月下舞踏 1


メッセージ一覧

1: MAR (2003/08/14 00:19:00)[eleanor_nekoyou at hotmail.com]

 いつもと変わらない夜だった。
 翡翠の目を盗み、屋敷を抜けだし、公園を目指す。1年前から変わらない。志貴にとって、彼女と待ち合わせる
のはあの公園でなくてはならなかったから。
 ただいつもと違うのは、今日が彼にとって特別な日であったと言う事だけ。
 志貴の足取りは普段より軽い。もはや小走りといっても良いかもしれないが、足を緩めようという様子はこれっ
ぽっちも見られなかった。それだけ、今日という日が彼にとって特別であったのだ。
 去年の今日、志貴は彼女に出会った。
 時間も違うし場所も違う。しかし遠野志貴という人間が、アルクェイド・ブリュンスタッドという月の姫と同じ時間
を歩み出したのは、たしかにこの日だったのだ。
 志貴にとっては通いなれている道。数え切れないくらい通ったいつもの道だというのに、何故か公園まで無性に
遠く感じられた。歩いても歩いても着かないのではないか。一瞬そんな錯覚にも囚われた志貴だったが、勿論
そんなわけはない。単なる彼の気分の問題だ。
 出会って初めてのデートをするわけじゃない。なのになんでこんなに心踊るのか。
 今日が特別な日だからなのか?
 志貴は自問する。答えはすぐに出た。
 確かにそれもあるだろう。だがそれだけじゃない。自分は、やはりアルクェイドが好きなのだ.あの我が侭で、そ
れでいて驚くほど素直で、好奇心旺盛な――そう、猫のような、吸血鬼の癖に太陽が良く似合うあいつが。だから
こそ、日々の秋葉の小言や翡翠の無言の責めにも志貴は耐えているのだ。
 やがて志貴の目にうっそうと繁る林が飛びこんできた.。公園の入り口にある、ちょっと広めの林だ。
 もう少しで、アルクェイドに会える。そう思って、駆け出した志貴の視界が急速に狭まっていく。押し寄せる抗い
難い全身の虚脱感。長年志貴がお世話になりつづけたこの感覚――

「ま…ず…こんな時に……」

 志貴は必死に手足に力を込めようとするが、直感的に分かった。この貧血は、久方ぶりの大物だ。抗っても
勝てるもんじゃない。せめて車道に倒れこまないように、どこかの民家の塀によりかかるのが精一杯の抵抗
だった。
 志貴にとって救いだったのは、季節がまだ本格的に冷え込む前だった事かもしれない。さし当たって凍死する
前には、誰かに見つけてもらえる可能性が高いだろう。
 せめてその誰かがアルクェイドだったら良いな…そんな事を考えながら、彼は意識を手放した。




 約束の時間の一時間ほど前から、アルクェイドはベンチに座って志貴を待っていた。月光の下、彼とこれから
何をするかを想像する時間。それが彼女にとって何ものにも変え難い一時だったからだ。勿論志貴と過ごす時
間も同じくらい大事ではあるのだが、想像する事の楽しみを覚えた彼女にとって、志貴とあんな事をしたい、こん
な場所へ行きたいと考えているだけで、時間はあっという間に過ぎていくのだから。
 ――話があるんだ。明日、大事な話が。
 昨日、別れ際にそう言っていた志貴。その言葉がずっと気になっていたアルクェイドは、実はそれからあまり寝
ていなかったりする。
 わざわざ今日という日を選んでくれたと言う事は、志貴もあの出会いの日を特別なものと思ってくれている。そ
う考えたアルクェイドは、自然頬が緩んでくるのを止める事が出来なかった。かつての彼女を知る、教会や協会
の関係者がその姿を見れば腰を抜かすのではないか。そう思えるほどのユルみっぷりである。勿論、彼女にと
って回りがどう思おうとも関係ないわけだが。
 多分世界で唯一の出会い方だったのは間違いないが、そのお陰で今、自分は志貴と一緒にいる事が出来る。
その幸せにアルクェイドは胸が熱くなった。

「えへへ〜、今日は志貴、どんな話をしてくれるんだろう?」

 ニヤケた顔でそう呟いたアルクェイドの耳に、聞きなれた足音が聞こえてきた。公園の時計を見る。9時55分。
約束の時間の5分前だ。

「お〜い、こっちだよー! 志……き…?」

手を上げて、満面の笑顔で彼の名を呼ぶアルクェイド。その声が途中で途切れてしまう。
 薄手のジャケットを羽織って、その下は黒いシャツにズホンと言うラフな格好は普段と全く変わらない。しかし
その身に纏う雰囲気が全く変わってしまっていた。いつもの柔らかい、包み込んでくれるような優しい空気がなり
を潜め、変わりに刺すような冷たい空気が自分に向かって吹きつけてくるのが感じられる。
 そして一番の違い。
 今日の志貴は、眼鏡を掛けていなかった。
「久しいな、化け物」

 その男は、志貴の声でアルクェイドをそう呼んだ。

「…あなた、志貴じゃないわね。正体をあらわしなさい」

 目を細め、キツく目の前の男をにらみつけるアルクェイド。並の人間なら恐怖で居竦まれてしまうようなその
視線の圧力にも全く動じることなく、志貴の姿をした男は薄く笑った。普段の志貴ならば、絶対にしない笑い方

「いや、俺こそが志貴さ。穢れた魔である遠野ではない、退魔の末裔。七夜志貴だ」

 七夜志貴を名乗る男の瞳が蒼く染まった。アルクェイドは無意識に身構える。この目の志貴には2度会っていた。
 ネロ・カオスを滅ぼした時。そして、自分が17個に解体された時。

「…あの時の志貴ね。殺しに慣れた、本物の殺人鬼」
「心外だな。俺は人など殺さない」

 七夜はジャケットを脱ぎ捨て、ポケットから15センチほどの黒い棒状の物を取り出した。パチリと音を立て、
鈍く光る刃が飛び出した。

「七夜は魔しか狩らん。七夜最後の生き残りとして、俺はその勤めを果たすだけだ」

 辺りの空気が張り詰める。七夜から吹きつける殺気が周囲を圧し、夜の公園を殺し合いの空間へと変えて
いく。微妙な居心地の悪さにアルクェイドは眉をしかめた。まるで死徒の持つ固有結界のようだ。実際に動き
にも影響が現れてしまうかもしれない。しかし闘争に雪崩れこむ前に、アルクェイドとしては一つ確認しておか
なければならない事があった。

「志貴は…志貴はまだ「生きて」いるんでしょうね?」
「眠っているだけだ。だが、もう目覚めさせない。
お前を殺し、遠野を滅ぼし、アイツのいるべき理由をなくす」
「そう、良かった。なら必ずあなたを倒して志貴を返してもらうわ
退魔とは言え、人間風情が真祖にケンカを売った事、後悔させてあげる」

 アルクェイドの言葉に、再び七夜は薄く笑う。

「それでこそ、だ。さぁ、殺し合おう、アルクェイド・ブリュンスタッド!」

 その言葉と同時に、七夜は姿を消した。

「?!」

 アルクェイドは目を見張った。気配を探っても、周りに濃密に立ちこめる殺気のせいで上手くいかない。
 それは彼女の身に備わった直観力だったかもしれない。自分の背後から、周囲の殺気とは異質な殺意が吹
きつけたのだ。とっさに彼女は前に飛びのいた。ほぼ同時に銀光が彼女の足元を薙ぐ。そのまま流れるように
繰り出された七夜の足払いが、着地寸前の彼女に襲いかかった。
 到底かわせるものではない。アルクェイドも無様に地に倒れ伏す…そう思われた。
 足を払われた瞬間、彼女は後ろ向きについた左腕一本で自らの体を支え、そのまま後方宙返りで七夜を飛び
越え態勢を立て直した。人間なら確実に左肩を脱臼するような動きだ。
 着地したアルクェイドは、自らの足元に眼をやり、眉をひそめる。靴下が切られ、うっすらではあったが血が滲
んでいた。

「私の認識を一瞬越えるような動きに、単なるナイフで真祖に血を流させる意思力…大した物ね」
「フン、無拍子の動きをかわされるとは思わなかった」

 そう答える七夜には、全く隙というものが存在しなかった。アルクェイドは正直、目の前の人間を侮っていた
事を自覚する。
 ――これは、想像以上に厄介かも。
 アルクェイドが今まで見た人間の中で、もっとも素早い動きを示したのはシエル。しかしこと瞬発力に限れば、
間違いなく、目の前の男――七夜志貴はその上である。さすがに耐久力は及ばないだろうし、武器も強力な概
念武装という訳ではない。しかし代わりに備わった「直死の魔眼」はそれを補って余りあるデタラメな能力だ。今
宵は折悪しく三日月。死点までは見えなくても、死の線は見えてしまっているかもしれない。
 こうなるとアルクェイドにとっては少しの攻撃すら致命傷になりかねないのだが、「殺意の結界」とでも言うべき
周りの空気が、視覚以外の感覚によって彼の動きを捉える事を阻む。
 そしてなにより厄介なのが…

「殺すわけにはいかないから、ね」

 アルクェイドは呟いた。あくまで体は彼女の愛する志貴のものだし、志貴自身も七夜の中で眠っている状態
だ。取り得る方法は、体になるべく傷をつけずに七夜の意識を刈り取り、その後で自分の夢魔を使って志貴を
呼び戻す。随分と大きなハンデだが、やるしかない。そう決心し、アルクェイドは思考を戦闘用に切り替えた。



 まさか、あれで態勢を立て直すとはな。
 七夜は目の前の女の想像以上の化け物っぷりに、いっそ口笛すら吹きたくなる衝動に駆られた。完全にこっち
の動きを見失った筈なのに、攻撃の際の一瞬の「本物の殺気」に反応してかわしてのける反応とスピード。華奢
な見た目とは正反対の、強靭かつ柔軟な身体。
 そもそも大地も、森も街灯も建物も。七夜の目に移る全てが無数の「死」に囚われていたが、アルクェイドには
数本「死の線」が走っている程度。「点」などどれだけ目を凝らしても見る事が出来なかった。長き七夜の歴史を
紐解いても、これほどの「魔」と対峙したのは自分くらいではないだろうか。
 あの夜、父を殺したあの赤い鬼人をも上回る圧倒的な重圧――

「惰弱な。魔は狩る。それでこその七夜」

 そう呟くと、七夜は手にした七つ夜を素早く握りなおした。順手から逆手に。そしてアルクェイドに向かって一
気に駆け出した。無拍子――行動の際の予備動作を消し去り、相手にこちらの動くタイミングを掴ませない、
彼に出来る最高の体術。そして四足で走る獣のような地を這うような低姿勢で、最初の一歩で最速に乗せる。
これが七夜の奥義とも言える戦闘移動法。例え「魔」と言えどもこちらの動きは容易に捉える事ができない。
アルクェイドと言えども最初の攻撃は完全に見失っていた。その上、徒手の人間は体の構造的に腰から下の
存在に対しては攻撃し辛い。彼女の主な武器は、その手から繰り出される爪撃。それを封じつつ間合いを詰め、
ゼロ距離での戦いに持ちこむ事――それが七夜が見出した勝機だった。
                            マーブルファンタズム
 もう一つの彼女の武器である空想具現化。あれを使われては万に一つも勝ち目がない。それを出すだけの
隙を与えない戦いをしないとならなかった。

「くっ!」

 一瞬反応が遅れつつも、それでも七夜の動きに反応し間合いを離そうとするアルクェイド。そうはさせじと、
七夜も駆ける。右か左か後ろか。見てから追ったのでは、彼女の神速の動きには到底追いつけない。七夜は
アルクェイドの予備動作を盗み、先を読んで右に跳んだ。

「――! このっ!」

 牽制で繰り出されるアルクェイドの膝蹴り。不利な態勢からとはとても思えない、雷光のようなそれの下に体
を潜りこませる七夜。そのまま肩を使って彼女の体を掬い上げる様に伸び上がった。
 同時に軸足を払い、完全に地に組み敷こうとする。受身など取らせるわけにはいかない。
 だが。
 七夜の足払いは空を切る。一瞬速く。アルクェイドが自ら大地に倒れこんだのだ。受身すら取らず背中から。

「何?!」
 
 逆に七夜の態勢が崩れてしまう。そこに柔道の巴投げのように繰り出された、アルクェイドの蹴り上げが突き
刺さった。

「――!?」

 腹が突き破られたのではないかと思うような衝撃。そのまま5メートルほど吹っ飛ばされた七夜は、ゴロゴロ
と大地を転がり、街灯にぶつかる事でようやくその動きを止める。
 七夜は自分の身に起きた事実が信じられなかった。相手を確実に組み敷くための完璧なタックルだった筈だ。
それを、無謀とも思える方法でかわした挙句に、きっちり反撃まで入れて来るとは。
 肺の空気は全て搾り取られ、まともな呼吸すらままならない。かろうじて鳩尾から外して食らった筈の攻撃で
あるにも関わらず、全身をつき抜けた傷みに体中が悲鳴を上げている。

「志貴を返しなさい。七夜志貴」

 冷たく響く声。冷厳なる月の姫が、七夜に向かってゆっくりと歩を進めてきている。
 真祖とは。ブリュンスタッドの名を持つ吸血姫とは、これほどのモノなのか。
 全く、世界とはなんと厄介な代物を生み出してくれたのだろうか。七夜は笑い出したくなった。こんな化け物に
惚れられ、そしてまた惚れ抜いているもう一人の自分。何かの冗談かと思いたくなる。最強の退魔が、最強の
「魔」と愛を育むなど。

「認められる、ものか!」

 一挙動で飛び起き、そのまま全身のバネを使って背後の街灯に向かって跳ぶ! 全力で街灯の柱を蹴り飛
ばし、七夜は空を駆けた。目標は、アルクェイドの背後。彼女の背中に走る「線」を狙う。


 驚いたのはアルクェイドだった。自分の一撃は、七夜志貴の戦闘能力を奪い去った自信があったのに。まだ
彼はこれほどの動きが出来るというのか。天を舞う七夜の姿は、美しいとも言えるものだった。しかしその裏に
は剣呑な牙を秘めている。その狙いは――背後。

「甘いわ!」

 振り向きざまに瞬時に伸ばした爪で七つ夜を受けとめるアルクェイド。そのまま力任せに腕を振りぬくと、彼
の体はボールのように吹っ飛ばされた。
 王手。後は追撃をかけ、今度こそ確実に意識を刈り取ればいい。そう思ったアルクェイドの足が一瞬すくむ。
吹っ飛ばされた七夜から放たれる「殺意の結界」が、ここに来て一層の圧力を強めたのだ。
 自分を見据える七夜の眼には、今だ恐怖も諦めもない。真祖である自分をも一瞬たじろがせる意志の力。こん
な眼をした人間には、アルクェイドは今まであった事がなかった。
 いや、一人だけいた。
 あの時、ロアとの最後の決戦の前、シエルに向かって自らの決意を話した志貴の眼。それと同じ眼であった。
 ――違う! 目の前の男は敵。アイツを倒さなければ、志貴は帰ってこない!
 一瞬の逡巡。しかしその瞬間、確実にアルクェイドの動きは止まってしまった。
 今の自分の体でアレが出来るのだろうか。
 七夜は無論自らの身体能力に自信は持っているが、過信はしていない。だが、この機を逃せば勝てる目は恐
らくないであろう事も分かっていた。ならばやるしかない。
 左足一本で無理やり着地し、吹っ飛ばされた勢いを殺す。強烈な傷みが七夜の踝の辺りをつき抜けたが、
それは折込済み。意志の力で痛覚を抑えこむ。
 アルクェイドの位置は――正面!

「極彩と散れ、アルクェイド!」

 裂帛の気合と共に、アルクェイドの心臓めがけて七つ夜を投擲する七夜。
 予備動作の無いその一撃は一閃の雷光。直死の魔眼と組み合わさったそれは、正に必殺の一撃。
 だが、アルクェイド相手にそれだけでは、足りない。
 投げた七つ夜を追い、七夜自らも空に舞う。これこそが本命。指の爪で、アルクェイドの首の「線」を狙う。背
面跳びの要領で一気に間合いを詰め、敵の首を遠心力で一気に捻りきる。ナイフをかわしても、防いでも、
この攻撃はかわせない。
 七夜一族究極の殺技。これこそが――極死・七夜。


 アルクェイドはわが目を疑った。
 目の前の男は死徒では無い。教会の秘術で身体能力を増強した代行者でもなければ、その身に魔術を掛
けた魔術師でもない。退魔の家に生まれたと言うだけの、普通の人間の筈だ。
 それが、投げたナイフと同じ速さで空を駆ける――こんな事、二十七祖だってそうそう出来る奴はいやしない。
 自分の逡巡が致命的な隙を生んでしまった。ナイフと七夜自身。両方をかわす事は出来ない。空想具現化で
割りこむタイミングも無い。どちらかの攻撃は食らうか、防ぐしかない。
 周りの空気も、自分に迫るナイフも七夜も、全てが強烈な殺気をアルクェイドに対して放っている。その中でた
だ一つの「本物の殺気」を見極めなければならない。
 でなければ、負ける。真祖たる自分が、人間相手に。


記事一覧へ戻る(I)