凛の話 - ルヴィアゼリッタとセイバーと士郎の日


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1: ukk (2004/03/16 17:24:04)


食卓に肘をついて、手にあごを乗せる。
近くに居てくれるのって、こんなにいいもんだったんだ。
部屋の中には、良い香り。士郎が晩ご飯を作っている。
私は座って、完成を待つ。

時計塔に来て、良かったこと。
士郎が、毎食作ってくれる。


誰か来たみたいだ。
セイバーが席を立って玄関に行く。


厨房の中を、行ったり来たりする士郎が見える。
それを目で追う。
なんでもないことなのに、嬉しい。
「えへへ。なんか、いいな」
食卓の上に身体を伸ばす。
ごろごろする。
今の私は、きっと、しまりの無い顔だろう。
こんなに口元が緩んでいる。


セイバーが、玄関から戻ってくる。
手には、手紙。
「協会から、依頼です」

せっかくいい気分だったのに。
一気に台無しになる。


協会名義の依頼。
形式上は依頼だが、私は、その研究機関に属する学徒。
限りなく命令に近い。
わざわざ、公式の依頼書で通達してきたのだ。
中身の相場は決まっている。
面倒なこと。それも、とてつもなく。

幸い、受け取ったのはセイバー。
ついでに開封、内容の確認をしてもらう。

もし、気が進まないことなら、知らなかったことにしてしまおう。
実際、私は全く手を触れていないし、読んでもいない。

確かに私は学徒だ。
だけど、おいそれと言うことを聞くつもりは、毛頭ない。
例え相手が時計塔であっても、依頼は選ぶ。
支払うべきは、きっちり支払ってもらう。


「術式解析?」
「ええ。いろいろと修辞してありますが、要約すると、そういうことです」
「そんなことで、この報酬?」
私の成績は、確かにトップクラスだ。
しかし、それを考慮に入れても、なお多い。
「加えて経費まで協会が出すの?やっぱり、訳ありね」
どうやら、聞かなかったことにしたほうが良さそうだ。
「ところで、パートナーが指定されているんですが」
「誰?」
「ルヴィアゼリッタ=エーデルフェルト、と読めます」
「……」
聞くんじゃなかった。
これでは、引き受けざるを得ない。

「どうしたんだ、遠坂。急に不機嫌になったな」
士郎が晩ご飯を運んでくる。
「ちょっと、ね」
もし私が、依頼を受けなかったとしたら。
ルヴィアゼリッタは、ここぞとばかり、あの高笑いをするだろう。
なんて嫌なやつ。
「対抗上、面倒な仕事を請けざるをえなくなったのです」
「ははあ。もしかして、ルヴィアゼリッタ絡みか」
「正解です、シロウ」

あれ。意外なやつから、嫌なやつの名前が出た。
「士郎。なんでその名前を知っているの」
「前、講堂まで遠坂を迎えにいっただろ。そのときに、ちょっと、な」
厨房に戻っていく。

「リンはルヴィアゼリッタと舌戦の真っ最中でした。そのときにシロウが来たので、私が教えました」
しれっとセイバーが言う。
「派手で、わがままで、鋼鉄の猫被りで、他人をからかうのが趣味で、優秀な学徒で、リンとことあるごとに衝突する、と」
まあ、間違ってはいない。
「まるでリンにそっくりだ、とも」
それは間違っている。
私はルヴィアゼリッタほど、派手で、わがままで、猫被りで、他人をからかう人間じゃない。
「二人の舌戦を眺めていたシロウも、納得していました」
なんだと。
鍋を持って入ってきた士郎を睨む。
「う。な、なんだ、遠坂」
士郎が立ちすくむ。
「話があるわ」
でも、とりあえず。
「リン。今は食事にしましょう」
「そうね。士郎も食べとかないと、説教の間、もたないわよ」
がっくりと席に着く士郎。
「俺、なんかやったのか」


依頼書が到着して、二日後。

ルヴィアゼリッタの家に行く。
家というよりは屋敷、立派な洋館なんだけど、口に出すのは、気に食わない。
用件はミーティング。
本当はルヴィアゼリッタの巣になんか、行きたくない。
しかし、学院から渡された資料が多くて、私の部屋では全部を広げられないのだ。
それに、私の部屋の中には、工房がある。
封印をしてあるとはいえ、相手はルヴィアゼリッタ。
私に解ける封印ならば、解けるだろう。
しかたのない選択の結果として、ルヴィアゼリッタのところになった。

セイバーと、あと、ちょっとした思惑があるので、士郎も連れて行く。

橋を渡って商店街を抜け、公園を通って郊外へ。
ルヴィアゼリッタの家に着く。
「はあ。ずいぶんと立派な洋館だな」
士郎の足を蹴飛ばす。
セイバーは、やれやれ、という顔。
文句を言いたそうな士郎を無視して、ノッカーを鳴らす。
士郎なんだから、少しは私に気を使いなさい。


出された紅茶を飲みながら、待つ。
やはり、いい葉を使っている。
一緒に出された菓子も美味しい。
セイバーが、頷きながら食べている。
どうやら、気に入ったらしい。

待たされること、少々。
執事が、用意が出来ました、と呼びにきた。

「それじゃ、士郎。わかっているわね」
「おう。なんとかやってみるよ」
セイバーが真剣な表情で念を押す。
「シロウ。どうか、くれぐれも、お願いします」
「お、おう、なんとか……いや、わかった、ちゃんとやるからそんな顔するなって」
士郎を残して、客間を出ていく。
執事の後をついて、ルヴィアゼリッタのところへ移動する。

歩きながら、朝の会話を回想する。


「士郎もついて来るのよ」
「なんでさ。俺がいても、何も出来ないだろ」
「リン、弟子を連れて行く理由はありませんが」
「そうじゃなくて。士郎を親しい友人として紹介するから」
「なんか意味あるのか、それ」
疑問顔の士郎とセイバー。
「そうすれば、客人として、士郎にもお茶と何かお茶菓子が出るでしょ」
「そりゃまあ、出るだろうな」
「私たちがミーティングしている間に、その味を盗んできなさい」

「はあ?」
「執事に頼んで、レシピを教えてもらうのでもいいわよ」
口惜しいが、あの家にお金があるのは事実。
ルヴィアゼリッタはその使い方を知っているから、ちゃんとした人材を雇ってるはずだ。

「ついでに、良い紅茶があったら貰ってきてね」
「えーと、つまり」
「そう。腕を向上させるために、ついて来るの」
「リン。あなたは、シロウをなんだと思っているのですか」
呆れたようなセイバー。
「あらセイバー。士郎が美味しい菓子と美味しい紅茶の淹れ方を覚えるの、不満?」
「う、いえ、それは歓迎しますが」
「なら、問題なしね」


回想を断ち切る。
図書室の前。
中では、ルヴィアゼリッタが待ち構えている。
お腹に力を入れる。
執事が、扉を開ける。

広げた資料を読むこと、三十分。
概要は掴めた。
「何が術式解析よ。立派な防壁破りじゃない」
しかも相手は、いわゆるBlack-ICE。
今までに、何十人も喰われている。
難易度の高い、繊細で、命がけの仕事になりそうだ。

ミーティングは、日が落ちるまでかかった。

士郎は、執事とずいぶん仲良くなっていた。
帰り際に、今日出された紅茶の葉と、お茶菓子のレシピを受け取る。
二人は、がっちりと握手。
「困ったときは、いつでもどうぞ」
「はい。よろしくお願いします」

帰り道、どうやって仲良くなったのか聞く。
立場に共感とか何とか。要領を得ない答え。
でも、セイバーは、それだけで分かったらしい。
納得している。
私はよく分からない。
問い詰める。
二人とも、笑ってごまかすばかり。

結局、答えは聞けなかった。


それから、さらに二日後。

地下室の封印が解かれる。
石扉を押し開ける。
埃の匂いとともに、流れ出す中の空気。
室内に足を踏み入れる。
室内の明かりが自動的に点灯する。
地下室にしては高い天井からは、薄い雲を通して降ってくるような、淡い光。
入り口上部からは、ここまでくれば安全、ということを誇示するかのように、強い光。

その部屋の奥。
黒い立方体が置かれている。

「これね」
資料で姿形は知っていたが、実物を拝むのはこれが初めてだ。

何十人も飲み込んでいる攻性防壁。
Black-ICEにふさわしく、色は真っ黒。
大きさは、ハロッズの缶ほど。
外装は紫水晶のはずだが、施された魔術の影響か、濁り、光を透さない。
頂点が、部屋の明かりを反射して、鈍く光っている。

この防壁は、そうそう突破できるものではない。
実力がなければ、喰われて消える。
そういうわけで、この部屋は封印されていた。
突破できるのではないか、と思わせる実力を持つ学徒が現れるまで。

「んで、ここまでが射程距離か」
きっちり四百フィート。
チョークで、石畳に線を引く。
防壁を叩いたとき、この線から一インチでも中にいたら、捕まる。

捕まったら、どうなるのか。
資料を隅々まで検分したが、詳細は分からなかった。

魔術師は、大体において秘密主義だ。
防壁の事前調査は、記録に残っている。
しかし、侵入作業の記録は、どこにもない。
話を聞こうにも、挑戦した魔術師は、そのことごとくが喰われている。
ごくまれに生き残っていても、とっくに寿命だ。
あがっている報告書もほとんどない。

協会から渡された資料。
事前調査の結果と、食われた魔術師の工房を荒らして回収したもの。
あとは、申し訳程度の数しかない報告書。
書式も規模も内容も、まるでばらばら。
読むだけで、一苦労だった。
それでも、整理すると、多くのことがわかった。

防壁に喰われた対象は、内部に捕らわれること。
内部から使い魔の使役が可能だということ。
詳細は不明だけど、防壁の射程は四百フィートきっかりであること。
外装の損傷は、比較的短時間で自動修復されること。
その際、加えられた攻撃方法を学習、外装を組み直して耐性をつけること。

用意してきた探針。
射程ぎりぎり、四百フィートと一インチのルビーの線。
これに魔力を通して、射程外から防壁に侵入する。
探針が長いほど、魔力が到達するまでに遅延が生じる。
ほんのわずかの遅延だが、それでも繊細な作業には障害になる。
だから、探針はぎりぎりの長さほどいい。
防壁に接触させる。
石畳に引いた線から、一インチだけ、飛び出る。

しょせん探針なので出来ることは限られているが、身の安全には代えられない。

今日やることは、これでお終い。
明日、防壁に侵入する。

部屋を出る。
明かりが自動的に消える。
石扉を閉めるとき、防壁が一瞬、廊下の照明を反射する。
ふん。今は嗤っていればいい。
明日。
日が暮れるまでに、黙らせる。


朝。
士郎の朝食で気合を入れる。
部屋にいって、持っていく宝石を物色する。
経費を協会が持つのだから、遠慮することは無い。
ここぞとばかりに、強力な宝石ばかりを選ぶ。

最後に、赤いペンダントを持つ。

地下室への階段で、ルヴィアゼリッタと待ち合わせる。
向こうも、使える宝石の中で、強力なものばかり持ってきたらしい。
箱に収められた状態なのに、あふれるような存在感。

石扉を開ける。
ルヴィアゼリッタ、セイバーと並んで入る。
部屋の明かりが灯る。

相手は攻性防壁。侵入されそうになると、攻撃がくる。
一応、射程距離外から接続するが、それでも過去、何人も食われている。
その攻撃方法も、詳細は不明。用心に越したことはない。
セイバーを待機させる。
宝石を身に付けられるだけ、身に付ける。

士郎が迎えに来る夕方までに、ケリをつけよう。

準備を終えたルヴィアゼリッタが、頷く。
身に着けている宝石の総額はちょっとしたものだ。
もちろん、私だって負けていない。
二人の総額を合わせると、小さな都市の年間予算くらいある。

私とルヴィアゼリッタが、たまたま、同じ鉱石学科にいた。
それが、この防壁にとっての不幸。
今日、引導を渡してやる。


まずは、前哨戦。
防壁に接続。表面から覗いてみる。

暗号化してあった。それは、予想通り。
ただ、その強度。並みの強度じゃない。


防壁とは、魔術的な迷路と壁の組み合わせだ。
もっとも原始的な防壁は、壁しかない。
まとも防壁だと、侵入者に構造を把握させないように、迷路になっている。

さらに一歩進んで、侵入者に攻撃を仕掛けてくる防壁が、攻性防壁だ。

侵入を検知したら、侵入経路を逆にたどり、侵入者を探す。
発見したら攻撃。力尽くで追い払う。
防壁の目的は侵入阻止。相手を追い払えればいい。
攻撃するのに必要な魔力コストが、守っているものの価値よりも高くなっては、本末転倒。
だから、通常の攻性防壁は命を奪うほどの攻撃は仕掛けてこない。
逆に言うと。
対象の生命を奪うような攻性防壁の中には、それだけのものがある。

どんな防壁でも、正規の使用者が通過できないようでは、意味が無い。
そのために、鍵、というものがある。

特定の経路をたどる。
特定の信号を流す。
なんでもいい、正規の使用者と分かる、特定の何かを提示する。
すると、チチンプイプイ。開け、ゴマ。
壁が、迷路が、消えてなくなる。

基本的に、鍵には何でも使える。
魔術刻印、武器、食べ物。魂の波動、なんてのも可能だ。
しかし、鍵の判定をするのは構成された術式。
判定基準を全てクリアすれば、偽者でも鍵とみなされて、防壁は解ける。

術式を暗号化すると、鍵を探しにくくなるので、単純に防壁の強度が上がる。
ただし、暗号化は諸刃の手段だ。
組み方次第だが、暗号化すれば、術式の動作は遅くなる。
侵入の検知速度も、経路の逆探知も、鍵の判定速度も、全てが遅くなる。

私たちがやろうとしているのは、いわば、鍵の偽造だ。
防壁の中を探り、鍵の判定基準を見付けて、それに合うようなものを偽造する。
しかし、相手は攻性防壁。
いい加減に手を突っ込んでかき回すと、手痛い反撃が待っている。


慎重に、走査する。
どうやら内部に、次元を折り畳まれた空間がある。
飲み込まれた対象は、ここに放り込まれるのだろう。
この防壁の中身を手に取るのは簡単だが、外に持ち出すのは、難しい。

何が入っているかは分からない。
まあ、素直に中を見せるようじゃ、防壁の意味がない。
だけど、何かを隠し持っていることは確信できた。

士郎を連れてくれば良かったかも。
もとより、構造解析には長けている。
倫敦に来て、腕はだいぶ上がった。
今のアイツなら、どれほど暗号化してあっても流れを追える。
簡単に構造把握できるだろう。
でも、士郎には復号化した術式を構築できない。

肝心なのは、術式の復号化と、鍵の生成。
結局、私とルヴィアゼリッタでやるしかないか。
走査に戻る。


接続を遮断。
正直、難しい。
ルヴィアゼリッタの持ち込んだ椅子に座る。
私の持ち込んだ紅茶セットで一息つく。
「全部教えるわ。一緒にした仕事で死なれては困るもの」
ルヴィアゼリッタも頷く。
「ええ、同感ですわ」
入手した成果を交換する。
ルヴィアゼリッタの成果も、私と大差なかった。

「あなたは、何か気付いたことある?」
セイバーに聞いてみる。
私たちが接続と試みていた間、ずっと周囲を警戒していた。
何か、気になっていることがあるようだ。
「今、気付いたのではなくて、資料を見たときから気になっていたのですが」
紅茶を一口飲む。
「安全距離が分かっていて、喰われた人と、そうでない人がいるのはなぜでしょうか」
え?
「もうちょっと、話してくれる」

「報告書の中に、自分には無理だ、と報告したものがありました」
確かにあった。年老いた魔術師の報告書だったはず。
「その報告書では、安全距離ぎりぎりから接続していました。今のあなたたちのように」
先を促す。
「でも、その後に挑戦した若い魔術師は、喰われています。同じ方法をとったにもかかわらず」
防壁がこの地下室に安置されて、最初の挑戦者だった。
「その次に挑戦した老魔術師は、同じ方法で生き残りました。でもそれ以降は、皆、喰われています。この違いは、いったいどこから来ているのか。ずっと気になっていて」
安全距離を確保して、喰われたものとそうでないものの違い。
油断。距離の計測ミス。あるいはその他の理由。
考えられる要因は、多い。

しばらく考えてみる。
しかし、今、分かっている情報では、セイバーの疑問に答えは出せない。
悩んでいても進展がないので、切り上げる。

もう少し表面を覗いてみれば、何か分かるかもしれない。
休憩を終わりにして、走査に戻る。


三十分後、二度目の休憩を取る。
たいした成果はない。
鍵の判定場所を一ヶ所、見付けたくらい。
ルヴィアゼリッタは二カ所。
ただ、ルヴィアゼリッタの見付けた場所は、同じ判定を複数回やっているようだ。
つまり、実質一ヶ所。

判定場所を刺激すれば、なんらかの手掛かりが得られるだろう。
記録してそれをたどれば、中の流れも追える。
いずれやらなければいけない。
しかし、これを叩けば、攻性防壁が作動する。
その前に、情報は取れるだけ取っておきたい。
さっきのセイバーの疑問もある。


三回目の休憩。
叩いてみるしかないか。
そういう結論になった。
走査だけでほぐすには、暗号化が複雑すぎる。
流れをだいぶ追ったけど、足りない。
実際に防壁を走らせて、いままでの情報とつき合わせてみないと無理だろう。


まずは、ルヴィアゼリッタが接続。私は記録をする。
ルヴィアゼリッタが慎重に、探針に魔力を流していく。
委細洩らさず記録していく。
「それでは、いきますわよ」
「ええ、いつでもどうぞ」

防壁を叩く。

攻性防壁が起動する。
高強度の暗号化がかかっているわりに、早い。
検知回路が侵入を走査。
ルヴィアゼリッタの接続を発見。記録をしている私の接続も発見される。
侵入経路を探す。すぐに完了。
経路を逆走。侵入者の位置を特定する。
攻撃回路に魔力が走る。

黒い立方体、その頂点の鈍い光が、消える。

攻撃が、来る。


身体に衝撃。
「なんで!」
捕まった。

即座に離脱、できない。
身体が重い。空気が重い。動くのに抵抗がかかる。
まるで、泥の中を泳いでいるようだ。

でもなぜ、捕まった。射程外なのに。

ルヴィアゼリッタも捕まっていた。呆然と、こっちを見ている。
でも、それは一瞬。

すぐに頭を切り替える。捕まった理由を探る。

攻性防壁の射程は四百フィート。
ぎりぎりに立っていたとはいえ、射程外に違いは無い。
射程内にあって、私とつながるもの。
何も無い。

いや。そんなはずはない。
肝心な何かを見落としているのだ。

喰われた、魔術師。
生き残った、魔術師。
違いは何。思いつく限り、並べる。
技量。専科。経験。年令。風貌。体格。

周囲を見回す。
地下にしては高い天井。
大理石の敷き詰められた床。
巨大な石板で組まれた壁。
入り口を密閉している石の扉。
その上に点いている照明が、私を照らしている。


年老いて、腰を曲げて杖にすがる、自分の技量を分かっている魔術師。
若くて、背を伸ばして立つ、自分を過信している魔術師。

私を照らしている照明。


わかった。

喰われた魔術師と、生き残った魔術師の違い。
射程内にあって、私とつながるもの。
それは、一つしかない。

「ルヴィアゼリッタ、影よ!」
「ミストオサカ、影です!」
全く同時に結論にたどり着く。

それを肯定するかのように、自分の影に足が沈んでいく。


「セイバー!」
床石を砕きながら、疾風が踏み込んでくる。

私に体当たり。
入り口まで弾き飛ばす。
セイバーが、右足で床を蹴り飛ばす。
石畳が砕け、穴が開く。
今度は、ルヴィアゼリッタへ疾る。
「くっ!」
体当たりする寸前。
ルヴィアゼリッタの影とセイバーの影が重なった瞬間。
捕まった。

二人はどんどん沈んでいく。
影が飲み込んでいく。
すでに、太ももの高さまで飲み込まれている。
どんなにもがいても、抜け出せない。


ルヴィアゼリッタとセイバーを見捨てるわけにはいかない。
策は。
手持ちのカードを頭に並べる。

「リン、シロウを頼みます」
そんな言葉、聞きたくない。

何か、策は。
考えろ。

「リンがいるならば、大丈夫でしょう」
そんなことは、知らない。
工夫しろ、頭を使え。

「ミストオサカ。中で待っていますわ」
ルヴィアゼリッタが結界を展開。
セイバーとルヴィアゼリッタを包み込む。

「必ず、助けに来なさい」
洒落臭いことを言う。
救出するには防壁をこじ開けるしかないことを知っているくせに。

何か、何か策はないか。
何か、何か、何か、何かあるはず。
なんにだって答えはある。それを探せ。見つけ出せ。
可能性を探せ。方法を見つけ出せ。


答えを――――――

見つけた。これならいける。


赤い宝石のペンダント。
メッセージを記録する。
入り口の扉に打ち込む。
音を立てて、宝石がめり込む。
石扉に放射状のヒビが走る。
その中心に埋め込まれた、士郎への伝言。

これでよし。
覚悟を決める。

助走する。


二人の影に飛び込む。

驚いた顔の二人。
「結界を開けて!」
ルヴィアゼリッタが結界を開放。
着地。
私も影に飲まれていく。

ルヴィアゼリッタが結界を再構築。
私たち三人を包み込む。

その結界ごと、沈んでいく。


頼んだわよ、士郎。

完全に飲まれる。
視界が、闇に染まる。




「ふん。ここは、あの中ね。たいした構造だわ」
向き直る。
「そっちはどう思う?ルヴィアゼリッタ」
「あなたと同じ結論。ここは、あの防壁の中ですわ」
やっぱりか。
内部にあった、折り畳まれた空間。
そこに、私たちは捕らわれている。

かすかな光があるおかげで、周囲を見ることができる。
といっても、何もない。
上も下も、空間が広がっている。
足元には床の感覚がある。
しかし、ルヴィアゼリッタの結界を出てもあるかどうかは、分からない。
試す気もない。
浮いているとも、沈んでいるともいえない状態。

「どうでしょう、リン。やってみますか?」
セイバーの提案。
中からエクスカリバーを開放して、空間ごと破壊する。
幸いというか、私とルヴィアゼリッタは、質の良い宝石をかなりの量、持ち込んでいる。
フルパワーで打ち込んでも、その消費に耐えられるだろう。
だけど。
「たぶん、無駄ね」


この空間は、閉鎖系になっている。
大魔術を行使しても、中で吹き荒れるだけ。
そのうち、空間に吸収されて終わり。

放り込まれたものを溶かして、その魔力を取り出す。
対象が生物だろうがなんだろうが、とにかく溶かして魔力を取り出す。
ここにはそれだけの機能しかない。

つまり、炉なのだ。
防壁は与えられた攻撃に応じて外装を組み換える。
そのための魔力を、ここが提供する。

何かを入れるときのみ、外装側とこっち側がつながる。
その道を開けるのも閉じるのも、外装の回路がしている。
エネルギーを使うことは、全部外装側の担当。

もっとも、ここには、魔力がほとんど感じられない。
出来上がったものを炉の中に溜めておく理由はないから、当たり前といえば当たり前。
取り出した魔力は別の場所に一旦貯蔵。
必要になったとき、そこから外装が汲み上げる。

いままで取り込まれた人数を考えると、かなりの量が貯蔵されているだろう。

外面は、いかにも何かを秘匿しているように見える。

あれほど手の込んだ外装を備えているのだ。
中身も期待できるはず。
そう思って接続してきた相手を、取り込む。
溶かして魔力に変換。
さらに外装を強化する。

つまり、正体はただの罠。
学院も、私たちも、見事に引っ掛かったのだ。


「向こう側と直接つながるほころびがあれば、強引に破れるでしょうけど」
「それが無ければ、吸収されるだけだわ」


「ルヴィアゼリッタ」
「なにか」
結界を維持しているにもかかわらず、いつもと変わる様子はない。
私と主席争いするだけのことはある。
「あなたの宝石、強力なものを私に預けて」
さすがに、呆れた顔をされる。
「何をおっしゃっているのか、ご自分で分かってらして?」
もちろん、分かっていっている。
それがどれほど無茶なことか、ということも。
「私を信じて、ルヴィアゼリッタ。決して、自分の宝石を惜しんでいるわけじゃないわ」
私の手持ちだけじゃ、きっと足りない。
ルヴィアゼリッタの宝石が、必要になる。
「なにか策がお有りなのでしょうね」
「ええ。あるわ」


防壁に取り込まれた状態。
でも、私と士郎のレイ・ラインは、遮断されていない。

報告書の付記。飲み込まれた人の詳細。
最初に喰われた魔術師の危機を報せたのは、使い魔だった。
使い魔は、魔術師が消えたであろうその寸前まで、活動していた。
それは、レイ・ラインを通じて魔力が供給されていたことの証明。

これが、私の勝算。
誰も死なずに、帰還すろ方法。
私が見つけた答え。


勝算を説明する。
でも、肝心なところが話せないので、ルヴィアゼリッタが信用してくれるかどうか。
セイバーは、何も言わない。
ルヴィアゼリッタは、思案顔。
「そうですね。自分から飛び込んできたんですもの」
ため息をつく。
「わかりましたわ、ミストオサカ」
ルヴィアゼリッタが宝石を取り出す。
「あなたを、信じましょう」
受け取る。

「それで、私は、いつまで結界を維持していればよろしいのかしら?」
「私の弟子が、士郎が来るまでよ」
ルヴィアゼリッタが頷く。
「わかりました。それまで必ず、保たせてみせましょう」

「リン、私は寝ます」
セイバーは全て分かっている。
「そうね。時間が来たら、起こすわ」


セイバーは寝ている。
ここから出るためには、セイバーの力が必要だ。
でも、今は宝石を使えない。
消費は、極力抑えなければならない。
ルヴィアゼリッタは結界を張り続ける。


時間の感覚がおかしくなっている。
何時間経ったのか、それとも何日経ったのか。
とにかく、長時間経過したことしかわからない。
その間ずっと結界を張り続けているルヴィアゼリッタは、苦しいだろう。
でも、そんな素振りは見せない。


ルヴィアゼリッタの宝石が、また一つ、崩れた。
ここに閉じ込められて、どれだけ時間がたったのか。


ルヴィアゼリッタの額に、汗が浮かんでいる。
疲労のために、目の下に隈が出ている。
それでも、毅然とした態度を崩さない。
認めよう。私とルヴィアゼリッタはよく似ている。
決めたことはやり通す。
自分の矜持は、自分で守る。
そのためなら、どんな意地だって張る。


そんなルヴィアゼリッタを見守りながら。
私は静かに、士郎を待ち続ける。




そのとき。
"I am the bone of my sword."

届くはずの。
"Steel is my body, and fire is my blood."

ない声が。
"I have created over a thousand blades."

私の耳に。
"Unaware of loss."

たしかに。
"Nor aware of gain."

届く。
"With stood pain to weapos."

その詠唱が。
"Waiting for one's arrival."

聞こえる。
"I have no regrets. This is the only path."

「士郎が――――――」
"My whole life was――――――"

「――――――来たわ」
"――――――unlimited blade works"


「っ!」
一瞬、目の前が真っ暗になるほどの立ちくらみ。
身体から魔力を、ごっそりと持っていかれたのだ。

私から士郎へ。
魔力がレイ・ラインを通じて流れ込んでいく。

現実を侵食する想念。
意思を以って、世界を強制的に書き換える力。
士郎一人では起動すらできない魔術。
士郎一人だけが使える魔術。

固有結界”無限の剣製”。

それが、今、防壁の外側で展開されている。


防壁が納められている部屋は、抗魔術構造になっている。
どんな魔術でも、効果が薄くなる。
その中で、士郎は、固有結界を起動させているのだ。
消費する魔力は、倍以上に膨れ上がる。

一つ目の宝石が灰になった。
静かに、待つ。

二つ目の宝石が、灰になる。
音が聞こえる。
それは、小さな音。
注意していなければ、聞き逃しそうな打撃音。

三つ目の宝石が、灰になる。
音が聞こえる。
はっきりと、聞こえる。
外部と隔絶されているはずの空間を抜けて、ここまで届く音。

また一つ、宝石が灰になる。
音が、鳴動に変わる。
空間が震える。
閉鎖空間であるはずのここを、振動させるほどの打撃。

外装を修復、再構成する魔力を補充するため、炉が起動する。
私たちを溶かそうと、結界に圧力がかかる。


受けた攻撃を学習して耐性を付け、損傷を自己修復する攻性防壁。
さしたる技術を持たない士郎が、外から破る方法は一つしかない。

毎回異なる攻撃を。
防壁の射程外から。
まったく同じ点に。
外装を貫る威力で。
修復速度より早く。
唯々、力に任せて。
唯々、ひたすらに。
――――――叩き込む。


宝石が、灰になる。
私を通じて、宝石の魔力が士郎へと流れていく。
「セイバー」
「大丈夫、起きています」

炉からかかる圧力が、ますます強くなる。
並みの術者では、維持できないほどの強圧。
ルヴィアゼリッタは唇をかんで耐えている。

宝石が、灰になる。
鳴動が、轟音に変わる。
空間がひずむ。

宝石が、灰になる。
轟音が響き渡る。
空間に亀裂が入る。

宝石が、灰になる。
士郎の打撃が、防壁を穿つ。

宝石が、灰になる。
はるか離れた場所から、針の頭を打つようにただ一点のみを狙って、力の限り、ただひたすらに、穿ち続ける。

宝石が、灰になる。
空間が、裂ける。


腕の大きさほどの亀裂。
しかし、それで充分。
隙間さえあればいい。
あとは、こちらから力任せにこじ開ける――――――!

少しずつ塞がっていく亀裂。
向こうには、剣の丘。
弓を構えた士郎が見える。
士郎とセイバーの視線が、交錯する。
頷き合う。

セイバーがエクスカリバーを構える。
溢れる魔力が、ルヴィアゼリッタの結界を揺らす。
「そんな大出力では、向こう側の学院ごと吹き飛びますわよ!」
「士郎がいるから大丈夫」
アイツの丘には、伝説の盾が埋まっている。
「それよりも、頼むわよ、ルヴィアゼリッタ」


炉からかかる圧力はとてつもなく強くなっている。
ルヴィアゼリッタの役目。
この状況で、結界を維持しつつ、中からの攻撃は通す。

そんな器用な真似を、彼女は、出来る、と言った。
言ったからには、ルヴィアゼリッタは必ずやってのける。
後は任せておけばいい。


そして私は、私にしか出来ないことをやる。

宝石を、全部持つ。
「いいわよ、セイバー」

「リン、耐えてください!」
エクスカリバーを開放する。
光があふれる。
亀裂に向かって打ち込む。
ルヴィアゼリッタがそれだけを外に通す。


宝石が同時に三つ、灰へ変わる。
魔力は全部、セイバーへ。
少し遅れて、二つ。
こっちは士郎に持っていかれる。

「ぐっ!」
凄まじい量の魔力が、駆け抜けていく。

宝石が、灰になる。
私を通して魔力に変換され、セイバーと士郎へ流れ込む。

宝石が、灰になる。
過負荷に身体が悲鳴を上げる。
鼻血が流れる。指の毛細血管が破裂する。
歯を食いしばって、必死で制御する。

宝石が、灰になる。
「こ、の」
こめかみの血管が切れる。流れた血で視界が赤く染まる。
許容量以上を流し込まれた魔術回路が、私を焼く。
それでも、二人への魔力供給をとぎらせるわけにはいかない。

宝石が、灰になる。
「私の、魔術回路の、くせに」
右手の爪が全て弾け飛ぶ。左手の爪が割れる。
暴れまわる魔力を押さえつける。

宝石が、灰になる。
「いうことを、聞けっての!」
噛み締めていた奥歯が砕ける。口に鉄の味が溢れる。
流れを整えて、セイバーと士郎へ回す。

宝石が、灰になる。


今、私は、身に余る魔術を行使している。
一歩間違えれば、命を落とすだろう。
でも、恐怖は感じない。

この傷は、士郎と、セイバーと、つながっている。
三人ならば、大丈夫。
三人でいる限り、なんだって出来る。

――――――そう。
私たちに、出来ないことなんて、何も、ない。


宝石が、灰になる。
宝石が、灰になる。
宝石が、灰になる。

宝石が、灰になる。
空間全体に亀裂が走る。

宝石が、灰になる。
亀裂が広がる。

宝石が、灰になる。
エクスカリバーの光が疾る。


空間が、砕け散る。




手の中に残ったのは、宝石が一個だけ。
私の魔力はすっかり空になってしまった。
これは、セイバーにあげないといけないな。
口を開く気力もない。
肩を支えてくれているセイバーの手に、宝石を押し込む。

駆け寄ってきた士郎に倒れこむ。
「遠坂、お疲れ。ゆっくり休んでくれ」
休むに決まっているでしょ。
これ以上何かしろ、とかいうやつがいたら。
まずそいつの鼻先に、力の限りガンドを打ち込んでやるんだから。


目が覚めた。
立派なベッドに寝かされている。
見たことのない部屋。
「どこだ、ここ」

ドアをノックする音。
とりあえず、返事をする。
ルヴィアゼリッタのところの執事だ。
すると、ここはルヴィアゼリッタの洋館なのか。
一瞬驚いた顔したが、すぐに笑顔になる。
「トオサカ様、食事はいかかがですか」
状況は分からないけど、お腹は空いている。
「お願いします」

自分の身体を確かめる。
両手には包帯。
でも、それ以外の怪我は、全部治療されている。
口の中を舌で探ってみると、噛み砕いた奥歯も治療してあった。
どうせなら、全部治療してくれればいいのに。
まあ、なにか考えがあるんだろう。

メイドが食事を運んでくる。
両手を怪我しているので、食べさせてもらう。
病人食みたいで味気ない。士郎の食事が食べたい。
この際、食べられるなら和食でも……いや、やっぱり洋食のほうがいいな。

食事を済ませて、一段落したころ。
ルヴィアゼリッタがやってきた。
社交辞令みたいな挨拶と、世間話をする。
それが済むと、会話が途切れた。

「そんな怪我を負うとわかっていて、なぜ、あんなことを?」
ルヴィアゼリッタに、ぽつりと、聞かれた。

それは、決めたから。
私に似ているルヴィアゼリッタになら、言っても良いかもしれない。
「私は、士郎を引っ張っていくと決めたわ。セイバーも、それに協力してくれる」
それは、私の誓い。私が、そうすると決めた。
「あの二人は、いつも前を見ている。私の背中を見ているの」
なら、私はそれを裏切らない。
「だから私は、意地を張って、胸を張って、歩いていく」

ルヴィアゼリッタは、何を思うのか。寂しそうに言う。
「それでは、疲れますわよ。心がいつか、折れるでしょう」
大丈夫。私には、士郎がいる。
「疲れたら、後ろを向いて士郎に甘える」
だから、そんな心配はいらない。
ルヴィアゼリッタは驚いた顔。
「そうすれば、大丈夫。また、意地張って、胸張って、歩き出せるわ」

それを聞いたルヴィアゼリッタは、納得したような、すっきりしたような顔になる。

「そういえば、伝えることがあるのを忘れていましたわ」
「私は明日、協会へ報告に行かなければなりません。あなたも、落ち着き次第、呼び出されるはずです。あなたの弟子、エミヤシロウのやったことは、協会に隠しておいたほうがいいでしょう」
「今夜、あのときの出来事と、私の報告書をまとめます。写しを、ここに届けますわ」
口裏合わせて矛盾が出ないようにしろ、ということか。
もちろん、異論はない。

「それで、エミヤシロウが、どうやって防壁を突破したかについてですけど」
きた。絶対に聞かれると思っていた。
ルヴィアゼリッタは甘くない。私が使った宝石分は、きっちり請求してくる。
まあ、教えても、ルヴィアゼリッタは、協会に報告しないだろう。
きっと、士郎の協力を取り付けて、自分の研究に使う方を選ぶ。
私が士郎の手綱を押さえておけばいいのだから、代償として教えても構わないか。
「興味はあります。でも、それは本人の口から聞きますわ」
それは、どういうことだ。
戸惑っている私の顔を見て、くすくすと笑う。
「勘のいいあなたならわかると思ったのですけれど」

「わかりやすくいいますとね」
ルヴィアゼリッタが席を立つ。
「彼、気に入りましたわ」
なんですと。
「ですから、彼のことについて、あなたはおっしゃらなくて結構。シロウから直接聞きますので」
シロウと言ったな、今!

「シロウ、いい響きですね」
ルヴィアゼリッタは目を閉じて、うっとりと言う。
そうそう、と思い出したように付け加える。
「ミストオサカ、いつまでもここに居てくださっていいんですよ。なんといってもシロウの頼みですから」
わざわざ、シロウの頼み、というのを強調してくる。なんて嫌なやつ。
「私、そろそろいかなくては」
部屋の出口に歩いていく。
途中で、くるりとこちらを向く。
「シロウが和食というものを昼食に出してくれるそうなので」
なにをやっている、衛宮士郎!
「とても楽しみですわ。ではお大事に、ミストオサカ」
優雅に腰を折って挨拶。部屋を出て行く。
入れ替わり、味気ない病人食を持ったメイドが入ってくる。
おのれ、ルヴィアゼリッタ。
士郎も、あとで見てろ。

「よう、遠坂」
「リン、大丈夫みたいでなによりです」
士郎とセイバーが入ってくる。
士郎め。私を放っておいて、ルヴィアゼリッタに昼食を作っていたくせに。
セイバーはそれを一緒に食べていたはずだ。
私は、味気ない病人食だったというのに!
いろいろ問い詰めたいが、それは後だ。
士郎を、これ以上ここに置いておくわけにはいかない。
「士郎。帰るわよ」
手は使えないが、歩くことに、問題はない。

「ルヴィアゼリッタは、いつまでだって居ていいと言ってたけど」
冗談じゃない。
こんなところにいつまでも居てたまるか。
「俺への貸しにするっていってたから、遠坂が遠慮することはないぞ」
私ではなく、士郎への貸し、というところが問題なのだ。
私は、ルヴィアゼリッタ相手ならいくらでも踏み倒す
でも、士郎は、そんなことを考えもしないだろう。
貸しを理由に、士郎がルヴィアゼリッタに働かされる姿が浮かぶ。
「いいから。早く帰る用意して」
セイバーと士郎は顔を見合わせて、苦笑している。
「まあ、そう言うだろうと思った」
「荷物はもう、まとめてあります」
さすが士郎。さすがセイバー。さすが私の相棒たち。


「トオサカ様、エミヤ様。セイバー様。これからも、お嬢様をお願いします」
見送りに来た執事が頭を下げる。
意識を失った私を運んでくれたり、医者の手配をしてくれたりで、この人には、お世話になった。
なんか、ルヴィアゼリッタとは長い付き合いになりそうな気がする。
彼女の周囲の人間と仲良くしておくのも、悪くないかもしれない。
「こちらこそ、よろしくお願いします」


朝から一緒に実験をやっていて、私が空腹だってことを知っていたくせに。
「見損ないましたわ、ミストオサカ」
あらあらお弁当を忘れてしまいましたわ、とか言いながら私のお弁当を横から食べたのは、誰だ。
「いくら危機的状況といえども、弟子を犠牲にするなんて」
士郎のお弁当を、見る。
ほとんど残っていない。
……たしかに、ちょっとばかしつまみ過ぎたかもしれない。
「リン、これでは士郎がかわいそうだ」
最初に分けてほしいと頼んだら断ったくせに、セイバーがそう言う。
ちなみに、セイバーのお弁当箱は一番大きい。
士郎よりも大きい。
すでに全部納めて、士郎の紅茶を待っている。

紅茶を淹れるために席を外していた士郎が、戻ってくる。
すかすかのお弁当を見て、つぶやく。
「……なんでさ」
「シロウ、こんな方の下男はやめて、私の屋敷で働きませんこと?」
そもそもの元凶のくせに涼しい顔で言うあたり、私に似ていて嫌になる。
「いつもそれ言うけど、俺、なにも出来ないぞ。なんで俺なんだ?」
ルヴィアゼリッタがにっこりと笑う。
「あなたに、とても興味がありますから」

セイバーはそ知らぬ顔をして紅茶を飲む。
私の顔は、険しくなる。


ルヴィアゼリッタ。
セイバー。
士郎。

そして、私。

時計塔で過ごす日々は、こうして流れていく。


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