凛の話 - バレンタインの日/2


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1: ukk (2004/02/24 17:48:50)


「それじゃ遠坂、セイバーと買い物いってくるから、留守番よろしくな」
「はいはい、いってらっしゃーい」


士郎が出かけたのを確認、頭を抱えて他人の目とか士郎が理由で出来なかった反省をする。
本来なら私が、今日最初に士郎にチョコを渡すはずだったのに。
ところが、肝心のところでポカをやる遠坂の伝統が遺憾なく発揮された結果、私はせっかく作ったチョコを、遠坂家の厨房に忘れてきたのだった。


「――――――無い」
朝、衛宮家の玄関を出たところで、私は愕然としていた。

鞄をいくら探っても、無い。
今日という日のために、作ったチョコが入っていない。
三日前から、セイバーに隠れて作っていたチョコが入っていない。
昨日、確かにラッピングしておいたチョコが入っていない。

「遠坂、どうしたんだ?遅刻するぞ」
士郎がいぶかしげに声をかける。
「ちょ、ちょっと待ってて」
思い出せ、ここに来る前、朝の行動を思い出せ……。

えーと、寝過ごして、あわてて着替えて、チョコをしまっていた場所から厨房の机の上に出した。
うん、ここまではオーケー。それで、どうしたんだっけ。
玄関で靴を履いて、鞄の中身をチェックして、鍵をかけて、家を飛び出してきた。
「――――――あ」
机の上のものを鞄に入れずに。


昨日の夕食時の桜と士郎の会話から、今朝は桜が来ないことを私は知っていた。
おそらく夜に間桐家でチョコ作りをして、朝、校門なり靴箱で士郎に会ったときに渡すつもりなんだろう。

しかし、いくら相手が桜といえども、一番というのは譲れない。
こっちはすでに作成を終えて後はラッピングをするばかり。
幸いというかなんというか、最強の相手のスターティンググリッドは後方にある。
セイバーはこういうことには疎いが、念のため秘密にしてあるから、作成状況を知るものは私以外にはいない。

この勝負、勝った!


はずであったのだが。


結局、私は、士郎が私以外からチョコを受け取る光景を、ただただ指をくわえて見ている事しか出来なかった。


士郎は、残りの休み時間に一個、放課後にやっているいつもの備品修理中に一個、校門で一個のチョコを受け取った。
下校の途中ではぴりぴりした私が隣にいたせいか、渡そうという人物は現れなかった。
朝、衛宮家を出てから再び帰ってくるまでに士郎が獲得したチョコの数は、合計で十七個にもなった。


「さて、どうしよう」
士郎がセイバーと買い物に出ている今のうちになんとかしないと。
もうじき桜が部活から帰ってくるはず。そうしたら桜に留守番を任せて、遠坂家まで走って取りに行ける。
途中の坂道がつらいが、私の足なら、士郎が買い物から帰ってくる前になんとか帰ってこられるだろう。
よし、そうしよう。桜、早く帰ってこーい。


時計のカチカチという音を背景にじっと待つ。


留守番を頼まれたからには、勝手に出かけるのはまずい。こんな状況だが、士郎との約束はなるべく破りたくない。
だから、桜が帰ってくるまで待つ。


一秒が長い。
一分が長い。
壊れていないのは分かっているんだけど、言わなきゃ収まらない。
「もう!この時計壊れているんじゃないの!」
言ったけど収まらなかった。


秒針を見つめる。
まだか。
桜、早く。お願いだから。


秒針の刻みが遅い。
外出する用意は出来ている。
じりじりとしながらじっと待つ。


玄関を開ける音がした。
「ただいまー」

よし、桜が帰ってきた。士郎が出かけてまだ二十分ほどしか経っていない。
これなら間に合う。取りにいける。
「お邪魔しまーす」
「お邪魔いたします」
桜が友達を連れてきたのかな?でもあの子、そんなに仲の良い友達いなかったような。それにどこかで聞いた声だった気がする。まあ、いい。
玄関に走る。今ならまだ間に合う――――――

「やあ遠坂、また会ったね」
「き、きさま、なぜ私服でここにいる!?」
綾子と柳桐くんがいた。

――――――間に合わないかも。


湯呑みを手にして居間に座る。
表面上は落ち着いて、しかし内面ではこれ以上ないくらいに焦っている。
綾子の目の前で取りに行くわけにはいかない。綾子はこういうことには鼻が利く。走って帰ってきて、手に持ったものを見たら、一発で事情を察するだろう。それに加えて、柳桐くんもいる。
こいつらには絶対に弱みをみせるわけにはいかない。

何気ない会話をしながら、なんとか見付からないように取りに行く方法を必死に考える。士郎が買い物から帰ってくる前に、なんとか、どうにかして、取ってこなければいけない。
だというのに、時間は無常に過ぎていって。
「ただいまー」
「ただいま帰りました」
士郎とセイバーが帰ってきてしまった。


「やあ衛宮、また会ったね」
「お邪魔している。今日は急に悪かったな」
「……お帰り」
「おう、いらっしゃい。今夜は鍋だぞ。って、どうしたんだ、遠坂?」
士郎を恨むのは理不尽だと分かっている。でも、恨めしい。


セイバーは買ってきた荷物を冷蔵庫にしまっている。
綾子は、しまい終わったセイバーを手招きして呼ぶと、鞄からコンビニの袋を取り出して渡した。

「はい、セイバー。これ、預かっていたもの」
「ありがとう、アヤコ。このお礼はいつか必ず」
「ほう、それがそうか。美綴、出来の方はどうなんだ」
「もうばっちり。最後はうちの母さんまで協力しちゃってさー」
「なるほど、それはよかった。おかげで肩の荷が下りた」
そういって二人で声を合わせて笑う。気になる。

「セイバーさん、なんですか、それ」
桜も気になったのか、袋を覗き込む。
「あ!」
セイバーはあわてて袋を後ろに隠すと、そのまま壁際まで一気に後退した。
「え、え、えーと、これはですね」
セイバーがあからさまにうろたえている。なーんかあやしい。
「セイバー?」
「おっと、遠坂。今はまだ秘密だ。桜も、後で教えるから、今は我慢してくれ」
「そう、後で分かる。だから今は大人しくしておれ、遠坂」
セイバーに近付こうとしたら、綾子と柳桐くんに止められた。なんなんだ、いったい。


そんなこんなで。
遠坂家に取りに行く機会がないまま時間は過ぎていき。
「ただいま帰ったよー、と。んんー、お客さんがいるのかなー」
藤村先生まで帰ってきてしまった。


「あら、いらっしゃい」
まるで自分の家に来たかのように藤村先生は柳桐くんと綾子に声をかける。
「お邪魔しています」
「お邪魔しています」
お茶を片手に座った藤村先生と入れ替わるように、士郎が席を立つ。
「さて、それじゃ晩ご飯作るか」
「先輩、お手伝いします」
桜も立ち上がる。

これでようやく二人が帰る。ちょっと遅くなったが、いいだろう。
私が美綴を送っていって、その帰り道で遠坂家からチョコをとってくればいい。遠坂家に寄り道しても、晩ご飯の前には帰ってこられるはずだ。
「うむ、期待しているぞ」
「衛宮と桜が作るんなら大丈夫でしょ。楽しみだね」
……何を言っているのか、この二人は。


「ちょっと来なさい」
士郎の耳をつかんで廊下に引っ張っていく。

「なんだよ、遠坂。まだ晩ご飯の準備が途中なんだが」
「なんで、柳桐くんと綾子がまだ残っているのか、説明しなさい」
「あれ、言ってなかったっけ」
「聞いてないわよ。説明しなさい!」
肩をつかんでゆする。
「や、やめ、とお、さか」
「いますぐ!説明!しなさい!」
「なんか、きゅ、急に、今日、来、たい、って」
「ちゃんとしゃべりなさい!」
「なら、ゆ、ゆす、る、んじゃ、ない」
「はやく、言えって、いうのよ!」
「手、手を、離、し」

まだ言わない気か、この――――――

「遠坂さん、必死ねー」
「遠坂、必死だな」
「リン、必死ですね」
「うむ、必死だ」
「遠坂先輩、必死なんですね」

――――――居間の面々が首を突き出してこっちを見ている。

あわてて手を離した。士郎ががっくりと廊下にへたり込む。
「んん、ごほん」
とりあえず、咳払い。
「遠坂さん、誤魔化す気ね」
「遠坂、誤魔化す気だな」
「リン、誤魔化す気ですね」
「うむ、誤魔化す気だ」
「遠坂先輩、誤魔化す気なんですね」
あ、あいつら。
「な、なあ、遠坂」
首を押さた士郎が私を見上げて言う。
「なによ」
いけない。自分でも驚くくらい不機嫌な声がでた。
「遠坂さん、その言い方はどうかと思うなー」
「遠坂、自分でやっておいてそれはないだろ」
「リン、その態度は理不尽です」
「うむ、化けの皮がはがれたな」
「遠坂先輩、それはちょっと」
居間の方を睨み付ける。ちっ、すばやい。すでにみんな首を引っ込めた後だった。
「なあ、遠坂」
「なにかしら、衛宮くん」
ああ、いけないと分かっているのに不機嫌な声が隠せない。
「とりあえず、説明するから晩ご飯作らせてくれないかな」


「つまり、急に来るって言い出したってこと?」
晩ご飯を作っている士郎の脇で、私は腕組みをして立っている。
「そう。生徒会の用事を片付けて帰ろうとしたら、一成が、美綴の部活が終わったら一緒に顔を出すって言い出してさ。なんでか知らないけど、飯代出すからついでに晩ご飯も一緒させてくれって」
だから買い物に行っていたのか。それよりも、確認しておかないといけないことがある。

「じゃあ晩ご飯を食べたら、帰るのね?泊まらないのね?」
「そりゃ帰るだろ。それとも、帰ったらまずいのか」
「え、ううん、その逆。帰ってくれないとまずい」
「よくわかんないけど、ま、そういうことで晩ご飯一緒だから」
いいよな、といって士郎は鍋掴みをはめて鍋を食卓に持っていく。
事後承諾をとったつもりらしいけど、よくない。全然よくない。けど、おなかが減っているから我慢する。

「できたぞー」
「相変わらず、たいした料理を作るねえ」
「や、ご馳走になる」
「おおー、鍋だー」
「今日もおいしそうですね」
「それじゃ、私はご飯をつけますね」
藤村先生とセイバーは目をきらきらさせて、鍋から片時も離さない。なんというか、素直な人たちだ。


晩ご飯が終わった。お茶を飲んで一息つく。士郎は洗い物をしている。


今日の晩ご飯は、にぎやかだった。

綾子はさりげなく何杯もご飯をお代わりするセイバーに目を丸くし、桜は鍋を独り占めしようとする藤村先生を牽制する。私は私で、士郎に何かを頼むたびに出てくる柳桐くんの小言を丁寧に粉砕してまわっていた。
私は基本的に静かに食事をするのだが、たまにはこういうのもいいかもしれない。

一番騒いでいた藤村先生は、今はテレビを見て笑っている。
時刻はもうすぐ九時。
柳桐くんと綾子は動かない。晩ご飯は終わったというのに、まるで何かを待っているかのように、時折お茶を飲むだけ。
こいつらが帰らないと遠坂の家に取りにいけないっていうのに、いつまで居るつもりなんだ。
今日があと三時間で終わる。あと三時間しかない。
「あ、忘れてた。士郎、士郎ー」


「なんだよ、藤ねえ。まだ洗い物してるんだぞ」
エプロンで手を拭きながら士郎が台所から出てきた。

「ふっふっふ、いつもおいしいものを食べさせてくれる士郎に、私からプレゼントがありまーす」
そういって藤村先生はポッキーを取り出し、士郎に渡す。
「はい、士郎。ホワイトデー、よろしくねー」
「はあ、藤ねえはまたポッキーか。これでよくホワイトデーの催促をしてくるな」
「それでも毎回ちゃんとお返ししてくれるんだから、士郎ってばカワイイやつよねー」


「セイバーさん」「セイバー」
士郎と藤村先生の会話が一段落したところを見計らったかのように、柳桐くんと綾子がなにかを促した。
セイバーは二人に頷きを返し、心を静めるかのように、胸に手を当てる。
そして、綾子から渡された袋を取ってきて、きちんと正座すると、士郎を呼んだ。

「シ、シロウ。ちょっと、いいですか」
顔がどことなく赤くなっている。
……もしかして。いや、でも、まさか。


「なに、セイバー」
セイバーは深呼吸すると
「こ、これをシロウに」
「――――――」

驚いた。桜も驚いている。
セイバーが袋から取り出して士郎に差し出したのは、紛れも無い、バレンタイン・チョコだった。
白い袋の口を青いリボンで締めてある。袋には、close to you とエンボス加工してあった。

「おおー、セイバーちゃん、もしかして手作り?」
「はい。初めてなので、苦労しました」
何時の間に作ったんだろう。衛宮の家はもちろん、遠坂の家の厨房でも作っていた気配はなかったのに。

「ええと、セイバー、俺にくれるの?」
士郎がセイバーの正面に座りながら聞いた。
「はい。バレンタインデーには感謝の気持ちをこめてチョコを贈ると聞きました。手作りなら、いっそう喜ばれるとも。シロウにはいつもおいしいご飯を食べさせてもらっていますし、私は誓いを果たすためにも、その、ずっと、シロウのそばに居るのですから。今後とも、どうかよろしくお願いします」
ずっと、の部分でますます赤くなりながら、セイバーは両手でずい、と士郎に差し出す。
「ありがとう、セイバー。こちらこそよろしくね」
士郎が両手でそれを受け取ると、
「はい」
そういって、セイバーは赤くなった顔で笑った。


「セイバー、どこで作ったの?というか、誰に作り方聞いたの?」
桜はさっきの表情から察するに、知らなかったようだ。藤村先生も知らなかったみたいだし、私も当然知らなかった。それに衛宮家でも遠坂家でも、セイバーがチョコを作っている気配はなかった。

でもセイバーのそれは明らかに手作り。
一体、誰が――――――?

「イッセイに相談したところ、アヤコを紹介してくれました。アヤコには、この一週間もの間、いろいろとお世話になりました」

――――――なんだと。
今までそんなこと、一言も言わなかったじゃないか、こいつら。

「説明、してくれるわよね」
素知らぬ顔でお茶をすすっている柳桐くんと、やたらとにこやかな綾子をにらむ。
「ふむ、ちょっと前の夕方、買い物をしていたセイバーさんに会ってな。そのときにバレンタインとはどういうものか、と聞かれたのだ。説明したところ、衛宮に贈ったほうが良いか、という話になった。貴様からならともかく、セイバーさんからならば、衛宮も嬉しかろう。どうせなら手作りで、ということで学校まで戻って部活帰りの美綴を捕まえ、セイバーさんを紹介した。俺に作り方はわからんからな」

その後を綾子が引き取る。
「アタシとしては、紹介されたからにはきっちりやりたい。んで、うちのキッチンを貸して、指導したわけだ。セイバーは昼間は身体が空いているっていうから、セイバーなら悪いことはしないだろうし、うちの鍵渡してさ。昼間にセイバーが作ったのを、アタシがその日の夜に採点して、その結果とアドバイスを紙に書いてキッチンに置いておく。昼間にセイバーはまたやってきて、それを元に改良するって寸法でね」
なるほど、それで遠坂家でも衛宮家でも気配がしなかったのか。でも。

「なんで秘密にしていたの。教えてくれても害はないでしょう」
「それが、アヤコもアヤコの母上も、秘密にした方が効果があるから、と」
「アヤコの母上?」

「はい。一週間のうちの後三日は、アヤコの母上にも指導していただいきました。アヤコの父上との馴れ初め話などは、その、いろいろと参考になりました」
母上って、母親よね。って、なんなんだ、その協力体制は。

「だって、昼間にうちに来るんだから、顔を合わせないわけにはいかないでしょう。第一、セイバーに鍵を渡したのって母さんだからね。セイバーが鍵を返すときなんか、返さなくていいからうちの娘にならない?とかいいだしちゃってさ」
「協力した身として、その成果を是非とも確認したかったのでな。そこで今日、こうして訪問したわけなのだが、いや、うまくいってよかったよかった」
そういって綾子と柳桐くんは、声を合わせてかんらかんらと笑いやがった。

そうか。そういうことか。二人の共同作戦だったのか。心の中の怨み帳に太字で記録しておく。
これで、士郎にチョコを渡していないのは、私だけになってしまった。確かにミスをしたのは私だが、ここまで付け込む事ないじゃないか。朝からの出来事を思い出して、気分が沈む。自分にイラつく。くそ。

不機嫌な顔の私を気にしたのか、セイバーが申し訳なさそうに言ってきた。
「あの、リン。黙っていたことは謝ります。しかし、私は」
違う。セイバーは悪くない。手を振ってセイバーの言葉をさえぎる。
「いいのいいの。そうよね、セイバーだって女の子だもん。私は別にそういうことで怒っているんじゃない」
私だってセイバーに秘密にしていたんだし。責める気は全くない。自分の間抜けさに怒っているだけ。

「ですが、リン……」
「んんー?そこまで言うってことは、セイバーは士郎に渡したことを後悔しているのかなー?軽い気持ちであげただけなのに予想外に喜ばれちゃって困惑してるとか」
「な、そんなことはありません!私は軽い気持ちでシロウに贈ったわけではなく、日頃の感謝の気持ちを込めて」
「ならいいじゃない。士郎のために頑張ったんでしょう。堂々としてなさいよ」
「……わかりました。リンがいいというなら、それでいいんでしょう」
セイバーは原因はともかく、私の鬱屈に気が付いているんだろう。あとでお礼をいっておかなきゃ。

「で、どうだった。感想は?」
美綴がセイバーに聞いている。
「自分の気持ちで相手が喜んでくれるというのは、嬉しいですね」
とても嬉しいです、とセイバーは大切そうに言った。


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