式神の謳う死 其の四


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1: YATU (2004/02/24 11:17:00)[thecountrylawyer at yahoo.co.jp]

 七夜黄理の息子と出会ったのは、午後七時、食後のお茶会とやらに客人として参加している最中だった。
 少し、時間は遡る。
 私が屋敷に着いたのは午後六時5分前、精緻な洋人形のようによく似た二人の少女、使用人の琥珀と翡翠が私を出迎えてくれた。豪奢な、しかしその一方で不気味なほど静かな屋敷に足を踏み入れた私を遠野秋葉は静かな笑みを浮かべて、迎え入れた。
 それから瞬く間に食堂に通されて用意された食事、洋食だった、を口に運ぶ。
 朗らかな女性、琥珀の料理は大変に美味かった。
 顔立ちから見て、彼女の姉妹であろう翡翠と呼ばれる礼儀正しい少女の給仕は危なげなく、見ていて心地よいと思えるものだった。
 私と遠野家当主は、食事中は人目もあってか、お互いの情報を明かすことをせずに、ただ遠野グループの現在の経済状況など当たり障りの無い世間話をしていた。
 それから、二人の使用人が食後の定例行事であるそうなお茶会の用意と済ませた食事の片づけをしている間に、一通りの情報をお互いに交換した。
 彼女からは、この街の現状、吸血騒動が治まり、その浄化にもっぱら当たっていた埋葬機関のシエルが、公園に妙なパターンの霊子を感じたので、保存のため、強制封印したということを聞いた。

「霊子というと、我々で言うところの四魂の第一層と二層の中途状態だな、荒魂(あらみたま)、つまり欲求の権化、肉体から和魂(にぎみたま)、精錬された荒魂が洗練される状態に至るまでの途を本来指すのだと思うのだが」

 我々の価値観で行けば、その後、堕ちることなく順調に幽世を発った和魂は、より幸魂(さきみたま)と呼ばれる安住の領域に突き進み、最後は奇魂(しみたま)と呼ばれる神性の地に到達し、また逆の道を通り、現世に再生する。
 しかし、西洋の魔術師などは、これを強引に繋ぎとめて、幸魂、奇魂のプロセスに至らずに、自らを保存、再生することができるという。それは、我々からすれば到底理解しがたい行為である。そもそも、魂とは……
(以下省略、しばらくお待ちください)
――閑話休題。

「まったく、西洋の物理主義者はこれだからかなわんな、一層と二層、肉体と精神を分割するにも等しい理を捻じ曲げる行為は、いくら技術としてあるとしても……」

 そこで、はたと気づいた。

「妙なパターンと言ったな、一体どういうものなんだ?」
「さあ、詳しいことは直接シエルにお聞きになったほうがいいでしょ?」

 やはり、公園で見せたときと同じく、シエルという単語に対して嫌悪感を目の前の少女は有しているようだ。
 ひどく不機嫌でふくれっ面にも見える。こうなった女性の扱いは瑞樹でよく知っているため、あえて私は追求しなかった。

「では、そうしよう」

 むしろ追従し、私はこちらの情報を話すことにした。
 私からは、「大祓讃」の簡単な概略、つまり我々が中臣神道を祖とした攻性の「穢れの払い」を行なう集団であり、その時代時期によって、神仏習合を取り入れ、密教の真言を取り入れて国と人に仇なす見えざる障りを排除してきたと伝えた。
 すると、遠野家当主は、

「なんだか主体性のない集団ね、あっちへふらふら、こっちへふらふら、ご利益があると聞いて飛びつく馬鹿な人たちみたい」

 とひどく失礼なことを言った。
 悲しいことにそれは、ある意味ではひどく真っ当な意見なので反対することはできなかった。
 我々のやり方は、要は精神の鍛練によって高められた法理の実践であり、有効性があるならば我々が守る掟「律」に反しない限り、取り入れる。それを主体性がないといえば、確かにそうなのだが、わが国はそうやって発展してきたのだ。と力説してみる。

「別に構わないだろう? 要は活力としての防護性と攻撃性があれば魔に対抗できる。毒を制する毒として、君達のように異種の力を求めるだけが手段ではないというわけだ」

 ついでに、批判交じりに言ってみた。
 遠野家当主はそれに答えずに、ただ黙ってしまい、沈黙の帳が下りてきた。
 私は失敗したと思った。これは、人間関係の確立に失敗したときのアレだ。手ひどい沈黙で無いだけに瑞樹よりもまだマシだが、それでもこの空気はつらい。
 そこへ、使用人二人が所用を済ませてお茶会が始まり、それから10分ほど他愛も無い世間話をしていると、ようやくと言うべきか、遠野家長男にして七夜の生き残り、遠野志貴が現れた。
 こうして会ってみると、正直言って、目の前の少年があの鬼神の息子だとは到底思えない。日本の退魔組織において、七夜とは一種の憧憬。ずいぶん昔から始末屋として扱ってきたものの、その強靭な体躯と意志。黒鋼で打たれた蒼夜に翻る刃は羨望の対象であった。それが赤に食われて全滅したと聞いたとき、皆、愕然として悲嘆したものだ。しかし、人知れず唯一人が残っていて、それが赤の世界に取り込まれたのが判ったのは、なんの因果か。
 私の仕事は、可能ならば遠野家を滅ぼすことも含まれている。魔に反する生粋の血統、七夜の痕跡すら取り込むほどの赤の力を見過ごすことができない、というのが上の見解なのだが、私はどうにも不満だった。損傷は与えるのも、受けるのも無駄だから、という信念ゆえだ。障害となるならば喜んで払うが、それ以外となると、少年少女を手にかけるのはやはり躊躇われる。
 そういうわけで、眼鏡をかけたまだ幼さの残る男子は、私を見るなり、驚きの表情をして、次に明らかに不服そうな顔をした。
 それが意味するところは、多分自らの位置に私が座っていることへの嫉妬ではないか、と推測するが、仮にそうだとすると、父親とは似ても似つかない落ち着きの無さ、その平凡さに少し落胆する。

「初めまして、遠野志貴君、お父上とはお世辞にも似ているとは言えないようだ」

 理路整然とした物腰を装いつつ、私はあらゆる動作を見抜く目で彼を見つめた。二人の使用人と遠野家当主、三人の少女の雰囲気が一瞬強張るのを感じたが、今はそれを置いておく。判断すべきは、目の前の少年の返答で、この場合の父をどちらと取るのかが、その基準となる。
 彼もまた同じく探るような目を私に向けて、

「ああ、よく言われるよ」

 曖昧な答えを返してくる。困った。どちらとも言える答えはとても困る。
 そこで、私はここにいる私以外の四人が間違いなく気分を害することを心の中で謝罪しながら、もう一歩踏み込む。

「君の父上については、私もよく知っていてね、と言っても直に会ったことは無いのだが、話にはよく登ってきた。大変有能な御仁だったよ」
「ああ、そうか、それで、あんた誰だ?」

 質問に答えずに、苛立たしげに少年はそう言った。どうやら判断は先送りになるようだ。
 私は、少年の選定を断念して立ち上がり、少年に「ついてきたまえ」と告げて、屋敷の中央、ロビーの屋敷の入り口まで歩き、振り返る。ロビーの中央には言われた通り付いてきた、目の前の少年、遠野志貴を除いて誰もいない。今の少女達は覗き見、覗き聞きすることが私への失礼にあたると理解しているのだろう。
 ここにきて私は、自分よりも10cmほど低い相手に対して、軽く会釈をした。

「失礼、私は『大祓讃』マイナーな日本の退魔組織の一つだ、そこに所属する祓い手、教会のエクソシストのようなものだと思ってくれればいい、名を九鬼篤志と言う。隠していると知られたときに厄介なことになるので包み隠さずに目的を述べると、真祖の姫君を捕らえに来た」
「なっ……」

 いちいち注釈を入れつつ、目的まで律儀に教えてやると、目を見開いて遠野志貴は飛び下がり、わずかに身を低くする構えをとる。

「敵対することはない」

 私は武器を持たないことを証明するように、両手を開く。しかし、どうも納得してくれないようで、遠野志貴は全身をさらに強張らせた。

「お前が、アルクェイドを捕まえるってんなら……」

 彼の言葉は続かず、さらに体が深く沈む、弓に似たしなりを帯びる力。私は彼を観察したままため息をつく。

「思ったより、血の気が多いな……やれやれ、君の能力は知らんが、君の本来の家系と、相手の全身を満遍なく淀みなく見る目の動かし方、切るような一瞬に賭ける腕の振り方、音を殺し瞬間的に飛び立つような足の張り方から考えるに、君は十二分類の六『接近型暗殺者』、私に対する有効射程距離は1mというところだと認識した、現状での君と私の距離は4m弱、例え鬼札めいた能力があろうとも、君が私を打倒することは困難だ」

 遠野志貴は私の客観的な意見を聞きながら、さらに険しい表情を作る。困った、彼はやる気に満ち溢れている。そんな困惑とは別に、私は彼の四股に込められたよどみない力と全身に満ちた雄雄しい調和に、感嘆の意を表する。

「勘違いしないでもらいたい、私は私が君よりも優れていると言いたいわけではないのだ。この状況、距離、広いが複雑な空間、出口の近くにある私の立ち位置から、私と君が争っても意味が無いと言っている」
「つまり、どういう意味だよ」

 体への力は静止したまま、跳躍する前の鹿を思わせる彼は言う。

「十二分類の六『接近型暗殺者』における有効射程距離とは、必殺の距離を示す。私は、君にそこまで入られれば殺されると言いたいわけだ。逆を言えば、入られなければ問題ない、つまり」

 私は肩をすくめた。そんな様子に疑問を感じてた口早に疑問を声に出す遠野志貴。

「つまり、なんだよ?」

 ようやく話にのってくれるようになって非常に助かった。私は、心の中で安堵しつつ皮肉めいた笑みを浮かべる

「つまり、近寄って来たら全速力で逃げさせていただく、これでも足には自信があるのでな」

 と、すこぶる意外そうな顔をする遠野志貴。微妙に呆れた感もある表情に、私は

「なんだ? その顔は、むう、君は私の厳しい顔や言動から誤解しているようだが、私は卑怯かつ臆病だ。そうでなければ生き抜けなかったからな。ありていに言って『ヘタレ』と言ってもいいだろう」
「……」
「第一ここで騒ぎを起こす謂れもないだろう、手に持とうとしたナイフを収めたまえ。それに……」

 そこまで言って、一旦言葉を切り、逡巡する。一瞬の停滞、あまり時間を置くと、まずいことになりかねないので、早々と思考を止めて言葉を続ける。

「私個人としては、穏便に事を済ませたいと願っている。元より名高い真祖の姫君、東洋の小国の一組織程度が抑えられるものではないし、抑えられるならとうの昔にやっている」

 いまだ剣呑な目つきのまま、遠野志貴は言う。

「つまり、どういうことだよ」
「つまり、放置しておきたいというわけだ、最も建前上、少しこの国から離れていてくれると大助かりなのだがその辺りも含めて、説得の協力を要請したい」

 私はニヤリとして答えた。当人からすれば意外な答えだったのだろう、遠野志貴は口をポカンと開けている。それを楽しげに皮肉げに私が見ていることを察知したのか、気を取り直したように、居ずまいを正して咳払いをする。

「はあ、前振りの割りに、ずいぶんとあっけない結論じゃないか、なんで」

 気が緩んで、慌てた感さえある彼の疑問を煩げに手で払いながら、私は遠野志貴に近づいて、横を通り過ぎ、目麗しき女人がいる居間に戻る。

「まあ、その話は追々していこう、それより食事は取らないのかね?ここの料理人、琥珀さんか、の料理は大変美味だ」

 と居間の入り口から遠野秋葉の横に座って、微笑んでいる女性に語りかける。

「あら、お上手ですね〜、お客様にお料理を褒められるのは大変嬉しいです」

 琥珀と呼ばれる使用人の女性は、満面の笑みを浮かべ軽活に答える。その後、ふと視線を私の斜め後ろ、遠野志貴に向けて少し眉根を寄せる。

「ところで志貴さん。いつも言っていますけど、あんまり遅くなったらダメですよ、秋葉さまもお客様の前だから面と向かってなにも言わないんでしょうけど、きっと後でひどいです」

 と、柔らかな笑みを浮かべたまま、客人の私から聞いてもなんとも不吉な預言をする。遠野家当主はそれを聞いてかどうかは知らないが、ジト目で遠野志貴を見ている。
 それに狼狽して、遠野志貴は

「な、なんだよ、秋葉、いや、その、今日は悪かった、先輩が急に街に行こうって言い出して」

 そこで、口をはっと押さえた。事情はよく分からないが、地雷を踏んでしまったという表情だ。
 そこに来て、わなわなと肩を震わせて遠野家当主は静かに、

「そう、兄さんにとって私たちはどうでもいい存在なわけですね」

 華奢な腕を組んだ。どことなしに瑞樹の怒った時にも似た既視感を覚える。事実、そうなのだろう。
 その後で、しどろもどろに弁解する遠野志貴とそっぽを向いてその余地すら認めない妹、この屋敷における日常を黙って見つめながら、私は私の判断が間違っていないと確信していた。


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