――某月某日


 士郎が夜中家にやってきた。私が呼び出したのだ。
 今日は士郎に、あれを試してみる。遠野通販の中で「琥珀印」のお薬は相当
胡散臭かったけど、やっと手に入れたものなのだ。
 これで、本当にああなるのか試してみたい。というよりは、ああなった士郎
を見たい。
 どうだろう、やっぱり…の頃の士郎は可愛かったのかな?
 うん、とっても楽しみ。



 使い魔の弄り方――遠坂凛の場合――



  稀鱗     





 

 肌寒い夜を士郎は歩いていた。月明かりが降り注ぐ夜道。あれから1年経っ
た。聖杯戦争の残した傷痕は、最早見る影も無い。そう、士郎と彼女達の心の
中以外は。
 無音の夜。
 そんな夜を、士郎は自らの家とは反対方向――洋風の建物が立ち並ぶ方向へ
と歩を進めていた。
 士郎の目指すは通い慣れた洋館――遠坂凛の家である。
通い慣れたとは言っても別に士郎が凛に会いに行っているのではない。
大体、凛の方が士郎の家に押しかけてくる事が殆どなので凛の家に行くことは
滅多にない。魔術の勉強だって凛がわざわざ家まで色々と持ってきてくれる。
…まぁ、セイバーが士郎の家に居る事もあるのだろうけど。
…しかし、呼び出すことに関しては士郎は不満を感じては居ない。只問題なの
は、今は日付の変わる前位の時間で、しかも、電話で唐突に呼び出されたのだ。
その電話の内容というのは、


 「士郎、ちょっと来て欲しいんだけど…。」
 「こんな夜中にか?何を企んでいるんだ、遠坂。」
 「急ぎの用なの。どうせあんたも暇しているでしょ。今日ぐらいは付き合い
なさい。ちょっと急ぎの用があるの。」
 「それならこっちに来ればいいだろう。なんでそっちに…。」
 「そっちじゃ具合の悪い事なの。御託はいいからさっさと来なさい。あ、今
日はセイバーは連れてきては駄目よ。ちゃんとあんた一人で来る事。わかった
わね。」
 

 という事である。
 凛は捲くし立てて一方的に電話を切ってしまうし、セイバーをつれて来るな
ときた。まぁ、セイバーのマスターは凛なので、そういえば付いて来る事は無
くなると思うが・・・。
 士郎はその電話の後、セイバーを探していた。まぁ、ちゃんと説明してから
凛の所に行かないと、いきなり乗り込んできそうだからである。
 
 「セイバー、ちょっといいかな。」
 「はい、何ですか、シロウ?」

 パジャマに着替えたセイバーが洗面所で歯を磨いている。セイバーは士郎の
言葉に歯を磨く事を一旦止めて士郎の声のしたほうを向く。

 「今からちょっと、遠坂の所に行って来る。今日は帰れないと思うから、先
に寝ていてくれ。」

 士郎がそう言うとセイバーは、

 「士郎がリンの所に行くというのなら、私も行きます。」

 と言って、コップの中の水を口に含み、泡の残っている口内を洗浄する。
 付いて来ると言っているセイバーに士郎は、

 「ごめんな、セイバー。遠坂から今晩はセイバーは連れて来ないで欲しいっ
て言われてるんだ。だから、今日は…な。」

 その言葉にセイバーは不満を露にするが、

 「……致し方有りません。マスターの言葉ですから、今日はこのまま大人し
く寝ることにします。」
 「ごめんな、セイバー。」
 「シロウが謝る事ではありません。私はマスターの言葉に従うだけですから。」

 セイバーはそう言うと、洗面所を出て二階へと上がっていく。その時、セイ
バーは振り向いて、

 「それでは、先に休みます。シロウ、あまり夜更かしなどしないように。」

そう言うとくるりと向きを変えて階段を上がっていった。

 「ああ、セイバー、お休み。もし早く終わるようだったら戻ってくるよ。」

 士郎はセイバーにそう言うと玄関に出て靴を履く。
 玄関を開けて外に出る。
 外はまだ冬の寒さが残っていて、肌寒い。
 
こんな夜中に女一人の家に出かけていくのも十分におかしいとは思うが…なに
か焦ったような凛の言葉。その言葉に士郎の足は速くなる。
 



 程なくして直ぐに凛の家に着いた。
 辺りは日付が変わったせいか、人もいなければ、物音一つ聞こえない。そん
な、道路から離れるように、士郎は凛の家の敷地に入る。
 玄関まで歩いていく。
 二階には小さな灯り。光の漏れている窓に誰かが立っている。恐らくは凛で
あろう。
 士郎はその誰かに向かって手を振った。それに気がついたのか、ふっと消え
て居なくなった。
 

 がちゃり


 玄関の鍵が外される音がした。ゆっくりとドアの隙間が広がっていく。

 「士郎?」
 「ああ、来たぞ、遠坂。」

 士郎のその言葉を聞くと、玄関のドアが大きく開け放される。そこには、凛
ガ立っていた。士郎は凛の姿に、目を疑う。

 「なぁ、遠坂…、その格好…。」

 その姿を見た士郎の思考が一瞬停止する。
士郎が目にした凛の姿は、いつものような胸の辺りにクロスのはいった赤い服
とスカートという格好ではなく、白を基調にした水玉模様のパジャマだった。


――どうして、こいつはいつも俺を惑わせることを…


 士郎は自分の顔が熱を帯びていくのを感じていた。
 恐らく顔も少し赤くなっているだろう。士郎はそれを悟られないように凛か
ら視線を逸らす。

 「……どうしたのよ、士郎。」
 「い、いや、何でも…。」

 凛の言葉に声が上ずる。中身はいつもの凛なのに、服が変わるだけでこうも
意識してしまう。

 「…まぁ、いいわ。考えている事は大体分かっているし。それよりも早く入
って、まだ外は寒いんだから。」
 「え…遠坂…ちょっと……」

 凛はそう言うと士郎の腕を引っ張って屋敷の中へ引きずり込んだ。凛はドア
を閉め、もう一度、がちゃり、とドアの鍵を閉めた。
 凛は戸締りを確認すると、

 「ほら、士郎。早く私の部屋まで来なさい。大事な用があるんだから。」

 そう言って凛は呆気に取られている士郎を余所に自室へと歩いていった。
 士郎は、

 「…はぁ、中身はやっぱりいつもの遠坂だな…。」

 と溜息をついて凛の後を追った。




 /
 
 
 
 
 
 「士郎、此処に座って。」

 士郎は凛に差し出された椅子に腰をかける。
 此処は遠坂邸の凛の部屋。士郎にとっては在る意味、身動きを封じられる檻
の中といってもいい。
 部屋の中はベッドと化粧台、それに机。同年代が持っているようなファンシー
なアイテムは全くといっていいほど無く、有るのは魔術に関する品が殆どだっ
たりする。
 …ま、それは良いとして。

 「で、なんだよ遠坂。こんな時間に呼び出して。」

 そう、今は既に陽が落ちてから数時間経っている。つまりは日付の変わりか
けた夜中。そんな時間帯に凛からの電話で呼び出された士郎。明らかに不満顔
で凛を見た。
 そんな士郎の視線を凛は軽く流す。凛の向かっているテーブルには何故かい
つものような士郎に魔術を教育するための本やアイテムなどではなく、銘柄は
分からないが紅茶のリーフとティーポット、それにティーポット用の布である
ティーコゼー、そして、ティーカップが二つ置かれている。その横には小さな
コンロが置かれており、その上ではお洒落なティーケトルが火にかけられてい
る。
 凛はなれた手つきでお湯をティーポットに注ぎ、温める。幾分か置いて、中
のお湯を捨て大き目のリーフをティーポットの中に入れる。分量は…二人分か。
凛はそれに、ぐらぐらと沸騰しているお湯を適量注ぎ、ティーコジーで蓋をし
蒸らす。そして、その間にカップを温めるためにお湯を注いでいる。
 士郎はそんな凛の姿を見て、思わず口を開いた。

 「なぁ、遠坂…。もしかして、俺はこの為だけに呼び出されたのか…?」

 士郎は凛に聞いた。その台詞を聞いた凛はさも当たり前のように、

 「まぁ、メインはこっちかな。ついでに…、する事も有るんだけど…っと。」

 時計を眺めながらそう言った。
 凛はティーカップに注いだお湯を捨て、ティーポットから抽出した紅茶を注
ぐ。ティーカップに注がれた紅茶からはふくよかな甘い香りがたっている。色
合いも極上と言わんばかりの紅い色をしている。

 「よっし!」

 と凛は小さくガッツポーズをする。凛は淹れた紅茶を士郎の前に差し出す。
それと一緒に砂糖の入ったガラスの容器とミルク。

 「会心の出来よ。とりあえず飲んでみて。」

 凛の気迫に押されて士郎は差し出されたティーカップを受け取る。甘い香り。
その香りは士郎の五感を溶かすように肺の中へと入って来る。まずは一口と、
士郎はティーカップに口をつける。熱い紅茶が士郎の口内へと入ってくる。口
内に広がる紅茶の味と香り。ゆっくりとそれを味わいながら嚥下していく。そ
のままの紅茶の味を味わうと、士郎は少しだけ砂糖を加えた。
 若干の甘味を加えた紅茶。それを士郎はゆっくりと飲み干していく。
 凛はそれを肘を突き、両手で頬を抑え微笑みながら見ている。
 紅茶を飲み終えた士郎。テーブルの上にティーカップを置き、息をつく。

 「で、どうだった?」

 凛が上目使いに士郎に聞いた。士郎は、率直に、

 「ああ、とっても美味しかった。遠坂前より上手くなったんじゃないか?」

 と言った。それを聞いた凛は少し恥ずかしそうに顔を赤らめながら、言った。

 「ふふ、ありがとう。はぁ、やっと追いついた。」
 「追いついたって、何が?」
 「やっと、“あいつ”の淹れてくれた紅茶に追いついたの。憎ったらしかっ
たけど、“あいつ”と同じ紅茶を飲まないと朝が来た気がしなくなってね。」

 士郎は分かっている。“あいつ”というのは、アーチャーの事だろう。“あ
いつ”は士郎の未来のなれの果て。士郎は凛と“あいつ”の間に何があったの
かは知らない。聞いても凛は士郎に教えてくれる事は無いだろう。


 ――案外、あいつの入れた紅茶は、この時飲んだ紅茶だったりな…。


 そんなことを士郎は考えてみる。
 

 「で、衛宮くん。身体で何処か変わった所は無い?」

 と、凛が唐突にそんなことを聞いてくる。士郎は何か嫌な予感を感じていた。
それは、凛の士郎の呼び方である。凛は普段「士郎」と呼んでいる。しかし、
今は「衛宮くん」と言った。この呼び方をすると大抵何か士郎の身に良くない
事が起こる。…いや、起こされている。と言う方が正しいのだろうか。

 「いや…、特に…何もな……い?」

 士郎はふと、身体が熱くなっていくのを感じた。
胸の――心臓の辺りから熱が全身に拡散していく。
熱の中心である胸の辺りは、灼熱の鉄の棒を押し当てられたように熱い。
その熱さで喉が乾くような感じ。ちりちりと喉を襲う熱。
思わず掻き毟りたくなる。
士郎は胸を抑え、熱さに耐える。息は荒くなり、視界は歪む。
 熱が頭まで達する。
ぐわんぐわんと音を立てて頭の中に鐘でもあるんじゃないかと思う程の音が鳴
り響く。

 「遠坂…一体……なに…を…?」

 士郎は顔を上げ、凛の方を見る。凛は苦しむ士郎を見てニヤニヤと笑ってい
る…様な気がした。まるでその眼は、好奇心旺盛な子供のような目をしている。
 士郎の目の前がぼやける。
 熱で思考回路が凍結し、段々と歪んだ視界が狭まってくる。

 「あ…。」

 ぷつんという音が聞こえて、士郎の意識が暗闇に染まった。







                                       (To Be Continued....)