月影后Act.4


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1: アラヤ式 (2003/11/15 19:08:00)[mokuseinozio at hotmail.com]

捕縛されたアルトルージュ。

彼女のいる部屋は、正方形の壁で埋め尽くされた無機質極まりない場所。

床中央には、白い線で巨大な六芒星が描かれており、その中心に黒い十字架が聳え立つ。

アルトルージュは十字架に、四肢を拘束具で磔にされていた。

吸血姫がキリストのように磔にされているとは、なんという皮肉か。

はたまた、この男の趣味なのか。

「ご苦労だったな」

部屋の片隅にもたれかかる色白の青年は、傍らで直立する割腹のよい老人にねぎらう。

ロアは、捕縛したアルトルージュを満足そうに眺めていた。

「いえ」

ヴァン=フェムは、いたって端的に答える。

老人の無表情な態度は、明らかに素っ気も興味もないものだった。

「おまえの働きには感銘を受けたよ。 なにか欲しいものでもあるか?」

「なにも」

老人の無機質な態度はかわらない。ロアは、別にかまわなかった。

何故かはわからないし興味もないが、ヴァン=フェムはオーテンロッゼがすでに消滅している

ことを理解していながら、自分の謀に無条件で協力してくれた。

ヴァン=フェムは、消えるようなため息をつくと、ロアに背を向ける。

「どこへいく?」

「あなたには関係のないことです。 私の仕事は終わりました。
 おさらばです、『オーテンロッゼ』殿」

老人は背を向けたまま決別を告げ、部屋からでていった。

今は亡き、元の体の主へ語りかけるように。

ロアは黙って見送った。もう、魔城に用はない。

ロアは十字架にむかって歩き出すと、気を失っているアルトルージュの目の前にたった。

うなだれる彼女の顎に、ロアの右手がそっと触れる。

「ん……?」

アルトルージュは、ひんやりとした感触をおぼえ、意識を取り戻した。

ゆっくりと目をあけると、彼女の視界にはまったく予想だにしない男がいる。

「蛇!? どうして、あなたが……!?」

「おひさしぶりですね黒の姫君。 わが城へようこそ」

白マントを羽織っているが、その陰鬱に満ち溢れた風貌、色白い肌。

アルトルージュは、わざとらしく会釈するその男に見覚えがあった。

真祖を絶滅へと追いやり、強大な力をもって自分を退けた死徒。

紛れもなく、ミハイル・ロア・バルダムヨォン。

「あなた、まさか古狸を取り込んだというの!?」

「姉妹そろってお察しがよろしい。 
 トラフィム・オーテンロッゼという意識は、もはやこの世には存在しません」

少女の驚愕に染まった顔を肴に、享楽の極みのようにロアは笑う。

アルトルージュは愕然とした。

いままでの策謀は全て、この男の、手の平の上だったということに。

同時に、抑えようのない怒りが、少女のなかに込み上げてくる。

ゴーレムに果敢に立ち向かい、自らの身を犠牲にして救おうとしたブライミッツ・マーダー。

魔剣の能力を封じられ、それでも自分を救おうとしたシュトラウト。

幽霊船団を自らの限界まで具現させ、血反吐をはいたヴラド。

彼らの姿が目に浮かぶ。

アルトルージュは燃えるような赤い瞳で、眼光のみで射殺さんばかりに睨みつける。

「……相変わらず姑息な手を使うわね。
 御変わりないようで反吐がでるわ。 このクソ野郎」

「おやおや。 
 黒の姫君ともあろう御方が、いつからそのような下劣な言葉を使うようになったのですか?」

「エンハウンスに教えてもらったのよ。
 あなたの白々しい紳士面より、よほどまともではなくて?」

アルトルージュは挑発と挑戦を交えてはき捨て、ロアの頬に向かって唾を吐きかけた。

「フ」

ロアは一瞬、薄く笑う。

「あまり調子にのるなよ。 このガキがぁっ!!」

アルトルージュの頬を、ロアの右手が力いっぱいに引っぱたく。

「人が下手に出てりゃつけあがりやがって!
 おまえはっ! おまえはっ! おまえはっ!」

ロアはアルトルージュの前髪を鷲づかみにすると、動けない少女に膝蹴りの連打を繰り出した。

さっきまでの紳士面を完全にかなぐり捨て、ロアの表情はすさまじい般若の形相にちかい。

嫌な濁音とともに、アルトルージュの肋骨がへし折れる。

それでもロアはおさまらない。

彼は壊れていうことを聞かないおもちゃのように、アルトルージュに暴行を加えつづけた。

狂気の暴力が吹き荒れるなか、アルトルージュの目は輝きをうしなっていない。

「……随分と、昔より癇癪の吹き上げ方がお上手になったのね」

「まだいうかこのガキ!!」

ロアは怒りにまかせてアルトルージュの頬を殴りつけた。

とどめともいえるその拳は、彼女の全身の力を失わせるには十二分。

うなだれた彼女を尻目に、ロアは高ぶった精神をおさえるように呼吸を整えていった。

狂気の刃を、張りぼての理性の鞘におさめるように。

「勘違いするな。 所詮おまえは私の姫君ではない。
 私の野望の礎になってもらう。 
 覚悟はしておけよ」

「私の、姫君?」

腫れた顔をあげるアルトルージュに、ロアは再び笑顔を取り戻す。

「そうさ。
 オーテンロッゼの肉体に覚醒してみれば、
 アルクェイド・ブリュンスタッドは、全く変わらず美しいままだった。
 私の姫君!
 私の完璧な姫君!
 もう人間に奪われたりなどしない! 力づくで取り戻す!
 今度こそ私は姫君を、この手に確実に入れる!」

握りこぶしをつくって狂気に浸るロアをみて、アルトルージュは悟った。

ロアは、アルクェイドを愛する心に気づいた。

だが、元々他人を犠牲にして利用することでしか、世界との接点をもっていなかったこの男が、

いくら『愛』という感情をもったところで、人を慈しむという行動を理解できるはずもない。

とってつけた感情の波はすぐに荒れ狂い、ロアの精神状態はまったくもって不安定なのがよい証拠。

ロアにとって愛することとは、その人を破壊することに等しい。

「あなた、まだアルクェイドさんに固執しているの?
 そのあげくここまで周りを犠牲にして、あきれた人……」

「おまえはどうにもおしゃべりが過ぎるようだな!」

再びアルトルージュを引っぱたき前髪を掴みあげる。

「ならばおまえはなんだアルトルージュ・ブリュンスタッド!?
 おまえは第四の権利をつかってオベローンと契約し、奴を現象化の怪物に仕立てあげたのだろう!?
 おまえこそ朱い月になるためなら何を犠牲にしてもかまわないくせに善良ぶるなよ、このクソアマがぁ!!」

アルトルージュにロアは凄まじい恫喝を浴びせ、彼女の傷をえぐる。

ロアはすでに知っている。彼女の業を。

「……そうね。 否定はしないわ」

アルトルージュは、うつむいたまま、何も言葉を発しなくなった。

ロアは彼女の髪を離すと、髪をかきあげながら笑う。

「喜べアルトルージュ。 おまえのその悲願、私が叶えてやる」

彼の右手には、禍々しい形状の魔剣アヴェンジャーが握られていた。





「ブライミッツ殿、今無理に動けば傷に障ります!」

―― カマウナシュトラウト。 ワレノセナカニノレ!

「私が行きます。 ここで安静にしてください!」

―― ウゾウムゾウノモウジャノムレハ、イクラオマエデモトッパスルノハヨウイデハナイ。
   サッサトノレ!

オーテンロッゼの城を目前に控え、

ブライミッツ・マーダーの傷は、放置していいものではなかった。

ゴーレムの灼熱の炎によって、全身の皮膚はほとんど焼け爛れて、

ネバーモアの効果で復元呪詛はおもいのほか停滞していた。

―― ヒメサマ、コノフカク、ワレノイチテイドデハツグナイキレマセン。
   モウシワケ、ナイ……

魔犬は苦悶の唸り声をあげ、血だらけの四肢でふんばり、立ち上がろうとする。

舌から大量の血が流れ落ち、息が荒い。

「ブライミッツ殿のせいではありません。 
 姫様をかどわかされたのは私の、不覚です……」

―― ナラバ、シュトラウト。
   ワレハオマエヲヒメサマノモトヘカクジツニツカワス、シメイガアル
   ヒメサマハ、オマエヲマッテイル

「……いえ、姫様が待っているのは、私ではありません」

シュトラウトはわかっていた。

アルトルージュの想い人は、だれであるかということを。

「ですが」

シュトラウトは魔剣ニアダークを握りしめ、言葉を振り絞る。

「私は姫様を、お救いにいきます。
 僭越なのは重々承知していますが、
 もう姫様がこれ以上、権力と憎悪の渦に巻き込まれるには忍びなく、
 姫様の平穏と安らぎに、少しでもお役に立てれば、これに優る喜びはありません」

シュトラウトに迷いはなかった。

尊敬する姫君を救うため、彼はいく。

魔犬は立ち上がり、シュトラウトはその背中に飛び乗った。

―― シュトラウト。 ワレハオマエトトモニイケルコトヲ、ホコリニオモウ。
   ダガワスレルナ。
   オマエトイウマモリテガイルカラコソ、
   ヒメサマハヘイオントヤスラギヲエルコトガデキタノダ。

目前の城の前には、ネオの群れが、砂糖にたかる蟻のごとく蠢いている。







ヴァン=フェムは、森をゆっくりと歩いていた。

彼にはやるべきことがあった。あの男と、長年に渡る決着をつけるために。

「待っていたよ。 ヴァン=フェム」

暗闇のなかに浮かび上がる白のスーツ。

「呼び捨てとは失敬だな。ヴラド」

ヴァン=フェムとヴラド。因縁の宿敵が、顔をあわせた。

「人さらいに何をいおうが不敬にはならないよ。 僕はあなたが嫌いだ」

「奇遇だな。 私も君のことが嫌いだ。 吐き気がするくらいにな」

老紳士と金髪の優男との間に、静かな火花が走る。

ヴラドは一輪のバラをとりだし香りを堪能すると、無言でみつめるヴァン=フェムに投げ与えた。

「時に、この世で最も重い罪とは、なんだとおもう?」

「さて。
 少年の血が大好きなストラトバリスの悪魔に、罪を問われてもな」

「『無関心』だよ。
 自分は関わらない。 知らない。 興味がない。
 この罪悪感皆無の怪物が、この世にどれほどの災いをもたらしてきたかわかるかい?
 僕はたしかに残虐であり非道であり、血をすする獣さ。
 だけどね、『無関心』にだけはなるまいと心に決めている」

「それで?」

ヴラドはレイピアを取り出すと、ヴァン=フェムにその切っ先をむけた。

「あなたは、リタを殺した……」

輝く金色の双眸。

普段は飄々とした笑みをたやさないヴラドが、激しい怒りに、静かにたけり狂っている。

「あなたはオーテンロッゼの企みを知っていながら、
 なにも行動をおこすことなく、ただ黙ってリタが堕ちていく様を傍観していた。
 あなたが一番オーテンロッゼに意見できる立場にも関わらず。
 あなたはリタを見殺しにした!!」

ヴァン=フェムは、無言。

ヴラドの断罪は続く。

「僕はそれが一番許せないよ。
 ああ腹立たしい。 本当に唾棄すべき存在だ。
 無関心なあなたは、この上なく醜い。
 僕の前から、消えていなくなってくれ……」

ヴラドの背後に暗黒の空間が広がる。

幽霊船団の軍勢が、地獄から断頭台をひきつれてやってくる。

「君のいいたいことはわかった。
 だが、私は君が嫌いだ。 よっておとなしく殺されるつもりはないよ。
 力づくで君の贖罪の仕方とやらを、私におしえてもらおうか……」

ヴァン=フェムの背後に地の裂け目ができる。

炎のゴーレム『炎鄭回廊』が、装甲でかためられた巨躯を再びあらわにする。







志貴たちは、愕然としていた。

アルトルージュの居城は、ない。

「……そんな」

志貴は城だった瓦礫の前で立ち尽くす。一体、なにがおこったかわからない。

地面には恐竜の足跡かとおもうほどの、巨人の足跡がある。

「あんた、とことん不器用なんだな。 残念だ……」

シエルに抱えられているエンハウンスは、その足跡をみると、寂しそうに呟いた。

ヴァン=フェムが、アルトルージュたちに牙をむいたことを悟ったのだろう。

「……ショックだよな」

シエルの口数は少ない。

ロアがまだ、この現世にいる。彼を追い詰め滅することに人生の大半をかけていた彼女にとって、

それは受け入れがたく、絶対に認めてはならないことであった。

本当だったら、すぐにでもシエルはロアを討ちにいくだろう。

だがそれはできなかった。

エンハウンスは魔剣アヴェンジャーを奪われ、アルクェイドは心神喪失。

どうあがいても、今の状況では勝ち目はない。

「わかってはいました。
 ロアは執拗な男です。 私が一番よく知っていますからね」

エンハウンスは唇をかむ。家族を奪った本当の敵は、ロアだった。

元凶はすぐ近くにいる。やりきれないもどかしさが、どうしようもなくこみ上げる。

志貴は、傍らで震えているアルクェイドをささえている。

彼は不意に、不思議な気配を感じた。

その瓦礫の中心に、見慣れぬ老人がいつの間にか立っていた。

銀髪の赤い相貌。

音もなくあらわれた老人に、皆ようやく気づく。

「なんだ? じじい?」

「やぁ、色々たいへんそうだね」

老人のうしろから、金髪の少年がひょこっと顔をだす。

「あ、フォー・デーモン」

「『あ』じゃないだろー。 素っ気もヘチマもないねー」

楽しそうな少年はメレム・ソロモンだった。

メレムは、志貴に支えられて辛うじて立っているアルクェイドの姿に気がつくと、

「姫君! かわいそうに……。 あまりにも不憫です……」

唐突にオイオイ泣きはじめる。アルクェイドのことになると、少年はいつも情緒不安定。

老人は髭をさすりながら、感慨深く吐息をもらす。

「ゼル爺……」

アルクェイドは老人の姿をみると、憑き物がおちたように顔に力が戻る。

「おまえに降りかかる災厄は、全くとどまることを知らんのう」

シエルはその老人をみたまま、開いた口が塞がらない。

「あなたは、まさか、魔道元……」

「ロアの件はこの爺にまかせよ。 おまえたちは、もうかかわらんでよい」

老人は厳かな口調で語りかける。

突然で唐突な終結宣告に、エンハウンスは納得できなかった。

「ちょっとまて」

「もう、おまえたちがかかわる必要はないぞ」

老人はゆったりとした語気をかえない。

エンハウンスはシエルの肩にまわしていた手をとき、老人と真正面から向かい合う。

「ジジイ、ちょっと面貸せや……」

エンハウンスは親指をたてて、老人をにらみつける。

あきらかなケンカ腰。

アルクエィドに萌えていたメレムは、慌てて止めに入る。

「おいおい待てよエンハウンスソード。 君よりによって、ケンカ売る相手間違いすぎだよ」

「よいよい。 相手になるぞ、若造」

老人はエンハウンスの誘いに素直に応じた。

「志貴、姫君のそばにいてやれよ」

「だけど、アルトルージュたちが」

「ロアの野郎の復活が、相当ショックみたいだ。
 しばらくのあいだ安静にしてやらないと、姫君いい加減こわれちまう」

アルクェイドはまだ体を震わせ、唇まで真っ青だった。

志貴は彼の求めにうなづくと、アルクェイドを裏庭へ連れて行った。

彼らを見送ったエンハウンスは、再び老人をにらみつける。

互いに深紅の相貌ではあるが、

エンハウンスのそれは明らかな怒り。 老人のそれは、静水の如し。

「どういうことだ。 俺たちに関わるなってよ」

「蛇はもはや、おまえたちの手に余る相手。
 奴は、わしが滅する」

「ふざけんな! いきなりしゃしゃり出て手を出すなだと!?
 ロアは俺が仕留める!」

「魔剣を奪われてもか?」

「取り返せばいいだけの話だろうが!!」

「その崩壊しかけた体でもか?」

ゼルレッチの言葉に、エンハウンスは絶句した。

「ジジイ、なんで俺のこと……」

「若造。 おぬしの身体は、例えるならボロボロのエンジンを積んだ車じゃ。
 ニトログリセリンをいれて無理やり走らせれば、焼き付いてもはや使い物にはなるまい」

老人の指摘は的確だった。

エンハウンスは拳を震わせる。

「……そうさ」

「俺の身体はあんたの言うとおり、元々ポンコツだ。
 魔剣アヴェンジャーの影響で、
 もう俺が永くないのは、知っているさ」

「だけどな、
 俺はここでむざむざくたばるわけにはいかねえ。
 俺の家族はロアに皆殺しにされた。
 スミレ姐さんは一番仲良かったダチを、野郎のせいで失った。
 姫君は今、ロアが復活して苦しんでいる。
 シエルはロアに侵食されたせいで、故郷をなくした!
 これだけ舐めた真似されて、あいつをこのまま野放しにできるか!!」

「限られた命、短く散らすこともあるまい。
 死ねば悲しむ者もいよう。
 静かに余生をおくりたいとは、おもわぬのか?」

老人は問いただす。破滅にむかってつきすすむ男に。

「俺は、なにかを残して死にてえんだ!
 くたばる前に、あいつになにか残しておきたいんだよ!
 ジジイ、俺の邪魔だけはするなよ。
 マジで容赦しねえからな……」

エンハウンスは聖葬法典の銃口を老人に向けた。

彼の瞳の奥底に煮えたぎる、復讐のマグマ。

ただし、それは負の感情からくるものではなかった。

銃をつきつけられた老人は、ゆっくりと言葉をなげかける。

「ならば問おう。 おまえが復讐する理由とはなんだ」

「それは――――」

復讐。

それは、その理由は、考えてはいけないことだった。

考えていたら、できない。

だが、いまは違う。



「男の、最後の意地だ。 文句あるか」



エンハウンスは人のために、その元凶を絶つために復讐する。

老人は皺の深い顔に、満足したように笑みをうかべた。

「よかろう。 ならば己がいく道、貫き通せ」

老人はエンハウンスに背を向けると、ゆっくりとした足取りでその場を去った。

エンハウンスは構えた銃を、無言でホルスターにおさめる。

彼は老人の背中を、ずっとみていた。

「なんなんだ、あのジジイ……」

シエルは、ため息をつきながらエンハウンスの元へやってくる。

「エンハウンス、死んでください」

開口一番、シエルはとんでもないことをいう。

「おまえ、いきなり言うことがヘビーだな〜」

「だって、どうせあなたは私のいうことなんて聞かないでしょう?
 寿命が縮まるって口を酸っぱくしていったのに、
 魔剣を封印しなかったのも、オーテンロッゼと、いえ、ロアと戦うためだってあんなにごねまくって……。
 命を自らすすんで粗末にするバカに、これ以上つける薬なんてないですからね」

シエルのいうことはいちいち最もで、エンハウンスはまったく反論できない。

「ほんとうに、バカです……。
 あなたが死んだら、私が泣いてあげます。
 おもいっきり泣いて、泣きはらします。
 泣いてあげますから、感謝、してください……」

シエルの瞳から、涙が零れ落ちた。

エンハウンスに訪れる死神の鎌。彼女はそれをずっと間近でみてきた。彼女は、ずっとこらえていた。

「シエル。 約束する。
 おまえが苦しんだ分は、奴に償わせてやる。
 首根っこひっ捕まえて、必ず土下座で詫び入れさせてやるからな」

「……やぶったら、針千本のませますよ」

エンハウンスは、シエルをそっと抱き寄せた。





裏庭の倒木に、志貴はアルクェイドを腰掛けさせる。

「なんでもないよ。
 ロアとは長い付き合いだし、今度も殺せばいいんだから」

アルクェイドの笑顔には、力がなかった。明らかに虚勢をはっている。志貴にはわかった。

「おまえがそんなに震えているところ、俺はじめてみたよ」

「……」

アルクェイドは辛そうに目をふせる。身体の震えがやまない。

「今までは、ロアを殺すことに何も感じなかったし機械的にこなしてこれたよ。
 けど……」

アルクェイドは恐怖に震えながら思い出す。ロアの狂気にみちた告白を。

「ロアが、あんなこというなんて……。
 あいつ、私のことを『アイシテイル』っていったの……!
 今までのあいつじゃない……!
 ロアが私のことを『アイシテイル』って……!
 志貴ぃ、あいつおかしいよぉ……!」

アルクェイドが小動物のように縮こまって、恐怖に震えている。

志貴はアルクェイドをきつくだきしめた。アルクェイドの赤い瞳が、志貴を見上げる。

「なんか情けなくなってきちゃった。
 志貴に迷惑かけたくないのに、そうおもってるのに迷惑かけちゃうね」

「迷惑ならなれてるさ。 今更何いってるんだよ」

「おまえにとって最後の壁じゃな」

老人は、二人の前にやってくる。

「ゼル爺……。 さっきは、助けてくれてありがとう」

アルクェイドをロアの魔の手から救ったのは、老人の魔法だった。

「遠野くん。 君は奇特じゃな。 よりにもよってこのガイアの最強種に惚れるとはのう」

「そんなの関係ないです。 ただ、俺はアルクェイドが好きなだけですから」

「アルクェイドよ。 ロアが怖いか?」

「うん。 すごく、怖いよ……」

「よろしい。
 怯えるのじゃアルクェイド。 赴くままに。
 恐怖の味を知ることは、おまえにとって劇的な変革をもたらすじゃろう。
 おまえはそれを乗り越えねばならん。
 超越種の存在定義を、打ち破るためにはな」

「ゼル爺には、怖いことってあるの?」

「あるとも。 わしも恐怖に幾度となく震えた。
 災厄というものは、自身の都合をえらんではくれん」

「おまえは一人ではない。
 遠野くんに支えてもらえ。
 真祖は皆、一人で歩かせられることを運命付けられた。 おまえがその道をたどれば結果は同じ。
 わしは、その姿をみるには少々忍びないのじゃよ」

老人は、笑った。その笑顔は優しく、愛娘にかたるようだった。





「僕も傍観者のままは、無理か。 やれやれ」

メレムは瓦礫の上で、一人寂しく星をみる。

深くため息をつく。これから起こる、未曾有の危機に少なからずも不安をおぼえていた。


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