「アルクェイド・ブリュンスタッド!」

 黒い銃身の銃床から顔を外し、シエルが思わず叫び声を上げる。
 志貴も、秋葉を抱えたまま逃げ行くネロを見つめていたが、唐突にその存在
が現れた事に気が付いた。

 いつしか遠野邸の正門が消え去っていた。
 そして、そこには白い女性と、俄に登場した雪の平原が広がっている。
 志貴は、抱きしめている秋葉の肌に、大粒の雪の華が落ちるのを見た。

 ネロ・カオスは背後に生じた異変に身を翻す。
 だが、そこでネロ・カオスは背後の女性の姿を果たして全て見たのかどうか
は謎であった。振り返るその途中で、ネロは脚から分解していく。

 黒い銃身はネロの身体を穴を開けるように消し去っていったが、アルクェイ
ドは――ネロの存在した空間そのものを分解していった。まるで、モザイクで
も懸かったかのようにネロの存在する空間は大きな抽象的な破片となり、無と
空に消え去っていく。

 やがて、見開かれた眼のネロの顔のみが残り、それも分解されていく。
 あまりにも強力すぎる、アルクェイドの力であった。

「……すごい……あれは……」

 志貴は、秋葉を胸の内に収めるように思わず抱きしめていた。ネロに敗北を
与えることはできたが、志貴自身苦戦を強いられた相手であった。シエルも強
大な武装を以て挑んだが、滅ぼすまでにはまだもう少し時間が掛かったことで
あろう。

 だが、アルクェイドは――手を挙げることもなく一瞬にして消し去った。

「さす……が……真祖アルクェイド……」

 かすれる声で、シエルはそう呟く。黒い銃身の銃床を地面に据え、惚けたよ
うにアルクェイドの姿を眺めている。彼女は、ネロを引きつけるためにアルクェ
イド・ブリュンスタッドの噂を流していたのであった。

 だが、瓢箪から出た駒とばかりにアルクェイドが出現し、知ってはいたがそ
の力を見せつけられると、さすがのシエルでも為す術がなかった。

「……………………………………」

 雪の平原は、志貴とシエルの前に広がっていた。そして、深々と雪が空から
降り続ける――先ほどまでは雲一つない空から。
 アルクェイドの上に、まるで彼女が引き連れてきたかのような金の月が輝く。

 すでに平静に戻ってしまった志貴は、シエルにどうすべきかを目で尋ねる。
だが、シエルも困じたように頭を振るばかりであった。今、この目の前にいる
存在とは戦うなどというのは以ての外だ。
 だが、口を開くこともしないアルクェイドに、話し合って退いて貰う、とい
うのもどうにも不可能に思える。

 アルクェイドは志貴を見つめ、シエルを見つめる。
 感情のない金の瞳――二人とも、身動き一つ取ることができなかった。

「……………………………………」

 どれほどの時間が経ったのか、二人は覚えていなかった。
 足下に雪が積もり、志貴の肩に雪が乗り始め、裸の秋葉を庇うように志貴が
身動きしていた。シエルも、剥き出しの肩に雪が融けるのを感じていた。

「……………………………………」

 やがて、アルクェイドが、興味を失ったかのように、くるりと踵を返した。

 アルクェイドは、無言のまま――去っていった。

「……先輩……どうして……」

 ネロを屠り、無言で去っていったアルクェイドの事を志貴はシエルに尋ねる
が、シエルも困ったような顔で首を振るばかりであった。黒い銃身を持ち上げ、
遊底を操作して安全装置を掛けると、頭を降って溜息混じりに答える。
 その顔には、苦笑いとばつの悪さの混じりあった感情が現れている。

「彼女は、ネロを倒しに来たのでしょう……それ以上でもそれ以下でもない気
がします。目的が完了すれば、それでお仕舞い。実にあのアルクェイドらしい
ですよ……」

 シエルは、そう答えてから、やっと気が付いたかのように志貴の姿を眺める。
 腕に、白い裸体の秋葉を抱えているのを見ると、つい恥ずかしげに目を背け
てしまう。

「先輩、どうしたの……?」
「どうしたのって、遠野くん……秋葉さん、裸じゃないですか、もうっ!」

 そう言われて、初めて志貴も腕に抱えているのが、裸の秋葉であることに気
が付いたかの様であった。思わずあたふたとする志貴であったが、何とか器用
に片腕でジャンパーを脱ぎ、秋葉の上に被せる。

「……これで、終わったのかな?」
「終わったんじゃないのかと思いますよ、後始末は残ってますけど……それに
しても、遠野くん」

 ジャンパーからこぼれ落ちた眼鏡を雪の上から拾う志貴に、含み笑いをした
シエルが話しかける。志貴は、首を傾げてシエルに向き直る。

「先輩?」
「ネロ・カオスとの戦い、実に立派でした。これだけの力があるのに何もしな
いのは、勿体ないですよ、遠野くん」

 はぁ、そうですか?と答えるのが精一杯の志貴に、シエルははい、と嬉しそ
うに頷く。

「今すぐに、とは言いませんから、卒業したらこっちで働きませんか?遠野く
んだったらすぐにでも一線級のエクソシストや、史上最年少の異端審問官就任
も夢じゃないですよ」

 目をきらきらさせながら奇妙な勧誘をするシエルに、志貴ははぁ、と困った
ように気の抜けた答えを返すのが精一杯であった。

「んー、考えさせてください。秋葉や翡翠のことがありますし」
「……勿体ないのになぁ、遠野くん。せっかく半眼の極意をマスターしている
のに……ま、いいです、こっちは気長に待ちます」

 シエルはそう言って得心して頷くと、空を見上げる。
 志貴も釣られたように空を見上げると、そこには、暗い空から白い雪が舞い
降りてくる。戦いの前には舞い降りていなかったが、アルクェイドが訪れてか
らまるで遅れを取り戻すかのように降り始めていた
 シエルが、ぽつりと口ずさむ。

「雪の聖夜ですか……ロマンチックですね、遠野くん」

 志貴は、それに笑って答えた。ただ、今の志貴には秋葉をこうやって無事に
取り戻せたことが嬉しくて仕方がなかった。それに、何よりも

 ――翡翠との約束が、やっと守れる。

「先輩、家に戻ろう……秋葉が無事かどうかが心配だ」
「わかりました、遠野くん……そう、一つお願いがあるんですけど」

 そうシエルに尋ねられ、将来の進路以外ならなんでもどうぞ、と志貴が応じる。

「……先に、お風呂貸してもらえますか?」
「そう言うことだったら喜んで」

 志貴とシエルは脚を揃えて、庭と門に背を向けて館に戻る。
 新雪を踏み分けて進み、志貴は抱いていた秋葉をシエルにそっと手渡すと、
重厚な遠野家の扉を、ゆっくりと押し開いた。

 闇に慣れた目に、控えめの玄関ホールの灯りが入ってきた。
 そして、そこに待ちかまえていたのは――

「お帰りなさいませ。志貴さま、シエル様……お戻りをお待ちいたしておりま
した」
「ただいま、翡翠……秋葉を、約束通り連れて戻ってきたよ。大分遅れてしまっ
て、ごめん」

 志貴と翡翠はお互いにそっと目線を合わせ、そして――やっと、二人とも心
の底から安心したように微笑んだ。

(To Be Continued....)