年の初めの……

                       阿羅本 景



「おはようございます、兄さん」
「あけましておめでとうございます、今年も一年……って、それは昨日やったか」

 俺は静かに頭を下げる振りをしてボケてみせるが、そう言っててへっと笑い
ながら頭を上げると……秋葉が凍り付いたような顔で俺のことを見つめていた。
 顔に目一杯『正気ですか?兄さん』という顔色を浮かべて……紅い振り袖姿で
あり、三賀日はこれで過ごす算段らしいが、豪華絢爛な着物の上にぎょろっと俺
を睨む瞳があるというのはなかなか……恐ろしい。

「兄さん……それは、一体どういうおつもりで?」
「いや、新年の朝を言祝ぐ良い言葉が思いつかなかったので、今年の地口初め
にしようと思って……ああ、そんな目で見るな、おはよう、秋葉」

 俺が言い訳がましく口にしている間にも、どんどん冷たくなっていく秋葉の
瞳に堪えかねて俺はまた深々と頭を下げる。柄にもなく紋付きを着せられてい
る俺は、朝っぱらから情けなくも秋葉に頭を下げっぱなしだった。
 というか、年の頭から俺は秋葉に頭を下げっぱなしであり、このままではこ
の先一年中頭を秋葉に下げて暮らすのだろうか?

 というか、昨年の大晦日も秋葉に頭を下げていたような気がした……もしか
して、これからずっとこうなのか?俺。

「……兄さんも年の初めからそのような情けない有様では、遠野の人間として
の鼎の軽重を問われかねません。兄さんは背筋をただし、私を見て白い歯をみ
せて『やぁ、秋葉おはよう』ぐらい言えなければいずれ人の上に立つモノとし
ての人望と魅力が……」
「わかった、秋葉、おはよう。これで良いのか?」
「……年賀の挨拶は明日が有りますので、それまでに直して下さい」

 艶やかに笑っている秋葉だが、目だけは『明日同じ様なボケをしたら、只じゃ
おきません』という意志の堅さを表す光に満ちている。というか、秋葉は俺を説
教することに今年も生き甲斐を見いだしていく気だろうか?

 わからない。

「ふぅ……しかし」

 一月二日の朝。朝の挨拶を交わす居間には俺と秋葉しかいない。
 翡翠と琥珀は食堂でお節料理の準備に余念がないのだろう。琥珀さんは年末は
ずーっと重箱と格闘していたみたいだし、翡翠は大掃除に没頭していた。二人に
とってこの仕事はプライドに掛かるものらしく、俺なんかは口も手も挿みようが
なかったほどの。

 新年だからゆっくりすれば……といっても、聞き入れる二人じゃないな。

 俺が首を折ってふーっと息を吐くと、秋葉が俺の仕草に気が付いたようだった。

「お疲れですか?兄さん」
「ああ……昨日は元旦から大騒ぎだったからな」

 俺は首をこきこき馴らして首筋を揉む。こうやっていると、逆に体の中の疲
れを再確認するような気にすらなってくる。
 なにしろ、初日の出を見に山の神社に初詣に出てから――運良くというか運
悪くというか、そこにしっかりアルクェイドと先輩が着物姿で待ち受けていた。
 それからというもの、初詣では信仰とその存在を巡って大騒ぎをし、恥ずか
しさに俺が腕を引いて屋敷まで戻ってきたら戻ってきたで、羽子板で激戦を繰
り広げ、それでも飽きたらずカルタは源平戦で真剣勝負を挑む。

 というか、俺が一番百人一首を覚えていないという、衝撃の事実まで付いて。
 秋葉は言うに及ばず、先輩は前もって決め字で丸暗記するし、アルクェイド
は一〇〇枚の札を読んでその場で全部記憶していた……読み手の手に持った、
札の裏の模様を。
 
 麻雀用語で言うところのガンパイ――そんな技を使うな、アルクェイド。
 羽子板は羽子板で、まぁ……スマッシュの速度が180km/hは越えていただろう
な、あれは。生まれて初めてレシーブした羽子板が真っ二つに柾目方向に割れる
のを見たし。先輩のスマッシュで玉の羽根が燃えたのもびっくりした。

 そして、琥珀さんの用意した四段重のお節料理を健啖振りを発揮して食い荒ら
し、お屠蘇は最後は一升瓶を抱えて大杯を干していた……まるで、嵐のようなラ
イバル二人。
 沢山作った甲斐がありましたねー』とは琥珀さんは行っていたけども……そう
言う問題か?というほどの。

 ――まぁ、いつものことだから、な

「……年始ぐらいは、あのお二方も大人しくしていただいてもよろしいのに」
「いや、一人だけならまだしも揃ってしまうとな……まぁ、今日ぐらいはのん
びり出来るかも知れないな。二日だし」

 俺はどっこいしょ、と秋葉の向かいに腰を下ろす。
 秋葉はソファーの上にきちんと足を揃えて座っている。口を閉ざしていれば、
文句の付け所のない良家の令嬢の姿である――そう、一旦舌鋒を切らなければ。

 俺はきょろきょろと部屋の中を見回すが、琥珀さんや翡翠の姿を見あたらな
い。琥珀さんはまだしも、翡翠は居てもおかしくないのに……
 秋葉は俺に、艶やかに見えるほどの柔らかい顔を浮かべて話しかけてくる。

「兄さん、今日は……二日なんですね」
「ああ……何かあったか?遠野グループの年賀の挨拶があるとか?一族の挨拶回
りがあるとか?」

 取りあえず思いつきで言ってみるが、秋葉は目を閉じて軽く頭を振る。
 あと他にあるのは……えーっと、皇室の一般参賀。あ、でも皇居に行くわけ
はないから関係はないか。

「いいえ。そういう付き合い事にはあまり……というか、兄さん、分からない
んですか?二日ですよ?」

 秋葉は俺に念を押して尋ねてくる。腕を組んで考えるが……うう、こういう
有職故実はええとこの育ちの秋葉の独擅場じゃないか。俺がこうやって考えて
も分かるわけがない……あー、有間のおばさんにちゃんと聞いて置くんだった
な、こう言うことは。

 俺はうんうん唸って考えるが……

「えーっと、書き初め?」
「……まぁ、だんだん答えには近付いてきましたね……はぁ、でも兄さんだか
らちゃんと私が教えないとわかりませんか」

 秋葉はやれやれ、と言いたそう首を振って立ち上がる。絹の着物の重々しい
衣擦れの音が鳴り、秋葉は豪奢な振り袖姿で立ち上がる。
 ああ、紅い晴れ着の秋葉は眩しいくらいに美しく……やはり、秋葉には和服
が似合う。

 俺は思わずぼーっと秋葉に見とれてしまう。が、頭を軽く振って意識を戻す。
 秋葉は一体何を言いたいのか?

「はいはい、どうせ私は無知な育ちの悪い山猿ですよー」
「兄さん、そんな風に卑下されずに……そうですね、この儀式は古来、新年は
おこわを食べる習慣から、この日に普通の炊いたご飯を食べることに由来した
といいます」

 くすりと笑う秋葉は謎掛けをしているようだったが、俺は分かるわけがない。
 ふるふると首を振ると、秋葉は続けて喋り始める。

「他の由来としては、乗馬初めだとか火や水を使い始める日だとか……」
「……で、そのココロは?秋葉」
「……炊いたご飯は姫飯(ひめいい)と言います。それに、乗馬は飛馬(ひめ)、
火や水はそのままで火水(ひめ)と呼びます」

 なにか、同音異義の言葉が秋葉の口から飛び出す。
 それも、「ひめ」という言葉が……俺の中で、心臓が急にどきどきと荒く脈
打ち始める。そう、秋葉が何を言いたいのかがおぼろげながら分かってきた――

 わからない
 わからないわけはじゃないけども、期待しすぎると却って恐い――

「秋葉、それはもしや……」
「あら、兄さんでもお分かりになられたのですね、ここまで言えば。
 ちなみに……古来夫婦の交わりの事を秘め事と言いましたので、それが転じ
て……」

 俺がごくんと固唾をのんだのと、秋葉が頬を赤らめたのは同時だった。
 震える声でおれは、秋葉の謎掛けの回答を――

「――姫初め、と」
「そうですわ、兄さん……年明けに初めて、兄さんと……」

 秋葉はそう言って、まるで足でももつれてきたかのように俺に向かって
 ふらりとそのまま倒れ込んで――
 俺は秋葉を避けるわけにもいかないから、そのまま……

 とすっ

 俺は秋葉を、立ち上がって抱きしめていた。
 腕の中に、絹の錦の感触が広がる。

「兄さん……」
「秋葉、その、お前……」

 無意識に秋葉の身体を腕の中に収めてしまった俺は、秋葉の抱き馴れた身体
を改めて意識した。いつもは洋服で、ほっそりした肩や胸を感じるが和服の今
日は、しっとりしていながらも確かな手応えがあるように感じる。
 そして、秋葉の香りは――いつものフレグランスとは違う、焚きしめた香の
香りであった。抹香臭かったり樟脳臭かったりしない、ひどく官能的に感じる
香り……

 俺は、秋葉の襟口に鼻と口を埋めてしまう。

「お前……香りが……いつもと……」
「落葉です……麝香は少し強めですが……あ、兄さん……」

 俺は秋葉の香りを貪っていた。その度に秋葉の白く細い項が目に入り、俺は
秋葉の首筋に唇を自然寄せる。香の香りと秋葉の肌の香りが混じり、男を狂わ
せる甘い香りになる――

 顔を起こすと、秋葉はぽーっと上気した顔になっていた。俺が唇で掻き乱し
てしまった襟元が解れて、下の白い肌が覗いて何とも言えない色気が漂う。
 俺に説教しているときには愛想も色気もないのに、一旦こうなってしまうと
秋葉は、まるっきりたおやかな、男の腕の中で震えるか弱い乙女以外の何物で
もなくなる。

 ダメだ、こんな秋葉を見せられちゃ、俺は……

 わからない

「きゃっ!兄さん」

 俺は腕を秋葉の背中と膝に回すと、そのまま身体を持ち上げて抱き上げる。
 秋葉は俺の腕に抱かれて、俺の胸を掴んで顔を寄せる。秋葉の長い髪が流れ、
床に着きそうに見える……俺は腕に力を入れて、より強く秋葉を引き寄せた。

「兄さん、そんないきなり……」
「秋葉、お前が悪い」

 キッパリというと、秋葉が不安そうな瞳で俺を見つめる。
 ああ、なんで秋葉はこう、俺の官能を刺激する素振りばかり――

「お前が姫初めをしたいと言い出すから。言い出してお前がそんなに色っぽい
んだから、責任をその身体でとって貰うぞ」
「兄さん……ああ……」
「じゃぁ……そうだな、姫初めなら、離れの和室がいいな。翡翠と琥珀さんに
は待たせちゃうけども……我慢できないよ、秋葉」

 最後の言葉は、耳にそっと囁きかける。
 俺の腕の中でびくん、と秋葉は震えたかと思うと、こくんと頷いて――

「はい、兄さん……」
「ふふふ……着物姿の秋葉とえっちをするのは久しぶりだな。可愛がってやる
から、腰を抜かすなよ」
「……兄さんったら、そんな……恥ずかしい」

 俺は秋葉を抱きしめたまま、大股で居間を横切って廊下に出る。
 そして、そのまま向かうのは――離れの和室。二人の初めての場所。
 そこで姫初めを迎えるのなら、素敵じゃないか。

「兄さん?」

 廊下を急ぐ俺に、秋葉は真っ赤な顔でぼそぽそと小声で聞いてくる。

「なんだ?秋葉」
「今年も一年、その……可愛がって下さい……」

 ああ、もう、なんだって妹なのに秋葉はこんなに俺を――
 俺は秋葉の背中に回した腕を上げて、秋葉の顔を持ち上げるとそのまま唇を
奪う。

「ん――ぅ……兄さん?どうされたんですか?」
「馬鹿なことを聞くな、秋葉……今年一年といわず、な」
「……嬉しい……兄さん……」
 
                               《おしまい》

《後書き》

 どうも、阿羅本です。あけましておめでとうございます。
 今年も何卒よろしくお願いいたします……というわけで元旦初詣をコミケ開
けのヘロった頭で書こうかと思ったんですけども、手に余ったので1/2にず
らして姫初めSSになりました。
 しかし、クリスマスSSといい思いつきで……良くやるわい、我ながら(笑)

 でもえっちは寸止めです。てへっ(笑)

 キャラの選択が秋葉なのは、やっぱりお正月で姫初めと来れば、秋葉しかお
らんだろうな……という決めつけです(笑)。こう、姫初めの由来を話してアル
クェイド和服を押し倒し、というのでも良かったんですけどね……

  ちなみに落葉というのはお香の古典的な配合で、沈香・丁字・麝香・貝甲香を
配合して使うモノだそうです。秋葉だけに落葉と……麝香も入ってますし。

 とりあえず、年明けからお楽しみ頂ければ幸いです。
 感想などは、BBSやメールでどうぞ〜

 でわでわ!!

                             2002/1/1 阿羅本