「うわあっ!!」

自分の首を吹き飛ばされた感覚。
鮮明すぎる鮮血のイメージに、志貴は叫ぶ。
その声の大きさに、目が覚めた、そんな感じだった。

「に、兄さん!?」
「………っはぁ……っ……ん、はぁ……はぁ……」

自分の胸を掴み、何か痛みに耐えるように呼吸を整えていく。

「兄さん、どうしたんですか!?」
「………っはぁ……はぁ………」

鮮明すぎるほどの鮮血の香。
確かに残る首から上を潰された鈍い感覚………………消えない。
確かに――――――俺は殺された。

「…………っぁあっ!……はぁぁ……」
「兄さんっ、兄さんっ!!」

誰かが俺を呼んでいる………

「あ……き、は……」

揺らぐ視界………

「眼鏡……を………」
「は、はい、これですね!?」

落ち着かない手で、慌てて眼鏡を手渡す秋葉。
よくは見えないがおそらくとても心配そうな顔をしているのだろう、
声でわかる。

志貴はゆっくりと双の魔眼を殺し、目を閉じた。
秋葉が手を握っていてくれるのを感じる、伝わるそのぬくもりも。
同時に、傍で眠っていたのであろうレンの重みも、
先ほどまでの光景をいくらか薄れさせてくれた。
その小さな体をさすりながら、

「………ふぅ、秋葉……」
「はっ、はい、何ですかっ兄さん!?」

まだ動揺した声のままの秋葉。

「………ありがと、もう大丈夫みたいだ」

そう言って、志貴はゆっくりと目を開いていく。
続いてため息が漏れ、呼吸を感じる。
やっと空気を吸えたような気がした。
どうやら体も落ち着いてきたようで、少しだけ考えてみる。

――――――夢?

いや違う、あれは確かに………でも………

(何なんだよ、あれは……)

「兄さん………」

今にも泣きそうな顔でベッドの横で志貴を見つめる秋葉。
それほどに顔色が悪いのか、秋葉の表情は和らぐことは無い。

「あれ……お前、学校は……?」
「終わりました。もう夜なんですよ、兄さん?」

えっ、部屋の時計に目をやると、
秋葉の言うとおり確かに二本の黒針は深夜を指していた。
意識の中では一時間もたっていないように思えたが………

(七夜をああも容易く………)

もはやあれは人ではない、人では有り得ない。
以前、あれと似たのを見た事があった。

レンが見せた夢の世界の中――――

血の脈動が教えてくれた、あの場所、七夜の森で。
血の中に魔を混ぜた紅き鬼神。
何の変哲も無い、ただ強力という二文字の名のもとにある、
全てを「超えた」力。
壊すという概念を最大限にまで鍛え上げ、七夜の血を滅ぼした鬼神。

しかし、あれは違う。
志貴の夢の中、最恐の「死」のイメージの具現は、志貴自身が「殺した」
直死の魔眼の元、死を切り裂いて。
だが強さだけでいえば、あれにも勝るとも劣らない。
そのまま形容するなら、まさに蒼き鬼神。

「……どうかしましたか、兄さん?」
「……あ、いや、ちょっと考え事」

軽く頷いて、秋葉は立ち上がる。

「では、私は部屋に戻ります。琥珀に何か持ってこさせましょうか?」

志貴は少し考えてから、

「いいや、今日はもう寝るよ」
「そうですか、ではおやすみなさい兄さん。何かあればすぐに呼んでください
ね」
 
まだ不安が残る顔をしていたが、最後に志貴が笑顔を見せた時には、
その硬さも少し和らいだように思えた。
それに少し安心する。

そして、また一人になった。
電気は消えているため、部屋の中は薄暗い。
徐々に闇に慣れていく両目、しかし、まだその黒は晴れない。

闇の中の回想。
募る不安。
次第に高まる負の感情の中、しかし確かに、もう一度あいつに会いたい、
そう思う志貴がいた。


―――――そうして、また―――――闇夜(よる)が来る。


また会うことになる、志貴の内で、何かがそう告げる。
早鐘を打つ胸をかきむしるように押さえ、目を閉じていった。

闇に包まれ、引きずり込まれていく自分。
その黒い部分と同化して、

『また、迷いこんだか?』

また、繰り返す。
いや、全てが同じではないのだから、繰り返しているのではない。
同じで、違う闇。

「またあんたか、あんたは一体……」
『前にも言ったはずだ、名前など無意味だと』

こちらの言葉が全て終わるよりも先に返される。
それに対して少し語調を荒げて、志貴もやめない。

「あんたにはそうでも俺には違うっ!!
 あんたは……誰だ……?」

確かに知っているその姿。
しかし思い出せない。
間違いなくあったことのある姿。
なのに――――

しぼり出すような声で、
その名が、自分の目の前に立っているそいつの名が、
とても大切なことのように思えて、
志貴は問う。

『――――――』

沈黙に、ただ闇は冷たく、その場の熱を奪い去っていく。
しかし二人の体温は下がることは無く、むしろ血の滾りと共に
高まっていくように思えた。

『もう……』
「えっ?」

今までとは少し違う、そいつの沈んだ声。
思わず志貴も、聞き返す。

『俺に名など意味は無い……我が名、意味を成す時、
 それは陰陽の理を外れし者を狩る時のみ……それが七夜の理。
 そして、俺の名……七夜、黄理の意味』




―――――キリ―――――



志貴は訳も無く、何かが震えるのを感じた。

「じゃあ……あんたは……」

前に聞いた。
これもレンの夢の中で……、あのヤブ医者から聞いた、名前。


―――――七夜、黄理。


「あんたが……キリ……」

それには答えず、七夜黄理と名乗ったそいつは、

『では俺も聞こう、お前、名は?』
「………………志貴」

氏は告げず、一言。

「そうか……”シキ”か……」

懐かしい名だ、そう静かに呟きながら、
視線を上げる黄理。
それは遠くを、どこか闇を見つめているよう。

『お前には……何が視得る?』

えっ、と一呼吸置いてから、そのまま志貴は見つめ返した。

『お前の思考は……蒼色か………』
「?」
『俺には他人の思考が霞のように見える、お前にも見えるはずだ。
 他人には、通常の人間には見えない”何か”が……』

志貴は答えない。
沈黙を持ってそれに返答する。

『ふっ、まぁいい……』

何故か自嘲するように息を吐くと、黄理の視線は再び志貴。

「俺には………」

その視線を受けてか、志貴の口も自然に動き始めた。

「………「死」が見える」
『ほぉ……?』

興味深そうにそれを見る黄理。
何か目の前にいる志貴を品定めでもするかのように、
足元からゆっくりと見た。

『しかし、前回のお前には見えていないようだったが?』

黄理は続ける。

『だが殺意には満ちていた。今のお前にはそれが微塵も無い。
 お前は、2人いるのか……?』

闇を貫く蒼き瞳。
射抜くように志貴を見つめていた。

「まぁね」

答えるように、それでいてごまかすように志貴も返事をする。

『そうか』

そう静かに言うと、

『………では、もう一ついいか?』

両手を広げて見せ、無言で肯定の意を返す志貴。

『お前達二人は、違う道を歩んでいるのか?』
「?」

質問の意味が分からず、そのまま疑問の表情を見せる。
見つめ返すことで、志貴はその答えを待った。

『ふふ、もう少し分かり易く言おう。
 お前と、”もう一人のお前”は別人……か?』
「???………まぁ、そうだと思う」

確かに、同じ体を共有しているとはいえ、
七夜と自分は相容れない、別の人間。
「死」の線にて分かたれた、明と暗・表と裏。
それらは別のものであり、同時に全く同じ者。

だが志貴は否定する。
”遠野志貴”と”七夜志貴”、この二人は全くの別人であると。

『そうか、であるにもかかわらず、お前達二人は同じ場所にいるのだな』
「……………」

志貴の中に、返す言葉は無い。
そもそも質問ではないのだから、答えなどあるはずも無いのだが、
沈黙に身を任せながら、志貴はそれを探しているような気がした。

『――――――』
「―――――?」

いつの間にか、僅かな変化を感じる。

(笑ってる……?)

黄理が声にも出さず、口の端を歪めていた。

『ふはは、では志貴、お前は俺とは違う道を歩いているということだ』

無言のままの志貴に向かって黄理は続ける。

『もう一人のお前…………”七夜志貴”…………』
「っ!?」
『つまり俺の血を引いているであろう”あいつ”は確かに同じ闇の中の住人…
…』

志貴は体の中で何かが震えるのを、再び感じていた。

『………しかし、お前は七夜ではないのだろう?』

志貴にはかろうじて頷く事しか出来ない。
自分と血がつながっていることをさらけ出しても、
目の前の男とは何か相容れない、そんな隔たりを感じていたから。

『なら、ここはお前の来るべき所ではないのだ』
「何故……七夜、だと?」

僅かに眉間にしわを寄せ、志貴は問う。
黄理も当然のようにそれに答える。

『殺意を交えた時、お前の刃には銘が彫ってあった………

    ――――――七夜、と

       ………俺の形見としてでも残しておいたのだろう、
 それを扱う事が出来るのは血族だけだ、この世界であるならなおさらな』

そう断言する黄理。
そんな姿を目の前にして、思い出したように志貴はポケットからナイフを取り
出した。

『お前が七夜志貴ではなく、遠野志貴であるというなら、
 それを証明して見せろ………俺と違う道を歩むことでな』

その瞬間、咳を切ったように闇の度合いが増したような気がした。
あたりを一瞥すると、

『どうやら時間切れのようだ。
 そろそろ夜が明ける………我らの交わる刻が終わる―――――』
「っ、ちょっと待って、ま、まだ………!!」

既に闇の中には志貴一人だけが残されていた。
そいつの姿は既に無く、闇はただ深く、それ以外志貴の目には何も見えなくな
っていた。

まだ聞きたいこと、言いたいことがあったはず。
それを望んでいたはず………でも、

聞かなかった、言わなかった―――――――――――分かっていたから。

確かに望んだ。

しかし確かに拒んだのだ―――――――知っていたから。

夢だと………この光景は自分の記憶が生み出した幻影なのだと。
返ってくる答えも、ただ自分の思った言葉だけだと。
記憶の奥に沈む、回想と空想と、自分の勝手な希望の混ざり合ったものだと…
……でも、


「それでも………」




明光が黒を染めていく。


闇夜(よる)が―――――――明けた。




               
                 ◆




葉の擦れる音がする。
脚に草を掻き分ける感触が伝わる。

深き緑は風に揺れ、過去の惨劇を跡形もなく洗い流していた。

空には雲。
くすんだ汚れを落とす泡のように、ゆっくりと青き野を進んでいる。


志貴は歩みを進める。
もう少し先にまで進んでみようとも思ったが、
途中で引き返してきたのだ。

目指していた場所は七夜の屋敷。
おぼろげではあったが、ちゃんと場所は覚えている。
昔に過ごした、あの場所。
記憶が呼ぶ、あの森に、志貴はいた。

変わっていない。
夢の中で見たときとなんら―――――といっても、
森はその瞬間瞬間で姿を変える物だから、変わっていない、というのはおかし
いかも知れない。

もう振り返ることは無い。
葉の隙間隙間から漏れる木漏れ日。
温かきぬくもりを背に纏いて、緑を踏みしめていく。

もう帰ろう、皆が待っているはずだ。
森を背に感じ、足を速める。


(進めるか………?)


不意に、そう聞こえた。
立ち止まる事無く、答える。


「ああ………」


(異なる道を……?)


「もちろん」


その答えに納得したのか、
それ以上は声は聞こることはなかった。

空耳だろう、たとえそうでなかったとしても、
志貴の言葉は変わらない。

迷うことは無い。

もうすぐ森を抜ける。
もうすぐ入り口に立つ。

皆と歩む道。
あいつが言う、異なる道の入り口に。

日の光が照らし出してくれるであろう、道。


「大丈夫さ………多分ね」


少し自信なさげに笑みを浮かべると、
志貴は最後にもう一度、森の中から空を見上げた。

「じゃあね――――――父さん」


二度と口にすることは無いであろうその言葉。

闇の中でであったあいつに、父親という存在、実感は無い。
でも、そう言うのが一番自然のように思えた。

風に揺れる葉。

その中で、あいつの笑顔が見えたような気がした。


彼は歩き出す―――――異なる道を。

彼は決めた。


もう、振り返ることはない、と。








                〜〜空 闇に染まる刻  七夜 交わる時〜〜


                                   
<終>








あとがき


正直、何故これを書いてしまったのか………。
思い付きです、Fateも始まったばかりだというのに。

ほんと、しかも内容は大したことのない気がします。

ここまで読んでくださった方、
どうもありがとうございました。

では、また放浪。

末丸。