血の匂いと霧の街・・・第一話 (傾・シリアス?)


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1: coca (2004/03/21 03:15:39)

 手にした双剣を振るう。
 その鋭さは、まさに雷光。あの紅い背中にさえ通用するであろう。
 自分自身でも理解不能なほどに、この体は動いてくれる。
 ぎしり、と骨を断ち切る音とともに、手にした凶器はたやすく首を切り落とした。
 湿った音。落ちる首。
 それを見届けることなく、一足で距離をとる。
 油断などできない。否、どちらにしても勝ち目など無いのだろう。
 既に五回。
 どれもが致命傷たる一撃を、赤い闇はいともたやすく受け入れる。
 首を切った。心臓を突いた。
 だというのに、その闇はまるで何事もなかったかのように、そこに佇む。
 それも当然。
 結果としては、自分は一度としてこの相手を殺せていないのだ。
 闇が笑う。そこにあるは寒気がするほどの狂喜。
 双剣を握り直し、一息で距離を詰める。
 二挺の銃を掻い潜り、剣線は心臓へと迫る。
 不快な手応え、鈍い音。手にした剣は、間違いなく心臓を抉り出していた。
 だが、次の瞬間、剣にこびり付いた肉片は、赤黒い霧へと姿を変え、闇の中へと帰っていく。
 向けられる銃、放たれる弾丸。それを間一髪で避け、再び闇と対峙する。
 遊ばれている。それは間違いない。
 なぜなら、目前の相手が本気ならば、自分など数秒とかからずに死んでいるのだから。
 だが、不思議と不快感はない。
 恐らく、奴は馬鹿にしているのではなく、心底この戦いを楽しんでいるのだ。
 ならば、その期待には全身全霊をもって答えるべきだろう。
 戦士としての心意気、そんなものは持ち合わせていないが、こういう戦いに対する礼儀ぐらいは弁えているつもりだ。
 手にした双剣を消し、自然体で構える。
 闇はそれを邪魔するでもなく、笑いながら待つ。それは、まるで手品を楽しむ子供のようだ。
 いいだろう。ならば見るがいい。我が持つ唯一にして最大の武器。魔術師にとっての禁忌中の禁忌。
 ――固有結界。無限の剣製!!
 塗り替えられる世界。現れるは剣の丘。
 そんな光景を前にしてなお満足そうに、赤い闇は笑っていた。


「血の匂いと霧の街」……第一話

 
 辺りを霧が包んでいる。それはどこか幻想的で、ここが異国なんだなと、否応無しに理解させてくれた。
 日本では珍しい石畳も、この国では当然のように使われている。ここまでありふれていると、ありがたみが無くなるのだが。
 ちょっとした裏道にあたるからだろうか、あたりに人影はない。
 霧、石畳、さらには一人きりと、まるで映画のような状況だ。もっとも、それは恐らくサスペンスかホラーで、自分は間違いなく死ぬ運命なのだろうけど。
 そんな素敵といって差し支えない雰囲気の中、俺は背中を丸めて苦しげに……自分でもそう分かるほどに苦しげに歩いていた。
「はぁ……」
 我ながら、会心の出来なため息だ。そこはかとなく絶望感が漂っているところなど、じつに秀作だと思う。
 ……現実逃避はこのくらいにしておこう。
 現在、状況は少々まずいことになっている。少々というか、大々的にまずいことになっている。
 断っておくと、別にたいしたことはしていない。俺がしたことといえば、ルヴィアの屋敷で夕飯――もちろん作ったのは俺――をご一緒しただけだ。
 ルヴィアというのは、俺のバイト先の雇い主で、わが師匠のライバルで、A+級の魔術師で、気の難しいお嬢様で……と、まあこんな人物である。詳しい説明は今度会った時にでもさせてもらうことにする。
 まあとにかく、俺はルヴィアと一緒に食事した。あれとか、それとか、あまつさえあんなことは一切ない。無いったら無い。食事をしただけだ。
 それでも文句の一つ二つは出るだろうが、ここまで焦ることではない。
 一応弁解しておくと、一度遠慮したのだが、ルヴィアがそれはもう悲しそうな眼で、
「そう……ですか。いえ、私の我侭ですからお気に為さらずに。少しだけ、ほんの少しだけシロウと一緒に食事がしたかっただけですから……」
 なんて訴えかけてきたのだ。これで断れる男など、銀河の果てまで探しても存在しないだろう。
 ちらり、と腕時計に眼を向ける。
 このままのペースだと、寮につく時間は普段の夕食の二時間後といったところだ。
 ちなみに、最近わが師匠の遠坂は随分と多忙らしく、帰ってくるのが夜中になるなど日常茶飯事だ。そういう時は時計塔の食堂で済ましているようで、味気ないなど塩辛いなどと文句を言っている。
「ふぅ……」
 二度目のため息……いや、実際はその数十倍か。
 ああ、ああ、認めよう。俺はいまだに現実から逃げている。だが、向き合わねばなるまい。逃げてばかりでは前に進めないと、紅い背中が言っている。だから、つまりは、ようするに。
 
 ――セイバーの食事は誰がつくるのだろうか? ということだ。

……いけない。考えただけで背筋が寒くなった。
二時間! 二時間だよゴッド! 
 あのセイバーが! 二時間も食事を遅らされて! ただで済むはずが無いだろう! 主に俺が!!
 ……すいませんごめんなさいゆるしてくださいお願いですから竹刀に風王結界を使うのだけは勘弁してくださいプリーズヘルプミー……。
「考えていてもしかたがないか……」
 そう、それは既に手遅れなのだ。ならば受け入れよう。殺意すら篭ったあの竹刀をも、俺は凌駕してみせよう! ……でも手加減はしてください。
 よし、と気合を入れなおす。丸まった背中をまっすぐに伸ばして、ペースを上げて歩き出す。一分でも早く帰るとしよう。そうすれば、傷の数が減るかもしれない。
 そう決断して歩を進めた直後、
「なっ…………!?」
 言い様の無い違和感に、思わず足を止めていた。
 全身にまとわりつく悪寒。吐き気さえ催すそれは、紛れもなく殺気だ。あの戦争で嫌というほど思い知った、純粋なる一つの感情。
 だが妙だ。殺気であることは間違いないのだが、どうにも違和感がある。どちらかというのならば、これは肉食獣が獲物を見つけたような感覚だろうか。とてもではないが、人間の放つものではない。
 そもそも、誰が放っているものなのだろうか? 辺りには人影すらも見あたら……いやはや、そうでもなかったらしい。
 間抜けな話だ。霧で視界が悪くなっているとはいえ、正面に佇む相手に気付かないとは。
 黒のトレンチコートに黒い帽子を被った、三十代の男性だ。なにか武器を持っているわけでもない。不自然な点は……そう、眼が真っ赤なことと、口元から見える二本の牙くらいだろうか。
 牙? 吸血鬼じゃあるまいし、なんでそんなものが……って馬鹿か俺は。あの戦争を思い出せ。いまさら吸血鬼が存在していようが、驚くほどのことじゃない。そもそも知識としてはいつだか遠坂に教えてもらったはずだ。ろくに聞いてなかったという事実もあるが。
 なぜこんなところに、というのも問題ではあるが、それは今考えることではない。
 今は、どうやら俺は獲物に見えているらしい、という一点のみ。どうみても説得和解は不可能のようだ。あの眼は、完全に食料を前にした獣の眼だ。
 体の隅々に魔力を通し、戦闘に備える。そのまま、いつもの呪文を口にした。
「――投影、開始」
 作り出すのはあの双剣、干将莫耶。これより威力のある武器はいくらでもある。が、この剣こそは俺自身が「担い手」になりえる唯一無二の武器だ。
 虚空に浮かぶ、存在しないはずの柄に手を掛ける。幻想は即座に形を成し、我が命に従う剣へとその姿を変えていく。
 剣を強く握り締め、こちらにゆっくりと近づいてくる相手を見据えた。
 あいにく、俺は吸血鬼の戦闘方法に関する知識など無いに等しい。だから、相手がどうやって攻めてくるかなど理解できるはずも無い。
 だが、それはさしたる問題ではない。戦闘では相手の手の内が分からないことなど常。 用はどんな相手にも勝ちうる、絶対の強さを身につければいい。と、セイバーにも言われたことがある。
 まあ、俺の力など大したことはないわけで。だからこそ、手の内が読めない相手には、自分が出来うる最良の一手を持って立ち向かうのみだ。
 距離はおよそ十メートル。こちらからは仕掛けない。そもそも、双剣は守りに有利な武器だ。故に後の先をとることこそが必勝。
 そうして、眼を凝らしていた矢先に、フッと男の姿が掻き消えた。
「くっ――――!」
 ほとんど直感に任せたまま、右に剣を払う。勘で放った一撃は、死角から迫っていた爪による斬撃を受け止め――受けた剣ごと跳ね飛ばされる。
 そのまま壁に叩きつけられるところを、干将の柄で壁を叩くことによって防いだ。
 
 ――これが吸血鬼。

 冗談じゃない。眼で捉えられない速度といい、防御の上から跳ね飛ばす力といい、人間などまるで問題にならない。
 両腕はしびれ、まともに構えるのも一苦労。しかし敵は、わざわざ俺が構え終わるのをまっていたようだ。
 予備動作も無しで飛び掛る吸血鬼。頭部を抉り取る鍵爪を、すんでのところで受け止める。そのまま腹部に蹴りを叩き込み、反動を利用して距離をとった。
 そんな俺の動きについてこれず、奴のはなった逆の手は、コンクリート製の壁を易々と砕く。
 どうやら奴は、高すぎる身体能力に頭が付いていっていないらしい。付け入る隙があるとすれば、まさにこの点だろう。動き自体は、あくまで直線的なものに過ぎない。ならば眼が慣れるまで耐えられればなんとか――。
「がっ!…………」
 なら、なかった。
 眼を凝らしてみてみるも、あまりに速い突進速度に付いていけない。できたことは、首を刈る一撃を如何にか剣で相殺するのみ。が、それも力負けしてそのまま壁に叩きつけられる。
 しかし、間違いなくさっきよりは見えてきている。軌道自体はあくまで単純。これならば次の一撃は正面から受け止められるだろう。
 背骨にひびが入ったかのような痛み。正直呼吸するのも苦しいが、意識が飛ばないだけよしとしなくては。
 よろめく足に再度魔力を通し、力ずくで体勢を立て直す。
 不思議と相手は追撃してこない。今など絶好のチャンスだったはずなのだが……。と、吸血鬼の虚ろな目がぎょろぎょろと動き、やがて一点で止まる。無論、その眼は殺意をもって俺を見据えている
 どうやらこいつには連撃、という言葉はないらしい。一回一回にかならず数秒のタイムラグがある。ならば付け入る隙は存在する。単純な軌道とタイムラグ、これに付け込まない手は無い。
 目前にちらつく勝利の糸口。後はそれを全力で通すのみ――。
 迫り来る吸血鬼、その速度は今までを確実に上回る。心臓を切り裂かんと振われる斬撃。速度自体はまさに閃光。
 だが受けれる。あまりに愚直なその太刀筋。セイバーのものに比べれば児戯に等しい。迫り来る爪に、双剣を合わせる。受けきれずに吹き飛ぶ体。問題ない、ここまでは予想通りだ。
 叩きつけられ、体が悲鳴を上げる。ぐらりと揺らぐ足に渇を入れ、全身を駆け回る痛みを強引にねじ伏せ、瞬時に間合いを詰める。相手は反応できない。その眼はただぎょろぎょろと動くだけだ。
「フッ…………!」
 左右から交差するように迫る双剣。それは寸分の狂い無く、そのからだにアルファベットを刻み込んだ。
 腹部を切り裂かれ、そこから飛び散る鮮血が視界を赤く染めていく。鼻につくは血の匂い。体から、戦闘の緊張がゆっくりと抜け――。
「ぎっ…………!」
 突然振るわれたコブシに、否応なしに吹き飛ばされた。壁にめり込むほどの勢いで叩きつけられる。そのままずるずると地面にへたり込んでしまった。
 ごぼり、と喉をせり上がって来る赤い液体。
 力を抜いていたところに食らった一撃だ。あばらの数本は折れ、背骨さえ軋んでいる様な気がする。
 痛い。半端じゃなく痛い。が、そんなことは、ろくに体が動かないという事実にくらべれば大した問題ではない。
 なんとか顔を上げ、吸血鬼のほうを見る。そこには腹部から鮮血を迸らせながら、それでも平然と佇む化物の姿があった。
「あ…………」
 視界が白くなっていく。まずい。なにがまずいってこんなところで死んだら、あの二人に合わせる顔が無いのがまずい。
 先ほどとは打って変わって、一歩一歩踏みしめるように近づいてくる吸血鬼。その眼は、食料を得た喜びで溢れているように見える。
 冗談じゃない。こんなところで死んでたまるか。27の魔力回路を全力で奔らせ、これ以上ないほどに全身に魔力を通す。無理の反動か、叫び声を上げるほどの痛みが全身を駆け巡った。
 ――問題、ない。おかげで視界がはっきりしてきた。すでに意識は明瞭。戦闘にはなんの障害にもならない。
 だから問題は、
「あ…………」
 意識ははっきりしていても、体が本当に動かないことぐらいで。
 迫る吸血鬼。すでにその距離は二メートル。鈍く光る爪。三秒も経てば、俺はあれに貫かれて死ぬのだろう。
 一メートル。やつは爪を振り上げる。その殺意は一心に俺の心臓へと向けられている。
 死ぬ。このままでは死ぬ。冗談じゃない。動け。この程度でへばるな。
 動け動け動け動け動け動け!!
 だが、動けない。どれだけ無理しても立ち上がれない。そんな俺を嘲笑うかのように、やつは爪を高々と振り上げ――。

 ――耳を劈く轟音。

 呆然としている俺の顔に、ぴちゃりと雫が飛んできた。爪は俺に届くことなく、奴はゆっくりと仰向けに倒れこむ。悲鳴を上げる暇すらなく、奴はその場で事切れていた。 
 見れば、その吸血鬼に本来付いているべきもの――ようは頭部――が粉微塵に吹き飛んでいる。が、死体を晒していたのもほんの一時、その体の悉くが灰となり、闇へと溶けて消えていった。
 ああ、つまり今の音は銃声だ。で、こいつはそれで殺されて。ってことは、俺は助かったということか。
 あ、まずい。そう理解したら、途端に気が抜けてきた。意識がだんだんと白くなっていく。まあ、問題ないか。何せ俺は助かったわけで、誰かが銃で助けてくれたわけで――。
「…………!」
 って、のんきに気絶してる場合じゃない。敵の敵は味方とは限らない。だったら銃を撃ったやつが味方だなんて言い切れるわけないじゃないか。
 コツコツと、ブーツが石畳を叩く音。考えるまでも無く、銃を撃ち、俺を助けた人だろう。もっとも、そのまま俺も殺さないという保障はないが。
 散らばる意識を纏め上げ、音のしたほうに顔を向ける。
 視線の先はまさに闇そのもの。一切を現さないその中から、まるで闇を侵食するように、紅いコートが姿を表した。

 ――途端、意識が凍りついた。
 
 二メートルさえ届くであろう長身。夜だというのにサングラスをしており、それが着ている紳士服との組み合わせで異様な雰囲気を作っている。紅いコートを棚引かせ、馬鹿馬鹿しいほどに巨大な二丁の拳銃を持つ姿は、絶対的な威厳を備えていた。
 だが、そんな外見など些細な問題にすぎない。
 背筋を伝う悪寒。それはかつて無いほどに強烈だった。あまりにも強烈過ぎた。あの狂戦士や英雄王でさえ到底とどかない、絶対と言い切れる死の象徴。死神と遭遇したのではないかと思うほどに濃厚な死の匂い。
 しかし、それでさえ序の口にすぎない。恐らくは、解析を得意とする俺だからこそ理解できた事実。
 目の前の存在には、強烈な封印が懸かっている。それは、低級な英霊ならば存在そのものを消しかねないほどに強烈なものだ。そして目の前の死神は、そんなものを掛けられて尚、絶対的な死の象徴になりえる存在だった。

 ――なんて、化物。

 だが、恐怖はない。悪寒はあっても、一切の恐怖は感じない。それは恐らく感じられる限界を超えてしまっているからだろう。だから俺は躊躇なく、その化物に視線を合わせることが出来た。
 禍々しくも美しい、その赤い瞳。すべてを射抜く力強さをもったそれは、如実に一つの言葉を語っていた。
「めんどうくさい」
 …………あれ? いやでも、どう見てもこの表情はそう言っているのだが。なんだかこの場に全然相応しくない感想のような気がする。
「マスタ〜」
 そして、場の雰囲気を叩き壊すような……いや、違うか。妙な空気に拍車を掛けるような、なんとも気の抜けた声が当たりに響き渡った。
「グールの処理終わりましたけど……って、民間人ですか!? えーと、えーと、どうすればいいんですかこの場合?」
 と、なんだか俺にとっては新鮮な慌てぶりを発揮しながら、声の主はやってきた。
 年のころは、俺と同じくらいだろうか。すこし童顔で、無邪気さを感じさせる美人だった。……なんというか、俺のまわりにはいないタイプだ。眼の覚めるような色彩の――なにしろ黄色一色だ――婦人警官のような服装も、不思議と違和感がない。違和感というならば、彼女が手にもっているやけくそなサイズのライフルのほうが違和感の塊だろう。
 ちなみに、どうやら彼女も人間ではないらしい。口元からは牙が見えるし、なにより全身に溢れる魔力は人間のそれを遥かに凌駕しているのだから。
 そしてそんな婦警さん(俺命名)は俺を指さすと、あたふたとしながら自分のマスターに指示を仰いでいる。
 ……いやまあ、その姿は微笑ましくさえあるんだが。もしこのマスターが殺せといったら俺は死んじゃうんでしょうか?
 そんな俺も思惑を知ってか知らずか、そのマスターは限りなくめんどうくさそうな口調で、
「婦警、こいつは一般人ではないようだ」
 と、告げた。うむ、婦警というあだ名は正解だったらしい。ちょっと感動。
「へ? えーと……それは一体どういう――」
「それなりではあるが、魔力を感じる。どうやらこいつは魔術師らしい」
「魔術師…………!?」
 と、心底驚いた、といった表情をする婦警さん。面白いくらいにころころと表情が変わる人だ。まるでどこぞの虎のよう。
「そういえば、お前は会ったことが無かったか。インテグラとて、真似事くらいはできるのだがな」
「ええ!? インテグラ様が!?」
「ああ……まあ、それは本人にでも聞いておけ。それと、この小僧のことだが――」
 その一言に、全身が激しく緊張した。なにしろ命が懸かっているのだ。体はいまだに動かないが、そんなことは些細な問題だろう。
 完全だろうが万全だろうが、おそらくはセイバーと遠坂が居たとしても、この化物に勝てる気がまったくしないのだから。
「名前を聞き出して、協会に名前と状況を伝えて置け。これで貸しが一つできる」
 ほっと胸を撫で下ろした。とりあえずは助かった。
「わかりました。……あの、マスターは?」
「帰って寝る」
 呆然とする婦警さんをよそに、赤い闇はとっとと帰路に向かっていた。それを見届けると、俺はほう、と肺にたまった空気を吐き出す。いやだって、あんな奴の傍にいるのはそれだけで心臓に悪いし。おかげでずいぶんと空気が軽くなったような気がする。
 婦警さんは、えーと、えーと、なんて慌てながら俺のほうにくるりと向き直ると、
「は、は、始めまして」
 ぺこり、と頭を下げて挨拶してきた。 
 正直面くらったが、挨拶には挨拶で返すのが礼儀というもんだろう。俺はなんとか首を動かして、
「始めまして」
 と、こちらもぺこりと頭を下げて挨拶した。それに驚く婦警さん。いや、自分から振っといて驚くのはどうだろう。
「あ、あの、あなたの名前を教えていただけますか? 私はセラス・ヴィクトリアと言います」
 おずおずと尋ねてくる。
「衛宮です。衛宮士郎」
「衛宮士郎さんですね。では、ちょっと待っててください。そのうち助けが来ますから」
 ニコリ、と笑う。そのまま踵を返して駆け出そうというところに、
「あ、ちょっと!」
 と、声を掛ける。婦警さんはくるりと振り返った。
「なんでしょ?」
「いえ、助けていただいてありがとうございました」
 素直な気持ちを口にした。
 婦警さんはすこしだけ赤面しながら、わたわたと手を振ると、
「いえいえ、これも仕事ですから。では、少々お待ちください。多分二時間もすれば助けがきますから〜」
 と、返しそのままパタパタと駆けていってしまった。

「つかれた〜…………」
 いや、ほんとに。心からそう思う。
 ここまで疲れるのはあの戦争以来だ。そもそも、いくら魔術師だろうと命の危機など日常的にあるとは限らないわけで。
 で、こうして緊張が抜けていくと、やってくるのは一つの衝動。
 ――睡魔。
 そう、あの絶大なる力を持った悪魔のことだ。
 まあ、幸いそれほど寒くもないし、二時間もすれば助けが来るって言ってたし、第一体が動かないし。
 そう、こんなときは寝るのが一番だ。逆らう理由などあるはずがない。
 だから、つまりは、ようするに。
 ――全面降伏です。
 そうして俺の意識は、深い闇へと落ちていった。

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 あとがき

 まず、こんな駄文に付き合っていただき、ありがとうございました。

 ド素人のド初心者が、挙句の果てにはクロスオーバーの連載ものという暴挙にでてしまいました。
 SS初書ではありますが、あたたかく見守っていただけると感謝の極みです。
 ちなみに、ロンドンではそんなに霧なんて出ないとか・・・(泣)


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