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どんな時でも余裕を持って優雅たれ


大崎瑞香


 激しい痴態。そして蕩けるような嬌声。

 ――な、なによ、これ!

 遠坂凛は声にならない悲鳴を心の中であげた。
 おもしろいよ、と奨めたのは凛の終生のライバルこと美綴綾子。奨めた彼女は、あら? と驚いたような顔をした。
 あの遠坂凛が驚いて、慌てて、そして照れているのだ。ライバル視しているツインテールの女の子の顔は紅潮している。見ているこちらがびっくりするほど真っ赤。それがみるみるうちに蒼白になっていく。猫を被りきって優等生を演じているライバルのこんな百面相をこんなところで見ることができたためか、綾子はとても嬉しそうにそしてどことなく意地悪そうに笑った。

「あれ遠坂、こんなの見たことないの?」
「こ、このくらい、知っているわよ」

 からかうように言われた言葉に対してこのご返答。
 でもどう考えても嘘。それも大嘘。
 無理しちゃって、と美綴は内心そう思う。そんな顔で見たことがあると言われても信憑性なんて全然ない。見たことがないのなら素直に見たことがないといえばいいのに。
 なのに目の前のツインテールのライバルは顔をひくつかせながら、何かから耐えるように必死に画面を覗き込んでいた。見たくて見ているという感じではない。体が動かず、目を閉じることが出来ずに見てしまっているという方が正しいようだ。
 今ふたりは美綴家の綾子の部屋にいる。三年生ともなれば部活動は引退。受験や就職活動の最中、たまには息抜きにね、と学校の帰りに招かれたのだ。
 可愛くファンシーなぬいぐるみや淡いパステル調のカーテンなど部屋の主の趣味がふんだんに発揮されている。
 そんな可愛らしくややリリカルに纏められた部屋。響くのは艶めかしい喘ぎ声。
 それはテレビからであった。全裸の男女が激しく愛の交歓、すなわちセックスをしているのが画面いっはいに映し出されているのだ。
 しかも洋物。さらに無修正。いったいどうしてここに? と思ってしまうけれども、凛の目は画面に釘付けのまま。
 白人の女性が、オォー、イェーと激しく喘ぎながら、深く受け入れている図。画面いっぱいに広がる男性を受け入れて抉られている赤く濡れた秘所はどうみてもグロテスクで生々しい。
 夢見るお年頃の乙女にとっては生々しすぎる内容に、凛はのろのろと動き出す。

「………………あ……あ……あ……」

 口をパクパクさせながら、凛は画面を指さす。

「……み……ど……こ……い……」
「ええっと――美綴、どうしたのよ、こんなの、いったい? っていったところ?」

 綾子の言葉にカクカク、コクコクと大きく頷く凛。顔はまだ青ざめていて、まるで貧血を起こしているみたいだった。
 弟のよ、と綾子はあっさり白状する。どっから入手したか知らないけどね、と言いながら綾子も画面を見る。
 白人の女性がその躰全体で激しく喘いでいた。ベッドが軋む音が聞こえてくる。ぐもった声。男性が激しく腰を動かし、秘所を抉っている。
 綾子もこれを見たとき、うわーと思った。まぁ弟も男でなおかつ年頃なんだから、こういうのを隠し持っていても何の不思議もない。けれども頭で知っているのと、実際にしているのを確認してしまうのとは大きな隔たりがあった。
 姉としてというより女性としてこういうのに興味があったのは確か。それに、弟が隠し持っていたものを告げたら、弟は過敏に反応するかもしれない。年頃の乙女特有の潔癖なところが過敏に反応する。けれども年上の女性として、また姉として、弟がこういうのに興味がある年頃なのだとわかる。実際のところ綾子も興味があったし。結果、そういうことに興味のあるお年頃なんだ、と大らかな判断を下すと、そっとしておくことにした。そのかわり、といってはなんだが、ちょっと拝借してきたのだ。
 こんなにすごいのを一人で見るのはもったいない。そこで綾子は生涯の宿敵にして親友である遠坂凛がどんな反応をしめすのか、またちょっとしたイタズラ心も加えて、彼女を招いたのだ。

 綾子の期待どおり、凛はこの映像に心奪われていた。
 凛には恋人の士郎がいる。聖杯戦争の緊急避難的でもあったけれども、結ばれ、恋人と呼ばれる関係になった。だけどこんなことをしていたのか、と改めてまざまざと見せられると急に恥ずかしくなってくる。
 なのに画面の中のふたりはさらに激しく互いを貪る。口づけをかわしながら、腰をなお激しくぶつけるように動かし続けている。

「――まぁ恋人にはこんなことをするんだから、勉強かな」

 と美綴が呟く。その言葉に凛はさらに頬を赤らめた。
 士郎の体が思い浮かばれる。意外にもがっしりしていて、胸板も厚く、筋肉質な引き締まった体つきだった。逞しいといってもいいかもしれない。
 それに女では考えられない強い力で抱きしめられたことを思い出す。ちょっと痛くて、けっこう恥ずかしくて、でもとても嬉しかった、あの瞬間。
 そう考えれば考えるほどなんだか恥ずかしくなってしまい、顔が紅くなってしまう。テレビに映し出されている男性が士郎に思えてきてしまうぐらい、凛は魅入っていた。
 こういうのを見たくないといえばウソになる。好奇心もある。だからといって凝視するのははしたないとも思う。
 凛はどうすればいいのかわからない。いっそ開き直って綾子のように堂々と見ればいいのかもしれない。けれどそうするには、凛にとって映し出される内容はあまりにも生々しくそして過激すぎたのだ。

「どう?」

 あっけらかんとした綾子の台詞に、どう返答していいのか凛はわからない。
 知っていると言ってしまった手前、きちんとコメントをかえなさいといけない気がする。
 今更ウソでした、と綾子に言うのも癪だ。慣れている風に、ああこんなものね、と答えるべきなのか。それともすごいわね、とワザと騒ぎ立てた方が無難なのか、その判断が凛にはつかない。
 凛が言いよどんでいる間に、綾子もテレビを見る。
 うら若き乙女が見るのものとしては過激な内容。でもすでに聞き及んでいる内容。だけど知っているのと実際に見るのとでは大違い。
 凛の答えを待たずに綾子は横に座ると、側にあった煎餅を一枚口にした。パリンと乾いた音と悩ましい喘ぎ声が響き渡る。

「そ、そうね……」

 凛はやや堅い口調でようやく返答した。

「……まぁまあ、ね……」

 その微妙な苦心して考えたであろうコメントに、つい綾子は吹き出す。その態度にきっとにらみ付ける凛に、綾子はさらに笑ってしまう。

「な、なによ……」
「あはは、ゴメン。ゴメン」

 誠意の欠片も感じられない謝罪に、凛はさらにむくれる。

「あ、ほら――」

 と綾子はごまかすつもりなのか画面を指さす。つられて凛がそこを見ると、画面一杯に喘ぐ女性の顔。その口には大きな男性器があった。
 その太く滾ったものをこってりとルージュを塗った唇で扱いていた。
 凛は固まる。あり得なかった。いや知識としては知っている。口淫。口腔性交。フェラチオ。そういった類の娼妓のひとつ。なにせ情報社会に生きている娘だ。この手のセクシャルな情報はいくらでも知ってる。つもりだった。
 けれども、こうしてオーラルセックスを目の当たりにすると、想像を超えていた。おちんちん、陰茎、怒張、男性器。呼び名は違えと男性自身であるそれを、しかも血管が浮かび上がるほどいきり立ったそこを、おしっこが出るところを、口に咥えるだなんて――嫌悪感さえこみ上げてしまう。
 なのに横にいる綾子はわーこりゃすごいやーと呟きながら興味津々といった様子で見ている。

 ――これが“勉強”?

 凛は困惑する。実際、恋人である士郎とセックスはしたことがある。しかしこういう過激なことはしたことがない。聖杯戦争で魔力補給という名目で行った性交。それは聖杯戦争で勝ちたいから士郎とパスを繋く行為。けどそれは表向きの理由。どうせセックスするのなら好きになった相手と初めてを、という夢見る乙女心もほんのちょっぴり含まれた行為。痛かったからつい相手にあたったりしたけれども、それはただの照れ隠し。そんなセックスを凛は士郎と行った。
 ちらりと横にいる綾子を伺う。ライバルも頬を染めながら見つめていることに思わずほっとした。もしこれで鼻歌まじりに見られていたら、何歩リードされているのかわからなくなる。
 凛がほっと内心安堵の溜め息をついた時に、

「――こんなの、アイツにしてあげたの?」

 とぼそりと言われた。
 な、なにを、と言い返そうとして横を見るとにやりと笑う悪友の顔。とても意地悪そうで、とても好奇心に溢れた邪悪な笑み。

「な、な、なんのこ――」
「あら? 衛宮とつき合っているんじゃないの?」

 あまりにも核心をつく台詞に凛は凍りついた。ふふふ、と邪悪な笑みを浮かべながら美綴は凛の顔を覗き込んでくる。好奇心に溢れた視線で凛をつぶさに観察する。まるで猫のよう。目はキラキラと輝き、口元には笑みが浮かんでいる。

「あ、あら――な、なんのことかし――」
「あら? みんな知っているわよ?」
「…………」

 みんな知っているという言葉に、凛は驚く。徹底的に隠してきたつもりだ。完璧なまでに何もないように、いつもの優等生然とした態度で学生生活を過ごしてきたはずなのに、いったいいつの間に?

「わ、わたしと衛宮君がつき合っているだなんて、そ、そんな戯言は――」
「あら、一緒に登下校している姿はよく見かけられているわよ」
「……ええっと、それはただ通学路が同じだけで……」
「あと、よくふたりしてお昼休みに消えるわよね。三枝さんが悲しがっていたわよ」
「……そ、それは偶然じゃ……」
「お弁当の中身、同じじゃないのかなー、なんて思っているんだけど」
「……」
「あと、一緒にお買い物なんかしているのを見かけたわよ」
「…………」
「…………」
「…………」

 どんどん追い詰められていく凛。目をそらしても、手をふっても、笑って誤魔化しても、綾子は笑顔でぐいぐい迫ってくる。

「――ほらほら。白状しちゃいなさいよ」

 いたぶる猫のような顔。終生のライバルの新たな一面に恐怖を感じつつも、凛は耐えようとした。ここで耐えないと何か失ってしまう気がした。たぶん何も失わないのだろうけど、綾子が一歩先に行ってしまう気がする。それは阻止しなければならない。そんなライバルとしての矜持ゆえに。

「あ、あらつき合ってなんかいないわよ」

 すらりと口からウソが出た。

「衛宮君には勉強を教えているのよ。わからないところがあるから、わたしに聞いているのよ。家庭教師みたいのをやっているのよね」

 すらすらと口からでまかせがでる。立て板の水とはこのこと。

「昼休みにも時間がおしいから教えているのよ。そうそう買い物とかはついでだし、一緒の方が効率があがるでしょう。お弁当は、ほ、ほら。報酬。いくらなんでも同級生の勉強をみたからといってお金をもらうわけにはいかないじゃない。だからお弁当とかそういう形で報酬をもらっているのよ」

 ゴメン、士郎。と心の中で手を合わせながら、凛はすらすらと嘘をつく。それにあながち間違いじゃないし、とも思う。
 たしかに凛と士郎はつき合っていて恋人同士である。けれどもそれよりも魔術師とその弟子というつき合いの方が深い気がする。そしてそれよりも一緒に聖杯戦争をくぐり抜けた戦友。
 恋人としてもよりも、師匠と弟子としてよりも、戦友としての関係。
 それって年頃の乙女としては結構落ち込んでもいいんじゃないかな、なんて思ってしまう関係だった。
 それに士郎とはそういうことはあれからやっていない。まぁ英国へ留学することが決定して忙しいこともあるし、セイバーの世話もある。なにより恋人かつ弟子である士郎に、まず魔術の基礎中の基礎を教えなければならなかった。
 色々とやらなければならないことが多い。しかしそれはただの言い訳。恋人として接する時間の少なさに気づくべきではなかったかしら? と思い悩む。
 考えてみれば本当に士郎に触れてなかった。
 少し固い手。やや荒れていて、撫でられると痛い。けれどもそれが士郎の手なんだと思うとそれだけで嬉しい。
 いちゃいちゃなんてそういうのは自分の柄ではない気がするけども、でも時にはそんなのもいいなと乙女心に思う。画面に流れるこんなに激しくいやらしい行為は置いといても、弟子ではなく恋人として士郎に触れたいな、となんとなく感じた。
 でも、それは心の贅肉ね、とも思った。

「――ふーん」

 綾子の言葉に我に返る。綾子は納得してなさそうな顔つきでじぃっと覗き込んでいた。

「――本当?」
「ほ、本当よ」

 壊れた機械のようにカクカクと首を振る凛。その頬はほんのりと紅く、その瞳は恋人を思っているのか、やや潤んでいた。

 綾子はそのことにつっこもうと思ったが、やめた。これも武士の情け。こうしてまで否定するのだからなにか理由があるのだろうとも思った。

「――そうか」
「――そうよ」

 はははは、と互いに乾いた笑みを浮かべて誤魔化しあう。狐と狸の化かし合い。さてはてどちらが狐でどちからが狸なのか――それはさておいて。

 綾子は横目でらりと凛を盗み見る。あまりにもあからさま。
 あーあ、と綾子は士郎の顔を思い浮かべると心の中で呟く。こんなにつき合ってないって言い切られるなんて、衛宮って可哀想なヤツだな、と。
 まぁここでつっこむのは武士の情けということで勘弁してやる、と綾子はにっこりと笑う。

 凛も誤魔化せたなんてこれっぽっちも思ってない。でも否定したからには否定しきるのがこの場でのスジというものだろう――たとえそれが間違っていたとしても。そして綾子の心遣いを受けて、優等生然とした笑みを浮かべた。

「そう――なんだ」
「ええ、そう――なのよ」

 そうして、ふたりしてイヤに乾いた笑いをまた浮かべ合った。画面では白人女性が大きなよがり声をまた上げた。



 凛は深く深く、とても深く溜め息をついた。
 綾子の家から自宅への帰り道のこと。凛は浮かない顔をしながら歩いていた。
 いけないわね、と思っても、また溜め息が洩れてしまう。優等生として、また遠坂家のお嬢さんとして知れている凛にとっては、溜め息をついているだなんて、そんな余裕もなく優雅でもない姿を町中で晒すなんて考えられないことであった。
 と考えていても溜め息は出てしまう。歩く姿も覇気がなく、遠坂凛とはとても思えなかった。
 今日は士郎の家で魔術を教える約束をしていたけど、なんだか心が重い。
 空は明るく、まだ黄昏時を迎えていない。今なら電話すれば断れるかもしれない。いや断れるだろう。でもそれはありえない。遠坂凛ともあろうものが逃げるだなんて考えられなかった。

 最近ちょっとヘンだな、とも思った。聖杯戦争も終わり、英霊であるセイバーと契約し、英国の時計台への留学も決定し、恋人も出来た。それは魔術師として前途洋々であり、また女性として意気揚々としていいはずなのに――なのに何かおかしかった。
 なにかボタンを掛け違えている違和感。それ自体はきちんとボタンははまっているけれども、全体をみるとチクバク。そんなざらついた違和感があった。

 それが溜め息となって胸から溢れてくる。
 でもどうしていいのかわからない。いや――何かがチリチリと焦げるような焦燥感。わかっているでしょう、と何かが凛の心の中でいった。

 風が吹き、髪がなびいた。リボンでとめた髪が揺れるのを手で抑えた時、とあるものが視界に入った。コンビニエンス・ストアである。
 焼きつくような焦燥感に突き動かされて、飛び込んでしまった。
 どんな時でも余裕を持って優雅たれ、という家訓から少しはずれたような気がしたが、遠坂家あまり入ったことのないそこはスーパーの小さいようなところであった。
 化粧品のコーナーに行くと商品をつぶさに見つめる。
 メイクオフ・シートとお泊まりセット。カバンには簡単な化粧セットがあるから、これだけ購入しておけば家に帰らずとも衛宮邸に行くことができる。
 それに手を伸ばそうとして、しばし逡巡した。なんだかはしたない気がした。どんな時でも余裕を持って優雅たれ、という家訓から外れているなと思う。こういうのは心の贅肉。そう切り捨てようと思ったけど、でもやっぱり買っていこうと決めた。

 先ほどまで見ていたポルノを思い出す。喘き絡み合う二人の姿を脳裏に思い描き、また赤面してしまう。伸ばそうとした手まで赤くなっていることに凛は気づいた。
 う゛う゛ーと言いたくなる。顔が熱くて火が出ているようだ。まだ衛宮家にいったわけでもないのに、まだ途中のコンビニだというのに、なんだかそういうのを期待しているようで、それがとてもはしたないように思えて仕方がなかった。
 恋人同士としてはおかしくないと思う。けれどそれは心の贅肉で、魔術師としては必要ないこと。なのにそれを期待している自分がいた。
 矛盾している。おかしい。けれど楽しい。凛はなんだかチグハグな感じがしてならなかった。

 チラリと横目でとなりのコーナーを見る。そこにあるものをちらりと盗み見る。
 スキン。コンドーム。呼び名はなんであれ、日本でもっとも容易に買える避妊具。それはカラフルなデザインで一見してスキンとはわからない。
 士郎が用意していればいいのだけど、あれから一度も触れてこないような男だから家にないでしょうね、と容易に想像がつく。となれば女性側が用意するしかない。そうするしかないのだが――。

 きょろきょろと周囲を目だけで観察する。右よし、左よし。横へ二歩。すすと動くとぱっとスキンを掴もうとする。――が2種類あった。大きい箱と小さい箱。凛の手は止まり、逡巡する。
 プライスホルダーをみると、小さい方は515円。大きい方は945円。
 それがどういう差なのかわからない。大きさってもしかして大きさ? LとかMとかってそういうことなの?
 混乱する。困惑してしまう。
 思い出すしてしまう、士郎の躰。自己主張が激しい『それ』を――とたん赤面する。胸がドキドキしてしまう。
 大きかったと思う。入ってきた時は体を切り裂かれるような痛みに苦しんだのだから。……でも先ほど見たビデオに出演している白人のものよりかは小さい気がする。外人が大きいというからさっきのは例外で、士郎のは標準なのかしら? でも小さいというほど小さくなんてなかったし――その凶器として充分な大きさがあったと思う。それに肉をこじ開けて入ってきた時の感触からすれば、大きいはず。でも実際はどうなのかしら? つぶさに観察したわけでもないし、あんなに大きく膨れるなんて思ってもいなかったし。
 ――と、カラフルなスキンの箱を横目でちらりと見る。日本人の平均の大きさってどのくらいなのかしら? 
 凛はそんなことは知らなかったし、魔術師にとって知る必要のない事柄である。けれども――またちらりと目的物を見る。買って合わなかったら大変である。そんな無駄遣いしたくないし、それにもしそんな時になったら、場がしらけてしまう。

 ああまったくもう! 凛は士郎を思い浮かべて愚痴を言う。
 こういうのは男性側が用意すべき事柄だと思う。でも妊娠のリスクは女性側が大きいのだから、気にするのは女性側となってしまう。

 はぁ、と内心溜め息をつく。でもそんなに器用に立ち回る士郎を好きになったワケではない。だから買って用意するのはわたしなのだ、と凛は自分に言い聞かせた。
 小さい方を買って士郎のに入らないと困るし小さい方だと士郎を傷つける気がした。男性はそういうのを気にすると聞いているし。かといって大きいのを買っていってブカブカでは役に立たない。では両方買えばいいのだが、そうなると予算の都合がある。

 丘の上のお屋敷を構えているとはいえ、遠坂家の家計は常に魔術の触媒である宝石のために常に圧迫されているのだ。こういう細かいところもきちんとしなければ、生計が成り立たない。何しろまだ凛は未成年なのだ。兄弟子にして後見人であった言峰はもういない。今は代理として新しく赴任した教会の神父が引き継いでくれているが英国へ留学したらそういうところまで自分できちんと面倒を見なくてはいけない。

 しばし逡巡する。が、だからといってこんな場所でずっと立っているわけにもいかない。まぁ隣にナプキンやタンポンがあるので、それを見ているふりをしているのだが、やはりそれもなんだか恥ずかしい。幸いなことに、今お店には客はいない。でもいつ入ってくるかわからない。今のうちに――。

 とにかく覚悟を決めて、えぇいとばかりに大きくて高い方をがしっと掴むと、レジへと素早く移動しようとする。が、足をとめて深呼吸。

 ――慌てない、慌てない。

 凛は何度も心で繰り返す。顔が熱い。ドキドキしている。でも普通に見えるだろう。レジに置いてお金をはらって品物を受け取って、それでおしまい。どんな時でも余裕を持って優雅たれ、それが遠坂の血筋なのだから。
 まるでいかにも何でもないような買い物をするかのようにゆっくりと、口元に笑みを浮かべ、優雅かつ典雅にレジへと歩く。そうして店員がいるレジ・カウンターの上にそっと物音がしないように丁寧かつ素早く品物を置いた。
 これでよし。

「いらっしゃいませ――あれ遠坂嬢じゃないか」

 声を欠けられるはずのない店員から呼びかけられ、凛は驚く。俯いて店員と顔を合わせないようにしていたが顔をあげると、そこには顔見知りがいた。切りそろえられたやや色素の薄い艶めいた黒髪に切れ長な瞳に眼鏡がよく似合う同級生――氷室鐘がレジにいた。
 凛は動転し、凍りつく。一瞬軽いパニックに陥る。いけない、と凛の硬直がとけ、カウンターに並んだ商品をとろうと手を伸ばそうとする。が、先に鐘が商品を手に取り、スキャンを始めた。

「262円が一点、210円が一点……ほほぉ」

 眼鏡が光を放ち、その奥の目が冷たく輝いた。気がした。

「――945円が一点。お会計は1417円になります」

 そう言った途端、口元がにやりと邪悪そうに歪んだ。
 凛は無視してお金を渡す。家訓にそって、余裕をもって優雅に。

(ほほぉ、優等生である遠坂嬢はこういうのが必要なのか。そうか)
(…………)

 今にもうんうんと頷きだしそうな鐘とカウンターを挟んで一瞬だけにらみつける。けれども鐘は気にした様子もなく軽くいなした。

(いや、なに。人の恋路は邪魔しないさ。ただ――)

 鐘はただ事実を指摘する。

(――制服のまま買いにくるとは、よい度胸をしているな、と)

 その一言に息を呑む。凛は素早く自分の服を確認すると、一瞬のうちに青ざめる。たしかに制服のままだった。優等生然とした表情が崩れ、頬が羞恥に染まり、次に全身が赤くなる。
 凛は口をパクパクとさせる。何か言おうとしているのだが、言葉にならなかった。そんな凛を置いてけぼりにして、鐘は手早く袋詰めをすると、差し出した。学校では滅多に見かけない笑みを浮かべて、ありがとうございました、と深々と頭を下げた。

(貸しひとつ、な)

 ぼそりと聞こえてる鐘のつぶやく声に、凛はしまったと顔をしかめる。が仕方がない。
凛はにっこりと微笑んで、ありがとう、と言う。ついでに小声で、わかったわよ、と付け加え、店を素早く出ていく。鐘の口元に浮かぶ笑みと好奇心に輝いた瞳なんて見たくなかったのだ。
 背後から忍び笑いが聞こえてくる気がした。

 凛は素早く店から離れる。競歩なみのスピードで靴音高らかに鳴り響かせて夕暮れ前の雑踏を駆け抜けようとする。走り出さないのは家訓のためで、そうでなかったらここから一目散に逃げ出したかった。
 恥ずかしい。見られた。スキンを買うのを見られてしまった。言い逃れできない。なんでこんな時にこんな店で鐘はバイトなんかしているんだろう。3年で大学受験を控えているはず。それとも鐘はすでに推薦でもとったのだろうか? マズい。とにかくマズいと思う。
 まぁそれでも見られたのが氷室鐘なのが救いだった。これが綾子や楓だったらどんなことになるのかわからない。それこそ鬼の首を取ったかのように騒ぎ立てるのだろう。まだ鐘だから貸しひとつで済んだといえる――と凛は思いたかった。思わないと精神衛生上、あまりよくない。

「おーい、遠坂ぁ」

 雑踏から聞きおぼえのある声で呼び止められた。その声は凛が今だけは聞きたくなくて、でも実はずっと聞きいていたいもの。
 目の前には自転車を押している士郎がいた。買い出しだろうか、自転車の篭には沢山の袋。そこからネギや椎茸などの食材が顔を覗かせてた。
 目の前に突然現れた恋人に、凛はどう反応していいのかわからない。手に持っているポリ袋がいやに大きく感じられ、なぜか赤面してしまう。

「あ、あら、こんにちは衛宮君」

 士郎は凛の余所余所しい態度をいぶかしむ。よく見れば顔も赤いし、どこか具合がおかしいのかもしれない。
 考えてみれば凛は学校でもきちんとしていて、自分の師匠として魔術を教えてくれている。そのうえで留学のための準備もある。なのについ自分は凛に逢えると思ってうかれていたな、と反省する。色々あるだろうし疲れが溜まっているのだろう。もしかして風邪でもひいたかもしれない。

「もしかして遠坂――」

 すっと近寄ると、凛の額に手をやる。

「――熱でもあるのか?」

 凛は思わず悲鳴を上げるところだった。士郎の手が額に触れている。あンたのせいでしょうと言いたい。けど言ってはいけない。かといって心配してくれる恋人の手を振りほどくのもおかしい。どうしていいのかわからなかった。
 また、おかしくなった。士郎のことを考えるとおかしくなってしまう。こんなことぐらいで胸がドキドキしてしまう。
 触れられている手は綾子や鐘のとは違って大きくて、荒れていて、少しゴツゴツしている。
 なんだかくやしかった。いつもの優等生している自分ではなく、ただの女の子の、ウブな娘になったような反応が気に障って仕方がない。
 いつでもスマートに上品に優雅に過ごしてくることができたのに、なぜか士郎の前ではおかしくなってしまう。なんとなくプライドが傷つけられいる気がする。
 でも――そんなところ見せられないし、見せたくない。士郎は自分の弟子なのだから。師匠としてそんなところを見せていては、けじめがつかないのだ。
 士郎の手を掴む。温かくて大きい手。なんだかずっと触れていたい気がして惜しかったけれどもそっと退けた。

「あとでそちらに伺う予定だけどいいかしら?」

 と上品に言った。いつもの赤いあくまの強気な態度らしからぬ、その言葉遣いに士郎は疑問を覚えた。でもまぁ町中だし遠坂にも世間体というものがあるからな、と納得する。

「ん、じゃあ今日はバイトもないし、夕食作って待っているよ」

 とにこやかに笑う。その屈託のない士郎の笑顔に、凛は、まったくもう、と溜め息をつきたくなる。
 わたしがこんなにやきもきしているのに士郎はまったく気にしていない様子。それが悔しい。自分が些細なことを気にしている小心者のように思えてイヤになってしまう。

「……? なにかあるのか、遠坂?」
「な、なんでもないわよ」

 そう答えて、凛は、また後でね衛宮君、と離れた。離れないと士郎にあたってしまいそうだった。
 凛は駆け足にならず、ゆっくりと余裕を持って優雅に立ち去った。


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