯のように記憶が蘇る。

 それはシロウが死んだ日の朝だった。
 煉がまだ寝ている間に、シロウはセイバーを呼び出した。
 あの懐かしい土蔵は、一世紀近い時を経てなお、昔のままだった。
 正座したシロウの前に、彼女も正座して座った。
 その凛とした姿を、見惚れるように数分眺めたあと、シロウは笑った。
『セイバー、ありがとう。借りてたものを、返す時が来たみたいだ』
『シロウ……?』
 怪訝そうに首を捻る彼女の手をシロウは取り、衰えた自分の胸元に当てる。
 確かな鼓動が手を通して、セイバーの体に伝わった。
『俺がこうして百を越えて生きていられたのは、セイバーから借りてたもののおかげだ。本当は、もっと前に気づいてたんだけど、さすがに出奔した身でわざわざ英国まで行って、顔を出すわけにもいかなくてさ』
『何を言っているのですか?』
 戸惑いながら、問う。
 きっとそれは、彼女自身すら自覚していなかったこと。
 だからシロウは微笑んで、

『返すよ。君がもっていなければいけない、君の理想郷《さや》を――』

 唐突に、彼女はそのことを理解した。
 セイバー、アーサーという王に足りないもの。全ての傷を癒すという、魔法の鞘。
『ですがシロウ、あなたの体はもうボロボロです。今、それを取ったら』
『死ぬ、だろうな。この体にも、随分無理をさせちまった』
 溜息と共に、シロウは自分の体を見下ろした。
 そして顔を上げ、セイバーを見つめながら、呟く。
『俺さ、思うんだ』
 ――それは希望に思いを馳せる旅人のように、
『自分は正義の味方になると決めた。だけど、そんなのは他の人が決めるだけだ』
 ――未来に決して絶望しない若者のように、
『それでもいい。それでも誰かを救いたい。幸せにしてやりたい。あの日見た、親父のように笑わせてやりたい』
 ――倒れてもまた立ち上がる兵士のように、
『ずっとずっと、走り続けてきた。だけど、もういいんだ』
 ――息絶えようとする者をそれでも助ける聖者のように、
『きっと、俺がいなくなっても、大丈夫』
 ――それでも儚げで愚直な、一人の英雄。
『……ええ、わかっています。あなたが撒いた種は、きっと芽吹くでしょう』
 セイバーは知っている。シロウが全国を周り、身寄りのない子供を助けてきたことを。
 そして、彼はその内の幾人かに己の知り得る限りの魔術を教えていた。衛宮切継が彼にしたように、希望という名の命を与え、魔術という名の水を注いできた。
『そうだ、きっと芽吹くさ。皆、いい子ばっかりなんだ。だけど、俺はまだ迷ってる。俺が与えたのは希望に見せかけた、傷つくだけの道じゃないのか、って』
 セイバーは沈黙する。その苦悶に答える術は、彼女にはなかった。
 シロウは凛とした目で、告げた。
『だからこれは俺の区切り。あの子たちを信じているという、誓いなんだ』
『……わかりました。あなたの願いを聞き届けましょう、マスター』
『セイバーのマスターは、煉だろ?』
 その言葉に、セイバーは首を振る。
『いいえ。片時も、あなたがマスターであることを忘れたことはありません。シロウ、あなたはいつまでも私のマスターです』
 シロウは照れ臭そうに頭をかき、やはり微笑みながら、
『――うん、ありがとう』
 ただそれだけを、彼女へ贈った。

 戦場へと意識は戻る。思いを巡らせていたのは、動きを伝えるよりも短き一瞬だったろうか。
 シロウとの思い出を抱きながら、王は初めて逃げの一手を打つ。
 剣から左手を離し、前に突き出す。
 煉に心の中で何度も謝りながら、セイバーは無敵の防御壁の名を呼んだ。

「――全て遠き理想郷《アヴァロン》!」

 セイバーの正面に鞘が出現し、霧散。美しき光の粒子となって、何人をも干渉することを許さない壁を形成する。
 魔法にも似た、絶対防御空間。魔法の効果すらも拒絶する妖精郷。
 それを盾に、バックステップを踏んで遠ざかる。アサシンの加速は相当量に達している。アヴァロンに正面から体ごとぶつかり、姿勢を回復させ、追う。それだけの時間があれば、追撃不可能な位置にまで到達することは容易だ。
 一歩を踏み、もう一歩を踏もうとしたところで、彼女は異常に気づいた。
 アヴァロンに真っ向から衝突したアサシン。衝撃破すら過ぎ去り、もうとうにその勢いも尽きている。
 だが、その獰猛な爪先が光の防御壁を侵食していた。
「まさか、そんな、ことが……」
 呆気に取られ、セイバーは次の足を踏むことをためらった。
 その隙を見てか、アサシンの爪が振り上げられ、

 ――――神秘は、それを越える神秘に打倒される――――

 己がつけた傷ごと、理想郷を切り裂いた。
 爐△蠅とう瓩肇轡蹈Δ呼んだ彼女の鞘。
 それが、紙屑のように霧散し、
「シロウ……」
 燃え上がり、消滅した。
 茫然自失としたセイバーへと、当然のようにアサシンが飛びかかる。
「――!」
 爪がかかる寸前、我に返ったセイバーが後ろへ飛びすさる。
 しかしそれは遅すぎた。アサシンが、聖剣を持つ右腕を掴む。
「くぁ……」
 あまりの圧力に、セイバーがうめき声を上げる。だが、そんな声がアサシンに届くはずもない。
 爪を持つ男は勢いもそのままにセイバーの体に足裏をついて、その体を蹴り――
「っあっう」
 感じたことのない痛みに、セイバーは魚のようにぱくぱくと口を開け閉じする。
 だが、止まらない。


 ――約束された勝利の剣《エクスカリバー》ごと、王の右腕を引き千切った。


 02/05

 セイバーはアサシンと共にどこかへ飛んでいった。
 だが、静寂など戻らない。こだまする剣戟と打撃音、飛び散る火花。最初のうちこそ目で追えていたものの、五秒もしないうちに両者の姿は樹林を破砕しつつ離れてゆき、音も遠ざかっていく。
「セイバー、私たちも追うよ」
 いつの間にか私の前に立ち、身を盾にして暴風から守ってくれた騎士に言う。
「それは別に構わないが、我らが彼女の足手まといにならなければいいのだがな」
 怪訝そうな表情も見せず、騎士が言う。本当はそんなことを思っていないのが丸わかりだ。
 月を背に銀髪をなびかせる彼は、本当に伝説の中の英雄だった。
 セイバーは――もっと私たちに近い、身近な存在のような気がする。
「それでも行くの! あのね、今の攻防見たでしょ?」
「勿論だとも。目を逸らすほど、臆病ではない。君は、セイバーが力負けしていたのが気になるのだろう?」
 セイバーたちが去っていった方を見ながら、騎士が言う。そこに広がっているのは穿たれた穴と砕けた木。音速を超えた物体の摩擦熱によってか、ところどころから焦げた臭いが漂ってくる。
「なんだ、しっかり見てるところは見てるんじゃない」
「ああ、あのアサシン相手では、まともな方法での勝利は望めまいよ」
 その通りだ。セイバーの加速をつけた一撃を、アサシンは微動だにせず受け止めた。
 衝撃を殺すにしても、力を伝達させるために足を動かしていいはずだ。
 それすらしないとなると、通常の彼女の攻撃は全て無効だと考えても、言いすぎではない。
「……うん、だから行く。あなたがどうしても嫌って言うんなら、私だけでも行くからね」
 紅玉の瞳を睨みつける。更に音が離れていくのを聞きながら数秒。落胆の溜息も吐かず、諦めに肩もすくめず、騎士は言った。
「彼女の元へ行くことが君の望みならば、そうするといい。私は君についていこう」
 そう言って私に手を差し伸べ、白金の英霊は目を細めた。
 次の瞬間、私の耳元を血生臭い風が通り抜けた。
 チッ、と何かが弾かれる音と共に、騎士が私の手を引き、己の背後に回らせる。
「――やはり、素直につけさせてはもらえませんか」
 鈴のように染み渡る声。その主の元へ、月光を反射しながら糸のようなものが戻っていく。
 聞き覚えのある声、これは――
「シオン・エルトナム・アトラシア。やはりあなたもマスターに」
 騎士を間に挟み、暗闇から姿を表した女を睨む。
 ブリッツスカートをなびかせながら月下に姿を現したシオンは、静かに頷いた。
「薄々自覚はしていましたが、確率的には五分五分といったところでした」
「魔術師が来ないなら、協会から派遣されてきた魔術師がマスターになるのもやむを得ないもんね」
 そう、誰もいないなら、いる者にサーヴァントを与えるだけ。シオンがマスターになることは、最初から頭の中に浮かんでいた。だからこそ、できるだけ彼女から離れるように陣取ったのだ。
「ええ、そしてマスターとなった以上は勝ち残らせてもらいます。そうすれば、魔術協会としても何ら問題はありませんから」
 薄く唇を開く彼女の笑みに体中の毛穴が開き、背筋が凍るような寒気が走る。
 それはまるで何かがキレてしまった人間の笑みだ。薬物中毒者のそれに似て、薄氷のように薄く危うい。上に乗れば割れ、二度と抜け出せぬ深海へと相手を誘う。
「どうかしましたか? 衛宮煉、まさかここまで来て、今更怖気づいたのではないでしょうね?」
 クスクスクスと、人形の様な音を立ててシオンは嗤う。顔は地表へと向いているが、細まった目の奥の眼球は私を捕えたまま離そうとしない。
 体が動かない。まるで凝固した血液で出来ているかのようなその眼球にから、抜け出せない。
「答えてくれてもいいでしょう? それが、あなたの遺言になるのかもしれないのですから」
 確かな殺意を以て、しかし子供のような無邪気な素振りで、シオンは告げる。
「あ……う……」
 もはや言葉すら封じられた。何かにあてられたように、この体は動かない。
 唇を舐めるシオンの舌。そこでようやく私は気づいた。
 彼女の口に、血の雫が何滴か付着している。
 それを拭い、手首に付着した血をぬらりと舐めた。
 違う。この女は、昼間私たちと会ったシオン・エルトナム・アトラシアではない――!
「お話中のところすまないが、失礼させていただく」
 シオンの声が鈴ならば、それは曲がりくねる川の流れ。ゆるやかに紡がれた言葉と共に、目の前を血塗りの刃が通り抜ける。
 こびリついた血の臭気は半ば物質化した瘴気と化して、五感全てを刺激した。
 催した吐き気に、思わず口元を押さえる。喉まで上がりかけた内容物を飲み込み、切れ切れの息を吐き出した。
「……っは……せ、せいばぁ……?」
「気をしっかり持てマスター。いかに油断していたとはいえ、あの程度の魔眼に侵されていてはこの先が心配だ」
 騎士は私の眼前から剣を除けると、その切っ先をシオンに向けた。
「アサシンのマスター。貴様、ヒトにあらざる者だろう。私も何度か目にしてきたが、おそらくは吸血種と呼ばれるものに相違あるまい」
「……いいところで邪魔をしてくれますね。此度のセイバー、戦えない軟弱者かと思いましたが、どうやらいささか目算が外れましたか」
 長い犬歯をのぞかせながら、シオンが目を細めた。
 今の発言からすると、おそらく最初から彼女は私たちの会話を聞いていたのだろう。吸血鬼の聴覚ならば、それも不可能ではあるまい。
 私もシオン・エルトナム・アトラシアが吸血鬼だということは聞き及んでいた。だが、彼女は吸血鬼化を止めるための研究を続けていたはずだ。その本人が自ら血を吸うなどということが在り得るのか。
「まって……シ……オン。セブンは、どうした……の?」
 まだ呼吸が整わない。胸を押さえながら、もう一人の派遣されてきた少女の行方を問う。
 シオンの口元についていた血。あれはまさか――
「吸って棄てました。利用できるものはできるだけ利用するのが当たり前でしょう? それに、教会の犬などにいつまでもいられては困るんですよ。ああ、この場合は犬ではなく、馬でしたか。しかし美味しかった。死体となって受肉されているとはいえ、さすがは埋葬機関の第七位。ゆっくりと楽しませてもらいましたよ」
 満足気に、シオンは何度も頷く。
「一つ聞こう吸血鬼」
「私も一つ言わせてもらいましょう。セイバー、二度とこの身を吸血鬼などとは呼ばないで下さい。私はまだ吸血鬼などに成り切ってはいない。今回のことも全て、私の研究のためなのですから」
「では聞こう、吸血鬼《・・・》。何故貴様はセイバーが去っているというのに、あのような糸で煉を襲おうとした。食らいたいのなら、最初から頭でもどこでも砕けばよかろう。私を警戒していた、などという言い訳は無駄だ。警戒しているのなら、最初から手は出さん」
 沈黙。
 シオンの顔に傷のようなヒビが入り、やがてゆっくりと消えていく。
 そうして鬼気迫る表情から真顔に立ち戻った後、呆とした声で彼女は呟いた。
「……それでは、つまらないでしょう?」
 何をつまらないと言ったのか、それを推し量る暇もなく、シオンが続ける。
「普通に吸い尽くすだけではつまらない。差し込んで操り、自分のハラワタをかき混ぜさせて指を先から一本一本食べさせ、そしてその辺りにある枝と交尾でもしてもらわなくては、つまらない《・・・・・》。単純な搾取には、最初で飽きました」
 一瞬、彼女が何を言ったのかわからなかった。それを理解した時、思考は意外なほどに冷静になった。
 納得した心から出てきた言葉はただ一つ。
「――狂ってる」
 シオンは歪な笑みを浮かべ、
「正しい者はいつでも、狂っていると言われるものですよ」
 言って、飛び出した。
 意識する間もなく体が持ち上げられ、急激に景色が流れていく。
 私の体をかき抱く白金の腕。顔を上げれば、そこには憮然とした騎士の表情。
 甲高い音が響き渡り、頭の後ろで火花が散る。目を向けると、騎士とは異なる禍々しい紅眼を煌かせたシオンが、歯軋りしながら弾き飛ばされ、着地。そのまま獣のような姿勢で追ってくる。
「マスター。奴は狒爐覘瓩噺世辰討い燭、それは心の中まで読み取るようなものか?」
 背後を見ながら問う騎士に、私は頷く。確か彼女のエーテライトは、本来そういうものだったはずだ。
「ならばここからは推測になるが、おそらくアサシンの思考を読み取ろうとしたのだろう。あのアサシンの様子では、口も聞けまい。真名を知るにはそうするくらいしか手段はないが……」
 再び剣音。血塗れの刃が、シオンの爪を弾き返す。だがそれだけだ。錆びつき、ところどころが欠けている剣では、彼女の肉体は傷つけられない。
 本来ならばシオンなど振り切れるはずだ。しかし今、騎士は私を抱えている。こんな状態では振り切ることはおろか、逃げ切ることもできないだろう。
 かといって私から飛び下りるわけにもいかない。シオンが追っているのはあくまで私。
 何ていう、無様。ただこうして、守られていることしかできないなんて。
 先ほどの言葉の続きを、騎士が呟く。
「……愚かなものだ。あれだけの拘束が施された英霊、その意を己がものにしようとすれば、気が狂うは必然だろうに。あれはあてられたというより、犯されたというべきか」
 騎士が語るうちに、もう一つの戦いの音が近づいてくる。
「セイバー、あなた」
 まさかこの男は、セイバーのところまでシオンを引っ張っていくつもりか。
 こちらの意をくみ取った騎士が、笑みを浮かべる。
「彼女の元へ行くと言っただろう? だから逃げながら、その意向に従っただけのこと」
「ばかっ! セイバーの負担増やしてどうするのっ!?」
 叫び声と重なるようにして散った火花に、思わず目を閉じる。
 今やシオンはこちらと並走している。あと少しの時間さえあれば、私たちの前に出るだろう。
 だが、それでも彼女をセイバーの元へ連れて行くわけにはいかない。
 未だ剣戟の音が聞こえるのは、まだ勝負がついていないしるし。それはそのまま、セイバーの苦戦を表している。
「あなたが戦う気がないんだから、実質セイバーは二対一でしょ? せめてこのまま――」
「逃げ続けなくとも、あちらの戦いは終わる。見たまえマスター、どうやら彼女は勝負を決めるつもりのようだ」
 騎士があごで指し示す方を見る。それと時を同じくして、右の肩から二の腕にかけての魔術刻印が熱を持った。沸騰した湯のような熱だが、堪えられないものではない。
 うずくそれを押し殺し、私は破壊された木々が広がる荒野の向こうに、高速で落下するセイバーを見た。
「セイバー!」
 傍で再度切り結ぶ音も気にせず、叫ぶ。
 届くはずもない声、しかしそれに応えるように、黄金の剣が輝いた。
 地表の太陽が如くその光にも、私は眼を閉じない。セイバーのマスターであるなら、決して彼女の戦いから目を背けてはいけない。それが私なりの、マスターとしてのけじめ。
「約束された《エクス》――」
 セイバーが地を飛び立つと同時、空気を揺るがすエネルギーの咆哮と共に、気高きその名が轟いた。
「――勝利の剣《カリバー》!」
 照らされた風景の中にあって唯一黒きヒトカタ、アサシンへと光の塊が襲いかかる。
 彼女が叫んだその名を知らぬ者がいるはずがない。また、その主たる者のことも。
 世界中に伝わる英雄譚の最たる一。裏切りにあってなお、最後まで堂々と戦い続けた王。
 アーサー・ペンドラゴン。泉の聖剣を振るう、至高の英雄。
 そのアーサーが女であるなどと、誰が想像できるだろう。
 光はやがて刃に集い柱となり、一筋の巨大な剣と化してアサシンを打ち砕くかに見えた。
 しかしアサシンに触れた直後、急速に光は霧散。それまでの輝きが嘘のように、夜の闇に塗りつぶされる。
 鎧が砕け、蒼の服のみとなったセイバーの体が、そのまま力まかせに地面へと叩きつけられた。
「セイバー、早く!」
「承知した。少し負担がかかるが、これも君が望んだことだ。歯を食いしばってこらえたまえ、マスター」
 冷静だが力のこもったその声に目を向けると、私へと爪を振り下ろすシオンの姿。その腕に、騎士の足があてがわれた。
 肩に頭をあずけている私に、骨の折れる音が響く。
 それに躊躇した様子もなく足は伸ばされ、蹴りつけられたシオンの体が倒れた。
「足、平気なの!?」
「気にすることはない。君が今急いでいるのは、彼女のためだろう?」
 だからどうした。私がセイバーのために急いでいるから、自分のことなど気にするなと?
 己が言の通り、騎士の言葉に違えはない。本心から彼はそう言っている。
 ふざけないでほしい。たとえ出会ってからの時間が短いとはいえ、目の前でそんなことをされて気にしないでいられるものか。
 ――だけど、彼の言っていることもまた事実。
 魔術師としての思考が告げる。それを素直に聞くつもりはない。
 騎士の顔を見ると、彼は私を安堵させるように薄く笑っていた。最初と同じように、自信に満ちた笑み。
 頷きだけを返して、セイバーを見る。
 彼女は後ろに傾いた姿勢で、左手をアサシンに向けていた。
 その顔が、今まで見たこともないほどの苦渋に満ちている。
 近づいていくその風景の中でセイバーが何かをさけ……

「……ッあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!!!!」

 コワレタ

 これ――な いた――ずみぎぶ――みぎぶでかぅった――い――

 ホントウニシズカ

 い゛ や゛――たぐなび ごわさない゛っってぇ――

 キットヤッテクル

 ぢが い――わた――に い゛れ ない゛――で

 ――マタワタシヲクウタメニ――

 ぎごえ――な び――な どう゛しでこん゛ない――い――ぎ―ぜいぶぁ゛――!

「――全て……理想…!」

 ……その声と共に、思考が落ち着きを取り戻す。
 妙にクリアな視界の中に、右腕をもがれる少女がいた。
 もうその姿は目の前。
 敵との間に滑り込むようにして、私たちはセイバーの元へと辿り着いた。
「せいばぁ……?」
「まだだマスター」
 未だ言葉を満足に出せない私を戒めるように、騎士の声が飛ぶ。正面に視線を移すと、アサシンの腕が振り下ろされようとしていた。
 剣では受けきれないと判断したのか、騎士はガントレットと右腕を盾にし、その一撃を受け止めた。
 複数の骨が折れる音、筋肉が断裂する音が響く。だがそれでも、私にまでその衝撃は及ばない。
 アサシンがもう一本の腕を叩きつけようと体を動かす。瞬間、剣を鞘に収め、騎士は後ろへと飛びすさった。腰を低く落とし、セイバーを拾って更に下がる。
 不思議なことにアサシンは追ってこない。じっと身構えながら、こちらを見ているだけだ。
 五十メートルほど離れたところで、騎士が私とセイバーを下ろす。その時、横殴りに割って入る影が見えた。
 紫の服をまとった女、シオンだ。剣を抜く間も与えない一撃を、騎士は私を下ろした左腕で受け止めた。
 鎧が割れ、再び骨の折れる音。
 それでも、悠然とした端整な顔立ちは揺るがない。カウンターでシオンの腹部を蹴りつけ、アサシンのところへと吹き飛ばす。
 アサシンはシオンを受け止め、ゆるやかに地面へと下ろした。
「へいき……?」
 セイバーにかける声も、ろれつが回らない。
 焼きごてを刺しこまれたような感触が、まだ右腕を侵し続ける。魔術刻印が確かな熱を持って、そこに存在していた。
「れ、ん?」
 目を開いたセイバーが、左腕をついて立ち上がる。頭を振ると、凛とした顔立ちに戻り、傷ましい顔でうなだれた。
「煉、あなたに、謝らなくてはいけない。あなたが苦しむのがわかっていて私は――」
「いいの」
 肩を貸し、泥にまみれた頬に手をあてる。右腕の根元からは今も血が流れ続けていた。
 ……誰よりも傷ついてるのはセイバー、あなた自身。
 頬を叩き、無理矢理意識を覚醒させる。このままぼうっとしているよりは、痛みのほうがましだ。意識が明確になったせいか、魔術刻印の熱が増したように思えた。
 歯を食いしばり、堪える。
「マスター、無事か」
「うん、だけどあなたは……?」
「両腕と両脚が折れたが、既に修復している。わかったら少しは安心してくれないか。そんなに心配顔でいられては、こちらも心苦しい」
 騎士は軽い口調で答える。確かに彼は両の足で立ち、手には剣を握っている。
 だが、それは全て手持ちの魔力によって補ったものだ。私からの供給は一切求めず、召喚された時の魔力のみを彼は使っている。
 その流れを自覚できなくても、なんとなく彼ならそうすると思ったのだ。この騎士は、私に負担をかけることを何より嫌っている。
「うん、わかった」
 だから私もそれを問わない。問えばまた、彼は心配するだろう。
 なんだかんだ言ってもこの騎士はセイバー。信義に篤い、英霊なのだ。
「ではセイバー。マスターを連れて逃げるといい。アサシンとそのマスターは、私が引き受けた」
「なっ――!」
 息を呑む。
 騎士は自信に満ち溢れた声で、セイバーを打倒したサーヴァントと、先ほどからされるがままだったマスターを引き受けると言った。
「それは無謀すぎる。ここは私とあなた、二人で戦いながら退くのが」
「セイバー、己の状態をもう一度自覚しろ。お前は右腕をもがれ、剣を折られている。加えてマスターがその状態では、魔力を供給することもできまい。今のお前はただの少女に過ぎん。戦いに加わったところで、あの吸血鬼に蹂躙されるのが関の山だ」
 セイバーの言葉を騎士が断ち切る。セイバーは泣きそうな顔で左手を握り締めた。
「ですが、これでは私がセイバーである意味がない」
「意味がないなどと自分で言う者に限って、その意味はあるものだ。少なくとも、我らがマスターにとって、お前はどれほど傷つこうとも唯一無二の爛札ぅ弌辞瓠私とてお前を責めているわけではない、マスターのことを思うなら退いてくれと頼んでいる」
 セイバーが黙りこむ。その服を握って引く。
 その淀んだ瞳に、自分の視線を合わせた。
「……セイバー。言うとおり、今は退いて」
 彼女は血がにじむほどに唇を噛んだ後、ゆっくりと頷いた。
「では行ってくれ。絶対に、後を追わせはしない」
「嫌」
 呟いた言葉に、騎士は溜息をついた。
「あなただってボロボロでしょ。セイバーが戦えないなら私が戦う。むざむざ死にに行かせるほど、私は腐ってない」
「君こそボロボロだろう。その魔術刻印は異常だ。物理的な変化こそしていないが、素振りを見ていればそれが原因だということはおのずと知れる。先ほどの苦悶、見るに堪えん有様だった。魔術を使えばまたあのようになるとも限らんのだから、大人しくセイバーと共に退いてくれ。マスターをむざむざ死にに行かせるほど、私も腐ってはいない」
 彼の言うことは的を射ていた。だからといって、このままでは彼が死ぬのは目に見えている。
 更に説得しようとした私の唇に指を当て、キザったらしい仕草で騎士が言った。
「少しは任せてもいいだろう? 死ぬものと思っているのなら、約束する。私は必ず君の元へと帰ろう。この言葉は、信用に足らないか?」
 舞台役者のように、もう片方の手を胸に当てる。その様子に、ささやかだが重い安堵を覚えた。
「……わかった、後はよろしくね。だけど剣一本じゃ足りない。だから私があなたに、剣をあげる」
 熱源たる魔術刻印に手を当て、内面に意識を没入させる。

「――投影、開始《トレース・オン》」

 呪文と共に、私の視界が魔術回路に埋め尽くされた。
 正確には衛宮士郎という魔術使いが持った、一つの世界。
 広がるは一面の荒野。果てのない、閉ざされた空間。
 その地表には数え切れないほどの剣が刺さっている。
 神経に同化しているこの魔術回路は、一種の図書館に等しい。
 無限の剣が詰まった引き出しを、これも無限に開けていく。
 そこに私の意識が入り込む余地はない。
 何故ならこれは士郎さんのもの。
 この手を加えずとも、とうの昔に完成している。
 ある意味それは、終わっている世界。
 だけど彼が託したこの剣を、私は誇らしく思う。
 この終わった世界を振るって、彼は世界を始めようとしている人々を守った。
 だから、その行いだけは決して間違っていない、誇り高いものなのだ。

 魔術の名は投影。
 刻印の内は無限。
 終末の夢は剣。

 ――故にこの世界の名は猝妓造侶製《アンリミテッドブレイドワークス》瓠終焉を模倣し創めるという、尊き幻想。

 そこから記憶に刻まれた彼女の剣を引き寄せ、引き抜いた。

「――投影、完了《トレース・オフ》」
 息を吐き、目前に立つ騎士へと剣を投げた。
 鞘も何もない、むき出しの黄金の剣。
 本来は両手用であるそれを、騎士は片手で掴み、何度も握りなおした。
「限りなく本物に近い模造品か。なるほどこれならば、使えなくもない」
 満足したように頷く彼に比べ、私の体からは力が抜けていく。魔術刻印の熱が引いたために気が抜けたのか、足に力が入らない。
 倒れそうになるのを、セイバーに抱きとめられる。
 彼女は何も言わず。ただただ沈んだ表情で、心配そうに騎士を見ていた。
 だからこそ私は、皮肉気な口調で言ってやる。
「それにしても、戦わないんじゃなかったの?」
 騎士はエクスカリバーを持つ右手を腰に、血濡れの剣を持つ左手をだらりと垂れ下げながら、
「私は戦わないと言った覚えは無い。ただ勝てない、勝たない、勝利しようという気はない。そう言っただけだ。よもや忘れたわけではあるまい、マスター?」
「そんなの、言葉のあやじゃない」
 思い出せば、確かに彼は一言もそんなことを言っていない。
 間違えていたのは私のほうで、騎士は最初から何一つ、その白金のように潔白なままだったということか。
「別に非難しているわけではない。ただ、解って欲しかっただけのこと。最初の最初から今の今まで、そしてこれからも誤解されていたのでは、こちらとしても甚だ不本意だ」
「非難はしてないけど、嫌味ったらしいよ」
 そう言ってわざと口をとがらせてやると、困ったような顔もせずに騎士は答えた。
「そればかりはしょうがない。では、これでお許しを」
 騎士が顔を寄せてくる。セイバーもそれを止めず、私も止めない。
 頬に軽く口づけて、騎士は私たちに背を向けた。
「……この、キス魔」
 頬が熱を帯びるのを感じながら、広い背中に向けて呟く。
 騎士は軽い声で、
「それは光栄。キス魔と認識されたからには、思う存分いつでもできるということか」
「ばっ……このヘタレ騎士、何言ってるのよ!」
 肩をすくめることはせず、やれやれ、という声だけが聞こえる。
 そう、決して彼は困らない。私の、主の言うことで困ることなど何一つないと、そういうおめでたい思考回路をしているのだろう。
 白金の背中の向こうから、意外なほど透き通った、芯のある声が聞こえてくる。
「退けというなら君が退け。助けるというなら私が助ける。後ろに先立つは君、前に先立つは我。この体と剣では敵を倒せぬ。さればこそ、マスター――」
 今までにないほど誠実に、騎士は一つの誓いを告げた。
「――私は、君を包む鎧となろう」
 それはきっとこの戦いに向けての、彼の明確な宣誓だ。
 けれど、ここで真面目に答えていいものか……いや、きっとそんなのは、私と彼には似合わない。
 だから、わざと軽い調子で返してやる。
「ならあなたの名前は鎧《メイル》ね。今のままあっちもセイバーこっちもセイバーじゃ、呼びにくくて仕方ないもん。いいでしょ? メイル」
 騎士は一息間を置いて、
「ああ、その名がもっとも相応しいだろう。君の考えた名だからな、煉」
 初めて私を、名で呼んだ。
 まったく、ふざけたサーヴァントだ。こっちがちょっとからかえば、更に上乗せして返してくる。
 こんな窮地だというのに顔が熱くなってしまうほどに。
「納得したならば行け。任された事は果たさねばならない。そのためには、君らがいては困るのだ。殿だというのに本隊が動かないのでは、意味があるまい?」
 一言も喋らないセイバーに目を向ける。凛々しいけれど、どこか虚ろな眼差しで、彼女は頷いた。
 駆け出すセイバーに抱えられ、少しづつ意識が遠のいていく。
 またあの夢を見ると思うと吐き気がこみあげてくる。けれどその不安は今、少しだけ軽い。
 きっとそれは首だけで振り向いた騎士の、自信に満ちた笑みのせいだろう。
 メイルは前に向き直りながら言葉を放つ。それはかすかだったが、確かに私の耳に届いた。
「主より賜ったこの鎧《メイル》は砕けはしない。できると思うのなら、存分に試すがよい――」
 いつものように高慢に、けれど誇りある声で彼は告げる。

「――だが覚えておけ、私は言を違えない」












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