得られぬ理想、得られた望み。そして、果たせぬ誓い。(下)【M:遠坂凛 傾:シリアス】


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1: ターパン (2004/03/03 22:32:09)

凛に街を案内された。

見慣れぬ屋敷。
見慣れぬ街並み。
あの道も、あの店も、あの家も、あの橋も、あのビルも私の記憶にはない。
知っているはずなのに知らない街。僅かの懐かしさはあった。
だが、記憶にはこの街の風景は何も残ってはいなかった。

それも当然だろう。最早この身に残された想いなど僅か。
掃除屋となった私に生前の記憶が完璧に揃っているはずもない。
だが、それでも、この私の記憶の片隅に残っていた場所が一つだけあった。
案内され、訪れたのは新都の公園。
そこは広く整地されているにも関わらず、ひどく閑散としていた。
十年前、ここで火災があったと凛は言った。
焼け野原であった広い公園。
…私が覚えている訳だ。忘れる筈が無い。
此処は、
愚かな男が叶う事の無い望みに憧れた場所。
届かぬ理想の始まり。下らぬ道化の出発の地なのだから。


公園を後にした。
凛がどこぞのマスターの視線を感じたようだが、小物の相手はしないようだ。
それでいい。君は君らしくしていてくれれば。
凛が、目の前の少女が、私の知っている彼女と似ていて、ただ嬉しかった。

その後、散々彼女に振り回され、
最後にやって来たのは新都で最も高いビルだった。
そこから街の全景を眺めた。
いつか私が暮らしていた筈の街。
彼女が散々連れまわしてくれた街。
それを眺めた。
そして、橋の向こうに想いを馳せる。
深山町。

どんな町だったかは思い出せない。
だが、かつて私はそこに住んでいた。その知識は残っている。
そして、あの焼け野原はこの世界にも存在した。
ならば、あの男はこの世界にも存在するはず。
守護者となった私がようやく得られた邂逅の時。
この世界の奴が私と同じモノを目指しているとは限らない。
ただの青年であるのならば、それでいい。
元より果たせた所で何の意味も意義もない愚かな望みだ。
奴が私と同じ存在でないのなら、それでいい事なのかもしれない。
だが…、
奴が私と同じ道化であったならば、
奴が私と同じ間違った理想を抱いているのならば、
その時は…。
その時は奴を…。
その時はこの世界の奴を…。


滑稽だ。実に滑稽だった。
私という存在。弓兵という役割を与えられたサーヴァント。
不完全な召喚による記憶の齟齬。その齟齬は修復された。
己が何者であったかは理解した。
だが、それを取り戻した所で私には英雄として
誇るべき名も、
誇るべき武具も、
誇るべき生涯も無かった。
私には己自身の理想すら無かった。

あったのは借り物の理想と間違った道を歩んだ後悔だけ。
エミヤという男にあったのはそれだけだった。




もう一度、街を眺め、目を閉じる。
描くは八節。白と黒の夫婦剣。
私が長い年月を重ね、生み出し、
私が長い年月を重ね、振るい続けた刀剣。
妻を亡くした刀匠がただ造り上げる事だけを目的として打った刀。
それで幾度、人を殺めただろうか。
それで幾度、人の願いを消してきただろうか。
思い出す。それしか思い出す事はない。
ただ殺し続けた道。ただ消し続けた道。
彼女は言った。
私が歩む道は間違っていない、と。
だが、私は間違えた。歩む道を間違えた。
どこから間違えたのか。
そもそも初めから間違った道だったのか。
それとも、私が道を間違え始めたのは・・・。



黄昏の戦場。
赤く染まった彼女。
彼女と交わした言葉。
彼女が守って欲しいと祈った誓い。
私と共に歩もうとした彼女の最後の言葉。
彼女が最後に私に願った事。
だけど、それは、それは私には・・・。



冷たい風が吹く屋上。
そこを後にし、屋敷へと戻る。
夜の帳は深い。時機に戦いは始まる。
聖杯をかけた戦いが始まる。
私が唯一、望んだモノが始まる。


―――ようやく来たのだ、この時が。
―――守護者に成り下がったこの身。
―――その俺が自身の過ちを。間違った理想を。下らぬ道化を滅せる時が。

       
          
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          ・
          ・


人の気配のない校舎。
昼間、凛と共に訪れた彼女の学び舎。
今、そこにあるのは戦場だった。

血の匂い、死の匂いが広がっていく冷たい廊下。
かのサーヴァントの姿は既になかった。
その全てが終わっている場所で
私は、ただ呆然とその生徒を眺めていた。

一人の少年が居た。

血溜まりに伏した少年。眼前で死に瀕している少年。
先程の私とランサーの戦いを目撃し、ランサーに心臓を貫かれた。
その結果、今、ここで死を迎えようとしている。

何故、この少年が今ここに居合わせ、不運にも殺される事になったのか。
そんな事は私には分からないし、知る必要もない。
この少年がどんな夢を追いかけ、何になろうとしていたのか。
今となっては私には知る由も知る術もない事だ。

第一、ただの掃除屋と成った者に、人の心を捨てた者にそのような感傷は無用。
目の前の人間の体は、既に死に体。
後、物の数分も経たずして、その生涯を終えるだけの存在。
英霊として、守護者として使役される私が気に掛ける事柄ではない。
この少年が殺された理由や後悔や未練など私には関係ないのだ。


・・・ふん。
だが、分かった事が一つだけある。
この男は馬鹿なのだ。
このような夜分に学び舎に残っている者など普通の学生ではあるまい。
他人の頼みを、他人の願いを無下に断れない男。
己の人生を他人のためにしか使えぬ男。そんな生き方しか知らぬ男。
そんな人種なのだという事は想像できた。
そんなどうしようもない
馬鹿で救いようがない男だという事は想像できた。

ああ、容易に想像できてしまった。

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            ・
            ・

凛が来た。自分の身より目撃者を守る事を優先した少女。
その少女が死の匂いの漂う冷たい廊下で発した最初の言葉は…

「……追って、アーチャー。ランサーはマスターの所に戻るはず。
せめて相手の顔ぐらい把握しないと、割に合わない。」
「--------」

魔術師としての言葉だった。
迷いの一切ない強い言葉。己の過ちも責任も全て背負った上での言葉。

…ならば、私がすべき事は一つ。できる事は一つ。
少女が、マスターが、凛が魔術師として動くのならば
私はサーヴァントとして動くだけだ。
仮にこれ以上、この場に留まった所で
私が、弓兵がすべき事は何もない。全ては終わったのだから。
…唯一つ、エミヤが成したいと願ったモノは失われたのだから。


血溜まりに伏した少年を一瞥し、私は駆けた。駆けた。ただ駆けた。
戦場を後にし、逃走した敵を追う。
かのサーヴァントは俊敏。しかし、まだ彼奴の居場所を掴む事は可能な筈。
去り往く戦場。
そこは一人の少年が死を与えられた場。
その場から遠ざかっていく。

私は死んだ少年の事は何一つ知らない。
少年の名も、少年の顔も、少年の声も、少年の気持ちも何一つ知りはしない。
だが、私は確信していた。
奴が・・・
血溜まりに伏した少年が・・・
あの死に往く馬鹿な男こそが・・・


“この世界の衛宮士郎なのだ。”


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ランサーの魔力の残り香を追って、
奴とそのマスターの在り処を探ったが隣町との境界でその痕跡を見失った。
見失った原因はかのサーヴァントの俊足故なのか、
そのマスターの用心深さ故なのか。
それとも、私の心に原因があったのか。

何にせよ任務は失敗した。ランサーとそのマスターの所在は掴めなかった。
ならば次に私がすべき事は主の元へ速やかに戻る事。
今頃は凛も自分の屋敷へ帰り、今後の対策を練っているだろう。
それは分かっている。
サーヴァントたる己の役割は理解している。
必要以上に主の傍を離れるなど愚者がする行いに他ならない。



だと言うのに、今、私は学校へ戻ってきた。
最早全てが終わった場所。そこに私は戻ってきていた。

校庭を抜け、校舎へと向かう。

意味はない。ここへ戻ることに意味はない。
彼女が、魔術師としての凛が後始末は既に済ましているだろう。
あの死の匂いも、
あの廊下の血溜まりも、
あの馬鹿な男の死骸もそこにはないだろう。
そこまで分かっていて、尚、そこへ戻ろうとする私。
何も無い。
全ては失われた。
ようやく得た俺の望みは失われた。
この世界の奴の理想を知る事も、
この世界の奴の理想を否定する事も、
この世界の奴の理想を自らの手で消す事も叶わなかった。


全ては終わった―――筈だった。


だが、それは変わらず、そこにいた。
長い廊下の中央に一人の少年がいた。
血の匂いも、廊下の血溜まりも先程のまま。
ただ違うのは廊下からは死の匂いが消えていて、
倒れ伏している少年の上には何かが乗っていた。

近付く。近付く。
少年に近付く。死んだ筈の少年に近付く。
この世界の奴に近付いて、何かが何か知った。

ペンダントだった。
赤い。赤いペンダント。
私のマスターが身に着けていた首飾り。
黄昏の戦場で私が彼女から託された首飾り。
それが少年の上に乗っていた。
一欠片の魔力しかない首飾りが乗っていた。

ああ。そうか。
この世界でも凛は、彼女は俺を。
魔術師としてではなく、
魔道の名門・遠坂の当主としての自分よりも、
凛は俺を助ける事を選んだのか・・・。

外套の中から首飾りを取り出した。
少年の上にある首飾り。
それと同じ物を取り出して、それを渡された時の事を顧みた。



------赤い。            腕の中の。
赤い戦場。   日が沈む黄昏時。       彼女は赤い。
   太陽が死ぬ時。     理想が死んだ時。
周りに築かれた。   屍の丘。      嘆く男。
      血涙の道。    微笑む彼女。    


あれはいつの事だったか。
エミヤという男が歩んだ道。
戦い、戦い、戦い続けた血塗られた道。
その道の始まりの時だったか。
歩みを止めようとした時だったか。
それとも、その道の終わりの時だったのか。
今ではいつの事だったかもう思い出せない。

己の磨耗した記憶。欠けた想い出。
ただ覚えているのは自分の周りに多くの骸を築いたという事実。
果たして、その周囲を囲む骸の中には
どれほどの友がいたのだろうか。どれほどの大切な人がいたのだろうか。
それも今ではハッキリとは思い出せない。
多くの者を捨てて、尚、歩みを止めなかった、エミヤという男。
人の心を、捨て、かつての理想を、諦めてまで
守護者となり、人を救う事を願い、掃除屋に成り下がった正義の味方。

そんな男が己の全てを覚えている筈が無い。
人として大切なモノを失わずにいられた筈が無い。
元よりその男は空虚。
自身の願いも、自身の救いもなかった男。
あったのは借り物の願い。託された願い。ただそれだけ。
それだけを追い求めた男。
だが、そんな男にも欠けない記憶が、失われない想い出がある。


彼女と歩んだ日々。
出会った。遊んだ。教わった。戦った。
笑って、怒って、喜んで、悲しんで、そして、泣いた。

   
 『遠--------坂』
黄昏の戦場。周りを囲む物は全て赤い。
 『はは…ちょっと失敗したかな?ホント、ここ一番に弱いわね私』
腕の中の彼女も赤い。
 『っ―――遠坂』
 『まっ、いいか。士郎は無事みたいだし。』
 『馬鹿!何言ってんだ、お前。全然よくなんか!』
 『怒鳴らないでよ。・・・と、これ』
取り出したそれも紅い。
 『…それは?』
 『父さんの形見の宝石。今ので殆ど魔力は使っちゃたんだけど士郎が持ってて。』
 『親父さんの形見なんだろ。遠坂が持ってろよ。俺には似合わないし。』
 『駄目。受け取るの。』
俺の手にそれを握らせた。
俺の手も、彼女の手も、それも紅い。
 『士郎、約束してくれる?』
 『…ああ、何だ。』
 『後悔しないでね。』
 『・・・』
 『これから士郎の進む道に何があっても後悔はしないでね。アンタは間違ってないんだから。』
 『・・・』
 『返事は?士郎。』
 『…ああ、分かったよ。遠坂。』
 『よし。…ああ、でも、残念。私が衛宮くんを真人間にして幸せになろうと思ってたのにな。』
 『・・・トオ、坂。』
 『ふふ』
彼女は微笑んだ。
『あーあ、結局、一度も“凛”って呼ばなかったね…衛宮くん……。』
彼女は微笑んでいた。

                 ・
                 ・
                 ・


 「さて、ならば一息入れようか。七人目のマスターが現れるにせよ、
それは今すぐという訳でも……と、ちょっと待て凛。君、あの飾りはどうした。」
少女があれを何に使ったかは知っている。
だが、少女は、彼女にとって父親の形見だった首飾りを置いたままだった。
その理由が知りたかった。
「飾りって、ペンダントの事?……ああ、アレなら忘れてきちゃった。
もう何の力もない物だし、別に必要ないでしょう?」
少女はそう言った。
「それはそうだが。……君がそういうならいいが。」
少女にとって、あの首飾りが魔力の増幅器に過ぎないのならば、それで―――
「ええ。父さんの形見だけど、別に思い出はアレだけって訳じゃない―――」
「----よくはない。そこまで強くある事はないだろう、凛。」

この上なく強く、この上なく優秀だからこそ他人にも自分にも厳しい。
だが・・・この上なく甘い。少女と彼女は同じだった。
外套の中から魔力の尽きたペンダントを取り出す。
それを見て、凛は

「あ……拾いにいってくれたんだ、アーチャー。」

拾ったのではない。
これは渡された物。託された物。
優秀なくせに人一倍厳しいくせにこの上なく甘かった魔術師の形見。

「……もう忘れるな。それは凛にしか似合わない。」

そう告げた。
弓兵でも、英雄でもない。唯のエミヤとして。
私が、エミヤが彼女へ言えなかった賛辞の言葉。
その想いと一緒にペンダントを返した。
エミヤを支え、守り、共に生きようとしてくれた彼女。
私が、エミヤが彼女と交わした誓いの言葉。
その想いと一緒に彼女へ返した。


―――ごめん、遠坂。
―――君との誓いは守れない。







      “俺は間違えたから。俺は後悔しているから“



                   
〜The tale to which a knight meets himself,
The end of the beginning.〜


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