令嬢・遠野秋葉の華麗なる一日
                               
        阿羅本 景

 遠野秋葉の朝は早い。
 まだ陽も昇り切らぬ払暁に目覚めると、遠野家の令嬢である秋葉の朝の日課
が始まる。
 まずは全裸になって乾布摩擦――

「誰がそんなコトするっていうのよ!」

 ガスッ!

 私の踵が、見事に琥珀の脳天に決まった。
 脚を直上に蹴り上げ、鋏で挟むようにして打ち下ろす踵落とし。蒼香の必殺
技だというけども、あの背のちっこい蒼香が一体どういう風に踵落としを決め
るんだろうか?興味はある。
 で、私の踵は琥珀の頭頂部に刺さっていた。

 我ながらほれぼれするぐらいの一撃であった。
 琥珀は踵を食らうと「ぷぎゅっ!」とか不思議な感じの叫び声を漏らして 
文字通り崩れ落ちた。床には厚いペルシア絨毯が敷かれているから琥珀のこと
はあまり気にしなくて良いだろう。
 琥珀の手から、マイクと台本がこぼれ落ちる。

 マイクも倉庫のどこから引っぱり出してきたのか分からない、銀格子の古い
マイク。ばっさりと開いて落ちた台本には毛筆で黒々と『令嬢・遠野秋葉の華
麗なる一日』と書き記されている。筆跡は言うまでもない、琥珀の手蹟だった。

 ――ペンだと下手なのに、これだと上手いものね

 意味無く私が感心するが、問題なのは琥珀の筆使いではない。
 私は気絶する琥珀の横を進んで、ひょいとその台本を拾い上げようとすると……

「秋葉さまー、秋葉さまがこれを見てはいけませんよ〜」

 私が指を触れるより早く、琥珀の手が動いて台本をひったくった。
 状況に関わらず意外な動きをする琥珀に私が唖然とすると、目の前の俯せの
頭がもぞりと動いた。琥珀は台本を胸に抱えながら私の前に立ち上がる。

「ちょっと琥珀……それ、なんなのよ」
「え?これはその、読者の皆様から色々希望があって、企画したんですよ秋葉さま〜」

 ……一体琥珀が何を言っているのか、私には推測すらしかねる。
 読者?希望?期待?どこの馬の骨がそんなことを?
 それに、タイトルは『令嬢・遠野秋葉の華麗なる一日』……私の台本だとい
うの?

 私はベッドの上に腰掛けると、腕組みして怪訝な瞳で琥珀を眺める。
 だけども琥珀はそれに堪えた様子も見せずに、ぱたぱたと手で着物を払っていた。

「流石翡翠ちゃんのお掃除ですね、埃一つ付きません」
「……だから琥珀、その……『令嬢・遠野秋葉の華麗なる一日』というのは一
体何?説明次第に依っては貴女、二発目を覚悟すべきね」

 話をはぐらかそうとするこの笑顔の策士の方向を私が正す。
 二発目、の言葉を聞いた途端に琥珀の笑顔は凍り付き、私に力無く腕を振っ
て見せる。

「秋葉さま、その、二発目の踵落としはご容赦下さい……あれを二発受けたら
椎間板ヘルニアか頸椎捻挫になっちゃいますから……」
「薬師の貴女が患者になるかどうかは、貴女の心がけ次第よ」

 私が傲然と言い捨てると、琥珀は……ちっ、と舌打ちをした、様な気がした。
 ……いつの間に琥珀がこんな事になってしまったんだろう?私の使用人の躾
が悪かったのか?思わずそんなことを思ってしまうほど今の琥珀は傍若無人と
いうか

 琥珀はそんな渋り様が嘘のように忽ち笑顔を作ると、胸に抱いていた台本を
私の前に両手で押し出してくる。和綴じの装幀に琥珀の手になる題箋、そこに
踊る『令嬢・遠野秋葉の華麗なる一日』……

 貴女が説明しないと分からないのよ、琥珀。
 私がしびれを切らして吐き捨てる前に、ようやく説明が始まる……

「その、秋葉さまの朝早く夜遅い生活に関していろんな読者の皆様から興味の
お問い合わせを頂いていまして、それで秋葉さまの生活を紹介しようと言う企
画を」
「…………」
「それによって不動の二位の実力の秋葉さまの魅力をより広い皆様に知ってい
ただこうと思いまして、この不肖琥珀めがパーソナリティとなって秋葉さまの
紹介を行おうとしてたんですよー」

 ……何をメタなことを琥珀は言っているんだろう?
 読者とか人気二位とか……兄さんの口癖じゃないけども、わからない……

 わからない。

 ああ、便利ね、この言葉って。正しくは思考停止なのだけれども。
 とにかく琥珀に二発目のネリチャギを食らわせても、このメタな言動の真意
を引き出すことは出来ないだろう。もしかして、特製のを朝から一発キメてい
るのかも……

 ……裏庭の菜園に大麻ってあったかしら?

「ふぅん……私の紹介企画ね……」
「はい、華麗なる令嬢の秋葉さまの一日を紹介すれば、世間のお兄ちゃん者は
忽ち秋葉さまに靡きますよー」

 ……何をどうしても琥珀のこのメタ発言は直らないのだろうか……むしろ二
撃目を入れて琥珀を黙らせないといけないような気もしてくる。
 まぁ、いいわ。でも問題なのは……

「で、誰が朝から全裸で乾布摩擦を?」
「……乾布摩擦をなさらないのですか?秋葉さま?」

 真顔で問い返してくる琥珀に、私は文字通り驚愕に目を見開く。
 思わずまじまじと琥珀を見つめてしまう……
 ……本気で言ってたの?琥珀は……でも、いつから乾布摩擦なんて言う語句
が私の生活に結びつく余地が生まれたの?

「朝からぽかぽか身体がして、健康にいいんですよ?秋葉さま?」
「そんなに良いというのなら、貴女はしてるの?琥珀」

 私が聞き返すと、琥珀がきょとんとする。そして、ぱちんと手を打って……

「いやですねー、私がそんなコトするわけないじゃないですかー、秋葉さまー」
「貴女がしないんだったら私だってしないわよ……」

 ……疲れる。
 早朝からべったりとした疲労に襲われる。朝から縁起が悪い……いや、これ
はむしろまどろみの中で見る悪い夢の方がいい。
 そう思えば簡単だ。私がすべきなのは……

「……お休み、琥珀。私が変な夢見ていたみたいだわ」
「あー、そんな、秋葉さまー、現実逃避しないでくださいー」
「ええい、うるさいうるさい!これは悪い夢なのよ、琥珀がメタフィクション
な発言するのも乾布摩擦に拘るのもみんな!」

 スリッパを脱ぎ捨ててブランケットの中に潜り込み、そのまま頭の上まで引
き上げる。
 まだ弱い朝陽は毛布に遮られて、私の視界は柔らかい闇に包まれてまだ暖か
い寝床が……

「仕方ありませんねー。秋葉さま、台本描き直しますから機嫌直して下さいねー」

 ええい、聞こえない聞こえない聞こえない……

「じゃぁ、第二稿で行きますからー、3,2,1,キュー!」
            
 聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない……

(To Be Continued....)