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「おぼこの絶頂」
                         西紀 貫之



 翡翠は来客を迎えに玄関にやってきた。
 瀟洒な洋館の、いささか古風な門扉の向こうから、小さ目の通学カバンを抱
えた少女の小さい人影がペコリと頭を下げる姿が見える。その少女は出迎えた
翡翠に小走りに駆け寄る。

「あ、あの」
「いらっしゃいませ、瀬尾様」

 一見冷たく感じるような礼に適った出迎えに、少女、瀬尾晶もつられて挙措
を正してペコリと頭を下げる。

「志貴さん……いらっしゃいますか?」

 少しへんな言い回しかなと、晶は内心首をひねりながら翡翠に告げる。

「お部屋でお待ちになられています。……直接お通しするように仰せ付かって
おります」

 翡翠は晶を中に招き入れ、先に立って歩き出す。

「志貴様のお部屋にご案内いたします。さぁ、こちらです」
「あ、はい。おじゃまします」

 晶はスタスタ進む翡翠の後に、おっかなびっくり小走りで追いつく。
 改めて見ると、さすがに趣のある建物だった。彼女の先輩の住処として、
これほどしっくり来るようなお化け屋敷風の洋館はそうはあるまい。……
と考えて、ぶるりと身を震わせる。なんとなく、その先輩の切れ長の冷た
い目で睨まれたような錯覚を受けたからだ。
 彼女は……苦手だ。
 と言うか、絶対に勝てないだろうと本能が告げていた。

「こちらです」

 翡翠が足を止め、踵を返して向き直る。

「あ、はい」

 晶にこくりと頷くと、翡翠は扉に向き直ってそのまま数度ノックをする。

「……志貴様、瀬尾様がいらっしゃいました」

 晶は心臓が早鐘のように高鳴るのを感じていた。

「あ、どうぞー」

 と、男性の声がそれに応えるように聞こえてくると、晶の胸は一つ大きくは
ねあがった。
 志貴さんの声だ……。
 晶は姿勢を正すと、翡翠の開けるドアから部屋に入った。



 その一時間ほど前のことだった。
 瀬尾晶からの電話を受けた翡翠は、彼女が志貴と話をしたいというので志貴
に繋いだのだが……。いけないこととは知りつつも、つい物陰で聞き耳を立て
てしまっていた。

「ああ、晶ちゃん。どうしたの?」

(「晶ちゃん」?)

 翡翠はピクリと眉間を震わせる。

『あ、あの、志貴さん、今日はお暇ですか?』

 と、聞こえるはずの無い、受話器からの晶の声が聞こえてきて、翡翠はぎょっ
とした。

「あらあら、中学生にまで粉をかけてたんですね〜」

 ……おそらく電話に仕掛けた盗聴機のスピーカーを手に、翡翠の後ろに琥珀
が立っていた。

「かけてるのは粉とは限らないわよ……」

 その背後にはさらに秋葉が立っている。ものの見事に髪の毛の色が赤と黒を
行ったり来たりしていた。

「……あんの、晶が、ねぇ」

 一言一句を搾り出す秋葉。
 翡翠はちびりそうになったが顔には出さなかった。

「んー、今日?」

 志貴の声に、三人は更に身を潜めて耳をそばだてた。

「別に用事も無いし、一日家にいるよ?」
『ああ、よかった』
「なにかあったのかい?」

 志貴は軽く笑うと受話器をかけ直し、壁に寄りかかって促した。

「ああ、もしかして」
『ええ、そうなんです』
「そっか、やっと決心ついたんだね」

 ……決心? と、三人は眉根を寄せた。

『約束通り、私のしょ、しょ……処女……ゴニョゴニョ……です。志貴さんに
差し上げます』

 べきょ!
 秋葉の手が柱の一部を毟り砕く。
 翡翠も、エプロンドレスの裾をぎゅっと握り締める。その指関節が白くなる
ほど嫉妬が篭もってるのを見て、琥珀は少しにやにやした。
「楽しみに待ってるよ。今日は秋葉も少ししたら出かけるらしいし、翡翠に言っ
ておくから直接俺の部屋に来ると良いよ」

『……志貴さんの部屋、ですか』
(……あんたのために綺麗にしてるベッドじゃないのよ?)

 晶の嬉しそうな響きの込められた言葉に、翡翠は素で呟いていた。

「じゃぁ、待ってるよ。そうだな、小一時間したらおいでよ、それまでに片付
けておくからさ」
『あ、はい。あの、志貴さん?』
「なんだい?」
『そ、その……恥ずかしいですから、あまり見ちゃ嫌ですよ?』
「ははは、心配性だなぁ晶ちゃんは。大丈夫だよ、安心して」
『あ、じゃぁ後でお伺いします』
「うん、待ってるよ」

 切られる電話。
 三人の女はその場で固まっていた。



 で、志貴の部屋に入った晶を確認すると、翡翠は一礼して扉を閉める。そし
て合図を出すと、廊下の陰から秋葉と琥珀がやってくる。
「秋葉様、御用があったのでは?」と琥珀が突っ込むが、「初耳ね」とあっさ
り返す秋葉。翡翠は平然と琥珀の差し出すイヤホンを耳に装着する。

『……ですね、男の人の部屋って初めてなんですが』
『ははは、男の部屋にしては何も無さ過ぎるけどね』
『……そうですか? すみません、そういうのもわからなくて』
『秋葉がケチでさ、小遣いくれないんだよね』

 中の会話が聞こえてくる。
 翡翠と琥珀は秋葉を横目で見るが、案の定すさまじい顔をしていたので目を
そらす。

『さ、晶ちゃん……』
『は、はい』
『見せてごらん、そのために来たんだからさ』
『は、はい……それでは』
 ジ、ジィィィィイイイ……。

 チャックを下す音に、三人は三者三様の反応を示す。

「瀬……瀬尾ぉぉぉぉおおおおおおおおおお!!」

 凄い音を立てて秋葉が外開きの扉を内側に開け放った。いやぁな音がして番
が外れ、扉が不器用に倒れる。 
 中の二人は、呆然とした面持ちで秋葉を見ている。

「あ、遠野先輩!?」

 晶は慌てて「おじゃましてます」と頭を下げる。

「秋葉、お前親族会議に行ったんじゃなかったのか?」

 志貴も呆れながら言う。
 で、後ろの二人とも目が合って全てを納得した。

「盗み聞きしてたな、みんな」

「ははははは〜」と琥珀が目をそらし、顔を真っ赤にして翡翠が俯く。
 秋葉はと言えば、今まさに服を脱ごうとしている晶を想像していたのだが、
当の晶は一冊のノートを持ってるだけで、いたって普通の洋服姿であった。
肌がセクシーに露出してたりもしていない。

「へ?」
「『へ?』じゃないよ、なにしてんだよ秋葉」
「え、だ、だってー」

 オロオロする秋葉に、志貴が頭を抱える。

「……また誤解してるな?」

 志貴はため息混じりに頭を掻いた。

「晶ちゃんは、俺を題材に小説を書いてるんだよ」
「……あ、言っちゃだめですよ志貴さん!」

 晶の言う「志貴さん」に込められたものに、秋葉も翡翠も一瞬だけ嫌な面で
抗議する。
 ともかく、秋葉は逆にポカンと口を開いた。

「兄さん、瀬尾の小説の主人公になったんですか?」
「題材……とか言ってたけど、どうかな」

 秋葉の問に、志貴は晶に応えを促す。

「えーっと、そのー」

 ……しどろになる晶に志貴は苦笑した。

「まぁとにかく、俺と有彦の使用許可を求めてきたから二人してOKしただけ
の話さ。お前たちが気にすることでもないだろう?」

 志貴は困った顔で笑う。

「ただ、どんな話か気になるから、出来たら見せてくれるように頼んでただけさ」
「は、初めて書いた小説なんで、その、あの……」
「まぁ、そういうわけでだな、記念すべき晶ちゃんの処女作を見せてもらおうと、
今日は呼んだわけさ。わかったかい? 秋葉、それに翡翠」

 志貴は琥珀を無視して言い聞かせる。琥珀はたぶんこうじゃないかと知って
いた可能性が高いからだ。

「……そうでしたか」

 秋葉が腕を組んでため息をつく。

「じゃあ兄さんは、瀬尾がどんな趣味を持ってるか知ってますか?」
「きゃっ先輩、そんなこと今ここで……」

 秋葉はツカツカと晶に歩み寄り、ノートを掴んで奪い取り、そのまま琥珀に
放り投げる。

「ああん、ひどいですぅ」
「おだまり」

 秋葉の抜き手を咽喉に受け、咳き込む晶。

「琥珀、中身を兄さんに読んで差し上げなさい」
「了解しました〜」

 琥珀はノートを開く。
 そこには晶の整った丸い文字で書かれた物語が記されていた…………。


ソドムの午後
  瀬尾 晶ちゃんの小説です