櫻の下で 前編(M:桜ノーマルエンドの子 傾:ほのぼの)


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1: ゆーえむ (2004/03/10 16:33:07)

 長い、長い坂の上にそのお屋敷はあった。
「うわ、でっかーい!」
 時代劇で見たお侍さんの家みたい、長い壁とおっきな門。
 ばーさんの家もおっきいけど、あそこはなんか豪華すぎてわたしみたいな庶民は気後れしてしまう。まあ、豪華とか言う以前に結界のせいで用のある人間でもしっかり意識しないと近寄れなかったりするんだけど。その点この家はなんて言うか……柔らかいと言うか、あったかいと言うか、入りやすい雰囲気。庭から大きく張り出した満開に咲いた桜も、そんな印象を強くしてるんだろうと思う。
「……うん、ここに住んでるのはきっといい人ね」
 うちの強欲ばーさんとは違う、穏やかな人に違いない。
 まあ、
『あの子はぼーっとしてるけど、いい子だからね。悪さして困らすんじゃないよ』
 あの鬼のばーさんがそんな風に優しい笑顔を浮かべて語っちゃうくらいだから、それはもういい人なんだろう。後にも先にもばーさんの優しい笑顔なんて見たのはあの時だけだし。勿論ばーさんがいっつも厳しい顔をしているとか、そういうことじゃない。ばーさんが笑う時はもっとこう、「にやり」って感じのじゃあくな笑い方なのだ。あのばーさんからお母さんが生まれたとはとても信じられない、きっとわたしが生まれる前に死んじゃったお祖父ちゃんに似たんだと思う。わたしはお母さん似だから、ばーさんとはあまり似ていないことになる、よかったよかった。
「そりゃ、若い頃のばーさんはめちゃくちゃ綺麗だったけどさ」
 高校の卒業アルバムに載ってた若い頃のばーさんは、いんちきみたいに綺麗だった。それがあんな強欲ばーさんになるなんて、時の流れはつくづくむじょうだ。まあ、今だってばーさんは平均以上に綺麗なんだけど。
「品の良いお婆さんって言うより、どう考えても魔法で歳を取るのを止めてる悪い魔女みたいだもんねー」
 あ、いけない。
 わたしは慌てて周りを見回した。
 思わず口に出してしまったけど、魔法なんて言葉を使ったらばーさんの雷が落ちる。いや、たとえじゃなくて、ほんとに。
 一昨日のこと、家に私宛ての電話がかかってきた。お母さんに「お祖母ちゃんからよ」なんて言われて、心底びっくり。だってばーさんはロンドンに住んでいて、お盆やお正月だって日本に戻ってこないことが何度もあった。正直、わたしはこのときすっかりばーさんの顔を忘れてたし。
 なんかよくわからないけど、日本に戻っていて今は実家にいるからわたし一人で訪ねて来いというその言葉は、まったくもってきょうはくだ。今思えばあの声には呪いがかかってたんじゃないだろうか、なんかこう、声を聞いたら絶対家に誘い込まれるような。
 そして昨日、言われた住所に行ってみたら嘘みたいに豪華な洋風のお屋敷。これで表札が違ったら回れ右して帰ったところだけど、残念なことに表札にはしっかり『遠坂』って書いてあったから、いやいやインターフォンを鳴らしたら、ほんとにばーさんが出てきた。こんなでかい家に住んでるんなら、孫に小遣いくらいくれてもいいのにと思ってしまったのは秘密。
 そこで開口一番、
『わたしが魔法使いだって言ったら、信じる?』
 なんて言われた日には、
『おばーちゃん、ぼけたの?』
 と返してしまったわたしを誰が責められるだろう。
 だって、魔法使いだよ、魔法使い。二十一世紀も半ば過ぎのこの時代に魔法使いなんて、誰が聞いたって信じられるわけない。確かにばーさんはおとぎ話に出てくる魔女、ヘンゼルとグレーテルとかの魔女とはイメージ違うけど、白雪姫に出てくる継母みたいな感じはあった。魔女みたいだと思ったことはある。けど、それはイメージの問題であって、実際に魔法が使えるなんて思ったことは一度も無い。
 けどまあ、ぼけた発言の直後に“見えない何か”に頭を小突き回されたうえに、目の前で箒に乗って浮かばれたら信じざるをえないよね。それでもなにかトリックがあるんじゃないかと疑うわたしの前で、高そうな壺を思いっきり床に叩きつけて粉々にしたのをビデオの巻き戻しみたいに直されたんだから決定的だ。目を丸くするわたしの前で心底愉快そうににやりと笑うばーさんの顔を、わたしは一生忘れないだろう。
 そこでばーさんに聞かされた話は、わたしの世界観を一からぶっこわしてくれた。
 おとぎ話かファンタジーの世界だけのものだと思っていた魔法が実在する上、こんな身近にそれを使う人間がいるなんてとても信じられない。……まあ、目の前でタネのない手品をやられたわたしとしては信じるほかに道はなかった。
 つらつらと魔法使い……っと、また魔法使いなんて考えちゃったけど、魔法と魔術っていうのは違うらしい。なんでも人がどんなに時間やお金をかけても出来ないことを出来るようにするのが魔法なんだって。ばーさんがやったことは一見魔法みたいだけど、人間が再現できることだから魔術なんだとか。でも、呪文を唱えて不思議なことをするんだから魔術師でも魔法使いでも同じだと思う。
 それはともかく、色々と魔術師の説明を聞いて、まず不思議に思ったのはなんでわたしがそんな説明をされなきゃいけないんだってことだった。
 魔術師と言うのは一子相伝で、本来なら姉がいるわたしは自分の家、遠坂家が魔術師の一族なんだということなんて知らないまま一生を送るはずだったらしい。出来れば知らないまま一生過ごしたかった、今さら言ってもどうしようもないので口にはしないでおくけど、それならわたしはそんな説明をされちゃいけないはず。
 わたしがそう言うと、
『ふん、ちゃんと話は聞いてたみたいね。ま、そんなアンタだから呼んだんだけど』
 なんて偉そうに前置きして、
『ちょっとね、わたしの妹から魔術を習って欲しいのよ』
 そんなわけのわからないことを言った。
 ばーさんに妹がいたってのも初耳だけど、魔術師が一子相伝なら、ばーさんの妹が魔術師のはずはない。
『わけわからないって顔してるわね。まあ、詳しい説明は勘弁しなさい。古い話だしね』
 つぶやくように言ったばーさんの顔は、なんだか歳相応に疲れているように見えたから、わたしは言われたとおりなにも聞かなかった。あのばーさんがそんな顔をしてしまうくらいの出来事があったってことなんだ。わたしじゃ想像も出来ないことがあったんだろう。だから、ばーさんに魔術師の妹がいるってことだけを考えることにした。
『魔術を習えってのは建て前よ。ほんとはね、あの子の話し相手になって欲しいの』
 なんでも、ばーさんの妹はずっとおっきなお屋敷で一人暮らしをしているらしい。「なんで?」って聞いたら、「その説明もパス。知りたいなら本人に聞いて」と返された。
 お姉ちゃんは遠坂の魔術を継ぐから、ばーさんの妹の家に行かせるわけにはいかない。そこで今度中学生になるわたしに目が留まったわけだ。
『アンタは年のわりに賢いから、いい話し相手になるでしょ』
 言ってけらけらばーさんは笑った。今度中学生になるレディーをつかまえて、年のわりって言葉はないんじゃなかろうか。
 まあ、そんなこんなで今日、わたしこと遠坂円はばーさんの家と交差点を挟んだ、日本風の住宅街にある長い坂を上っているわけです。
「表札は……うん、合ってる」
 おっきな門の脇にかけられて、これまたでっかい表札に書いてある『衛宮』の名字は、確かにばーさんから聞いたのと同じだ。
 見回すけど、インターフォンらしきものはない。
「入っていいの……かな」
 門は開いてるし、インターフォンはない。家の人が出てくるまで待ってろってことはないか。
 それにしても、うーん。これだけ大きいと門の中に入るだけでけっこう緊張する。
「えっと、おじゃましまーす」
 とりあえずそんなことを言って、わたしはそろそろと大きな門をくぐった。
「うわーっ!」
 そして歓声。
 花、花、花、花。
 庭中を埋め尽くすんじゃないかってくらい、地面に植えられたり、鉢植えに植えられたりした花で、そこは一杯だった。
「すっごーい……」
 白やピンクといった淡い色の花が多いけど、そんな花でもこれだけあれば凄いことになる。特に凄いのは、壁沿いに植えられた桜だ。満開に咲いた桜は、風が吹くたびに花びらを舞わせて、風を花色に染めていく。
「綺麗で……あったかい」
 これはもう確実だ。まだ顔も見てないけど、わたしの魔術の先生になる人は、凄く綺麗で、優しくて、あったかい人に違いない。こんな家に住んでたら、そうならない方がどうかしてる。
「……っと、見惚れてる場合じゃないよね」
 今のところわたしの身分は不法侵入者だ。早く先生に会って、挨拶したいし。とりあえず玄関に向かおう。
「……あ」
 最後にもう一度と、くるりと庭を見渡したわたしの目に、縁側が映った。そこにある揺り椅子に深く座って、うたた寝をしている一人のおばあさん。
「…………」
 うん、わたしの勘も捨てたもんじゃない。この人は、きっと優しくてあったかい人だ。おまけに、やっぱり綺麗。
 とりあえず、お隣に座らせてもらおう。そして、目を覚ましたらわたしに出来る最高の笑顔で言うんだ。「おはようございます、先生」って。


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