凛の話 - バレンタインの日/3


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1: ukk (2004/02/24 17:48:49)


「では目的も果たしたことだし、我々は帰るとしよう」
「そうね。柳桐くん、見送りよろしく」
セイバーがチョコを渡すのを見届けるためだけに待っていたらしく、二人は帰り支度をはじめた。

藤村先生も伸びをして立ち上がる。
「いやいや、セイバーちゃんもやるもんだ。桜ちゃんも、そろそろ帰ろうか。送っていくから」
「はい、お願いします」
「遠坂さんとセイバーちゃんはどうするの?」

「私は」
まだ士郎に渡していない。私だけ渡していない。士郎はそのことについて、なにも言わない。胸につかえた鬱屈が取れない。
だからだろうか。
「もう少ししたら帰ります」
そう返事をしていた。


さっきから、セイバーと士郎が話をしている。
私はテレビを見ているがそれは外見だけ。全身を耳にして、二人の話を気にしている。
楽しそうなセイバーと嬉しそうな士郎。
セイバーに嫉妬している。自分の失敗が原因なのに。
嬉しそうな士郎が腹立たしい。それでも表情に出さない術を心得ている自分。
そんな自分自身にイラつく。


自己嫌悪しながらそれを隠している私。隣で楽しそうに話をしている二人。


つい我慢できなくて、二人の話を断ち切ってしまった。
「士郎。帰るから送っていって」

こんなことをしてどうする。こんなにも感情を制御できないなんて、魔術師失格だな。
醜態をさらしている自分を、覚めた目で眺めている自分がいる。
士郎が驚いた顔をしている。セイバーも。後悔する。二人が悪いわけじゃないのに。

「えーと、遠坂?」
「あ、ご、ごめん。話の途中だったよね。ほんと、ごめん」
あわてて謝る。ひどいことをした。
「いや、それはいいんだけど、もう遅いから泊まっていくとばかり思ってたから」
いつも通りの士郎の態度。セイバーがチョコを渡して、私は渡していないということを全然気にしていないような言葉。

「……今日は、帰る。だから送っていって。セイバーも仕度して」
自分が嫌になる。


士郎に送ってもらっている帰り道。
セイバーと士郎は、居間の話の続きをしている。気のせいか、セイバーは私と居るときより楽しそうに見える。士郎が笑顔でセイバーの話に相づちを打っている。
そんな二人を見て、うつむく。さっきから嫉妬してばかりの自分。

気が付くと、二人が私のほうを見ていた。心配そうな顔をしている。
「大丈夫ですか、リン」
「どうしたんだ、遠坂」
いけない。さっきの楽しそうな二人の姿がぶり返す。涙がにじんできた。こんな顔、見せられない。
「ごめん!」
二人を置いて駆け出していた。


どこをどう走ったのか、気が付くと見たことのある場所にきていた。
いつかセイバーと士郎の三人でデートした日、士郎に教えてもらった抜け道。あの日のことを思い出しながら、歩く。

考えてみれば、聖杯戦争の真っ只中に、遊びにいったんだっけ。
士郎行く道を知って、放って置けなかった自分にいまさらながら気付いた。
苦笑する。
セイバーが意外と負けず嫌いなことを知った。
公園で士郎をからかいながらお弁当を食べた。
午後から天気が崩れてきたから、計画を全てこなすことは出来なかったけど、でも楽しかった。
あのとき、士郎の歪な生き方を必ず変えてやる、と思った。

その気持ちは今も同じ。
だというのに。
立ち止まる。
夜空にはたくさんの星。冬木大橋の歩道。その中央で。
私は、一人、手すりにもたれ、夜空を眺めている。


「リン、風邪を引きますよ」
「セイバー……」


強い風が顔に吹き付け、髪をなびかせる。
「……」
「……」
お互いに、何も言わない。視界の先、地平線に途切れる川面を見つめている。

静かに私の隣に立っているセイバー。
私を心配して探しに来てくれた。
それなのに。
頭の中に、士郎と楽しそうに話していた姿が浮かぶ。
心配して探しに来てくれたのが分かっているのに。
本当に、今の私はどうかしてしまっている。
自分が情けなくて、セイバーの顔を見ることが出来ない。手すりに蹲る。

「ごめん、セイバー。今の私はおかしいみたい。今夜は衛宮の方に泊まってくれる」
「……リン」
「明日になれば、大丈夫。だから、今日だけは。お願い」
セイバーは、分かっています、というように頷いてくれた。
「はい。では、また明日会いましょう」
あなたは悪くないのに。未熟なマスターで、ごめん。
「……心配してくれてありがとう、セイバー。おやすみ」
「おやすみなさい、リン」


セイバーが立ち去ってからしばらくして。
「遠坂」

「…………」
なんでここに居るってわかったの、と目で聞く。
「ここに遠坂がいるって、セイバーに教えてもらった」
そして、士郎は頭を下げて言った。
「ごめん、遠坂」


瞬間、士郎に怒りが沸いた。こいつは、何に対して謝っているつもりなのか。


「あんたねえ、何が間違っているかもわかっていないくせに、簡単に謝るんじゃないわよ!」
士郎は悪くないのに、自己嫌悪を誤魔化すために怒鳴る。
そんなことをすればますます士郎の顔を見られなくなると分かっているのに。
感情的な自分が情けない。

「他人から好意を受け取ることの意味も知らないで!」
自分というものが希薄なこいつは、そんなことは気にしない。

それを私が変えるんじゃなかったのか。

衛宮士郎の生き方。他人が喜んでくれればそれでいい。自分はいらない、そんな資格がない。
それは間違っている。
手元に何も無い者に、量の大小はわからない。自分の価値がわからない者には、他人の価値だってわからない。
自分の今までやってきたことの意味を知るのは、自分しかいないのだ。だから、自分の価値を決めるのも、それを守るのも、自分にしかできない。

それを私が教えるんじゃなったのか。


でも。
こうして士郎を怒鳴っている自分はなにをしているのだろうか。
怒鳴るほど自己嫌悪が増えるとわかってて、なお怒鳴っている私は。


「何が悪いのか分かっているなら、言ってみなさいよ!」


「遠坂はいつも正しいから。悪いのは俺の方だろう。ごめん」
そういって、士郎はさらに頭を下げた。

「――――――」
言葉が出せなかった。
「でも、俺には何が悪かったのか分からないから。だから、ごめん。これしか言えなくて、ごめん」

――――――唐突に理解してしまった。

きっと衛宮士郎は、信じている。
遠坂凛は正しい。
いや、そうじゃない。
遠坂凛だから、正しい。
きっと、それを、強く、信じてくれている。

さっきまで心の中で荒れ狂っていたものが消えていく。自分嫌悪も、士郎への怒りも、静かに消えていく。

なぜ士郎に怒りを感じたか、悟ったから。
私は、甘えていたのだ。士郎の信頼に甘えて、省みることをしていなかった。
望めばいつだってそこにあると勘違いしていた。
胸がつまる。

それでも士郎は信頼してくれている。私を、信じている。
鼻の奥がつんとする。こらえようと、夜空を見上げた。

いいだろう。衛宮士郎が遠坂凛を信じるならば、それに応えよう。
そして、遠坂凛も衛宮士郎を信じよう。そうすれば、いつかこいつも、きっと気付く。
士郎という存在を大事に思っている人がいるということに。
シロウのありようをかけがえのないものと思っている人がいるということに。

なにより、自分の価値を決められるのは自分しかいないということに。


「士郎」
頭を下げている士郎の肩をつかんで、身体を起こさせる。
「ねえ、これからうちに来てよ。渡すものがあるから」
素直に優しい声が出せた。そんなことがなぜか嬉しい。
「え?」
「ほら、早く!」
士郎の手を引いて、駆け出す。

冬の夜風は冷たいけど、気にならない。
とてもいい気分。
だって、ほら。私の手の先には、士郎がいる。


玄関を開けて、居間まで行く。
居間のドアを開けると、居間の時計が十一時の鐘を鳴らした。

よかった、間に合った。安心のため息が漏れた。
家の中だというのに、吐く息が白い。まず、暖房のスイッチを入れた。
「座って待ってて。紅茶淹れてくるから」
厨房に向かう。
「なあ、遠坂」
「なに」
「あの、そろそろ、手」
私の手は、まだ、しっかりと士郎とつながれていた。

「ご、ごめん!つい」
あわてて手を離す。
「いや、いい」
士郎はぼそぼそと、嬉しかったし、とつぶやいた。
顔に血が上る。いかんいかん、こんなことで赤くなってるんじゃない。
なんとか抑えようとして――――――やめた。
士郎と居るときくらいは素直になってもいいじゃないか。
「そうね。私も嬉しかった」
え、と士郎が赤い顔をこちらに向ける。
「じゃ、ちょっと待っててね」
士郎に手を振って厨房に行く。

顔が熱い。きっと私も赤い顔をしているだろう。
士郎がいるだけで嬉しいなんて、まるで、恋する少女みたいだ。
「まあ、いいか」
素直な自分も、悪くない。


厨房の机の上には、私の作ったチョコレートがぽつんと置いてあった。
赤い包装紙と白いリボンに包まれた箱。
二人分の紅茶と一緒にトレイに載せる。

思えば、今日はこれのおかげで、ずいぶんと心を乱された。余計な醜態までさらしてしまった。
でも、得たものもあった。何を、とはっきりいうことは出来ないが、確かに得たものがあった。
たぶん、今日はいい日だった。そんな気がする。

「あなたのおかげかもね」
箱の表面を、軽く叩いた。


紅茶を士郎の前に置く。そして
「はい、バレンタインのチョコ。今日のうちに渡せてよかった」

士郎が真っ赤な顔で聞いてくる。
「開けてもいいかな」
「うん」
緊張しているのか、士郎の指は震えている。
丁寧にリボンをほどき、破らないように包装を解く。
箱を机に置き、ふたを開ける。


中を見た瞬間、私の目が点になった。


「ああーーーーーー!」

なんてことだ。割れている。真ん中から。まっぷたつに。
いったい何時割れたんだろう。まったく気が付かなかった。
遠坂の伝統が発動していたのは、朝ではなくて、ここにだったか。
でも、まさか、一番肝心な、このときに、こんな。
「ご、ごめん、すぐ作り直し……て、今日はあと一時間もないんだった」

せっかく間に合ったと思ったのに。
今日という日はもうすぐ終わる。
最後の最後でこんな。

悔しい。

セイバーに隠れて、こっそりと、それでも頑張って作った。

情けない。

渡したときにどんな顔をするかな、と考えて一人で喜んでいた。

馬鹿みたいだ。

頭の中がぐるぐるして、考えがまとまらない。

涙がにじんできた。

ああ、くそ、泣くんじゃない、こんなことで。
もっとつらいことはたくさんあったじゃないか。
泣くんじゃない。
こんなことで。
泣くんじゃない。
泣くな。
泣くなってば。
ああ、もう、泣くなっていっているのに……!


「ありがとう、遠坂。とっても嬉しい」

「――――――え」
なにを言っているのだろう、こいつは。

「今日あったことの中で、なによりも嬉しい」
そんな笑顔で。

「食べてみて、いいかな」
嬉しそうに。

「うん、やっぱりおいしい。さすが遠坂」
頭の中が真っ白で、何も考えられない。

なんで、こんな、こいつは、心から、嬉しそうに。
「で、でも」
割れている、のに。

「遠坂がくれたから」

「――――――」

「その気持ちが嬉しい」

「――――――!」

士郎を抱きしめる。大切な、私の士郎。なくさないように、どこにも行かないように、強く胸に抱く。

「と、と、遠坂?」
「ばか」
「えーと」
「ばか」
「……うん」
「ばか」
「うん」
「ばーか」
「そうだな」
「……ばーか」


すぐ横から、士郎の寝息が聞こえる。
なんか雰囲気に流されたような気がしないでもないけど、でもいい。
士郎が相手ならば、いい。

「俺は遠坂っていう星の周りを回っている衛星みたいなものだからな。遠坂が行くところについていくし、遠坂がいなかったらどこにもいけない」
なんて士郎は言っていた。

私に言わせれば、士郎は道標。
私が居場所に迷っても、士郎がいれば大丈夫。
私がどこにいっても、士郎は信じてついてきてくれる。
私が迷っても、士郎がいるならば、きっと道を見つけられる。

すぐ横で寝ている士郎の腕を抱く。
士郎の温かさを感じながら、目を閉じる。
そろそろ寝よう。

明日が待っている。

私と士郎が一緒に歩いていく明日が。


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