[an error occurred while processing this directive]

白姫の森 〜Forest with White Princess〜
                       古守 久万



 ある森の中を、志貴は歩いていた。

 夕明かりはとっくに失われた満月の夜。
 月明かりは、見渡す風景を全て青白く染めている。

 ふと、志貴は前方を見た。
 木々の間、僅かに開けた空間の奧に1頭の白馬がたたずんでいる。
 それは体に一点の曇りもない、純白の馬。

「あ……」
 志貴は、その姿に見とれてしまう。
 その姿は儚く、目を逸らせば消えてしまいそうな程美しかった。

 馬は、じっと志貴を見ている。
 その目は純粋で、決して汚れを知らない透き通った瞳。
 逸らす事もなく、ただ一点に志貴を見つめる。

 ふと、志貴はその馬に近付こうとする。
 もっと近くで見たい。
 この手に触れてみたい。
 
 しかし、馬は後ろを向き軽く駆け出し、去ってしまう。
 それはまるで、白夜の闇に吸い込まれるように。
 その後には誰もいない空間。
 
「おい、待ってくれよ……」

 志貴は、たまらずその姿を追うようにして深く森に入っていく。
 緑響くその空間。回りにはただ、月に照らされて白く光る木々。

 しばらく行くと、また木々の間に白馬の姿。

「……」
 志貴は、今度は無言のままに白馬に近付こうとする。
 が、近付くとすぐにまた奧へと走り去ってしまう。
 
 そうして志貴が歩き、見つける度に、白馬は森の奧に姿を消してしまう。

「待って……」
 
 志貴はたまらず、走り出す。

 まるで自分から逃げるように、姿を見せては消えゆく白馬。
 ふわりと、空を飛ぶような軽やかさで駆けるのに、その姿は一度消えるとあっ
という間に見えなくなっている。

 それは、樹霊の悪戯か。
 それとも、俺の目の錯覚か。
 志貴は迷いを追うように、深く深くへ追いかけていく。

「ハァ……ハァ……」
 聞こえるのは自分の呼吸。
 ドクン……ドクン……
 そして自分の心音のみ。
 
 それが、この果てしなく広い森中に響き渡っているようだった。

「待って……待ってくれ!」
 志貴は叫び出す。
 逃げていき、触れる事の出来ない存在。
 ただ必死に、体がおかしくなって倒れそうだというのに、全力で追いかける。

 そうして、森は何処までも続いて……白馬は遠くへ。

 夢はそうして、ある終わりを迎えていた……


 志貴の部屋。
 その中は薄暗く、照らすはベッドの脇のランプと、窓から差す月明かりのみ。
 そうして、ベッドの上には抱き合って揺れ動くふたり。

「ああっ!志貴、志貴……わたし……もう……っ!」

 何かから逃れるように、アルクェイドは志貴に強く抱きつく。

「アル……クェイド!」

 志貴は最後にそう叫ぶと、一番奥に自らの杭を打ち込む。
 同時に、更に奧目掛けて欲望の飛沫を発射させる。

「あっ……ああーっ!!」

 アルクェイドは志貴の背中に爪を立て、体を強ばらせて達する。
 志貴に全身を絡みつけ、離れまいとする体。びくり、びくりと膣に精液が注
ぎ込まれる。それを全身で感じ、アルクェイドは女としての悦びの絶頂を迎える。

「志貴……幸せ……」

 うっすらと瞳に涙を浮かべ、アルクェイドは目をつぶっている。

「……」

 しかし他方、心が満たされぬままの男。
 その放出の間も、腕の中のアルクェイドを見下ろすようにしてただ精を吐き
出しているだけだった。

 互いの波が収まると、ふたりは弛緩する。志貴は体をずらしてベッドに倒れ
込み、天井を見上げる。
 志貴はしばらく、行為の後の微睡みを感じていた……すると、

「ねえ……」

 横にいるアルクェイドが、志貴に呼びかける。

「志貴……」
「ん?」

 志貴は呼ばれて、軽く返事をする。

「どうしたの……?最近、何だか変よ……」

 アルクェイドは、不安そうに訪ねる。しかし少し赤くなりながら

「私と……してる時も、何か別の事を考えているみたい……」

 志貴の心を掴みあぐねた様子で呟く。

「……」

 志貴はそれには答えずに、ゆっくりと体を起こす。

「……いや、そんな事はない。俺は、いつもお前の事だけを考えている……」
「嘘」

 アルクェイドは僅かの間も置かずにはっきりと言う。
 そう、背中にかかる言葉が志貴の心に刺さる。

「分かるの。志貴は嘘が付けないって事」
 志貴はそう言われて、遙か昔に「先生」に「誰にでも分かるような嘘は付か
ない事」と言われた記憶を思い出す。
 アルクェイドには、敵わない。そう、志貴は思う。
 純心であるが故に、僅かな心の濁りも逃さない。
 そんな相手に嘘を付いている事を、改めて無駄な事だと悟ったのだった。

「……わかった。本当にお前には敵わないよ」

 志貴はふぅと息を吐きながら、やれやれといった表情でアルクェイドを振り返る。

「へへっ。そうー?」

 志貴がようやくいつもの志貴に戻って、アルクェイドも嬉しそうに笑う。
 その笑顔に、志貴の心はいつも助けられていた。
 どうにかなりそうな時、いつもこの笑顔を思い出しては日々を過ごしてきて
いたのに、どうして心配させてしまったのだろう。
 そう考えると、自分だけで考え込んでしまうのがバカらしく思えてきた。

「聞いてくれるか、アルクェイド……」

 志貴は、ベッドからゆっくり立ち上がった。



「……夢?」

 それが意外であるかのような感じで、アルクェイドはその言葉を聞き返す。

「ああ」

 志貴はズボンをはき、シャツにゆっくりと袖を通しながら答える。

「最近、夢を見るんだ。それも同じ夢を何度も……」
「そう……何だか不思議ね……」

 アルクェイドも、セーターをかぶりながら真面目に聞いてくれる。

「で、どんな内容なの?」

 アルクェイドは、志貴の気持ちを解きほぐしたい、その一心で続きを待つ。

「ああ……」

 志貴は、ありのままの夢情景をアルクェイドに語り聞かせた。
 アルクェイドは、志貴と一緒にベッドに座りながら、それを黙って聞いた。

「……その馬をいくら追いかけても、捕まえる事が出来ないんだ」
「……ふうん」

 深刻そうに語る志貴だったが、その内容の掴み所の無さにアルクェイドは思
わず気のない声を上げてしまう。

「ねぇ、志貴はどうしてその白馬を捕まえたいって思うの?」
「それは……」

 言われて、はっとなる志貴。

「……わからない」

 志貴は頭を振りながら答える。それは夢の中では自然に行われていたのに、
いざ理由を聞かれてもその答えを持っていなかった。

「もうっ、わからないじゃわからないわよ」

 アルクェイドは、少し苛立ちながら言ってしまい、思わずはっとする。
 自分でもこの目の前の愛する人の気持ちがよくわからずに、焦っているのを
感じてしまっていた。

「あ……ごめんなさい」
「いいよ、お前が謝る事なんかない」

 志貴はすまなさそうにそう答える。しゅんとなるアルクェイド。

「で、夢の最後はどうなるの?」

 アルクェイドは、まだ聞いていなかった部分を明らかにしようと訪ねるが

「……」

 志貴は心を閉ざしたように、それには答えてくれなかった。

「……分かった、答えたくないならいいよ……」
「……すまない」

 志貴はその優しさに、ただ頭を下げるしかなかった。

「……でもそれって、夢の中の出来事なんでしょ?そんなの気にする事無いじゃない」

 出来る限りに明るく、そう言ってみるが

「ああ……でも、それが出来たらそうしているよ」

 志貴の返事に、一気に元気を失ってしまう。
 アルクェイドもよく分かっていた。
 この人は、そう流してしまえる人なんかじゃないと……それなのに、そう言っ
てしまった自分を悲しく思う。

「でも、分からないんだ……どうして俺が、そんな夢を見てしまうのかが……」

 志貴は恐れるように、頭を抱えてしまう。
 それを見て、かける言葉も失ってアルクェイドは肩に手を置くだけしか出来
なかった。

 あまりにも重い空気。そして雰囲気。どちらもただの一声も出さずに、ただ
じっとしているだけだった。

 志貴は、アルクェイドにも話せないその結末を、信じたくなかった。

 アルクェイドは、志貴の話してくれないその結末を、知りたかった。

 だから、アルクェイドは1つの行動に出た。

「……ねえ、志貴」
「ん?」

 志貴はアルクェイドの突然の呼びかけに、顔を上げる。

「その夢って、こんな感じでしょ?」

 そう言って立ち上がると、アルクェイドは窓を勢いよく開ける。
 若葉の季節にはまだほど遠く、夜風は肌に冷気を当ててくる。

 そうして、アルクェイドはいつもの無邪気な顔で、

 とん

 その窓枠に飛び乗った。

 
 月光を背に、美しく浮かび上がるは白姫の姿。
 その姿を包み込む光が、まるでオーラのように彼女を包んでいる。
 真祖の姫は今、月夜に浮かび上がる天使だった。
 その表情は陰に隠れながらも穏やかに、そして神々しい。

 志貴はそれを、しばらく無心で見つめていた。
 が、意識を取り戻すと

「ア、アルクェイド……!」

 バッと、驚いて勢いよく立ち上がる。

「えっへへ〜」

 アルクェイドは無垢な笑顔で、志貴を見つめる。

「私を、つかまえてみてよ」

 そう、優しい声で志貴に語りかけた後

 ふわり

 闇夜にその姿を舞わせ、アルクェイドは消えていった。

「な……!」

 その意外な行動に、慌てて窓に走り寄り、体を伸ばして外を見る志貴。
 しかし既に、そこにアルクェイドの姿は無かった。
 そして、見えるのは……
 一面の、闇に似た緑苑の園。
 その瞬間、夢に見た森を思い出してしまい、ぞっとする。

「あいつ……人の気も知らないで!」



                                      《つづく》