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激しく、そして繊細に

作:しにを



 余韻。
 心地よい達成感。
 つい今しがた迄の集中の残滓が漂い、霧散する。
 僅かに心と体に残る疲労、脱力感すらむしろ快美さをもたらしてくれる。
 そう、張り詰めたものが解放された何とも言えない心地よさ。

「ふう……」
 満足の溜息が洩れる。

 だが、同時にそれは終わりの始まり。
 頂点にいられるのは僅かな時間だけ。
 そして一度そこに辿り着いたら後は落ちるだけ。
 既にさっきまでの陶酔の瞬間は失せている。

 気だるげにしながらも、身を起こした。
 このまま目を閉じてつかの間、夢の世界に赴く……、という訳にもいかない。
 取り合えずは応急処置をしたが、まだ後始末が残っている。
 機械的に手を動かす。
 前もって準備したものでは足りなくて、それを手で捜し求める。

「ええと」
 片手で辺りを探る。

「これ?」
 すっと目の前に探していたそれ、ティッシュの箱が差し出される。
「ああ、ありがとう」

 二、三枚ティッシュを引き抜き、それを丸めるようにして重ねて……、そし
てぎょっとしたように体の動きを止める。
 凍りついたように身体が固まる。
 首のみが軋みをあげてそちらへ向く。
 今の声だけで誰なのかはわかったが、祈るような気持ちでそれを否定する。

「どうしたの、続けてよ」
 はたして、そこには予想された人物がいた。

 にこにこと笑った金髪の姫君。
 興味深々といった様子で俺をじっと見つめている。

「……アルクェイド、お前いつからいた。いや、どのあたりから見てた?」
 搾り出すような俺の言葉に、アルクェイドはうーんと頭を捻る。
 
 せめて、せめて、せめて……。
 頼むから今来た処とか言ってくれ。

「ええとね、志貴がベッドで横になって息を荒くして、はあはあ言いながら、
こうやって手を……」
「もういい。わかった。その手の動き、やめてくれ」
「そう?」
 手を上下に動かしていたアルクェイドはきょとんとした顔で止める。
 そうか、見ていたか。見ていたのね。そうか……。

「ねえ、志貴、何してたの?」
「……」
「ねえってば」
「……」
「どうして下半身裸なの。今、出したのって精液だよね?」
「……アルクェイド、俺を苛めてそんなに楽しいか?」
「えっ、ええっ。何で、何が」

 心から驚いたようにアルクェイドは目を丸くする。
 この反応は何だろう。
 わからない。

「だから、俺がその……」
「志貴が?」

 ふんふんと拝聴の構え。
 うーん、変に裏表のある奴じゃないし、これは……。

「もしかして、本当にわからないのか、俺が何してたのか?」
「だから聞いてるんじゃない。……もしかして、私、凄くいけない事訊ねてる
のかな?」

 不安そうにアルクェイドの表情が曇る。
 時に恐ろしい物言いをかましてくれる奴で、それが天真爛漫かつ傍若無人に
も見えるわけだが、決して他人に無礼を働いて平気でいる奴じゃない。
 だからここで下手に言葉を濁すと気にするだろうな、アルクェイドは。

「何て言ったらいいのか。ええと、オナニーしてた訳ですよ、アルクェイドさん」

 あーあ、単刀直入に言っちゃった。
 秋葉あたりに見られたのなら、一生モノのトラウマになる処だが、アルクェ
イドなら、まあ、その恋人だし……。

 そう言えば恋人が出来てからだと、一人でこんな事するのもなんだか罪悪感
とか空しさが薄れるものだなあ。
 お金が無いときのかけ蕎麦はミジメだけど、懐に余裕がある時のかけ蕎麦は
同じ値段・味なのに、むしろあえてこれをという別な意味の贅沢している気分
になれるのに似ているとでもいうか。
 思考を微妙に外へ外へと逸らしていく。

 もう開き直ってアルクェイドの目の前で、うなだれた肉棒をティシュで拭い、
外にこぼれた処を拭き清める。
 これだっていつもアルクェイドの前でしてる事だしな。うんうん、決して恥
かしい事じゃあないさ、いつもと違って俺だけ一人裸だけど。
 ええと、寝巻きの下はどこかな?

「おなにーって何?」

 でも、アルクェイドの表情は疑問符を浮かべたまま。
 いやいっそうわからない度が深まったご様子。
 必死になって逃避してたのに、また連れ戻される。
 ああ、もう……。

「わからないか? じゃあ自慰、マスターベーション、自家発電、せんずり、
手淫、一人遊び、それから、えーと……」
 一向にアルクェイドの腑に落ちないといった顔が変わらないので、次々と同
類語を挙げていく。
 他には何かあったかな、……まさかこんな物の語彙に頭を悩ませる事がある
とは思わなかった。で、結局は十数種類の羅列をして力尽きた。

「うーん、わからない」
「不必要な知識だから、欠落しているのかなあ」
 あまり吸血鬼および真祖狩りに必要な知識とは思えないからな。
 そもそもアルクェイドの頭の中の基礎知識として、最初から存在していない
のだろう。

「要はだな、自分で気持よくなる行為の事だよ。性衝動を感じた時に、自分で
それを擬似的な性行為で抑えるというかすませると言うか」
 真面目な顔をして耳を傾ける相手に、こうした事を説明するのが物凄く恥かしい。

「ふーん、一人でもそんな事出来るんだ。でも志貴、私とするだけじゃ足りな
いの? 
 こないだ部屋に来た時だってさんざん長い時間いろいろな事して。最後には、
私にこんな格好させて、足を……」
「アルクェイド、実演はやめろって。一人で部屋にいたりすると、急にもよお
す事があるものなんだよ。なにかのきっかけで唐突にとかさ」
「そうなの? でも、呼べばすぐに志貴の処に行くのに……。
 だいたいする時は凄いけど、会った時も毎回そういう事する訳でもないし、
志貴って普段はそんなにしたくないのかと思ってた」
「会う度に毎回するのってなんか嫌じゃないか。その……、アルクェイドの体
だけ欲しいみたいだしさ。
 ましてや、したいから来いなんて呼びつけられる訳ないだろ」

 アルクェイドはえへへーっと嬉しそうな顔をする。

「そうなんだ、志貴って難しいね。でも、ちょっと嬉しいかな」
「それにだな、これはこれで実際にするのとはまた違った良さがあるしさ」

 人として絶対に口に出しちゃいけない願望なんてのも、密やかに充足する事
もできるしな。例えば……。
 あ、でもこの言い方だと、アルクェイドとするのが良くないみたいに聞こえ
るかな。
 顔色を覗うが気にしたご様子は無し。
 うーんと頭を捻りつつ、アルクェイドは何かを考えているようだ。

「志貴はそういう衝動を自分自身で消化する事が出来るんだ。便利だね、凄い
なあ」
「別に男だけじゃないだろ、女の人だって……、って当然知らないよな、言葉
というか概念すら知らないんじゃ」
「うん。でも、私、志貴みたいにこんな事できないよ」
「だからその手つきはやめろって。別に、自分の性器弄って気持良くなればい
いんだから、男でも女でもできるんだよ。
 アルクェイドだって、俺としてる時に自分で自分の胸触ったり、下の方を弄っ
たりしてるじゃないか」
「あれって、その自慰行為とかいうものなの?」
「いや、あの時するのは違うけど、一人で同じ事すれば立派に自慰行為だぞ」

 感心した顔でアルクェイドは俺を見ている。
 そう感心した目されてもなあ。

「ふうん、志貴って男なのに詳しいんだね。じゃあ、志貴の妹とかメイドさん
も自分でしてるの?」

 何を言い出しやがる、こいつは。
 秋葉に、翡翠……?
 どうだろう。
 それは、やはりあ……、いかん、いかん、駄目だ駄目、却下。

「知らない。というか想像させるな、そんな事」
「なんでー」
「他人がとやかく詮索するのは非常に失礼な行為なの。特に異性の身内は絶対
に駄目」

 ヒステリックに声が高まりそうにになるのを堪えて、努めて冷静にアルクェ
イドに言い聞かせる。
 素直にアルクェイドは頷く。
 よし、一応釘は刺した。
 いや、まだ何か危険な芽がある様な……。

「一応言っとくけど、本人に聞くのはもっと駄目だからな、絶対に禁止」
 えっと言う顔をアルクェイドはして、俺が真顔なのを見てしぶしぶ頷く。
 あー、危なかった。

 ――ねえねえ、妹
 ――なんでしょうかアルクェイドさん(冷たい口調)
 ――妹も自慰行為ってのするの?
 ――な……(あまりの事に言葉を失う)
 ――ねえってば、志貴が言ってたけど
 ――兄さん、何処です、出ていらっしゃい!!!(大激怒)
 ……こんな光景がリアルに浮かんだよ。身の破滅だ。

 こっちが冷や汗をかいているのを知らず、今度は自分の手を見つめている。
 微かに顔が赤くなっている。

 これは……。
 考えてるな。
 そのほっそりとした綺麗な指と普段目にしているアルクェイドの白い肢体が
重なる。
 あ、こっちも何かむずむずすると言うか。

「なあ、アルクェイド」
「何、志貴。……あ、もしかして」
「試してみないか?」
「やっぱり。でも、そんな事」
「自分の部屋戻ってから試してみようとか思っていただろ?」
「……うん」
「じゃあ、いいじゃないか。だいたいやり方よくわからないだろう」
「そうだけど……」

 アルクエイドにしては返事に歯切れのよさがない。
 まあ、無理も無いけど。
 こういう困った顔して上目遣いするお姫様も意外と可愛い。
 そんな顔されるとさらに見たくなる。

「アルクェイドがしている処見たいなあ。綺麗だろうなあ」
「……」
「見たいなあ」

                                      《つづく》