戯言
大崎 瑞香




 これはただの――――――戯言。
 俺の戯言にしかすぎない。
































 秋葉は日に日に綺麗になっていく。
 長く黒々とした髪と透けるような白い肌と、紅い襦袢が映えて、とても美麗で、匂い立つほどだった。
 胸を締め付けてくるほどに美しい。
 背筋をゾクゾクさせる、幽玄な美しさ。
 それ以上、俺に秋葉を描写する言葉はなかった。

 しかし。
 その桜色のうすい唇が、俺の名を呼ぶことはなく。
 その黒く淡くそのくせ深い瞳が、俺を見つめることはなく。
 ただ夢見る乙女のように。



 俺に笑いかけている――ように見えた。
















 季節は過ぎていく。
 白い雪が降り積もり、桜が咲きながら散り、雨が降り、そして入道雲が青い空に浮かぶ。
 季節のベールを重ねていくたびに、秋葉はますます悩ましく、ますます美しくなっていく。
 泣きたくなるほどに。
 狂おしいほどに。
 ただただ―――――――――――――――――綺麗に、夢見るように。
































 いつも秋葉の笑顔があった。

 子供のような、無垢な秋葉の笑顔――。
 でも、すがるような瞳が俺を捉えて離さない。

 何か言いたげに、その朱色の唇がかすかに動く。
 置いてけぼりにされた子供のように、今に泣き出しそうな瞳をして。
 すがるように、見る。
 思い出の中に置いてけぼりにされた俺を。
















 胸が痛んだ。
 苦しいほど、痛んだ。
















 その刹那、笑顔に変わる。
 微かに、朧げに、儚げに。
 透き通るような、夢見る乙女の優しい笑み。
 今にでも“兄さん”と言いだしそうな笑顔。
 その笑顔につられて、微笑み返す。
 胸の痛みを知られないように。
 胸の苦しみを覆い隠すかのように。
 こんな痛みなんて――どうってことない。
 秋葉が微笑んでいるのだから、俺も微笑む。
 ただ――それだけ。
 そうして微笑んでいれば、いつの日にか本当に痛みを、苦しみを忘れられそうだった。
















 夢見る瞳。
 視線は宙に彷徨い、見えないなにかを見つめる。
 俺には見えない何かを――。
 そして――微笑む。
 幸せそうに。
 嬉しそうに。
 楽しそうに。



 そんな秋葉を見つめ続ける。
































 秋葉は動かない。
 ただ視線を彷徨わせるだけ。
 ただ微笑むだけ。
 だから話しかける。
 家のこと。翡翠のこと。琥珀さんのこと――そして俺のこと。
 睦言を囁くように。
 愛の言葉を紡ぐように。
































 すると秋葉は甘えるように躰をあずけ、
































 噛みつく。
































 気持ちよかった。
 痛いのに、それは気持ちよかった。
 血を吸われ、頭が少しぼおっとする。
 くらりとする眩暈が心地よい。
 秋葉の肌はこの時だけ血の気が通い、ほのかに桜色に染まる。
 その妖艶さに、その流し目の色っぽさに、俺は囚われていた。
 秋葉に貪られるという愉悦。
 なのに、秋葉が浮かべるのは、愛らしい、はにかんだ笑顔。
 その笑顔に、この痛みに、その艶やかさに、俺は救われる。
















 無力な俺。
 愛するたった一人の女さえ救えない俺。
 ただの自慰行為。
 そうだとわかっていても、何かせずにいられない。
 たとえそれが死ぬことになったとしても、足掻いているという行為自体によって、俺は救われているのだ。
 秋葉に血を与えるという自虐的な行為に、救われているのだ。
 それだけでしか――救われない。
 秋葉のそのほっそりとした手を、もう二度と離したくないから。
















 秋葉は容赦なく、俺の血を啜る。
 まるて甘美な果実の果汁を飲みほすかのように。
 その桜色の唇を肌にはわせ。
 その細い指先でさぐり。
 その白い歯を立てるのだ。
 真紅の生命をすすり、その喉をならして、胃の腑におさめるのだ。
















 そのうち、満腹したのか口を離すと、すがるように寄り添い、深い眠りにつく。
 その寝顔はあどけなく、罪一つない清らかな天使のものだった。
 たゆんで、まったりとした時間の流れ。
 いや、時間だけが止まってしまったかのような世界。
 頭の芯まで痺れるような、至福のひととき。
































 倖せだった。
































 反転していようとも、夢の中であろうとも、たとえ――俺のことを見なくても。
































 秋葉は倖せだった。
 そして俺も倖せだった。
















 俺の戯言。
 それは、俺の戯言にしか――すぎない。
















 でも、確かに倖せなのだ。


≪おしまい≫
17th. June. 2003 #109


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