死線の一 第六話


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1: ちぇるの (2004/03/08 02:08:49)

『死線の一 第六話』


 だから、心残りなんてなかった。
 だって、求めていた、拘束しなければ手に入らないと思っていた笑顔が。
 自分の手の中にずっとずっと抱きしめていなければならないと思っていた笑顔が。
 誰も彼もが優しく向けてくれる。
 タイガも。
 リンも。
 サクラも。
    も。
 誰も彼も優しすぎる。
 そんなの、おかしい。
 だって、この街は今冬だ。
 冬で、寒いと、人の心は凍るはずだ。
 私の知っている人はみんな心が凍った。
 あたたかい暖炉の火でも温まることは無い。
 透明な視線でこちらを見つめるだけのはずなのに。
 みんな優しかった。
 すごく暖かかった。
 そして、ここに一緒に住もうって、言ってくれた。
 
 ああ、それこそ、私が望んでいた夢だったのではないのか。

 そんな、素敵な願いが。
 叶ったのなら。
 うん、本当にもう。
 心残りなんて。

 つつぅ、と頬を涙が伝う。

 心残りなんて。

 視界はとうにぼやけている。

 心残りなんて……。

 ぼろぼろと。

 心残りなんて、あるに決まっている。

 止まらない涙を流す眼を両手で必死に押さえつける。
 だって、そんな願いは持ってはいけない。

 この暖かい日差しの射してくる世界で、春を迎えてみたい、だなんて。
 夏を迎えて、秋を迎えて、また冬を迎えて。

 このちっぽけな紛い物のイノチが、尽きるその日まで。
 そうしていたいと。

 違う、もっと。
 せめて普通の人たちと同じぐらい。

 もっと。

 もっと。

 もっと一緒にいたい。

 止まらない涙を流す両目を押さえつける。
 こんなものは止めなくちゃいけない。
 私の望みなんて持っちゃいけない。
 私が今しなくちゃいけないことは。

 目の前の聖杯を眺める。

 私がしなくちゃいけないことは。シロウを生き返らせることだけ。
 だからそれ以外の望みなんてきっと。
 無いはずだ。
                        そんなことはアリエナイが。
 私に望みなんてない。
                        私のノゾミはとても小さく。
 だからこの生に執着は無い。
                    でも決して叶わず叶えてはならない。
 だから私は全てを捨てた。
                            捨てたくないのに。
 ノゾミもキボウも一切合財。
                           捨てたつもりでいた。
 このイリヤスフィール・フォン・アインツベルンは。
                           そのデキソコナイは。
 最後の最後で願いを。
                             モッテシマッタ。

――そんな夢を見て俺は思う――
 ああ、馬鹿野郎。誰がその願いを笑うと思ってるんだ。
 そう思って何がいけないんだ。
 
 それを笑う奴がいるなら、いいだろう。
 このエミヤシロウが全部叩き潰してやる。
 イリヤ。俺だけはお前の味方になってやる。
 家族の為だけの味方だ。
 エミヤシロウというちっぽけな奴に守れるかもしれない小さな世界。
 そのための味方になってやるんだ。
 だから、ほら。
 安心しろ。
 安心して、戻ってきていいんだ。


 なんて、泣きそうな程にありえない事実を、俺は願っていた。





interlude

「ふん、亡霊のオンパレードですか。この街は」
「ん? なんだ、お前」
「遠野家の現当主です。貴方に語る名前など持ちません、遠野四季」
 あ? なんだ、身内か? ってことをぼやきながら白髪の殺人鬼はなんてこともなく自動販売機から缶コーヒーを買った。
 遠野家現党首――秋葉が呆れてその様子を眺めていると、その四季はニヤリと笑って
「お前も飲むか?」
 なんて戦いを放棄するような質問をしてきた。
「遠野の長兄として生まれながら、紅赤朱へとたやすく反転した貴方と、何が哀しくて一緒にコーヒーなど飲まねばならないのですか?」
「あ? 美味いぞ? これ。体に悪そうで」
「……ふぅ、まあ、いいでしょう」
 と、四季は片手を秋葉に差し出す。
「? なんですか?」
「金だよ、金。自分の分は自分で払うもんだ」
「誘ったときは奢るものです!」
 秋葉が何を激昂したのかもよく分かってない様子で四季は、そうなのか、面倒くせえ、と言いながらもう一本缶コーヒーを買う。
 それを放り投げられて秋葉は一つの疑問点に気付いた。
「貴方こそお金はどうしたのですか?」
「あ? この自販機の横っ腹に穴開けたんだよ。何が哀しくて自分の分を自分で払わなきゃいけないんだ」
 秋葉は、ああ、ダメだこいつ。といった顔でそれを眺める。
 くつくつと笑いながら四季はかんぱーいと一人上機嫌に缶コーヒーを飲み始めた。足元には既に二つ空き缶が転がっている。
「で、過去の亡霊である貴方が何故こんなところに? 死んだ貴方が」
「ああ、そうそう。それだ。俺は死んだはずだよな?」
「それがどうしたんですか?」
「でもここにいる。素晴らしいことだ。ほら、反転しようが何しようが月は綺麗だ」
 血のように真紅の瞳をそらに向けた白髪の殺人鬼の表情は穏やかだ。
「だから、何が言いたいのです」
「ん? お前遠野家の奴なんだろ? かっかするのは上品じゃねぇぜ?」
「貴方のようにへらへらするよりはましです!」
「当たり前だろ。俺みたいな下品な奴は遠野家にはあまり向いてない」
 くつくつと穏やかに笑うその顔に秋葉は今更ながら毒気が抜かれた。
 かん、と足元に空き缶を置きながら四季は四本目の缶コーヒーを飲む。
 どうでもいいがこの缶コーヒーというものは激しく美味しくない。人の飲み物としてどうかと思う。私は最初の一口で止めておいた。
「で、どこまで話したっけ?」
「死んだはずの貴方が生きてる、ということは素晴らしいと」
「ああ、そうそう。それだな。話は一見変わるが。最近の街に流れる噂は知ってるか?」
「『吸血鬼が血を吸っている』『殺人鬼の再来』『徘徊する少女』『日本人でない姿』『増え続ける犠牲者』でしょうか?」
「ふん、的確。さすがは当主。的確だ」
 うえ、まずいなんていいながら四本目を一気飲みする四季。
 不味いなら飲むな、と私は少しいらいらした。
「『銀色の髪の少女の幽霊』『笑顔で森をかけまわる少女』『闇の中の紅い瞳』まあこんなところも、だ。最近学校ででき始めた怖い話。噂って言うんならそういうのもチェックしないとな」
 ニヤリ、と笑う四季。ああ、悔しいけど伊達に遠野の長兄として育てられたわけではないのか。
 空になった四本目のコーヒーをぷらぷらさせながら虚空を眺める。
「あー、さてさて、俺の時間も終わりか」
「終わり?」
「終わりだ。この体で最終的な情報は得た。もう己のシステムと構造を編成して変性し、変成できる」
 ヘンセイと何度か繰り返してくくっと喉で笑う。
 ああ、そうだ。思い出した。遥か高みから見下ろすその態度が幼心に怖くて、キライで、そして、認めたくは無いが尊敬していた。
「さて、しかし、あれだな。自分自身じゃないと困るな」
「困る?」
「ああ、ここがどこだか分からないし、今がいつだか分からない」
 その言葉に秋葉は不思議に感じていた違和感の正体に気付いた。
「あ、そういやお前遠野の当主なんだっけ。なら聞いてもいいか?」
「なんですか」
「秋葉、って知ってるか? 俺の妹なんだけど」
 やけに誇らしげににかっと笑顔を向けた四季に流石に息が詰まる。
「なんかな、すっげー頼りなくてな。もう、勉強も習い事もおどおどしてるんだ」
 楽しそうに昔日の日々を語るその様子。
 怒ろうかとも思ったが、それはあまりにも無粋に思えた。
「んで怒られると涙目で耐えるんだ。それがよ。すっごく可愛くってな。俺と、俺の友達の志貴って奴と一緒に遊んだりもしたよ。同じ名前なんだ。面白いだろ?」
 本当に楽しそうに。
 本当に嬉しそうに。
 本当に誇らしげに。
「ああ、だから心配だったし。気になってる。だから聞いてもいいか?」
「……何をですか?」
「だから言っただろ、秋葉って知っているか?」
「知ってます」
 誰よりも、多分。
「じゃあ、そいつどうだ? 大丈夫そうか。元気でやっててるか? キライだった野菜とか好きになってるか? ほら、あの赤い奴」
 どの野菜のことを言っているのかはわからない。
 だけど。
「ええ、ええ。もう好き嫌いなんてありません。いたって健康です」
「そ、そうか。じゃあ、あれだ。悪い奴に騙されてたりしないか? 変な使用人にいじめられてたりは?」
 安心したように、堰を切る積年の想い。
「されてません。みんな優しいです」
「じゃ、じゃあ……」
「ええ、大丈夫です。貴方が心配することなんて、何もないです。兄さん」
 四季は目を見開いて、そして、にかっ、と。
 本当に小さいころから変わりの無い。
 尊大で、自信と活力に満ち溢れて。
 そんな、ええ、本当に不本意ながら嫌いじゃなかった笑顔を向けて。
「じゃあ、俺はここまででいいや。朝まで待つ必要もねぇ」
 と言って、ざざざ、と現実世界に現れる砂嵐でかすんでいく。
「ええ、さよなら兄さん。もう会いたくないです」
「おう、それがいい。地獄行っても面白く無いだろうよ、きっと」
 それが最後。
 本当に、遠野家と言う血にとらわれた二人の兄妹の最後の邂逅。
 思い出したように秋葉は右手に握った缶コーヒーを見る。
 はぁ、と溜息を付きながらソレを一息に飲み干す。
 もしここに秋葉の教育係がいたら卒倒しそうなほど男らしく飲みきってぷはっと息を吸い込み
「不味い。やっぱり一生理解できません」
 そんな台詞を残して秋葉はそこを立ち去った。
 すぐそこの街灯の上でずっとこちらを眺めていた似非カレーにちょっとだけ感謝をしながら月を見上げた。

(まあ、こんな夜もありなのかな)

 と。

interlude out


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