りずせら(下) 改訂版


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1: うづきじん (2004/03/01 10:10:16)

 『りずせら』続き。


 ……深さを増した夜闇の最中、よたつきながらも過程をなぞる。
 新たに調達した烏、そこから覗く冬樹の街は既に黒一色に塗り潰されている。それでも今回はトオサカの館の場所が掴めている所為で、目標を発見するのにそう時間は掛からなかった。
 前とは違う。背が低い、地に伏した様な木と紙の家。
 この国独特の建築様式。開いた庭と通路とが殆ど一体化した作りのお陰で、監視するのは難しく無い。
 滑る様に、烏を降ろし。
「セラ。移る」
 軒先の猫。仕掛けておいたその『端末』に、セラを引き摺り乗り込んだ。
「……リーズリット。そういう時は、もっと早くに教えて下さい」
 酩酊感の滲む声。
「次からそうする」
 次の機会なんて、無ければその方が良いのだろうけど。
 庭を渡り。それに面する硝子窓を一つ一つ確かめて回る。
 この、小柄な猫の力では割る事は難しい。鍵が開いているのなら、それに越した事は無い。
 ―――二十分程かけて。
 家主の防犯意識が低く無い事を確認した。
「どうするのです、リーズリット」
「私のせいみたいに言わないで」
 段々調子が戻ってきたセラに答えながら。
 ―――熟考の末。
 小さく、柔らかい体。その利点を活かす事に決めた。



『……う〜ん』
『運動の後のごはんは、さいこー……』
『……もう、お腹一杯だよ〜……』
『……はっ!いやいや』
『……士郎のごはんなら〜……まだまだ何杯でも〜……』
『―――ぐー』
 頭を擦りながら、狭い通路を這い進む。先刻から独り言とも唸り声とも取れる気配が頭の上で鳴っている。
 予想は当たっていた様だけど、集中を途切れさせる事夥しい。出来る限り足(正確には、腹)を速め、その場を離脱した。
「……何の因果でこんな真似を」
「セラが行きたいって言った」
 情けなさそうなセラの声に答えながら。
 埃っぽい床下。その隙間に半ば潜り込む様にして、這い回る。
 ……この邸宅には窓が少なく、潜り込める様な場所も見付からなかった。かと言って、わたし達はあくまでイリヤの様子を見る事が目的なのだから、強硬手段に及ぶ訳にもいかない。
 考えた結果、採った手段はこれだった。姿では無く、気配を辿って地下から攻める。
 これなら姿はともかく、声なら捉えられる。運が良ければ、家の中へと続く道も見つかるかも知れない。
 ずりずり。ずりずり。ずりずり。
 間の抜けた音を立てて、謎の気配から離れる。
 神経を集中させて。
 建物の中の気配を探る。
「……大きいのが一つ。普通のが一つ。小さ目のが一つ」
 最初のは言うまでも無い。次が多分、セイバーのマスターだろう。最後のは―――
「……イリヤスフィール様、でしょうか」
「わからない」
 自身で行けば、多分確信出来たのだろうけど。今の姿では、断言するのは難しい。
「……あれ」
「リーズリット?」
 わたしの声に。セラが、訝しげな応えを返す。
 それに答えず、耳を澄ました。
 ……『ぐーぐー』とんとん『タイガーって呼ぶなー』起きてる?『すぴーすぴー』リヤか。どうした?こんな時間に『がおーがおー』と、お話したくて『切嗣さん……』あ、お茶でも淹れよう『しろうー』
「うるさい」
 思わず文句が口を突く。何なのこの寝相の悪さ。今、何か重大な手掛かりが聞こえた気がしたのに。
「……ごめんなさい」
「?どうしたの、セラ」
 珍しく萎れた声を出すセラに、問い掛ける。
 ―――と。

 ううん、お茶はいいわ。ここで少し、お話しましょう。

 雑音の合間を縫って。
 耳に届いたその声は、違え様も無い。わたし達の主人の、声だった。






『―――だから。理想は理想として、それとは別に。現実に伴侶がいても良いと思うの』
『は、伴侶って。イリヤ』
『私別に、セイバーの事は嫌いじゃないのよ。シロウが彼女を好きなのも分かるし、認めるわ』
『え、あ、うん』
『セイバーだって、自分を思ってシロウが一生を独りで生きる事なんて望んでない筈よ』
『いや、そうかも知れないけど』
『……昨日、リンとデートしたでしょ』
『――――――。』
『その前はサクラ。その前はタイガとも。次は誰の番だと思う?ねえシロウ』
『……いや、別に他意は無いんだぞ。単に、』
『誘われたから、って言いたいんでしょ。そんなだから心配なのよ。一途な癖に流され易いんだから』
『……ごめん』
『謝る事じゃないわ。そこがシロウの良い所なんだから。でもね、』
『!―――な、何を』
『このままだと、リン辺りに流れ着く気が凄くするのよ。
『正面から戦って負けるのなら兎も角、眼中に無し、って言う位置は嫌なのよね。
『―――だから、私も本格的に参戦しようかな、って思うの』
 
 頭の上で、交わされる問答。
 黙したままに。聴覚に神経を注ぎ、音を抱く。
 ……これはもしかしたら、告白と言う奴なのだろうか。
 向こうにいた頃。極々稀に放られていた、下界の文献。時折見かけるその中に、こうやって異性に愛を囁く場面を目にした覚えが有る。
 その頃は、まさか『実物』を前にする事があろうとは、思っても見なかったのだけど。
「……頑張ってるね、イリヤ」
 我ながら間の抜けた感想を漏らす。召使として、友人として、姉として。こんな時、一体どういう感想を抱けば良いものなのだろう?
「ねえ、セラ。どうす」
 言いかけて。
 影を背負って、俯く姿―――意識だけのセラに、何故こんな形容が似合うのかが分からないが、そんな異様な雰囲気を纏って彼女が何やら呟いている。
 『耳』を澄ませて、聞いてみる。
「士郎衛宮士郎衛宮士郎衛宮士郎衛宮士郎衛宮士郎衛宮士郎衛宮士郎衛宮士郎衛宮士郎衛宮」
 途切れぬ呪詛に、『背』を向けて。
 上方だけに、意識を向ける。

『心配しなくても大丈夫よ。タイガは朝までぐっすり眠ってる筈だから。
『大人しくして。黙って身を任せてくれれば良いの。とっても可愛い、私の人形にしてあげる。
『あ、シロウが望むのなら逆でも良いよ。私が人形になってあげる。可愛がってくれるのならね。
『―――ねえシロウ。私、切嗣のせいで酷い目に遭ってたんだよ?
『今は毎日楽しいし、そんなに気にしてないけど。親の債務は、子供が払うのが筋だと思わない?
『……それに。シロウは私の兄でもあるんだからね。
『可愛い妹の頼み……聞いて、くれるでしょ?
『――――――お兄ちゃん』

『イ。イリヤ―――ともかく、』

 狼狽しきった、彼の声。
 バーサーカーと戦う時でさえ、発しなかった色を浮かべて。


『―――ふく。服を、着てくれ――――――!』


 その叫びに。何を想像し、どう心が乱れたのか。
 暗転する視界。諸共に引き摺られて消える意識の中で。
 今まで見た事も無いくらい。とても綺麗で、妖しくて、怖くて。
 
 ―――楽しそうな少女の笑顔を、見た気がした。





 

「はい、お水」
「こ―――こんな事を、している場合では」
「もう、遅いと思う」
 コップをセラに差し出しながら、厳然たる事実で答える。
 セラの集中が乱れたせいで、遠見が破れて既に三十分が経つ。先程漸く目覚めたセラは、よろめきながらも必死で『現場』を目指そうとしたのだけど。
「彼が拒否しなければ、もう終わってる」
 大体にして、ここから冬木の衛宮邸までは数時間を要する。それこそ『覗く』だけならば何とかなるかも知れないが、そんな事をしても、意味が無い。
 ……興味が無いと言ったら嘘になるけど。曲がりなりにも姉のする事では無いだろう。 
「う―――」
 がくりと、肩を落とすセラを見つめて。
 考える。
 
 ―――さて。実際どうなったのだろうか。
 イリヤは客観的に見ても、美しい少女だ。外見のみならず、中身だってそう捨てた物では無い。多少捻くれたり捩じくれたりはしているものの、基本は素直で聡明だ。セラのみならず、私から見ても魅力的だと思う。
 難点と言えば、外見の年齢だろうけど―――あの状況であそこまで真摯に迫られて、抗し切れる人間など居るのだろうか。イリヤの相手、エミヤシロウ自身も大して年齢は違わない。これは大した障害には成り得ないだろう。
 加えて、イリヤの言う彼のパーソナリティ。自身にも言えるからこそ、実感できるその傾向。
 ―――一途な癖に流され易いんだから。
 概算。暗算。目算、推理。知る限りの情報を整え、先の言葉を分析し。
 成るべき理を、推し量る。
「―――七対三、と言ったところ」
「……何がですか」
 疲れた口調で、怨嗟の言葉。
「別に」
 敢えて手負いの獣を刺激する事は無い。
「それで。―――どうする?」
 ソファーに横たわるセラに向かって、言葉を投げる。
 正直言って。イリヤはイリヤで楽しくやっている様だ。エミヤシロウという少年も、見た限りではわたし達を邪険にしたりはしないだろう。
 だから、この際のんびりと向かっても良かったのだけど。
「……決まって、います」
 疲弊し切った声で。それでも強く、尚強く。
「今すぐ向かいます。リーズリットも、支度を」
「……ん」
 返った声に、頷き返す。
「……何を笑っているのですか、リーズリット」
 半眼でこちらを睨み付けて来る。そんな様子も、好ましい。
 今まで無かった、感情を表に出したセラの顔。
「別に。―――それよりも、早く行かないと。イリヤが危ない。色々と」
「……そ、そうです。危ないです!急ぎますよ!早く!」
「セラ。鼻血」
 ハンカチを手渡しながら。
 考える。―――脆い家族。偽りの家族。それでも大事で、それしか無かったから。しがみ付き、手放さず、握り締めた、その縁。
 閉じた輪の中の三人。縮む事はあっても広がる事は無く、破れる事はあっても補われる事は無い。
 それを心の底から覚悟して、同時に魂の一片までも恐怖した。
 減る事はあっても、増える事は無いものだと。そう、信じていたのだけど。
(……変わるかも、しれない)
 もしかしたら。故郷を遠く離れた異国の地。この辺境で、私たち『家族』は。
 ―――イリヤスフィール。姉として。妹の貴女を、放蕩娘の貴女を、心から誇りに思う。
 遠くない明日、まず出会ったら。一発頬を引っぱたいて、それから。
 思いっきり抱き締めて。
 ―――それからイリヤと、セラと一緒に。彼に頭を下げ告げる。



 ―――ようこそ。エミヤシロウ。
    わたし達の家族。わたしの、可愛い弟よ。



 夜は明け。真白の朝靄煙る中。
 薄く濡れた土を踏み締め、黒い森から衛宮を目指す。













「あ」
 ぱしん、と。
 堅く、小さな音を立て。摘まんだ箸が、ひび割れる。
「……縁起が悪いなあ」
 手に持つそれを眺めやり、間桐桜は呟いた。確かに別段、丈夫な物と言う訳でも無い―――単なる木製の、しかも日用品の箸。何かの弾みでこうなる事も、有り得なくは無いのだろうけど。
「―――まさか、よね」
 胸中に湧き上がる、黒い不安を隅にやり。
 砕けた箸(衛宮家家人所有物。三年もの)を懐へと戻す。
 手持ち無沙汰に、カップを口へと、
「ごめんなさい、桜。待たせちゃって」
 紅の少女が、階下へと姿を現した。―――カップをソーサーに預け、万感の思いを込めて。
「遅いです。待ってたんですからね。―――姉さん」
 立ち尽くし。
 少女―――遠坂凛は、その言葉に瞳を潤ませて。
「うん。ごめんね……桜」
 強く、抱擁を交わす。―――恐らく、十数年振りに。
 トオサカとマキリ。二つの家に別れ、まるで異なる道を歩いた、二人の少女。
 その道程が、交差した。 



「今日からは、ここを自分の家と思ってくれて良いわ。どうせ私一人、部屋は余ってるんだし」
 姉さんが言う。確かにそれは、今の私にとっては有り難い。
 全ての家族を失い。住む家に、想い出を持たない私には。
「ありがとうございます。……あの、」
 流石に少し恥ずかしいけど、勇気を出して言ってみる。
「……姉さんの部屋で、姉さんと一緒に……というのは、駄目でしょうか?」
 ―――その時の姉さんの顔を、なんと表現したら良かったのか。
 目を見開いて、破顔して。涙を流し、口を押さえて。真っ赤な顔で、青くなる。
 思わずカップの中身を覗く。……変なものが入っていたのかもしれない。
「あ、駄目なら良いんです、ごめんなさい姉さん」
「あ、いや、その、駄目じゃない!むしろ嬉しい、うん、だけど」
 ……ここまで取り乱す姉さんを見るのは初めてだ。まあ、それを言ったら姉さんが取り乱す所も初めて見た気がするけれど。
「―――その。私も魔術師だからさ。家族と言えど、人に見せられない物も有るのよ」
「見せられない物……ですか」
 考える。
 例えば姉さんが間桐の家に来たとして。足元に広がる、鈍色の海。
 奇怪に蠢く、蟲の―――
「はい。分かります」
 確かに、絶対に見られたくは無い。
「あ―――うん、分かってくれれば良いのよ」
 安堵の態で、息を吐く。気を取り直した様に、堅い笑顔を浮かべ。
「部屋は別に用意するから。それまでここでゆっくりしてて」
「はい。―――でも、もう少し……ここで、お話したいです」
 せっかく、私にも。本当の意味での、『家族』が戻ってきたのだから。
 それを確認したかったのだ。
 その色を。
 感触を。
 香りを。
 ―――暖かさを。
「―――うん。実は、私も」
 照れた様な、紅い笑顔。

 ―――ああ、
    私は、
    帰って来たんだ。

 暖かく。優しい空気に包まれる。
「―――そういえばさっきも、何か騒がしかったですね。……何かあったんですか?」
「……あー、その。何か変な気配を感じたんだけどね」
 気のせいだったみたい、と肩を竦める。……へえ。姉さんでも、そんな事あるんだ。
 何かよっぽど、別の事に気を取られたりしていたのだろうか。
 暫し会話に花を咲かせる。他愛も無い、日常の話。私が望んで止まなかった。夢にまで見た、その時間。
「……そう言えば、桜。あなた、荷物はどうしたの?」
 ふと、訝しげに姉さんが言う。―――思い出す。小なりとは言え持ち出した、衣服や周りの細々とした物。それらを詰めたバッグは既に、
「あ、先輩の所に置かせて貰ってます」
 何の気無しに返した答えに。
 ぴしり、と。空気が凍りつく。
 ……先程までの暖かさが、嘘だったかの様に。
「……それは、二度手間ね桜。こっちに運んでくるのが大変でしょ?」
 ―――ああ、そうか。
「……いいえ?そんな事無いですよ?」
 姉さんに、負けないくらい。満面の笑顔で、答えを投げる。
「―――ちゃんと、広くて綺麗な部屋を用意しといてあげるから。すぐにでも」
「―――ありがとうございます。でもすみません、私根が貧乏性で。広い個室、って苦手なんですよ」
 姉さんは、踏み込んで来た。
「あらら。大丈夫、すぐ慣れるわよ。なんて言ったって、愛しいお姉さんと一緒の暮らしなんだから」
「ええ、とても楽しみです。これからは『学校で』姉さんと一緒に過ごせるなんて」
 私は、踏み込んでしまった。
「……姉としてはね。狼の下に可愛い妹を送りたくないのよ。分かってくれるでしょう?」
「……妹としてもですね。トンビを心配し過ぎて身体を壊したら、大事な姉に申し訳無いなと」
 簡単な理屈だ。『押されれば落ちる』。それを避ける為には、何をするべきか。
 決まっている。
「……ところで桜。この広い家に、二人ってのも少し寂しいと思わない?」
「……そうですね。言われてみれば、もう一人くらい居れば丁度良いかな」
 たった一つの簡単な理。



「桜。兄さん欲しくない?」
「姉さん。弟欲しくないですか?」



 どちらが『落とす』か、『落とされる』のか。
 ―――いざ、尋常に。



















「勝負―――!待て、このスーパーあくまっ子―――!」
 翌日の朝。
 衛宮邸では、涙に濡れる虎の嵐が吹き荒れたという。


 
 約一名が堕ちたというのは、また別のお話。


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