「遠野秋葉さんは……行方不明です」

 その言葉を聞いて、志貴は膝の上の布団を思わず振り落とすほど激しく、刑
事の方を振り向いた。

 秋葉は、あの車に乗っていた。そして、あの車は間違いなく炎上していた。
 あれだけパーツが飛び散る現場だから、激しい事故があったに違いない。だ
が、なぜ――秋葉が行方不明だとこの刑事は言うのか?

 言葉にならない志貴の強い視線を受けて、刑事は軽く咳払いをする。そして、
ファイルの中から二三枚の写真を掴んで取り上げるが、それを持ったまま躊躇
し、ファイルにまた戻す。

「……秋葉は、秋葉は生きているんですか!」

 志貴の声は思わぬ大声になる。ほとんど倉橋に怒鳴りつけていたことを知っ
て、志貴は思わず口に手を当てた。倉橋はそんな志貴に驚きの色を見せるが、
すぐに落ち着いて話し始める。

「この度の事故では、運転手の方はご不幸にもお亡くなりになられましたが……
遠野秋葉さんは確認されていませんな」
「そんな、あの車はあれだけ炎上していたのに、秋葉は……」
「では、まずこれを見ていただけますか?」

 倉橋はそう言って、さきほどファイルに戻した写真の一枚を取り上げ、志貴
に渡す。気分が悪いようでしたら外の人を呼びますが、という倉橋の言葉も聞
かず、志貴は震える手で大判の写真を受け取る。

 そこには、雪の背景の中で黒く焼けこげた乗用車の残骸が映し出されていた。
その周りに黄色いテープが貼られ、地面に向かって何かを探す警察の鑑識の姿
も映っている、間違いない事故現場の写真。
 志貴が見た炎の中では車の様子は分からなかったが、こうやって改めてその
残骸を見ると、歪んだ車体から事故の激しさが分かる。

「この事故は、どうにも不可思議なことばかりで。事故は恐らく前方に何かと
衝突したものだと考えられますな。その写真でも分かるとおり、前のエンジン
ルームが全壊している」

 倉橋の言葉通り、車の前輪より前が半分ぐらいに潰れている。恐ろしい速度
で何かと正面衝突したかのような跡に、志貴はぞっとする思いであった。もし
この車に乗っていたら万が一でも助かるまい、と思うと余計に震えが走る。

「だが……この現場は交差点などではなく、勾配はありますがこの車が衝突す
るような障害は何もない。その上、これだけ激しく別の車に衝突したらそちら
の車だってただじゃ済まないでしょう……しかし、他の事故車両は現場になかっ
たし、市内にも向こうの県にもなかった」

 倉橋の言葉を聞きながら、志貴は写真を食い入るように見つめる。
 志貴は、震える声で尋ねた。

「でも、当て逃げとかの可能性も……」
「それも考えましたが、現場には……雪で往生したがこの車の黒の塗料片以外
まったく見あたらないんですな。これだけ激しい事故なら、相手の車の塗料片
は残りますが……その代わり、現場からおかしな物が出てきましたよ」

 志貴が首を傾げると、倉橋はどう言ったものか悩んだような表情になるが、
やがて諦めたようにその言葉を口にする。

「動物の毛です。それも、ヒグマ、トラとかいるはずのない動物の。こちらも
狐に包まれる思いですよ、あの車をあそこまで事故で潰せる大型獣は県内には
いませんし、事故を巻き起こしたのだとしても遺骸もない。さっぱりですな」

 倉橋が頭を振るのを見て、志貴も改めて写真を凝視する。
 確かに、記憶の中の風景と現場写真の光景から、この事故が起こる原因とい
うのは見いだせない……そんな志貴の疑念の中に、あの不思議な光景が浮かび
上がった。

 果てしなく続く雪の平原と、燃える車の大きな炎。
 その前に佇む、金髪紅眼の謎の美女。

 ――だが、あの女性がこの事故を起こしたと?それこそ馬鹿げている

「……わからない」

 そう、声を捻り出すのが志貴の精一杯のできることであった。
 倉橋はその漏れる言葉を聞き、そうでしょうな、と低く呟いてから話を続ける。

「交通課と鑑識は首をひねっていますな。それと、遠野秋葉さんの件ですが」

 その言葉が出てきた瞬間に、志貴はがばりと倉橋を振り向く。

「秋葉は……行方不明だというのは」
「そのことですが……運転手の遺体は運転席でお気の毒にも焼死体で発見され
ましたが、遠野秋葉さんは……何処にもいないんですな」
「じゃぁ、あの車に乗っていなかったのですか?」

 かすかな希望の光を見いだした思いがして、意気込んで志貴は尋ねる。倉橋
刑事はそんな志貴の態度の急変に僅かにたじろいだが、すぐに平静を保って答
え始める。

「いえ、車内の後部座席に、鞄と靴の片方が炭化して残っていました。それに、
浅上女学園の目撃者の話だと、遠野秋葉さんが下校時に乗り込んだのは間違い
ないと」

 その話を聞いて、志貴はまたがっくりと肩を落とす。だが、そんな様子を気
にせずに倉橋刑事は話を続ける。今度は、逆向きに車がうつった写真を取り上
げ、志貴に手渡す。

「この写真ですが、後部座席のドアを見ていただけますか?」

 志貴は言われるままに写真を受け取り、その上に目を走らせる。後部座席の
ドアは開け放たれ、ひしゃげている。そしてそこから炎が吹き込んだののであ
ろう、激しく焼きただれた車内の様子は生々しく、写真からあたかも炭とガソ
リンの臭いが漂って来るかのようであった。

「ドアが開いていますよね。恐らくここから秋葉さんだけ外に……とも考えら
れるのですが、この事故の衝撃をうけて、車外に出られるものではないと。そ
れに、フレームが曲がるほどの衝撃にも関わらず、この車のこのドアだけ空い
ているです――それも、何かがはじき飛ばしたように」

 ――秋葉が、あの遠野寄りの力で吹き飛ばしたのか?

 志貴はそう思うが口に出すことはない。ただ、口を閉じて写真に見入ってい
るだけだであった。倉橋の方は、志貴の様子を片目で見ながら困ったように首
を振るばかりである。

「もしかしてどこかに遠野 秋葉さんがいるのではないのか、という可能性が
あるので、今日も朝から近隣の捜索がはじめていますが、まだ発見の報告は……
なので、遠野 秋葉さんは行方不明と。ですが、私もいままでいろいろ事故現
場を見ていますが、こんな不思議な現場は初めてですよ」

 時に、遠野志貴くん、と倉橋刑事は言う。
 その言葉にはっと顔を上げた志貴の目は、刑事の真剣な瞳に見据えられる。
ただ、この刑事は目つきにどことなく憎めないところがあり、志貴は驚きはす
るが萎縮する所はなかった。

「君の話を聞きたいのだが……いいかな?なぜ、あの現場に居たのかを」

 志貴は、それにどう答えようか迷った。だが、嘘をつくにしてもそれらしい
嘘は頭の中に思い付かない。それに、秋葉が生きているかも知れない――そう
思えばこそ、嘘をつかずに真実だけを告げた方が良いのでは、という判断が頭
の中を走る。

 そんな思いに耽る志貴に、刑事である倉橋は語りかける。

「君の挙動もこの事件の不思議の一環なんだよ、遠野志貴くん。君の家の使
用人の翡翠さんや七夜さんの話だと、夜中の九時に家を出て徒歩で遠野秋葉さ
んを捜しに出たという。だが、君は夜の十時に現場で保護された……それも車
で一時間掛かる県境で、だ。一体何があったのか教えてくれるとありがたいの
だが……」

 そう言われて、志貴は唖然としてまじまじと倉橋の顔を見る。自分がかなり
長い間歩いたような気がするが、それも志貴の意識の中ではほとんど夢現のこ
とであった。それに、迷い込んだあの雪の平原と、変わる奇怪な光景を思い出
すと、身体が震える思いがする。

「遠野くん、気分が悪ければ無理は言わないが……」
「わかりました、お話しします」

 そう言ってなんとか自分の中の動揺を抑えると、志貴はベッドの上で背を伸
ばして、自分の記憶の中にあることを話し始める。
 倉橋刑事はペンを取り、ファイルの中の用紙に書き付けていく。その、サラ
サラという音と、志貴の声だけが部屋の中を木霊した。

(To Be Continued....)