明るい日差し。燦々と照りつける太陽の下で、眩しくて目を細める。蝉の鳴き声がふってきて、体全体を揺るがしていた。
 夏。
 土砂降りの雨のように全身を叩きつけられるぼとの勢いの蝉時雨の中。
 キラキラと光輝く木漏れ日の中。
 高く、あまりにも高くて、そして広大な蒼い空の下。巨大な入道雲がもくもくとわき上がる、真夏の一日。
 草むらをふみにじって、見上げる。あまりにも大きくて、この蒼くて広大な空を切り裂くようにそびえる屋敷を。
 
「一緒に遊ぼう」
 
 2階の窓から見下ろしている女の子に話しかけてみる。
 身じろぎひとつせずに、ただ僕を見つめているだけ。
 なんの反応もないから、手を伸ばした。
 
「ほら、早く」
 
 そして少女は…………。
 
 イヤ、チガウ。
 
 何かが囁く。
 
 ユメだ、と。
 アエリエナイ ユメ だと、それは囁く。
 
 二階から見下ろす少女はこんな風に笑って頷かなかった、と。
 二階からけっして降りてこなかった、と。
 こんな風に自分の手をとることなんてなかったんだ、と――。
 
 
 

 世界が揺れる。蒼い空は白く輝き、そして灰色にかき乱される。
 
「……」
 
 なにかが聞こえた。
 やさしい声にまとわりつくねっとりとした闇から抜け出すような感覚を覚えてしまう。
 体が揺れている。いや――――揺すぶられているのか?
 閉じた瞼越しにも感じられる明るさ。
 ああ――――朝だ。
 体中の細胞ひとつひとつが目覚めていく感覚。少し疲れたような、この心地よい微睡みから抜け出すのがイヤになってしまう。けれども、起きないと遅刻してしまう。
 いつも翡翠には悪いなと思っているけど、規則正しく規律に従って生活してださいという秋葉はどうしてああ四角四面なんだろうか……ちょっとぐらい眠っていたっていいのに……。
 ダメな兄貴だなぁと思う。妹の秋葉の方がよほどしっかりしている。かといって穀潰しのように言われるのはイヤだしなぁ。
 目覚めたばかりの痺れているような頭で、そんなバカなことを考えてしまう。
 唇から諦めとともに体の中に染みこんでいる眠りの成分を吐き出すかのように息を深く長く吐いた。
 
「――おはよう、翡翠」
 
 そういって目を開けた。
 明るい日差しの中、赤毛の幼なじみが無口にでも嬉しそうに微笑んで…………いない?
 俺の顔を覗き込んでいる翡翠の顔はいつもの少し頬を染めた照れたようなはにかんだ笑みではなく、少しむっとしているような、やや強張った怒っている顔つきだった。
 
 …………。
 …………。
 …………。
 …………ええっと……。
 
「志貴さんはやっぱり翡翠ちゃんに起こされたいと思っているのね」
 
 はっきりと非難をこめた言葉が頭蓋に響く。目の前で俺を起こしてくれた翡翠はわざとらしくおよよと泣き始める。
 いや起こしてくれたのは翡翠ではなくて――――。
 
「こ、琥珀さん!?」
 
 ガバっと起きあがる。
 チュンチュンと雀の泣き声。
 遠くから蝉時雨。
 眩しげな陽光あふれる和室。
 そしてそこにいるのは翡翠ではなく琥珀さんで、しかもいつもの割烹着ではなくラフな白いシャツが着ている。見分ける目印となる蒼いリボンで髪をまとめているから、それでなんとか翡翠ではなく琥珀さんだとわかった。
 
 まだ状況がつかめていない俺を置き去りにして、琥珀さんは泣き真似を続ける。
 
「そうよねー。やっぱりわたしなんかよりも可愛いメイドの翡翠ちゃんの方がいいわよねー。そうよねー」
「……あ、い、いや……」
 
 わたわたと慌てて手をふる。
 
「そ、そんなことないよ」
 
 慌てて断言する。
 ちらりとこちらを盗み見る琥珀色の瞳に対して俺はぶんぶんと頭をふる。
 
「……本当は翡翠ちゃんの方がいいって……」
「ち、違う。断じて違う」
 
 およよよよ、とさらに顔覆いだす始末。
 いけない。頭の片隅の何かが危険信号を発している。このまま琥珀さんのペースに巻き込まれたらいけない。なにかが壊れてしまう。
 負けるな、遠野志貴。
 こちらを伺い見る琥珀さんの瞳を真剣に見つめる。顔をまじめにして、わざと低い声で言う。
 
「俺が愛しているのは琥珀さんだけだよ」
「…………」
 
 我ながら歯の浮く台詞にジンマシンがでそう。でも我慢。
 琥珀さんはこちらを伺うように見続けている。
 
「琥珀さん、愛している」
 
 有彦が聞いたら大笑いしそうだし、俺もなんだか体中がぐにゃぐにゃになってしまいそう。だが、ここでひいたら、たぶん今後ずっと負け犬として過ごすことになる、という直感だけはあった。
 引くな、引くんじゃないっ!
 
「………………あ、あのぅ……」
 
 琥珀さんの顔が見る間に赤くなっていく。突然もじもじとし始めた。
 今だ。この好機を逃すな。負けるな。
 
「……好きだよ、琥珀さん」
 
 うわ。サブイボがたってきた。でもダメだ。行け。行くんだ、遠野志貴っ!
 
「……あ……うぅ〜〜〜〜……」
 
 琥珀さんはいつもの落ち着きと笑みを失って、おたおたし、上目遣いでこちらをチラチラと見ている。
 まさに瞳で射殺すつもりでそのキラキラと綺麗な宝石色の瞳を覗き込む。深くて昏くて、でもなぜか明るい鈍い金色の光を放つ琥珀色の瞳。それがきょろきょろとせわしなく動き、でも時折こちらを見ていて、でもすぐに視線を逸らしてしまって、そして俯いた。うなじまで真っ赤になっていた。
 
「…………もぅ卑怯です、志貴さんは……」
 
 甘えたような拗ねたような呟き。顔を真っ赤にしながらこちらを伺っている。
 
「…………こういうのに慣れてないわたしをからかうだなんて……」
「からかってなんかいないよ」
 
 俺はだめ押しした。ここぞとばかりに攻め込む。 伏し目がちに耳元で囁く。
 
「……琥珀さん」
 
 ただ名前を呼ぶだけ。でもその言葉は低く、静かに、でも情熱的に。
 その声に反応して琥珀さんはさらに紅に染まっていく。それは羞恥かそれとも気恥ずかしさか――。
 
 手をパタパタと動かして、何かから逃れようと琥珀さんは後ろに下がろうとする。
 駄目だ、と頭の中で何かが叫んだ。ここで逃してはいけない。その声に従って、琥珀さんの手を握る。
 
 びっくりして、なにも言い出せない。体が石になったかのように硬直している。なのに握ったその手は柔らかい。
 
「…………志貴さん」
「――――はい、なんです」
 
 にっこりと笑う。とたん、ペシリと鼻先を指先ではたかれた。痛みがして目の前に火花が散り、白くなる。そして鼻の奥でかすかにきな臭い匂いを感じた。
 びっくりしてきょとんとしてしまう俺に、琥珀さんは明るく笑いかけてくる。
 
「人をからかった罰ですよー」
 
 にこにこと満面な笑みを浮かべて、こちらを見つめている。
 
「それ以上なんかしたら、めーですからね」
 
 そんなことを言われてしまう。そんなことを言っているのに、琥珀さんの目尻が赤く、少し潤んでいて艶めかしい。
 そんな琥珀さんに対して肩をすくめて、降参を表した。
 
 そうしてようやくあたりを見回す。見覚えのない天井、壁、内装、間取り。どう考えてもここは自分の部屋ではなかった。かといってこんな和式な間取りは家になかったような?
 
 いぶかむ俺に対して、琥珀さんはにこにこと笑っていう。
 
「もぅ寝ぼけているんですか、志貴さん。ここは七夜ですよ」
「――――あ」
 
 そうだった。
 俺は有彦と旅に出かけると秋葉と翡翠に嘘をついて、ここに来ていたんだ。
 ようやく琥珀さんがラフな格好をしているのも、翡翠ではなく琥珀さんが起こしてくれたことにも納得した。
 そんな俺が面白かったのか、琥珀さんは含み笑いをする。その名前と同じ瞳は、からかうように、でも艶やかにきらめいていた。
 
「さぁ起きて下さい。約束ですから、今日は手伝ってもらいますよ」
「あーーー、はいはい」
 
 思いだした。志貴さんがきたから力仕事もできますねーなんて言ったいたっけ。そりゃここまで修復するの女手ひとつではどれだけ困難だったろうか。
 辺りを見回す。新しい障子、青々しい畳、やぶれた襖には紙があてられたり新調されていたりと、リフォームというか改装というのか、とにかくひとつひとつ丁寧に作業されているのがわかった。
 どれだけ大変だったのだろう――いやここを探し出すのは困難を極めたに違いない。七夜の隠れ里でもあるし、なによりここは遠野と七夜がぶつかった場所で、血で血を洗うような戦いが行われた場所なのだから。もう人が踏み入れてない場所のはず。
 
 そうして琥珀さんを見る。
 にこにこと笑っている。
 何のためにここを――――と尋ねようとしてやめた。
 聞いても意味がないし、答えがかえってきてもなんだか納得しそうになかった。ただ琥珀さんが探し出してくれた場所。ここが七夜の里だというのなら、たぶんそうなのだろう。そのことに疑問をはさむ余地なんてない。
 
「――でなにを手伝えばいいの?」
「そうですねー」
 
 にこにこと本当に嬉しそうに、微笑んでいる。いつものものではなく、やさしく、柔らかく、見ている人が安らぐような笑みを浮かべていた。
 
「畑の水まきからしましょうか」
「あぁあの向日葵畑の」
「ええそうです」
 
 それなら、このままでも構わないだろう。俺は立ち上がる。
 そして手を差し出す。それをきょとんとした目でみている琥珀さん。
 
「一緒にそこまでいかないかな?」
「――――はい」
 
 そして彼女も立ち上がり、手を伸ばす。
 そっとまるで壊れ物に触るようなやさしい触れ方。
 彼女の冷たい指先が掌を撫でていき、指が絡み合う。絡みつき、交わって、ぎゅっと握られる。
 だからぎゅっと握り返す。細い指先に絡みつける。
 冷たい掌がじんわりと馴染む。
 少し照れたような、はにかみを浮かべる。
 
「……な、なんだか、照れますねー」
「…………そ、そうだね」
 
 そういわれると鼓動が高まってしまう。
 ただ手を握っただけだというのに、照れてしまうなんて――俺は中学生か。
 琥珀さんは空いている手で胸を覆う。
 
「なんだかドキドキしてきちゃいました」
 
 繋がっている手のひらから、絡んでいる指先から、琥珀さんの鼓動が伝わってきそうだった。
 昨日の出来事。あの昏い部屋での睦言。白く艶めかしい琥珀さんの肢体。しっとりと濡れていて、柔らかくて、なのに芯があって。
 目の前に淫らな裸身がちらつく。
 あの時の切ない琥珀さんの声が、乱れたような、甘い吐息が――――。
 まるで互いを貪り尽くすかのように激しくでも愛を込めた交わり――。
 息も出来ないぐらい濡れて、情欲に溺れるかのような痴態が――――。
 …………って、イカンイカン。
 頭をぶんぶんふって妄想を振り払う。
 しかし琥珀さんも思いだしたのか、また頬を赤らめて、こちらを上目遣いで覗き込んでいた。
 
「…………志貴さん」
 
 むーと膨れた顔で琥珀さんはつぶやく。
 
「……いや、だって……そりゃ……あのー」
「あれー、わたしは何も言ってませんよー」
 
 朗らかにからかう声。
 
「何を連想されたんですか――――まったく、志貴さんったら」
 
 くすくすと笑う琥珀さん。
 
 …………。
 …………。
 …………。
 …………イヤ ナニ モ モウスマイ。
 
 俺は琥珀さんの手をぎゅっと握りしめて、歩き出す。
 
「あ、志貴さん。怒りました?」
 
 背後からくすくすという笑い声。
 気にせずずんずんと玄関に向かう。
 手を離さない。
 罰だから。
 
「はい、怒りました」
「あらあら」
 
 揶揄するような声。それがくすぐったい。
 玄関で靴をはいて、開け放つ。
 
「だから罰です」
 
 そんな俺の言葉に琥珀さんは、えっ、と声をあげた。
 
「……罰ってなんですか」
「一緒に畑に水を撒いてもらいますからね」
 
 そこは一面の真夏色。
 目に痛いぐらいの輝きにみちた黄金色の向日葵畑。
 
「あら、そんなこと――」
「それまで手を離しませんから」
 
 青空を切り取るかのように咲き誇る黄色と焦げ茶と緑。風に揺れていた。
 土の匂いがツンとする。
 
「それは不便じゃ…………」
「いいんです、罰ですから」
 
 うるさいほどの蝉時雨。外に出ただけで容赦なく照りつけてくる夏の日差しに眩暈さえ覚えてしまう。
 
「罰、ですか」
「そうです」
「ふふ」
 
 やさしい声。
 
「――――では、甘んじて受けますね」
 
 それは本当に楽しそうな声だった。
 そんな声に、とうとうおこっている演技を続けることが出来ず、顔がゆるんでしまった。
 
 

 
 アリエナイ ユメ
 
 そして少女は二階から降りてきて、手を掴む。
 
 ナノニ――
 
 くすぐったいような感覚。気恥ずかしくて、頬をポリポと掻かないと間が持たない。
 なのに、その少女は側にいて、にっこりと微笑んでくる。人を安心させる、明るく朗らかな笑顔。
 それに微笑み返しながら、頷く。
 しばしのやさしい沈黙。たゆんだひとときの中、互いの視線を絡ませ合って、微笑み合う。
 手を繋いで二人は――――
 
 
そして歩き出す。
大崎瑞香
 
 

19th. February. 2004 #131
 

top