想い重ねて(藤ねえのお見合い、その1)


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1: sasahara (2004/03/17 10:28:37)


 チクショウ、俺、一体何やってんだ。
 夜中の公園で衛宮士郎は一人呟く。
 そう呟いてみたところで今こうしている理由なんかやっぱりわかるわけもなくて。
 落としていた視線を元に戻してみると、やはりそこには変わらず栗色の髪をショートカットにした女が男と肩を寄せ合って歩いていたりするわけで。
 藤村大河は衛宮士郎の姉だ。血の繋がっていない姉。通称、藤ねえ。
 でも、血が繋がっていようがいまいが、やっぱり藤ねえは藤ねえなわけで、目の前の光景に理由もなく俺は苛苛していた。
 いや、本当は理由なんかとっくにわかっていたのかもしれないのだけど、この期に及んでもまだ俺はそれを認めたくはなかった。
 チクショウ、俺、一体何やってんだ。
 答えは出ない。
 どうやら衛宮士郎の頭脳を司る回路は今故障中らしい。



 想い重ねて



 俺、衛宮士郎がおかしくなったそもそものキッカケは、とある日の昼休み、まだ教室のみんながほとんど昼飯を食べている最中に後藤君が突然息を切らして教室に飛び込んできたことに端を発する。
 あの時俺が弁当をもう食い終わっていて教室にいなければ、とか後で思ったりもしたけれど、そんなイフの話は考えたって仕方がない。実際には、俺は教室にいたんだし、あの話を聞いてしまったんだから。
 ……本当に聞かなきゃよかったんだ、あんな話。

「なんだよ後藤、そんなに息切らしてよ、真夏のお化けにあったみたいな顔して? 葛木の幽霊にでも会ったか?」
「…た、た、た」
「田中真紀子が?」
「…い、い、い」
「井上和香に?」
「…へ、へ、へ」
「屁をこいた?」
「…ん、ん、ん」
「ンジャメナで?」
「…それは一体何の話でござるか?」
「いや、お前の言いたいことを俺なりに簡潔に翻訳してみたつもりだったのだが」
「お主の脳みそを一度レストアに出すことをお勧めする。いや、そんなことはどうもよいのでござった! そ、そう大変でござる、大変なのでござるよ!」
「大変なのは、お前の口調だ。いい加減、時代劇かぶれをやめろ」
「ええい、拙者の口調などどうでもよい! な、何とタ、タイガーが見合いするのおじゃる!」
「おい、今度は語尾が平安貴族になったぞ、……って、おい何だって?」
「タイガーがお見合いするのでごんす!」
「…度々スマン。どうも脳みそがお前の言った情報をうまく咀嚼できん。もう一度主語を言ってくれるか?」
「タイガーが!!」
「述語をプリーズ」
「お見合いをするのでありんす!!!」
「『ありんす』って、花魁か、お前は…って、はあ、『お見合い』と申すとつまり…」
「お・見・合・い。即ち、『一組の男女が互いに結婚相手としてふさわしいかを見るために会うこと』でござる!」
「ふんふん、お見合いってのは、やっぱそーいうことだよな。んで、『タイガーがお見合いをする』と。…なんだ、おかしくもなんともないじゃないか、日本語として極めて普通で意味の解釈に何ら問題を来たさない、一体何が大変なんだ……んん???………『タイガーがお見合い』???」
「「「「「「「「…………………………………」」」」」」」」
「「「「「「「「タイガーがお見合い!!!???」」」」」」」」

 俺は、その瞬間教室を震撼させたクラスメイト一丸となった雄叫びに思わず耳を押さえた。そして、後になって思う。あのままふさいどきゃ良かった、と。

「マジかよ、あのタイガーがか? デマじゃねえの、それ?」
「ホントでござるよ、今職員室に、プリントを取りに来いと斎藤に呼ばれて行ってきたのでござる。そしたら、机の向こうで教頭がタイガーにボソボソ話しかけていたのでござる。」
「それで?」
「こうでござる」
 教室はもはや収拾が全くつかないといった感じのありさまで、人の声が真にかまびすしくもやかましい。
 ところが、こんもりとした人だかりの中心となった後藤君が芝居心たっぷりに再現ドラマを始めると、騒然とした教室は再び静寂を取り戻した。皆が後藤君の一挙一動に注目する。
 どうも一人二役らしい。最近、後藤君は落語もお好きのようだ。

『そんな教頭、私なんて、まだ・・・』
『いやいや、藤村先生、こういう話に早すぎるとかそういうことはないのですよ。藤村先生はお若いし、きれいだし、良縁があっても全然おかしくないのに、未だに独り身でいらっしゃる。しかも浮いた噂一つ聞かないではないですか。』
『・・・・・・』
『あ、いや気を悪くしないで下さいよ。悪い意味で言ったわけじゃないのですから。つまりは、藤村先生ほどの方がいつまでも一人でいらっしゃるのは実にもったいないと僭越ながら、老婆心からそう思うわけでしてね。尤も、私は老婆ではなくジジイですがね、ハッハッハッ』
『・・・・・・』
『コホン。…別に私の紹介だからといって、そう堅くなることはないんですよ。ただ会ってみてね、よかったら、それに勝ることはなし、ダメならダメで、それもまた仕方のないことですからな。ただ人の縁なんてものは、どこでどう繋がるかわからないものですから、ま、会ってみても損はないのではないですかな?』
『そ、それはそうですけど…』
『それとも藤村先生は、私の甥っ子なんかは会ってみるまでもない、と?』
『いえ、そんなとんでもない』
『では、決まりですね。良かった、良かった。これで妹に是非にと頼まれた私も一安心です。藤村先生ほどの器量よし、お見合いでもそうそうお目にかかりませんからな。仲人をしたとなったら、私としても鼻が高い。』
『きょ、教頭、まだ私は伺うとは…』
『善は急げです。早速、明日の六時に新都グランドホテルのロビーということでいかがです? いや、でも藤村先生にウンと言って頂いて本当に助かりましたよ。感謝、感謝。では、失礼しますよ。明日、六時に新都グランドホテル、ロビーですからね。心配しなくても、私の甥はいい男ですよ、何せ、私の甥ですからな、ハッハッハッ』

 カンラカンラとまるで時代劇に出てくるご隠居のような笑い声とともに胸元に扇子をはためかせながら立ち去る教頭の真似までしたところで後藤君は一人芝居を終えた。
 途端に教室は再び激しい喧騒に包まれた。

 女子のキャーと言う歓声。
 ウッソー!!
 お見合い!?
 相手の人カッコいいのかしら?
 ちょっとステキかも。
 えー、私やっぱお見合いじゃなくて、断然恋愛結婚したいな。
 あんたの顔じゃあ無理よ。
 何よ、ひどいわね。でも、なんかちょっとラブロマンスの予感ってやつぅ? タイガーもやるじゃん。

 男子のマジかよ!という声。
 何だよ、ショックだなー、俺タイガーのこと憧れてたのによー。
 お前趣味悪いぞ。
 でもタイガーって、よく見るといい女じゃね? 性格もちょっとアレだけど、悪くないし。ああいうさっぱりした女俺結構好きなんだ。
 うむ、拙者同感でござる。
 あ、そういわれてみりゃ、そうかもしんねえよな。…相手の男うらやましいかもな。
 同感、同感。


「なんか、すごい騒ぎになってるね、士郎?」
「…」
「士郎?」
「……」
「士郎?」
「………」
「士郎!!」
「…………」
「士郎ったら!」
「………………」
「し・ろ・う!!!!」
「うわ! な、何だよ、遠坂。鼓膜が破れるかと思ったじゃないか。あ、耳を引っ張るな、痛い、痛い!」
「士郎がボーッとして気づいてくれないからじゃない」
「え? 俺ボーッとしてた?」
「これ以上ないってくらいボーッとしてた!」
「あ、そうか、それはスマン」
「ま、別にいいけど。でも、見合いするってだけで、なんだかすごい騒ぎよね。藤村先生って、ああ見えてやっぱ人気あったのね」
「そうな」
「何よ、士郎、苦虫を噛み潰したような顔して。あ、私の作った卵焼き失敗してた? ひょっとして砂糖と塩、間違えてたりとか?」
 遠坂が箸を持ち上げると、俺の弁当箱からヒョイと卵焼きを摘み上げる。モグモグとそれを咀嚼して、何よ美味しいじゃない、と言いたげな顔を俺の方へと振り向けてきた。
「いや、そんなことはないぞ。よく焼けている。さすが遠坂だ」
「そうそれならいいけど、ならどうしたの? なんか士郎スンゴイ恐い顔してるわよ」
「そうか?」
 俺は両の掌を顔まで持っていくと、それで無理やり頬の筋肉を解きほぐしてやる。遠坂に言われるまでもなく、今自分の顔が引きつっていることくらいはよくわかる。グニグニともみほぐしてやると顔はどうにか柔らかさを取り戻した。
 頬は柔らかさを取り戻したが、心はまだ硬く凍ったままだ。
「悪い、遠坂、俺ちょっと用事思い出した。先に弁当済ませといてくれ」
 用事って何よー、という遠坂の声を背中に、俺は教室を後にした。廊下に出ると、足は自然と職員室の方へと向かった。
 ところが、わざわざ足を動かすほどのこともなく、教室を出ると廊下には藤ねえの姿があり、藤ねえは噂を聞きつけたクラスの女子から早速質問攻めにあっていた。
 先生、お見合いするってホントですかー?
 相手の人、どんな人なんですかー?
 写真ってあったりするんですかー? ウッソーだー、結構かっこいいんじゃないですかー?
 職業とか年収いくらとかってわかってるんですか? え? お医者さんらしい? 先生、それじゃ、玉の輿じゃないですかー。
 何か片付けの用事でもあったのか、両手に教材らしきものを抱え持ったまま廊下で女子に囲まれて立ち往生している藤ねえは女どもの激しい攻撃に困っているようでいて、どこかその表情は嬉しそうで。
 …実際そうだったかどうかともかく、少なくとも俺にはそう見えた、そう見えてしまった。
 どこかでガチャンと重い扉の閉まる音が聞こえたような気がした。ガチャン。ギギー、バタン。そして、暗転。
 俺は静かに180度自分の身体の向きを帰ると、教室の方へと踵を返した。
 遠坂曰く、何よ、もう用事ってのは済んだの?
 …ああ、済んだ。
 その後、喋る気も起こらないのでただ黙々と箸を動かして弁当の中身を片付けていたら、遠坂が何よ士郎ったら上の空で全然私の話なんか聞いてない!とキレた。
 全く向こうの言うとおりなのでスマンと頭を下げると、遠坂は何が気に入らないのか、フン、そんなもんじゃ許してあげないんだからね、と顔を横に向けた(これは遠坂が拗ねるときの仕草だ)。そして、ノシノシ・ズカズカというような擬音を立てそうな足踏みでもって俺の教室を後にした。
 なんだか海に帰っていくゴジラみたいだな、と妙なことを考えていたら、俺の心が読めるのか、遠坂はいきなりこちらを振り向くと、大きな声で「後でお説教なんだからねー、士郎ッー!!!」と、のたまった。一体、なんでお説教されなければならないのか、さっぱりだが、泣く子と遠坂には敵わない。甘んじて罰を受けるとしよう。


 そんなこんなで、午後の授業は自主休講することにした。
 藤ねえの英語があったのだ。
 いや、それが理由かどうかは知らないけど、衛宮士郎がその日午後の授業をサボったことは紛れもない事実だ。
 授業時間中、屋上で何をするでもなくボーっと寝ッ転がっていた。
 6時限目のチャイムが鳴ってしばらくしてからフッと身体を起こした。
 今頃藤ねえは「私の英語をサボるなんて、おねえちゃんは士郎をそんな悪い子に育てた記憶はないわよー」なんて泣き顔で言ってたりするんだろうな、とか思ってたら、妙におかしくて笑えた。
 それで一人で屋上で忍び笑いをしていたら、なぜだか急に泣きたくなってきて。
 え? 嘘だろ? と思ったときにはもう遅くて、涙が頬をボロボロと伝って落ちていたりした。
 そんな状態がしばらく続いたのか、笑うのと泣くのとで疲れてしまって、いつのまにか眠ってしまったらしい。
 ふと目覚めたら、既に日は落ちかけていて屋上の空気は少し肌寒かった。
 あれ、なんか腕が重いやなんて思ったら、横にはなぜか遠坂がスースーかわいい寝息を立てて眠っていたりした。
 気まぐれに遠坂のサラサラした髪に手を入れて軽く梳いてやると、夕暮れの日の光が髪の隙間を通して反射して無茶苦茶キレイだった。
 やっぱり、遠坂っていい奴だよな、と心から思った。


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