修羅場に交われば
                              阿羅本 景


「……なによ、その目は……何か言いたいことがあるみたいね、セイバー」
「いえ、私にはなにもありません。凛。もしそのような風に見えるのであれば、
それは私を見る凛の心の曇り故でしょう」
「く……ふ、ふん。それはどうかしらね。それよりも言いたいのは私は……」
「シロウとこれ以上馴れ馴れしくするなと言うことでしょうか?ですが彼は私
は同じ屋根の下で暮らす関係でもあるわけです」
「そんなことを言ってるんじゃないわよ。私はただ貴女のその態度が――」
「そうですね、こう言わなければ納得できませんか、凛。哀しいことです」
「く………なによ、セイバー、やっぱり言いたいことがあるんじゃないの。い
いわよ、聞いてあげるわ」
「私は――シロウに抱かれました」

 振りかぶった凛の手が、セイバーの頬を叩いた――




 かちこーん!





「はーい、かっとー」

 そして、それに続く拍子木を打ったような音と腰砕けに脳天気な声。緊迫し
たびりびりとした空気が一遍で吹き飛び、まるで壊れたファンヒーターからな
ま暖かい熱風が吹いてきたような、そんな気の抜け方。

 さらにばりばりと草加せんべいがかみ砕かれ、ずるずるとほうじ茶が啜られる。
 気合いが入らないこと限りない、脱力系サウンドエフェクト。

「はい、藤村先生。こちらをどうぞ」
「ああ、桜ちゃんは気が利くねぇ。せんせーは桜ちゃんみたいな教え子をもっ
てうれしーよー」

 にこにこと笑うと藤ねぇは黄色いメガホンを受け取る。側面にはラベラーで
「映像研究会備品」と書かれている、年季の入ったプラスチックのメガホン。
一体どうしてそんなものがこの衛宮邸のあるのかと見る者に疑問を感じずには
居られない一品。

 さらには桜の手には、同じ映研のカチンコが握られている。白黒模様も汚れ
て手垢と傷で角の丸くなって、長年使われている重みを無言で感じさせた。だ
が、それが柔和な桜が持っていると妙な違和感がある。

 すーっと深く息を吸うと、藤ねぇはメガホンに口を当てて、数メーターも離
れてないのに大声で呼ばわる。元から武道仕込みの胴から震える声が、さらに
大きくびりびり空気を震わせた。

「はーいいいよいいよ遠坂さんもセイバーちゃんも良い感じー、でも先生もっ
と感情が乗ってくれると好きだなー、じゃ、もう一回いくねー」
「はーい、それではシーン2−4からです、さん、にー、いちー」

 桜が構えたカチンコを、かつーんと音高く鳴らす――その前に。

 頬を叩いた凛と、叩かれたセイバー。二人とも時間凍結を食らったように凍
り付いていたが、顔だけきっとちゃぶ台で監督と助監督の振りをしている藤ね
ぇと桜を向く。

「これは一体どういうコトなんですか、大河!」
「これは一体どういうコトなのよ、桜!」

 二人の口からユニゾンで詰問の叫びが上がる。セイバーが藤ねぇに、凛が桜
にくってかかっていた。いや、どちらがどちらに噛みついても問題がないの
であったが。
 はぇ?と藤ねぇが当然のことを聞かれたような疑問の表情を顔に浮かべる。
桜もどうしてこの人がそんなことを悟ってくれないのだろう、と不思議がるよ
うな顔で、カチンコを打つ前で手を止める。

「ですからリハーサルです、遠坂先輩」
「だから何のリハーサルか教えなさいよ、いまのこれは」

 凛はそのまま感情のままにがなり立てるかと思われたが、むっと押し殺して
腕を組んで不満そうに呻く。そんな凛の片手に握られているのは、丸まった台本。
 桜はほぇ?と首を傾げる。目の前に居るツーテールの凛が分かってくれても
しかるべきことを分かってくれない、そんなもどかしさがあるが故か。

「えーっと、そちらの台本のタイトルに書いてありますが」
「なになに……衛宮邸の人々・乱倫の中に巻き込まれた少年の運命や如何に――」

 あらためてタイトルを読み、こめかみに青筋を浮かべる凛。傍らではセイバー
も同じ台本をひっくり返し、その題字を穴が開きそうなほど見つめている。い
つもは冷静沈着なセイバーも今ばかりはひくひくっと時折神経質に身震いする
ばかり。その有様は見るからに不気味であった。

「………………」
「はい、もっと良いタイトルがあるかと思ったのですが無難なところで。本当
はお嬢様が教えてあげる・禁断の居候サンドイッチ関係とか乱れ魔術帳・滴る
蜜の魔法陣とかそういうロコツなのが良かったのですが……」
「士郎はむっつりだからそう言うの好きそうだしねー」
「……………否定は出来ないけどもひどいことを仰いますね、藤村先生。それ
にメガホン外してください、騒々しいです。」

 脳天気というか思慮の分量の著しく低い藤ねぇの相槌に、困り果てたような
凛の指摘が飛ぶ。もう一度手に台本をもつと、ぽんぽんと掌を打つ。手に握ら
れた台本の筒は、回答次第ではつっこみに振り下ろされる武器となる――と無
言で示しているかのように。

 うぬぬ、と唸りながら黄色いメガホンが藤ねぇの口からひどく残念そうに離
れる。そんな藤ねぇと、横でのほほんと笑っている桜に追い打ちが掛かった。

「で、桜も藤村先生でもどっちでも良いから教えて頂けなくて?」
「なんでしょうか?」
「ですから、なんでこんな台本を読んでリハーサルをしなければいけないか、
です」

 凛は表情では笑顔を作ってみせるが、その皮の下にある顔面の筋肉の動きは
憤怒そのものであった。口元は綻ぶが、そのひくひくと震える動きは明らかに
堪えがたきを堪えている忍耐を現している。
 こくり、と同意の頷きをセイバーもする。こちらはすでにそう言うひくつく
レベルをこえ、なにやら噴火寸前の火山が不気味な静寂を保っている様な有様
であった

 ああ、それはねー、とそんな目の前の緊迫を無視しきった藤ねぇの声が響く。

「……きまってるじゃないの遠坂さん、もちろん士郎への悪戯の為だよー」
「……………」

 凛は人差し指を額に当て、ある意味予想していた最悪の回答に項垂れる。セ
イバーもまた肩幅に足を開いた、妙に踏ん張った格好で俯いていた。そんな意
気消沈というか、半ば絶望を感じさせる二人とは対照的に――

 ずるずるずるずる、とお茶が啜られる。
 今度はユニゾンで、藤ねぇと桜が。

「ほらほら、最近遠坂さんやセイバーちゃんが一緒にいるから士郎に悪戯でき
なくて、お姉さんすごーくストレスが堪っていたのー」
「……一昨日ぐらいにシロウの秘密の蔵書が私の部屋の中に在ったのですが、
あれは大河の所業ではなかったのですか?」
「それを士郎が先に見つければよかったんだけど、セイバーちゃんがかたづけ
ちゃったから不発でお姉さん哀しくて哀しくて……」

 エプロンの裾を掴んでよよよよ、と泣き崩れて見せる藤ねぇ。だがこの場の
誰も、味方であるはずの桜も藤村大河がそんなタマではないと知っていた。も
ちろん泣き真似以外の何でもなかったのだが――

 なぜか部屋に数冊散らばっていた艶書の事を思い出すと、セイバーは感じる
はずもない偏頭痛に襲われる。彼女は慌てず騒がずそれを纏め、士郎の部屋の
押し入れの奥底に入れておいた――確かにそれを真っ先に士郎が見つけていた
ら大変だっただろう、と思いながら。

 だが、藤ねぇはそんな鳴き真似をし飽きたのか顔を上げると、やおらむわー!
っと何かを思い出したように腹を立て始める。

「っていうか、士郎が見つけてもセイバーちゃんが見つけても面白いことにな
る予定だったのに!それをニヤニヤ笑いながら眺めているのが楽しみだったの
に!それにもし士郎が不発でもお堅いセイバーちゃんがあんなのやこんなのを
見ちゃってドキドキしているとか思うだけでお姉さん御飯2杯は軽くイケるの
にー!」
「……セイバー、どんなのを士郎が持ってたの?」

 涙を流しながらえぐえぐと怒る、という複雑な感情の激発を見せる藤ねぇと、
セイバーの袖を引っ張って小声で尋ねる凛。
 セイバーはふるふると震えながら目をつぶり、そのまま深く深呼吸をした。
記憶には微かに残っているが、鮮明に覚えておく事柄でもない――シロウの保
有する艶書のことなどは。

「……それは直接シロウにおたずねになった方が宜しいかと」
「ん、まぁでも士郎なら何となく傾向が分かるからいいわ」
「それなのにセイバーちゃんったら何事もなかったかのように拾い集めて押し
入れにぽい、でその後知らん顔して出て行っちゃうんだもん、おもしろくない
おもしろくないー!」

 じたばたと藤ねぇは暴れる。
 凛もセイバーもそんな傍若無人であばれはっちゃくな藤ねぇには手出しも口
出しも出来ず、ただこの不条理な大人を前に黙っている。そして桜はにこにこ
と、本当はこの人は場の雰囲気が理解できないのではないのか?という疑惑を
抱かせそうな笑顔のまま。

 やがて暴れ疲れた藤ねぇが、ぴたっと動きを止める。
 来るのか――二人が心中で、恐るべき不条理の怪物・藤ねぇに身構えた。

「だからね、ね、セイバーちゃん?遠坂さん?」
「……なんですか先生」
「だからお姉さんもっと大がかりな悪戯に士郎を巻き込みたいのっ、そう、そ
れは泰山の如く勇大で崋山の様に険峻で蛾眉山のように秀麗な悪戯にー、まさ
に悪戯の満漢全席ー」

 腕を天に伸ばし、舞台俳優のように歌い上げる藤ねぇ。英語教師のわりにそ
んな中華表現をどこから……と凛は思う。その間も人差し指がこつこつと気障
りそうに額を打ち続けていた。こうやって指で叩いていると、耳から入ってき
た悪い虫が集まってきそうだ、と言いたげに。

 藤ねぇはみずからの表現に感心したように手を握り合わせ、目を輝かせてい
たが――

「でもね、お姉さんだけではちょっと力が足りないの、枯れ木も山の賑わいっ
て言うし」「大河一人だけでも十分強力だと思いますが」
「藤村先生、その慣用表現は間違ってます」
「だからね!桜ちゃんにも協力して貰うことになりましたっ、はくしゅー!」

 ぱちぱちぱちぱち

 藤ねぇと桜の拍手がむなしくこの居間に響き渡る。仲良く藤ねぇと拍手して
いる桜に、凛とセイバーの恨めしい視線が集中した。
 流石にそんな人を殺しかねない瞳に見据えられると桜はびくっと身を震わせ
るが、やおら藤ねぇは桜の肩を抱いてふたりは仲良し、とでも言いたげににっ
ぱり笑って話を続ける。

「桜ちゃんも最近あんまり士郎に構って貰えないからね、私がこの計画を持ち
出すと一も二もなく協力してくれるってね、ね!」
「……桜、貴女ともあろう人が一体なぜそのような軽慮に……」

 セイバーはそう、なんとも残念そうに弱く呟く。自らの知らないところで知
らない世界がなんとも不気味な脈動をしながら動いている、そんな無力感に駆
られるように。
 そんなに意気消沈することはないわよ、だって藤村先生なんだし――と慰め
の言葉を凛は掛けようと思ったが、それを口に上げる気力も失せようと言うも
のであった。

 凛は筒状に握ったままの台本をじっと見つめる。
 コピーを中綴じでわざわざ製本した、妙に気合いの入った台本。頭痛のする
頭を指で打つのを止め、あらためて凛はその台本をぱらぱらとめくる。
 そして何かに気が付いたように顔を上げると、桜にまさかね、いやでも、と
呟きながら尋ねる。

「……この台本書いたの、もしかして……桜?」
「はい、精魂込めて2昼夜寸暇を惜しんで書き上げました全13話です!」
「桜ちゃんはすごいんだよー、お姉さんだとこんなシナリオどうやっても思い
つかないからー」

 すごいすごいねー、と肩を揺さぶって大げさに褒める藤ねぇと、いやそれほ
どでもありませんとはにかんで謙遜する桜。セイバーもそう言われてあらため
て台本を見つめ直す。
 凛は凛で再び台本を握り直すと、はぁー、と長いため息を残して顔を覆った。

「……まさか藤村先生がこれを書くとは思っていませんでしたけども」
「む、まるでそれだとお姉さんがまるで体力馬鹿で悪戯好きで向こう見ずで大
食らいのお馬鹿の子みたいではないですか、ぷんぷん」
「……………」

 それのどこを否定しろと?という言葉を言い出せないセイバー。
 兎に角、この藤ねぇには口も手も出せない。湖の貴婦人なみに何か超越した
世界に君臨している。それに、温厚な桜までも――

 桜まで、も。

 だが彼女はじっと台本に目を注いだまま、自分が目にし、口にした台詞を思
い出した。それは彼女の中でどっくどっくと熱い羞じらいの血となり、まるで
巡る魔力が無意味な増幅と加熱を繰り返していくように……セイバーの白皙の
頬にだんだん血の気が差してくる。
 そして、あの台詞が脳裏にリフレインした……

 ――「私は――シロウに抱かれました」

 ぷっつん。


(To Be Continued....)