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宵待前話

                             真

 私が自分の体の異常に気がついたのは、兄さんがいなくなってからおよそ一
ヶ月ほど経ったある週末のことである。二人の思い出が詰まった屋敷から学院
の女子寮に戻り、ようやくかつての生活のリズムを取り戻そうとしている時の
ことだった。

 本来ならば私の通う浅上女学院は全寮制であり、一度その門をくぐった者が
自宅からの通学をすることなど有り得ない。
 だが例外というものは何処にでもあるもので、遠野グループの当主になった
この私はその多忙さを理由に一時的に自宅通学をしていた時期がある。それは
本当に短い期間のことであり、その後は別の高校に転校すらしたのである。

 次期生徒会長は確実と目されていた私の転校で、少なからぬ数の級友たちが
祝杯を挙げたことは蒼香からの情報で知ってはいた。だが、彼らにしてもそれ
がぬか喜びであることを思い知るのには時間はいらなかったろう。

 私は、この懐かしい学院に帰ってきたのだから。
 遠野の当主といえば聞こえはいいが、平時においてはその実体はただのお飾
りでしかない。グループの運営などは側近の久我峰や軋間、刀崎に任せておけ
ば事足りる。だから、私は実は自宅通学などする必要はなかったのだ。
 それを敢えてそうしたのは何故かといえば、一つには当主の相続について雑
多で煩わしい手続きが必要であったからだし、それにもまして大事なのは私の
兄の存在であった。
 私は、少しでも兄さんの近くにいたかったのだ。
 けれどその兄さんももういない。少なくともあの家の中には。

 ――――だから、私があの家にいる必要などもう在りはしないのだ。

 しかしながら、世の中には建前というものが存在する。ついこの間までは当
主の仕事に必要だからといって自宅通学をしていた私が女子寮に戻り、長期の
休み以外は帰省しないなどと言い出せば余人はどう思うか。

 そんなわけで、私は平時は女子寮で過ごし、週末になるとあの家に戻る生活
を続けなければならなかったのだ。
 一度は転校した私の復学に学院側は難色を示したが、兄さんがいないという
事実を鑑みて不承不承ではあるが認めることにしたらしい。父と兄の思い出の
残るあの家に一人でいるのは辛いというのは私の本音でもあり、頭の固い教師
たちもそれを無視するほどには非情ではなかったということなのだろう。
 ちなみに、余人が何を言おうが私は兄さんの帰還を信じており、対外的には
彼は八年前の古傷が原因での転地療養をしているということにしてある。

 その週末もいつもの通りに学院を出発し、自宅に着いたのは夕方には少し早
いかというくらいの時間であった。
 出迎える翡翠に鞄を渡し、いつも通りに離れに向かう。
 そこは兄さんと私の思い出の場所で――――帰宅した私は夕餉までの一時を
そこで過ごすのが常だった。
 微かに音を立てる襖を開け、庭に面した部屋に入る。
 誰かが気を利かせたのか、そこには既に布団が用意してあった。一度だけ私
と兄さんが結ばれたあの夜のように。

「兄さん……」

 呟いてそっと布団に身を横たえる。
 天日に干されたそれは心地よい感触を私に伝えてはくれるけれど、それは兄
さんと結ばれたあの日の思い出とは程遠い。
 そっと布団に顔を埋め、あの日のことを思い出そうとしてみた。

「兄、さん……」

 熱い息を吐き、そっと服の下に手を這わせる。あの日に兄さんがそうしたよ
うに。私に、そうしてくれたように。
 ああ、どうしたのだろう私は。
 私は、いつからこんなはしたない娘になってしまったのか。
 思えばこれも兄さんがいなくなってからである。
 あの人がいなくなって、それまで分け与えていた命の欠片が私の中に帰って
きた。それはいい。それでも私はまだ兄さんと繋がっているのを実感できてい
るのだから。
 だが、それと共に私の身体は変調を起こしてしまっていたのだ。どうにも腰
がだるく、貧血も起こりやすくなっている。学院側には心理的なものだと説明
はしているが、どうもそれだけではない気がしてならない。
 だって……心労が原因なのだとすれば、私がこんなにも欲情しやすくなって
しまったことの説明がつかないではないか。
 浅上の女子寮は三人部屋で、私にも二人のルームメイトがいる。欲求不満が
溜まっているのなら発散すればいいのだろうが、生憎とその環境ではそんなこ
とも満足に出来はしない。こんな風に自宅に帰ってきた時しか出来はしないの
だ。

 ああ……
 荒い息を吐きながらそっと手を下半身に持っていく。 
 一週間ぶりに触れるそこは奇妙に潤み、私の指を優しく受け入れ……
 …………
 ………………
 ……………………
 …………………………これは、何かしら。
 奇妙に堅い感触が手に伝わってくる。熱くて、固い脈打つ棒のような……
 不思議に思ってそっと手をそれに這わせる。

「んっ……!」

 未だに感じたことのない感触が背筋を走った。つまり、これは私の体の一部
ということだ。

「――――て、えぇっ!?」

 驚いて身体を起こし、自分の下半身を覗き込む。
 そこにあったのは、あったのは――――!
 
 離れを囲む森の中に、私の悲鳴が響き渡った。


                                      《つづく》