承前

(ヴァレンタインSS)

(ホワイトデーSS)

お返し、欲しい?

                 阿羅本 景



 手の中にある綺麗な紙包みの重さを確かめる。
 この重さが愛と恋の重さだと思うと悪くはない。いやまったく。
 俺はリボンを巻かれたこの紙包みをしばらく手のひらの上にのせて、その重
みを楽しむ、添えられたカードには綺麗な手書きの文字で『志貴さんへ』と書
いてある。

 俺はわざわざ学校の校門まで来てくれた晶ちゃんを手を振って送った後に、
このプレゼントを手に笑っていた――と思う。さすがに隣の県のお嬢様学校で
ある浅上女学院のセーラー服を秋葉以外で見ることは稀で、随分奇異と羨望の
眼差しで見られたりもしたものだけど。

「……いつ貰っても悪くはないねぇ。晶ちゃんにもそのうちお返ししないとね」

 頷きながら鞄の中に包みを仕舞い込む。そして俺は左右を見回して歩き始めた。
 今日はこの後、どうやってもアルクェイドには会うだろうし――先輩はさっ
き校内で出会ったし、家に帰れば秋葉と翡翠、琥珀もいるだろう。それに居候
のシオンも居るわけだし。

 指折り数えてから、俺は軽くため息を吐く。
 どうもここ数年、俺は滅多にない大量の漁場に迷い込んでいる。有彦はこの
不当漁獲に抗議して美咲町200海里の経済水域を主張しているけども、アイ
ツはアイツで秋葉に玉砕覚悟のアタックをしばし仕掛けている訳でだから……
なんとも。

 ――有彦を義弟というのはちょっとなぁ……

 なんとなくその光景を想像するとぞっとしない。応援しろとはヘッドロック
を掛けながら言われるが結果がどうにもおかしなことになる事態に手放しには
応援しかねる訳だし。
 ……有彦には今日のことは言わないでおこう。言うとまた首しめられる。

 俺はふらふらと足を市街地に向ける。丘の上の遠野邸とは逆だけども、まだ
時間はあるしアルクェイドは町中にいるだろうし――直接あいつのマンション
に上がり込むのも悪くはない。門限までには十分時間もある訳だし。
 本屋に行って、アルバイトニュースでも立ち読みしようか……あと一ヶ月の
間になんとか元手をつくっておかないと、また去年みたいな悲劇に――

「……悪くはないんだけどねぇ、ただああも連続すると……」

 いっそ遠野家の台所を預かる琥珀さんに土下座して、緊急融資を……いや、
琥珀さんの融資は後が怖い。金と引き替えに健康を買うのは結構だが、逆はす
るなと時南のじーさんも言っている……まぁ、その点だけは同意しよう。
 ……あの緑色の自家製パラチオン注射されると、なにやったかわかんなくな
るし。

「ああ……それにつけても金のほしさよ……!」

 ざわさわっ
 ……なんとなくこう、雰囲気を出してみようとしたけどもうまくいかない。
いざとなればまぁ、高田の兄貴のラーメン屋台でドンブリ洗ってでも収入を得
るしかない。
 と、思ってふらふらと漂う俺。足は美咲駅前広場に向かっている。

 やっぱり目的無く漂っているなぁ、と思う。それに夜の町を巡回するのに慣
れているので人通りの多い町中を歩くのは違和感がある。こうして道行く人々
のどれがホンモノで、どれかがニセモノであるという感触。幸せという幻灯機
の作る影は太陽の下では嘘と本当の区別がくけられない。

 月明かりだけが、その影を消す。
 だからといって太陽は偽りでも、月は真でもない。ただ、月明かりは厳しす
ぎて。
 ――わからない。

「……なんか、おかしいな。まぁ書店行こうかなぁ……」

 訳もない妄想じみた考えを頭の中から振り払うと、鞄を肩にぶら下げて歩く。
ひょいひょいと人通りをすり抜け、商店街の方に向かうと――
 俺の視界の中に、あまりにも特徴的なそれが映った。

 菫色の髪。それだけでも珍しいのに綺麗に編まれて、腰どころか膝の裏まで
達しようかという長い髪。その上にエンブレム入りの軍人みたいなベレー帽が
乗っかっている。
 アルクェイドなんかは200m離れててもわかる美貌と存在感があるけども、
この娘も非常に目立つ。否応なくそれが誰かわかるわけで――

「シオン?何やってるんだろう?」

 それは間違いなくシオンであった。ビルの壁に背中を預け、その鷹のような
視線を周囲に送っている。本当に小作りで可憐なんだけども、あの人当たりの
キツさで損をしているなぁ、といつも思う。
 そんなシオンに目をつけた町中の若い男が、シオンに向かって進んでいく。
シオンに目をつけて難破しようというその審美眼は褒めて進ぜよう。だが――
中身がシオンであるというのが最大のミスだったな。

 俺は物陰に隠れ、シオンが難破男をションベン漏らすほどに言い負かすのを
期待しながら見守ろうとする。シオンが顔を上げ、接近してくる男を見ると―

 軽く左腕が上がった。金色のブレスレッドがきらりと輝く。

 だがその瞬間に、男はがくんと足を止めた。後ろを進む女性がぶつかって軽
い悲鳴を上げるほど急に――まるでいきなりサイドブレーキを引かれた車のよ
うな気味の悪い止まり方。
 刹那、男とシオンは見つめ合っていたような気がしたが、シオンが腕を下げ
ると男はくるりと回れ右をして足早に……

「おいおい……」

 あの男の明らかなおかしな動き。それにシオンの手の動き。気が付かない人
には何気ないシオンの所作に見えたかもしれない。でも、シオンをよく知って
いる人からすると何をやったのかは明白である。
 エーテライト。シオンの最大の武器――と言っても過言ではない。拳銃も持
っているけどそれを抜くのはあまり見たことはないし。

 はぁ、まったくなぁ……
 俺はほとんど何の躊躇いもなくエーテライトを使って人の頭の中に介入する
シオンに義憤のような感情を覚える。とりあえず物陰から出ると、俺はシオン
に向かって近づいていく。
 シオンはすぐに俺の顔を見つけ出したようだったが、相変わらず壁に背中を
預けたまま俺を待ちかまえていた。そして、俺はシオンの前に立つと――

「……こんにちわ、志貴」
「ああ……こんにちわというかただいまというか、まぁ……シオンとこんな時
間に町中で会うのは珍しいな」
「――私も日中に外出するのだが、まるで人の目を盗んで夜遊びする志貴と同
じように言われるのは心外だ……志貴、門限破りはそろそろ秋葉の逆鱗ではな
く翡翠の逆鱗に触る可能性が高い。注意した方が良い」

 出会い頭に心温まる交歓の会話が出てくるのではなく、俺の生活態度に触れ
るシオン。
 うへぇ、翡翠もですか……まぁシオンの目で観察しているんだから間違いは
ないだろうなぁ。でも、シオンの口ぶりだと俺が毎晩夜遊びをする不実な男の
ように聞こえるのがなんというのか。
 ……いけないな。シオンと生活態度で口論しても俺の勝ち目はない。

 顔をしかめて見つめるとシオンの切れ長の瞳はずっと俺の瞳をとらえている。
怒っているわけでも笑っている訳でもない、常に真剣な眼差し。
 ――この生硬な表情は魅力なんだかどうなんだか、いつも微妙な……綺麗な
んだけどねぇ、言うこととやることがこうだから。

「まぁ、それはどうも……で、今の男にもしかしてエーテライト使った?」
 
 俺は親指で肩越しにふらふらと歩み去っていく男の後ろ姿を指さした。
 シオンはその指の先をちらと目線を走らせると、わずかに顎を引いて頷く。
シオンはこういうところは馬鹿に正直であった――まぁ、嘘吐くのが旨いのは
先輩くらいだけどね、身の回りにいるのは。

「ああ、あの男は私に良からぬ感情を抱いていたらしい。その下卑た情欲に身
を任せる女だと思われていたのは虫酸が走る――だが市街地で威嚇射撃をする
訳にも行かない以上、もっとも効率的な手段で回避しただけだ」

 ……そりゃぁ、エーテライトで覗かれてそんな風に結論づけられたらたまら
んだろう、世間の男性一般は。
 ただ、だからといって……

「でもシオン、その辺は丁重に断るとか逃げ出すとかそういう穏当な……」
「志貴の言っているのは穏当ではない、消極的で不確実な解決策の模索だ。わ
ずかな改竄でで私は彼の記憶にある案件の重要度を上げて、私の優先度を下げ
ただけだ。これこそ穏当な解決手段と言わずなんという?一滴の血も流れては
居ないし、彼も悔悟を覚えることもなく引き下がることもできたのだぞ?」

 シオンはわずかに壁から背を浮かせて、俺に食ってかかるようにしゃべる。
 いや、食ってかかってる気は本人には皆無なのだろう。あーもう、可愛いの
に可愛くないんだよなぁ、シオンは……秋葉の方が不条理だからやっかいだけ
ど可愛いというか。

 シオンは俺の瞳を見つめ、違うか?と無言で尋ねてきている。

「それは全然わかるんだけど」
「全然、はわからない、に掛かる表現だ。日本語のことを私に教わってどうす
る、志貴……その顔からすると私がエーテライトで人の頭脳に介入することが
不満のようだな」
「わかっているんなら……」

 なにか、シオンはシオンのペースで俺を議論に引きずりこんでくる。いや、
まさかあのナンパ男の代わりの俺がションベン漏らされるハメにさせられるこ
とになるとは……まったく適いませんな。
 シオンは相変わらず厳しい瞳のままで口を開く。

「私はあの代行者の無差別かつ広範でなおかつ破綻の多い暗示に比べれば何も
していないも同然だぞ?それなのに志貴は代行者の暗示の渦中に喜んで身を委
ねて私の行動に異議を唱えるのは二重基準だ。そう思わないか?志貴」
「……そうかもしれないけども、お日様の高いうちはまぁ……そういのは控え
めにして頂けるといろいろと俺は心穏やかなんだけど」

 もう降参。できるなら鞄の中から白旗を出して振り回したい心地だった。
 ……こんど琥珀さんに頼んで降伏の手旗を作ってもらおうかなぁ。でも、そ
れを持っていると四六時中俺は振り回している様な気がするし、秋葉はそんな
俺を見て無条件降伏の文書にサインを迫るかもしれない。
 それもまぁ、ぞっとしないなぁ……

 シオンはわずかに目を細めて俺を見つめる。そして口元が微かにすぼませる。

「それに、私がここから退く訳にはいかなかったから、向こうに退場願っただ
けのことだ」
「へ……ぇ、そんな、ここが何か魔術的に重要な地点なのか?」

 シオンの思いもよらない言葉に、俺は左右を見回す。
 まだお日様も十分に高いし、町中を行き交う人も車も少なくはない。それな
のにシオンがこんなビル前の一角にこだわるというのは珍しいというか、稀だ
というか。
 きっとシオンなりの重要な理由があることは間違いないんだろうけども。

 シオンは俺の言葉にゆっくりと頭を振る。
 それに釣られてシオンの長いお下げもゆらゆらと揺れて……

「いや、ここなら志貴に出会えると予測していたからな」
「……予測、かぁ。でも、それなら絶対確実なのは家で待ってる方が……」
「それでは志貴に出会えても重要な時宜を逸している。そもそも私の計算は本
日における真祖の姫君という不確定要素を出来るだけ排除して――いや、それ
はいい」
「はぁ」

 意気込んで自分の予測を語り始めようとしたシオンが、珍しく自分で説明を
止めた。
 珍しいこともあるものだ――って口に出すとまたお小言を言われそうだけど
も。しかし、まぁシオンが俺をまだ昼間に待っていてくれているというのは。

 シオンは壁に背中を預けて、俺をしばし無言で見つめていた。
 町中に立ち止まってシオンと見つめ合っているというのは不思議な感じがし
て……シオンがなにか言いづらそうにしているのは感じるけども、口を開くま
では俺も待つしかない。
 ……河岸を変えた方が良いかな?でもアーネンエルベに行くには金がないし、
シオンにおごって貰うのはあまりにも不甲斐ない……

「志貴……」
「んー、どうした、シオン?」

 俺の名前を呼んだけども、シオンにはつづく言葉が無い。
 町中の明確な音にならない喧噪は感じるけども、俺とシオンの間には無言の
沈黙があって――それも、何となく黙っているのが気恥ずかしくなるような。

「志貴は……やはり貰ったんだろうな」
「……シオンが言っているのは、その」

 今日この日、世間ではそれをバレンタインデートと言っていて。
 先輩は聖ヴァレンチヌスはチョコレートとは関係ありませんとはいってるけ
ども、もうこの国ではチョコレートは恋の概念武装であるわけだし。
 それに、今日にこだわってシオンが俺を待っていたというのは――

 ――かわいいじゃありませんか。

 思わず頬がゆるむ。いや、シオンは可愛いところがあるなぁ、秋葉よりも。
 秋葉も可愛いんだけども、ここまでぞくぞくさせてくれないと言うか。
 いや、いや、悪くない、うんうん悪くない。

「な、何を笑っている志貴?」
「いやぁ、シオンもかわいいなぁって……言ってるのはチョコのことだろ?」

 俺がにやにや笑いを殺さずに言うと、シオンはやおら冷静に見せかけながら
もその困惑を目元に隠せない顔になっている。俺はそんなシオンに見せつける
ようにごそごそと鞄を探る。女の子に貰ったチョコを見せるのは良い趣味じゃ
ないけども、シオン相手なら百聞は一見になんとやら、だ。

「まだ1コだけどね。秋葉の後輩の晶ちゃんから」

 俺は綺麗に包まれた紙包みを持ち上げてみせる。
 まぁ、これは本命なんだろうけども――晶ちゃんなら悪くはないな、うん。
お返し云々はまだ言うほどにオトナじゃないから。

「晶……あの未来視の少女のことか?一度研究の対象にしたいと思ってるのだが」
「そういうことを真顔で晶ちゃんに言うのはやめた方が良い、向こう怖がって
るんだし」
「……姫君といい未来視の少女といい、なぜ私の研究に志貴や秋葉ほど従順に
協力してくれないのだろうな――」

 何か、全然ずれたところで怖い頷きをするシオン。
 そんなこと言っている限りアルクェイドの奴は懐きはしないと思うけども……
 俺はこんなものを町中で晒している気はないので、またしても鞄に仕舞い込
んだ。

「で、シオンも……もちろんチョコレートを?」
「――――――――――――――――――」

 シオンは俺の仕草を見つめていたが、自分に話が向けられると一瞬驚いたよ
うな表情を見せるけども……でも、こんな話をしてきた以上はシオンももちろ
ん期待して良いんだろうな。
 ただ、シオンがすんなりとくれるとは思えないけども……

「その、志貴。私はこのような風習がこの国にあるというのは事前に掴んでい
たのだ」
「ほうほう」
「だがそれは所詮菓子業界の見え透いたプロパガンダでありそれに乗せられる
この国の人々はなんと愚かなのだろう、と思ったのだが」
「ほうほう」
「でもこの国ではその行動が一つのカタチとして社会にある以上、その力の流
れに逆らうメリットはない。一つの社会の概念を覆すのは恐ろしく厄介だからな」
「雉も鳴かずば打たれまいって奴か」

 俺は適当にことわざを口にするが――
 こほん、とシオンは咳払いで無視。あう。

「……それに、私は観察していると遠野邸の中もこの日に向けて慌ただしく動
き出したのでいろいろ気になっていたから……秋葉はグループの食品会社のカ
タログを見ながら唸ってし、翡翠も琥珀も二人ともキッチンでああでもないこ
うでもないと試行錯誤を繰り広げていてな」

 ……まぁ、さもありなんと言うか。
 しかし翡翠までキッチンで、というのは気になる……琥珀さんの菓子制作指
導のよろしきを得ればいいが、独自の試行錯誤を凝らされると……ああ、今か
ら目眩が……

「それに、驚いたことに代行者や姫君までこのバレンタインデーには余念がな
いと見える。こと真祖の姫君が参加する社会行動となると尋常ではない。そう
なると私も研究のためにこのバレンタインデーに参加をせざるを得ないわけで
あり……」
「……で、シオンは誰にチョコレートをあげるの?」

 自己弁護なのだか大義名分の開陳なのだか計りかねるシオンの長広舌を遮る
と、シオンはうっと口ごもって俺を赤面しながら――
 背中に隠した手に何かを握っているみたいだ。と、言うことは……期待して
いいということかな?俺を待っていたというのだし。

「し、志貴!」
「んー、なに?」
「だから私のこれからの行動はこの国の一つの共同幻想システムを解明しよう
とする純学術的な行動であり決して軽薄な風習に迎合したものではないのだ、
そこのところを誤解して貰っては困る。そもそも私が志貴にそのような風狂で
惰弱な感情を抱いていると思われることが……」
「えー、俺はシオンが好きなのに、そんなつれないことを言われると悲しいなぁ」

 我ながら恥ずかしくなるような台詞を口に出す。
 からかっていると思われないか――が、でもシオンはううう、と息を詰まら
せてどんどん顔色を紅くしていく。
 町ゆく人が思わず振り返る、赤面して困惑する美少女の姿――いやぁ、シオ
ンはやっぱりこういうところもあるからかわいい……

「そ、そうなのか……今まで志貴は真祖の姫君ばかりを愛していると……」

 ……なんとなくシオンの論点がずれている気もするけども.
 わからないなぁ、シオンはよくまだ……

「いや、まぁ俺は先輩もアルクェイドも秋葉も好きだよ。もちろん翡翠や琥珀も」
「……それは矛盾した言動が志貴の身に常々危険をもたらしていると私は言っ
ているのに。志貴は今の倍以上その手のことに慎重にならないとその身の安全
を保証しかねる」
「苦労はするけども矛盾じゃないな……時々死にそうになるけども。まぁ、俺
は悪くはないと思っているけどね……じゃぁ、はい」

 俺は頷きながら手を差し出す。
 シオンは俺の掌を恨めしいようなジト目でじっと見つめている。なにかこう
していると悪いコトをしてしまったような錯覚にとらわれるけども。

「あ、もしかしておれの自意識過剰でシオンにはチョコレートを上げたい別の
相手がいたら悪い……」
「そんなことはない……それにそんな相手も男性の知り合いも居ない。ああ、
もう……わかった。志貴」

 シオンはとうとう根負けしたように、背中からストライプの包装紙に包まれ
た小箱を取り出した。それを胸の前に抱いてしばしためらいを見せて――
 まぁ、言動は年経て聞こえるけどもシオンも年頃の女の子な訳だから、恥ず
かしいんだろうなぁ……この何とも言えない甘酸っぱい空気がバレンタインの
醍醐味だ。うはー

 シオンはそのあからさまなバレンタインのプレゼントを胸にして――

「何度も繰り返して言うが、これは――」
「一応その辺はわかっている……つもり」
「それにチョコレートは市販品をそこの百貨店の地下食品売り場で包んで貰っ
たものだから、琥珀や代行者のような手作りチョコレートを期待すると失望す
るので、そこは予め言っておく」
「そんなことは気にしないよ、女の子から貰うチョコレートはなんでもうれし
いものだし、喩え翡翠の手作りチョコでも」

 シオンはまだ俺をまえにして、顔を紅くしたままその行動を取りかねている
ように。
 まだまだ言うことがあるのだろうか――わからないけども。

「……これは、この国の風習で言うところの義理チョコというものだ。ほかの
女性が志貴にプレゼントして、私だけ送らないと志貴の心境にも穏やかならざ
るものがあるだろうからな」
「……うれしいねぇ、シオンがそこまで気配りをしてくれるというのは。」

 うー、と俺の前でシオンは顔を真っ赤にして窒息しそうに唸っているが、ふ
っと息を吸うと――

「志貴。受け取って欲しい……」
「それはもう、よろこんで」

 俺の手の上に、ゆっくりシオンが包みを乗せてくる。
 確かに素っ気ないチョコレートであった。でも、この素っ気なさがいかにも
シオンらしいというか――むしろ手作りのハートのチョコなんかはシオンには
似合わないような気がして。
 俺も恭しく受けとると、シオンはまるで面接試験の口頭弁論を終えた生徒の
ように身体の硬直を解いて長々と安堵の息を吐く。

 まるで短距離ダッシュを終えたようにぐったりと疲れを見せているシオン。
 俺はそのチョコの手触りと無言の感情の重さを手のひらで確かめながら、不
意に思いついたことを口にする。

「――やっぱりシオンもホワイトデーにお返しが欲しい?」
「お返し?確かに対になる行事があるが、志貴が私に返礼を――私がそれを期
待していたと思われるのは意外だな」
「そう。まぁ、貰った以上はお返ししないと男の甲斐性が立ちません。で……」

 シオンが俺に意外そうな顔を向ける。シオンにしてらバレンタインデーを知
っていてホワイトデーを念頭に置いていないと言うのはあまりにも珍しいとい
うか、ふーむ……こうなればもうちょっとシオンを遊んでやらないと面白くない……

 ……昨年の悲劇が頭をよぎるが、まぁ、からかってみるのも一興かな。
 おれはちょいちょいとシオンを手招きすると、、言いづらそうに声を潜めて
みせる。

「そう、お返し。俺にはホワイトデーのお返しはポリシーがあってねぇ」
「……志貴の?それは初めて聞くな……」
「それはね、ホワイトデーの日に俺は――」

 さぁて、潔癖なシオンがどんな顔をすることやら……楽しみだ。
 ホワイトデーにお返しにたっぷりと白濁液をおごってあげると言ったら……
きっとまぁ真っ赤になって俺に猛然と説教をしてくるんだろうけども、それも
悪くはないなぁ。

 だが、俺がしゃべる前にびくん、とシオンの身体がすくみ上がった――

「志貴!」
「え?まだ何も言ってないけど……うぁああ!」

 突然、俺は両肩を掴んで真後ろに引っ張られる。
 そのまま後ろに飛んで、車道にまで放り出されかねないかのような勢い。
 俺の視界の中に驚愕の目を見開くシオンの姿が写って――

 いや、そんなことよりもいったい誰が俺にこんな手荒な真似を?
 だが、たちまちのうちに今度は肩ではなく耳をつり上げられる。
 それも、両方から両耳を上へとぎゅーっと

「いたたいたたいたいた!」
「はぁん、町中でこんな錬金術師相手に何やってるのかしらね?志貴」

 右耳から入るのは、うっすらと冷たく笑うアルクェイドの声。
 怒っている。お日様が高いので反転して金眼で破壊の限りは尽くさないが、
それでもぞぞぞぞーっと体感気温が下がるような。

「協会の捕獲指令の下った相手にやけに親しいようですね、遠野君?」

 左耳からは先輩。振り返って見つめることが出来ないけども、きっと笑顔の
下に怒りのマグマを滾らせていることは――想像に難くない。アルクェイドも
先輩も、この声を聞いたら三十六計を決め込んでも決して臆病だとは言われな
いだろう。

 いや、そんなことよりも、俺――絶体絶命。
 踵が上がって身体が浮き上がり、耳たぶが千切れそうなほど引っ張られてい
て……それでも唯一見えるシオンは色を失って俺の左右の、人の形をした脅威
を慌ただしく見ている。

「な、なぜここに真祖の姫君と代行者が――今の時間はこの場所に来るはずが
ないのに」

 ……ああ、そういう種類の驚きなのですか、シオンは。
 壁にべったり背中を貼り付けているシオンに、俺の背後からすーっと形を持
つような殺気の触手が伸びていって……

「ふーん、私が来ないと予測してたんだ……でも、恋する女という要素は貴方
らしく入っていなかったようね。志貴を捜していたのよ、私は」
「そうそう、遠野君に今日は抜き差しならぬ重要な用事がありましてね、図ら
ずもこの馬鹿猫と一緒に遠野君を捜していたのですが……まさか貴女と町中で
ちちくりあっていると思いませんでしたよ」

 うわぁぁ、この二人、なんか容赦がないー
 そんな、ただシオンにひそひそ話をしようとしていたのに、そんなちちくり
あっていただなんてひどい誤解だ!シオン相手にちちくりあいはしたいのに!
じゃなくって。

 シオンも表情を凍らせて、片言節句の失言で自分が背にしたコンクリート壁
の一部とされることを怖れているかのように――

「いや、私はただ志貴にこの国の風習に従って志貴にヴァレンタインのチョコ
レートをプレゼントしただけだ。それ以外の心疚しいところは一切ない!」
「へぇ」
「ほぉ」

 シオンがほとんど悲鳴のように言うと、腹の中に含む所を感じる二人の耳掴
みの声。
 いだだだだ、そんなに力を込めると指でピアス穴が空く!

「貰ったんですか?遠野君。嘘を吐くと……」
「貰いましたっ!確かに貰いましたとも!義理チョコと明言されて、だからシ
オンには後ろめたいところはこれっぽっちもないんです!離してー先輩!」
「……義理チョコねぇ……いかにもこの錬金術師らしいけど。それよりもね、
志貴?」

 ぎゅうううううう
 あっ、あっ、ああああああーーーーー!

「だーだーだだだ!ちぎれる!ちぎれるアルクェイド!」
「私の遠野君の生活態度に対しての忠告を聞き流すこの耳であれば、ちぎれち
ゃっても構わないと思うのすけども」
「……志貴?志貴はこの錬金術師にむかって、お返し云々とか言ってなかった?」

 まずい。
 俺の全身に脂汗が流れる。手のひらからどばどばと汗が流れて鞄のグリップ
が滑り落ちるのではないのかと思うほどに。
 聞かれていたのか?アルクェイドに――いったいいつから?

「あっ、ああっ、あうー!」
「遠野君?懺悔するのなら今のうちです。今ならまだ神は許し賜います」
「そうそう、嘘つくと志貴だけじゃなくこの錬金術師も刻んじゃうわよ?ふふ
ふふふ」

 低いアルクェイドの、冷たい嘲笑。
 俺だけじゃなく、シオンも色を失っていて――まぁ、俺よりもこんな脅威に
面したことは少ないから仕方ない……いや、俺もまずい、絶体絶命だ。

 そういう事情を知らないシオンは俺とアルクェイドに真剣そうに訪ねてくる。

「志貴の……志貴のホワイトデーのお返しというのは姫君や代行者にとってそ
んなに問題のなのか?ホワイトデーと言えばキャンディーとかの菓子で……」

 ああ、それは正しい。きわめて常識的な知識だ、シオン。
 だが、この二人にはそれが通用しないんだ――それが今最大の悲劇で。

「うふふふふふふふふふ……」
「おほほほほほほほほほ……」

 何とも、なんとも不穏な笑い。ああ、俺はどうすればいいのだろう――
 わからない。

「ははぁ、シオンには聞かせていないようですね、遠野君のホワイトデーを」
「うふふ、知らない方が良いわよ?シオン……ええ、志貴のホワイトデーに深
入りすると私や眼鏡尻女だけじゃなくて妹とも事を構えるつもりじゃないとね……」

 うふふあははと、まるで地獄の獄卒が哀れな亡者を見下ろして漏らすかのよ
うなぞぉっとする笑いのなかで、シオンにむけられるそんな……脅しの言葉。
 ああ、シオン。さっきは全部を聞かなくて幸いだった――だからそんな急に
興味津々の顔をするんじゃない!これは火中の栗で、あああああ!

「……二人とも、志貴がホワイトデーに何をお返しするのか知ってるのか?」
「ええ、それはもう……遠野君に、お腹の中にたくさんお返しをしてくれます
から」
「そう、たっぷり出してくれるもんね。志貴は」

 あああああ……なにかもう、すっごいことをこの二人はしゃべってゼスチュ
アで示しているような感じがするけども、もう耳で釣られた俺にはそれを見る
こともできなくて。
 シオンはその台詞を聞くと、たちまち――俺の顔を直視できないかのように
うつむいてしまって。

「あらら、シオン、貴女は随分ウブなのですねぇ」
「まぁ、義理チョコのシオンには志貴のお返しはもったいないわよ……」
「そ、そうだったのか、志貴……」

 シオンはそう小さく呟くと――彼女も意味を理解したのか。
 わからない。でも、多分直接の言葉でなくても理解できないほどシオンじゃ
ないはずだし。

「――――――――――――――――――――」
「ああ、シオンは沈黙したようですね。とにかく貴女には遠野君は五年早いで
すよ」
「そうそう、それよりも……この錬金術師にまでホワイトデーで出そうとして
いた志貴には、ちゃぁんとその意図を説明をして貰わないとねぇ……ね?」

 ――ああ、天命ここに尽きたり

「私も聞きたいですね、遠野君の真意は……不本意ながら同行しましょう」
「ここじゃなんだから、喫茶店……いや、ホテルでも良いわね」
「まだ私のチョコも渡してなですし……ふふふ……遠野君?覚悟はいいですか?」
「志貴……ふふ、楽しみね」

 俺は耳を引っ張られたまま、ずるずると後ろに引きずられていって……あ、
あ、あああ。
 シオンは俯いて胸に手を当てたまま、戸惑っているかのような――だめだ、
シオンが助けてくれるなんていうのは期待できない。
 ……ど、どうやって俺は生き延びるのか……いや、俺の命はホワイトデーま
でなのか?
 わからない。

「あああっ、あっ、あああああああーーーーーーーーーーーーーーー!」


                             《おしまい》