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抱かれたい、でも怖い
                           からたろー

 


深夜。

「……っ……」

 仄暗い寝室に響く、啜り泣くような声。






「……ん……ぁ……」






 時折、微かな衣擦れの音。






「……ん………ふ……ぁ……」





 ベッドの上にいるのは――

 薄い羽毛の掛け布団を頭の上まで引き上げているので、シーツの上に広がる
長い黒髪しか見えないが、ベッド上にいるのは、一人だけのようだ。





「……ん……っ………う……んっ……」

 声に甘く、切羽詰ったような響きが加わる。





「…………はぁ……はぁ…………さ…ん……」

 突然、声の主が寝返りを打ってうつぶせになった。

 よほど良質なクッションを使っているのだろう、ベッドは軋みもせず、ただ
羽毛を詰めた大きな枕が、ばふ、と空気の抜ける音を立てただけだ。





「…………………………」

 ふかふかの枕に顔を埋めているので、何も聞こえなくなった。





 いや。

 衣擦れの音は、まだ続いている。










「…………んぁっ!…………!」

 大きな声。

 自分の声に驚いたのか、全ての動きが止まる。










 やがて――










 再び、衣擦れの音。











「んん……う……っ……ぁ、あぁぁ……!」

 今度は、衣擦れの音は止まらなかった。

 それどころか、ますます加速していくような気配すらある。






「……ん……ぁ………さん……ぁ、あ………あ……」

 そして――

「兄さん………」

 はっきりと聞き取れる、言葉。

「兄さん……ぁ……ぁあ……ん………兄さん……っ!」

 震える声。





 衣擦れの音。





 小さな、規則的な、湿った音。





「ぁ……はぁ……はぁ………さん…………ん、は……ぅう……っ……」

 声が、衣擦れの音が、そして湿った音が、大きくなる。

 背中が震え、薄く軽い掛け布団が脇にずり落ちて行く。


 長い黒髪と、白いうなじ。


 光沢のあるシルク・サテンのパジャマの下で震える細い肩。





 両手は見えない。

 右手は、完全にはだけられたパジャマの胸元に。

 左手は、ずり下げられたパジャマのズボンの前から、脚の間に。





 どちらの手も、休むことなく動き続けている。





 右手の動きにつれて、衣擦れの音が。





 左手の動きにつれて、湿った音が。





 響く。





「兄さん、ごめんなさい。……私、は……秋………秋葉は…………っ!」

 ほとんど泣きじゃくるような声。

「秋葉は……もう…………ぅぁ、あああ………っ!」

 枕の縁を噛んで声を殺す気配。





 ぶるぶる…っと、身体全体が細かく震えた。

「んんん………………っ!」









 遠野秋葉は、枕に顔を埋めたまま、マットレスにうつ伏せに沈み込んだ。

 快感の余韻に、力の抜けた身体が時折ぴくりと揺れる。

「兄さん…………」

 脱力したまま、快感の余韻に耽りながら、秋葉は啜り泣いていた。




















「…………ああ、もう」

 苛立たしげな声で呟きつつ、秋葉がベッドの上で身を起こした。

 お尻の中ほどまでずり下げてあったズボンをショーツごと引き上げ、完全に
はだけていたパジャマの前をかき合わせてボタンを留め直す。


 汗で冷たく濡れたパジャマと、汗と愛液でぐしょぐしょに濡れた下着が肌に
へばり付く、べたりと不快な感触。

 肌の上で乾きかけた愛液の、ごわついた感触。

 指にこびり付いた、自分自身の匂い。


 それよりも何よりも――


 また、こんなことをしてしまった、という思い。


 全てが、たまらなく嫌だった。


 秋葉はうんざりした顔で頭を振ると、のろのろとベッドから降りた。
 部屋を横切って箪笥に歩み寄り、下着とパジャマの替えを取り出す。


 着替えを抱えてベッドに戻ると、秋葉は羽毛の掛け布団を邪険に脇にどけ、
汗と愛液の染みたシーツをマットレスから引き剥がした。

 このままにしておけば、ベッドメイクに来た琥珀に、秋葉が昨夜何をしたか
丸わかりになってしまう。


 着替えを抱え、汚れたシーツを引きずりながら、秋葉は浴室に向かう。










 一時間ほどで戻った秋葉は、抱えて来た新品のシーツをベッドに広げると、
羽毛の掛け布団を引き寄せてベッドに滑り込んだ。

「…………はぁ」

 ひとつ小さくため息をつき、秋葉は目を閉じる。

 静かな寝息が聞こえ始めるまでに、さして時間はかからなかった。










 翌朝。

 今日は祝日なので、学校は休みだ。
 それでも、秋葉はいつもと同じ時間に起き出した。


 秋葉が私服に着替えて食堂に下りると、今朝は先客がいた。

 あいにく、兄の遠野志貴ではない。
 志貴は、授業のある日ですら、あと一時間はしないと目を覚まさない。
 今日のように休みともなれば、昼前に目を覚ますことはまずあり得ない。


 朝日の射し込む食堂にいたのは――

「あ。おはよー妹」

 白いあーぱー吸血鬼と――

「……お邪魔しています」

 休日なのになぜか制服のシスターだった。

「おはようございます。アルクェイドさん、シエルさん」

 秋葉は特に感情も込めずに応じ、席に着いた。


 この二人が志貴と関係を持っていることに関して、秋葉は快く思っていない
ことを隠そうともしていないのだが、その程度で堪える連中ではなかった。


 特に、アルクェイドは――

「ねーねー妹ー、おいしいよ。これ」

 心底幸せそうな笑顔を浮かべて、こんがりきつね色に焼けたホットケーキを
ぱくり、ぱくり、と口に運んでいる。

 一方のシエルは、そんなアルクェイドを呆れ顔で眺めている。


 厨房の奥からぱたぱたと足音が聞こえ、琥珀が顔を出した。

「秋葉さま、おはようございますー。今朝食をお持ちしますので」

 秋葉に紅茶を出し、アルクェイドのティーカップにお代わりを注ぎ、琥珀は
再びぱたぱたと厨房へと戻って行った。

 そのとたん――

「ねーねー妹ー、ちょっと聞いてもいい?」

 アルクェイドがうさぎみたいな赤い瞳を秋葉に向けた。
 秋葉はティーカップを口元に運びながら応じる。

「………なんですか」
「妹、ゆうべ自分でしてたでしょ、なんで?」
「……っ!」

 気管に紅茶が流れ込み、秋葉は激しく噎せ返った。

「いきなりそんなことを聞きやがりますかこのあーぱー吸血鬼は――」

 シエルが大げさに肩をすくめた。
 もちろんアルクェイドはシエルには一顧だにせず、質問の答えを待つ。

「ねぇ、どうして、妹?」
「アルクェイドさん。貴方、泥棒猫だけでは飽き足らず覗きもするんですか」
 秋葉はあくまで冷静な声を出した。
 もっとも、こめかみには血管が浮き出ているし、指先も震えている。

「えー、見たくて見たわけじゃないよー」

 アルクェイドは少しばかりばつの悪そうな表情で応じた。

「ゆうべわたしが志貴に会いに来たら、そこのでか尻女が志貴としてたのよ」
「誰がでか尻女ですかっ!この泥棒猫っ!」

 叫ぶシエルを、アルクェイドは初めて存在に気づいたように見た。

「うるさいから黙っててくれないかな」

 それだけ言うと、くるりと秋葉に向き直って続ける。

「それでね――
 枝に座って帰ろうかどうしようか考えてたら、変な声がしたから。
 なんだろうって気になって見に行ったら、妹が自分でしてただけだよ」
「そんなことは聞いていません!」

 途中で秋葉が遮った。だが、アルクェイドはなおも続ける。

「兄さん兄さんって泣きながら指でしてたよね。でも、なんで?
 そんなことするくらい志貴が好きなら、志貴とすればいいじゃない」
「これだから貴方はあーぱーだと言うんです」

 シエルが小馬鹿にしたような口調で指摘する。

「仮にも遠野くんと秋葉さんは兄妹なんですよ?」
「でも、血は繋がってないんだよね?だったら問題なんてないじゃない」
「問題ありますっ!」

 シエルがむっきーという表情で叫んだ。

「それに、遠野くんの恋人はこの私なんですよっ!」
「でも、志貴はわたしともえっちしてるよ?」

 シエルの主張を一蹴すると、アルクェイドは改めて秋葉を見た。

「妹だって、わたしたちと同じように志貴が好きなんでしょ?
 だったら、なんで志貴としないの?なんで自分でしてるの?」
「……………………」

 秋葉が物凄い目でアルクェイドを睨んだ。
 人くらい殺せそうな視線だったが、このあーぱー吸血鬼には効果がない。

 秋葉は、ひとつ大きく溜息を吐いた。

「………貴方には関係ありません」
「そうだね」

 アルクェイドはあっさりうなずいた。
 しかし次の瞬間、にぱっと笑って質問を繰り返す。

「でも、なんで?」
「……………子供ですか貴方は」

 秋葉は心底呆れたように言った。

 そう言ってから、改めて気づいた。

 そう。アルクェイドは子供と一緒だ。

 確かに物凄く不躾な質問をしているが、少なくとも本人に邪気はない。

 厄介なのは、邪気のないことだ。

 秋葉が答えるか、またはアルクェイドの興味が失せるまで、いつまでも同じ
質問をしかねない。

 それも、時と場所を選ばずに。


 秋葉の脳裏に、浅上で授業を受ける秋葉の横で、にこにこ笑いながら質問を
繰り返すアルクェイドの姿が浮かんだ。


「ねーねー妹ー、なんでー?」
「………………」

 秋葉は、人差し指でずきずき痛むこめかみを押さえた。


 アルクェイドの場合、実際にやりかねない。
 そのようなことになれば、浅上でこれまで秋葉が築き上げた全てが崩壊する
ことは間違いない。

 それなら、今ここで答えてしまう方が、傷は浅くて済む。


「……ここだけの話ですよ」

 秋葉はアルクェイドとシエルを等分に見た。

「うんうん」
「……ええ」

 アルクェイドは興味津々といった様子で、シエルは慎重に、うなずいた。

「ここでの話が誰かの耳に、ことに兄さんの耳に入るようなことがあれば……
 命はないものと思いなさい。
 ――琥珀。貴方もよ」

 秋葉は厨房に背を向けたまま、振り向きもせずに言った。
 琥珀のことだ、聞いていないはずがない。





「………………………」

 秋葉は、話を始める前に、まずは紅茶で唇を湿した。
 ティーカップを置くと、アルクェイドやシエルから視線を外して口を開く。
「私は、兄さんが好き。
 私は、兄さんを愛している。
 私は、兄さんだけを愛している。
 だから、兄さんに抱いて欲しいと思っている。
 でも――」

 秋葉は言葉を切り、ふっと息をついた。










「怖いのよ」










「ええ、そうよ。怖いのよ。
 私は……私は、男性と……その――お付き合い…した経験がないから。
 笑いたければ笑いなさい。
 私は兄さんに抱かれたい。でも、兄さんに抱かれるのが怖いのよ」

  秋葉が、真っ向からアルクェイドとシエルを睨み据えた。

「兄さんの絶倫ぶりは、まさに異常としか言いようがないわ。
 それくらいのことは、私にだってわかります。
 私は、最低最悪の異常性欲の持ち主だった父を、槇久を見て育ったのよ。
 兄さんの精力は、認めたくはないけれど、明らかに槇久以上に異常だわ。
 貴方たちのように殺しても死なない規格外の人外化生ならともかく――
 私は、人間だもの」










「……兄さんに抱かれたい。でも、壊されたくはないの」










 秋葉はそれっきり口を閉ざし、食堂を沈黙が支配した。










 沈黙を破ったのは、やはりアルクェイドだった。

「うんうん。よくわかるよ、妹のその気持ち」

 アルクェイドは、うさぎのような赤い瞳に涙さえ溜めて、続ける。

「わたしもそうだったもの。志貴に初めて抱かれた時。
 初めてだから優しくしてって言ったのに。
 志貴ってば、それでかえって興奮しちゃったみたいで――」

 アルクェイドは自分の爪先あたりに視線を落として、無表情に言う。

「酷かったよ。
 こんなに脚って開くの?って驚いちゃうくらい、力任せに脚を開かされて、
そのまま後ろから無理やりだよ。
 ………痛かった。
 まるでお腹に杭でも打ち込まれてるみたいだった。
 それなのに、わたしが泣いてもやめてくれなかった。
 逆に、もっと激しくされた。
 あの時は――
 確かにね、志貴に抱かれるのは嬉しかったんだけど。
 でもね、恥ずかしいのと痛いのとで、もうどうにかなりそうだったよ」
「貴方はまだいいです」

 シエルが口を挟んだ。

「私なんてお尻ですよ、お尻。お尻!
 それはまぁ、それまでそっちの経験がなかったとは言いませんが……
 本当は、お尻でするのはよくないんです。
 単に痛いだけではなく感染症に罹ったり、脱腸にもなりかねませんから。
 ワセリンのような潤滑剤をたっぷり使って、慎重にしてもらわないと。
 でも、遠野くんは加減という物を知りませんからねー。
 もう本当に死にそうなくらい痛かったんですから」
「………………」

 二人の話を聞きながら、秋葉は憮然とした表情で紅茶を啜っている。

「お二人とも大変だったんですねぇ……」

 いつの間にか厨房から出て来ていた琥珀が、ちゃっかりと席に着きながら、
しみじみとした口調で呟く。

「私は槇久様にされた時、自分は人形なんだって思い込んで耐えましたけど。
 でも、志貴さんは槇久様以上ですか……やはりそうでしたか……」
「ねぇ琥珀、なんとかしてあげられないかな」

 アルクェイドの言葉に、琥珀は頬に掌を当てて考え込む。

「そうですねー……
 いくつか方法はありますけど、秋葉さまのお気に召すかどうか」
「なになに?」
「……どのような方法です?」

 アルクェイドとシエルが同時に身を乗り出して訊いた。

「問題は、志貴さまが普段病弱なくせに、えっちの時だけ異常にお元気という
ことなんですよねー」
「………」

 秋葉が琥珀をじろりと一瞥したが、何も言わなかった。

 琥珀は目礼して先を続ける。

「秋葉さまが志貴さまに分け与えている生命力の量を減らすことが出来れば、
志貴さまの精力も人並みになりますけど」
「論外ね」

 どこかあさっての方を向いたまま、秋葉がぽつりと言った。

「生命の量を加減することは出来ないのよ。
 私の意志で出来るのは、与えるか、与えないか、それだけ。
 そして、私が兄さんに生命を与えるのをやめれば、兄さんは――」
「ええ。えっちするどころじゃなくなっちゃいますねー」
「それどころか、そのまま死んでしまいかねません」

 シエルが真顔で危険を指摘した。
 琥珀も真顔でうなずいた。

「はい。その通りです。
 そこで、私か翡翠ちゃんが共感の能力を使って志貴さまを回復させることも
出来なくはありませんが――」

 琥珀は首を横に振った。

「私はともかく、翡翠ちゃんにそんなことはさせられません。
 大事なところを壊されてがに股で歩く翡翠ちゃんなんて見たくありません」
「それに、妹も壊されちゃうよ。ということで、この案は却下だね」

 深くうなずき合うアルクェイドと琥珀を、秋葉が苛立たしげに見た。

「それで、次の案は?」

 秋葉の言葉に、琥珀は得たりとばかりに笑みを浮かべた。

「はい。私のお薬で――」
「却下よ!」

 皆まで言わせず、秋葉が遮った。

「琥珀。私は兄さんに抱かれたいのであって、兄さんの形をした人形に抱かれ
たいわけではないの」
「……失礼しました」

 琥珀が深々と頭を下げた。


 その前に、微かに『つまらないですねー』という呟きが聞こえたような気が
しないでもないが、気にしてはいけない。


 シエルがずいっと前に出た。

「では、私が一肌脱ぎましょう。遠野くんの恋人として」
「ぶーぶー。異議ありー」

 アルクェイドの異議申し立てを無視して、秋葉はシエルを見た。

「訊きましょう。……後半は聞き捨てならないけれど」
「なに、簡単なことです。
 秋葉さんが遠野くんとする前に、私が持てるテクニックとアイテムの全てを
駆使して遠野くんを絞り尽くしておくだけです。
 秋葉さんはその後で、壊される心配なく遠野くんと――」
「却下!」
「却下ですっ!」

 アルクェイドと秋葉が同時にテーブルを叩いて叫んだ。
 琥珀はとっさに両手でティーセットを押さえる。

「でも、そうでもしないと遠野くんの暴走は止められませんよ?」

 そう言ってシエルは、処置なし、とでも言いたげに両手を広げた。

「いいですか?遠野くんがですよ、秋葉さんが三つ指突いて『初めてですから
優しくして下さい』と言ったとして、優しくなんて出来ると思いますか?」

 シエルの問いに、アルクェイドが、ゆっくりと首を横に振った。










「無理」




















 その夜。

「……っ……」

 仄暗い寝室に響く、啜り泣くような声。





「……ん……ぁ……」






 時折、微かな衣擦れの音。






「……ん………ふ……ぁ……」





 ベッドの上にいるのは――

 薄い羽毛の掛け布団を頭の上まで引き上げているので、シーツの上に広がる
長い黒髪しか見えないが、ベッド上にいるのは、一人だけのようだ。





 兄さんが好き。






 兄さんを愛している。






 兄さんに抱かれたい。





 でも――










 兄さんに壊されたらどうしよう。










 そう思ってしまうと、怖かった。





 だから――





「兄さん、ごめんなさい。……私、は……秋………秋葉は…………っ!」




 今夜も、一人切なく、指で自らを慰めているのです。





おしまい