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 しゃくしゃく

                                     作:しにを





「かき氷ですよー」
「あ、ああ。かき氷だね」

 お盆を手にした琥珀さん。
 そこにはガラスの器がふたつ載っている。
 本来は何に使うものなのだろう。かなり繊細な装飾が施されていて、単に透
明なガラス器とは違った色合い。
 ガラスよりクリスタルとか言う方が似合いそうなものだった。

 その値段を聞いたらびびってしまいそうな器には、細く削られた氷が山と盛
られている。
 琥珀さんの言うように、かき氷。
 他にアイスクリームが乗っていたり、甘い豆や団子が盛られているなんて事
もない。
 単純にシロップが掛かっているだけらしい、シンプルこの上ない姿。

 でも、結局氷の溶ける感触を味わうんだから、粗い氷の切片にごたごたと飾
り付けがあるフラッペなんかより、そこらのお菓子屋とかで食べられるかき氷
の方が美味しいんだよな。
 まあ、そこではこんな器で現れたりはしないだろうけど。
 そんな事をぼんやりと考えて、氷を見ている俺に構わず、琥珀さんは部屋に
入ると、お盆を台の上に置いた。崩さないようにだろう、そっと。それから、
二つの器をお盆から下ろす。

「どちらがよろしいですか、氷いちごとレモンですけど?」
「そうだなあ」

 ちょっと迷う。
 どちらでもいいと言えばいいのだけど。
 店で注文する時に考える事があっても、目の前に出されてからどれにするか
選択する事なんて初めてだ。
 まあ、融けるまで悩むような事でもないな。

「レモンにするよ」
「では、わたしはいちごを頂きますね」

 琥珀さんは、俺の前に鮮やかなレモン色に染まった氷を、自分の前に赤い氷
を並べる。
 そのまま、裾を揃えて腰を下ろした。真向かい。

「はい、匙です」
「ありがとう。へえ、スプーンじゃなくて、少しひらったい匙なんだね」
「こちらの方が似合いますからね」
「最初から氷に刺してない処はいいね。抜く時に崩れるから」

 手にするとガラス越しに冷たさが伝わって来る。
 改めて、手中の器を見つめた。
 かき氷はシロップを上から掛けるのと、氷の下に初めに溜めて氷を盛るのと、
タイプが二つある。琥珀さんのは山の頂上辺りが色づく方式。

「氷の下の方に練乳も入れてありますから」
「あ、そうなんだ。じゃあ、上の方崩してから掘ってみよう」
「はい」

 とりあえず、二人で匙を手に、氷に取り組む。
 まずは、頂上。
 シロップが染みて、少し融け固まっている。
 崩さぬように注意しながら、大きくすくって口に運ぶ。
 まず感じたのは、冷たさ。
 舌であっさり水になる感触。
 次いで、飾り気無い甘さ。
 濃厚ではないけれど、冷たさが先行した舌に甘味が滲むよう。
 まだ融けきらない氷と水の混合を飲み込む。
 喉から下へと冷たさが流れ、消えていった。

 夏を感じる。
 蝉の鳴き声とか、かんかんに照り付ける太陽とか、打ち水の情景とか、夏の
風物詩はいろいろある。ちょっと考えれば、幾らでも挙げられそうなくらい。
その中でもかき氷は有力なひとつだろう。
 でも、かき氷の暖簾や、かき氷を作っている光景とかとは別に、口に含んだ
氷の感触は強烈に夏を感じさせる。暑さとは逆の頭がキーンとする程の冷たさ
だと言うのに。
 これは似た食べ物でも、アイスクリームとかにはあまり感じない。
 何故だろう。
 ……、まあ、いいや。
 ともあれ、その夏の味は、とても美味しかった。
 あまり急ぎ過ぎないように、匙をせっせと口から氷へ、氷から口へと往復さ
せる。
 適度に形をならしつつ、色づいた氷を味わう。
 わざわざシロップのかかっていないただの氷をあえて口に放って、繊細な氷
の感触のみを舌で味わう。
 そうすると今度は逆に、濃厚な甘さを求めて坑道を掘ったりもする。
 器の底を一すくい。氷の清浄な白とは違ったねっとりとした白。
 甘い練乳が穴に見えている。
 氷と一緒に口に入れる。
 甘い。
 氷と混ざって、それでも甘い。
 しゃくしゃくした氷を合わせて、それでも甘い。
 でも、どこか清涼感を感じる。
 ああ、本当に夏の味だなあ、かき氷って。

「ところでさ、琥珀さん」
「はい、何でしょう」
「なんで、かき氷なんです。この真冬日に」

 夏の風物詩に向けた視線を、窓の外へと向ける。
 寒々とした曇り空。
 揺れる庭木。
 部屋の中は充分に暖かいけど、見ているだけで、寒さが視覚から忍んで来る
ように思えた。
 先ほども二人で、この冷え込みだと雪にでもなるかなと話していたほど冷え
込んでいるのだ。

「こんな寒い日に、暖かいお部屋でアイスクリーム食べるのって、とても美味
しいじゃないですか」
「そうだね」

 ああ、それはわかる。
 外は寒いんだよなあと思いつつ暖かい部屋でぬくぬくとして、それで冷たい
ものを味わうなんてのは、ささやかな贅沢だし、そうして食べるアイスクリー
ムは確かに美味しい。

「あいにく、買い置きが無かったんです」
「だから、代わりにかき氷か」
「はい。志貴さんにわざわざ寒風吹きすさぶ中買いに行って貰っても良かった
んですけど。
 よろしかったら今から、お出掛けになりますか?」
「冗談。でも、俺が買いに行くの前提な訳ね」
「だって志貴さんが、わたしに風邪引きそうになりながら買い物行かせるなん
て、そんな事ありえないじゃないですか」
「まあ、そうだけど」

 琥珀さん、真顔。
 確かにね、死んでもそんな真似させられないけど。
 逆に、志貴さん、お願いできますかとか言われたら……、頷いちゃうんだろ
うなあ。

「氷とシロップはありましたから。それに練乳も。
 たまには、こんなのも珍しくて……、やっぱり変でしたか」
「そうだねえ。でもまあ、美味しいし、こんなのもいいと思うよ」
「志貴さんが変わっていてよかったです」
「どっちがだよ」

 笑いながら、また二人で匙を取る。
 しゃくしゃく、ざくざくと、氷を崩す音。
 妙に涼しげな、匙とガラスの当たる音。
 時折、外を眺めると、ぴゅーと風が耳に響いたりしている。
 やっぱり、変だな。こんな日にかき氷食べてるのは。
 しゃくしゃくしゃく。
 
 食べつつ、正面にも目が行く。同じく氷を楽しんでいる琥珀さんの姿。
 急いで食べている訳ではないけど、やはり俺の方が進みが速い。
 琥珀さんはことさらに気取っている食べ方ではないけど、ゆっくりだった。
 何とも自然な上品さが見受けられた。
 氷を軽く崩して、シロップのかかった赤い部分と白い部分を、少し匙に載せ
る。
 それを口に運んで、小さな唇の間に。
 匙だけが外に出て、琥珀さんの口が微かにもごもごと動く。
 じっと眺めていると、僅かに口が開いた時に舌が覗く。
 あまり見つめ過ぎたからか、琥珀さんが視線を上げる。

「どう、なさったんです、志貴さん。じっと見つめたりして。
 あ、わかった。もう、仕方ないですね」

 何がどう仕方ないのかわからないが、琥珀さんが何かし始めたので、そのま
ま黙っていた。
 琥珀さんの動作に着目する。
 ああ、なるほど。これは、反射的に弁解とかしなくて良かったかな。
 琥珀さんは、氷を少しばかり大きく崩すと、シロップが色濃く掛かっている
部分を匙に取った。
 それが、自分の口には行かず、まっすぐに俺に向かってくる。

「はい、欲しいなら言ってくれればいいのに」
「うん」

 違いますよ、と言うのも何だし、そのまま口を開ける。
 琥珀さんの使っていた匙が、舌に触れる。
 妙にひんやりとした感触。
 口を閉じ、少しばかり俺のレモンとは違う氷をもごもごと食べる。
 琥珀さんはにこにこと俺を見ている。

「どうです?」
「いちごもいいね。それじゃ」

 解けた氷水を飲み込むと、俺は自分の氷を心持ち小さくすくった。

「琥珀さん、お返し。レモンも食べてみたくない?」
「あら……、はい、頂きます」

 俺の匙をためらい無く琥珀さんは口を寄せて含んだ。
 鮮やかなレモン色の氷が、消える。
 多少、お互いに気恥ずかしくなり、何事もなかったように、また自分の氷に
戻る。
 俺が自分のを食べ終えた頃、琥珀さんが話し掛けた。

「ねえ、志貴さん」
「何だい」
「ちょっとわたしには量が多すぎたみたいです。
 よろしかったらお食べになりますか。残し物押し付けるみたいですけど、ま
だ余裕あるようでしたら」
「貰うよ。ちょうどよく融けていい感じだし」

 琥珀さんから、器を受け取る。
 半分以上は減っていた。
 平たく均せば、器からこぼれない程度。
 もっとも人為的に行うまでもなく、雪を山にしたような状態からみぞれのよ
うになった氷は、ほとんど器に崩れていた。
 それょを食べるというより飲む。
 こうなると、ひらったい匙より、普通のスプーンの方が食べやすいだろう。
 練乳と混ざって、これはこれで美味しい。
 全部食べ切ってしまおうとして、ふと匙を止めた。

「ねえ、琥珀さん、もう少し食べてみない?」
「え、もう……、いえ、志貴さんがそう仰るなら」

 俺の言葉に、琥珀さんはいったん断わりかけた。
 が、俺の顔を見て何やら察するものがあったのだろう、琥珀さんは頷いた。
 悪戯に同調するような表情。
 了解を得て、俺は辛うじてまだ固体な部分を大きく匙に載せる。
 それを琥珀さんに見せ付けながら、琥珀さんの口ではなく、俺の口に素早く
投じる。
 琥珀さんは、やっぱりと言う顔。
 そうです、そういう事です。心の中で答える。
 さあ、いきますよ。
 飲み込まず舌に乗せっぱなしで、冷たさが強まるのを感じつつ、顔を近づけ
た。
 同じように寄って来る琥珀さんに。琥珀さんの唇に。
 くちづけ。
 軽く開いた唇から、舌を差し入れる。そのまま口移しに融けつつある氷を流
し込んだ。
 
「んん、あ……、んッ……」
「ぅふあ……、ふぅ……」

 突き出した舌で、まだ琥珀さんの口にある氷をかき混ぜる。
 氷だけでなく琥珀さんの舌をも探る。
 急にみっしりとなって息苦しさもあるだろうか。琥珀さんは舌を絡ませあっ
たまま、融けた氷を嚥下していった。
 そのまま、しばし冷たい余韻を味わう。
 普段とは違った口の感じ、舌の触り。
 舌と舌の間にあった甘い水は薄れていく。
 それと同時に、琥珀さんの舌の感触が前面に出た。
 こちらも、違った意味で甘い感触。

「変だな、氷食べていたのに、何だか体が熱くなっているみたい」
「不思議ですね、お酒を入れたりはしていないのに」

 くちづけを終え、二人でそんな事を言う。
 頬が火照っているのは嘘ではないが、二人とも原因は承知している。
 少しこぼれた氷、あるいは二人の唾液が口の端から顎に垂れかかっていた。
 指で拭って、何の気なしに舌を伸ばす。

「あれ。ね、琥珀さん。俺の舌、どんな風になってる?」

 できるだけ前に伸ばす。

「ああ、シロップで黄色く染まってますね。わたしはどうですか?」

 同じように琥珀さんも舌を精一杯伸ばす。
 あかんべえをするような仕草が、何だか琥珀さんらしくなくて、可愛く映る。
 さっきは淫らほどに動いていた舌だと言うのに。

「琥珀さんも、いつも以上に舌が真っ赤になっているよ」
「あらら、そうですか」
「ほっとけば、消えるけどね」
「でも、母屋の方に戻ったら、翡翠ちゃんとかに気づかれちゃうかもしれませ
んね。
 別に構いませんけど……」
「二人でどうのと後で秋葉に嫌味言われるのも楽しくはないな」
「そうですよね」
「ならさ、ここで綺麗にしていこうか」
「ええ、そうですね」

 俺は琥珀さんをじっと見つめる。
 琥珀さんも俺を同じく見つめる。
 言葉なしで意志の疎通が図られる。

 寄り添い、琥珀さんを腕の中に入れる。
 ほっそりとした体が触れる。
 そのまま、さっきとは違ったくちづけをする。
 なかば遊びのそれとは異なった、唇の合わさり。

 途絶える事無く、湿った音が和室に満ち続ける。
 舌を互いに絡ませ合う音。
 相手の舌の表面をこそぐように、擽るように動く舌先の音。
 分泌する唾液をすすり合う音。

 視線が絡む。
 声など出せない状態で、行う会話。

 どちらが問うたのか。
 どちらが答えたのか。

 いずれにしても意志の齟齬などまるでなく、まったく淀みなく体を動かす。
 抱き合ったまま。
 唇を合わせたまま。
 抱擁と口吻とに、体を熱く高ぶらせたまま。
 横たわる。
 そして、互いに離れるのを拒みながらも、不自由そうに相手の衣服を脱がせ
ていく。
 帯を解き、ボタンを外し。
 現れる肌に手を伸ばし。
 くちづけの音は止み、かわりに甘い喘ぎと熱い吐息が洩れる。

 もはや、もともとの目的などは忘れてしまっていた。
 氷ともまた違う、琥珀さんの透けるように白い肌。
 そのはだけた胸の谷間に顔を埋め、舌で味わうのに夢中だったから。


  了












―――あとがき

 肝心の処で終わっておりますが、仕様です。
 こういうのが書きたかったので……。

 本来、琥珀さん一作目でちょっと変なのを書きかけていたのですが、また間
に合わなそうな空気だったので、趣旨に沿ったお話を考えてみました。そうす
ると、えろ描写が何故か不要に。

 お楽しみ頂けたなら、幸いです。

  by しにを(2004/1/28)